第18回ノーニュークス・アジアフォーラム報告

 

バターン原発(ボートから撮影)

第18回NNAF ダイジェスト

(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラムが、「核も原発もない未来に向けて、民衆同士の連帯を強めるために」というスローガンのもと、11月12~15日にフィリピンで開催されました。

12日 NNAF国際会議
13日 公開フォーラム
14日 バターンの石炭火力発電所、
地元の人々との交流集会
15日 民衆が稼働を阻止し続けているバ
ターン原発現地の人々との交流集会

★開催のおしらせ(NNAF@25フィリピン実行委)より
「NNAFは、原発問題に関する情報の交換・共有、参加する様々な国における現地でのキャンペーンを支えることなどを目的に、ネットワークとして発展してきました。そして、アジア地域における原子力の拡散に反対し続けてきました。これまでアジア地域で原発建設計画の撤回、中断、延期などがあった場所では、それを成し遂げた運動の中心にNNAFのメンバーたちがいて、情報交換や市民への啓発活動などに奔走し、それが原発の建設や運転を止めるための力となってきた経過があります」

*フィリピンのドゥテルテ大統領は、2016年11月に原発稼働に向けた作業に着手することを承認。17年11月、ロシア国営原子力企業ロスアトムと原子力分野での協力に関する覚書を締結した。人口が1億を突破し、インフラ整備計画で電力需要の増加が見込まれることを背景に、政府内で最近、原発推進の動きが勢いを増している。クシ・エネルギー相は今年4月、原発稼働を盛り込んだ政策案を提出した。

●11月12日

フォーラム初日は、ケソンのフィリピン大学の集会場で、コラソン・ファブロスさんの歓迎の挨拶からスタート。

続いて、フィリピン大学のローランド・シンブラン教授が基調講演を行なった。原子力産業に対峙するために、今後、反原発運動は平和運動や環境運動とも強く連帯していく必要があることなど、これからの25年を見据えた力強いメッセージが発せられた。

次に、ノーニュークス・アジアフォーラム25年の歩みを振り返るVTRが上映された。

そして各国報告。まず、韓国・エネルギー正義行動のジョン・スーフィーさん。現在24基の原発が稼働中、さらに5基が建設中で、発電電力の30%を原子力が占めている。文在寅大統領は2017年10月、国内では緩やかな脱原発政策を打ち出したが、その一方でアラブ首長国連邦への原発輸出を進めるなどしており、反原発運動がその矛盾した政策姿勢を追及している。

台湾環境保護連盟の劉志堅さん。ほぼ完成した第四原発は稼働凍結中で、民進党の蔡英文政権は脱原発政策をすすめている。その一方で、原発推進派の巻き返しの動きも活発で、「2025年までに原発の運転を全て停止する」と定めた電気事業法の条文削除を問う国民投票(推進派が申請)が11月24日に実施予定であることが報告された。その結果次第では、第四原発が復活する可能性があることも指摘された(その後、実施された国民投票は条文削除に賛成となってしまった)。

日本は菅波完さん。発電電力に占める原子力の割合が2016年には1.7%となっており、すでに原発に依存している状態ではないことが指摘された。さらに、福島から木幡ますみさん(大熊町議)が、先の見えない廃炉作業が続く一方で、深刻化する土壌汚染の実態を報告した。

台湾・韓国・日本

インドのヴァイシャリ・パティルさんからは、同国内で続く原発建設に対して、草の根で力強く展開されている反原発運動が紹介された。インドで闘いを続ける人たちにとって、このノーニュークス・アジアフォーラムでの連帯が大きな支えになっており、原発のない世界を実現するために、今後も連帯を続けていきたいという抱負が述べられた。

トルコはプナール・デミルジャンさん。現在、3ヶ所で原発の建設計画があり、北部のシノップは日本、南部のアックユはロシア、そして北西部のイイネアダは中国がそれぞれ輸出計画を進めている。トルコで原発推進の動きが活発化する背景として、最近、議員内閣制が廃止され、大統領に権力が集中するよう改憲されたことで、原発のような国家プロジェクトは大統領の決裁のみで進むという。トルコでは反原発の市民運動の歴史は長いが、原発建設の事業コストや発電コストが上昇する一方で、原発建設は同国の安全保障政策とも密接に絡んでおり、エルドアン大統領の原発推進の意志は変わりそうにない。

トルコ・インド

ベトナムについて、沖縄大学の吉井美知子さんが報告。2016年11月に、日本およびロシアと進められていた原発建設計画が撤回された。その背景として、高額な建設費や電気需要の伸びの減少、人材不足のほか、ベトナム知識人の反対や日本の市民によるベトナム国会へのロビーイング活動があげられた。またベトナム共産党の幹部も原発はすでに時代遅れのエネルギーであると認識している旨が報告された。

最後は、ホスト国のフィリピン。NFBM(非核バターン運動)のデレック・チャベさん。東南アジア初の原発で、1984年の建設完了以来、一度も稼働していないバターン原発の事例が紹介された。その背景には、フィリピンの草の根の人々の原発に対する抵抗があり、連帯がある。その一方で、原発推進派からの稼働要請が続いている。2016年にはIAEA (国際原子力機関)の会議をホストするなど、原子力エネルギーの選択肢は決して消えてはいない。

カントリーリポートの報告終了後には、各国の短編ドキュメント映像が上映された。第1回NNAFの映像も。夕食をはさんで、NNAF声明文作成の作業が深夜まで続いた。

(小川晃弘・メルボルン大学)

*ノーニュークス・アジアフォーラムの25年間をふり返るスライドショー、8分
(日本語版)https://youtu.be/ARRDXHv5_H8
(English) https://youtu.be/89BE9kbJpP0
60枚のスライド→ https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/1382

●11月13日

朝9時から、公開フォーラム「核も原発もない未来に向けて」を、フィリピン国内参加者を交えて開催。最初に若者たちの音楽で盛り上げる。司会はミッツィー・チャンさん、2011年NNAF(福島・東京・祝島・広島)の参加者だ。

まず、NNAF25年の歴史をまとめたVTRと、第1回NNAFの映像を上映。若いフィリピン人にとってアジア各国の活発な活動や運動仲間の存在を知るいい材料だ。設立時からのメンバーであるコラソン・ファブロスさんや佐藤大介さんの若く凛々しい?姿に、会場から驚きの声が上がった。多くの人たちの地道な活動の積み重ねで現在があると再認識。

次にコラソンさんが原発を巡るアジアの状況概観(各国報告の要点と反対運動について)を説明。そして、①原子力マフィアが東南アジアを狙っている、②原発建設で深刻な債務問題に直面する、③競争原理が働かず寡占状態で、米国、フランス、韓国、日本の原子力企業が進出し、賄賂など裏金も駆使、④使用済み核燃料の処理問題は未解決のまま、などを指摘。

次にエネルギー省の担当者からエネルギー開発について説明を受ける予定であったが、要請を断られたようで欠席。

続いてパネルディスカッション1を「原子力の汚れたビジネス」のテーマで。パネリストは、韓国、福島、台湾、インド、トルコから。原発建設地の状況や反対運動について映像を交え報告。トルコに関しては、日本とロシアと中国が原発輸出計画を推進し、高コストなど問題山積。チェルノブイリ事故を経験したトルコ市民は大規模な反対運動で抵抗。原発企業は、各国で新自由主義による人権無視・環境破壊の立場でグローバルに事業展開中。

パネルディスカッション2のテーマは「フィリピンのエネルギー開発」。パネリストは、グリーンピース・フィリピン、NFBM(非核バターン運動)、CPII(エネルギーシフト推進センター)。現状では、寡占企業による石炭火力発電の割合が高い。バターン半島のリマイ火力発電所(サンミゲルが住民を強制移住させ建設、石炭はインドネシア・オーストラリアから輸入)による環境汚染・健康被害(肺がん・皮膚病など)が深刻な状況を指摘。ここで発電された電気は近くの石油精製企業(サンミゲル)が使用。

