【声明】 ハンビッ1号機原子炉出力急上昇事故  今すぐ廃炉せよ

 全羅南道の霊光(ヨングァン)郡にあるハンビッ原発1号機で5月10日に起きた出力急上昇事故に対して、脱核市民行動(準)が22日に記者会見を行ない、下記の声明を発表した。
 制御棒の制御能力を測定するための試験中、原子炉の出力が制限値の5%を超えて18%にまで急上昇した。事故の対応や情報公開が遅れたことが問題になっている。

【声明】 原発事業者の安全への無感覚と「事なかれ主義」が起こした
ハンビッ1号機原子炉出力急上昇事故  今すぐ廃炉せよ

5月10日に霊光(ハンビッ)1号機で起きた原子炉出力急上昇事故が衝撃を与えている。幸いなことに大きな事故にはつながらなかったが、韓国の原発でも故障や人的ミスによって大きな事故が発生する可能性があることが浮き彫りになった。また、こうした危険な状況に対処する一連の過程において、安全に無頓着な風潮が蔓延していることも明らかになった。つまり、原発の運営管理が市民の安全を優先するよりも事業者である㈱韓国水力原子力の利益と判断を優先していることが明白になった。

原子力安全委員会は、この事故により史上初めて特別司法警察官を投入し、霊光(ハンビッ)1号機の使用停止を命令した。しかし、事件の正確な原因と状況はいまだ解明されておらず、疑惑はむしろ深まっている。試験稼動の運営指針に定められている数値(5%)を超えて原子炉熱出力が発生、緊急に停止措置を施さなければならなかったにもかかわらず、どうして12時間がすぎてようやく手動で停止させたのか、きちんとした解明が行なわれていない。

これまで明らかになったことは、事件発生から5時間30分後に原子力安全技術院の事故調査団が現場に到着するまでの間、熱出力が18%まで急上昇したにもかかわらず、その報告さえも行なわれなかったということだ。また、原子力安全委員会が問題を把握し措置を施すのに時間がかかりすぎたのはなぜなのかについて徹底して解明されなければならない。

そのうえ、今回の事件が無免許の作業者が制御棒を操作したことで発生したということも衝撃的だ。自動車でさえも免許なしに運転できないのに、市民の安全と直結する原発の運営を無資格者が操作すること自体が、㈱韓国水力原子力の安全への無感覚と「事なかれ主義」を露呈している。

今回の事件に対して、徹底した真相調査と責任者究明などの再発防止対策が必要だ。大きな事故につながらなかったのを理由に、あいまいな責任逃れ用の対策発表など聞きたくもない。これまで霊光1号機では、格納容器の鉄板とコンクリートに穴が見つかったうえに、今年に入って1月と3月に火災が発生するなど、絶え間なく地域住民と市民を不安にしている。国民がいつまでこうした状況をがまんできるというのだろうか。不安で危険な原発は、これ以上無責任に稼動せず廃止にするのが最善の再発防止対策であることを、理解しなければならない。

2019年 5月 22日
脱核市民行動(準)
(キリスト教環境連帯、緑色党、緑色連合、大田脱核希望、仏教生態コンテンツ研究所、仏教環境連帯、市民放射能監視センター、エネルギー気候政策研究所、エネルギー正義行動、霊光核発電所安全性確保のための共同行動、正義党、脱核慶州市民共同行動、脱核エネルギー転換全北連帯、済州脱核道民行動、参与連帯、天主教イエス会社会使徒職委員会、韓国YWCA連合会、ハンサルリム連合、核のない世界のための高敞郡民行動、核のない世界光州全南行動、環境運動連合)

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.158より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信158号(6月20日発行、B5-24p)もくじ

・インラサラ氏 初来沖・来日に向けて (吉井美知子)
・ノーニュークス・アジアフォーラム2019 in台湾 ― 開催のお知らせ ―
・427廃核デモ (台湾環境保護連盟)
・台湾、来年も国民投票? 原発推進の揺り戻しと脱原発の秘策とは?
(満田夏花)
・(韓国)ハンビッ1号機原子炉出力急上昇事故 今すぐ廃炉せよ
(脱核市民行動(準))
・(トルコ)シノップに原発反対派の新市長 反原発集会を開催 (森山拓也)
・「シノップの娘」 (佐藤真紀)
・東海第2原発と県民投票 (曽我日出夫)
・日本原電・東海第二原発の現状と問題点 (披田信一郎)
・学習会・外国人労働者と被ばく労働 (片岡遼平)
・現在運転中の原発はテロ対策だけでなく「免震重要棟」もない (小坂正則)
・市民放射能測定所から、「放射線副読本」回収へのとりくみ (田中陽介)
・「脱原発の運動史 -チェルノブイリ、福島、そしてこれから-」紹介
(小木曾茂子)

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韓国ハンビッ原発 格納容器コンクリートで大量の穴発見


<韓国ハンビッ原発1・3・4号機の閉鎖を要求>

格納容器コンクリートで大量の穴発見

ヨン・ソンロク (脱核新聞8月号より)

霊光(ヨングァン)にあるハンビッ原発は今、「ボロの継ぎはぎ」という言葉がぴったり当てはまる。格納容器コンクリートのいたるところで発見された穴はセメントで埋められ、腐食した内部鉄板は接ぎ当てられた。それにもかかわらず、「安全性に異常はなし」として原子炉を再稼動する方針だ。

ハンビッ原発4号機の格納容器コンクリートでは、この3年間で、14cmを超える穴(孔隙・すき間)が96ヶ所、14cm以下の穴が23ヶ所、見つかった。また、格納容器の内部鉄板(CLP)でも、腐食などで厚さが薄くなった部位が120ヶ所発見された。さらに、上部ドームの連結付近で高さ20cmの環型孔隙(格納容器の15段の上部全体にコンクリート打設をしなかったことが原因とされる)が発見された。

そして、今回もまた、ハンビッ4号機格納容器コンクリートの主蒸気配管ライン部分で、157cmにも達する大型の穴が見つかった。主蒸気配管ライン部分は、一般的な格納容器コンクリートの厚さ(120cm)よりも厚い167.6cmだ。したがって、157cmの穴があったということは、正常な部分わずか10cmだけを残して大きく空いていたということだ。

ハンビッ4号機では5月に、深さ38cmの穴が見つかった後、追加点検に入った。7月3日に深さ90cmの穴が見つかり、この穴を詳細に調査した結果、最終的にこの穴の大きさは、横330cm、縦97cm、深さ157cmであることが確認されたのだ。

ハンビッ1号機で原子炉出力急上昇事故、ハンビッ3号機で相次いで火災発生、ハンビッ4号機で超大型の穴が発見されたことから、「ハンビッ核発電所対応湖南圏共同行動」(以下、湖南圏共同行動)は、ハンビッ原発1・3・4号機の廃止を要求する行動を開始した。7月29日には、霊光のハンビッ原発の正門前で記者会見を開き、ハンビッ1・3・4号機の即時廃止と責任者の処罰を要求した。

8月1日には、全羅北道に所在する67の市民・社会・労働団体などが全羅北道庁で記者会見を開き、ハンビッ1・3・4号機の廃止と全羅北道民の保護対策の確立を要求した。記者会見の公示から1日で67の団体が集まったことは、この問題に対する地域の市民社会の関心が非常に高いことを示している。

ハンビッ1号機では5月に、原子炉出力計算ミス、無資格の作業者の原子炉制御棒操作ミスなどによって原子炉の出力が急上昇する事故があった。ハンビッ3号機では、昨年11月、格納容器内の電気コンセントの火災事故、今年の7月11日には放射性廃棄物処理場の乾燥機で火災発生、格納容器のコンクリート部分で98個の穴が見つかるなど、安全を脅かす事柄が続いて発生している。

湖南圏共同行動は、ハンビッ4号機で157cmの穴が発見されたにもかかわらず、事業者である韓国水力原子力が「格納容器の構造的な安全性には問題がない」と主張したことに対し、強く反発している。湖南圏共同行動は、韓国水力原子力・原子力安全委員会・産業資源部に対し、「国民の安全を優先しなければならない国家基盤施設の運営事業者として、また、国民の権限を代わって遂行する公共機関として、ハンビッ1・3・4号機の廃止を決断すること」を要求した。

湖南圏共同行動には「霊光核発電所安全性確保のための共同行動」「核のない社会のための高敞郡民行動」「脱核エネルギー転換全北連帯」「核のない世界光州全南行動」「井邑緑の党」が参加している。

また、「ハンビッ原発安全性確保民官合同調査団」は、ハンビッ3・4号機は、格納容器のコンクリートをすべて調査・検証できていないため、他の穴やグリス漏れの可能性があり、格納容器が100%安全だとは判断しがたいという立場を示している。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.159より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信159号(8月20日発行、B5-28p)もくじ

・ノーニュークス・アジアフォーラム2019 in台湾 ― 開催のお知らせ
・「台湾は 原発がなくても 電力は不足しない」(台湾環境保護連盟ほか)
・韓国ハンビッ原発 格納容器コンクリートで大量の穴発見 (ヨン・ソンロク)
・第6回持続可能性についての南々フォーラム@香港 参加報告 (藤岡恵美子)
・シノップ原発事業、新たなパートナーと継続を模索 (森山拓也)
・インラサラ氏・スピーキングツアー in沖縄&日本 (吉井美知子)
・東電代表執行役を「違法行為差止め」で提訴 (木村結)
・志賀原発の運転差止めを求め株主が提訴 (北野進)
・審査請求から逃げまくる原子力規制委員会、
特重なしの稼働を許すな (木村雅英)
・再稼働阻止全国ネットワーク≪サポーター会員加入≫のお願い (沼倉潤)
・私たちの未来を問う広島原爆「黒い雨」裁判 (湯浅正恵)
・芦浜原発阻止20周年記念出版「芦浜闘争私記」(柴原洋一)
・台湾を知る集い ☆郭金泉さんと脱原発を語ろう (谷本洋子)

