写真展「原発とたたかうトルコの人々-日本の原発輸出、現地の声は?」

日本が原発輸出を計画するトルコでは、原発への反対運動が40年以上続いています。トルコの人々はチェルノブイリ原発事故による深刻な汚染被害も経験しており、原発に厳しい目を向けています。
原発
に反対するトルコの人々の声や運動の様子を、写真や説明パネルの展示を通じて紹介します。
トルコ写真展チラシ
9 1130
会場:立命館大学国際平和ミュージアム2 階常設展示室内(京都市北区等持院北町56-1
開館時間:9 30 分~16 30 分  見学資料費:大人400
主催:森山拓也
共催:立命館大学国際平和ミュージアム
協力:ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン

 

 

「福島原発事故体験者・木幡ますみと過ごした5日間」

Pınar Demircan プナール・デミルジャン(Yeşil Gazete 4月29日)

4月22日、トルコ・シノップ、野外記者会見。木幡ますみさん、プナール・デミルジャンさん

福島原発事故の影響は7年間続いており、10年後も、そしておそらく何百年後も続く、人間が引き起こした悲劇だ。この悲劇が起きたとき、原発からわずか6kmの距離で家族と共に暮らしていた木幡ますみが、体験を伝えるためにトルコを訪問し、チェルノブイリ原発事故32周年のイベントに参加した。No Nukes Asia Forum Japanとnukleersiz.orgが協力して準備し、シノップでシノップ反核プラットフォーム、サムスンで電気技師会議所と建築家会議所、イスタンブールでは電気技師会議所の主催するイベントで講演を行なった。木幡ますみは、福島原発事故の体験を話し、トルコで建設が予定されている原発について警告した。

福島原発事故経験者の木幡ますみが福島での体験を伝えるための5日間のイベントに、原子力物理学者のハイレッティン・クルチュ教授をはじめ地元の様々な団体や個人が参加した。木幡ますみは「福島原発事故を起こした国が他国に原発を輸出しようとする企てが恥ずかしい」「日本政府は使えない技術をトルコへ売りつけようとしている」と述べた。

世界で2番目に大きな原発事故を経験した木幡ますみ、2011年3月11日に起きた地震と津波から7年が経った今も、放射能汚染のため生活が完全に変わってしまった人々、14年と15年に緑の思想協会とNükleersiz.orgから2度招かれ、昨年もトルコ弁護士会環境都市委員会が企画した「原子力と法シンポジウム」で講演した守田敏也などトルコを訪れてくれた人たち、原発輸出に反対する日本人たち、映像作家の丹下紘希のような人々が、私たちに、「どうか、原発を建てるという考えに慣れないでください」と警告している。

全ての話が悲劇だ。家々を捨てなければならなかった日の体験へと話を移す。

「あの日」

福島では2011年3月11日のことを「あの日」と言う。木幡ますみが忘れることのできない光景は、住民が避難した日の光景だ。避難しようとする人々で道が渋滞し、身動きがとれなかった。

「トルコで原発を建設する者たちは、道路に関心を寄せていない」
「パニック状態でした。あの日を忘れることができません」

木幡ますみは、シノップの道路が緊急時避難のために十分でないことから、原発建設を決定した者たちは避難について重視していないと述べた。

驚くべきことではない。なぜなら、アックユ原発の環境影響評価レポートでは、緊急時の避難計画が話題にもなっておらず、専門家調査で話題にあげても真剣に議論されなかった。

「原発事故が起きたことで人生が変わりました」

福島原発から6kmの大熊町で夫と共に農業と塾を経営していた木幡ますみの生活は、原発事故によって完全に変わってしまった。原子炉で爆発が起きてからそこは避難区域となり、11km先の体育館へ避難させられた。しかし体育館のインフラは大勢の避難者のために十分ではなく、水道が使えず、道路も壊れており外から水や食料を運ぶこともできなかった。木幡ますみはその後、夫と共に100km離れた会津若松市へ移った。

「病気になった人や自殺した人が大勢いる」

救助活動が十分に行なえずに亡くなった人、避難先の劣悪な環境や被曝のために自殺した人、避難中に薬が飲めずに病気が悪化して亡くなった人の合計は2227名だが、実際はこの2~3倍ではないかと予想される。

腎臓を一つ、夫に移植した

原発事故前に治療を受けていた木幡ますみの夫は、長い避難生活で薬を飲むことができず、きれいな水も飲むことができなかった。一つの腎臓だけでは生活が難しくなり、残っている腎臓も摘出しなければならなくなった。夫に腎臓を一つ与えたと話す木幡ますみの目は笑っていた。

「原発事故を予想していた」

木幡ますみは、結婚して夫が住む大熊町に来てから、福島原発を見てきた。何度も「原発モニター」に応募したが叶わなかった。しかし2005年に委員長が交代し、「原発モニター」に就任することができた。たとえば、津波を防ぐ防波堤が低いことや、非常用発電機の設置場所が適切ではないことなどを指摘した。しかし回答はいつも同じで、「予算がない」と言われた。提案は予算不足という理由で東京電力の経営陣によって拒否された。木幡ますみはこのときに、原発には他にも問題があり、放射能漏れや欠陥が人々から隠されていると主張していた。

「そんなことをすれば大変なことになる」

木幡ますみは、福島原発に関する決定を行なう者たちや国に対して苦しい闘いを行なっている。町議会議員として、除染活動などについての決定にも関わっている。たとえば、貯蔵タンクに集めた100万トンの放射能汚染水を海へ流すことに対し、「そのようなことをすれば大変なことになる」と言った。

「私が死んでも、自殺ではありません」

福島原発から7年間、海へ毎日流れる放射能汚染水は、カリフォルニアの海岸まで届いた。これには世界中が注目している。

13人の町議会議員のうち、原発に反対なのは木幡一人だけだ。原発事故が起きても、国の政策に反対する勇気を持たないのだ。

原発のリスクと危険性について話し、様々な地域で放射能汚染の恐ろしさを説明して真実を語り、原発再稼働や原発輸出に反対する木幡ますみは、批判されることも多い。それを気にせず、世界に真実を伝える木幡は、友人たちにこう伝えている。「私の話すことを不快に思う者が大勢いる。もし私が死んだら、自殺だとは思わないでください」

「政府は放射性物質に汚染された地域への帰還を呼びかけている」

木幡ますみが最も怒っていることは、東京電力と政府が放射能汚染はないと主張して人々を自宅に戻そうとしていることだ。2020年の東京オリンピックのために、福島の放射能汚染は終わり、全てが通常に戻ったという国際的プロパガンダが行なわれている。しかし、大熊町を含め原発から近い地域の放射線量は通常の10倍から100倍に達する。なぜなら、放射性物質がほぼなくなるまで何百年もかかるのだ。以前に農業を行なっていた木幡は、大熊町では二度と米や野菜、果物を育てられないことを悲しげに話した。

緊急時の強制労働

毎日、5000人の労働者が原発内で収束作業をしている。木幡ますみは、原発事故後に被曝労働に従事したくないため逃げた労働者が脅しによって原発へ戻されたと説明した。

新しく建てられた学校でも似たようなことが起きている。役所の職員の子供が、汚染区域にある学校へ避難先の家から強制的に通わされている。

「家畜を自分の手で殺した」

福島原発事故のもう一つの悲惨な結果は、福島は農業の盛んな地域だったため、人々は家畜を持っており、それらを捨てなければならなかったことだ。地域に入ることが禁止されたため、長期間、家に戻って家畜の世話をすることができなかった。さらに、ひもでつながれたり、小屋の中に残されたまま、家畜たちは逃げ出すことができず餓死した。原発事故の発生からしばらく後、家畜の世話のために一時帰宅した人の中には、被曝した家畜に毒を与えて殺さなければならなかった者もいる。木幡ますみは「私の犬と猫も放射能の犠牲となった」と言った。

「ああ、あの山と森」

原発の爆発により放射能汚染された山と森は除染が不可能なため、永久に危険なままである。風や雨によって放射性物質は移動する。木幡ますみはこのように表現した。「この状況で政府は私たちを山のふもとの家に戻そうとしている。しかし、私は抵抗します。このようなシステムに反対するために元気でいる必要があります」

「漁業はもうできない。放射線測定のために魚を捕っている」

福島県の浜通り地区では漁業に従事する者が多かったが、全てが変わってしまい、漁師たちは職業を変えるか漁業のために他の地域へ移ったと木幡ますみは説明した。

木幡ますみがくり返し語るのを辛抱強く聞く。なぜなら、彼女の経験を私たちは誰ひとり経験していない。彼女をトルコへ招いたのも、彼女の経験したことをくり返さないため、彼女の経験したことの原因を説明するため、悲劇から教訓を得るためである。

「原発の建設を許さないでください。最後に泣くのはあなたたちです」

これは前にも聞いたことだ。決して忘れられない警告は、私が日本を訪問したとき、ある女性が話した「これらはすべて、私たちが政治家に任せきりにしたから起きた」という言葉だ。別の一人は、「一つ原発が建てば、さらに建設が続く」と言った。既存の原子炉の隣に新しい原子炉を加えることは法的インフラの面で整備が簡単であり、世論でも議題となりにくいため、政権にとって都合がよい。

「最も安全な原発は、建てられなかった原発だ」

商業原発を持たないトルコで、どの方向へステップが踏まれるのか?