パネルディスカッション3は、「再生可能・代替エネルギーへの転換と潮流」。原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の木村結さんの報告を山下星夢さん(通訳で協力)が代読し、CREST(再生・持続可能エネルギー技術センター)が、フィリピン全体のエネルギー事情を表やグラフで分析。他国との比較も踏まえ、現在も化石燃料依存度が約75%(2017年)と高く、転換の難しい現状を説明。

質疑応答では、トルコのプナール・デミルジャンさんが、台湾の国民投票のやり方、フィリピンのエネルギー転換戦略などについて、突っ込んだ質問を熱心にしていたのが印象的。彼女からは、私が録音したディスカッションの音声データを送るようにも頼まれた。

最後に地元メディアに対する記者会見を開き、インタビューを受ける人も(中部ルソンTV等で報道された)。そして昼食後、NNAF声明を採択し、みんなで記念撮影。フィリピン民衆シアターによる閉会パフォーマンスで終了。

夕方は自由時間があり、街に出かけ、買い物やマッサージを受ける人も。私は、若いフィリピン人の案内で書店に行き、地図を購入した。

(渡田正弘・上関原発止めよう!広島ネットワーク)

●11月14日

朝6時にフロント集合、3台のバンに分乗してバターンに向けて出発。当初のプログラムでは「ダーティ・ビジネス・ツァー」と題して、バターン州の原発と石炭火力発電所の両方を視察する(原発は、炉心部まで入る)予定だったが、残念ながら原発に入る許可が得られず、石炭火力発電所中心のツアーとなった。

7時過ぎ。ハイウェイのサービスエリアで朝食。Jollibeeというファーストフード。これがフィリピンの人々には大人気で、こどもたちはジョリビーに連れてきてもらうと大喜びなのだとか。

10時過ぎ。バターン半島東岸のラマオという集落に到着。バンを降りて民家の軒先を抜けて少し歩くと、そこに巨大なリマイ石炭火力発電所が出現。事業者はビールで有名なサンミゲル。現場で地元の方から概略の説明を受けつつ、発電所の大きさと、集落との近さに圧倒される。周辺住民のほとんどがのどの痛みや頭痛に悩まされているそうだが、我々が現場で話を聞いていた30分ほどの間でも、確かにのどに違和感を覚えた。

リマイ石炭火力発電所

集会場に移動し、地元のCoal-Free Bataan Movement(石炭火力発電所反対バターン運動)の方々から被害の訴えを聞く。

中心的に話してくださったのはローリー・ペレスさんという歯科医の女性で、ラマオバランガイの村議。ローリーさんの他に5名が発言されたが、サンミゲル側の住民無視、強制移転と不十分な補償、健康被害、海の重金属汚染、地下水の枯渇など、極めて劣悪な状況におかれていることが語られた。さらに、運動のリーダーへの脅迫などもあり、実際に、反対運動のメンバーが射殺される事件まであったとのこと。住民を力で押さえつける「推進側」の闇の深さを感じた。

集会では引き続き、NFBMのデレックさんが、パワーポイントで石炭火力発電所問題の全体的な説明。バターン州で、すでに196万kWの石炭火力発電所が稼働している上に、240万kWが建設中であり、さらに90万kWの計画もあること。それらは、海外からも多数の企業が進出している工業団地・経済開発と一体ですすめられていること。石炭の載積ヤードからの粉じんや、焼却灰を投入している処分場(見たところ、大型トラックで灰を投入しているだけの様子)から飛灰が周囲に飛散している様子も紹介された。健康被害などのデータも示されたが、発電所の稼働と被害の因果関係を立証するのは簡単ではなさそうだ。

石炭火力周辺の粉じんや焼却灰の飛散対策などは世界共通の問題でもあるが、バターンの石炭火力は、やればできることも手を抜いているとしか思えない。

集会後は同じ会場で昼食をともにしながら交流を深め、午後3時頃ラマオを後にした。

石炭火力発電所の地元の人々との交流集会で

原発のあるバターン半島西岸のモロンに向かう途中、半島中央部のサマット山にある巨大な十字架のモニュメントMount Samat Crossに立ち寄った。バターン半島は第二次大戦でフィリピン軍とアメリカ軍が日本軍と戦った激戦地であり、バターン半島を制圧した日本軍が、1942年4月、厳しい暑さの中、捕虜8万人を120キロ離れたサンフェルナンドまで徒歩で移動させ、その行程で8千人の死者が出たという「バターン死の行進」の現場でもある。Mount Samat Crossは、1966年にマルコス大統領が、第二次大戦から25年にあたり、祖国のために戦った戦死者を称え、慰霊するために建設したもので、モニュメントの麓には、第二次大戦の資料館もあり、日本からの参加者にとっては、加害の歴史に向き合う貴重な機会となった。

夜、モロンのホテルに到着。夕食後には星空を眺め、つかの間のリゾート気分を味わった。

(菅波完・高木仁三郎市民科学基金)

●11月15日

バターン半島西岸のモロンで朝を迎えた。目の前には青い空と青い海が広がる。今日はいよいよバターン原発へ向かう日だ。

民衆の力で止まったままのバターン原発は、核燃料を一度も装填しておらず、多くの人びとが炉心部まで見学しており、私たちも見学できるということだった。恐ろしいとは思いながらも、一度は目にしてみたかった。

しかし、今回、事前に申請していたものの、国家電力公社からはとうとう許可が下りなかった。ドゥテルテ政権の下で原発稼働の動きが再び強まる中、市民の動きを警戒しているのだろう。

それでも、ゲート前には行こうと、森の道を抜けて原発へ向かった。到着すると、フェンスの向こう側も木に囲まれていて、見えるのはゲートと警備員詰め所、「核エネルギーの事実を学び、真実を発見しよう」という看板だけ。「フェイク・ニュースだ!」とデレックさん。

写真撮影だけして、10分ほどで追われるように立ち去った。後で聞いた話では、コラソンさんは3人の警備員と話をして時間稼ぎをしてくれたのだが、とうとう警察を呼ぼうと電話をかけ始めたという。帰り道にすれ違った警察車両は、それだったのかもしれない。

バターン原発正門前で抗議行動

モロンの街に戻り、住民たちとの交流集会。マルコス独裁政権と対峙してきた年配の方々をはじめ、農民、漁民、女性、若い世代など様々な立場の住民が集まっていた。

NFBM(非核バターン運動)から、フェルナンド・ロレート神父(2014年NNAFに参加)のあいさつ、そして、ジュリト・バラスコさん、フランシスコ・ホンラさん(2016年NNAFに参加)などから、続々と闘いの報告があった。

1985年の地域ゼネストなど住民が果敢に闘うシーンを集めた記録映像も上映された。戒厳令の下、軍隊も出動する中、住民各層が組織化され、立ち上がり、地域ぐるみで命がけの闘いの末に、稼働を阻止したのだ。ダンテ・イラヤ議長は「住民を団結させるということは大変だったが、それを乗り越えて団結することができた」と語った。住民の「団結」が地域の誇りになっているようだった。

続いて、アジア各国の参加者からのスピーチ。私も発言の機会をいただき、バターンと同じように佐賀・玄海にも豊かな自然、美味しい食べ物があることを触れながら、住民の意志を無視して原発が推進される日本の状況を報告した。

集会でスピーチする永野さん

昼をはさんで、NNAF次回開催地、台湾への引継ぎ式が行なわれた。最後に、みんなで「No Nukes Asia!」の声を何度もあげて、交流集会は終了した。

右側フィリピンから、左側の台湾(次回NNAF開催国)へ引き継ぐ

マニラへ戻る前、漁民の方たちが船を出してくれることとなり、急遽、原発へ船で向かった。こんな時にも日頃の繋がりが生きてくるのだろう。

青く穏やかな南シナ海を眺めながら疾走すること15分、少し突き出た半島の向こうに、ドーム屋根が見えてきた。バターン原発だ。船はどんどんどんどん近づいていく。完成してから30年以上動かないままの原子炉建屋のコンクリートは黒ずんできて、これをまた動かそうとするなど信じられない不気味さだった。岸辺には貯蔵施設のような建物があり、土砂がむきだしのところもあった。排水溝らしきものもあった。もし、原発が稼働したら、ここから膨大な量の温排水が流される。そして、この海も空も大地も放射能で汚染されてしまいかねない…
どうか、動かないでくれ!
大丈夫、フィリピンの仲間たちが必ずこの「怪物」の息の根を止めるから!

