脱核への舵を握った韓国の人びと後編 とーち

2017年8月10日から15日まで佐藤大介氏とともに韓国を訪れた。ムン・ジェイン大統領が脱核宣言をして2か月ほど。しかし現地の人々に白紙撤回すると約束していた建設予定の核電は、3ケ月間の公開討論(公論化委員会による討論)を行った後に結論を出す、また工事を中断するとしていた完成間近の核電は完成させ、その設計寿命まで運転を認めるため脱核が実現するのは2076年という。この政策が韓国の人びとにどうとらえられているのか、それを探る旅だった。

■ 戦場を知らない子どもたち

日本大使館前の従軍慰安婦少女像
日本大使館前の慰安婦処女像

ソウルに地下鉄で入ると、まず日本大使館の前にあるという従軍慰安婦少女像を探した。この日の宿舎がその近くにあるからだ。大使館に向かい合っているようなイメージを勝手に持っていたが、入口からは少し離れて、道路のほうを向いて静かに座っている。
「戦争を知らない子供たち」という歌がある。これにはずっと違和感があった。この歌自体は「戦争が終わって僕らは生まれた♪」という歌詞だから、ここでいう「戦争」は一般的な戦争ではなくThe warつまり十五年戦争であり太平洋戦争を指しているのだから作詞の北山修に誤りはない。しかし、いつの間にか私たちは、一般的な意味での戦争をも含めて、私たちは戦争を知らない、と思いこまされてきたのではないだろうか。
でも本当は、私たちは、この国は、ずっと戦争と共にあった。そもそも敗戦後に始まった朝鮮戦争がこの国の経済に奇跡的な向上をもたらし財閥も戦犯も復活を果たしたのだ。その中にはもちろんあの岸信介もいる。その後もベトナム戦争、湾岸戦争と直接的な武器輸出こそ行わなかったかも知れないが、戦争による好景気をもとにしてこの国は発展してきたのではなかったか。
かなりモノが分かっていると思っていたキャスターが「戦争を望む人なんていないんですから」というのを聞いて愕然とすることがある。冗談ではない。およそ近代の戦争は金儲けのために仕掛けられてきた。民族紛争も領土問題もそのための材料として利用されたに過ぎない。
おそらく日本でも戦争をしたがっている人々は戦争をよく知っているだろう。それで儲けてきたのだから。「戦場」を知らない、のは確かだ。しかし、戦場を知らないくせに、戦争で儲けてきたことを知らない、知ろうともしないで私たちは過ごしてきたのだ。そのことを見つめなおすことから始めて行きたい。少女像を見つめながらそう思った。

■ ソウル市の取り組みと緑の党

緑の党のイ・ユジンさん
緑の党のイ・ユジンさん

夕方、緑の党のイ・ユジンさんの話を聞いた。特にソウル市の取り組みが興味深い。日本での3.11の東電事故や、同年9月に韓国全域で発生した大規模な停電に触発され、大都市ソウルの役割として、使用電力の削減を目指して「核電一基削減市民委員会」が2012年に設立された。
太陽光パネルの設置などの生産、省電力の機器を使うことによる効率化、そして節約を組み合わせて核電1基分の電力削減を行おうというものだ。
そしてそれは2014年にすでに達成され、第二段階として都市であるにも関わらず、2020年までにエネルギー自給率を20%にする目標を掲げている。
他にも分散型のエネルギーを目指すことや、新エネルギーにより雇用を創出すること、また低所得世帯ほど高価なエネルギーを使わざるを得ないことから、エネルギー福祉という概念でその改善のための基金を作るなど、積極的な取り組みが行われている。
そしてそうした政策を紹介する綺麗なパンフレットも作成されており、英語版はもちろん日本語版まである。その取り組みは、エネルギー問題を困った「問題」として捉えるのではなく、乗り越える過程も含め、イメージ向上へつなげる前向きの姿勢が感じられる。
そうしたユジンさんの話が終わろうとしたころ、脱核が実現するのは2079年というのはどうなんでしょうねえ?という質問に、俄然声が大きくなった。大事なのは今見通せる予定だけではなく、この大統領の任期5年の間に核電ではなく自然エネルギーを広げていくシステムを作ることだ、自然エネルギーが商業的にも成り立つようになり、それが普及すれば政権が変わってもその道は続いていく。その先に脱核がやってくるんです。

初期のころに設置したという太陽光パネル
初期のころに設置したという太陽光パネル

翌日、ユジンさんの自宅を訪れ、初期のころに設置したという太陽光パネルを見せてもらった。思ったほど大きなものではないが、逆にごく自然に普及していくためには、小さくても実際に電力を生産するという意識を持てることも大きいのではないかと思った。

■ 慶州地震の恐怖

韓国の脱核への流れを決定づけたのは3.11の東電事故と、2016年9月に発生した慶州地震であるといわれる。まずマグニチュード5.2の地震が19時44分に起きたあと、ほぼ1時間後に同5.8の地震が発生した。二回目のほうが大きいのは珍しいが、これは同年4月に発生した熊本地震と共通している。
韓国では地震は少ないため、3.11のときも核電の問題はあるにしても、地震については韓国は大丈夫だ、という雰囲気があったらしい。それがこの慶州地震で一気に問題化したのだ。
通訳をしてくださったキム・ボンニョさんのつてで、歴史文化都市として名高い慶州の市内に住むパク・スンイさんに話を聞いた。
食事の支度をしているところで、ドーンと音がしたので、てっきり北朝鮮のミサイルが着弾したと思ったという。その後、ユッサユッサと揺れたため地震だと気が付いた。家ごと揺れる感じで、特に棚の物が落ちるといったことはなかった。初めての体験でとても怖かったが、核電のことまで気が回らなかったという。

パク・スンイさんの庭の唐辛子

■ ウォルソン核電の反核テント村

ウォルソン核電のPR館の前に鉄パイプとビニールでできたビニールハウスのような建物が建っている。
そこでファン・ブンヒさんが迎えてくれた。1983年に運転を開始したウォルソン核電1号機の設計寿命30年を延長しようという動きに反対して、2014年の8月からこのテントを建てて座り込んでいるという。韓国水力原子力発電(以下、韓水原)の敷地だが、いまのところ強制排除はされていない。
3.11の東電事故も影響しているという。日本の核電は耐震性も信頼性も高いと思っていたのに、それが事故を起こしたことで私たちにも同じことが起こるのではないかと思ったという。
ウォルソン核電は日本にはない型、カナダ型のCANDU炉である。この炉は重水を使用するためトリチウムを大量に排出する。トリチウムは三重水素のことで、弱いベータ線を発するが、分離しにくく、東電事故で冷却水をタンクに貯蔵し続けなければならない原因となっている物質だ。
(日本の法律では一般的なトリチウムは3.11以前より10億ベクレル(1L当たりの場合は1億ベクレル)までは放射性物質とみなさないことになっている。以前知らずにLUMINOXという時計を買ったのだが、それはトリチウムガスを封入したガラス管により12年間は発光し続けるというもので、元は軍事用に開発された。12年間というのはトリチウムの半減期である。それがちょうど10億ベクレルのトリチウムを含んでいる。このためこの時計は、普通に宅急便で郵送されてきたし、荒ゴミとして私が捨てることもできるのだ。この緩い基準にはこのCANDU炉が関係しているのではないかと私は推測している。)
このため、このあたりの住民の尿からはトリチウムが検出され、とくに成長盛りの孫たちのほうが多く検出されるという。健康に影響はないといわれているが体にいいはずがなく、今は集団移住することも要求しており、4世帯ほどの住民が交代で座り込んでいる。毎週月曜日には、自分たちの棺桶を担いで核電の門までデモをしているという。

ファン・ブンヒさんとテント村

慶州からも近いので、ファンさんは地震も体験された。二回目のほうが大きく、棚から物が落ちたという。家にいると怖いので、車でひらけたところに逃げていたが、それでは情報が得られないので、家の前に戻ってきて、交代で家の中にテレビを見に行ったという。孫たちはいまでも、大きな音がすると、地震じゃない?と驚くという。
地震の翌日には、当時まだ公示前でいち国会議員だったムン・ジェイン氏が訪ねてきた。通り一遍の訪問ではなく、私たちの話を十分に聞いてくれて、核電のこんなそばに人が住んでいることに驚き、私が大統領になった時には脱核する、と言ってくれたとファンさんは話す。

背景がウォルソン核電
背景がウォルソン核電

テントの前で写真をとって100mほど歩いて浜に出ると、目の前にウォルソン核電がそびえていた。ファンさんは犬と孫たちを連れていっしょに来てくれた。いつごろ核電が建ち始めたのか覚えていないという。当時は独裁政権下だ。住民の同意を得て建てられた訳ではない。放射能についても何も知らされず、電気を作る工場、くらいにしか思っていなかったという。核電や放射能の問題を知ったのは民主化後のことになる。

 

■ 建設の止まった新コリ5,6号機

新コリ核電
新コリ核電

写真家のチャン・ヨンシク氏にコリ核電と新コリ核電の撮影ポイントを案内してもらった。チャン氏はもう10年もコリ核電を撮り続けているという。

 

