ウクライナの人々は原子力災害を回避するために街頭に立った。アメリカの人々も同じことをするか

ポール・ガンター、リンダ・ペンツ・ガンター (Beyond Nuclear 3.20)

3月2日、印象的なニュース映像がインターネット上に掲載された。ウクライナのザポリージャ原発へのアクセス道路を、原発作業員や一般市民が封鎖している映像だ。ロシア軍が進攻する中、駐車中のタンクローリーやトラック、緩衝材や土嚢を背景に、立ち尽くす人々の姿。

その24時間後、ザポリージャ原発の補助棟が炎に包まれた。ロシア軍が発砲し、最終的に原発を制圧したと報じられた。

SNSでは、ザポリージャ原発で事故が起きればヨーロッパが終焉するとの警告が飛び交い、ウクライナのゼレンスキー大統領もそのように述べた。同国の外相は、旧ソ連とヨーロッパに放射性物質のプルームを飛ばし現在でも人体に悪影響を及ぼしている1986年のチェルノブイリ事故の10倍以上の核惨事になると警告した。

ザポリージャ原発を守るために、ロシアの軍事力に抗して一般市民が立ち上がるのは勇気のいることだった。しかし、原発のような危険なものが、敵対する、しかも経験の浅い人たちの手に渡るというのは、受け入れがたいリスクであった。

それは、ウクライナの人々がすでによく知っているリスクだ。専門家の手であってもチェルノブイリ原発事故を引き起こした。それでもウクライナは原発にこだわり、現在では電力供給の半分を4カ所の商業用原子炉15基でまかなっている。その中で、ザポリージャは6基の原子炉を持つヨーロッパで最大の原発である。破損すれば、チェルノブイリ原発事故をはるかに超える放射能が放出される。だから、ウクライナの人々は原発を守ろうとしたのだ。

米国での反原発運動の立ち上がり

今から約45年前の1977年5月1日、ニューハンプシャー州の海沿いの静かな町シーブルックで、まだ建設されていない原発を心配して2000人の人々が同じ思いを抱いた。

彼らは、非暴力的な不服従と合意による意思決定の訓練を受け、集会会場から原発建設予定地まで行進し、平和的な占拠を達成した。2日後、彼らは州をまたがる警察によって排除され、1400人以上が逮捕され、バスに積め込まれた。米国史上最大の集団逮捕であった。

この行動は、「ハマグリ同盟」と呼ばれるグループによって組織された。ハマグリ同盟は前年の1976年に一握りの活動家たち(ポール・ガンターもその一人だった)によって結成された。ハマグリ同盟は、シーブルックの湿地帯に2基の原子炉を建設する計画に直接対応するものだった。ニューハンプシャー州のパブリック・サービス・カンパニーによるシーブルック原発は、人口の多いビーチリゾートであるハンプトンに近い先住民の埋葬地の上に建設される予定だった。

アメリカの反原発運動の火付け役となるハマグリ同盟が最初にやったことは、馬車に人形劇の舞台を作ることだった。アインシュタインの言葉「村の広場に原子力の事実を運ばなければならない」に触発されたのである。「そこからアメリカの声が聞こえてくるはずだ」というアインシュタインの言葉をヒントに、彼らは州内を歩き回り、次々と町の広場で原子力の危険性を訴えるショーを行っていった。

そして10日後、ハマグリ同盟はシーブルックに到着した。1976年8月1日、非暴力直接行動の訓練を受けた活動家の集団が、建設予定地で最初の占拠活動を行った。彼らは、カエデ、ヒマワリ、トウモロコシの苗木を植えて、この地を自然に還した。これがハマグリ同盟の最初の直接行動で、18人が逮捕された。以後、さまざまな行動が展開された。

1977年メーデーのシーブルック原発建設予定地占拠で逮捕された1400人は、州内のいくつかの拘置所に移送された。そこで彼らは、2週間にわたって集団で拘束された。拘置所の中で彼らは、原子力に関するシンポジウム、ネットワーク作り、訓練を行った。大衆組織化にとってこれまでで最大の機会ととらえて活動した。

最終的には、原発予定地の平和的封鎖で4000人以上が逮捕された。結局、シーブルック原発は2基のうち1基しか稼働しなかった。

ハマグリ同盟の大胆な行動の後、大規模なイベント、デモ、非暴力占拠、封鎖が、ニューヨーク州ロングアイランドのショアハム原発建設予定地からカリフォルニア州サンルイスオビスポのディアブロ・キャニオン原発建設予定地まで全米に押し寄せた。

そういった過程で、電力会社4社が破綻した。

反原発運動は、1979年にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催された「No Nukesコンサート」をはじめとするフェスティバルに結集した。同年の株価大暴落から50年目の記念日には、何千人もの活動家が、原発からの撤退を訴え、ウォール街を封鎖した。