ギリギリのところで闘っているフィリピンの仲間に応援できることがあるとすれば、私は私のいる佐賀の地で、それぞれのメンバーがそれぞれの地で、原発を絶対に止めることだ。それしかない。船がUターンし、小さくなっていく「怪物」を睨みながら、そう誓った。

(永野浩二・玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会)

*この活動は、一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストの助成を受けています。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信155号(12月20日発行、B5-28p)もくじ

・第18回NNAF ダイジェスト (小川晃弘、渡田正弘、菅波完、永野浩二)
・基調講演:「核も原発もない未来に向けて、民衆同士の連帯を強めよう」(ローランド・シンブラン)
・ノーニュークス・アジアフォーラム25年VTR
・NNAF in フィリピン に参加して (永野浩二、藍原寛子、菅波完、小川晃弘、渡田正弘、とーち、徳井和美、石丸陽一、吉井美知子)
・東海第二原発 新安全協定で迷走 (阿部功志)
・「被災原発」である女川原発の再稼働は許されない (舘脇章宏)
・ストップ原発輸出!-ウェールズの住民や議員と意見交換- (深草あゆみ)
・トルコへの原発輸出をくいとめたぞ! (守田敏也)
・台湾「2025年までに脱原発」に反対する国民投票が可決された後 (陳威志)

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「ノーニュークス・アジアフォーラム」25周年集会(藍原寛子)【週刊金曜日 12.7】

【週刊金曜日 12.7より】 買って読んでネ

「ノーニュークス・アジアフォーラム」25周年集会(藍原寛子)PDFその1

「ノーニュークス・アジアフォーラム」25周年集会(藍原寛子)PDFその2

No Nukes Asia Forum 25年VTR

(English) No Nukes Asia Forum thru 25 years https://youtu.be/89BE9kbJpP0

(Korean)반핵 아시아 포럼 27년  https://youtu.be/zsd-sXxX96s

(Taiwan.Mandarin) 非核亞洲論壇26年  https://youtu.be/VlLAvLsKZjc

(日本語)ノーニュークス・アジアフォーラム25年 https://youtu.be/ARRDXHv5_H8

*한글PDF  https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/1773

*日本語PDF  https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/1382

ノーニュークス・アジアフォーラムの25年間をふり返るスライドショー。8分
音楽:民衆の歌、バヤンコ、We Shall Overcome
アジア各国の反原発運動の主な歴史もわかります。
2018111215日に、フィリピンで行なわれた 25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラムのオープニングで英語版が上映され、大好評で、2日目も再上映されました。

 

 

(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラム in フィリピン 報告会、福島とバターン 広がる「抵抗の公共圏」―そのネットワークと可能性―

(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラム in フィリピン 報告会 
福島とバターン 広がる「抵抗の公共圏」―そのネットワークと可能性―

お話:藍原寛子
(福島市在住ジャーナリスト。地元新聞記者からフリーとなり、福島の原発震災を取材している。フィリピン大学とアテネオ大学研究留学時は臓器売買を取材・研究。311後にバターン原発を2度取材。今回はアジア全体のNo Nukeの取り組みに注目し参加)

12月21日(金)18:30
大阪市立総合生涯学習センター・第6研修室(大阪駅前第2ビル5F)
参加費:800円
主催:ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン
連絡先:080-6174-8358(佐藤)

・いったんは原発を断念したかに見えたドゥテルテ大統領、その政権が再び動き出したわけ
・マルコスが建てた巨大な十字架と日本軍の関係とは
・バターン原発立ち入り断念! 外観も見られない事態にとられたまさかの方法とは

*フィリピンには、原発が1基ありますが、いまだかつて運転されたことがありません。悪名高いマルコス大統領の軍事独裁政権下で、アメリカのウエスチングハウス社(当時)によって建設されたこのバターン原発、フィリピンの人々にとってはマルコスの悪行と不正義の象徴であり、1985年のバターン地域ゼネストと翌86年の力強いピープルパワー革命によって閉鎖されました。

しかし90年代後半以降からフィリピン政府はバターン原発の再開や新規の原発導入に関心を示し続けており、バターン原発の近隣に建設された巨大な石炭火力発電所周辺では健康被害が続出していることから、人々は再び立ち上がって反対運動を続けています。厳しい政治状況の下で、常にあきらめることなく闘い続けてきた不屈の人々、そしてその思いを着実に受け継いできた若者たちのまぶしい姿を、ぜひ日本のみなさんにも知ってもらえたらと思います。

*【週刊金曜日 12.7】より「ノーニュークス・アジアフォーラム25周年集会」(藍原寛子)
PDFその1
https://nonukesasiaforum.org/japan/wp-content/uploads/2018/12/155-51.jpeg
PDFその2
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買って読んでネ

 

福島わかもの国際交流キャンプ in 韓国

■  韓国の人々の深い愛情と情熱によって  宇野田陽子

原発建設計画を撤回させたサムチョクの人たちの「福島の若者たちを迎えたい」との声に応えて、水戸喜世子さんたちと半年以上かけて準備して実現したキャンプが無事に終了しました。

お天気に恵まれ、偶然の出会いに祝福され、導かれているように幸せな行程でした。韓国の人々の深い愛情と情熱によって様々な幸運が手繰り寄せられた一週間でした。この旅がそもそも可能となったのは、福島の若者と韓国の若者の交流の意義に賛同して、あたたかいご支援をくださったみなさんのおかげです。ありがとうございました! お支えくださったみなさんに、キャンプの様子をお伝えしたいと思います。

福島の若者8名(中学生 3 名、高校生 3 名、大学生 2 名)が、まずは8月15日の夜に羽田空港にほど近い宿舎に集合して、結団ミーティングを行ないました。

翌16日、大韓航空でソウル・金浦空港へ。横断幕を掲げて迎えてくれたキム・ボンニョさんをはじめとする韓国側スタッフたちとともに、貸し切りバスでサムチョクへ。

サムチョクでは、原発白紙化記念塔を訪問、塔の前に植樹されたばかりの木に、日本からの参加者が少しずつ土をかけました。夕食会でマ・ギョンマンさんらサムチョクの反原発関係者の方々と歓談し、宿舎であるイ・オクプンさん宅へ。

サムチョクでの3日間、韓国の若者たちとともに、海水浴、透明ボート、浜辺での花火、アワビのおかゆづくり、チヂミづくり、美しい海を見ながら走るレールバイクなどを経験しました。

19日は別れを惜しみながらもサムチョクを出発、東洋最大級の洞窟を見学してから、一路ソウルへ向かいました。親しくなったサムチョクの方々との別れで、みんな移動のバスの中では少し肩を落としていました。

ソウルでは、フリースクールのクリキンディセンターを訪問、19日は青少年気候変化訴訟キャンプのメンバーと交流しました。20日から最終日までは、このクリキンディセンターの学生たちと一緒に過ごしました。

20日は学校内を案内してもらい、歌と演奏で歓迎してもらって大感激。みんなもソウルで出会った新しい友人たちと親しくなっていきました。夕方に有名な「ナンタ」を観劇して笑い転げた後は、クリキンディセンターの学生たちと再び合流して夕食の後、南山タワーに上って、そのまま一緒に宿舎へ。

21日はみんなでチョゴリを着て昌徳宮を見学してから、ソウル市役所へ移動してパク・ウォンスン市長と面会しました。その後の自由時間は、いくつかのコースに分かれて思い思いに買い物や観光を楽しみました。夜は、大きな部屋に集まって、楽しいレクリエーションで体と心を緩めてから、この一週間のふり返りを行ないました。最後の夜ということもあり、みんながしゃべったり笑ったりする声が、夜遅くまで聞こえていました。

22日は、「自力で行くことができる北朝鮮に一番近い場所」である臨津閣と、川を挟んで対岸の北朝鮮の町を見ることができる烏頭山(オドゥサン)展望台を訪問しました。臨津閣では、統一を願う布や旗がフェンスにぎっしりと結びつけられてはためいていました。烏頭山展望台に設置された双眼鏡を通して、小学校でサッカーをする子どもたちや自転車に乗ったおじさんが見えてみんなが驚きました。今まさに歴史の転換点にある場所を、韓国の若者たちと一緒に訪問できたことは、あまりにも貴重な経験でした。