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福島わかもの国際交流キャンプ in 韓国

■  韓国の人々の深い愛情と情熱によって  宇野田陽子

原発建設計画を撤回させたサムチョクの人たちの「福島の若者たちを迎えたい」との声に応えて、水戸喜世子さんたちと半年以上かけて準備して実現したキャンプが無事に終了しました。

お天気に恵まれ、偶然の出会いに祝福され、導かれているように幸せな行程でした。韓国の人々の深い愛情と情熱によって様々な幸運が手繰り寄せられた一週間でした。この旅がそもそも可能となったのは、福島の若者と韓国の若者の交流の意義に賛同して、あたたかいご支援をくださったみなさんのおかげです。ありがとうございました! お支えくださったみなさんに、キャンプの様子をお伝えしたいと思います。

福島の若者8名(中学生 3 名、高校生 3 名、大学生 2 名)が、まずは8月15日の夜に羽田空港にほど近い宿舎に集合して、結団ミーティングを行ないました。

翌16日、大韓航空でソウル・金浦空港へ。横断幕を掲げて迎えてくれたキム・ボンニョさんをはじめとする韓国側スタッフたちとともに、貸し切りバスでサムチョクへ。

サムチョクでは、原発白紙化記念塔を訪問、塔の前に植樹されたばかりの木に、日本からの参加者が少しずつ土をかけました。夕食会でマ・ギョンマンさんらサムチョクの反原発関係者の方々と歓談し、宿舎であるイ・オクプンさん宅へ。

サムチョクでの3日間、韓国の若者たちとともに、海水浴、透明ボート、浜辺での花火、アワビのおかゆづくり、チヂミづくり、美しい海を見ながら走るレールバイクなどを経験しました。

19日は別れを惜しみながらもサムチョクを出発、東洋最大級の洞窟を見学してから、一路ソウルへ向かいました。親しくなったサムチョクの方々との別れで、みんな移動のバスの中では少し肩を落としていました。

ソウルでは、フリースクールのクリキンディセンターを訪問、19日は青少年気候変化訴訟キャンプのメンバーと交流しました。20日から最終日までは、このクリキンディセンターの学生たちと一緒に過ごしました。

20日は学校内を案内してもらい、歌と演奏で歓迎してもらって大感激。みんなもソウルで出会った新しい友人たちと親しくなっていきました。夕方に有名な「ナンタ」を観劇して笑い転げた後は、クリキンディセンターの学生たちと再び合流して夕食の後、南山タワーに上って、そのまま一緒に宿舎へ。

21日はみんなでチョゴリを着て昌徳宮を見学してから、ソウル市役所へ移動してパク・ウォンスン市長と面会しました。その後の自由時間は、いくつかのコースに分かれて思い思いに買い物や観光を楽しみました。夜は、大きな部屋に集まって、楽しいレクリエーションで体と心を緩めてから、この一週間のふり返りを行ないました。最後の夜ということもあり、みんながしゃべったり笑ったりする声が、夜遅くまで聞こえていました。

22日は、「自力で行くことができる北朝鮮に一番近い場所」である臨津閣と、川を挟んで対岸の北朝鮮の町を見ることができる烏頭山(オドゥサン)展望台を訪問しました。臨津閣では、統一を願う布や旗がフェンスにぎっしりと結びつけられてはためいていました。烏頭山展望台に設置された双眼鏡を通して、小学校でサッカーをする子どもたちや自転車に乗ったおじさんが見えてみんなが驚きました。今まさに歴史の転換点にある場所を、韓国の若者たちと一緒に訪問できたことは、あまりにも貴重な経験でした。

金浦空港では涙で別れを惜しみ、再会を誓いあって出国のゲートをくぐりました。それぞれがたくさんの思いを抱えながらも、違いを乗り越えて理解し合う力をいかんなく発揮した日韓の若者たちの姿が、どれだけ印象的だったことか。

引率者である私も、多くのことを学びました。こんなにどうしようもなく閉塞的な日本の状況の中にあっても「大丈夫だ、絶望なんかしている場合じゃないし、絶望する必要もない」と強く感じることができたことが一番大きな収穫だったかもしれません。次の世代のために、あるいは次の世代の人々と何ができるかを深く考えさせられました。

■ 「福島わかもの国際交流キャンプ」を終えて  水戸喜世子

全員がとにかく1週間の長旅を、けがも事故もなく、無事に帰国できたことが何よりうれしいです。

同じ釜のめしっていいますが、サムチョクの小学生のミソン、ヘリャンの姉弟は、サムチョクでの3日間、親元離れて、日本の学生と寝食を共にして、場を盛り上げるのに一生懸命でした。日本語のできる韓国の学生も寝起きをともにして、深夜まで、ギターを奏で、歌い、時には敷き布団の上に腹ばいになって真剣に韓国語を教わる輪ができていたり、韓・日ギターと歌のコラボが実現したり、大人の想像をはるかに超える世界を見せてくれた若者たち。何と楽しかったことか。地元の学生は生活に響くのに、アルバイトの貴重な契約をキャンセルして、海遊び、山遊びに加わってくれる子もいました。

ソウルではクリキンディセンターの学生たちと一緒に、うんざりするような行列の果てに、やっとたどり着いた南山タワーの展望台。人ごみにまみれながら一緒に眺めたソウルの夜空。うんざりするようなことも、笑い飛ばして楽しい思い出に変えてしまう若さに脱帽するばかりでした。だれ一人、表情が曇る場面がなかったと言っても、信じられないかもしれませんね。日本の学生と韓国の学生総勢14人で着たチマチョゴリも、文字通り、文化を肌に感じる体験になりました。

朴元淳ソウル市長とお会いするというのも直前に知ったことで、市長の椅子を譲ってもらった大学生のT君が由来を説明しながら会津若松の「赤べこ」を贈呈する場面あり、Mさんが素直な言葉で福島の体験を語る場面ありで、すべて準備してつくろった行為ではなく、サムチョクからの延長上の、友情に裏打ちされたアットホームな交流の一場面でした。

韓国の人々の平和への思い、南北統一への願いがどんな切実なものか、境界線のぎりぎりまで近寄ることができる地点を訪ねて、少しだけ肌で感じることができました。朝鮮戦争で引き裂かれた離散家族が、再会を願う願いごとが書かれた無数のリボンが川風に揺られている脇には、無数の弾痕が痛々しい鉄の機関車が朝鮮戦争時の姿そのままに置かれていたのです。このとき私は、サムチョクの公園で記念植樹したアスナロの樹の下のプレートの文言が頭をよぎりました。「生命の息吹、平和の翼」《福島青少年らはここを訪れ、脱核、反戦平和の意思を込めて植樹をする》

一番親しい家族さえ引き裂かれた歴史に堪えてきた国の人々。同じ民族の中に軍事境界線を作ることになる原因を作った国である日本を祖国として持つ私たち。そんな日本の若者を温かく迎えてくれている人々がここにいる。「反核・平和を確実なものにして、初めて私たちの友情は安心な状態でいられるのです」とのサムチョクの人々の願いがこもったプレート、アスナロであることを思いました。政治がどんなに揺れようと、草の根の民と民がしっかり友情でつながっていれば、戦争は防げる。戦争をさせられるのは民なんですから。悲しい境界線近くに立っていても、私の心には、希望の灯が灯っていました。韓・日の仲良しになった若者がここにいる!と。もともと、福島の社会に飛び立つ直前の若者を元気づけたいと始めたはずのプロジェクトなのに、今逆に若者に励まされている自分に気づきました。

最後の夜、ふりかえりの時間では、「初めての海外だったから緊張していたが、今は本当に楽しい。どうして韓国の人はこんなにやさしいの?」「このままずっとここにいたい。帰りたくない」「韓国語をもっとしっかり勉強する!」「韓国の歴史の本を読む」が全員から吹き出すようにくり返し語られた言葉です。福島原発事故によってもたらされた負の遺産を背負わされて生きていく彼らにとって、日本の中は、政治をはじめとして、決してやさしい環境とは言えません。彼らが受けて当然の優しさを韓国の人たちが行動で見せてくれました。

福島・韓国わかもの交流という願いを実現してくださった、サムチョクの核電反対委員会の皆さん、円仏教の皆さん、ハジャセンター・フリースクールのスタッフ、住谷章さん、翻訳通訳でお世話になった在日のイ・チョルさん、イ・ドンソクさん、4映像作家の代島治彦さん、そして支援してくださった多くのみなさん、本当にありがとうございました。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.154より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信154号(10月20日発行、B5-28p)もくじ

・NNAF@25 開催のおしらせ(NNAF@25フィリピン実行委)
・シノップ反原発プラットフォーム声明
・プナール・デミルジャン来日講演、トルコ原発候補地の青い海を想う (水藤周三)
・写真展「原発とたたかうトルコの人々」を開催 (森山拓也)
・原発をめぐるトルコの主な出来事 (森山拓也)
・ジャイタプール;10年前から続く平和的な抗議運動 (アヌジ・ワンケデ)
・クダンクラムの人々の声を聞く特別法廷を求める
・福島わかもの国際交流キャンプ in 韓国 <報告> (宇野田陽子・水戸喜世子)
・「韓日 反核(反原発)ツアー」参加報告 (青山晴江)
・西オーストラリアで計画されるウラン鉱山開発に反対する (エリザベス・マレー)
・南オーストラリア州の放射性廃棄物処分場に抗議 (ミッチェル・マディガン)
・老朽被災原発-東海第二の60年運転は許されない (沼倉潤)
・東海第二原発の再稼働をさせてはいけない (玉造順一)
・中国電力は島根原発3号機の適合性審査申請を撤回すべきだ (芦原康江)
・マハティール首相「エネルギー政策で原発を選択せず」

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慶州市民の汗と涙が成し遂げた、月城1号機の廃炉決定

「ついに韓水原(韓国水力原子力)は2018615日の理事会で、月城(ウォルソン)1号機の廃炉を決定した。これまでの10年間の廃炉運動が実を結んだのだ」 

イ・サンホン(慶州環境運動連合)

