インラサラ氏・スピーキングツアー「ベトナムは原発輸入計画を中止しました!」

6月インラサラ氏・スピーキングツアー日程
20日(木) 辺野古など訪問、18:30沖縄講演会(沖縄大学)
21日(金) 18:45 福島交流会(AOZ視聴覚室)
22日(土)   12:30 「日本平和学会in 福島」分科会(福島大学)
23日(日) 福島県浜通り視察など
24日(月) 18:30 東京講演会(文京区区民会議室4Fホール) 参加費800円

共催:沖縄環境ネットワーク、沖縄大学吉井美知子研究室、原子力資料情報室、原発いらない福島の女たち、国際環境NGO FoE Japan、日本平和学会3.11プロジェクト(未定)、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン(080-6174-8358)

チャム人の村の子どもたち(撮影:藍原寛子)

ベトナム政府は2016年11月、ロシアと日本による原発建設計画を中止しました。原発建設予算の倍増および財政難が中止の理由といわれていますが、内外の様々な言論活動なども影響したと思われます。チュオン・タン・サン前国家主席は白紙撤回の背景について「国民、 特に建設予定地の住民の心配が大きくなった」と述べました(共同通信2017.12.2)

先住民族チャム人の文学者であるインラサラ氏は、2012年4月に小説「チェルノフニット(チェルノブイリとフクシマとニントゥアンの意味)」を執筆しました。また、同年5月、「原発輸出は非人道的である」とする日本政府への請願書に、インラサラ氏ら多くのチャム人を含め626名が命がけで署名しました。インラサラ氏は、圧力や攻撃で命の危機に直面しながらも原発を止める取り組みを止めませんでした。インラサラ氏はつぎのようにも述べています。「福島原発事故の多くの被災者は、我々に大災害を免れる人類の運命について覚醒を促し、それを通して、この危険で苦難に満ちた地球上に生きるすべての人類に警告してくれている」

原発建設予定地とされたニントゥアン省は、相対的に貧しい地域でチャム人が多く暮らしているところであり、福島や沖縄にもつながる「構造的な暴力を含む差別」のもとで強引に原発建設計画が進められようとしていました。

このたび、インラサラ氏を日本に招き、原発を輸出されようとした側の声に耳を傾けたいと思います。

*インラサラ(INRASARA)氏プロフィール
1957年ベトナム、ニントゥアン省チャクリン村に生まれる。ニントゥアン・チャム語書籍編集委員会、その後、ホーチミン市総合大学ベトナム東南アジア研究所に勤務。1998年よりサイゴンにてフリーライター。チャムの文化および言語を研究する傍ら、詩、小説、評論や文学批評を発表。雑誌『ダガラウ-創作・エッセイ・チャム研究』を主宰。国内外の多くの賞を受賞。2005年にはベトナムテレビ局より、年間文化人賞に選ばれる。原発建設計画が浮上した直後からチャム人の先頭に立って反対を唱え、一時は安全が脅かされるような状況に置かれた。Inrasara.com 主宰

上関にもベトナムにも原発はいらない!― 祝島の現状と、ベトナム訪問報告―

お話;渡田正弘さん(上関原発止めよう!広島ネットワーク)

5月12日(日) 14:30~16:30 (14:00開場)

新大阪丸ビル本館 710号(JR新大阪駅東口より2分) 800円

原発予定地だった漁村にて(たらい舟)

ベトナム政府が2016年に、ロシアと日本が輸出予定だった原発建設計画を中止したことは日本でも広く報じられました。中止の一番大きな理由は財政難とされましたが、ベトナム内外でのさまざまな言論活動も計画中止に大きな影響を与えたことが知られています。

2月、渡田さんはそうした現地の状況を視察するためベトナムを訪問しました。原発問題についての画期的な集会への参加、原発に反対する作家インラサラ氏との交流、そして原発予定地だったニントゥアン、先住民族チャム人の村も訪れました。

「日本が原発建設を予定していたタイアン村は、上関原発に反対し続けている祝島を連想させる美しい場所でした。すれ違った村民の女性も笑顔を返してくれました。原発反対のバナーを広げての写真撮影ができたことも画期的でした」と語る渡田さんは、上関原発建設計画に反対する活動にも精力的に関わっておられます。

上関原発を建設するために予定地「田ノ浦」がまさに埋め立てられようとした2010年12月~11年2月に、毎日のように現地に駆けつけ、体を張って埋め立てを阻止しようとする祝島の女性たちや漁船団とともに最前線でたたかいました。

上関原発の反対運動に長くかかわってこられた渡田さんの目には、ベトナムの姿はどのように映ったでしょうか。ベトナム訪問報告とともに上関原発計画の今についても最新情報を伺います。

原発予定地だった漁村にて(風力発電)

*渡田正弘さん:1970年代に東京で「台湾の政治犯を救う会」活動に従事。環境NGO「市民フォーラム2001」スタッフを経て、現在「グローバリゼーションを問う広島ネットワーク」事務局長。

祝島の漁船団

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