金浦空港では涙で別れを惜しみ、再会を誓いあって出国のゲートをくぐりました。それぞれがたくさんの思いを抱えながらも、違いを乗り越えて理解し合う力をいかんなく発揮した日韓の若者たちの姿が、どれだけ印象的だったことか。

引率者である私も、多くのことを学びました。こんなにどうしようもなく閉塞的な日本の状況の中にあっても「大丈夫だ、絶望なんかしている場合じゃないし、絶望する必要もない」と強く感じることができたことが一番大きな収穫だったかもしれません。次の世代のために、あるいは次の世代の人々と何ができるかを深く考えさせられました。

■ 「福島わかもの国際交流キャンプ」を終えて  水戸喜世子

全員がとにかく1週間の長旅を、けがも事故もなく、無事に帰国できたことが何よりうれしいです。

同じ釜のめしっていいますが、サムチョクの小学生のミソン、ヘリャンの姉弟は、サムチョクでの3日間、親元離れて、日本の学生と寝食を共にして、場を盛り上げるのに一生懸命でした。日本語のできる韓国の学生も寝起きをともにして、深夜まで、ギターを奏で、歌い、時には敷き布団の上に腹ばいになって真剣に韓国語を教わる輪ができていたり、韓・日ギターと歌のコラボが実現したり、大人の想像をはるかに超える世界を見せてくれた若者たち。何と楽しかったことか。地元の学生は生活に響くのに、アルバイトの貴重な契約をキャンセルして、海遊び、山遊びに加わってくれる子もいました。

ソウルではクリキンディセンターの学生たちと一緒に、うんざりするような行列の果てに、やっとたどり着いた南山タワーの展望台。人ごみにまみれながら一緒に眺めたソウルの夜空。うんざりするようなことも、笑い飛ばして楽しい思い出に変えてしまう若さに脱帽するばかりでした。だれ一人、表情が曇る場面がなかったと言っても、信じられないかもしれませんね。日本の学生と韓国の学生総勢14人で着たチマチョゴリも、文字通り、文化を肌に感じる体験になりました。

朴元淳ソウル市長とお会いするというのも直前に知ったことで、市長の椅子を譲ってもらった大学生のT君が由来を説明しながら会津若松の「赤べこ」を贈呈する場面あり、Mさんが素直な言葉で福島の体験を語る場面ありで、すべて準備してつくろった行為ではなく、サムチョクからの延長上の、友情に裏打ちされたアットホームな交流の一場面でした。

韓国の人々の平和への思い、南北統一への願いがどんな切実なものか、境界線のぎりぎりまで近寄ることができる地点を訪ねて、少しだけ肌で感じることができました。朝鮮戦争で引き裂かれた離散家族が、再会を願う願いごとが書かれた無数のリボンが川風に揺られている脇には、無数の弾痕が痛々しい鉄の機関車が朝鮮戦争時の姿そのままに置かれていたのです。このとき私は、サムチョクの公園で記念植樹したアスナロの樹の下のプレートの文言が頭をよぎりました。「生命の息吹、平和の翼」《福島青少年らはここを訪れ、脱核、反戦平和の意思を込めて植樹をする》

一番親しい家族さえ引き裂かれた歴史に堪えてきた国の人々。同じ民族の中に軍事境界線を作ることになる原因を作った国である日本を祖国として持つ私たち。そんな日本の若者を温かく迎えてくれている人々がここにいる。「反核・平和を確実なものにして、初めて私たちの友情は安心な状態でいられるのです」とのサムチョクの人々の願いがこもったプレート、アスナロであることを思いました。政治がどんなに揺れようと、草の根の民と民がしっかり友情でつながっていれば、戦争は防げる。戦争をさせられるのは民なんですから。悲しい境界線近くに立っていても、私の心には、希望の灯が灯っていました。韓・日の仲良しになった若者がここにいる!と。もともと、福島の社会に飛び立つ直前の若者を元気づけたいと始めたはずのプロジェクトなのに、今逆に若者に励まされている自分に気づきました。

最後の夜、ふりかえりの時間では、「初めての海外だったから緊張していたが、今は本当に楽しい。どうして韓国の人はこんなにやさしいの?」「このままずっとここにいたい。帰りたくない」「韓国語をもっとしっかり勉強する!」「韓国の歴史の本を読む」が全員から吹き出すようにくり返し語られた言葉です。福島原発事故によってもたらされた負の遺産を背負わされて生きていく彼らにとって、日本の中は、政治をはじめとして、決してやさしい環境とは言えません。彼らが受けて当然の優しさを韓国の人たちが行動で見せてくれました。

福島・韓国わかもの交流という願いを実現してくださった、サムチョクの核電反対委員会の皆さん、円仏教の皆さん、ハジャセンター・フリースクールのスタッフ、住谷章さん、翻訳通訳でお世話になった在日のイ・チョルさん、イ・ドンソクさん、4映像作家の代島治彦さん、そして支援してくださった多くのみなさん、本当にありがとうございました。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.154より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信154号(10月20日発行、B5-28p)もくじ

・NNAF@25 開催のおしらせ(NNAF@25フィリピン実行委)
・シノップ反原発プラットフォーム声明
・プナール・デミルジャン来日講演、トルコ原発候補地の青い海を想う (水藤周三)
・写真展「原発とたたかうトルコの人々」を開催 (森山拓也)
・原発をめぐるトルコの主な出来事 (森山拓也)
・ジャイタプール;10年前から続く平和的な抗議運動 (アヌジ・ワンケデ)
・クダンクラムの人々の声を聞く特別法廷を求める
・福島わかもの国際交流キャンプ in 韓国 <報告> (宇野田陽子・水戸喜世子)
・「韓日 反核(反原発)ツアー」参加報告 (青山晴江)
・西オーストラリアで計画されるウラン鉱山開発に反対する (エリザベス・マレー)
・南オーストラリア州の放射性廃棄物処分場に抗議 (ミッチェル・マディガン)
・老朽被災原発-東海第二の60年運転は許されない (沼倉潤)
・東海第二原発の再稼働をさせてはいけない (玉造順一)
・中国電力は島根原発3号機の適合性審査申請を撤回すべきだ (芦原康江)
・マハティール首相「エネルギー政策で原発を選択せず」

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写真展「原発とたたかうトルコの人々-日本の原発輸出、現地の声は?」

日本が原発輸出を計画するトルコでは、原発への反対運動が40年以上続いています。トルコの人々はチェルノブイリ原発事故による深刻な汚染被害も経験しており、原発に厳しい目を向けています。
原発
に反対するトルコの人々の声や運動の様子を、写真や説明パネルの展示を通じて紹介します。
トルコ写真展チラシ
9 1130
会場:立命館大学国際平和ミュージアム2 階常設展示室内(京都市北区等持院北町56-1
開館時間:9 30 分~16 30 分  見学資料費:大人400
主催:森山拓也
共催:立命館大学国際平和ミュージアム
協力:ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン

 

 

慶州市民の汗と涙が成し遂げた、月城1号機の廃炉決定

「ついに韓水原(韓国水力原子力)は2018615日の理事会で、月城(ウォルソン)1号機の廃炉を決定した。これまでの10年間の廃炉運動が実を結んだのだ」 

イ・サンホン(慶州環境運動連合)

2015年9月7日、「萬人疎」を 青瓦台(大統領官邸)に提出する前に、光化門前で広げる

● 運命の2015年

自分の身体よりも大きいテントを朝夕、背負わなければならなかった。その年、慶州市役所前で始めたテント篭城は、ビー玉のような汗で維持されていた。24時間の篭城を続けるだけの組織力がなかったため、朝にテントを設置し夕方には撤収するということを2015年5月13日から6月22日まで毎日くり返さなければならなかったのだ。こうした労働はひたすら慶州環境運動連合の事務局の役割だった。もう一度やれといわれても今はもう体力的に難しいだろう。