建設中の新コリ核電5,6号機
建設中の新コリ核電5,6号機

特に新コリ核電5,6号機の状態を見たかった。この二つの核電は建設中だったが大統領の決断により建設は中断されている。建設は30%進んでいるといわれている。
実際に見てみると、確かにクレーンなども止まったままで人の姿もない。また地上構造物はほとんど見えないので、建設がそんなに進んでいるのかどうかも分からない。私たちは台湾の第四核電の建設現場を何度も訪れており、巨大な地下構造物が建築されるのを見てきたので、30%という進捗を必ずしも否定しきれない。というわけで、できるだけ近くで見たかったので、人影もない開いているゲートから入ってどんどん近くに寄っていった。だいぶ近くまで寄れたけれど、高さがないのでどうしても建設状況がみれないなぁ、と思っていたら、知らない車が入ってきてチャンさんに話しかけている。どうやらこちらに気が付いて警告に来たみたいだ。さっきのゲートからこっちはたぶん韓水原の敷地だったのだろう。
とりあえず、引き返していたら、今度はより重々しい感じの車がやってきたので足を速めた。やばいかも知れない。チャンさんが話を続けてくれている。こういう場合、へたに残るより立ち去ったほうがいい。先に車を出してとりあえず遠ざかっていると、チャンさんから電話が入り、事なきを得たようだ。どーなることかと思った。
その後、新コリ核電から1kmほど離れたところの住宅街を見せてもらった。その付近だけ同じ時期に建てられたと思われる小ぎれいな住宅が並んでいる。この住宅の人びとは、初期のコリ核電が建てられた際に移住させられ、その後、移住先に新コリ核電が建設されることになったため、再度移住させられたのだという。

二回移住させられた住宅街
二回移住させられた住宅街

ところで、コリ核電と新コリ核電はてっきり敷地が離れているのだろうと思っていたが、ほとんど続いている。キム・ボンニョさんに聞くと、「新」と付けたほうが安全な印象を与えるので、そうしているのだろう、とのこと。韓国ではウォルソン核電、ウルチン核電でもほとんど続いた敷地なのに最近の核電には「新」を付けている。
さらにウルチン核電はハヌル核電に、ヨングァン核電はハンビッ核電に名前を変えた。それもイメージをよくするための改名らしい。
というわけなので、私は従来通りの名前で呼称しようと思っていたが、気になることがあった。私は3.11の事故のことを東電事故と呼ぶ。地名で名付けられた名称では、まるでその地域のみが被害を受けたかのような印象を与えてしまう。韓国の新聞記事によれば、改名は「地域経済とイメージに悪影響を及ぼす、という住民の意見を反映」したものだという。それが本当なら、やはり新しい名称のほうがいいのかも知れない、とも思う。

■ キム・イクチュン教授のお話

前編で紹介しきれなかったキム・イクチュン教授のお話をまとめて紹介する。

・政府の政策転換について

大統領の脱核政策により、産業部の公務員たちは180度立場が変わったことになる。これまでは核電がいかに必要かを広めることが仕事だったが、今は自然エネルギーを広めることが仕事になった。
もちろん納得していない人もいるだろう。しかし、韓国の自然エネルギーの普及が世界にくらべて極端に遅れていることを知らなかったはずはない。彼らは間違っていたとは言わないが、時代が変わった、と言わざるを得ないだろう。
核電勢力をあまりにも弾圧するのはよくないと思っている。反抗を呼べば政策は失敗する。
脱核が勝った背景は30年に及ぶが、日本での東電事故が韓国の脱核運動にもっとも大きな影響を与えた。韓国でもあのような事故が起こりうるとみんな思ったし、その後の慶州地震もそれを後押しした。
私に連絡してきたとき、すでにムン・ジェイン大統領は脱核の意識を持っていた。

・高レベル廃棄物問題について

高レベル廃棄物は核電内で仮置きしているが、手狭になってきたためリラッキング(ラックに間隔を狭くして置きなおすこと)している。危険性は増すが、今はそうせざるを得ない。
前の政権のとき使用済み燃料の公論化委員会を行い、二つの結論を得た。最初は敷地内に中間貯蔵し、その後永久処分するための処分場の選定方式を定めた。しかしその方法には大きな問題がある。慶州の低レベル処分場のときもそうだったが、敷地の安全性は考慮せず、住民が許容すれば決定してよい、ということになってしまっている。
高レベル廃棄物の問題は、私たちにとって隠している武器といえる。今は核電の事故の影響を強く訴えているが、廃棄物の問題は解決不能な問題なのだから、この問題は核電を止める大きな議論を引き起こすことになるだろう。

・再処理について

韓国はパイロプロセッシング(乾式によるウラン/プルトニウム抽出方法)による再処理を進めようとしていたが、これについても予算をなくす方針だ。もんじゅ中止の影響もあるが、ほとんどの専門家は高速炉の実現性に疑問を持っている。この問題も公論化により取り上げられるだろう。そうすれば白紙になる可能性が高い。
プルトニウムは核爆弾にするしか使い道はないのだから、日本で行われている核燃料サイクルは、一言でいえば税金泥棒が目的だ。多くの国民の目を盗んで、一部の国民の潜在的核保有国になりたいという欲望を餌にして、泥棒を続けていた。日本ではそれに成功したが、私たちは日本からあまりにも多くのことを学び、核燃料サイクルは詐欺だということを知っています。

キム・イクチュン教授
キム・イクチュン教授

・核電輸出について

海外輸出については大統領は妨害しない、と言っている。しかし、核電輸出が韓国経済の助けになっているか、それは検証が必要だ。
UAEに4基輸出したけれど、その契約内容が公開されていない。しかし膨大な技術料を払ったことなどが次第に明らかになってきている。その技術料は政府が半分以上を拠出した。そもそもダンピング輸出なのにUAEにもお金を貸している。
そして万が一事故があれば韓国政府が責任を取るとか、使用済み燃料も韓国へ持ってくるという報道もあった。こうしたことが公開されれば、輸出がなんら利益にならないことがわかる。
大統領は妨害しない、といいましたが、情報を公開することで輸出はできなくなるでしょう。

・脱核の可能性は100%です。

脱核宣言をした国でも、一度決めてまっすぐに進んだ国は少ない。日本も宣言したがひっくりかえった。他の国でもいったり来たりを繰り返しながら進んでいる。
なぜか。国民のほとんどが納得するまで説明を続けなければならない。だから逆に戻ることもある。
しかし、国民の7割以上が賛同するようになれば戻ることはないだろう。
韓国ではこの5年間に国民が賛同するように説明することだ。直近のコリ核電5、6号機の公論化委員会では負けるかもしれない。しかしこの後、5年の間、国民が説得されれば脱核はやめることができない。
一番重要なのは宣伝、教育にかかっていると思っている。
現在の政府は核電の広報を禁止している。今後はそうした予算をなくす。教科書を通じて実体を教えていく。そうすれば勝算があると思う。

このように力強く語った教授は、私たちと早めの夕食をとったのち、近くの会場で核電についての講演会で講師をしていた。そっと覗くと原子炉の図を使って説明しており100名以上の人びとが聞き入っていた。なんともパワフルな人である。

■ サムチョク 核電を止めた町

日本でもそうであるように、韓国でも核電が建設されたところよりも、阻止したところのほうが多い。サムチョクは、そうした町の一つで強い反対運動により核電の建設を阻止した歴史がある。今回最後の現地として訪れたサムチョクはそうした町だった。
迎えてくれたマ・ギョンマンさんは台湾のNNAFにも参加したこともあり、日本語が話せる。

核電白紙化記念塔
核電白紙化記念塔

マさんの車で連れて行ってもらったのが8・29記念公園にある核電白紙化記念塔だ。1991年に核電建設の計画が伝えられると、様々な反対運動が実行され、中でも1993年8月29日に大規模な反対集会が開かれた。そうした運動の結果、ようやく1998年に計画の破棄を正式に認めさせたのだ。それを記念して翌年に作られたのが、この核電白紙化記念塔だった。
しかし、その後2005年には核廃棄物処分場の候補地にされたが、それも住民の反対により跳ねのけた。さらにその後、2011年の末に再び核電の新規立地予定とされてしまっていた。
マさんも反対運動をしてきて、1986年には日本の大学にいっていたこともあり、学生時代にも日本語を勉強していたので日本語が話せるという。
50歳を過ぎて結婚する際、意を決して帰農することとし、いちご農家を始めたという。案内してもらったいちごのビニールハウスは巨大だった。4棟ほどあるビニールハウスは、3重にビニールが張られており、韓国の冬にも耐えられるようになっている。棟ごとに時期をずらして生育するが、植え替える際には、一度、土だけの状態で高温状態を保持することで、病害虫を予防することができ、農薬を使っていないという。

少女と少年とやぎ
少女と少年とやぎ

そして、ビニールハウスの作業場は、画家であるお連れ合いのアトリエでもあった。農作業で働く人々などを主に描画されており、無数のデッサンと油絵があった。

水戸喜代子さんの肖像画
水戸喜代子さんの肖像画

びっくりしたのは、その中に水戸喜代子さんの肖像画とデッサンがあったことだ。聞くと台湾のアジア・フォーラムで知り合い、その後何度かマさんのところを訪れているという。つい、数か月前にも来たという。ちなみにマさんは中国語もできるので、水戸さんとは中国語で話すというのも、なんともインターナショナルである。
その日は脱核巡礼の活動を続けているイ・オクプンさんの家に泊めてもらった。サムチョクの海水浴場に面した海の家のような、夏にはこよなく快適な場所だった。

サムチョクの朝日
サムチョクの朝日

ただ翌朝、たまたま早く目が覚めた私が海に上る日の出の写真を撮っていると、北から南へ、目の前を横切って3人の若い兵士が銃を構えたまま歩いていった。おそらく、脱北者が上陸した形跡がないか確認しているようだった。ここでは当たり前の光景なのかも知れない。しかし、私には改めてこの国の状況を思い知らされた気がした。

 