ここ2年で、アックユ原発の環境影響評価に対して市民社会が訴えた裁判で、法が政権によっていかに取り除かれたのかを見てきた。

次の選挙は、原発建設に関する政治決定に影響することが確実だ。したがって、誰に投票するのか、重要性は大きい。

福島原発事故から得た教訓は、最も安全な原発は、建てられなかった原発だということだ。

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■ シノップ反原発集会に禁止令

シノップで続けられてきた反原発集会が内務省によって初めて禁止された。シノップではチェルノブイリ原発事故のあった4月26日に合わせ、毎年4月下旬に大規模な反原発集会が開催されてきた。今年もシノップ反核プラットフォームの呼びかけで4月22日に反原発集会が計画されていた。

4月19日、内務省はシノップ反原発集会の禁止を命じた。禁止の明確な理由は示されなかった。

前日の18日にはエルドアン大統領が、2019年11月に実施予定だった大統領選挙と議会選挙を、1年半前倒しで6月24日に実施する方針を示した。

昨年4月に行なわれた国民投票で、行政権限を大統領に集中させ議院内閣制から実権大統領制に移行するための憲法改正が決まった。次の大統領選挙で当選した候補は初の実権型大統領となる。シノップ反原発集会の禁止は、選挙に向けて政権への反対派が勢いづくのを防ぐ意図があると考えられる。集会の禁止と合わせ、集会前日にシノップで開催が予定されていた木幡ますみさんによる福島の現状についての講演会も禁止された。

集会の禁止を受け、シノップ反核プラットフォームは22日の集会当日にシノップ中心の広場で抗議の記者会見を行なった。記者会見には野党・共和人民党の国会議員をはじめ、300人ほどが集まった。会見では木幡ますみさんも福島の現状を報告し、原発に反対するメッセージを語った。同日にイスタンブールとメルスィンでも、反核プラットフォームや環境団体が原発に反対する記者会見を行なった。4月26日にはアックユ原発から近い北キプロス・トルコ共和国の首都でもアックユ原発への抗議行動が行なわれた。
(トルコ現地紙からのまとめ)

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■ イスタンブール反核プラットフォーム・声明
2018年4月22日

チェルノブイリ原発事故32周年にシノップで開催が予定されていた集会とシンポジウムが、内務省によって「挑発行為と安全」の理由によって禁止されました。シノップ反核プラットフォームの呼びかけに応じてトルコ各地からシノップへ向かおうとした原発反対派は妨害を受けました。

シノップで13年間続いてきた「シノップに原発はいらない」集会を禁止した内務省の決定は受け入れられません。

資本を代表する公正発展党(AKP)政権は、アックユ原発の派手な起工式(4月3日)を行ない、ノーベル賞受賞者のアズィズ・サンジャルを使ったテレビ広告によって原発のメリットを宣伝し、原発事業を推し進めようとしています。シノップ原発の市民公聴会(2月6日)では、原発に反対するシノップ住民の参加が暴力を用いて妨害されました。

似たような圧力と妨害は、アックユ原発の環境影響評価レポートの結果に反対する司法プロセスでも絶え間なく続いています。トルコを核の暗闇にとどめようとする者たちに反対する声を、これまでよりもさらに強める必要があります。

1986年4月26日以来、チェルノブイリ原発事故による汚染、死者の増加、破壊は続いています。今もここで続き、さらに何世代にもわたって続くこの災害と、変わらない考え方に対して抗議するために私たちは集まりました。

32年にわたって語られてきた「原発に関する嘘」を信じていないと叫ぶために、
私たちは集まりました。そして、どんな妨害や圧力があろうとも、原発を建設させません。

チェルノブイリ原発事故から32年の今、ジェラーテッペ、イスタンブール北部森林、ファトサ、アラクル、ムンズル、フルトゥナ、チャナッカレ、バルトゥンなど各地で自然環境と生活環境を脅威にさらす開発に、生活環境や公有地を企業に売り渡すための法案に、「エネルギーと発展」についての嘘に、自然環境の破壊に、反対します。

私たちの全ての権利を行使して、アックユ、シノップ、イイネアダで、原発を受け入れません。
(以上すべての翻訳:森山拓也)

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.152より)

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■ ノーニュークス・アジアフォーラム通信(No.1~144)
■ ストップ原発輸出キャペーン通信
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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信152号(6月20日発行、B5-28p)もくじ

・「福島の声をトルコへ」トルコ訪問報告(木幡ますみ)
・「福島原発事故体験者・木幡ますみと過ごした5日間」(プナール・デミルジャン)
・シノップ反原発集会に禁止令
・イスタンブール反核プラットフォーム・声明
・2018年トルコ総選挙 各党の原発政策(森山拓也)
・誰のための原発輸出? 日英市民に押し付けられるコストとリスク(深草亜悠美)
・人々の命より生産性を優先させるのか?
バングラデシュの原発開発の問題点(モヒミーン・レイエス)
・インドとパキスタンよ 今すぐ核兵器を放棄せよ!
核実験から20年目の市民アピール
・インドネシア・西ジャワ州チレボンおよびインドラマユ石炭火力発電所への
日本の公的融資停止を求める国際要請書を日本政府に提出(波多江秀枝)
・「とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会」結成(柳田真)

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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) https://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

「福島の声をトルコへ」― トルコ訪問報告 ―

木幡ますみ (6.2大阪集会での報告より抜粋、構成)

4月25日、イスタンブール

<日程>
4月21日 シノップ原発建設予定地へ
22日 シノップ集会中止・抗議の野外記者会見
23日 サムスンで講演会
24日 イスタンブールでラジオ出演
25日 イスタンブールで公開記者会見

■ 4月21日

シノップでの、21日の私の講演会と、22日の大集会・デモが、政府・内務省の19日の命令で中止させられたとのことで、入国を拒否されるのではないかと心配していました。しかし入国審査では、カウンターの高さがとても高いので、身長の低い私が飛び跳ねながら審査を受けようとする姿を見て、係の人が笑顔で入国手続きをしてくれました。

プナール・デミルジャンさん、森山拓也さん、佐藤大介さんと私は、イスタンブールから国内線の飛行機で、トルコ北部、黒海沿岸のシノップへ行きました。

チェルノブイリ事故の放射能が降り注いだシノップでは、2006年以降、毎年4月、原発建設反対の大集会・デモが行なわれてきました。2015年は4万人が参加したそうです。

昼ごろシノップの市街地に到着しました。シノップ市は人口約5万人、シノップ県では約20万人です。まずメティン・ギュルブズさん夫婦が経営する小さいけどすごくステキなホテルに荷物をおろしました。メティンさんは、SNKP(Sinop Nükleer Karşıtı Platform/シノップ反核プラットフォーム)のメンバーで、2年前、福島で行なったノーニュークス・アジアフォーラムに、プナールさんとともに参加した方です。

シノップは漁業町です。漁港には漁船がたくさん並んでいます。すぐそばに、市街地があり、ホテルやレストランや魚屋さんがあります。私は、3.11までにぎやかだった浪江町の請戸漁港を思い出しました。思い返せば、とてもぜいたくなことでした。双葉郡ではサケがたくさんとれます。とれすぎるとおすそ分けでたくさんもらって、ご飯のおかずにしても、味噌汁にしても食べきれず、「しゃけ、いらないよねえ」なんて言ったりするほどでした。もう絶対に戻ってこない暮らしです。

原発建設予定地

私たち4人と、SNKPのメンバー6人は、市街地から約15キロの原発建設予定地に、車で行きました。

周辺に自然保護地域も存在する、たいへん美しい地域なんですが、国有林の木が200万本も伐採されていて、無残な風景でした。森山さんが「1年前に来たときは一面、緑豊かな森だったのに。環境影響評価も完了していないのに」と言いました。