それでも、約2ヶ月間のテント篭城のおかげで、「月城1号機廃炉慶州運動本部」に18の団体が参加することになったし、不可能に見えた「萬人疎」(後述)を短期間で奇跡的に実現することができた。こうした達成感がなかったら、おそらく私たちは絶望を前に挫折していたに違いない。

私たちを絶望的にさせた出来事は、2015年2月27日の明け方に起きた。廃炉を訴え続けてきた月城1号機に対して、原子力安全委員会(以下、原安委)が再稼動を決定したのだ。

当時、月城原発周辺の住民は、原安委の会議が開かれる日には必ず貸切バスで上京し、原安委のある光化門KTビル前で集会を開いていた。会議の開かれる10時に合わせて到着するには、明け方3時には慶州を出発しなければならなかった。1月15日はバス1台、2月12日はバス5台、2月26日はバス3台が、慶州とソウルを往復した。2月26日の上京の際には、住民が朝ごはんとして準備した生わかめを食べた。闘争資金が底をつき、節約するためには安価で飽満感が得られる生わかめが最適だった。

1,000人余りの住民が月城原発の前に集まり、廃炉を要求する集会を開いたこともあった。この期間、慶州環境運動連合の会員は3種類のビラ合計16,000枚を配るため街中を練り歩いた。

しかし月城1号機は、再稼動という地獄の門に向かって走ることとなった。絶望と憤慨の入り混じった2015年2月27日だった。

チェルノブイリ原発事故29周年をむかえ、全国の脱原発市民が、4月25日、慶州に集まった。約500名が慶州駅を出発し、山のような王の墓(古墳)を経て瞻星台(韓国の国宝第31号で、新羅時代に建造された東洋最古の天文台遺跡)までの2.5キロを行進した。

チャン・ソイク先生が演出する、色々な人形や仮面を利用した脱原発行進は、全国単位の大きな脱原発行進では必ず見られる名物として今では当たり前になったが、当時としては、めずらしい演出だった。街を歩く市民たちは、足を止め目を見張った。

この行進の成功は、慶州地域の脱核運動に大きな力を与え、「月城1号機廃炉慶州運動本部」結成へとつながった。

熱気は、裁判にも現れた。月城1号機寿命延長無効訴訟(以下、無効訴訟)に、慶州市民210人が参加した。訴訟の原告になる手続きとして、訴訟費1万ウォンと住民登録抄本の提出が必要だ。ソウルではないここ慶州で、210人もの人が原告になったことは、市民が動き始めた証だった。

全国的に2,167人の原告が集まり、2015年5月18日、ソウル行政法院に訴状が提出された。慶州市民が原告の約10%を構成した。長い法廷闘争の序幕が上がった。

法廷闘争が始まったころ、慶州地域の市民社会団体などは、「月城1号機廃炉慶州運動本部」を結成し、5月13日から市役所前でテント篭城を始めた。このテント篭城と合わせて始めた大衆運動が、「萬人疎」だった。

市民の意思を凝集するためにはテント篭城だけでは足りず、できることは署名運動以外に思い浮かばなかった。仕方なく署名運動を始めようとしたところ、当時、慶州環境運動連合の共同議長であり、現在は慶州文化院の院長であるキム・ユングン先生が、「萬人疎」を提案してくださった。「萬人疎」は、朝鮮時代の安東地域の儒生たちが政府の政策に反対するために1万人の署名を集めたことに由来する。

一般的な署名とは違い、大きな韓紙に筆で名前を書き拇印を押す。こうして集めた韓紙の署名72枚をつなぎ合わせて、「萬人疎」が完成した。72枚を張り合わせるのに3日かかった。長さは90mを超え、10,181人の真心が込められていた。大きな韓紙、筆、朱肉を持ち歩き集めた署名に、5月13日から7月13日までのわずか2ヶ月で、1万人以上の慶州市民が署名したのである。まさに奇跡のような出来事であった。

7月29日、慶州市役所前で「萬人疎」を披露する式を挙げたあと、9月7日にバス1台でソウルへ上京し、光化門で野外記者会見を行ない、青瓦台(大統領官邸)に「萬人疎」の写しを提出した。こうして、慶州市民は、月城1号機廃炉のために一直線で運動をくり広げていくこととなった。

● 2015年以前

月城1号機廃炉運動の歴史は9年前にさかのぼる。2009年4月1日、慶州市役所前で開催した記者会見がその始まりだ。当時、慶州の市民社会団体などは、月城1号機の圧力管差し替え中止を要求していた。キャンドゥー炉(重水炉)である月城原発の圧力管は、一般の原発の原子炉に該当するものだ。

月城1号機は、1982年11月21日に稼動を開始したので、2012年11月20日が寿命の30年が終了する日だ。ところが、寿命を3年8ヶ月残した2009年4月1日、圧力管差し替え工事が始まったのだ。工事費は6000億ウォン(約600億円)。工事の期間を除くと約2年しか稼動させない原発に、6000億ウォンの費用をかけるというのは常識的に考えて理解できないことだった。

慶州の市民社会団体などは工事に反対し寿命延長の中止を要求したが、発電所側は寿命延長とは無関係の工事だと言い張った。しかし後日、ソウル行政法院は、この圧力管差し替えが寿命延長のための工事だったとの判決を下した。一方、韓国水力原子力(以下、韓水原)は未だに立場を変えていない。

2011年6月23日、現地集会で住民たちが月城1号機の模型を燃やして廃炉を要求

その後も寿命延長に反対する声は続いたが、社会的に大きな注目を集めることはできなかった。ところが2011年3月11日、福島原発事故が発生し、老朽原発に対する社会的関心が爆発的に高まった。そのために、月城1号機の寿命延長のための審査が無期限で延長となり、再稼動の承認を受けられないまま、2012年11月20日を迎えた。

当然、発電所の稼動は中断した。寿命の期限100日前からは、慶州市役所前で「月城1号機寿命期限D-100」一人デモ・リレーが始まった。高校生から老人まで慶州市民100人が参加した。そして、D-DAYには慶州地域の市民社会団体が集まりパーティーを開いた。

その年の冬、18代目の大統領選挙で有力候補たちが月城1号機の再稼動の可否を決定すると公約した。月城1号機の寿命延長の審査は長引き、そのためのストレステストが2年近く行なわれた。切羽つまった政府は結局、15年2月27日、強引に寿命延長を決定した。

● 2015年以降

ソウルでの集会、無効訴訟原告募集、テント篭城、「萬人疎」署名運動などの活動を通じて、慶州地域の月城1号機廃炉運動は2016年度にも継続し拡大していった。福島原発事故5周年に合わせて大邱(テグ)・慶北地域の脱原発大会が慶州で開催され、大小のキャンペーンが実施された。

そうしたなか、マグニチュード5.8の慶州地震が16年9月12日に発生し、月城1号機の廃炉運動は新しい転機を迎えた。地震の恐怖のために家に帰れないと言って公園にテントを張って野宿する市民が、最も恐れていたのは万一起きるかも知れない原発事故だった。老朽原発である月城1号機に対する憂慮は大きかった。

廃炉を要求する記者会見、車両デモなどが連日くり返された。市民社会団体などが記者会見を開催すれば一般市民がSNSなどを通じて情報を共有し数十人が参加するなど、運動に力を与えてくれた。慶州環境運動連合の会員も増えた。市民社会団体の連帯組織として「脱核慶州市民共同行動」を新しく組織し、9月26日から12月23日まで慶州市内のあちこちで一人デモなど様々なキャンペーンを行なった。こうしたなか、脱原発の全国組織である「核のない社会のための共同行動」が「さよなら原発100万署名運動」を発起した。 慶州地域の市民社会団体も10月からこの署名運動を積極的にくり広げた。

16年10月22日、新羅百貨店前で「さよなら原発100万署名運動」

その年の冬、朴槿恵(パク・クネ)-崔順実(チェ・スンシル)の国政汚職を糾弾する全国的なろうそくデモがくり広げられた。慶州駅の広場も市民の熱い熱気が上がった。社会的な課題がろうそくデモの場に集められた。私たちは、ろうそくデモの熱気のなかで月城1号機の廃炉を訴えた。