3人の若い兵士
3人の若い兵士

■ 脱核への舵を握った韓国の人びと

最後の夜にはイ・ホンソク、ユ・ジョンホ、小原つなきというなじみの面々と遅くまで話をした。


イ・ホンソク達もムン・ジェイン大統領の姿勢を評価している。いろいろ問題はあるが、確実に前進しているんだ、という自信を感じた。そもそも核電なんて、どうやったって衰退していくしかないわけで、日本においても脱核は時期の問題でしかない。でも日本にいるとどうも、そういう風に落ち着いて対処することができないのはなぜだろう。


韓国でも大統領が脱核において公約から後退したことを厳しく批判する声も当然ある。日本で同じ状況になれば私もたぶんそう主張するに違いない。しかし、20年来、脱核を目指してきた仲間がこの状況にようやくこぎつけて、その現状を肯定していることは、私には信頼することしかできない。
今回「脱核への舵を切った」ではなく「舵を握った」と表現したのは、強い流れに舵を取られ、脱核への動きが阻まれることも彼らは覚悟しているからだ。しかしそのとき、舵を持つ手にその流れを感じることができるだろう。そしてその手ごたえは、そのあとに再び舵を切る力に繋がっていくはすだ。
そうした民主主義の手ごたえを彼らは感じ取っているのだ。
台湾、そして韓国と脱核へ向かう隣国を知るにつけ、うらやましい、とつい思ってしまう。しかし、それができるのにはちゃんと理由がある。台湾は三か所にしか核電はなく、四か所目は止めている。韓国も集中してはいるが四か所にしか核電はできていない。いずれも独裁政権下で、いやおうもなく建てられてしまった場所だ。民主化が叶ったそのとき、手にした権利がいかに大切なものか、その前の時代を体験したからこそ実感できたのではないだろうか。だからこそ、民主化後、新しい核電立地箇所を台湾、韓国は許していない。
そしてその厳しい時代を招いたことに、日本はもちろん無関係ではない。
チューリップが春、花を点けるのは冬の寒さを耐えたからだという。春の花の美しさだけでなく、その過ごした冬の厳しさをも、もっと学びたいと思った。

※この旅ではキム・ボンニョさんに通訳、運転、コーディネートなど本当にお世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
※ところで本稿ではせっかく韓国のお話ですし、原発のことを核電と表現してみました。意外と違和感ないと思われませんか?

追記:本稿を脱稿した後、公論化委員会による結論が出て、新コリ5,6号機の建設を継続するという報が入ってきた。当然原稿を修正すべきところがあるだろうな、と思って読み返してみたが特にそのような箇所がない。意外に思うと同時に私たちが会った人々はこの結論も想定した上で、進もうとしていたのだと思い当たった。
そういえば、日本から輸出された台湾第四核電の建設がどんどん進んで、死を賭してでも止められないかと私が思い悩んでいたことがあった。そのとき台湾の友人に「建設して儲けるだけ儲けさせて動かさなきゃいいんだよ」と言われて拍子抜けしたことを思い出した。冬を耐えた花に比べて、私はなんて脆弱なんだろう、そう思ったものだった。

ユジンさんの庭の花
ユジンさんの庭の花

とーち(奥田亮)

マレーシアで1980年代に発生したARE事件の現状報告:現在も継続中の深刻な放射能汚染

マレーシアで1980年代に発生したARE事件の現状報告:
現在も継続中の深刻な放射能汚染 

和田喜彦(同志社大学経済学部)

(1)はじめに

本稿では、マレーシアで1980年代(約30年前)に発生した放射能汚染をともなう公害事件の影響が現在まで残存している状況について報告する。この事件は、レアアース製錬を行なった企業が加害企業であり、その社名(エイジアンレアアース社)に因み、「エイジアンレアアース社事件」、短くは「ARE事件」と呼ばれている。四日市ぜんそくの加害企業のひとつである三菱化成株式会社もこの事件に関与していた。

(2)エイジアンレアアース社(ARE)事件の概要

エイジアンレアアース社(ARE)は、マレーシアのペラ(Perak)州のイポー(Ipoh)市近郊にレアアース製錬工場を建設し、1982~94年(現在から36~24年前)の間に操業していた。製錬過程で発生したトリウムやウランなどの放射性廃棄物の管理が杜撰であったため、深刻な公害被害が発生した。

筆者は、2012年11月~15年12月の間に3回現地調査を実施した。マレーシア出身のオーストラリア人研究者(Lee Tan氏)や住民の協力を得ることができたのが幸運だった。

ARE事件の舞台は、マレー半島西部に位置するイポー市近郊のブキ・メラ(Bukit Merah)村とその周辺地域である。この地域一帯は、かつてスズ(錫、Sn、融点:232℃)とレアアースの生産で繁栄したが、現在はこれらの産業は下火となっている。

三菱化成株式会社(現在の三菱ケミカル株式会社)は、マレーシア企業と合弁でエイジアンレアアース社(ARE)を1979年に創設し、1982年に操業を開始した。その背景として、日本の原子炉等規制法改正(1968年)により、国内での放射性廃棄物の投棄や保管が厳格化されたことが挙げられる。これにより管理コストが上昇し、モナザイトなどからレアアースを抽出する工場は海外に移転していったのである。結果的に1972年までにレアアース抽出工場は日本から姿を消した。

くり返しになるが、レアアース抽出の工程では、多くの場合放射性物質が廃棄物として発生する。そのため、廃棄物の管理は厳重になされなければならない。ところが、AREの放射性廃棄物の管理体制は非常に不適切なものであった。とくに操業開始後2年間は、適切な廃棄物保管施設を設置していなかった。放射性物質を周辺の空き地、池、河川、道路脇などに大量に違法投棄した。そのことにより、周辺住民や従業員とその家族に白血病や先天性障害などで苦しむ人々が現れた。

1985年、AREの操業停止を求めて住民たちは裁判を起こした。1992年に出された第一審のイポー高等裁判所の判決は住民勝訴で、AREは14日以内に操業を停止するよう命じられた。AREは、判決を不服として最高裁判所に即時上告した。それを受けた最高裁はイポー高等裁判所の命令を暫定的に停止した。翌年1993年の12月には、イポー高裁の判断を完全に覆す最高裁判決が言い渡された。企業側の責任は認められず、操業は引き続き認められることとなった。

ところが、最高裁判決が出て間もなく(1994年1月)、三菱化成とAREは、国内そして国際世論に押される形で、操業を停止した。また、三菱ブランドを守るために違法投棄箇所の除染を実施した。しかし除染されたのは、裁判の過程で、違法投棄を請け負った業者らの証言によって明らかになった場所のみであった。証言から漏れた箇所が、現在も未除染の状態で残っているのではないかという疑念の声が以前から出されていた。住民や不動産業者などから、筆者や共同研究者に対し放射能汚染の実態調査をしてほしいという依頼が寄せられていた。

(3)現在も残る深刻な放射能汚染

住民の懸念と要請に応えるべく、筆者と共同研究者のLee Tanらは、2013年11月と2015年12月に調査を実施した。まず、放射性廃棄物の違法投棄をAREから委託されたという請負業者(高齢の男性で匿名希望)に聞き取り調査を実施し、複数の違法投棄現場の位置情報を聞き出し、それらの現場に出向き、ガンマ線計測器で放射線量を計測した。線量が高い箇所では土壌サンプルを採取し、大阪大学大学院理学研究科・福本敬夫氏に土壌分析を依頼した。

2013年11月の調査では比較的線量が高い場所が1箇所見つかった。バイパス道路の脇の地点で、そこでのガンマ線量の平均値は、0.34 マイクロSv/hを示した。通常の8倍程度であった。20メートル程の距離には一般の民家が1軒隣接し、約100メートル離れた箇所には別の民家があった。

しかし、2015年12月に実施した現地調査では、さらにガンマ線量が高い箇所を発見した。平均値は4.59マイクロSv/hであった。バックグラウンドの約100倍程度である。そこは、高圧電線の下の空き地で、牧草が生えている部分もあり、牛たちがのどかに草を食んでいた。近隣には、商業用倉庫があり、ペットボトル飲料水などが保管されており、ときおり業者とみられる人々がやってきて、商品を持ち出していた。小川をはさんで反対側には、工場が位置している。土壌分析の結果は、図1のように、放射性ウラン、放射性トリウムの濃度が非常に高い値を示した。ウランは、最大値で453ppmで、カナダ政府の土壌安全基準(居住地域)23ppmの約20倍であった。

図1:AREにより放射性廃棄物が違法投棄され未除染と思われる土地の土壌分析結果 (土壌採取日は、2015年12月29日~30日)
図1:AREにより放射性廃棄物が違法投棄され未除染と思われる土地の土壌分析結果
(土壌採取日は、2015年12月29日~30日)

トリウム汚染の公的な安全基準を見つけるのには苦労したが、EUの建築材料の安全基準を見つけることができた。それは49ppmである。この地点でのトリウムの土壌中濃度は、最大値で6,263ppmを示し、EUが定めた建築材用の基準の128倍であった。人々が自由に出入りできる場所であり、牛たちもその上で草を食んでいる場所でもある。人と牛の健康にとって危険なレベルであり、放置すべきではない。三菱ケミカルとAREに対し、これらの地点での除染を早急に実施するように求めたい。

(4)ARE事件被害者ライ・クワンさんからの三菱ケミカルへの要請

2015年12月に、ブキ・メラ村の住民の一人であり、かつARE公害事件の被害者でもあるライ・クワンさんにインタビューを行なった。末息子のレオンさんは重い障害をもって生まれ、彼女は苦労してレオンさんを育て上げた経験をもつ。残念ながら、レオンさんは2012年春に28歳で死亡した。インタビューには、ライ・クワンさんの娘で、レオンさんの姉であるライ・ファンさんも同席してくれた。