そこで、悲しい光景がありました。ずっと向こうから一頭の牛がこちらへ歩いてくるのです。不思議に思って聞いてみると、森林が伐採されたこの場所に、あの牛が飼われていた家があったんだそうです。だから、自分がかつて住んでいたところを思い出し、牛が自分の故郷に戻ってきているのでした。今の双葉郡を見ているような気がしました。

予定地の近くで、佐藤さんが持ってきた放射線測定器で空間線量をはかると、SNKPのメンバーたちが大注目でした。シノップ市街地よりだいぶ高いです。「32年前の放射能が樹木に残っているんだ」との声があがりました。

「こっちはウクライナ製。こっちは日本製、福島県では持っている人が多い」と説明すると、「値段はいくらか?」「どうしたら買えるのか?」と聞いてきました。佐藤さんがSNKPに贈呈しました。

SNKPの人たちと。左から2人目佐藤、4人目木幡 (撮影:森山、他の写真も)

予定地のとなり、トルコ最北端の灯台に行きました。黒海の景色もよく、観光客もたくさん来ていました。私は、灯台のある富岡町の小良ヶ浜漁港を思い出しました。

夜は、SNKPのメンバーたちと夕食会。テーブルにおかれているパンがおいしいので食べ過ぎてしまい、料理が出てくる前に、おなかがいっぱいになってしまいました。「地球の歩き方」によると、トルコのパンは世界一おいしいらしいです。みなさん、トルコに行ったら、食事のときにパンを食べすぎてはいけませんよ。トルコは、魚も肉も野菜も何でもおいしいです。

■ 4月22日

シノップでは2月6日に、原発の環境影響評価に関する市民公聴会が、推進側だけの参加で開催され、参加しようとしたシノップ市民たちやジャーナリストが警察によって排除されたそうです。

また、トルコ南部、地中海沿岸で、ロシアが建設するアックユ原発の起工式が4月3日に開催され、エルドアン大統領とプーチン大統領が共に出席しましたが、このとき、アックユ原発のあるメルスィン県では県知事がデモや集会の禁止令を出したということです。

このように、公正発展党(AKP)政権は、強権的に原発を推進するようになってきています。

4月22日、野外記者会見

22日のシノップ大集会・デモも中止させられたのですが、抗議の野外記者会見が行なわれました。市街地の広場のアタチュルク像の前で、数百人が参加しました。アタチュルクはトルコ共和国建国の父です。警察の妨害、規制などはなかったです。

記者会見で私は、福島原発事故被害の状況を伝え、最後に「シノップのような海の恵みにあふれた地域では、決して原発を作らせては駄目です。事故が起きなくても、原発周辺の魚の汚染が心配されて売れなくなります。事故が起きれば、生活も仕事もできない死んだ町になってしまいます。原発の建設は決してしてはいけません。だまされてはいけません。最後に泣くのはそこに住んでいる住民たちです。福島原発事故を起こした日本が、この美しいシノップに原発を輸出するなんて、絶対に許せません。なんとしても止めましょう」と訴えました。私の話を、皆さん一生懸命聞いてくれました。

トルコの皆さんはとても力づよく「座りこみでもなんでもやる!」と言っておられました。トルコでは女性も男性も同等の数くらい参加しており、明るさと強さが備わった国民性に感銘を受けました。

最大野党の共和人民党(CHP)の国会議員や、アンカラやイスタンブールからの著名人など、他のスピーカーの人たちは、原発反対のアピールとともに、集会・デモの中止に抗議し、「民主主義を守れ」などと、力強く訴えていました。

広場には、トルコのどこででも目にする、ゴマを大量にまぶしたリング状のパン「シミット」を売り歩くお兄さんがいて、私は、目が合ってしまうたびに何回も買ってしまいました。

記者会見には、高校生や大学生も、手作りのプラカードやバナーをもって、たくさん参加していました。デモがないので、記者会見のあと、大学生たちが「旧刑務所民俗博物館」に案内してくれました。1877年から1997年まで刑務所として使用されていて、投獄されていた学者、作家、政治家などについての展示もありました。刑務所をそのまま残し、こうした歴史を継承していくことは、とても大切だと感じました。日本の場合は、なんでも壊してきれいに作り変えてしまう気がします。そのまま実物を残して、負の遺産、歴史の影の部分であっても、伝えていこうとすることは重要ですね。国民性の違いが出ているのかなと思います。

デモの警備のために遠方から来ていた警官たちも刑務所の見学に来ていました。私が転びそうになったら、その警官の人たちが手を貸してくれたりしたのが印象的でした。

私が独房に入った写真は、フェイスブックでトルコの人たちに広まっており、人気です。

4月22日、野外記者会見

夜は、交流宴会です。魚がおいしいです。SNKP代表のカイハンさん、前代表のゼキさん、佐藤さん、おっさんたちは、トルコの蒸留酒「ラク」で乾杯しました。ラクは、無色透明ですが水を加えると白濁します。アラビア語圏ではアラックです。

トルコのみなさんは、歌って、踊って、陽気です。どんな方が来ても、一緒に歌おう、踊ろうで、誰が来ても仲間に迎え入れているようでした。福島原発事故で避難を強いられた人々は、作られた明るさ、作られた陽気さ、強いられる復興ではなく、本当の意味での楽しさ、明るさを奪われてしまっているのではないかと感じました。復興住宅などに慰問の人たちが来てくれますが、このような陽気さはありません。最後に「ふるさと」の歌ばかり歌わされて、楽しくない。自主避難の方々からも、「笑っても、心からの笑いじゃないんだよね」と言われたりします。こうした楽しさ、陽気さというのは、人間が生きていくために絶対に欠かせない基本的なもので、なくしてはならないということを、他国に行って改めて考えさせられました。

森山さんは、大学生たち6名と店をかえて夜中2時まで話し込んだそうです。未来の希望ですね。

日本人は、自分たちが原発事故で被害を受けたのに、なんでトルコに原発を輸出しようとするのでしょうか。トルコの人たちは、1890年に和歌山県沖で遭難したエルトゥールル号に乗っていた人たちを救助してくれたということで、日本の人々に対してとても親しみと恩義を感じておられます。しかし今回、「日本が建設した原発で事故が起きたら、私たちは日本人を恨みます」と言われてしまいました。福島原発事故の収束のめども立たないのに、なぜこんな自然豊かなところに原発を立てるのでしょうか。再生エネルギーを推進するために協力していく方が正しいのに、日本は全く逆のことをしようとしています。

■ 4月23日

朝、ホテルに、ハーレさんが訪ねてきてくれました。森山さんの映画「沈黙しない人々」にインタビューで登場した女性です。彼女と話し込みました。当初は運動を呼びかける立場だったそうですが、今は運動の中心から離れているようです。そういえばきのうの宴会もおっさんばかりでした。佐藤さんが「女性が前に出れば勝てます。アジアではどこでもそうです」と言いました。

シノップ在住の画家のセイットさんもホテルに訪ねてきてくれて、原発反対の風刺画をプレゼントしてくれました。

メティンさん夫婦に「また来ます」と、お礼をのべました。

バスで移動し、シノップ県のとなりのサムスン県へ行きました。サムスン市は人口40万人、サムスン県では120万人です。シノップと比べると大都会です。サムスンでも、シノップ原発反対運動が行なわれてきたとのことです。

トルコの反原発運動を支えている組織のひとつが、電気技師会議所(EMO)だそうです。そのサムスン支部主催で講演会が行なわれました。会場にはシノップ原発計画の危険性を示す大きなパネルが数枚展示されていました。50名ほどの参加でした。若者たちもけっこう参加していました。

私は、福島の原発事故被害の状況を、スライドで写真を見せながら報告しました。

■ 4月24日

イスタンブールへもどり、FM放送局の「アチュックラジオ」で、インタビューを収録しました。26日に放送されたそうです。

町会議員をやっている私が、いろいろな場所に呼ばれて講演したりすることを、他人からよく批判されます。「なんであんなことを発言したんだ?」「なんでそんなところに行ったんだ?」と、あれこれ言われるんです。あまりにも頻繁に言われているので、だんだんと気にならなくなってきました。ですから今回は、「トルコ、いいところだったよ~」と話してやったら、相手は羨ましがっていました。

反原発ドキュメンタリー映画「ニュークリア・アラトゥルカ(トルコ原子力狂騒曲)」の製作チーム、監督のジャン・ジャンダンさんや、プロデューサーのアイシェさんらと、シリア料理店で昼食を食べました。佐藤さんによると、日本の147名から、66万円の支援金を送ってあったのですが、完成は2年以上先の見込みとのことです。ジャン監督は「原発には、隠れた目的、つまり、核開発があるのではないか」と言ってました。

