ベトナム 2原発 白紙撤回の現地を訪問

藍原寛子(福島在住ジャーナリスト)

チャムの子どもたち(撮影:藍原寛子)

昨年12月のトルコ、今年1月のイギリス・ウェールズに先駆けて、安倍政権の原発海外輸出政策のとん挫の“のろし”となった、2016年11月のベトナムの原発計画白紙撤回。今年2月23日から28日まで、ベトナム研究者で原発問題に詳しい沖縄大学の吉井美知子教授の案内で、同大学の学生4人、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局の佐藤大介さん、上関原発止めよう!広島ネットワーク渡田正弘さん、日本インドネシアNGOネットワーク安部竜一郎さんらとともに現地を訪ねた。タイアン村と、原発建設予定地に暮らしていた先住民族チャム人(ベトナム人の増加や開発行為により、本来住んでいた海岸から山側へ追いやられた)のコミュニティにも宿泊した。

日本国内では、茨城県東海村を中心に、東海第二原発の再稼働を計画する日本原電による説明会が4月23日から始まるなど、国内原発の再稼働に向けた動きが強まっている。しかし、2011年の東京電力福島第一原発事故の破局的な被害と経済的なリスクを直視したベトナムの「白紙撤回」の背景は、一般に広くは伝わっていない。原発や核問題が、共産党の一党独裁政権下で情報管理がされてきた影響もあったと思われるが(核を巡る秘密主義は日本も同じ)、現地の人々と触れ合い、話し合うなかで得られる「体験知」は重要だ。

沖縄、福島、そして日本各地で脱原発をめざすメンバーで現地を訪ね、知識や経験の共有と信頼、そして励まし合いの中で市民の脱原発ネットワークを築き、「脱原発への勝利の方程式」を探るのが、今回の目的だ。

佐藤大介さんは、「ベトナムの白紙撤回は、長年、原発建設計画がくすぶっており反対運動も活発な隣国のフィリピン、インドネシア、タイ、マレーシアに大きな影響を与えた。『核ドミノ』につながりかねないASEANの『原発ドミノ』を防いだと言ってよい」と、その意義を語る。

■ ベトナム原発白紙撤回の経緯

ベトナム政府の原発事業は2009年、原発建設計画の国会決議に始まる。翌10年、日本とロシアに原発事業を発注。両原発はいずれも、先住民族チャム人が多く住んでいたベトナム中南部のニントゥアン省に予定された。

ロシアは国営企業ロスアトムが同省トゥアンナム県ヴィンチュオン村に「第一原発」を、日本はニンハイ県タイアン村に「第二原発」を計画。2012年ごろからは、建設予定地の契約締結、造成、送電網整備、道路建設などインフラ整備がすすめられた。

第一原発予定地ではこれに伴って住民の立ち退きがすすめられた。これに反対し続けたのが、先住民族のチャム人たちだった。チャム人の祖先は、2世紀から17世紀まで、東南アジアの海洋貿易を担ったチャンパ王国を築いた。現地には今でも多数の史跡が残っている。

2011年2月、日本原電がベトナム電力公社と原発建設に向けた協力協定を締結。その翌月にレベル7に達した東京電力福島第一原発事故が起きた。ベトナムにもその被害が伝わり、2014年1月にグエン・タン・ズン首相が建設延期を宣言。2016年、「再生可能エネルギーの伸びがあり、原発と他のエネルギー源が共存できなくなった」として、ベトナム政府は正式に原発事業を白紙撤回した。

吉井教授は、①ベトナムの財政難 ②国内の電力需要の低迷 ③原発産業の人材不足 ④推進していたズン首相の失脚 ⑤台湾の企業フォルモサによる公害事件 ⑥チャム人を中心とした先住民族、住民の反対運動 ― を要因として分析。そこには、ボトムアップの脱原発市民の力というより、共産党一党独裁政権下における政権中枢の共産党の政治家による「原発断念」の判断が大きかったという。

福島原発事故後、世界的に原発の安全対策の課題や脆弱性が大きな問題となり、安全対策費が高騰した。その問題指摘には、福島県民や脱原発市民らの動きがあった。それらが世界各地の社会運動や原発・核に対する世論形成に与え続ける影響を分析するには、ベトナム市民との交流も、今後も重要になると筆者は考える。

■ 現地視察

南部のホーチミン市(サイゴン)から両原発の建設予定地まで車で6時間。原発のために整備された大きな道路は通る車も少なかったが、日当たりの良い土地ではBPソーラー社によるメガソーラーパネル建設が進んでいた。巨大な風車も10基以上林立し、建設作業の重機が動いていた。原発が頓挫した後、整地された地域はチャム人に返されたわけではなく、新たなエネルギー産業による土地の収奪と開発事業が続いていたのだ。

「元」原発建設予定地の近くで建設中の太陽光発電(撮影:藍原寛子)

一貫して原発反対にとりくんできたチャム人の詩人インラサラ氏の息子、インラジャヤ氏は言う。「本来、チャム人にとって土地は共有地であり、全ての源。原発事故が起きても、この土地はチャム人の生きる全てだから、逃げる場所もない。それなのにチャム人の知らない間に計画が進められ、発言も抑えられた。結果的に原発計画を止められたのは良かった」。チャム人の中にある正義を感じた。