ろうそくデモは勝利をおさめ、朴槿恵は弾劾された。弾劾により2017年の早期に大統領選挙が行なわれることになり、次期大統領選に時期を合わせて始めた「さよなら原発100万署名運動」も中途で署名者数の統計を出すこととなった。合計338,147人の国民の署名が集められ、そのうち慶州市民の署名は8,198名で、人口比で見ると全国で一番多くの署名が集められた。これは、慶州市民の月城1号機の廃炉の願いが大きいことを表していた。

ろうそくデモの力が燃え上がるなか、ソウル行政法院は、2017年2月7日、月城1号機の継続運転許可処分を取り消すという歴史的な一審判決を下した。
さらに、5月の大統領選挙で文在寅(ムン・ジェイン)氏は、月城1号機の廃炉を公約として掲げ、当選した。

そして、ついに韓水原は、2018年6月15日の理事会で、月城1号機の廃炉を決定した。これまでの10年間の廃炉運動が実を結んだのだ。

しかし、これだけでは充分ではない。大統領の公約である「原発の寿命延長の禁止」が一日も早く法として制度化されなければならない。

月城1号機の廃炉とは別に、無効訴訟の控訴審の裁判が続いている。原安委が控訴審を取り下げるか、あるいは2,167人の原告が最終的に勝訴するとき、本当の意味で、原発廃炉への新しい道が切り開かれるのだ。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.153より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信153号(8月20日発行、B5-24p)もくじ

・慶州市民の汗と涙が成し遂げた、月城1号機の廃炉決定 (イ・サンホン)
・台湾第四原発で呉文通さん楊貴英さんに会う (さとう大)
・台湾における原発推進派の巻き返し (陳威志)             
・英ウェールズ・アングルシー島での原発反対運動に福島から応援団 (大倉純子)
・原発に関するトルコでの報道 (森山拓也)
・東電刑事裁判 ― 驚くべき新事実も次々明らかに (佐藤和良)
・東海第二原発の20年運転延長を認めない!~首都圏連絡会のとりくみ~
埼玉県議会の意見書に抗議する県民のとりくみ (白田真希)
・島根原発3号機「新規稼働」申請と周辺自治体の権限を考える (水藤周三)
・ほろのべ 核のゴミを考える全国交流会 報告 (衛藤英二)

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英ウェールズ・アングルシー島での原発反対運動に福島から応援団

大倉純子(アイルランド在住)

日立が原発を輸出しようとしているウィルヴァの地元アングルシー島でフォトショップを営む写真家のジュリアンさん作成のポストカード。同島内の古代遺跡の写真。説明文は「この青銅器時代のスタンディングストーンから1マイルと離れていないウィルヴァで作られる日立の放射性廃棄物、それは、このストーンが過ごした年月の百倍の時間をかけないと消えない」「私たちの子どもたちのために、そして何世代にもわたる子孫のために、今こそ核の悪夢を止める時だ」

英ウェールズ北西部アングルシー島に、日立が原発輸出を計画している(事業者は現地子会社ホライズン)。

5月末、ウィルヴァ原発の地元住民反対運動団体PAWB(People Agianst Wylfa B)の代表3名が日本政府への反対署名提出のために訪日した際、福島県農民連代表の根本敬氏らが「福島の経験に学んでほしい」とウィルヴァ現地訪問を申し出た。7月半ば、アングルシー島および周辺地域計5ヶ所での講演会、記者会見、農業関連の話題を紹介する地元テレビ番組のインタビュー、アングルシー州議員との面談、農場訪問などが行なわれた。

アングルシー州議会にて(写真提供:藍原寛子)

訪問メンバーの一人、馬場績氏は福島原発から30kmの浪江町津島地区で畜産・米畑作を行なうとともに、この28年間町議を勤めてきた。帰還困難区域にある自宅・田畑の荒れ果てた現状や、避難時の混乱について話された。事前合意にもかかわらず東電から事故の連絡は何もなく、浪江町独自の判断で住民は津島地区へ避難したが、実はそこは高線量地区であったこと、食料も医薬品もガソリンもない状況で、避難の最中に亡くなった方がたくさんいることを写真を見せながら話された。また、アングルシーから本土に行くには二本の橋しかないことから「緊急事態になったらどんな混乱が起こるか」と懸念を表された。

根本さんは二本松市で米畑作を営む農家。事故後、福島の農民で自殺した人が何人もいること、人間だけでなく家畜たちも悲惨な末路をたどらざるをえなかったことを話された。農民連の太陽光発電事業を紹介し、「百姓たるもの食とエネルギーは自給すべし、後世に廃炉や廃棄物の負担を押し付けるな」と熱く語った。

故郷の福島から情報発信を続けるフリージャーナリストの藍原寛子さんは、ご自分も編纂にかかわった「福島10の教訓」を説明し、また、マーシャル諸島大統領が核推進側を評した言葉「Lie, Deny, Classify(うそ、否定、機密扱い)」(今、PAWBの間で流行っている)や、アイリーン・美緒子・スミスさんの「水俣と福島に共通する10の手口」を紹介された。

ところで、この原発の名前のアルファベット表記はWylfa Newydd。発音はウィル「ヴ」ァ・ニューイッ「th」。英語ではなく、ウェールズ語だからだ。「イギリス」は、実は国政の中心イングランドと、ケルト文化圏に属するウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国からなる連合国で、それぞれが独自の文化・言語を持つ。そのうち、明確に脱原発を打ち出し、独立の機運も高いスコットランドや、紛争の後遺症が続き、また隣のアイルランド共和国も関わってくる北アイルランドは、ヘタに刺激できないからか、原発関連のお荷物はウェールズに押し付けられがちのようだ(セラフィールドのあるカンブリアも、現在はイングランドだが地名の語源はウェールズ語)。

地図でもわかるように、アングルシーはウェールズの北西の端だ。島の住民の大半がウェールズ語で生活しており、自分たちの言語・文化への強い誇りがある。30年前にPAWBが結成されたときも、その母体はウェールズ語協会だったそうだ。一方、人口・産業は200km以上離れた首都カーディフがある南部に集中している。

実際の政策決定は、第一にロンドンの英国会(与党:保守党)、次にカーディフのウェールズ議会(与党:労働党。支持母体の労働組合が雇用を理由に原発に賛成しているため、労働党も賛成)のトップダウン。日本の原発に見られる中央-周辺の差別構造が、ここでも顕著に現れている。

ウェールズにはプライド・カムリ(ウェールズ党)という民族政党があるが、原発への意見は党内で分かれている。「PAWBにはプライド・カムリ支持者が多いが、党の上層部は支持者や一般党員の意見を聞かない」とPAWB設立メンバーのディランさんは歯噛みする。現にアングルシー州議会はプライド・カムリが与党だが、明確に反対を表明するのは1人か2人。福島の訪問団との面談でも「自分たちにはなんの決定権もない」と言い訳ともつかない発言をしていた。しかし、緊急避難計画策定責任はアングルシー州にある。このような危機感のなさで、どんな計画ができるのか心配だ。

アングルシーの主要産業は農業と観光。美しいビーチやヨットハーバー、貴重鳥類の営巣地があり、世界一長い名前で有名な駅やアイルランド共和国へのフェリー港もある。内陸は広々とした牧草地が広がり、吹き渡る風が気持ちいい。人々はとてもフレンドリーで、落ち着いた穏やかさが印象的だ。それでも経済的に「貧しい」地域とされ、「雇用創出」が第一の政策課題とされる。

カルナーヴァンにてPAWBメンバーと。後ろに見える龍の旗はウェールズ国旗(写真提供:藍原寛子)

英国では原発立地への政府からの交付金制度はないが、日立・ホライズン社のばら撒き工作は始まっている。私の宿泊先にもホライズン社のPRパンフが配布されてきていた(英語とウェールズ語半々。現地の文化軽視批判への対策らしい)。コミュニティ支援としてサッカー施設などに3千万円を寄付したことや、アングルシー出身者のホライズン社への幹部登用、若者たちの日本への招待旅行などが載っていた。

地元の小中学校ではホライズン社員による授業がカリキュラムに組み込まれ、昨日の新聞には、ウィルヴァ原発建設に必要な技術習得コースを地域の専門学校内に設ける、という記事が出ていた。