未除染の汚染箇所が複数見つかったことをお伝えすると、ライ・クワンさんは「自分たち以外の人たちに同じ辛酸をなめてほしくない。三菱化学(現在の三菱ケミカル)に対し、汚染土壌の除去作業を実施するよう訴えたい」と述べた。ライ・クワンさんとライ・ファンさんのインタビュー動画が、筆者のFacebookに掲載してあるので、ご覧いただきたい。どなたにも公開されています。
https://www.facebook.com/100007517136269/videos/1744179959175892/

(5)さいごに

ARE事件は30年以上経過した現在も未解決のままである。三菱ケミカルとARE社は、汚染箇所の除染を早急に実行すべきである。上に紹介した動画からもうかがい知ることができるが、ライ・クワンさんは高齢で病気がちである(今年76歳)。また、違法投棄を請け負ったことを証言し、その場所を教えてくれた男性も彼女と同年代である。当初、その男性は過去の不名誉な行為を明らかにすることを躊躇していた。我々が住民の懸念を伝えたところ、被害の拡大を防ぐため自らの責任を果たしたいという気持ちになってくれ、証言してくれたのである。この男性のささやかな良心的改心に応えるためにも、日本の名誉のために、そして三菱の名誉のためにも、AREと三菱ケミカルには彼女や彼が存命中に責任を果たしてもらいたい。

AREレアアース製錬工場と類似の工場が、東海岸のパハン(Pahang)州・クワンタン(Kuantan)市(人口約35万人)近郊に作られ、2012年12月より操業を開始している。オーストラリアのライナス社のレアアース製錬工場である。日本政府も独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)を通じ200億円を超える額を出融資している。筆者らの現地調査でこの工場周辺でも放射性物質による汚染が発生していることを疑わせる分析結果が出てきた。この問題については、紙面の都合で別の機会に譲ることとする。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信150号 (2月20日発行、B5-32p)もくじ

・大飯原発3・4号機再稼働差し止め仮処分を申し立てました(児玉正人)
・トルコ、シノップ原発:公聴会で警察が市民を排除(森山拓也)
・シノップ原発の公聴会は市民を排除(プナール・デミルジャン)            
・ウエスチングハウス幹部のインド訪問とコバーダ原発建設計画復活に反対する声明
・コバーダで村人は強制移住させられる(ラクシャ・クマール)
・チュッカ原発計画に反対して、立ち退きを迫られる人々が地方選挙をボイコット
・マレーシアで1980年代に発生したARE事件の現状報告:現在も継続中の深刻な放射能汚染(和田喜彦)
・南オーストラリアの人々は核廃棄物を拒否する!
・イギリスへの原発輸出 ー 現地住民の声(深草あゆみ)
・ムン・ジェイン大統領の脱原発政策と人々の力(満田夏花)
・使用済み核燃料問題「再公論化」にどう対応するか(高野聡)
・5か国の仲間たちと「福島の教訓をどう伝えるか」戦略会議を開催(藤岡恵美子)
・何で埼玉県議会が「再稼働推進意見書」を決議?(菅井益郎)
・原子力規制委員会・更田委員長のトリチウム水海洋放出発言に抗議しトリチウム水の安全な保管を求める要請書(脱原発福島ネットワークほか144団体)
・平昌五輪を機に米朝における軍事演習の停止と対話、平和協定の実現を求める(89団体)

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シノップ原発の公聴会は市民を排除(プナール・デミルジャン/Nukleersiz)

150-33

EUAS(トルコ発電株式会社)はシノップ原発建設のための環境影響評価を1月12日に申請し、2月6日に公聴会が実施された。シノップ反原発プラットフォームは公聴会への参加を申請したが、回答を得られなかった。2月6日当日、シノップ市民たちの参加は物理的にも妨害された。

9時からの公聴会に参加しようとした人々は、バスや自動車で7時30分に出発した。しかし約8kmの道中、4度にわたって足止めされた。彼らは公聴会開始前に会場に到着したが、入場を許されなかった。ジャーナリストも入場を拒まれた。

シノップ反原発プラットフォームと、イスタンブール、シノップ、ブルサからの3名の国会議員、シノップ県の市長2名、弁護士協会の環境・都市委員会、環境NGO、イスタンブール反原発プラットフォーム、その他のアドボカシー団体や市民らが抗議行動を行なった。

反原発運動を支援する弁護士たちは、公聴会への参加を認めない非民主的な対応を批判する申し入れを行なった。申し入れへの署名が行なわれている間、私たちは農民2名が公聴会で拘束されたことを知った。彼らは早朝に会場へ入ることに成功していた。会場には空席があったにもかかわらず、反対派は参加できなかった。

最終的に、入場できなかった200名ほどは、非民主的な対応に抗議するために、県庁と裁判所に向かってデモ行進を始めた。デモ隊が到着すると、催涙ガスを放った警察との間で乱闘が起きた。参加した国会議員も警察官に殴られ、抗議参加者1名が拘束された。抗議参加者たちは当局の対応と3名の拘束に抗議し、「県知事は辞職しろ」と要求した。弁護士たちと国会議員は知事と面会し、人々の要求と抗議を伝えた。

知事との面会後、人々はメガホンを使って声明を発表した。声明では次のようなことが述べられた。「シノップ原発は市場価格よりも40%も高い料金で電力を供給し、シノップの生活を破壊する。事業のコストは200億ドルで、原子炉は三菱重工とアレバによる合弁事業会社ATMEAによって製造される。トルコは、まだ世界のどこでも運転されていないこの原子炉の設置に合意した」

拘束された3名は当日中に釈放された。抗議行動は大手メディアでも紹介された。

*「DiaNuke.org」に掲載された記事の一部翻訳・転載です。(翻訳・編集:森山拓也)
Demircan, Pinar (February 10, 2018), “Public Hearing for Sinop Nuclear Power Plant Project in Turkey Was Held By Avoiding Public,” DiaNuke.org, http://www.dianuke.org/public-hearing-for-sinop-nuclear-power-plant-project-in-turkey-was-held-by-avoiding-public/.

ウエスチングハウス幹部のインド訪問とコバーダ原発建設計画復活に反対する声明(国際署名)

*みなさん協力ありがとうございました
(国際署名:21団体、1488人、2月20日現在)
英文 http://www.dianuke.org/westinghouse-quit-india-statement-kovvada-nuclear-project-andhra-pradesh/

150-13

ウエスチングハウス幹部のインド訪問とコバーダ原発建設計画復活に反対する声明(国際署名)

私たちは、インドの東海岸で計画されているコバーダ原発建設に強く反対する。

アメリカのウエスチングハウス社によって6基の原発建設が計画されているコバーダでは、同社の関係者らが2月中旬に訪問する予定となっており、それをきっかけに計画が復活するとみられる。ウエスチングハウスは、親会社だった東芝に巨額の損害を与えた会社だが、コバーダでも草の根の人々の激しい反対運動に直面している。

アンドラプラデシュ州スリカクラム県のコバーダ村とその周辺の村々では、原発は環境と健康と暮らしと伝統的な生き方への脅威だとみなされている。

ウエスチングハウス・東芝連合は、当初はAP1000型の原発をグジャラート州ミティビルディで建設することになっていたが、激しい反対運動によってはじき出されて、コバーダへと目的地を変更した。

コバーダでは、GE・日立連合が原発建設の契約を勝ちとっていたが、将来原発事故が起きた際の損害賠償の支払いを拒否して、コバーダ原発建設計画から離脱している。

財政的にひっ迫しているウエスチングハウスは、原発6基をインドに売りたいと思っている。しかしAP1000という炉型は、規制基準を満たさなかったり、建設費が高騰したり、建設の工期が遅延したり、重大な安全性の疑問が生じたりと、アメリカ、イギリス、中国などで問題を起こしている。

ウエスチングハウスが、嫌がる人々に未確立の科学技術を押しつけようとしているだけで、インドの人々には何のメリットもない。

このプロジェクトは、災厄がもたらされることがあらかじめ定められたようなものだ。コバーダ原発は、インド東海岸の繊細な生態系を脅かし、人口稠密な地域で人々を危険にさらす。原発建設によって地域の住民たちは、何世紀にもわたって受け継いできた伝統的な暮らしや持続可能なライフスタイルを失い、市民権をはく奪されてしまう。

2008年の米印原子力協定は、斜陽となった原子力市場にしがみつこうとするウエスチングハウスのような原発メーカーがインドで活動することを可能にした。ブッシュ大統領とシン首相の間で初めて結ばれたこの協定は、インドに対して30年間にわたって核関連の貿易を規制してきたモラトリアムを撤廃した。これによって、インドは核不拡散条約の締約国でもないのに、アメリカがインドの商業用原子力プログラムに参入できるようになった。

ウエスチングハウスは、どう考えてもインドをいいカモだと考えている。

インド政府は、地政学的な戦略の一環として原子力協定を結ぶに至った。その際に、環境影響、コストベネフィット分析、安全評価、国のエネルギーの未来に関する民主的な議論など、本来やるべきだった宿題を放置したまま今日に至っている。

さらに、インド当局は原子力に反対する人々に対して、暴力で鎮圧したり、ありもしない罪をでっちあげて非難したり、公の集会から暴力的に反対者をつまみ出すなどの行為を続けている。今日、国連による世界人権宣言で保障された基本的人権は、原発に反対する人々から奪われたままである。

アメリカ政府はインドに対して、原子力損害賠償法の(原発メーカーに賠償を要求できる)条項を撤廃するよう圧力をかけている。インド政府はこの件についてアメリカの要望に沿う形で決着をつけようと考えており、裏での話し合いによって条項を反故にしようとしている。たとえば、事故時の原発メーカーの損害賠償を埋め合わせられるよう、民間企業により保険金のプールを提供するなどしている。