2015年9月7日、「萬人疎」を 青瓦台(大統領官邸)に提出する前に、光化門前で広げる

● 運命の2015年

自分の身体よりも大きいテントを朝夕、背負わなければならなかった。その年、慶州市役所前で始めたテント篭城は、ビー玉のような汗で維持されていた。24時間の篭城を続けるだけの組織力がなかったため、朝にテントを設置し夕方には撤収するということを2015年5月13日から6月22日まで毎日くり返さなければならなかったのだ。こうした労働はひたすら慶州環境運動連合の事務局の役割だった。もう一度やれといわれても今はもう体力的に難しいだろう。

それでも、約2ヶ月間のテント篭城のおかげで、「月城1号機廃炉慶州運動本部」に18の団体が参加することになったし、不可能に見えた「萬人疎」(後述)を短期間で奇跡的に実現することができた。こうした達成感がなかったら、おそらく私たちは絶望を前に挫折していたに違いない。

私たちを絶望的にさせた出来事は、2015年2月27日の明け方に起きた。廃炉を訴え続けてきた月城1号機に対して、原子力安全委員会(以下、原安委)が再稼動を決定したのだ。

当時、月城原発周辺の住民は、原安委の会議が開かれる日には必ず貸切バスで上京し、原安委のある光化門KTビル前で集会を開いていた。会議の開かれる10時に合わせて到着するには、明け方3時には慶州を出発しなければならなかった。1月15日はバス1台、2月12日はバス5台、2月26日はバス3台が、慶州とソウルを往復した。2月26日の上京の際には、住民が朝ごはんとして準備した生わかめを食べた。闘争資金が底をつき、節約するためには安価で飽満感が得られる生わかめが最適だった。

1,000人余りの住民が月城原発の前に集まり、廃炉を要求する集会を開いたこともあった。この期間、慶州環境運動連合の会員は3種類のビラ合計16,000枚を配るため街中を練り歩いた。

しかし月城1号機は、再稼動という地獄の門に向かって走ることとなった。絶望と憤慨の入り混じった2015年2月27日だった。

チェルノブイリ原発事故29周年をむかえ、全国の脱原発市民が、4月25日、慶州に集まった。約500名が慶州駅を出発し、山のような王の墓(古墳)を経て瞻星台(韓国の国宝第31号で、新羅時代に建造された東洋最古の天文台遺跡)までの2.5キロを行進した。

チャン・ソイク先生が演出する、色々な人形や仮面を利用した脱原発行進は、全国単位の大きな脱原発行進では必ず見られる名物として今では当たり前になったが、当時としては、めずらしい演出だった。街を歩く市民たちは、足を止め目を見張った。

この行進の成功は、慶州地域の脱核運動に大きな力を与え、「月城1号機廃炉慶州運動本部」結成へとつながった。

熱気は、裁判にも現れた。月城1号機寿命延長無効訴訟(以下、無効訴訟)に、慶州市民210人が参加した。訴訟の原告になる手続きとして、訴訟費1万ウォンと住民登録抄本の提出が必要だ。ソウルではないここ慶州で、210人もの人が原告になったことは、市民が動き始めた証だった。

全国的に2,167人の原告が集まり、2015年5月18日、ソウル行政法院に訴状が提出された。慶州市民が原告の約10%を構成した。長い法廷闘争の序幕が上がった。

法廷闘争が始まったころ、慶州地域の市民社会団体などは、「月城1号機廃炉慶州運動本部」を結成し、5月13日から市役所前でテント篭城を始めた。このテント篭城と合わせて始めた大衆運動が、「萬人疎」だった。

市民の意思を凝集するためにはテント篭城だけでは足りず、できることは署名運動以外に思い浮かばなかった。仕方なく署名運動を始めようとしたところ、当時、慶州環境運動連合の共同議長であり、現在は慶州文化院の院長であるキム・ユングン先生が、「萬人疎」を提案してくださった。「萬人疎」は、朝鮮時代の安東地域の儒生たちが政府の政策に反対するために1万人の署名を集めたことに由来する。

一般的な署名とは違い、大きな韓紙に筆で名前を書き拇印を押す。こうして集めた韓紙の署名72枚をつなぎ合わせて、「萬人疎」が完成した。72枚を張り合わせるのに3日かかった。長さは90mを超え、10,181人の真心が込められていた。大きな韓紙、筆、朱肉を持ち歩き集めた署名に、5月13日から7月13日までのわずか2ヶ月で、1万人以上の慶州市民が署名したのである。まさに奇跡のような出来事であった。

7月29日、慶州市役所前で「萬人疎」を披露する式を挙げたあと、9月7日にバス1台でソウルへ上京し、光化門で野外記者会見を行ない、青瓦台(大統領官邸)に「萬人疎」の写しを提出した。こうして、慶州市民は、月城1号機廃炉のために一直線で運動をくり広げていくこととなった。

● 2015年以前

月城1号機廃炉運動の歴史は9年前にさかのぼる。2009年4月1日、慶州市役所前で開催した記者会見がその始まりだ。当時、慶州の市民社会団体などは、月城1号機の圧力管差し替え中止を要求していた。キャンドゥー炉(重水炉)である月城原発の圧力管は、一般の原発の原子炉に該当するものだ。

月城1号機は、1982年11月21日に稼動を開始したので、2012年11月20日が寿命の30年が終了する日だ。ところが、寿命を3年8ヶ月残した2009年4月1日、圧力管差し替え工事が始まったのだ。工事費は6000億ウォン(約600億円)。工事の期間を除くと約2年しか稼動させない原発に、6000億ウォンの費用をかけるというのは常識的に考えて理解できないことだった。

慶州の市民社会団体などは工事に反対し寿命延長の中止を要求したが、発電所側は寿命延長とは無関係の工事だと言い張った。しかし後日、ソウル行政法院は、この圧力管差し替えが寿命延長のための工事だったとの判決を下した。一方、韓国水力原子力(以下、韓水原)は未だに立場を変えていない。

2011年6月23日、現地集会で住民たちが月城1号機の模型を燃やして廃炉を要求

その後も寿命延長に反対する声は続いたが、社会的に大きな注目を集めることはできなかった。ところが2011年3月11日、福島原発事故が発生し、老朽原発に対する社会的関心が爆発的に高まった。そのために、月城1号機の寿命延長のための審査が無期限で延長となり、再稼動の承認を受けられないまま、2012年11月20日を迎えた。

当然、発電所の稼動は中断した。寿命の期限100日前からは、慶州市役所前で「月城1号機寿命期限D-100」一人デモ・リレーが始まった。高校生から老人まで慶州市民100人が参加した。そして、D-DAYには慶州地域の市民社会団体が集まりパーティーを開いた。

その年の冬、18代目の大統領選挙で有力候補たちが月城1号機の再稼動の可否を決定すると公約した。月城1号機の寿命延長の審査は長引き、そのためのストレステストが2年近く行なわれた。切羽つまった政府は結局、15年2月27日、強引に寿命延長を決定した。

● 2015年以降

ソウルでの集会、無効訴訟原告募集、テント篭城、「萬人疎」署名運動などの活動を通じて、慶州地域の月城1号機廃炉運動は2016年度にも継続し拡大していった。福島原発事故5周年に合わせて大邱(テグ)・慶北地域の脱原発大会が慶州で開催され、大小のキャンペーンが実施された。

そうしたなか、マグニチュード5.8の慶州地震が16年9月12日に発生し、月城1号機の廃炉運動は新しい転機を迎えた。地震の恐怖のために家に帰れないと言って公園にテントを張って野宿する市民が、最も恐れていたのは万一起きるかも知れない原発事故だった。老朽原発である月城1号機に対する憂慮は大きかった。

廃炉を要求する記者会見、車両デモなどが連日くり返された。市民社会団体などが記者会見を開催すれば一般市民がSNSなどを通じて情報を共有し数十人が参加するなど、運動に力を与えてくれた。慶州環境運動連合の会員も増えた。市民社会団体の連帯組織として「脱核慶州市民共同行動」を新しく組織し、9月26日から12月23日まで慶州市内のあちこちで一人デモなど様々なキャンペーンを行なった。こうしたなか、脱原発の全国組織である「核のない社会のための共同行動」が「さよなら原発100万署名運動」を発起した。 慶州地域の市民社会団体も10月からこの署名運動を積極的にくり広げた。

16年10月22日、新羅百貨店前で「さよなら原発100万署名運動」

その年の冬、朴槿恵(パク・クネ)-崔順実(チェ・スンシル)の国政汚職を糾弾する全国的なろうそくデモがくり広げられた。慶州駅の広場も市民の熱い熱気が上がった。社会的な課題がろうそくデモの場に集められた。私たちは、ろうそくデモの熱気のなかで月城1号機の廃炉を訴えた。

ろうそくデモは勝利をおさめ、朴槿恵は弾劾された。弾劾により2017年の早期に大統領選挙が行なわれることになり、次期大統領選に時期を合わせて始めた「さよなら原発100万署名運動」も中途で署名者数の統計を出すこととなった。合計338,147人の国民の署名が集められ、そのうち慶州市民の署名は8,198名で、人口比で見ると全国で一番多くの署名が集められた。これは、慶州市民の月城1号機の廃炉の願いが大きいことを表していた。

ろうそくデモの力が燃え上がるなか、ソウル行政法院は、2017年2月7日、月城1号機の継続運転許可処分を取り消すという歴史的な一審判決を下した。
さらに、5月の大統領選挙で文在寅(ムン・ジェイン)氏は、月城1号機の廃炉を公約として掲げ、当選した。