PAWBのロブさんは「地域の開発計画はすべて『ウィルヴァ』ありき。原発に限らずたった一つのプロジェクトに地域の将来をかけるのは無謀」と指摘する。

実は、記者会見会場に予約してあったホテルから、前日になってキャンセルされる事件があった。「過激な人たちが抗議行動をしようとしている」という電話があったとのこと。「このホテルはこれまでいろんなイベントで使ってきたのに」とPAWBメンバーは残念がる。日本の原発予定地が味わってきた、露骨で汚いコミュニティ分断工作がここでも行なわれるのかと思うと胸が痛む。

原発予定地で唯一ホライズンへの土地売却を拒否したジョーンズ夫妻との面談では、農業や原発への世代間の意見の相違など、国を超えた共通の話題が出た。ジョーンズ家では息子さんが後を継ぐことを明言しており家族の結束は固いが、多くの若者は他の仕事をやりたがるという。ジョーンズ家には2011年夏に土地売却の打診があった。非常に高圧的で、断ると様々な嫌がらせがあったが、地元新聞が報じたことでやっと収まったという。同地ですでに廃炉になったウィルヴァA原発による健康被害に関しては、ご自身の娘さんが悪性リンパ腫、また孫の親友は白血病だという。この地域はガンの割合が非常に高いと病院などでも言われるが、行政は否定する。人口も少ないため証明が困難とのこと。「実は原発に反対している人はたくさんいるのに、メディアは報じない」と苦言を呈する。敷地の一部をリゾート会社に貸し出そうとしたが、原発に近すぎるということで断られたそうだ。

英国全体でも原子力への逆風は激しい。高騰する費用、見通しのつかない地層処理、一方で再生可能エネルギーのコスト低下。しかし英政府は原子力に不合理なほど執着している(ロブさんは「軍用核技術保持のため」と推測する)。

「私たちが土地を所有するのではない、私たちが土地に属しているのだ」(注)というジョーンズ夫妻の言葉に共感できる者同士の連帯。これしか核の狂気を止める方法はないのかもしれない。
*注:元はアボリジニの、彼らと大地のスピリチュアルな関係を表す言葉

(7月31日記。英国の原発計画や今回の訪問は、東京新聞・朝日新聞のデジタル・サイトに関連記事が出ているので、チェックしてほしい)

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.153より)

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「福島原発事故体験者・木幡ますみと過ごした5日間」

Pınar Demircan プナール・デミルジャン(Yeşil Gazete 4月29日)

4月22日、トルコ・シノップ、野外記者会見。木幡ますみさん、プナール・デミルジャンさん

福島原発事故の影響は7年間続いており、10年後も、そしておそらく何百年後も続く、人間が引き起こした悲劇だ。この悲劇が起きたとき、原発からわずか6kmの距離で家族と共に暮らしていた木幡ますみが、体験を伝えるためにトルコを訪問し、チェルノブイリ原発事故32周年のイベントに参加した。No Nukes Asia Forum Japanとnukleersiz.orgが協力して準備し、シノップでシノップ反核プラットフォーム、サムスンで電気技師会議所と建築家会議所、イスタンブールでは電気技師会議所の主催するイベントで講演を行なった。木幡ますみは、福島原発事故の体験を話し、トルコで建設が予定されている原発について警告した。

福島原発事故経験者の木幡ますみが福島での体験を伝えるための5日間のイベントに、原子力物理学者のハイレッティン・クルチュ教授をはじめ地元の様々な団体や個人が参加した。木幡ますみは「福島原発事故を起こした国が他国に原発を輸出しようとする企てが恥ずかしい」「日本政府は使えない技術をトルコへ売りつけようとしている」と述べた。

世界で2番目に大きな原発事故を経験した木幡ますみ、2011年3月11日に起きた地震と津波から7年が経った今も、放射能汚染のため生活が完全に変わってしまった人々、14年と15年に緑の思想協会とNükleersiz.orgから2度招かれ、昨年もトルコ弁護士会環境都市委員会が企画した「原子力と法シンポジウム」で講演した守田敏也などトルコを訪れてくれた人たち、原発輸出に反対する日本人たち、映像作家の丹下紘希のような人々が、私たちに、「どうか、原発を建てるという考えに慣れないでください」と警告している。

全ての話が悲劇だ。家々を捨てなければならなかった日の体験へと話を移す。

「あの日」

福島では2011年3月11日のことを「あの日」と言う。木幡ますみが忘れることのできない光景は、住民が避難した日の光景だ。避難しようとする人々で道が渋滞し、身動きがとれなかった。

「トルコで原発を建設する者たちは、道路に関心を寄せていない」
「パニック状態でした。あの日を忘れることができません」

木幡ますみは、シノップの道路が緊急時避難のために十分でないことから、原発建設を決定した者たちは避難について重視していないと述べた。

驚くべきことではない。なぜなら、アックユ原発の環境影響評価レポートでは、緊急時の避難計画が話題にもなっておらず、専門家調査で話題にあげても真剣に議論されなかった。

「原発事故が起きたことで人生が変わりました」

福島原発から6kmの大熊町で夫と共に農業と塾を経営していた木幡ますみの生活は、原発事故によって完全に変わってしまった。原子炉で爆発が起きてからそこは避難区域となり、11km先の体育館へ避難させられた。しかし体育館のインフラは大勢の避難者のために十分ではなく、水道が使えず、道路も壊れており外から水や食料を運ぶこともできなかった。木幡ますみはその後、夫と共に100km離れた会津若松市へ移った。

「病気になった人や自殺した人が大勢いる」

救助活動が十分に行なえずに亡くなった人、避難先の劣悪な環境や被曝のために自殺した人、避難中に薬が飲めずに病気が悪化して亡くなった人の合計は2227名だが、実際はこの2~3倍ではないかと予想される。

腎臓を一つ、夫に移植した

原発事故前に治療を受けていた木幡ますみの夫は、長い避難生活で薬を飲むことができず、きれいな水も飲むことができなかった。一つの腎臓だけでは生活が難しくなり、残っている腎臓も摘出しなければならなくなった。夫に腎臓を一つ与えたと話す木幡ますみの目は笑っていた。

「原発事故を予想していた」

木幡ますみは、結婚して夫が住む大熊町に来てから、福島原発を見てきた。何度も「原発モニター」に応募したが叶わなかった。しかし2005年に委員長が交代し、「原発モニター」に就任することができた。たとえば、津波を防ぐ防波堤が低いことや、非常用発電機の設置場所が適切ではないことなどを指摘した。しかし回答はいつも同じで、「予算がない」と言われた。提案は予算不足という理由で東京電力の経営陣によって拒否された。木幡ますみはこのときに、原発には他にも問題があり、放射能漏れや欠陥が人々から隠されていると主張していた。

「そんなことをすれば大変なことになる」

木幡ますみは、福島原発に関する決定を行なう者たちや国に対して苦しい闘いを行なっている。町議会議員として、除染活動などについての決定にも関わっている。たとえば、貯蔵タンクに集めた100万トンの放射能汚染水を海へ流すことに対し、「そのようなことをすれば大変なことになる」と言った。

「私が死んでも、自殺ではありません」

福島原発から7年間、海へ毎日流れる放射能汚染水は、カリフォルニアの海岸まで届いた。これには世界中が注目している。

13人の町議会議員のうち、原発に反対なのは木幡一人だけだ。原発事故が起きても、国の政策に反対する勇気を持たないのだ。

原発のリスクと危険性について話し、様々な地域で放射能汚染の恐ろしさを説明して真実を語り、原発再稼働や原発輸出に反対する木幡ますみは、批判されることも多い。それを気にせず、世界に真実を伝える木幡は、友人たちにこう伝えている。「私の話すことを不快に思う者が大勢いる。もし私が死んだら、自殺だとは思わないでください」

「政府は放射性物質に汚染された地域への帰還を呼びかけている」

木幡ますみが最も怒っていることは、東京電力と政府が放射能汚染はないと主張して人々を自宅に戻そうとしていることだ。2020年の東京オリンピックのために、福島の放射能汚染は終わり、全てが通常に戻ったという国際的プロパガンダが行なわれている。しかし、大熊町を含め原発から近い地域の放射線量は通常の10倍から100倍に達する。なぜなら、放射性物質がほぼなくなるまで何百年もかかるのだ。以前に農業を行なっていた木幡は、大熊町では二度と米や野菜、果物を育てられないことを悲しげに話した。