観光もしました。ヨーロッパとアジアを分けるボスポラス海峡のクルーズ船に乗りました。

繁華街を歩いていると、何やら人だかりです。まわりに多くの警官がいて、放水車も来ていました。しばらく様子をうかがい、弾圧はなさそうだと判断してから近づくと、百人ほどの人が「顔写真」などを掲げながら座り込んでいます。今日は「アルメニア人虐殺の日」なのです。1915年4月24日、イスタンブールに住んでいた250人ほどのアルメニア人知識人らが逮捕・追放されました。これを機にオスマン帝国領内でアルメニア人への弾圧が強まったため、この日は当時犠牲となったアルメニア人の追悼記念日になっているんだそうです。追悼集会をしている勇気に感銘を受けました。やった方は忘れても、やられた方は絶対に忘れないのです。

夕食は、イスラムについての著書が多い内藤正典先生御用達のレストランでした。

■ 4月25日

電気技師会議所(EMO)の事務所で、公開の記者会見がありました。70名ほどの参加者で満員でした。

私は、気合を入れて福島を伝えました。プナールさんも迫力で通訳してくれました。佐藤さんもノーニュークス・アジアフォーラムについて紹介しました。いくつかのメディアで報道されました。

1000軒もの店が入るグランドバザールへ行って、森山さんの提案で、黒海沿岸産の紅茶1kg、ヘーゼルナッツ1kg×2種、乾燥イチジク1kgを購入しました。持ち帰って、いわき市の放射能測定所「たらちね」で測定してもらいました。セシウム137、単位はKgで、紅茶は、36.1ベクレル、ヘーゼルナッツは、2.5ベクレルでした。32年経っても、紅茶にこれだけ含まれている事実がわかりました。恐いですね。

6月24日に、大統領選挙と、国会議員選挙がありますが、「もし、エルドアンと公正発展党(AKP)が大勝したら、昨年の国民投票で権限が強化された大統領となるエルドアンは、さらに強権的に原発を推進するだろう」と、トルコの人たちは言っていました。「反対の声が上げづらくなり、逮捕されることもあるだろう」「法改定され、トルコの反原発運動を支えてきた電気技師会議所も解散させられることになるだろう」とも言っていました。

三菱とアレバの「アトメア1」(110万kW)4基で、4~5兆円かかるそうです。伊藤忠は離脱しました。事業化に向けた調査は夏に終了予定です。原発輸出反対の声を広げたいと思います。

4月22日、野外記者会見

★ Q&Aより

私は大熊町でポチという名前の犬を飼っていました。2011年3月に避難するときには連れていくことができなくて、6月の一時帰宅の際に連れだしました。しかし保健所で診てもらったときに心臓疾患の可能性を指摘され、獣医さんに連れていくと、血管が細くなって心臓が弱っていると言われました。最終的には全身にがんができて2015年に亡くなりました。

火葬にしまして、最近、その遺骨を、やはり「たらちね」で測定してみたところ、3.39ベクレルのストロンチウム90が出ました。これは自然界にはないものです。東電の職員に事情を話して「これは原発事故で出た放射性物質なのではありませんか?」と問い詰めると、その人は下を向いてしまいました。

うちのポチは、一緒に飼っていたニャーニャーという猫たちを守ろうとしていたようで、動物たちだけで残された後、猫たちから離れず家の周りにずっといたようです。山の中などをあちこち出歩いてはいません。それでもストロンチウムが出たのです。原発で働いている人たちはどうなのでしょうか。これまでにも作業員だった方が病気になったりしていますし、亡くなった方もいます。恐ろしいことです。

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すべての人が帰れるようにするというのではなく、帰りたい人が帰れるように環境を整えることが大事です。

原発のデブリをこれから取り出すといいます。取り出してどうするのかと聞いたら、どこにも持っていく場所はありません。格納容器に入れて大熊町に置いておくのではないかと東電の職員に聞いてみたところ、その人はうなずいていました。デブリの持って行き先がないのもそうですが、デブリを取り出せるかどうかもわかりません。危険なことはやめたほうが良いのです。一番先に被曝して、一番先にひどい目に合うのは、地元の人たちなのです。今、福島原発の収束作業員として働いている労働者の中には、大熊町など地元の人たちが多いのです。安く使えるからです。半分以上が地元の人たちです。給料をやるから文句を言うな、と言われています。だから彼らは何もしゃべりません。

双葉郡の人たちも、トルコの人たちと同じように、よく歌ったり踊ったりしていたのです。相馬盆歌などですね。しかし今では、涙で踊って、涙で歌っていると話してくれた人がいました。

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●トルコでの木幡さんのスピーチからの抜粋

私は、福島県の原発事故が起きた地元大熊町で、原発から6キロのところに住んでいました。私はそこで農業をしていました。しかし原発事故によって家を追われました。今は、会津若松市で暮らしています。

大熊町は、今も放射能が高くて、一部分を除いてほとんど誰も住めません。私は原発事故後、国の「故郷に帰りましょう」という帰還政策に怒りを持ち、町民の命と暮らしを守らなければと思い、町議会議員に立候補して、現在、大熊町の議員として活動しています。大熊町役場と町議会は、100キロ離れた会津若松市にあります。

私は各地域に行って、原発事故後の大熊町や近隣町村の実態を知ってもらいたく時々お話をしています。私は原発は絶対反対です。これは私の基本理念です。

原発事故から7年が経ちましたが、原発に近い町村の人々はほとんど戻って来ていません。福島県全体の避難者は、最初16 万5000 人、現在でも5万人以上です。2017年春に政府が避難指示を解除した原発周辺の4町村では、約1年たっても住民の帰還率は4.3%(31501人のうち1364人が帰還)です。高齢者が多いです。

日本政府は、除染といわれる放射線量を下げる作業をしたからと言って、次から次と人々を帰還させ、復興、復興と喚いています。しかし、放射線量は下がったと言われますがでたらめです。山々の木々や草花にふり積もった放射能は取り除くことはできません。農作物、コメや野菜は作れません。放射能が高い地域でも、帰還しなさいと、国は脅しをかけているような状況です。

人々は7年間の年月の中で、身も心も疲れ果て、自ら命を絶ったり、病に倒れた方々がたくさんいます。病気や自殺などの原発関連死者は2227人です。

原発の廃炉作業は先が見えません。現在、福島原発内で毎日5000人の労働者が被ばくしながら作業しています。壊れた原発の1号機から3号機までのデブリ(とけ落ちた核燃料)の取り出しはこれからで、とても高い放射線量の中での作業です。できるのでしょうか? 50年以上かかると言われています。またできたとしてもその核廃棄物は何処にも持って行きようがありません。それに、放射能汚染水は、タンクに、今、100万トンたまっています。放射能汚染水を海に流す訳にはいきません。

子供たちの甲状腺癌の多発が大きな問題になっています。福島県で甲状腺癌になった子供は197人(疑いを含め)です。甲状腺癌の手術を施した後でも癌が消えず、肺癌に移行している子供がいます。これからもまだまだ多くの病気が出てくるでしょう。

漁業は、原発事故後、海水の放射能汚染でできませんでした。今は操業再開されましたが、福島県では一部地域、それも一部の限られた海産物しか捕れませんし、捕れたとしても厳しい放射能検査があり、簡単に捕って売れる訳ではありません。福島県の漁師さんたちは、漁業をあきらめ、別の仕事を求めていかれた方が多いです。

トルコの人たちは日本に好意をもってくれていますが、原発が輸出されたら、日本をきらいになってしまうでしょう。私は原発輸出に反対します。

原発の建設は決してしてはいけません。だまされてはいけません。福島原発事故を起こした日本が、美しいシノップに原発を輸出するなんて、絶対に許せません。なんとしても止めましょう。

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★木幡さんについての報道記事

<4月25日>

Fukuşima tanığı Masumi Kowata ile 5 gün…


http://bianet.org/bianet/ekoloji/196526-fukusima-tanigi-sinop-ve-akkuyu-bizim-kasabamiza-benzemesin
http://www.cumhuriyet.com.tr/haber/cevre/964406/Fukusima_tanigi_Masumi__Birlikte_hareket_etmemiz_gerekiyor.html
http://www.emo.org.tr/genel/bizden_detay.php?kod=123326&sube=6(動画)
https://www.rtigercek.com/japonlar-sinop-taki-nukleer-santralden-cekilecek-iddiasi
https://jinnews.com.tr/EKOLOJ/content/view/82170

Basın açıklaması ve söyleşi I Çernobil faciasının 32. Yılında, nükleer santralların etkileri