そして、ついに韓水原は、2018年6月15日の理事会で、月城1号機の廃炉を決定した。これまでの10年間の廃炉運動が実を結んだのだ。

しかし、これだけでは充分ではない。大統領の公約である「原発の寿命延長の禁止」が一日も早く法として制度化されなければならない。

月城1号機の廃炉とは別に、無効訴訟の控訴審の裁判が続いている。原安委が控訴審を取り下げるか、あるいは2,167人の原告が最終的に勝訴するとき、本当の意味で、原発廃炉への新しい道が切り開かれるのだ。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.153より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信153号(8月20日発行、B5-24p)もくじ

・慶州市民の汗と涙が成し遂げた、月城1号機の廃炉決定 (イ・サンホン)
・台湾第四原発で呉文通さん楊貴英さんに会う (さとう大)
・台湾における原発推進派の巻き返し (陳威志)             
・英ウェールズ・アングルシー島での原発反対運動に福島から応援団 (大倉純子)
・原発に関するトルコでの報道 (森山拓也)
・東電刑事裁判 ― 驚くべき新事実も次々明らかに (佐藤和良)
・東海第二原発の20年運転延長を認めない!~首都圏連絡会のとりくみ~
埼玉県議会の意見書に抗議する県民のとりくみ (白田真希)
・島根原発3号機「新規稼働」申請と周辺自治体の権限を考える (水藤周三)
・ほろのべ 核のゴミを考える全国交流会 報告 (衛藤英二)

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★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

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PDF 4996ページ
・インドネシア・台湾への原発輸出反対運動の記録他
・国別目次をクリックすると記事に飛べます

■ ノーニュークス・アジアフォーラム通信(No.1~144)
■ ストップ原発輸出キャペーン通信
■ 第1回NNAF報告集(全国28ヶ所で集会。高木仁三郎・藤田祐幸・金源植など各国からの発言)
■ 神戸・環太平洋反原子力会議報告集
■ 第8回NNAF報告集

定価10000円 (NNAFJ会員価格3000円)送料共
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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) https://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

 

脱核への舵を握った韓国の人びと後編 とーち

2017年8月10日から15日まで佐藤大介氏とともに韓国を訪れた。ムン・ジェイン大統領が脱核宣言をして2か月ほど。しかし現地の人々に白紙撤回すると約束していた建設予定の核電は、3ケ月間の公開討論(公論化委員会による討論)を行った後に結論を出す、また工事を中断するとしていた完成間近の核電は完成させ、その設計寿命まで運転を認めるため脱核が実現するのは2076年という。この政策が韓国の人びとにどうとらえられているのか、それを探る旅だった。

■ 戦場を知らない子どもたち

日本大使館前の従軍慰安婦少女像
日本大使館前の慰安婦処女像

ソウルに地下鉄で入ると、まず日本大使館の前にあるという従軍慰安婦少女像を探した。この日の宿舎がその近くにあるからだ。大使館に向かい合っているようなイメージを勝手に持っていたが、入口からは少し離れて、道路のほうを向いて静かに座っている。
「戦争を知らない子供たち」という歌がある。これにはずっと違和感があった。この歌自体は「戦争が終わって僕らは生まれた♪」という歌詞だから、ここでいう「戦争」は一般的な戦争ではなくThe warつまり十五年戦争であり太平洋戦争を指しているのだから作詞の北山修に誤りはない。しかし、いつの間にか私たちは、一般的な意味での戦争をも含めて、私たちは戦争を知らない、と思いこまされてきたのではないだろうか。
でも本当は、私たちは、この国は、ずっと戦争と共にあった。そもそも敗戦後に始まった朝鮮戦争がこの国の経済に奇跡的な向上をもたらし財閥も戦犯も復活を果たしたのだ。その中にはもちろんあの岸信介もいる。その後もベトナム戦争、湾岸戦争と直接的な武器輸出こそ行わなかったかも知れないが、戦争による好景気をもとにしてこの国は発展してきたのではなかったか。
かなりモノが分かっていると思っていたキャスターが「戦争を望む人なんていないんですから」というのを聞いて愕然とすることがある。冗談ではない。およそ近代の戦争は金儲けのために仕掛けられてきた。民族紛争も領土問題もそのための材料として利用されたに過ぎない。
おそらく日本でも戦争をしたがっている人々は戦争をよく知っているだろう。それで儲けてきたのだから。「戦場」を知らない、のは確かだ。しかし、戦場を知らないくせに、戦争で儲けてきたことを知らない、知ろうともしないで私たちは過ごしてきたのだ。そのことを見つめなおすことから始めて行きたい。少女像を見つめながらそう思った。

■ ソウル市の取り組みと緑の党

緑の党のイ・ユジンさん
緑の党のイ・ユジンさん

夕方、緑の党のイ・ユジンさんの話を聞いた。特にソウル市の取り組みが興味深い。日本での3.11の東電事故や、同年9月に韓国全域で発生した大規模な停電に触発され、大都市ソウルの役割として、使用電力の削減を目指して「核電一基削減市民委員会」が2012年に設立された。
太陽光パネルの設置などの生産、省電力の機器を使うことによる効率化、そして節約を組み合わせて核電1基分の電力削減を行おうというものだ。
そしてそれは2014年にすでに達成され、第二段階として都市であるにも関わらず、2020年までにエネルギー自給率を20%にする目標を掲げている。
他にも分散型のエネルギーを目指すことや、新エネルギーにより雇用を創出すること、また低所得世帯ほど高価なエネルギーを使わざるを得ないことから、エネルギー福祉という概念でその改善のための基金を作るなど、積極的な取り組みが行われている。
そしてそうした政策を紹介する綺麗なパンフレットも作成されており、英語版はもちろん日本語版まである。その取り組みは、エネルギー問題を困った「問題」として捉えるのではなく、乗り越える過程も含め、イメージ向上へつなげる前向きの姿勢が感じられる。
そうしたユジンさんの話が終わろうとしたころ、脱核が実現するのは2079年というのはどうなんでしょうねえ?という質問に、俄然声が大きくなった。大事なのは今見通せる予定だけではなく、この大統領の任期5年の間に核電ではなく自然エネルギーを広げていくシステムを作ることだ、自然エネルギーが商業的にも成り立つようになり、それが普及すれば政権が変わってもその道は続いていく。その先に脱核がやってくるんです。

初期のころに設置したという太陽光パネル
初期のころに設置したという太陽光パネル

翌日、ユジンさんの自宅を訪れ、初期のころに設置したという太陽光パネルを見せてもらった。思ったほど大きなものではないが、逆にごく自然に普及していくためには、小さくても実際に電力を生産するという意識を持てることも大きいのではないかと思った。

■ 慶州地震の恐怖

韓国の脱核への流れを決定づけたのは3.11の東電事故と、2016年9月に発生した慶州地震であるといわれる。まずマグニチュード5.2の地震が19時44分に起きたあと、ほぼ1時間後に同5.8の地震が発生した。二回目のほうが大きいのは珍しいが、これは同年4月に発生した熊本地震と共通している。
韓国では地震は少ないため、3.11のときも核電の問題はあるにしても、地震については韓国は大丈夫だ、という雰囲気があったらしい。それがこの慶州地震で一気に問題化したのだ。
通訳をしてくださったキム・ボンニョさんのつてで、歴史文化都市として名高い慶州の市内に住むパク・スンイさんに話を聞いた。
食事の支度をしているところで、ドーンと音がしたので、てっきり北朝鮮のミサイルが着弾したと思ったという。その後、ユッサユッサと揺れたため地震だと気が付いた。家ごと揺れる感じで、特に棚の物が落ちるといったことはなかった。初めての体験でとても怖かったが、核電のことまで気が回らなかったという。

パク・スンイさんの庭の唐辛子

■ ウォルソン核電の反核テント村

ウォルソン核電のPR館の前に鉄パイプとビニールでできたビニールハウスのような建物が建っている。
そこでファン・ブンヒさんが迎えてくれた。1983年に運転を開始したウォルソン核電1号機の設計寿命30年を延長しようという動きに反対して、2014年の8月からこのテントを建てて座り込んでいるという。韓国水力原子力発電(以下、韓水原)の敷地だが、いまのところ強制排除はされていない。
3.11の東電事故も影響しているという。日本の核電は耐震性も信頼性も高いと思っていたのに、それが事故を起こしたことで私たちにも同じことが起こるのではないかと思ったという。
ウォルソン核電は日本にはない型、カナダ型のCANDU炉である。この炉は重水を使用するためトリチウムを大量に排出する。トリチウムは三重水素のことで、弱いベータ線を発するが、分離しにくく、東電事故で冷却水をタンクに貯蔵し続けなければならない原因となっている物質だ。
(日本の法律では一般的なトリチウムは3.11以前より10億ベクレル(1L当たりの場合は1億ベクレル)までは放射性物質とみなさないことになっている。以前知らずにLUMINOXという時計を買ったのだが、それはトリチウムガスを封入したガラス管により12年間は発光し続けるというもので、元は軍事用に開発された。12年間というのはトリチウムの半減期である。それがちょうど10億ベクレルのトリチウムを含んでいる。このためこの時計は、普通に宅急便で郵送されてきたし、荒ゴミとして私が捨てることもできるのだ。この緩い基準にはこのCANDU炉が関係しているのではないかと私は推測している。)
このため、このあたりの住民の尿からはトリチウムが検出され、とくに成長盛りの孫たちのほうが多く検出されるという。健康に影響はないといわれているが体にいいはずがなく、今は集団移住することも要求しており、4世帯ほどの住民が交代で座り込んでいる。毎週月曜日には、自分たちの棺桶を担いで核電の門までデモをしているという。

ファン・ブンヒさんとテント村

慶州からも近いので、ファンさんは地震も体験された。二回目のほうが大きく、棚から物が落ちたという。家にいると怖いので、車でひらけたところに逃げていたが、それでは情報が得られないので、家の前に戻ってきて、交代で家の中にテレビを見に行ったという。孫たちはいまでも、大きな音がすると、地震じゃない?と驚くという。
地震の翌日には、当時まだ公示前でいち国会議員だったムン・ジェイン氏が訪ねてきた。通り一遍の訪問ではなく、私たちの話を十分に聞いてくれて、核電のこんなそばに人が住んでいることに驚き、私が大統領になった時には脱核する、と言ってくれたとファンさんは話す。