アメリカがインドの原子力損害賠償法を骨抜きにしようとしている理由の一つは、インドが輸入することになっている原子炉の設計の安全性に対する不安が指摘されているからでもある。

ウエスチングハウスは、アメリカ国内でも嘆かわしい経歴をもっている。サウスカロライナ州での2基のAP1000型原子炉の建設では、建設工期が遅れに遅れ、総工費は98億ドルのはずが約3倍近い260億ドルまで跳ね上がった。ジョージア州でのAP1000型原子炉の2基建設でも、工期が5年遅れた上に、総工費140億ドルと見積もられていたにもかかわらず、最終的には270億ドル以上が必要となった。このプロジェクトは昨年再検討されたが、取りやめることなく続けられることになった。

もしウエスチングハウスがコバーダで原発を建設することになれば、もっとも軽く見積もっても、長期的な工期の遅れ、予算を大きく上回る工事費、環境汚染などが引き起こされると思われる。最悪の事態は、破局的な原発事故だ。これは、原発の建設が完了した場合のことだが、完了するかどうかも疑わしい。コバーダでは、このままでは、経済と生態系が破壊され、もっと安価で汚染がなく安全な再生可能エネルギーに取り組んでいれば大きな成果が上がったはずの時間だけが浪費されてしまう。

インドは、2011年の福島原発事故の後も、自国の原子力政策に関して独立した監査や見直しを行なわなかった数少ない国の一つだ。インド政府は、原発事故がもたらす乗り越えようもないリスクに関して、完全に無視を決め込んでいる。

コバーダ原発の建設が発表されてからこの10年、一度たりとも環境影響評価調査が行なわれたことはない。ベンガル湾沿岸のスリカクラム県に予定されているこの原発は、この地域の貴重な生物多様性や周辺の環境を危険にさらすことになるだろう。

このプロジェクトは、経済的にも意味をなさない。コバーダに建設される原発で発電される電気の値段は、インドで現在出回っている電気の値段の4倍となる。分散型の太陽光発電のための最新の公開入札では、電気代が既存の火力発電所よりも安くなっている。

地元の人々は、一方的な土地の取り上げに強く抗議している。彼らは、さらに高額な補償金を求めているのではない。彼らは原発など欲していない。

インドは、ダム、鉱山、火力発電所等さまざまな巨大プロジェクトによって強制的に移住させられたコミュニティの再定住政策に関して、極端に貧弱な成果しかあげておらず、ボパール化学工場事故以降、市民たちは当局が信頼できる対応をすると考えなくなっている。

以上の理由から、私たちはウエスチングハウス社のコバーダ訪問に強く抗議する。

私たちは連帯の気持ちを持ってここに結集しよう。そして手遅れになる前に、ともにNO!の声を上げていこう。

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ウエスチングハウス社のコバーダ訪問に反対して活動家らが声を上げる

The Wire 2月13日付

アンドラプラデシュ州のコバーダ原発定地をウエスチングハウス社の幹部らが訪問することに対して、世界中の人々が反対の声を上げている。この原発建設計画は何重もの遅延に直面してきたが、インド政府と原子力公社の幹部たちと、ウエスチングハウス社の間で、何らかの合意が2017年7月までに交わされたと考えられている。

ザ・ヒンドゥー紙によると、来週にもウエスチングハウス社の幹部と技術者らからなるチームがムンバイに到着し、コバーダでの原発建設計画が再開できるかどうかを話し合うことになっている。

当初は、ウエスチングハウス社がプラント丸ごとの建設を請け負うことになっていた。しかし現在ウエスチングハウス社は、原子炉と関連機器を納入するのみにとどめ、プラントは建設しないと表明している。

この原発は、もともとグジャラート州のバブナガル県ミティビルディに建設されることになっていたが、地元の農民たちの10年にわたる反対運動によって予定地の変更を余儀なくされた。

建設にかかわる企業の状況が不透明で、倒産や買収によってプロジェクトに遅れが生じると思われる。さらに、活動家らは地元住民の反対運動が続いていると指摘している。

インド、アメリカ、ドイツ、日本、オーストラリア、台湾、フィリピンなどの活動家らが共同で発表した声明によると、「アンドラプラデシュ州のコバーダ村とその周辺のコミュニティの人々は、この原発建設計画が環境、健康、暮らし、伝統的なライフスタイルへの脅威だとみなしている」と指摘している。

NAAM(反核運動全国連合)、PMANE(People’s Movement Against Nuclear Energy)、Dianukeなどが呼びかけたオンライン国際署名には、世界中から500以上の署名が集まった。

火曜日、中国の東海岸の三門原発で、ウエスチングハウス社が設計したAP1000原子炉への世界初の核燃料装荷が計画されていたが、「安全上の懸念」を理由に延期された。この原発建設も、長年にわたる停滞を経験してきている。この第三世代の原子炉は、2014年に運転を開始するはずだった。

上記の国際署名では、ウエスチングハウス社の原子炉がアメリカでも問題を抱えてきたことを指摘し、その安全性に重大な問題があることを強調している。

 

シノップ原発:公聴会で警察が市民を排除

トルコ北部のシノップでは、日仏企業連合による原発建設が計画されている。原発の環境影響評価に関する市民公聴会が、シノップで2月6日に開催され、参加しようとしたシノップ市民らが警察によって排除された。市民不在の公聴会に抗議する人々がシノップ県庁の前で抗議行動を行った。

環境影響評価プロセスの開始

シノップ原発の建設開始に必要な環境影響評価についての申請書類が、昨年末にトルコの発電株式会社から環境・都市整備省へ提出された。提出された書類は環境・都市整備省のwebページからダウンロードできる(トルコ語:http://eced.csb.gov.tr/ced/jsp/ek1/19811)。

環境影響評価についての法律に従い、原発プロジェクトについて市民に説明し意見を聞くための公聴会が2月6日に開催された。だが公聴会に参加しようとしたシノップ住民らは警察によって入場を阻止された。

シノップ原発を記した地図(環境影響評価の申請書より)
シノップ原発を記した地図(環境影響評価の申請書より)

市民とジャーナリストを排除

公聴会の会場となったシノップ大学の施設では、周辺の県から集められた数百人の警察官が厳戒態勢を敷いた。トラック、装甲車両、デモ隊攻撃のための高圧放水車が会場の周囲を固めた。参加を希望する市民らは警察による数回にわたる検問を通過して会場へ向かったが、会場から1.5kmほどの地点で警察によるバリケードに出会った。市民らはバリケードでしばらく待たされた後、警察官から会場は満員で入ることができないと説明された。

なんとかバリケードを通過できたジャーナリストたちは、会場の建物前でも警察のバリケードに阻まれた。ジャーナリストたちはしばらく待たされた後、警察官から「名簿に名前がないジャーナリストは入場できない」と伝えられ入場を拒まれた。トルコの大手紙ジュムフリイェットによると、原発事業を担うトルコ発電株式会社は特定のジャーナリストのみに事前の告知と参加認定を行っていた。

ジュムフリイェット紙は、数人の環境活動家と共に早朝から会場入りに成功した写真家のヴォルカン・アトゥルガン氏に、公聴会の様子についてインタビューしている。アトゥルガン氏によると、朝6時すぎに与党、公正発展党の支持者や関連組織のメンバーがバスで到着し始めた。会場では朝食が提供され、200人収容の会場に230人ほどの人が集まった。会場責任者が「ようこそ市民のみなさん」とあいさつすると、環境活動家の友人が「何が市民だ」と叫んだ。すると警察官や公正発展党支持者らが友人を襲った。

県庁前でも警察と市民が衝突

会場に入れなかったシノップ住民らは、「シノップをチェルノブイリにしない」とスローガンを叫び、その場で集会を行った。その後、シノップ県庁へのデモ行進が始まった。県庁の前でも数百人の警察官と高圧放水車が待ち構えていた。知事に会うため県庁に入ろうとした人々は、こん棒や盾、催涙ガスを使って警察に排除された。この衝突で1名が拘束された。住民らは「知事は辞めろ」「原発屋の知事はいらない」「シノップをチェルノブイリにしない」などと叫んで抗議した。市民参加を阻んだ公聴会は無効であるとする請願に多くの市民が署名し、最大野党、共和人民党の国会議員やシノップ反原発プラットフォーム代表が県知事に渡した。

衝突の様子はevrenselwebtv(https://www.youtube.com/watch?v=VMMkktbhpWk)などで見ることができる。

ジュムフリイェット紙の取材に、抗議活動に参加したシノップ市長のバキ・エルギュルは、「彼らはシノップ市民の発言をなぜ恐れているのか。この会議は名ばかりのものだ。公聴会にシノップ市民はいなかった。シノップ市民は今ここにいる」と述べた。

また共和人民党シノップ選出国会議員バルシュ・カラデニズは、「公聴会のための参加名簿が事前に作られていた。市民と対話するための公聴会に市民を参加させなかった。会場にいたのが誰なのか、知事に質問を送った。シノップ市民を置き去りにしたこの公聴会は違法だ」と述べた。

150-6

※以下の参考記事にも公聴会当日の写真が掲載されている。

『Cumhuriyet』2018年2月6日「Sinop gözaltında」http://www.cumhuriyet.com.tr/haber/cevre/921294/Sinop_gozaltinda.html.

『Yeşilgazete』2017年12月31日「Yer lisansı olmayan Sinop NGS için ÇED proje dosyası sunuldu」https://yesilgazete.org/blog/2017/12/31/yer-lisansi-olmayan-sinop-ngs-icin-ced-proje-dosyasi-sunuldu/.