緊急時の強制労働

毎日、5000人の労働者が原発内で収束作業をしている。木幡ますみは、原発事故後に被曝労働に従事したくないため逃げた労働者が脅しによって原発へ戻されたと説明した。

新しく建てられた学校でも似たようなことが起きている。役所の職員の子供が、汚染区域にある学校へ避難先の家から強制的に通わされている。

「家畜を自分の手で殺した」

福島原発事故のもう一つの悲惨な結果は、福島は農業の盛んな地域だったため、人々は家畜を持っており、それらを捨てなければならなかったことだ。地域に入ることが禁止されたため、長期間、家に戻って家畜の世話をすることができなかった。さらに、ひもでつながれたり、小屋の中に残されたまま、家畜たちは逃げ出すことができず餓死した。原発事故の発生からしばらく後、家畜の世話のために一時帰宅した人の中には、被曝した家畜に毒を与えて殺さなければならなかった者もいる。木幡ますみは「私の犬と猫も放射能の犠牲となった」と言った。

「ああ、あの山と森」

原発の爆発により放射能汚染された山と森は除染が不可能なため、永久に危険なままである。風や雨によって放射性物質は移動する。木幡ますみはこのように表現した。「この状況で政府は私たちを山のふもとの家に戻そうとしている。しかし、私は抵抗します。このようなシステムに反対するために元気でいる必要があります」

「漁業はもうできない。放射線測定のために魚を捕っている」

福島県の浜通り地区では漁業に従事する者が多かったが、全てが変わってしまい、漁師たちは職業を変えるか漁業のために他の地域へ移ったと木幡ますみは説明した。

木幡ますみがくり返し語るのを辛抱強く聞く。なぜなら、彼女の経験を私たちは誰ひとり経験していない。彼女をトルコへ招いたのも、彼女の経験したことをくり返さないため、彼女の経験したことの原因を説明するため、悲劇から教訓を得るためである。

「原発の建設を許さないでください。最後に泣くのはあなたたちです」

これは前にも聞いたことだ。決して忘れられない警告は、私が日本を訪問したとき、ある女性が話した「これらはすべて、私たちが政治家に任せきりにしたから起きた」という言葉だ。別の一人は、「一つ原発が建てば、さらに建設が続く」と言った。既存の原子炉の隣に新しい原子炉を加えることは法的インフラの面で整備が簡単であり、世論でも議題となりにくいため、政権にとって都合がよい。

「最も安全な原発は、建てられなかった原発だ」

商業原発を持たないトルコで、どの方向へステップが踏まれるのか?

ここ2年で、アックユ原発の環境影響評価に対して市民社会が訴えた裁判で、法が政権によっていかに取り除かれたのかを見てきた。

次の選挙は、原発建設に関する政治決定に影響することが確実だ。したがって、誰に投票するのか、重要性は大きい。

福島原発事故から得た教訓は、最も安全な原発は、建てられなかった原発だということだ。

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■ シノップ反原発集会に禁止令

シノップで続けられてきた反原発集会が内務省によって初めて禁止された。シノップではチェルノブイリ原発事故のあった4月26日に合わせ、毎年4月下旬に大規模な反原発集会が開催されてきた。今年もシノップ反核プラットフォームの呼びかけで4月22日に反原発集会が計画されていた。

4月19日、内務省はシノップ反原発集会の禁止を命じた。禁止の明確な理由は示されなかった。

前日の18日にはエルドアン大統領が、2019年11月に実施予定だった大統領選挙と議会選挙を、1年半前倒しで6月24日に実施する方針を示した。

昨年4月に行なわれた国民投票で、行政権限を大統領に集中させ議院内閣制から実権大統領制に移行するための憲法改正が決まった。次の大統領選挙で当選した候補は初の実権型大統領となる。シノップ反原発集会の禁止は、選挙に向けて政権への反対派が勢いづくのを防ぐ意図があると考えられる。集会の禁止と合わせ、集会前日にシノップで開催が予定されていた木幡ますみさんによる福島の現状についての講演会も禁止された。

集会の禁止を受け、シノップ反核プラットフォームは22日の集会当日にシノップ中心の広場で抗議の記者会見を行なった。記者会見には野党・共和人民党の国会議員をはじめ、300人ほどが集まった。会見では木幡ますみさんも福島の現状を報告し、原発に反対するメッセージを語った。同日にイスタンブールとメルスィンでも、反核プラットフォームや環境団体が原発に反対する記者会見を行なった。4月26日にはアックユ原発から近い北キプロス・トルコ共和国の首都でもアックユ原発への抗議行動が行なわれた。
(トルコ現地紙からのまとめ)

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■ イスタンブール反核プラットフォーム・声明
2018年4月22日

チェルノブイリ原発事故32周年にシノップで開催が予定されていた集会とシンポジウムが、内務省によって「挑発行為と安全」の理由によって禁止されました。シノップ反核プラットフォームの呼びかけに応じてトルコ各地からシノップへ向かおうとした原発反対派は妨害を受けました。

シノップで13年間続いてきた「シノップに原発はいらない」集会を禁止した内務省の決定は受け入れられません。

資本を代表する公正発展党(AKP)政権は、アックユ原発の派手な起工式(4月3日)を行ない、ノーベル賞受賞者のアズィズ・サンジャルを使ったテレビ広告によって原発のメリットを宣伝し、原発事業を推し進めようとしています。シノップ原発の市民公聴会(2月6日)では、原発に反対するシノップ住民の参加が暴力を用いて妨害されました。

似たような圧力と妨害は、アックユ原発の環境影響評価レポートの結果に反対する司法プロセスでも絶え間なく続いています。トルコを核の暗闇にとどめようとする者たちに反対する声を、これまでよりもさらに強める必要があります。

1986年4月26日以来、チェルノブイリ原発事故による汚染、死者の増加、破壊は続いています。今もここで続き、さらに何世代にもわたって続くこの災害と、変わらない考え方に対して抗議するために私たちは集まりました。

32年にわたって語られてきた「原発に関する嘘」を信じていないと叫ぶために、
私たちは集まりました。そして、どんな妨害や圧力があろうとも、原発を建設させません。

チェルノブイリ原発事故から32年の今、ジェラーテッペ、イスタンブール北部森林、ファトサ、アラクル、ムンズル、フルトゥナ、チャナッカレ、バルトゥンなど各地で自然環境と生活環境を脅威にさらす開発に、生活環境や公有地を企業に売り渡すための法案に、「エネルギーと発展」についての嘘に、自然環境の破壊に、反対します。

私たちの全ての権利を行使して、アックユ、シノップ、イイネアダで、原発を受け入れません。
(以上すべての翻訳:森山拓也)

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.152より)

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■ ノーニュークス・アジアフォーラム通信(No.1~144)
■ ストップ原発輸出キャペーン通信
■ 第1回NNAF報告集(全国28ヶ所で集会。高木仁三郎・藤田祐幸・金源植など各国からの発言)
■ 神戸・環太平洋反原子力会議報告集
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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信152号(6月20日発行、B5-28p)もくじ

・「福島の声をトルコへ」トルコ訪問報告(木幡ますみ)
・「福島原発事故体験者・木幡ますみと過ごした5日間」(プナール・デミルジャン)
・シノップ反原発集会に禁止令
・イスタンブール反核プラットフォーム・声明
・2018年トルコ総選挙 各党の原発政策(森山拓也)
・誰のための原発輸出? 日英市民に押し付けられるコストとリスク(深草亜悠美)
・人々の命より生産性を優先させるのか?
バングラデシュの原発開発の問題点(モヒミーン・レイエス)
・インドとパキスタンよ 今すぐ核兵器を放棄せよ!
核実験から20年目の市民アピール
・インドネシア・西ジャワ州チレボンおよびインドラマユ石炭火力発電所への
日本の公的融資停止を求める国際要請書を日本政府に提出(波多江秀枝)
・「とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会」結成(柳田真)

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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) https://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

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