背景がウォルソン核電
背景がウォルソン核電

テントの前で写真をとって100mほど歩いて浜に出ると、目の前にウォルソン核電がそびえていた。ファンさんは犬と孫たちを連れていっしょに来てくれた。いつごろ核電が建ち始めたのか覚えていないという。当時は独裁政権下だ。住民の同意を得て建てられた訳ではない。放射能についても何も知らされず、電気を作る工場、くらいにしか思っていなかったという。核電や放射能の問題を知ったのは民主化後のことになる。

 

■ 建設の止まった新コリ5,6号機

新コリ核電
新コリ核電

写真家のチャン・ヨンシク氏にコリ核電と新コリ核電の撮影ポイントを案内してもらった。チャン氏はもう10年もコリ核電を撮り続けているという。

 

建設中の新コリ核電5,6号機
建設中の新コリ核電5,6号機

特に新コリ核電5,6号機の状態を見たかった。この二つの核電は建設中だったが大統領の決断により建設は中断されている。建設は30%進んでいるといわれている。
実際に見てみると、確かにクレーンなども止まったままで人の姿もない。また地上構造物はほとんど見えないので、建設がそんなに進んでいるのかどうかも分からない。私たちは台湾の第四核電の建設現場を何度も訪れており、巨大な地下構造物が建築されるのを見てきたので、30%という進捗を必ずしも否定しきれない。というわけで、できるだけ近くで見たかったので、人影もない開いているゲートから入ってどんどん近くに寄っていった。だいぶ近くまで寄れたけれど、高さがないのでどうしても建設状況がみれないなぁ、と思っていたら、知らない車が入ってきてチャンさんに話しかけている。どうやらこちらに気が付いて警告に来たみたいだ。さっきのゲートからこっちはたぶん韓水原の敷地だったのだろう。
とりあえず、引き返していたら、今度はより重々しい感じの車がやってきたので足を速めた。やばいかも知れない。チャンさんが話を続けてくれている。こういう場合、へたに残るより立ち去ったほうがいい。先に車を出してとりあえず遠ざかっていると、チャンさんから電話が入り、事なきを得たようだ。どーなることかと思った。
その後、新コリ核電から1kmほど離れたところの住宅街を見せてもらった。その付近だけ同じ時期に建てられたと思われる小ぎれいな住宅が並んでいる。この住宅の人びとは、初期のコリ核電が建てられた際に移住させられ、その後、移住先に新コリ核電が建設されることになったため、再度移住させられたのだという。

二回移住させられた住宅街
二回移住させられた住宅街

ところで、コリ核電と新コリ核電はてっきり敷地が離れているのだろうと思っていたが、ほとんど続いている。キム・ボンニョさんに聞くと、「新」と付けたほうが安全な印象を与えるので、そうしているのだろう、とのこと。韓国ではウォルソン核電、ウルチン核電でもほとんど続いた敷地なのに最近の核電には「新」を付けている。
さらにウルチン核電はハヌル核電に、ヨングァン核電はハンビッ核電に名前を変えた。それもイメージをよくするための改名らしい。
というわけなので、私は従来通りの名前で呼称しようと思っていたが、気になることがあった。私は3.11の事故のことを東電事故と呼ぶ。地名で名付けられた名称では、まるでその地域のみが被害を受けたかのような印象を与えてしまう。韓国の新聞記事によれば、改名は「地域経済とイメージに悪影響を及ぼす、という住民の意見を反映」したものだという。それが本当なら、やはり新しい名称のほうがいいのかも知れない、とも思う。

■ キム・イクチュン教授のお話

前編で紹介しきれなかったキム・イクチュン教授のお話をまとめて紹介する。

・政府の政策転換について

大統領の脱核政策により、産業部の公務員たちは180度立場が変わったことになる。これまでは核電がいかに必要かを広めることが仕事だったが、今は自然エネルギーを広めることが仕事になった。
もちろん納得していない人もいるだろう。しかし、韓国の自然エネルギーの普及が世界にくらべて極端に遅れていることを知らなかったはずはない。彼らは間違っていたとは言わないが、時代が変わった、と言わざるを得ないだろう。
核電勢力をあまりにも弾圧するのはよくないと思っている。反抗を呼べば政策は失敗する。
脱核が勝った背景は30年に及ぶが、日本での東電事故が韓国の脱核運動にもっとも大きな影響を与えた。韓国でもあのような事故が起こりうるとみんな思ったし、その後の慶州地震もそれを後押しした。
私に連絡してきたとき、すでにムン・ジェイン大統領は脱核の意識を持っていた。

・高レベル廃棄物問題について

高レベル廃棄物は核電内で仮置きしているが、手狭になってきたためリラッキング(ラックに間隔を狭くして置きなおすこと)している。危険性は増すが、今はそうせざるを得ない。
前の政権のとき使用済み燃料の公論化委員会を行い、二つの結論を得た。最初は敷地内に中間貯蔵し、その後永久処分するための処分場の選定方式を定めた。しかしその方法には大きな問題がある。慶州の低レベル処分場のときもそうだったが、敷地の安全性は考慮せず、住民が許容すれば決定してよい、ということになってしまっている。
高レベル廃棄物の問題は、私たちにとって隠している武器といえる。今は核電の事故の影響を強く訴えているが、廃棄物の問題は解決不能な問題なのだから、この問題は核電を止める大きな議論を引き起こすことになるだろう。

・再処理について

韓国はパイロプロセッシング(乾式によるウラン/プルトニウム抽出方法)による再処理を進めようとしていたが、これについても予算をなくす方針だ。もんじゅ中止の影響もあるが、ほとんどの専門家は高速炉の実現性に疑問を持っている。この問題も公論化により取り上げられるだろう。そうすれば白紙になる可能性が高い。
プルトニウムは核爆弾にするしか使い道はないのだから、日本で行われている核燃料サイクルは、一言でいえば税金泥棒が目的だ。多くの国民の目を盗んで、一部の国民の潜在的核保有国になりたいという欲望を餌にして、泥棒を続けていた。日本ではそれに成功したが、私たちは日本からあまりにも多くのことを学び、核燃料サイクルは詐欺だということを知っています。

キム・イクチュン教授
キム・イクチュン教授

・核電輸出について

海外輸出については大統領は妨害しない、と言っている。しかし、核電輸出が韓国経済の助けになっているか、それは検証が必要だ。
UAEに4基輸出したけれど、その契約内容が公開されていない。しかし膨大な技術料を払ったことなどが次第に明らかになってきている。その技術料は政府が半分以上を拠出した。そもそもダンピング輸出なのにUAEにもお金を貸している。
そして万が一事故があれば韓国政府が責任を取るとか、使用済み燃料も韓国へ持ってくるという報道もあった。こうしたことが公開されれば、輸出がなんら利益にならないことがわかる。
大統領は妨害しない、といいましたが、情報を公開することで輸出はできなくなるでしょう。

・脱核の可能性は100%です。

脱核宣言をした国でも、一度決めてまっすぐに進んだ国は少ない。日本も宣言したがひっくりかえった。他の国でもいったり来たりを繰り返しながら進んでいる。
なぜか。国民のほとんどが納得するまで説明を続けなければならない。だから逆に戻ることもある。
しかし、国民の7割以上が賛同するようになれば戻ることはないだろう。
韓国ではこの5年間に国民が賛同するように説明することだ。直近のコリ核電5、6号機の公論化委員会では負けるかもしれない。しかしこの後、5年の間、国民が説得されれば脱核はやめることができない。
一番重要なのは宣伝、教育にかかっていると思っている。
現在の政府は核電の広報を禁止している。今後はそうした予算をなくす。教科書を通じて実体を教えていく。そうすれば勝算があると思う。

このように力強く語った教授は、私たちと早めの夕食をとったのち、近くの会場で核電についての講演会で講師をしていた。そっと覗くと原子炉の図を使って説明しており100名以上の人びとが聞き入っていた。なんともパワフルな人である。

■ サムチョク 核電を止めた町

日本でもそうであるように、韓国でも核電が建設されたところよりも、阻止したところのほうが多い。サムチョクは、そうした町の一つで強い反対運動により核電の建設を阻止した歴史がある。今回最後の現地として訪れたサムチョクはそうした町だった。
迎えてくれたマ・ギョンマンさんは台湾のNNAFにも参加したこともあり、日本語が話せる。

核電白紙化記念塔
核電白紙化記念塔

マさんの車で連れて行ってもらったのが8・29記念公園にある核電白紙化記念塔だ。1991年に核電建設の計画が伝えられると、様々な反対運動が実行され、中でも1993年8月29日に大規模な反対集会が開かれた。そうした運動の結果、ようやく1998年に計画の破棄を正式に認めさせたのだ。それを記念して翌年に作られたのが、この核電白紙化記念塔だった。
しかし、その後2005年には核廃棄物処分場の候補地にされたが、それも住民の反対により跳ねのけた。さらにその後、2011年の末に再び核電の新規立地予定とされてしまっていた。
マさんも反対運動をしてきて、1986年には日本の大学にいっていたこともあり、学生時代にも日本語を勉強していたので日本語が話せるという。
50歳を過ぎて結婚する際、意を決して帰農することとし、いちご農家を始めたという。案内してもらったいちごのビニールハウスは巨大だった。4棟ほどあるビニールハウスは、3重にビニールが張られており、韓国の冬にも耐えられるようになっている。棟ごとに時期をずらして生育するが、植え替える際には、一度、土だけの状態で高温状態を保持することで、病害虫を予防することができ、農薬を使っていないという。