1976年から90年にかけて、全米で発表された原発建設計画の半分近くが、中止または放棄された。この過程は、1979年のスリーマイル島原発事故によって、さらに強化された。しかし、原子力産業が急激に衰退すると、それに反対する大規模な市民運動の勢いも衰え始めた。

2012年3月22日、バーモント・ヤンキー原発で行われた1000人以上の集会では、130人が逮捕された。その日、拘束された最高齢者は、当時92歳だった小柄な運動家、フランシス・クロウだった。これまで何度逮捕されたかと聞かれ、「まだ十分じゃない」と答えた。バーモント・ヤンキー原発は2014年12月29日に永久閉鎖となったが、クロウはさらに5年、100歳まで生きた。

何が変わったのか?

原発のロビー団体は、時代に適応しながらプロパガンダを転換してきた。1950年代、原発は「平和利用」「安い発電コスト」だった。1990年代は、「安全、クリーン、信頼できる」だった。そして今、原発は「気候変動の解決策」である。

本格的な新規原発の建設は、以前と同じように財政的な大失敗をもたらすことを理解し、原子力ロビーは2000年代半ばの「原子力ルネサンス」という夢物語を捨てた。

そのかわりに、老朽化し劣化した原発を稼働させ続けるために、何百億ドルもの税金の補助金を確保しようと必死になっている。そして、寿命80年にもわたる連続的な免許更新が行われている。

同時に、以前は却下された古いアイデアであるSMR(小型モジュール原子炉)を宣伝するキャンペーンを復活させている。原子力ロビーによれば、SMRは気候変動から救ってくれるという。この業界は、レトリックから「不都合な真実」を徹底的に排除している。たとえば、SMRは「規模の不経済」があり、連邦政府の手厚い補助金がなければならない。

気候変動運動家の一部も、「原発反対」を受け入れずにいる。原発の継続的な使用を支持し資金を提供することは、自然エネルギーへの資金を奪い、実際に気候変動を悪化させるという十分な証拠があるにもかかわらず、である。

原発は共和党と民主党の寵児であり続け、老朽化した原発を稼働させるために何百億ドルも投入し、新しい原子炉の研究開発に何十億ドルも投入しようとしている。

ロシアのウクライナ侵攻は、原発での事故や核災害の現実的な恐怖の認識を高めたが、原子力産業の良心を刺すことはないだろう。それどころか、原子力産業はホワイトハウスに駆け込み、バイデン政権に安価なロシア産ウランの輸入を継続するための免除措置を維持するよう懇願しているのだ。この国に残る93基の原子炉に供給されるウランのほぼ50パーセントは、ロシア、カザフスタン、ウズベキスタンから輸入されている。安価なロシア産ウランの供給がなければ、米国の原発は、より安価な再生可能エネルギーによる電力市場の競争激化で、さらに遅れをとることになり、原発の閉鎖が加速される可能性がある。

アメリカの市民はこれまで、原子力産業の成長に立ち向かい、一定程度くい止めてきた。その教訓を生かし、ハマグリ同盟が再び動き出した。メンバーも年を取り、白髪も増え、なかには亡くなった人もいる。「たいまつ」を次の世代に渡す準備はできているが、その前にもう一度火をつけなければならない

original:
https://beyondnuclearinternational.org/2022/03/20/ukrainians-took-to-the-streets-to-avert-a-nuclear-disaster/?fbclid=IwAR1pA-2yZNLLb9nLBA9ToWiFsKZj_azt6ki7Y-nMhTy53o0sM0c3ubepa5U


ノーニュークス・アジアフォーラム通信175号(4月20日発行、B5-32p)もくじ

・バターン原発復活に反対する (Nukes Coal-Free Bataan) 

・原発をめぐるトルコの主な出来事 (森山拓也)

原子力災害に終止符を (トルコ反核プラットフォーム)

福島核事故11年・脱核プサン市民連帯記者会見文 

・老朽化した原発の寿命延長を撤回せよ (脱核ウルサン市民共同行動)

・インド:原子力省、23年以降の国産PHWR 10基の建設計画を国会で発言

・ベトナム:16年の原発計画中止は賢明な選択、国会議長

・ウクライナの人々は原子力災害を回避するために街頭に立った
  アメリカの人々も同じことをするか (ポール・ガンター、リンダ・ペンツ・ガンター)

片桐なおみさんを、新潟県知事に (小木曽茂子)

4.16さようなら原発首都圏集会報告 (井上年弘)

・雨の中、300人の結集で「STOP!女川原発再稼働」を訴える (舘脇章宏)

・海洋調査から見えてきた福島の海の現状と、汚染水海洋放出に対する監視体制 (水藤周三)

・飯舘村原発被害者訴訟・原告意見陳述 (伊藤延由)

・ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.162~174 主要掲載記事一覧   

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