原発予定地だった漁村・風力発電(撮影:Tho Mai)

海岸周辺ではエビの養殖池がずらっと並び、出荷作業をする人々の姿があった。海岸近くで参加者がバナーをもって記念撮影。その海岸や、近くの漁港では、驚くほどの量のプラスチックごみが浮遊していた。エネルギーと環境問題、核や原発の使用済み燃料を含めた廃棄物問題。地球上でひとつらなりになり、巡り巡って今、ここにあるがままの姿で起きている、311後の出口なき環境正義の問題の重要性と深刻さを思った。

環境汚染に避難。福島原発事故は、世界中の原発立地地域に降りかかる共通の問題を見せてくれた。国家観光局のブイ・ドゥック・ギア氏は言う。「もしも原発事故がここで起こっていたらどうだったか。地域や国家への影響は甚大だっただろう」。現地の人々から原発の問題について話が聞けるようになったのも画期的なことだ。

2月23日にはホーチミン市で「2011年福島事故からの教訓」と題して、人命や環境問題に関して今回訪問した日本側メンバーと現地の市民によるシンポジウムが開かれた。そもそも集会が監視される状況下で、こうした集会の開催は異例という。参加者の一人は、「福島の現状も知ったし、原発を含めた開発問題や環境汚染を考える良い機会になった」。

(撮影:Tho Mai)

原子力産業が政府間の推進勢力や巨大資本とつながる一方で、福島原発事故後は環境や人権を護ろうとする市民やNGOの間に、被害を再発しないための新たな架け橋が広がっている。同時に原発のリスクを未然に防げた成功事例として、ベトナムの白紙撤回は大きなメルクマールとなったことも、今回の現地訪問で実感することができた。

■ 交流と励まし合い ― 福島、沖縄、ニントゥアン

現地滞在で筆者がつくづく思ったことは「この場所に原発が建設されなくて良かった」。福島県福島市で生まれ、震災前の福島の海岸、山々を見てきた筆者は、震災後は国内外に取材に出かければ、福島と現地を比べてしまう。ここでもそうだった。

ヌイチュア国立公園では、原発が経つはずだったタイアンの集落の背後の山へ、往復6時間の登山。急でクネクネとした山道の上り下りは、恥ずかしいぐらいバテバテだったが、沖縄大の1年生4人の明るい歌声に励まされ、ベトナム人留学生のホアンティタムさんに支えてもらって何とか山頂へ。そこには美しい滝。水は新鮮で冷たく飲んでも安全。下流の水田も潤す重要な水源だ。やはり、つい、原発事故後に放射能で汚染され、こんな風に登ることもなくなった山、手ですくって飲むこともなくなった湧き水、福島の山河と比較してしまう。

チャム人の村のインラジャヤ氏の家に民泊。夜、チャム人の人々が民族衣装を着て音楽と歌を披露してくれた。沖縄大学の学生たちはスマホでカラオケを流しながら、沖縄の歌を披露。筆者は民謡「会津磐梯山」を。美しい星空の下のあずまやで、チャム人たちと一緒に踊り、歌い…、夜は更けた。いつも歌っている朗らかな4人に、インラジャヤさんが言う。「辛いときに辛いというと本当に辛くなる。みんなみたいに笑って歌って吹き飛ばすのが、チャム人の方法なんだ」。ウチナーンチュとチャム人の共通点があった。

村吉留衣(むらよし・るい)さんは「沖縄に似ているところも違うところもあった。沖縄と比較して考えるという視点が自分にあることに気づいた」。上原聖(うえはら・りべか)さんも「自分は沖縄の人というアイデンティティがあることに気づいた」。自分自身を省みる体験だったという。

タムさんは「今回、先生をはじめみんなが来てくれて、ベトナム人としてありがたく思った。ベトナムが原発を作ろうとしていたことはインターネットで調べるまで知らなかったのは反省だったけれど、今回本当に良い勉強になった」と話す。宮城七珠(みやぎ・ななみ)さんも「ここにきて、『日本って何か?沖縄ってどこか?』と思った。沖縄は日本だけど、日本の文化でひとくくりにできない、沖縄の文化があることを考えさせられた」。

滞在中は沖縄で県民投票結果が発表され、米トランプ大統領のベトナム訪問もあった。移動のバスの中でも、社会、政治情勢を巡って、活発な会話が続いた。

■ 屈しない精神 ― インラサラ氏

今回、吉井教授の通訳で、インラサラ氏から話を聞くことができた。同氏は、原発が白紙撤回した背景をこう分析する。「国内外の知識人の声が大きな影響を与えた。とくに日本の首相に抗議文が送られたことは、非常に大きなインパクトだった。もちろん、福島原発事故の経緯は、原発の危険性をチャムの人々に身近なものとして知らせ、原発反対に向けて動く大きな動機になった」。