少女と少年とやぎ
少女と少年とやぎ

そして、ビニールハウスの作業場は、画家であるお連れ合いのアトリエでもあった。農作業で働く人々などを主に描画されており、無数のデッサンと油絵があった。

水戸喜代子さんの肖像画
水戸喜代子さんの肖像画

びっくりしたのは、その中に水戸喜代子さんの肖像画とデッサンがあったことだ。聞くと台湾のアジア・フォーラムで知り合い、その後何度かマさんのところを訪れているという。つい、数か月前にも来たという。ちなみにマさんは中国語もできるので、水戸さんとは中国語で話すというのも、なんともインターナショナルである。
その日は脱核巡礼の活動を続けているイ・オクプンさんの家に泊めてもらった。サムチョクの海水浴場に面した海の家のような、夏にはこよなく快適な場所だった。

サムチョクの朝日
サムチョクの朝日

ただ翌朝、たまたま早く目が覚めた私が海に上る日の出の写真を撮っていると、北から南へ、目の前を横切って3人の若い兵士が銃を構えたまま歩いていった。おそらく、脱北者が上陸した形跡がないか確認しているようだった。ここでは当たり前の光景なのかも知れない。しかし、私には改めてこの国の状況を思い知らされた気がした。

 

3人の若い兵士
3人の若い兵士

■ 脱核への舵を握った韓国の人びと

最後の夜にはイ・ホンソク、ユ・ジョンホ、小原つなきというなじみの面々と遅くまで話をした。


イ・ホンソク達もムン・ジェイン大統領の姿勢を評価している。いろいろ問題はあるが、確実に前進しているんだ、という自信を感じた。そもそも核電なんて、どうやったって衰退していくしかないわけで、日本においても脱核は時期の問題でしかない。でも日本にいるとどうも、そういう風に落ち着いて対処することができないのはなぜだろう。


韓国でも大統領が脱核において公約から後退したことを厳しく批判する声も当然ある。日本で同じ状況になれば私もたぶんそう主張するに違いない。しかし、20年来、脱核を目指してきた仲間がこの状況にようやくこぎつけて、その現状を肯定していることは、私には信頼することしかできない。
今回「脱核への舵を切った」ではなく「舵を握った」と表現したのは、強い流れに舵を取られ、脱核への動きが阻まれることも彼らは覚悟しているからだ。しかしそのとき、舵を持つ手にその流れを感じることができるだろう。そしてその手ごたえは、そのあとに再び舵を切る力に繋がっていくはすだ。
そうした民主主義の手ごたえを彼らは感じ取っているのだ。
台湾、そして韓国と脱核へ向かう隣国を知るにつけ、うらやましい、とつい思ってしまう。しかし、それができるのにはちゃんと理由がある。台湾は三か所にしか核電はなく、四か所目は止めている。韓国も集中してはいるが四か所にしか核電はできていない。いずれも独裁政権下で、いやおうもなく建てられてしまった場所だ。民主化が叶ったそのとき、手にした権利がいかに大切なものか、その前の時代を体験したからこそ実感できたのではないだろうか。だからこそ、民主化後、新しい核電立地箇所を台湾、韓国は許していない。
そしてその厳しい時代を招いたことに、日本はもちろん無関係ではない。
チューリップが春、花を点けるのは冬の寒さを耐えたからだという。春の花の美しさだけでなく、その過ごした冬の厳しさをも、もっと学びたいと思った。

※この旅ではキム・ボンニョさんに通訳、運転、コーディネートなど本当にお世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
※ところで本稿ではせっかく韓国のお話ですし、原発のことを核電と表現してみました。意外と違和感ないと思われませんか?

追記:本稿を脱稿した後、公論化委員会による結論が出て、新コリ5,6号機の建設を継続するという報が入ってきた。当然原稿を修正すべきところがあるだろうな、と思って読み返してみたが特にそのような箇所がない。意外に思うと同時に私たちが会った人々はこの結論も想定した上で、進もうとしていたのだと思い当たった。
そういえば、日本から輸出された台湾第四核電の建設がどんどん進んで、死を賭してでも止められないかと私が思い悩んでいたことがあった。そのとき台湾の友人に「建設して儲けるだけ儲けさせて動かさなきゃいいんだよ」と言われて拍子抜けしたことを思い出した。冬を耐えた花に比べて、私はなんて脆弱なんだろう、そう思ったものだった。

ユジンさんの庭の花
ユジンさんの庭の花

とーち(奥田亮)

祈りとデモ行進、毎週22キロ歩く脱核生命平和巡礼5周年

金福女(円仏教環境連帯)      韓国「脱核新聞」12月号より

円仏教環境連帯は、福島の惨事の翌年から毎週月曜日、霊光(ヨングァン)郡役所からハンビット原発まで22kmを歩いている。ハンビット原発の安全性の確保と一日でも早い閉鎖を促す巡礼にこれまで3千人が参加した。262回で、5700kmを超える。

生命平和脱核巡礼5周年の11月27日には、霊光脱核学校のトーク時間に間に合うように二つのチームに分かれて歩いた。

この日は原発で、韓国水力原子力ハンビット原発本部長に手紙を渡すことにした。韓水原は、誰も出てこなくて、巡礼団が直接入ろうとしたら警察を出動させた。5年を持続させた脱核巡礼団の手紙を拒否し、警察を呼ぶ過敏反応に対して、巡礼団は原発正門前に座り込んで、手紙すら断る韓水原ハンビット本部をマイクで糾弾し、手紙の受領を促した。

地震が活発な時期となって、より恐ろしい原発の問題と、巡礼の意義と正当性などをマイクで力説した。1時間半も経って韓水原の地域住民対応チーム長が出てきた。遅く出てきた職員の言い訳が情けなかったが、脱核学校のトークに遅れすぎるので、手紙を渡して町へ帰ってきた。

生命平和のための祈りをあげ脱核を求めて5年をかけた。地球汚染や生命を最も脅かす原発の事故を防ぐ近道は稼動中断である。とくに霊光ハンビット原発は心胆を寒からしめる事件・事故の連続だった。

韓水原に渡した手紙では、どうして蒸気発生器内部にハンマーなど80個の異物があったのか、どうして格納容器に穴ができていたのか、どうしてコンクリートの壁の一部が落ちてしまったのかと追及した。

また、耐震設計は信頼できないこと、原子炉や配管に接続されたタービン建屋は地震に脆弱であることを訴え、処分方法も見つからず積もっていくばかりの使用済み核燃料をどうするのかと問うた。最後は「停止させることこそ、真の勇気である。自然の恵みで生きるすべての生命の名前で、原発の閉鎖を促す」という内容の手紙だった。

149-13

2週間にわたって開催した円仏教霊光脱核学校では巡礼5周年を迎え、円仏教の脱原発運動をふり返り、方向を模索する、3人のトークと住民が参加する話し合いも行なった。

脱原発トークは、円仏教環境連帯の前身と言える天地報徳会事務局長出身のカン・ヘユン教務、大統領府の前で初の「1人デモ」を行なったキム・ソングン教務、「野草手紙 ~ 独房の小さな窓から」の著者でもあるファン・デグォン代表(霊光原発の安全性確保に向けた共同行動)の3人。

カン教務は、霊光の核廃棄場反対の円仏教の先発隊を指揮し、円仏教環境連帯の結成の主役であり巡礼提案者である。キム教務は、「反核国民行動」の共同代表時代に、37日間、大統領府の前で断食した。ファン・デグォン代表は、原発が霊光にあることすら知らずに移住したが、霊光脱核運動の主要人物の一人だ。核廃棄場反対闘争中のエピソード、脱原発をめぐる話は、何時間でも足りない。圧縮して聞くことは残念さが大きかった。

円仏教環境運動の先駆者で去年亡くなったキム・ヒョン教務は、核兵器に劣らない核発電所の弊害を看破して「北朝鮮の核も南韓の核もいけない。世界のどこにも核はいけない」と喝破していた。1986年、チェルノブイリ事故が発生したが、当時の韓国は軍事独裁時代でニュースが制限されていたなかで、反核を力説したキム・ヒョン教務は早くから予言者的な省察で円仏教の反核運動の道を切り開いたと改めてふり返る話し会いでもあった。

住民たちとの話し合いでは、「巡礼道があまりにも索漠として危険なので一般人が一緒にしにくいことから、フルコースにこだわらず、脱原発運動を効率的に拡散するための方策として街頭宣伝戦をくり広げよう」「三つの邑(町)の街頭で講演とかチラシを配って情報を提供するとか、住民と接触を増やそう」などの提案が出た。「どんな天気にも必ず歩いた22キロだったが、今後はいろんな実験的試みを通じて、良い方策を探して定着させよう」と巡礼当事者が答えた。

「どんな方法であれ、環境と平和と統一を追求しなければならない。私たちは、求道人・円満人・開闢人・調和人である。この中に生命と平和もある。5年間の功徳が消えないように巡礼は続けなければならない」とのイ・ソンチョ円仏教霊光教区長のことばで話し合いは終った。

「変化が必要であり、方式を変えよう」といういくつかの提案に応えて、円仏教生命平和脱核巡礼がどう続くか、6年目の課題だ。

149-15

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信149号
(12月20日発行、B5-32p)もくじ

・広島高裁、伊方原発の運転停止命じる ― 弁護団・声明
・浦項地震後、韓国の東南圏の原発稼動中止要求高まる(ヨン・ソンロク)
・祈りとデモ行進、毎週22キロ歩く脱核生命平和巡礼5周年(金福女)
・インド・チュッカからの訴え ― 再び住民を強制移住させる、ナルマダ渓谷での原発計画への抗議キャンペーンに支援を(ラジクマール・シンハ)
・バングラデシュのルプール原発が本格着工
・トルコ南部、アックユ原発への反対運動(プナール・テモジン)
・反核WSF・COP23対抗アクションに参加して(寺本勉)
・ICANのノーベル賞受賞と北朝鮮問題(田中良明)
・核のゴミと福井県(若泉政人)
・玄海原発再稼働をめぐる佐賀の状況について(豊島耕一)
・[声明]日本原電による、老朽化した東海第二原発をさらに20年延長して運転させるという「申請書提出」に抗議します(東海第2原発の再稼働を止める会)
・子ども脱被ばく裁判・原告陳述(荒木田岳)
・またもや 安全神話の時代に まっしぐらか!(水戸喜世子)
・原発メーカー訴訟の控訴審判決を受けて(大久保徹夫)
・NNAF全記録DVD(安藤丈将)
・トルコ・反原発ドキュメンタリー映画制作支援金ありがとうございました