『Yeşilgazete』2018年2月7日「Sinop NGS, halka Sinop’u terk ettirme projesidir!」https://yesilgazete.org/blog/2018/02/07/sinop-ngs-halka-sinopu-terk-ettirme-projesidir/.

『Virtinhaber Gazetesi』2018年2月6日「Sinop’ta olaylı toplantı」http://www.vitrinhaber.com/gundem/sinop-ta-olayli-toplanti-h23287.html.

(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科 森山拓也)

祈りとデモ行進、毎週22キロ歩く脱核生命平和巡礼5周年

金福女(円仏教環境連帯)      韓国「脱核新聞」12月号より

円仏教環境連帯は、福島の惨事の翌年から毎週月曜日、霊光(ヨングァン)郡役所からハンビット原発まで22kmを歩いている。ハンビット原発の安全性の確保と一日でも早い閉鎖を促す巡礼にこれまで3千人が参加した。262回で、5700kmを超える。

生命平和脱核巡礼5周年の11月27日には、霊光脱核学校のトーク時間に間に合うように二つのチームに分かれて歩いた。

この日は原発で、韓国水力原子力ハンビット原発本部長に手紙を渡すことにした。韓水原は、誰も出てこなくて、巡礼団が直接入ろうとしたら警察を出動させた。5年を持続させた脱核巡礼団の手紙を拒否し、警察を呼ぶ過敏反応に対して、巡礼団は原発正門前に座り込んで、手紙すら断る韓水原ハンビット本部をマイクで糾弾し、手紙の受領を促した。

地震が活発な時期となって、より恐ろしい原発の問題と、巡礼の意義と正当性などをマイクで力説した。1時間半も経って韓水原の地域住民対応チーム長が出てきた。遅く出てきた職員の言い訳が情けなかったが、脱核学校のトークに遅れすぎるので、手紙を渡して町へ帰ってきた。

生命平和のための祈りをあげ脱核を求めて5年をかけた。地球汚染や生命を最も脅かす原発の事故を防ぐ近道は稼動中断である。とくに霊光ハンビット原発は心胆を寒からしめる事件・事故の連続だった。

韓水原に渡した手紙では、どうして蒸気発生器内部にハンマーなど80個の異物があったのか、どうして格納容器に穴ができていたのか、どうしてコンクリートの壁の一部が落ちてしまったのかと追及した。

また、耐震設計は信頼できないこと、原子炉や配管に接続されたタービン建屋は地震に脆弱であることを訴え、処分方法も見つからず積もっていくばかりの使用済み核燃料をどうするのかと問うた。最後は「停止させることこそ、真の勇気である。自然の恵みで生きるすべての生命の名前で、原発の閉鎖を促す」という内容の手紙だった。

149-13

2週間にわたって開催した円仏教霊光脱核学校では巡礼5周年を迎え、円仏教の脱原発運動をふり返り、方向を模索する、3人のトークと住民が参加する話し合いも行なった。

脱原発トークは、円仏教環境連帯の前身と言える天地報徳会事務局長出身のカン・ヘユン教務、大統領府の前で初の「1人デモ」を行なったキム・ソングン教務、「野草手紙 ~ 独房の小さな窓から」の著者でもあるファン・デグォン代表(霊光原発の安全性確保に向けた共同行動)の3人。

カン教務は、霊光の核廃棄場反対の円仏教の先発隊を指揮し、円仏教環境連帯の結成の主役であり巡礼提案者である。キム教務は、「反核国民行動」の共同代表時代に、37日間、大統領府の前で断食した。ファン・デグォン代表は、原発が霊光にあることすら知らずに移住したが、霊光脱核運動の主要人物の一人だ。核廃棄場反対闘争中のエピソード、脱原発をめぐる話は、何時間でも足りない。圧縮して聞くことは残念さが大きかった。

円仏教環境運動の先駆者で去年亡くなったキム・ヒョン教務は、核兵器に劣らない核発電所の弊害を看破して「北朝鮮の核も南韓の核もいけない。世界のどこにも核はいけない」と喝破していた。1986年、チェルノブイリ事故が発生したが、当時の韓国は軍事独裁時代でニュースが制限されていたなかで、反核を力説したキム・ヒョン教務は早くから予言者的な省察で円仏教の反核運動の道を切り開いたと改めてふり返る話し会いでもあった。

住民たちとの話し合いでは、「巡礼道があまりにも索漠として危険なので一般人が一緒にしにくいことから、フルコースにこだわらず、脱原発運動を効率的に拡散するための方策として街頭宣伝戦をくり広げよう」「三つの邑(町)の街頭で講演とかチラシを配って情報を提供するとか、住民と接触を増やそう」などの提案が出た。「どんな天気にも必ず歩いた22キロだったが、今後はいろんな実験的試みを通じて、良い方策を探して定着させよう」と巡礼当事者が答えた。

「どんな方法であれ、環境と平和と統一を追求しなければならない。私たちは、求道人・円満人・開闢人・調和人である。この中に生命と平和もある。5年間の功徳が消えないように巡礼は続けなければならない」とのイ・ソンチョ円仏教霊光教区長のことばで話し合いは終った。

「変化が必要であり、方式を変えよう」といういくつかの提案に応えて、円仏教生命平和脱核巡礼がどう続くか、6年目の課題だ。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信149号
(12月20日発行、B5-32p)もくじ

・広島高裁、伊方原発の運転停止命じる ― 弁護団・声明
・浦項地震後、韓国の東南圏の原発稼動中止要求高まる(ヨン・ソンロク)
・祈りとデモ行進、毎週22キロ歩く脱核生命平和巡礼5周年(金福女)
・インド・チュッカからの訴え ― 再び住民を強制移住させる、ナルマダ渓谷での原発計画への抗議キャンペーンに支援を(ラジクマール・シンハ)
・バングラデシュのルプール原発が本格着工
・トルコ南部、アックユ原発への反対運動(プナール・テモジン)
・反核WSF・COP23対抗アクションに参加して(寺本勉)
・ICANのノーベル賞受賞と北朝鮮問題(田中良明)
・核のゴミと福井県(若泉政人)
・玄海原発再稼働をめぐる佐賀の状況について(豊島耕一)
・[声明]日本原電による、老朽化した東海第二原発をさらに20年延長して運転させるという「申請書提出」に抗議します(東海第2原発の再稼働を止める会)
・子ども脱被ばく裁判・原告陳述(荒木田岳)
・またもや 安全神話の時代に まっしぐらか!(水戸喜世子)
・原発メーカー訴訟の控訴審判決を受けて(大久保徹夫)
・NNAF全記録DVD(安藤丈将)
・トルコ・反原発ドキュメンタリー映画制作支援金ありがとうございました

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【チュッカからの訴え】再び住民を強制移住させる、ナルマダ渓谷での原発計画への抗議キャンペーンに支援を! 

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12月12日、マーンドラー県庁前での抗議集会

Rajkumar Sinha ラジクマール・シンハ (民衆運動全国連合)

チュッカで計画中の原発建設に反対する大規模な抗議行動への支援を訴えます!
抗議行動に参加してください! 私たちの言葉を広めることでマスコミの沈黙を打ち破るための力を貸してください! そして財政的な支援も必要としています!

友人の皆さんへ
ナルマダ渓谷では、人々が再びの強制移住に直面している。

ナルマダ渓谷に建設された最初の大規模ダムであるバルギダムの建設のために、マーンドラー県、スィヴニー県、ジャバルプル県の162の村々が立ち退きを強いられて大きな影響を受けた。バルギダムは、1968年に中央水利委員会が計画し、建設が完了した1990年に水門が閉められた。

地元では抗議行動が行なわれたが、当初は全国的に注目を集めることはなかった。それはたぶん、その地域の住民の多くが先住民族だったからだろう。当時は再定住の政策が立てられなかったので、人々は雀の涙ほどの補償金をあてがわれて自分たちの家と土地から追われた。

1990年以降、「バルギダム被害者・強制立ち退き者連合」の旗印のもと、地元住民たちが抗議行動を行なった。その集中的なとりくみによって、政府もこの水域での集団的権利に関する要求に留意せざるをえない状況に追い込まれた。たとえば、取り上げられてしまった森林の土地に関して3500件の権利証書が法的に認められた。毎年ダムの水が引いたときには、水没地域内の土地7000エーカーが農業のため一時的に貸し出されることが認められた。水没地域になるとして取得されながらも水没しなかった土地350エーカーの返還手続きも、現在行なわれているところだ。

当初の目標ではダム建設によって44万4000ヘクタールの土地を灌漑することになっていたが、実際には11万ヘクタールしか灌漑していない。水路の建設がいまだに完了していないためである。

政府当局が、本来は灌漑に使われるはずだった水の使用目的を変更したことも欺瞞的である。毎時25000立方メートルの水をチュッカ原発に使用すると表明しているだけではなく、すでに大量の水をジャブア火力発電所に提供している。そのほかにも多くの企業が、大量の水を浪費する自分たちのプロジェクトを実現するためにバルギダムに視線を向けている。

原発建設計画というものは、人々の命と暮らしを脅かし、克服することができないほどのリスクを押しつけるものだ。マディアプラデシュ州のマーンドラー県にあるチュッカ村で原発建設計画が進められているが、ここに住む人々は、すでに一度、バルギダム建設のために強制的に立ち退かされた人々である。

チュッカ原発建設計画は、2009年に中央政府によって認可された。チュッカ、タティガット、クンダの人々は、当初からこの計画に激しく反対してきた。マーンドラー県の多くの村議会が全会一致で原発建設反対の決議を行なって、首相、知事、州政府、指定カースト・指定部族中央委員会議長などに働きかけた。