インラサラ氏は計画が浮上した段階から反対運動を続けてきた。反対運動を始めると、圧力、攻撃、そして孤立が同氏を襲う。「大金をやるから反対するのをやめろ」と言われたり、会合で無視されたり、原発安全セミナーへの招待状が来たり、執筆をしている同氏に対して「原稿を高く買う」という話も。このような手法は日本の「原子力ムラ」が使う手段と酷似している。

同氏は明言しなかったが、別の取材の中では生命に関わる危機もあったと筆者は聞いた。

それでも反原発のスタンスを鮮明にし、反原発の記事を書き続けた。「原発推進の集会に出れば、そのときの写真が流されてしまうから出席しなかった。でも、友人、知人が100人ほど集まった会合で、誰も声を掛けてくれなかったときは本当に辛く、孤独だった」。

一人で闘えた理由、同氏を支えたものは何だったのだろうか。

「原発予定地でのベトナム人の歴史と比べ、チャム人の歴史ははるかに長い。ニントゥアン省にはベトナムの半分以上のチャム人が暮らし、100カ所以上の重要な史跡やお寺がある。もしも原発事故が起きたら、自分たちにとって大事なものが失われてしまう。そう考えたら、何も怖くなくなった。とにかく必死で反対した」。

2015年から16年にかけて、ロシアの第一原発予定地内のチャム人の「ほこら」がなくなっていることが判明した。海上交易で栄えたチャンパ王国時代から伝わる、海難者をまつったものだ。ロシア企業に訴えると、「よそに移しただけ。賠償金を500万ドル(約6億円)払う」と言ってきたが、インラサラ氏らチャムの人々はこれを拒否した。こうした「文化・歴史・アイデンティティの破壊行為」によって抵抗運動が強まっていった。

米スリーマイル原発事故やソ連のチェルノブイリ事故当時と、2011年の東京電力福島第一原発事故後が異なるのは、SNS(個人のソーシャルネット通信)で一人ひとりの市民が情報を発信できるインターネット時代を迎えていたことだ。

その時代の中で、チャムの人々がこの地の大切さや原発反対の意見を訴える機会がなくても、国の外側から、その声を聞こうとする人々、その声を広く発信しようとする人々が現れた。イギリスやフランス、日本などの海外メディアや、研究者、支援のNGOなどだ。外からの応援が増えると、署名や抗議行動をすれば警察に逮捕される危険もかえりみず、チャム人の女性詩人キューマイリー氏がインラサラ氏に賛同。こうして一人、二人と、少しずつ賛同者が増えた。ベトナムでは極めて珍しい署名活動も展開され、その数は600人を超えた。

また、福島原発事故後の状況をまとめた日本語の資料などをベトナム語に翻訳し、政治家へと届ける市民のロビー活動も起きた。知り、学び、伝えることで、自分たちで選択する――市民の知力、行動力の情熱の発信地に、インラサラ氏がいた。

白紙撤回され、インラサラ氏の表情は穏やかだが、まだ笑顔は少ない。懸念材料があるからだ。「原発計画はなくなったが、予定地は整地され、電線もあって使える状態だ。ベトナム政府がキャンセル料を求められている可能性もあり、建設予定地が原発の代替としての核のゴミ捨て場として再利用されたり、別の国の企業が進出する、などということにならないよう、今後も注視していく必要がある」。インラサラ氏の闘いはまだ終わってはいない。

*本稿は筆者拙稿「白紙撤回されたベトナム原発の旧建設予定地を訪ねる」(『週刊金曜日』19年4月26日 1230号)を一部参考、引用しています。通訳、ご案内をいただいた吉井教授をはじめ、ご協力いただいた関係者の方々に御礼申し上げます。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.157より)

白紙撤回されたベトナム原発の旧建設予定地を訪ねる(藍原寛子)PDF【週刊金曜日 4.26】より

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信157号(4月20日発行、B5-28p)もくじ

・ベトナム 2原発 白紙撤回の現地を訪問 (藍原寛子)
・7回目のニントゥアン (吉井美知子)
・庶民パワーを体感できたが、滞日ベトナム人への対応が問われる (渡田正弘)
・アメリカはインドに原発を輸出するな! (民衆運動全国連合ほか)
・<韓国>福島原発事故8周年、全国で脱原発大会開かれる (脱核新聞)
・核廃棄物の公論化、出発から激しい反発、各地域で対応様々 (ヨン・ソンロク)
・トルコ人の66%が原発に反対:2018年世論調査 (森山拓也)
・誰が生み出した核廃棄物か? 何故タオ族に片付けさせるのか?(張武修)
・東アジアの脱原発型社会を構想する (佐々木寛)
・ゾンビ会社日本原電の東海第Ⅱ再稼動はさせられない! (村上達也)
・柏崎刈羽原発の再稼働阻止、廃炉に向けて (矢部忠夫)
・高浜1・2号機、美浜3号機の廃炉を求めて (安楽知子)
・3ちゃんを偲ぶ 〜命を賭けて戦った漁師〜 (柴原洋一)
・東海第二原発の再稼働認めない ― 首都圏・意見書のとりくみ  (小熊ひと美)

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