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韓国ウルサンで全国集中脱原発アクション、通りを埋め尽くした「原発ではなく安全」の声

ウルサンで全国集中脱原発アクション、通りを埋め尽くした「原発ではなく安全」の声
~10000人あまりの市民が9月9日の脱原発パレードで新コリ5,6号機白紙撤回要求、10月にはソウルで第2次アクションも~
「民衆の声」9月9日、キム・ボソン記者

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全国の市民が「原発ではなく安全」のスローガンを掲げ、原発密集地帯のウルサンに集結、脱原発を熱く叫んだ。全国の市民団体で構成される「安全な世界のための新コリ5,6号機白紙撤回市民アクション」とウルサンの市民団体は9日、ウルサン地域一帯で延べ1万人あまりの市民(主催者推計)が一堂に会し、パレード、集会、コンサートと3部からなる多種多様なイベントを開いた。

午後3時、ウルサン文化芸術会館からスタートしたパレードでは、様々なアート作品が視線を集めた。韓国の伝統的な農楽隊20名あまりがパレードの先頭に立ち、3つの頭を持つタカ(韓国伝統の霊獣)、平和の蝶、脱原発かかし、コウノトリ、ヘラサギ、津波など多彩なファッションをまとった参加者たちが後に続いた。マーチのために全国から集まった参加者たちは「新コリ5,6号機を即座に白紙撤回し、脱原発の公約を履行せよ」と声を上げた。

4時から5時まではロッテデパートの前で「新コリ5,6号機白紙撤回のための脱原発大会」が開催された。最前列には送電塔建設反対闘争を先導したミリャンのおばあさんが陣取り、拍手を受けた。大会が始まると、ステージにあがった市民団体、宗教界、政党の代表は「原発は歴史上最も危険な物質を傲慢にも取り扱い、その結果数回にわたり人類的な災害をもたらした最悪の施設」とし「すでに世界最多の原発が集まるプサン、ウルサン、慶尚南道に再び2基を建設するのは災害だ」と発言した。また「新コリ5,6号機を建設せずとも電力需給に何の問題もない。脱原発への転換により、安心で危険を受け継がない社会、持続可能な豊かさをめざした社会を現実に作ろう」と訴えた。

イベントの締めくくりは「太陽と風の国」脱原発コンサートだ。5時から同じ場所で、昨年の冬を熱くしたソウルの光化門広場を再現したステージが2時間くり広げられた。ステージには歌手のジョン・イングォン、クライング・ナット、アン・チファン、イム・ジョンドク、音楽グループ・ウリナラなどが登場し、会場のボルテージを上げた。新コリ5,6号機の白紙撤回と脱原発をめざした市民の熱望は来月ソウルへ引きつがれる。10月14日ソウルで第2次全国市民アクションが開催される予定だ。

一方、新コリ5,6号機の工事継続を主張する韓国水力原子力の労組など原発推進団体も、同日午後1時からウルサンの太和江駅で「死守せよ!新コリ5,6号機」集会を開き、大規模なデモを行なった。原発に賛成する近隣住民や組合員とその家族、協力企業の職員らが主に参加したこの集会で「新コリ5,6号機建設中断に決死反対だ」とし「原子力はエネルギーの屋台骨であり、原子力がなければ新エネルギーや代替エネルギーも意味がない」と主張した。キム・ビョンギ韓国水力原子力労組委員長、イ・サンデ新コリ5,6号機中断反対汎蔚州郡民対策委員長らは断髪も辞さないと決意を高めた。 (翻訳:慶北大学大学院・高野聡)

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脱核への舵を取った韓国の人びと(とーち)

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動かないままのクレ―ンたち。新コリ原発5・6号機は建設中断中

脱核への舵を取った韓国の人びと (前編)
とーち(奥田亮)

8月10日から15日まで、佐藤大介さんとともに韓国を訪れた。案内・通訳でキム・ボンニョさんに大変お世話になった。

ムン・ジェイン大統領が脱原発宣言をして2か月ほど。しかし脱原発宣言とはいうもののそこには多くの課題が含まれている。

建設現地の人々に白紙撤回すると約束していた新コリ原発5・6号機は、3ケ月間の公開討論(公論化委員会が管理)を行なった後に結論を出す、また工事を中断するとしていた完成間近の3基の原発は完成させ、設計寿命まで運転を認めるという。

2079年という未来にようやく脱原発が実現するというこの政策が、脱原発の名に値するのか、私には疑問に思えた。

が、同時に、本気で実現するための戦略的なものである可能性を期待したい期待ももちろんあった。

そしてこれまで激烈な闘いを続けてきた韓国の人々は、本心ではこれをどうとらえているのだろうか。

今回はその旅の速報として、お会いした大統領の核政策ブレインの一人である東国大のキム・イクチュン教授の話の一部をまずお伝えしたい。

■ 一貫している大統領の脱原発政策

キム・イクチュン氏によると、朴槿恵に敗北した2012年の大統領選挙の前、ムン・ジェイン氏は東日本大震災後の日本を訪れ、そこで脱原発を公約にすると発表したという。しかし帰国後、多くの批判にさらされることになり、キム氏に電話をかけてきた。いたずら電話かと疑って何度も確認したのち要件を聞くと、脱原発公約が選挙戦の攻撃材料にされているので、防御してほしい、ということだった。キム氏は二つ返事でそれを引き受け、今に至っている。

よく、ブレインの作ったウケのよい公約として脱原発を述べているだけではないか、と言われることがあるが、それは全く当たっていない。2012年から彼自身の考えで脱原発に至り、今ではそれがさらに強固になっていると思われる。そして、それはムン・ジェイン氏の自宅と関係がある。

■ 大統領の故郷と慶州地震

ムン・ジェイン氏の自宅はヤンサンで、コリ原発から20kmしか離れていない。母親は今もヤンサンに住んでおり、いわば原発現地を故郷に持っているといえる。

だからこそ2016年9月の慶州地震のとき、地震の2時間後に、翌日ウォルソン原発に行きたいとキム氏に電話をかけてきた。そして実際、翌日いっしょに訪れた。国会議員の中で一番早くかけつけた議員となった。

その際、地震計の測定値などの報告を受けたが、最も大きな地震による加速度を計測したのは1号機だった。

しかし、のちにこの1号機の2つある地震計のうち、1つは壊れていたことがわかる。ムン・ジェイン氏が訪れたときにはその事実を隠していたのだ。

ムン・ジェイン氏はそういう経験を積み重ねて、前回あれほど攻撃材料とされた脱原発を再び公約に掲げて、そして勝ったのです、とキム氏は語った。

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ウォルソン原発。寿命の1号機、廃炉になるか

■ 脱核への舵を取った韓国のひとびと

ムン・ジェイン氏自身が脱原発を志向しているという指摘は、その後他の人からも聞くことができた。

そのように大統領のエピソードを聞いているうち、私も彼が実現可能な脱核の道を模索しているのだと思えてきた。

そしてなにより彼を選択したことで、この国を脱核へと向かう舵を握っていることに、人々が改めて気が付いた、そのことこそが、もっとも重要な脱核への道のはじまりではないか、と思えた。

*後編のお知らせ
マグニチュード5.8の慶州地震を体験したウォルソン原発近くの住民のお話、その原発のPR館の前でテントを張って抗議を続ける方の声、写真家チャン・ヨンシク氏とともに新コリ原発を間近に撮影し、間近すぎて、警備会社の車がやってきたりなんかして、そして民主化闘争を経て中東、中国、日本と渡り歩きサムチョクで原発反対を続けながら、帰農して大規模イチゴハウスを経営する型破りな人、さらにNNAFではおなじみのイ・ホンソク氏らとの密談などなど、お楽しみに。

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サムチョク原発白紙化記念塔

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.147より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信147号(8月20日発行、B5-28p)もくじ

・脱核への舵を取った韓国の人びと(とーち)
・ムン・ジェイン大統領の脱原発宣言
・韓国で原爆被害者が、米国政府らに民事調停請求、原爆資料館も開館
(高野聡)
・トルコ・反原発ドキュメンタリー映画「ニュークリア・アラトゥルカ」制作を支援して下さい(Nuclear alla Turca Documentary Film Project)
・原住民の日に全島で旗を掲げ、核廃棄物をランユ島から搬出するよう求める
(蘭嶼青年行動聯盟)
・高レベル処分場「適地マップ」公表される(末田一秀)
・メーカー訴訟原告のみなさまへ(笠原一浩)
・刑事裁判が始まった - 明らかになる証拠
支援団に結集し、公正な裁判を求めよう!(佐藤和良)
・北朝鮮のミサイルを唯一の申立理由とする原発運転差止め仮処分
・《声明》誰も安全を確認しない原発輸出の無責任体制(FoE Japanほか)
・「ジャドゥゴダ・ウラン鉱山、ゆっくりと蝕む暴力」について(福永正明)
・NNAF全記録DVD (渡田正弘・小木曾茂子)

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盈徳(ヨンドク)郡守、「原発建設関連業務、中断」決定

11月7日、盈徳郡庁に 盈徳郡議会、慶尚北道議員、そして40あまりの社会団体の代表者が集まり、イ・ヒジン盈徳郡守は、「地質安全性が検証されるまで原発建設に関連する一切の業務を中断する」とする記者会見を開いた。
11月7日、盈徳郡庁に 盈徳郡議会、慶尚北道議員、そして40あまりの社会団体の代表者が集まり、イ・ヒジン盈徳郡守は、「地質安全性が検証されるまで原発建設に関連する一切の業務を中断する」とする記者会見を開いた。