過去8年間にわたり地元住民たちは、絶えることなく、地域で、州レベルで、首都でも、抗議集会やデモなどによって自分たちの反対の意思を訴え続けてきた。

こうした激しい闘いの圧力を受けて、2013年5月24日と7月31日の2回にわたって、原発建設に環境面での許可を与えるための公聴会が中止に追い込まれた。

当局にできたことは、2014年2月14日、警察や民兵組織が銃口を向けて住民たちをとり囲む中で、詐欺にも等しい公聴会を開催したことだけだった。このような暴力的な弾圧にもかかわらず、数千人の人々が公聴会の会場の外で抗議行動を行なった。

土地の取得に関する規定のあらゆる条項を根拠にして、個人や団体が異議申し立てを行なった。こうした熱情的な抗議行動にもかかわらず、土地の取り上げに伴う補償が恣意的に発表され、住民たちの銀行口座に補償金が強制的に入金される事態となった。農民たちは書面で、補償金を自分たちの口座に入金させないよう銀行に対して請願していた。現在でも多くの土地所有者が、一方的に支払われた補償金を受け取っていない。

最近では、原子力公社に派遣された下請け会社の技術者が10月にチュッカ村を訪れて土壌のサンプルを採取しようとしたときに、村の女性たちによって阻止されるできごとも起きた。女性たちは土壌採取の道具を取り上げて、技術者らを村から追いだした。

腹立たしいことに、原子力公社や地元当局は、「土地の取得は地元住民の同意を得て平和的に完了しているので、現在抗議している人たちは正当な理由を持たない人たちだ」といううわさを流している。

予定地の周辺の54の村々でのこうした絶望と猜疑心に満ちた空気を打ち破るため、住民と活動家らが9月3日にミーティングを行ない、この問題に対する意識を高めて反対運動の団結を強めるために抗議キャンペーンを行なうことを発表した。

住民たちは抗議行動を続けていく意思を固めており、すでに強制的に補償金を振り込まれてしまった人たちも、「補償金の振り込みは自分たちの意思に反して行なわれたことなので、これからも自分たちの土地に原発のような危険なものが建設されることについては反対していく」と表明している。

10月2日、マハトマ・ガンジーの生誕記念日に開始された抗議行動は、12月12日にマーンドラー県の県庁舎前での大規模な抗議集会へと結集していく。

私たちは大きな声で、そしてきっぱりと原発建設に対してNO!の声をあげ、原子力公社と地元当局に対し、彼らが行なっている欺瞞と策略について警告を発していく考えだ。

この集中的なとりくみは、地元の人々に好意的に受け止められており、インド全域の活動家からも支持されている。

より多くの人々が私たちの闘いに参加してくれるよう、どうかこの文章を広めてほしい。そして、物心両面でこの重要かつ緊急なキャンペーンを支えてほしい。

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チュッカの闘いに連帯する声明

チュッカ原発建設計画に反対して、大規模な抗議行動を組織しているナルマダ渓谷の人々に、私たちの連帯の意を送ります。

インド中央部のゴンド民族の数千の人々は、集中的な、しかし徹底して平和的な闘いを、この計画に対して続けている。

原発建設計画は、人々の安全も命も生活も脅かすものだ。皮肉なことに、現在立ち退きの危機にある地域の人々は、かつて1990年にナルマダ渓谷のバルギダム建設のために強制立ち退きをさせられた人々なのだ。そのときも、再定住、仕事、開発などについて似たような約束がされたが、どれも実現されなかった。

インド政府が、先住民族の土地と彼らの森林と天然資源への権利を保護するという、憲法でも規定されている事柄に違反していることに、私たちはとくに背筋が寒くなる思いがする。とてつもなく繊細な生態系、さまざまな生物たちが、チュッカ原発建設計画によって破壊されようとしている。

住民たちは、この地域に原発が建設されて大量の水が浪費されるようになれば、飲み水や灌漑用水を確保するために水を取り合う暮らしを強いられることになるだろう。バルギダムは、灌漑用と飲み水のためのダムとして建設されたのだから、このダムの水を原発やそのほかの工業プロジェクトに使用することは、地元の人々の信頼を踏みにじる行為である。

原発事故が起きれば、このダムの水では原子炉を冷却するのには不十分だと言われており、事故がもたらす帰結は福島原発事故よりも悪くなるかもしれない。

インドでは完全に安全文化が欠如しており、独立した原子力規制が存在しない。つい最近、原子力規制を担当していた人物が「インドは原発をこれ以上拡大していくべきではない」と警告したばかりだ。

私たちは政府に対して、できる限り早期に、原発建設計画によって影響を受けることを懸念している人々と一緒にオープンで民主的な話し合いの仕組みを作り上げることを要求する。

私たちはまた、反対する声を上げる草の根の人々に対する暴力的な弾圧や、ここ数年政府によって行なわれている、活動家に対する誹謗中傷といったやり口を強く非難する。

もう一度私たちは、ナルマダ渓谷の勇敢な人々 — 女性、高齢者、子供、農民、漁民ら  が、この長く続く非暴力の闘いの中で見せてくれている卓抜した粘り強さと忍耐に対して、心から尊敬と賛同の意を送ります。

2017年12月12日
署名143名(日本からも多数署名)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信149号
(12月20日発行、B5-32p)もくじ

・広島高裁、伊方原発の運転停止命じる ― 弁護団・声明
・浦項地震後、韓国の東南圏の原発稼動中止要求高まる(ヨン・ソンロク)
・祈りとデモ行進、毎週22キロ歩く脱核生命平和巡礼5周年(金福女)
・インド・チュッカからの訴え ― 再び住民を強制移住させる、ナルマダ渓谷での原発計画への抗議キャンペーンに支援を(ラジクマール・シンハ)
・バングラデシュのルプール原発が本格着工
・トルコ南部、アックユ原発への反対運動(プナール・テモジン)
・反核WSF・COP23対抗アクションに参加して(寺本勉)
・ICANのノーベル賞受賞と北朝鮮問題(田中良明)
・核のゴミと福井県(若泉政人)
・玄海原発再稼働をめぐる佐賀の状況について(豊島耕一)
・[声明]日本原電による、老朽化した東海第二原発をさらに20年延長して運転させるという「申請書提出」に抗議します(東海第2原発の再稼働を止める会)
・子ども脱被ばく裁判・原告陳述(荒木田岳)
・またもや 安全神話の時代に まっしぐらか!(水戸喜世子)
・原発メーカー訴訟の控訴審判決を受けて(大久保徹夫)
・NNAF全記録DVD(安藤丈将)
・トルコ・反原発ドキュメンタリー映画制作支援金ありがとうございました

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ジャイタプールはフランスの原発建設計画にノーと断言

ジャイタプールはフランスの原発建設計画にノーと断言  (DiaNuke.org)
148-4

インド・マハーラーシュトラ州ラトナーギリ地区ジャイタプールの農業従事者、漁業従事者である数千人の男性、女性、子どもたちが、8月20日、サクリネートからマダン村(世界で最も巨大なジャイタプール原子力パーク建設予定地)まで、原発建設反対デモを行なった後、警察当局の度を越した警備の前で、全員逮捕も厭わないスローガンを掲げました。

自然豊かで繊細なこの地域の原発建設に対する、この日の大規模で平和的な抗議行動は、前年より組織された地元住人の抗議運動と「ジェイル・バロー」(大挙して自ら逮捕され、監獄を一杯にする運動)の流れをくむものです。

ジェイル・バロー」 自ら警察のバスに乗りこむ大勢の女性たち
「ジェイル・バロー」
自ら警察のバスに乗りこむ大勢の女性たち

地域の市民団体「ジャン・ハッカ・セワ・サミッティ」の若いリーダー、サタジット・チャバン氏はこう話しました。
「警察は、これまで、私たちの平和的な運動に対して穏やかな対応をしてきましたが、今回初めてドローンを使ってデモ行進と集会を上空から監視したのは驚くべきことでありました。これは州政府が人々の抗議行動を威圧するもので、残念なことに、健全な民主的市民運動を腐食しているのです」
サタジット氏は、ジャイタプールでの抗議行動は地域の人々によって自発的に組織されたもので、どのような政治政党にも属さない市民運動であることを強調しました。
「ジャン・ハッカ・セワ・サミッティは完全な非政治的グループです。しかしマスメディアは、運動に少しばかり協力をする政党の何人かのリーダーにインタビューをして、この運動を報道するのです。過去にもメディアは、シヴセーナー(ヒンドゥー民族主義政党)やほかの政党がこの運動を運営しているというような、事実とは全く異なる報道をしました」と、サタジット氏は語りました。
彼は、NAAM(インド反核運動全国連合=草の根反核運動の全国ネットワーク)の主要なリーダーでもあります。

フランスの反核活動家から送られてきた激励の手紙が、今日のジャイタプールでの抗議集会で読み上げらました。それは、反核運動に共通する苦闘を共有するものでした。
「世界に散らばる反原発ファミリーの友へ! あなた方は一人ではない!
私たちは、インドのジャイタプールで起こっていることを注視しています。あなた方の勇敢な行動に感銘を受け、サポートを惜しみません。あなた方の行動をフランス語と英語で国際的なネットワークへ拡散します。 フランスでも、政府は、市民の基本的人権を踏みにじっています。フランスでも、多くの市民たちは、邪悪なアレバ社(フランスに拠点をおく世界最大の原子力産業複合企業)の完全な崩壊のために活動をしています。邪悪なアレバ社は、政府の庇護の下、市民不在の決定による、底なしで巨額の税金で生き永らえているのです。
あなた方のように、世界市民として私たちも、地球にとってよりよい環境を尊重し、人々と自然を元のより良い環境に戻していきます。永遠の団結を誓って!」