<4月24日>
http://acikradyo.com.tr/etiket/masumi-kowata(Açıkラジオ)

<4月22日>
http://hbr.haber57.com.tr/genel/nukleer-santral-protesto-edildi/6617/

“Nükleer santral istemiyoruz” diyen Sinoplular, miting yasağına rağmen bir araya geldi: Buradayız!


https://www.birgun.net/haber-detay/yasam-savunuculari-nukleere-karsi-tek-ses-izin-vermeyecegiz-213197.html

SANTRALİN KURULACAĞI BÖLGE DEPREM BÖLGESİ


http://www.hurriyet.com.tr/nukleer-karsiti-platform-uyeleri-sinopta-bir-a-40813478

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.152より)

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■ ノーニュークス・アジアフォーラム通信(No.1~144)
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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信152号(6月20日発行、B5-28p)もくじ

・「福島の声をトルコへ」トルコ訪問報告(木幡ますみ)
・「福島原発事故体験者・木幡ますみと過ごした5日間」(プナール・デミルジャン)
・シノップ反原発集会に禁止令
・イスタンブール反核プラットフォーム・声明
・2018年トルコ総選挙 各党の原発政策(森山拓也)
・誰のための原発輸出? 日英市民に押し付けられるコストとリスク(深草亜悠美)
・人々の命より生産性を優先させるのか?
バングラデシュの原発開発の問題点(モヒミーン・レイエス)
・インドとパキスタンよ 今すぐ核兵器を放棄せよ!
核実験から20年目の市民アピール
・インドネシア・西ジャワ州チレボンおよびインドラマユ石炭火力発電所への
日本の公的融資停止を求める国際要請書を日本政府に提出(波多江秀枝)
・「とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会」結成(柳田真)

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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) https://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

旧刑務所の独房

 

アックユ原発の建設開始 エルドアン、プーチン両大統領が起工式に出席

トルコではアックユ原発の環境影響評価に関する裁判が3月に棄却され、4月にはエルドアン大統領とロシアのプーチン大統領が共に出席する原発建設の起工式が開催されるなど、原発建設に向けた動きが進んだ。原発への反対派はこうした動きに対して批判を強め、「チェルノブイリの日」に合わせて4月下旬に開催されるシノップ反原発集会への準備を進めている。
以下では3月以降の現地メディアの報道を紹介する。(森山拓也)

アックユ原発への訴えを行政裁判所が棄却

「Diken」3月7日、「Bianet」 3月26日

3月7日、国家評議会(行政最高裁判所)第14法廷は、アックユ原発の環境影響評価に対する市民団体らの訴訟を棄却した。環境団体などからなる原告団は、アックユ原発のために行なわれた環境影響評価の内容が不十分であるとして、その取り下げを求める訴訟を2014年末に申請していた。国家評議会は環境影響評価レポートの内容が不十分であることは認めたものの、レポートの有効性を損なうほどの不備ではなく、事業の実施を妨げるものではないとした。環境影響評価レポートの不備は、後にトルコ原子力庁に提出される事前安全審査レポートで補われるとして、環境影響評価の取り下げを求める訴えは棄却された。これに対し原告の市民団体らは、3月末に国家評議会行政裁判法廷へ上訴を申請した。

アックユ原発起工式 エルドアン、プーチン両大統領が出席

「Cumhuriyet」、「Evrensel」、「Yeşilgazete」など 4月3日

トルコ南部でロシアが建設するアックユ原発の起工式が4月3日に開催された。起工式にはトルコのエルドアン大統領とロシアのプーチン大統領が共に出席した。前日の4月2日にはトルコ原子力庁からアックユ原発1号炉の建設許可が発行された。

これに対してイスタンブール反原発プラットフォームは抗議声明を発表し、政治ショーとして原発が大急ぎで建設されていると批判した。首都アンカラの国会前でもシノップやメルスィンの人々が抗議の記者会見を行なった。イスタンブールでは抗議のため集まった環境活動家やジャーナリスト6名が一時身柄を拘束された。

アックユ原発のあるメルスィン県では県知事がデモや集会の禁止令を出した。抗議のためメルスィンからアックユへ向かおうとした活動家らの乗ったバスは警察に止められた。

アックユ原発の1号炉は2023年10月29日(トルコ共和国宣言100周年記念日)の稼働に向け工事が進められる。

4月3日、トルコのエルドアン大統領(写真左)とロシアのプーチン大統領(同右)は、トルコ初となるアックユ原子力発電所の起工式典にアンカラからのビデオリンクを通じて参加した。写真はアンカラで撮影(2018年 ロイター/Umit Bektas)

 

「トルコには原子力が必要」「原発よりバナナの方が危険」

「Cumhuriyet」4月3日、「Sabah」 4月15日

アックユ原発の起工式に合わせ、テレビでは新たに原発を宣伝する広告が放送され始めた。CG効果も使って原子力の有用性を訴えるこのテレビ広告には、トルコ人ノーベル化学賞受賞者であるアズィズ・サンジャル(Aziz Sancar)も登場し、原発反対派の失望を招いた。

政権寄りの姿勢で知られる大手新聞社のサバ紙は、自然界にも放射線が存在していることを説明して、原発の危険性を否定する論考を掲載した。この論考は、たとえばバナナも放射能を帯びており、バナナを食べることは原発よりも危険であると述べている。

シノップ原発の公聴会は市民を排除(プナール・デミルジャン/Nukleersiz)

150-33

EUAS(トルコ発電株式会社)はシノップ原発建設のための環境影響評価を1月12日に申請し、2月6日に公聴会が実施された。シノップ反原発プラットフォームは公聴会への参加を申請したが、回答を得られなかった。2月6日当日、シノップ市民たちの参加は物理的にも妨害された。

9時からの公聴会に参加しようとした人々は、バスや自動車で7時30分に出発した。しかし約8kmの道中、4度にわたって足止めされた。彼らは公聴会開始前に会場に到着したが、入場を許されなかった。ジャーナリストも入場を拒まれた。

シノップ反原発プラットフォームと、イスタンブール、シノップ、ブルサからの3名の国会議員、シノップ県の市長2名、弁護士協会の環境・都市委員会、環境NGO、イスタンブール反原発プラットフォーム、その他のアドボカシー団体や市民らが抗議行動を行なった。

反原発運動を支援する弁護士たちは、公聴会への参加を認めない非民主的な対応を批判する申し入れを行なった。申し入れへの署名が行なわれている間、私たちは農民2名が公聴会で拘束されたことを知った。彼らは早朝に会場へ入ることに成功していた。会場には空席があったにもかかわらず、反対派は参加できなかった。

最終的に、入場できなかった200名ほどは、非民主的な対応に抗議するために、県庁と裁判所に向かってデモ行進を始めた。デモ隊が到着すると、催涙ガスを放った警察との間で乱闘が起きた。参加した国会議員も警察官に殴られ、抗議参加者1名が拘束された。抗議参加者たちは当局の対応と3名の拘束に抗議し、「県知事は辞職しろ」と要求した。弁護士たちと国会議員は知事と面会し、人々の要求と抗議を伝えた。

知事との面会後、人々はメガホンを使って声明を発表した。声明では次のようなことが述べられた。「シノップ原発は市場価格よりも40%も高い料金で電力を供給し、シノップの生活を破壊する。事業のコストは200億ドルで、原子炉は三菱重工とアレバによる合弁事業会社ATMEAによって製造される。トルコは、まだ世界のどこでも運転されていないこの原子炉の設置に合意した」

拘束された3名は当日中に釈放された。抗議行動は大手メディアでも紹介された。

*「DiaNuke.org」に掲載された記事の一部翻訳・転載です。(翻訳・編集:森山拓也)
Demircan, Pinar (February 10, 2018), “Public Hearing for Sinop Nuclear Power Plant Project in Turkey Was Held By Avoiding Public,” DiaNuke.org, http://www.dianuke.org/public-hearing-for-sinop-nuclear-power-plant-project-in-turkey-was-held-by-avoiding-public/.

シノップ原発:公聴会で警察が市民を排除

トルコ北部のシノップでは、日仏企業連合による原発建設が計画されている。原発の環境影響評価に関する市民公聴会が、シノップで2月6日に開催され、参加しようとしたシノップ市民らが警察によって排除された。市民不在の公聴会に抗議する人々がシノップ県庁の前で抗議行動を行った。

環境影響評価プロセスの開始

シノップ原発の建設開始に必要な環境影響評価についての申請書類が、昨年末にトルコの発電株式会社から環境・都市整備省へ提出された。提出された書類は環境・都市整備省のwebページからダウンロードできる(トルコ語:http://eced.csb.gov.tr/ced/jsp/ek1/19811)。

環境影響評価についての法律に従い、原発プロジェクトについて市民に説明し意見を聞くための公聴会が2月6日に開催された。だが公聴会に参加しようとしたシノップ住民らは警察によって入場を阻止された。

シノップ原発を記した地図(環境影響評価の申請書より)
シノップ原発を記した地図(環境影響評価の申請書より)

市民とジャーナリストを排除

公聴会の会場となったシノップ大学の施設では、周辺の県から集められた数百人の警察官が厳戒態勢を敷いた。トラック、装甲車両、デモ隊攻撃のための高圧放水車が会場の周囲を固めた。参加を希望する市民らは警察による数回にわたる検問を通過して会場へ向かったが、会場から1.5kmほどの地点で警察によるバリケードに出会った。市民らはバリケードでしばらく待たされた後、警察官から会場は満員で入ることができないと説明された。

なんとかバリケードを通過できたジャーナリストたちは、会場の建物前でも警察のバリケードに阻まれた。ジャーナリストたちはしばらく待たされた後、警察官から「名簿に名前がないジャーナリストは入場できない」と伝えられ入場を拒まれた。トルコの大手紙ジュムフリイェットによると、原発事業を担うトルコ発電株式会社は特定のジャーナリストのみに事前の告知と参加認定を行っていた。

ジュムフリイェット紙は、数人の環境活動家と共に早朝から会場入りに成功した写真家のヴォルカン・アトゥルガン氏に、公聴会の様子についてインタビューしている。アトゥルガン氏によると、朝6時すぎに与党、公正発展党の支持者や関連組織のメンバーがバスで到着し始めた。会場では朝食が提供され、200人収容の会場に230人ほどの人が集まった。会場責任者が「ようこそ市民のみなさん」とあいさつすると、環境活動家の友人が「何が市民だ」と叫んだ。すると警察官や公正発展党支持者らが友人を襲った。

県庁前でも警察と市民が衝突

会場に入れなかったシノップ住民らは、「シノップをチェルノブイリにしない」とスローガンを叫び、その場で集会を行った。その後、シノップ県庁へのデモ行進が始まった。県庁の前でも数百人の警察官と高圧放水車が待ち構えていた。知事に会うため県庁に入ろうとした人々は、こん棒や盾、催涙ガスを使って警察に排除された。この衝突で1名が拘束された。住民らは「知事は辞めろ」「原発屋の知事はいらない」「シノップをチェルノブイリにしない」などと叫んで抗議した。市民参加を阻んだ公聴会は無効であるとする請願に多くの市民が署名し、最大野党、共和人民党の国会議員やシノップ反原発プラットフォーム代表が県知事に渡した。

衝突の様子はevrenselwebtv(https://www.youtube.com/watch?v=VMMkktbhpWk)などで見ることができる。

ジュムフリイェット紙の取材に、抗議活動に参加したシノップ市長のバキ・エルギュルは、「彼らはシノップ市民の発言をなぜ恐れているのか。この会議は名ばかりのものだ。公聴会にシノップ市民はいなかった。シノップ市民は今ここにいる」と述べた。

また共和人民党シノップ選出国会議員バルシュ・カラデニズは、「公聴会のための参加名簿が事前に作られていた。市民と対話するための公聴会に市民を参加させなかった。会場にいたのが誰なのか、知事に質問を送った。シノップ市民を置き去りにしたこの公聴会は違法だ」と述べた。

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※以下の参考記事にも公聴会当日の写真が掲載されている。

『Cumhuriyet』2018年2月6日「Sinop gözaltında」http://www.cumhuriyet.com.tr/haber/cevre/921294/Sinop_gozaltinda.html.

『Yeşilgazete』2017年12月31日「Yer lisansı olmayan Sinop NGS için ÇED proje dosyası sunuldu」https://yesilgazete.org/blog/2017/12/31/yer-lisansi-olmayan-sinop-ngs-icin-ced-proje-dosyasi-sunuldu/.

『Yeşilgazete』2018年2月7日「Sinop NGS, halka Sinop’u terk ettirme projesidir!」https://yesilgazete.org/blog/2018/02/07/sinop-ngs-halka-sinopu-terk-ettirme-projesidir/.

『Virtinhaber Gazetesi』2018年2月6日「Sinop’ta olaylı toplantı」http://www.vitrinhaber.com/gundem/sinop-ta-olayli-toplanti-h23287.html.

(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科 森山拓也)

「ニュークリア・アラトゥルカ」 ドキュメンタリー映画プロジェクトについて(ジャン・ジャンダン監督)

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「ニュークリア・アラトゥルカ」  http://nuclearallaturca.com/

ドキュメンタリー映画プロジェクトについて
ジャン・ジャンダン監督

トルコの人々に放射能について尋ねると、彼らの頭にまず浮かぶのは「紅茶」です。紅茶はトルコで大切にされている国民的な飲み物です。それがなぜ、放射能と結び付けられているのでしょうか。話は1986年に遡ります。この年にはチェルノブイリ原発事故が発生しました。放射性物質を含んだ雲がトルコへも到来し、降雨を通じて農作物が汚染されました。このとき収穫期だった茶葉も汚染されたのです。

無責任な政治家たちがカメラの前で紅茶を飲み、何も問題はないと言わなければ、紅茶と放射能が関連付けられることはなかったでしょう。彼らは紅茶を飲むパフォーマンスをしただけではなく、ひどく道理に反したコメントで人々を騙そうとしました。

「少量の放射能は体に良い」
ジャヒット・アラル:産業通商大臣

「放射能を含んだ紅茶はより美味しい」
トゥルグット・オザル:首相

「放射能は骨の健康に良い」
ケナン・エヴレン:大統領

チェルノブイリ原発事故当時の産業通商大臣であるジャヒット・アラルは、報道のカメラの前で紅茶を飲むパフォーマンスを行なった。
チェルノブイリ原発事故当時の産業通商大臣であるジャヒット・アラルは、報道のカメラの前で紅茶を飲むパフォーマンスを行なった。

トルコは1960年代中頃から原発の建設をめざしてきましたが、50年以上にわたり進展はありませんでした。

しかし2010年、トルコはロシア政府(チェルノブイリ原発事故を引き起こした)と協定を結び、地中海沿岸のアックユに原発を建てることを決めました。続いて2013年には日本政府(福島原発事故を引き起こした)と協定を結び、黒海沿岸のシノップでの原発建設を決めました。さらに2016年には中国政府との間で、ブルガリア国境に近いイイネアダで原発を建設するための協定を結びました。

2011年の福島原発事故後に行なわれた世論調査では、65%以上のトルコ人が原発建設に反対でした。しかしそれは、実権を握るエルドアンと、彼の娘婿であるエネルギー大臣による非民主的な政府を思いとどまらせることはありませんでした。

彼らは最近、トルコ初の原子炉は2023年に運転を開始すると発表しました。2023年はトルコ建国100周年の年です。

周到に用意された原発推進のプロパガンダ・キャンペーンが2015年から衰えることなく続いていており、学校でも原発が宣伝されています。チェルノブイリ後の時代と同様に、フクシマ後の現代の政治家らも、ごまかしのレトリックを使い、人々の目を原子力の危険性から逸らせようとしています。

「リスクのない投資はない。私たちは飛行機に乗るではないか?」レジェップ・タイイップ・エルドアン:福島原発事故当時の首相

2011年の福島原発事故は多くの原発保有国を岐路に立たせました。

高度に工業化が進んだドイツのような古くからの原発保有国は原子力政策を転換し、原発に頼らず、再生可能エネルギーによる持続可能な未来を選択しました。

他方で、トルコのような原子力導入への転換期にある国々は、もう一つの先進工業国である日本の後を追い、原子力プロジェクトを継続しています。

福島原発事故からわずか数年後に、日仏企業連合(三菱重工・アレバ社)が新しい原発を地震のリスクが非常に高いトルコで建設するのは皮肉なことです。

2015年にイスタンブールで掲げられた原発推進広告は、「強いトルコのクリーンなエネルギー」と宣伝した。
2015年にイスタンブールで掲げられた原発推進広告は、「強いトルコのクリーンなエネルギー」と宣伝した。

チェルノブイリから来た雲が雨を降らせてから30年が経った今、トルコは原子力と核廃棄物を生産する国になるかどうかの瀬戸際に立っています。

私たちはまさにこの瀬戸際において、「ニュークリア・アラトゥルカ」を制作しようとしています。

この長編ドキュメンタリー映画は、数十年にわたるローカルとグローバルな「トルコ風の」原子力への歩みを描く、時に動揺を呼び、時に悲喜劇的で、そして不条理な「放射能を帯びた」トルコの物語です。