盈徳郡守、「原発建設関連業務、中断」決定

- パク・ヘリョン(盈徳核発電所反対汎郡民連帯) 「脱核新聞」11月号より

イ・ヒジン盈徳(ヨンドク)郡守は11月7日、記者会見を開き、「地質の安全性が検証されるまで、原発建設と関連する一切の業務を中断する」ことを明らかにした。記者会見には、盈徳郡議員、慶尚北道議員、そして40以上の社会団体の代表が参加した。

イ・ヒジン盈徳郡守は、9月に慶州で起きた地震によって盈徳郡民の不安が極度に高まったとし、原発誘致申請の当時、韓国水力原子力株式会社が示した安全の根拠を公開するよう求めた。中央政府に対して迅速な地質調査を要求し、その結果が出るまでは建設推進を中断、また、慶州地震の以前に政府が調査したヤンサン活断層の地質調査の結果を公表することを要求した。

イ・ヒジン盈徳郡守は、安全なはずの盈徳が慶州付近で発生した地震によってなぜ震動したのか、なぜ、郡民が家の外に飛び出さなければならないほど揺れたのかについて問うている。「今、一番大切なことは、私たち郡民の安全のみである」という内容の記者会見文で、イ・ヒジン盈徳郡守は「経済的理由のために不安を甘んじた2010年の状況と現在とは全く異なる」と主張した。

■ 盈徳郡守の決定を導いた「盈徳郡発展疎通委員会」の議決

イ・ヒジン盈徳郡守の公約によって作られた盈徳郡発展疎通委員会(以下、疎通委)は、10月13日、第7次臨時会で「政府が推進する盈徳原発建設の安全に対する私たちの見解」という緊急懸案を議決し、盈徳郡守にこれを公式意見として建議した。疎通委は「政府が推進する総合的な地質研究結果に依拠した確実な代案が準備されるまでは、現在進行中の原発建設に関連するすべての行為を中断し留保する」という内容で決議した。

これは、9月12日に慶州で起きた地震が1978年の気象庁による地震観測の開始以来、最大規模であるマグニチュード5.8の強震であるという点と、原発の申請当時の「盈徳は地震帯とは無関係」という認識がつぶれ、状況が大きく変化したことを反映した決定であると考えられている。

■ 最近の世論調査で、盈徳の民心を再び確認

10月18日、週刊誌が、盈徳原発建設の賛否を問う郡民世論調査の結果を発表した。結果は、「保留または廃棄」が60.5%、「予定通り推進」が25.5%で、原発建設に対する否定的な世論が広がっていることがわかる。また、原発建設の推進条件としては「総合的な地質調査に依拠した代案の準備が前提として示されなければならない」という項目が29.8%で一番多かった。世論調査の質問が偏頗的であったにもかかわらず、「反対」の比率が高く出たことは、今回の地震による盈徳住民の不安がどれほど大きいかを表している。

■ 住民投票の力、一年ぶりにその結実を見る!

こうした決定の最も大きな原動力は、昨年2015年11月11~12日に行なった「盈徳原発誘致の賛否を問う自主住民投票」だ。当時、10,274名の盈徳郡民が誘致反対に票を投じ、賛成は865名にしか及ばなかった。91.7%が原発誘致に反対したのだ。1年前の住民投票の主要な要求は「盈徳原発誘致撤廃、原発のない清浄な盈徳」だった。1年が過ぎた今、イ・ヒジン盈徳郡守は住民の要求に応えようとしている。

彼は「地質調査の結果が透明に公開された後には、原発申請当時とは異なり、必ず多様な方法で郡民の意見を聞き、その意に沿った手続きをふみたい」としている。これは、原発の誘致申請を事実上原点に戻すということを意味している。

■ 盈徳住民の要求は「白紙化」

盈徳原発反対汎郡民連帯は11月7日、声明書で「もう一歩踏み出して、地質調査とは無関係に、原発の危険性を認識した住民の決定を、より電撃的に認めること」を要求した。なぜなら、住民の安全のために最善を尽くすことは、盈徳への新規原発計画を白紙化することであり、それが完全な民意の反映であるからだ。盈徳郡守が住民の真意を受け、10大事業の全面拒否と白紙化を宣言することを見守りたい。住民は、盈徳郡議会がより積極的な立場表明をすることを期待している。

盈徳原発反対汎郡民連帯は、政府が盈徳原発指定告示撤回と建設計画の白紙化を宣言するよう要求し、これからも活動を続けていくことを明らかにした。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.143より)

10月17日、「盈徳核発電所反対汎郡民連帯」は、盈徳郡発展疎通委員会の盈徳原発誘致に係る業務の中断要求議決を歓迎し、イ・ヒジン盈徳郡守の原発誘致撤回の要求と産業通商資源部の盈徳原発指定告示撤回を求める記者会見を開いた。
10月17日、「盈徳核発電所反対汎郡民連帯」は、盈徳郡発展疎通委員会の盈徳原発誘致に係る業務の中断要求議決を歓迎し、イ・ヒジン盈徳郡守の原発誘致撤回の要求と産業通商資源部の盈徳原発指定告示撤回を求める記者会見を開いた。

広瀬隆、韓国で巡回講演「地震帯の原発の危険を語る」

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広瀬隆、韓国で巡回講演「地震帯の原発の危険を語る」

- キム・ボンニョ(円仏教環境連帯)

韓国では試運転1基を含めて25基の原発が運転中である。9月12日、月城(ウォルソン)原発6基が動いている慶州(キョンジュ)でマグニチュード5.8の内陸地震が発生した。韓国の全地域で揺れを感知するほどの地震で、慶州への観光客が激減して観光業界が打撃を受けている。

正義党と円仏教環境連帯などは、広瀬隆さんを招待して10月24日から29日まで、国会議員会館・ウルサン・慶州・釜山で「地震帯に乗っている原発 - 韓国で地震発生、原発は大丈夫なのか」巡回講演会を行なった。

「阪神大地震の時から地殻変動期に入っているので、韓国でも地震が起きる。釜山・ウルサン・慶州辺りでは60くらいの活断層があり、マグニチュード7程度の地震がほぼ間違いなく起きる。大きい直下地震では耐震設計も意味がないし、韓国の原子炉の耐震基準は196ガルに過ぎない」「段差7メートルの大地震の痕跡が慶州にあるが、これは地震大国である日本の最大段差6メートルより大きいものだ」「2012年に梁山(ヤンサン)断層が活断層だということを確認したにもかかわらず、当局は隠蔽した。原発周辺人口密集度世界一で、大地震発生10分後に地震を知らせる国、大地震で原発事故が起きたら、みなさんは避難できるのか・・・」

原発現地では、広瀬さんがパワーポイントの画面をかえるたびに、聴衆から嘆きと溜め息がでた。ウルサンのある女性は、広瀬さんの講演の映像を60個のUSBにコピーして朴クネ退陣デモの上京バスへ渡して見せた。

韓国で地震関連の大衆講演会は初めてで、ハンギョレ新聞と釜山日報は広瀬さんのインタビューを大きく報道し、地方テレビ放送と脱核新聞や、オーマイニュースなどネット上の媒体でも講演の内容が紹介された。

一週間後ソウルで開かれた国際エネルギーシンポジウムで、ソウル市長は、月城原発6基と釜山の古里原発6基の運転中断要請宣言を出した。その数日後には、元郡長が新規原発を誘致したヨンドク郡の郡長が、原発建設推進業務を中断するという宣言をした。

これらの動きは、止まらない余震と広瀬さんの講演の影響だと思う。地震警告のための訪韓は成功したと思う。しかし、原発ゼロになるまでは安心できない毎日である。

「地震や津波は天災だが、原発震災は人災である」という広瀬さんのことばが忘れられない。

この文章を書きながら朴クネの弾劾案が通過したというニュースを聞いた。韓国語で弾劾と脱核の発音はほぼ同じである。「弾劾を越え脱核へ!」「やられる前に脱核!」。土曜日の明日、また広場で掲げる横断幕だ。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.143より)

●広瀬隆、韓国で10月、連続講演会(国会、慶州、ウルサン、プサン)
「地震帯上の原発、その危険を語る」(同時通訳はキム・ボンニョさん

・国会議員会館での講演2時間の映像。1分20秒以降は日本語で聞けます
https://drive.google.com/file/d/0BzZ4y6DIL7m4MzU4VXNZYmZsQ3M/view

・プサンでの講演2時間の映像。韓国語と日本語、両方で聞けます
https://www.youtube.com/watch?v=UVNjxR0cNzw

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信143号(12月20日発行、B5-26p)もくじ

●国会は日印原子力協定を承認してはいけない!

●「日印原子力協力協定」に反対する共同アピール

●「日印原子力協定阻止キャンペーン2016」 11月の活動 (松久保肇)

●広島市長、長崎市長が、日印原子力協定 交渉中止を要求

●インドの新聞に掲載「福島の女たちからモディ首相への手紙」

●日印原子力協定について (原発ゼロの会)

●ベトナムの原発計画:中止のワケ (吉井美知子)

●広瀬隆、韓国で巡回講演「地震帯の原発の危険を語る」(キム・ボンニョ)

●盈德郡守、「原発業務推進、中断」決定 (パク・ヘリョン)

●東電賠償・廃炉費用、老朽炉廃炉費用の託送料金上乗せについて (原発ゼロの会)

●みんなが米山って書いたから、10月16日は脱原発記念日 (小木曾茂子)

●柏崎原発現地でも「再稼働反対」が過半数に! (矢部忠夫)

●泊原発再稼働阻止・大間原発建設反対10月集中行動 (佐藤英行)

●闘争の歴史を次世代に伝える - 海山原発闘争勝利15周年記念集会 (柴原洋一)

●原発メーカー訴訟原告団設立 (大久保徹夫)

年6回発行です。購読料(年2000円)
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★NNAF通信・主要掲載記事(No.1~143) http://www.nonukesasiaforum.org/jp/keisaikiji.htm

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm