福島わかもの国際交流キャンプ in 韓国

■  韓国の人々の深い愛情と情熱によって  宇野田陽子

原発建設計画を撤回させたサムチョクの人たちの「福島の若者たちを迎えたい」との声に応えて、水戸喜世子さんたちと半年以上かけて準備して実現したキャンプが無事に終了しました。

お天気に恵まれ、偶然の出会いに祝福され、導かれているように幸せな行程でした。韓国の人々の深い愛情と情熱によって様々な幸運が手繰り寄せられた一週間でした。この旅がそもそも可能となったのは、福島の若者と韓国の若者の交流の意義に賛同して、あたたかいご支援をくださったみなさんのおかげです。ありがとうございました! お支えくださったみなさんに、キャンプの様子をお伝えしたいと思います。

福島の若者8名(中学生 3 名、高校生 3 名、大学生 2 名)が、まずは8月15日の夜に羽田空港にほど近い宿舎に集合して、結団ミーティングを行ないました。

翌16日、大韓航空でソウル・金浦空港へ。横断幕を掲げて迎えてくれたキム・ボンニョさんをはじめとする韓国側スタッフたちとともに、貸し切りバスでサムチョクへ。

サムチョクでは、原発白紙化記念塔を訪問、塔の前に植樹されたばかりの木に、日本からの参加者が少しずつ土をかけました。夕食会でマ・ギョンマンさんらサムチョクの反原発関係者の方々と歓談し、宿舎であるイ・オクプンさん宅へ。

サムチョクでの3日間、韓国の若者たちとともに、海水浴、透明ボート、浜辺での花火、アワビのおかゆづくり、チヂミづくり、美しい海を見ながら走るレールバイクなどを経験しました。

19日は別れを惜しみながらもサムチョクを出発、東洋最大級の洞窟を見学してから、一路ソウルへ向かいました。親しくなったサムチョクの方々との別れで、みんな移動のバスの中では少し肩を落としていました。

ソウルでは、フリースクールのクリキンディセンターを訪問、19日は青少年気候変化訴訟キャンプのメンバーと交流しました。20日から最終日までは、このクリキンディセンターの学生たちと一緒に過ごしました。

20日は学校内を案内してもらい、歌と演奏で歓迎してもらって大感激。みんなもソウルで出会った新しい友人たちと親しくなっていきました。夕方に有名な「ナンタ」を観劇して笑い転げた後は、クリキンディセンターの学生たちと再び合流して夕食の後、南山タワーに上って、そのまま一緒に宿舎へ。

21日はみんなでチョゴリを着て昌徳宮を見学してから、ソウル市役所へ移動してパク・ウォンスン市長と面会しました。その後の自由時間は、いくつかのコースに分かれて思い思いに買い物や観光を楽しみました。夜は、大きな部屋に集まって、楽しいレクリエーションで体と心を緩めてから、この一週間のふり返りを行ないました。最後の夜ということもあり、みんながしゃべったり笑ったりする声が、夜遅くまで聞こえていました。

22日は、「自力で行くことができる北朝鮮に一番近い場所」である臨津閣と、川を挟んで対岸の北朝鮮の町を見ることができる烏頭山(オドゥサン)展望台を訪問しました。臨津閣では、統一を願う布や旗がフェンスにぎっしりと結びつけられてはためいていました。烏頭山展望台に設置された双眼鏡を通して、小学校でサッカーをする子どもたちや自転車に乗ったおじさんが見えてみんなが驚きました。今まさに歴史の転換点にある場所を、韓国の若者たちと一緒に訪問できたことは、あまりにも貴重な経験でした。

金浦空港では涙で別れを惜しみ、再会を誓いあって出国のゲートをくぐりました。それぞれがたくさんの思いを抱えながらも、違いを乗り越えて理解し合う力をいかんなく発揮した日韓の若者たちの姿が、どれだけ印象的だったことか。

引率者である私も、多くのことを学びました。こんなにどうしようもなく閉塞的な日本の状況の中にあっても「大丈夫だ、絶望なんかしている場合じゃないし、絶望する必要もない」と強く感じることができたことが一番大きな収穫だったかもしれません。次の世代のために、あるいは次の世代の人々と何ができるかを深く考えさせられました。

■ 「福島わかもの国際交流キャンプ」を終えて  水戸喜世子

全員がとにかく1週間の長旅を、けがも事故もなく、無事に帰国できたことが何よりうれしいです。

同じ釜のめしっていいますが、サムチョクの小学生のミソン、ヘリャンの姉弟は、サムチョクでの3日間、親元離れて、日本の学生と寝食を共にして、場を盛り上げるのに一生懸命でした。日本語のできる韓国の学生も寝起きをともにして、深夜まで、ギターを奏で、歌い、時には敷き布団の上に腹ばいになって真剣に韓国語を教わる輪ができていたり、韓・日ギターと歌のコラボが実現したり、大人の想像をはるかに超える世界を見せてくれた若者たち。何と楽しかったことか。地元の学生は生活に響くのに、アルバイトの貴重な契約をキャンセルして、海遊び、山遊びに加わってくれる子もいました。

ソウルではクリキンディセンターの学生たちと一緒に、うんざりするような行列の果てに、やっとたどり着いた南山タワーの展望台。人ごみにまみれながら一緒に眺めたソウルの夜空。うんざりするようなことも、笑い飛ばして楽しい思い出に変えてしまう若さに脱帽するばかりでした。だれ一人、表情が曇る場面がなかったと言っても、信じられないかもしれませんね。日本の学生と韓国の学生総勢14人で着たチマチョゴリも、文字通り、文化を肌に感じる体験になりました。

朴元淳ソウル市長とお会いするというのも直前に知ったことで、市長の椅子を譲ってもらった大学生のT君が由来を説明しながら会津若松の「赤べこ」を贈呈する場面あり、Mさんが素直な言葉で福島の体験を語る場面ありで、すべて準備してつくろった行為ではなく、サムチョクからの延長上の、友情に裏打ちされたアットホームな交流の一場面でした。

韓国の人々の平和への思い、南北統一への願いがどんな切実なものか、境界線のぎりぎりまで近寄ることができる地点を訪ねて、少しだけ肌で感じることができました。朝鮮戦争で引き裂かれた離散家族が、再会を願う願いごとが書かれた無数のリボンが川風に揺られている脇には、無数の弾痕が痛々しい鉄の機関車が朝鮮戦争時の姿そのままに置かれていたのです。このとき私は、サムチョクの公園で記念植樹したアスナロの樹の下のプレートの文言が頭をよぎりました。「生命の息吹、平和の翼」《福島青少年らはここを訪れ、脱核、反戦平和の意思を込めて植樹をする》

一番親しい家族さえ引き裂かれた歴史に堪えてきた国の人々。同じ民族の中に軍事境界線を作ることになる原因を作った国である日本を祖国として持つ私たち。そんな日本の若者を温かく迎えてくれている人々がここにいる。「反核・平和を確実なものにして、初めて私たちの友情は安心な状態でいられるのです」とのサムチョクの人々の願いがこもったプレート、アスナロであることを思いました。政治がどんなに揺れようと、草の根の民と民がしっかり友情でつながっていれば、戦争は防げる。戦争をさせられるのは民なんですから。悲しい境界線近くに立っていても、私の心には、希望の灯が灯っていました。韓・日の仲良しになった若者がここにいる!と。もともと、福島の社会に飛び立つ直前の若者を元気づけたいと始めたはずのプロジェクトなのに、今逆に若者に励まされている自分に気づきました。

最後の夜、ふりかえりの時間では、「初めての海外だったから緊張していたが、今は本当に楽しい。どうして韓国の人はこんなにやさしいの?」「このままずっとここにいたい。帰りたくない」「韓国語をもっとしっかり勉強する!」「韓国の歴史の本を読む」が全員から吹き出すようにくり返し語られた言葉です。福島原発事故によってもたらされた負の遺産を背負わされて生きていく彼らにとって、日本の中は、政治をはじめとして、決してやさしい環境とは言えません。彼らが受けて当然の優しさを韓国の人たちが行動で見せてくれました。

福島・韓国わかもの交流という願いを実現してくださった、サムチョクの核電反対委員会の皆さん、円仏教の皆さん、ハジャセンター・フリースクールのスタッフ、住谷章さん、翻訳通訳でお世話になった在日のイ・チョルさん、イ・ドンソクさん、4映像作家の代島治彦さん、そして支援してくださった多くのみなさん、本当にありがとうございました。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.154より)

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