「アラトゥルカ」には、二つの意味があります。

一つは歴史的なもので、「トルコ風」「トルコスタイル」を意味するイタリア語の形容詞です。この言葉に関連して最も良く知られているのは、モーツァルトの1784年の作曲「ロンド・アラトゥルカ」です。この曲はピアノソナタ第11番第3楽章「トルコ行進曲」として知られています。「トルコ行進曲」はオスマントルコの軍楽隊から着想を得て作曲されたと言われています。

もう一つは、トルコ語に由来する軽蔑的な意味で、物事をでたらめで無秩序で、下手な方法で行なうことを指します。この言葉はまさに、トルコがどのように原子力と付き合ってきたかを良く表しています。

私たちはどのようにしてこの原子力への入口にたどり着いたのでしょうか。その途中、いったい何が起きたのでしょうか。

トルコはまだ原子力エネルギーを生産したことはありませんが、核兵器や核廃棄物を受け入れ、放射能漏れ事故を経験しました。

そしてトルコには反原発運動も存在します。トルコの原子力の歴史は、原子力に関する世界中の悲劇、災害、そして闘いの歴史とつながっています。

「ニュークリア・アラトゥルカ」は、トルコの原子力の歴史を、グローバルな視点を持ったローカルな物語として描きます。

第2原発の建設が計画されているシノップでは、毎年チェルノブイリ原発事故の日に反原発デモが開催されている(写真は2016年)
第2原発の建設が計画されているシノップでは、毎年チェルノブイリ原発事故の日に反原発デモが開催されている(写真は2016年)

チェルノブイリから雲が到来した時代を生き、無責任な政府に騙され裏切られたと感じた一人のトルコ人として、一人の環境活動家として、この国の未来を心配する一人の親として、私はこの映画を作り上げる使命を感じています。

また最近のトルコの抑圧的な政治状況の下では特に、この映画を観る人々にオルタナティブな声を届けることに大きな意味があります。手遅れになる前に原子力に関する理解を広め、未来に関する発言権を得るために、「ニュークリア・アラトゥルカ」によって原子力に関する批判的議論を呼び起こしたいと思います。

「ニュークリア・アラトゥルカ」はトルコの人々に原子力を問い直す機会を与えるだけでなく、世界中の人々に原子力の歴史を振り返る機会を与えます。

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私たちは1年半にわたって「ニュークリア・アラトゥルカ」のための調査を行ない、現在は制作の真っ最中です。これまで、メディア・アーカイブの調査、ストーリーの収集、撮影地の事前調査、何人かの人物へのインタビュー等を行なってきました。

作品には日本に関するストーリーも含まれます。1945年に米軍が広島と長崎に原発を投下したことをトルコの人々は報道を通じて知り、深い印象を受けました。世界的に有名なトルコの詩人ナーズム・ヒクメットの作品「死んだ女の子」は、佐々木貞子さんの悲劇を基にしています。また、彼の「日本の漁夫」は、キャッスル・ブラボー核実験と第五福竜丸についての作品です。

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福島原発事故の後には、アートディレクターの丹下紘希さんが原発の危険性を訴えるビデオメッセージをトルコへ送りました。丹下さんはトルコ語で、日本政府がトルコへ原発を売ろうとしていることについて謝っています。

私たちのドキュメンタリー映画の一部は、日本で撮影したいと思っています。

政府や商業利益から独立し、必要なことを自由に表現するため、私たちは「ニュークリア・アラトゥルカ」をインディペンデント作品として制作しています。そのため、私たちの以前の作品と同様に、支援してくれる世界中の団体や個人からの寄付を募ります。核のない未来をめざす全ての人々や団体の力が必要です。現在、インターネットのクラウドファンディングを通じて、作品制作への支援を募っています。 *キャンペーン・サイト:
www.support.nuclearallaturca.com.

ソーシャルメディアでも私たちをフォローし、多くの人に宣伝してください。
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■ ジャン・ジャンダン / Can Candan
(トルコの映画監督・プロデューサー)

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ドキュメンタリー映画製作者。イスタンブールのボアジチ大学で教鞭をとる。米国ハンプシャー大学(1992年卒業)、テンプル大学大学院(1999年修了)で映画製作とメディア・アーツを専攻。2000年まで米国、その後トルコの複数の大学や機関で映画とメディア・アーツを指導。現在は映画製作、映画関連のプロジェクトや論文の指導に加え、ドキュメンタリーの歴史、理論、批評について指導している。トルコにおけるクルド・ドキュメンタリー映画についてや、トルコのドキュメンタリー映画の歴史についての著書がある。ドクイスタンブール・ドキュメンタリー・スタディーズ研究センター(docIstanbul Center for Documentary Studies)創設メンバー。

監督・プロデューサーとして制作した3作品は、賞を受け、世界中で配給された。長編ドキュメンタリー映画「壁(DUVARLAR, MAUERN, WALLS)」(2000年)では、ベルリンの壁崩壊後のドイツにおけるトルコ人移民を描いた。他に、悪名名高いトルコの大学入試を描いた「3時間(3 HOURS)」(2008年)や、トルコでLGBTの子を持つ親たちのグループを描いた「私の子供(MY CHILD)」(2013)がある。「ニュークリア・アラトゥルカ」は4作目の長編ドキュメンタリー映画となる。

*プロフィール詳細:http://boun.academia.edu/CanCandan
(訳:森山拓也)
(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.148より)

映画制作支援金(1000円~)を下記へ  (日本での目標50万円)
郵便振替  口座番号:00940-3-276634
口座名:ストップ原発輸出キャンペーン
ゆうちょ口座:099(ゼロキユウキユウ)店 当座0276634

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トルコで Worldwide Hibakusha パネル展

プナール・デミルジャン

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トルコでの原発建設計画は、2013年に福島原発事故後の日本と原子力協定を結んでから、日本でもよく話題になっています。

トルコは、1953年に米国との原子力協定をはじめに結んだ国の一つであり、1976年からずっと原発を造る夢を見ています。政治的、経済的、社会的な理由や、強い抵抗のために、実現されていませんが、トルコは未だにその夢を諦めていません。

トルコ政府は2010年に、アックユ原発建設のためにロシアと協定、2013年には、黒海の町であるシノップ市に原発を建設するために日本と協定を結び、さらに、トラキアとして知られる地方、キリキラル市のイーネアダ村に原発を建設するために中国と協力するようです。

トルコの北部はチェルノブイリ原発事故の影響を酷く受けて汚染され、さらに2011年の福島原発災害以降、トルコの人びとは核の事実を理解することになりました。

しかし今、トルコ政府は、市民社会を原発建設計画のプロセスから排除するために、新しい方法を適用しようとしています。原発は事故が発生した時に非常に重大な結果がありますが、市民社会にはそれについて言葉を言う権利を持たせないように対処しようとしています。

原発や核について新たな情報を広めるミッションで発足した団体Nukleersiz.org は今年、Worldwide Hibakusha パネル展を各地で開催しました。

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の会員で医師のアレックス・ローゼンのリーダーシップで研修生によって作られた50枚のパネルです。核兵器、核実験、ウラン採掘、原発、原発事故、核廃棄物のパネルは、「すべての結果は、ヒバクシャ」ということを教えています。

パネル展は、チェルノブイリ事故31周年である2017年の4月26日から始めて、アックユ原発建設予定地に近いメルシン市、シノップ原発建設予定地のシノップ市と、そのとなりのサムスン市、そして、イーネアダ原発建設予定地のキリキラル市で行なわれました。

シノップでのパネル展は、広島原爆72年目の8月6日前後に、サムスン市では、長崎原爆の8月9日前後に、そしてキリキラル市では、マヤーク核事故(ウラル核惨事)60年目の9月29日前後に行なわれました。

各地のパネル展で、コーディネーターの私(プナ―ル・デミルジャン)がプレゼンテーションを行ないました。プレゼン発表では、原子力技術を持つ国の政府は、背後に核兵器計画を隠しているということを説明しました。

発表で伝えたもう一つのことは、原発と核兵器の両方が環境に深刻な害を及ぼすことです。原発や再処理工場の事故で、大量の放射能が空気、土壌、水を汚染したら、多くの世代において有害な健康影響を引き起こすことです。そして、膨大な量の放射性廃棄物を何十万年もの間、安全に管理する方法がないことです。トルコの人々は核エネルギーについてもっと知るべきです。

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(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.148より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信148号
(10月20日発行、B5-28p)もくじ

・新コリ5・6号機建設再開に対する立場
(新コリ5・6号機白紙化ウルサン市民運動本部)
・新コリ5・6号機公論化と蘆武鉉大統領の影(陳尙炫)
・インド・ジャイタプールはフランスの原発建設計画にノーと断言
(DiaNuke.org)
・トルコでWorldwide Hibakusha パネル展(プナール・デミルジャン)
・「ニュークリア・アラトゥルカ」 ドキュメンタリー映画プロジェクトについて
(ジャン・ジャンダン監督)
・玄海原発 再稼働させてはならない(永野浩二)
・東海第二原発は再稼働させてはいけない(相沢一正)
・東京電力柏崎刈羽原子力発電所6・7号機の審査書案についての申し入れ
(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
・高浜3、4号機ミサイル仮処分申立てについて(井戸謙一)
・脱核への舵を握った韓国の人びと・後編(とーち)
・NNAF全記録DVD(末田一秀・松丸健二)

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トルコ・反原発ドキュメンタリー映画「ニュークリア・アラトゥルカ (トルコ原子力狂騒曲)」 ❤ 制作を支援して下さい ❤

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トルコ・反原発ドキュメンタリー映画
「ニュークリア・アラトゥルカ (トルコ原子力狂騒曲)」
❤ 制作を支援して下さい ❤

Nuclear alla Turca Documentary Film Project

日本のみなさんへ。

トルコはこれまで原発建設をめざしてきましたが、現在、その実現に最も近づいています。トルコは現在、原子力エネルギー生産国になるか、それともドイツや他の先進国も予定しているように原子力をエネルギー源として認めない国になるかの分かれ道に立っています。

トルコの原発建設の危険性を指摘するのは、環境保護論者だけではありません。原子力エネルギー開発を目的とするIAEAも、トルコの原発建設の危険性を指摘しています。福島原発事故のあった2011年に行なわれた調査では、トルコ国民の65%が原発建設計画に反対でした。しかしトルコ政府は、2018年の原発建設着工、2023年までの完成をめざしています。

2010年には、トルコ初の原発を南部メルスィン県アックユ村に建設するため、ロシア政府と契約を結びました。

そして2013年には、エルドアン大統領と安倍晋三首相が、第2の原発をトルコ北部シノップ市のインジェブルン村に建設するために原子力協定を結び、日本の三菱重工とフランスのアレバが、448万kWの原発を建設することで合意しました。しかし原発建設が予定される黒海地方には地震のリスクがあります。

日本とトルコの原子力協定締結のすぐ後、日本人アートディレクターの丹下さんが原発に反対するトルコ語のビデオメッセージを制作しました。このビデオメッセージは、ソーシャルメディアを通じてトルコで急速に広がりました。このビデオメッセージを通じ、トルコの人々は福島原発事故後の日本についてよりよく知るようになりました。トルコの反原発運動は、丹下さんからの反核と連帯のメッセージに強く勇気づけられました。

■ 映画制作の目的は

「アックユ原子力発電所」の宣伝広告が作られ、学校では子供たちに原発のプロパガンダが発信されています。

このような今、私たちは原子力の過去と現在について問うべきと考えました。議論を始め、私たち自身の未来を決める権利を行使するため、映画「ニュークリア・アラトゥルカ」の制作を開始することを決めました。

私たちの目的は、手遅れになる前にトルコの人々に原子力について考えてもらい、秘密にされてきたことやトルコにおける原子力の歴史を人々に伝え、人々の原子力についての知識を高めることです。

■ このドキュメンタリーと日本との関係

1945年に広島と長崎が、人類が経験したことのない惨禍を経験したとき、トルコのメディアは、米国によって広島と長崎に投下された原爆が第二次世界大戦を終わらせたことと、ヒトラーによる独裁の崩壊と民主主義の再生を結び付けて伝えました。

佐々木禎子さんは、原爆から致命的な被害を受けた大勢の人々のうちの一人で、まだ子供でした。彼女は折り紙で千羽鶴を作りながら、健康の回復と平和を祈りました。世界的に有名なトルコの詩人ナジム・ヒクメットは彼女のことを詩に残しました。その「死んだ女の子」という詩は日本語を含む各国の言語に翻訳され、世界中の芸術家によって様々に解釈されました。

人類は自らの手で作った核の力に怯えながらも、多くの核兵器を作り続け、太平洋で核実験をくり返しました。米国が1954年にビキニ島で行なった「キャッスル・ブラボー」核実験は、広島に落とされた原爆の何倍もの威力を持っていました。そして、実験場の近くにいた何千隻もの日本の漁船が影響を受けました。東京の夢の島公園に展示されている第五福竜丸も、犠牲となった船の一つです。ナジム・ヒクメットは、このときの日本の漁師たちの悲劇についての詩も詠んでいます。

ナジム・ヒクメットがその詩を書いたのと同じ時期、トルコは米国が提唱した「アトムズ・フォー・ピース」の下で協定を結んだ初めての国となりました。トルコはそのときから、原子力を追い求めています。原発建設の夢は実現していませんが、原発を求める主張は強くなっています。

日本の元首相である菅直人は、トルコでの原発事故のリスクは高いと語り、トルコに原発建設を勧めたことを後悔しています。

独裁的なトルコの政府は、原子力に執着し続け、3番目の原発プロジェクトについても言及しています。

■ 私たちについて

このドキュメンタリー映画の監督のジャン・ジャンダンは、トルコが最初の原発建設を予定しているアックユ村を1995年に訪ねて以来、トルコの原子力の歴史について本を書くことを夢見てきました。彼はこれまでに、社会問題を扱う3つのドキュメンタリー作品、「壁」(2000)、「3 時間:トルコの大学入試」 (2008)、「私の子供」(2013)を撮影しています。

2015年にドイツのベルリンで開催された展覧会「トルコにおける抵抗の芸術」でキュレーターを務めたクリスチャン・バーグマンと、Surela Filmで「5号刑務所」 (2009)、「私の子供」(2013)、「バクル(北) 」(2015)という高い評価を受けたドキュメンタリーのプロデューサーを務めたアイシェ・チェチンバシュが、プロデューサーとして参加します。

他に、トルコの原子力に関する歴史について本を出版したフィリズ・ヤブズがコンサルタントおよび研究者として、ボアズィチ大学電気電子工学科講師のイルケエルジャンが科学顧問として参加します。

映画の中のアニメーションは、「ペンギン」という雑誌の「何でもかなう」という人気漫画の作者ジェム・ヂンレンミシュが担います。アシスタント・ディレクターはセレン・チャタルユレクリ、そしてアシスタントプロデューサーはアルダ・チルテペが務めます。撮影監督はメルイェム・ヤブズ、サウンドディレクターはオウズ・カユナクが担います。

制作は、以上の人々だけの力で実現されるわけではありません。本プロジェクトは、サポートしてくださる多くの方々の共同作業によって進められます。

■ どんな映画になるでしょうか

1986年にチェルノブイリの雲がトルコの上空に来たとき、トルコの政治家たちは、放射能が健康に悪影響を与えることはないと主張し、国民を騙そうとしました。彼らは「少量の放射能は体に良い」「放射能を帯びた紅茶はより美味しい」「放射能は骨に良い」などと発言してきました。

本作品は、このような「アラトゥルカ(トルコ風)」で不条理な、1930年代から現在までのトルコの原子力の歴史を描く、悲喜劇的ドキュメンタリー作品です。

「ニュークリア・アラトゥルカ」は、このローカルな、そしてグローバルな知られざる物語を、住人、証人、専門家、活動家、政治家ら一人ひとりから聞き出していきます。本作品は視聴覚アーカイブ資料やジェム・ヂンレンミシュのアニメーション、モーツアルトの「トルコ行進曲」を意識して作曲した「ロンド・アラトゥルカ」によって、観客たちに、考える材料や、笑い、驚きを与えるドキュメンタリー作品として制作されます。

■ 支援はどのように利用されるか?

まだプロジェクトは始まったばかりです。本プロジェクトは、研究と資料収集、シナリオ作成およびアニメーションとグラフィックス作成、資金調達の3つの方向で進行中です。
「ニュークリア・アラトゥルカ」はスポンサーを持たず、伝えたいことを自由に表現するインディペンデント作品です。この作品は、プロジェクトの実現を望む人々の支援によって制作されます。

映画制作支援金(1000円~)を下記へ  (日本での目標50万円)
郵便振替  口座番号:00940-3-276634
口座名:ストップ原発輸出キャンペーン
ゆうちょ口座:099(ゼロキユウキユウ)店 当座0276634

❤ 支援金ありがとうございます❤ (1月8日現在、148名、計614,000円)
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