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.148より)
148-5

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信148号
(10月20日発行、B5-28p)もくじ

・新コリ5・6号機建設再開に対する立場
(新コリ5・6号機白紙化ウルサン市民運動本部)
・新コリ5・6号機公論化と蘆武鉉大統領の影(陳尙炫)
・インド・ジャイタプールはフランスの原発建設計画にノーと断言
(DiaNuke.org)
・トルコでWorldwide Hibakusha パネル展(プナール・デミルジャン)
・「ニュークリア・アラトゥルカ」 ドキュメンタリー映画プロジェクトについて
(ジャン・ジャンダン監督)
・玄海原発 再稼働させてはならない(永野浩二)
・東海第二原発は再稼働させてはいけない(相沢一正)
・東京電力柏崎刈羽原子力発電所6・7号機の審査書案についての申し入れ
(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
・高浜3、4号機ミサイル仮処分申立てについて(井戸謙一)
・脱核への舵を握った韓国の人びと・後編(とーち)
・NNAF全記録DVD(末田一秀・松丸健二)

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「ニュークリア・アラトゥルカ」 ドキュメンタリー映画プロジェクトについて(ジャン・ジャンダン監督)

148-6

「ニュークリア・アラトゥルカ」  http://nuclearallaturca.com/

ドキュメンタリー映画プロジェクトについて
ジャン・ジャンダン監督

トルコの人々に放射能について尋ねると、彼らの頭にまず浮かぶのは「紅茶」です。紅茶はトルコで大切にされている国民的な飲み物です。それがなぜ、放射能と結び付けられているのでしょうか。話は1986年に遡ります。この年にはチェルノブイリ原発事故が発生しました。放射性物質を含んだ雲がトルコへも到来し、降雨を通じて農作物が汚染されました。このとき収穫期だった茶葉も汚染されたのです。

無責任な政治家たちがカメラの前で紅茶を飲み、何も問題はないと言わなければ、紅茶と放射能が関連付けられることはなかったでしょう。彼らは紅茶を飲むパフォーマンスをしただけではなく、ひどく道理に反したコメントで人々を騙そうとしました。

「少量の放射能は体に良い」
ジャヒット・アラル:産業通商大臣

「放射能を含んだ紅茶はより美味しい」
トゥルグット・オザル:首相

「放射能は骨の健康に良い」
ケナン・エヴレン:大統領

チェルノブイリ原発事故当時の産業通商大臣であるジャヒット・アラルは、報道のカメラの前で紅茶を飲むパフォーマンスを行なった。
チェルノブイリ原発事故当時の産業通商大臣であるジャヒット・アラルは、報道のカメラの前で紅茶を飲むパフォーマンスを行なった。

トルコは1960年代中頃から原発の建設をめざしてきましたが、50年以上にわたり進展はありませんでした。

しかし2010年、トルコはロシア政府(チェルノブイリ原発事故を引き起こした)と協定を結び、地中海沿岸のアックユに原発を建てることを決めました。続いて2013年には日本政府(福島原発事故を引き起こした)と協定を結び、黒海沿岸のシノップでの原発建設を決めました。さらに2016年には中国政府との間で、ブルガリア国境に近いイイネアダで原発を建設するための協定を結びました。

2011年の福島原発事故後に行なわれた世論調査では、65%以上のトルコ人が原発建設に反対でした。しかしそれは、実権を握るエルドアンと、彼の娘婿であるエネルギー大臣による非民主的な政府を思いとどまらせることはありませんでした。

彼らは最近、トルコ初の原子炉は2023年に運転を開始すると発表しました。2023年はトルコ建国100周年の年です。

周到に用意された原発推進のプロパガンダ・キャンペーンが2015年から衰えることなく続いていており、学校でも原発が宣伝されています。チェルノブイリ後の時代と同様に、フクシマ後の現代の政治家らも、ごまかしのレトリックを使い、人々の目を原子力の危険性から逸らせようとしています。

「リスクのない投資はない。私たちは飛行機に乗るではないか?」レジェップ・タイイップ・エルドアン:福島原発事故当時の首相

2011年の福島原発事故は多くの原発保有国を岐路に立たせました。

高度に工業化が進んだドイツのような古くからの原発保有国は原子力政策を転換し、原発に頼らず、再生可能エネルギーによる持続可能な未来を選択しました。

他方で、トルコのような原子力導入への転換期にある国々は、もう一つの先進工業国である日本の後を追い、原子力プロジェクトを継続しています。

福島原発事故からわずか数年後に、日仏企業連合(三菱重工・アレバ社)が新しい原発を地震のリスクが非常に高いトルコで建設するのは皮肉なことです。

2015年にイスタンブールで掲げられた原発推進広告は、「強いトルコのクリーンなエネルギー」と宣伝した。
2015年にイスタンブールで掲げられた原発推進広告は、「強いトルコのクリーンなエネルギー」と宣伝した。

チェルノブイリから来た雲が雨を降らせてから30年が経った今、トルコは原子力と核廃棄物を生産する国になるかどうかの瀬戸際に立っています。

私たちはまさにこの瀬戸際において、「ニュークリア・アラトゥルカ」を制作しようとしています。

この長編ドキュメンタリー映画は、数十年にわたるローカルとグローバルな「トルコ風の」原子力への歩みを描く、時に動揺を呼び、時に悲喜劇的で、そして不条理な「放射能を帯びた」トルコの物語です。

「アラトゥルカ」には、二つの意味があります。

一つは歴史的なもので、「トルコ風」「トルコスタイル」を意味するイタリア語の形容詞です。この言葉に関連して最も良く知られているのは、モーツァルトの1784年の作曲「ロンド・アラトゥルカ」です。この曲はピアノソナタ第11番第3楽章「トルコ行進曲」として知られています。「トルコ行進曲」はオスマントルコの軍楽隊から着想を得て作曲されたと言われています。

もう一つは、トルコ語に由来する軽蔑的な意味で、物事をでたらめで無秩序で、下手な方法で行なうことを指します。この言葉はまさに、トルコがどのように原子力と付き合ってきたかを良く表しています。

私たちはどのようにしてこの原子力への入口にたどり着いたのでしょうか。その途中、いったい何が起きたのでしょうか。

トルコはまだ原子力エネルギーを生産したことはありませんが、核兵器や核廃棄物を受け入れ、放射能漏れ事故を経験しました。

そしてトルコには反原発運動も存在します。トルコの原子力の歴史は、原子力に関する世界中の悲劇、災害、そして闘いの歴史とつながっています。

「ニュークリア・アラトゥルカ」は、トルコの原子力の歴史を、グローバルな視点を持ったローカルな物語として描きます。

第2原発の建設が計画されているシノップでは、毎年チェルノブイリ原発事故の日に反原発デモが開催されている(写真は2016年)
第2原発の建設が計画されているシノップでは、毎年チェルノブイリ原発事故の日に反原発デモが開催されている(写真は2016年)

チェルノブイリから雲が到来した時代を生き、無責任な政府に騙され裏切られたと感じた一人のトルコ人として、一人の環境活動家として、この国の未来を心配する一人の親として、私はこの映画を作り上げる使命を感じています。

また最近のトルコの抑圧的な政治状況の下では特に、この映画を観る人々にオルタナティブな声を届けることに大きな意味があります。手遅れになる前に原子力に関する理解を広め、未来に関する発言権を得るために、「ニュークリア・アラトゥルカ」によって原子力に関する批判的議論を呼び起こしたいと思います。

「ニュークリア・アラトゥルカ」はトルコの人々に原子力を問い直す機会を与えるだけでなく、世界中の人々に原子力の歴史を振り返る機会を与えます。

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私たちは1年半にわたって「ニュークリア・アラトゥルカ」のための調査を行ない、現在は制作の真っ最中です。これまで、メディア・アーカイブの調査、ストーリーの収集、撮影地の事前調査、何人かの人物へのインタビュー等を行なってきました。

作品には日本に関するストーリーも含まれます。1945年に米軍が広島と長崎に原発を投下したことをトルコの人々は報道を通じて知り、深い印象を受けました。世界的に有名なトルコの詩人ナーズム・ヒクメットの作品「死んだ女の子」は、佐々木貞子さんの悲劇を基にしています。また、彼の「日本の漁夫」は、キャッスル・ブラボー核実験と第五福竜丸についての作品です。

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福島原発事故の後には、アートディレクターの丹下紘希さんが原発の危険性を訴えるビデオメッセージをトルコへ送りました。丹下さんはトルコ語で、日本政府がトルコへ原発を売ろうとしていることについて謝っています。

私たちのドキュメンタリー映画の一部は、日本で撮影したいと思っています。

政府や商業利益から独立し、必要なことを自由に表現するため、私たちは「ニュークリア・アラトゥルカ」をインディペンデント作品として制作しています。そのため、私たちの以前の作品と同様に、支援してくれる世界中の団体や個人からの寄付を募ります。核のない未来をめざす全ての人々や団体の力が必要です。現在、インターネットのクラウドファンディングを通じて、作品制作への支援を募っています。 *キャンペーン・サイト:
www.support.nuclearallaturca.com.

ソーシャルメディアでも私たちをフォローし、多くの人に宣伝してください。
Facebook: @nuclearallaturca
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■ ジャン・ジャンダン / Can Candan
(トルコの映画監督・プロデューサー)

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ドキュメンタリー映画製作者。イスタンブールのボアジチ大学で教鞭をとる。米国ハンプシャー大学(1992年卒業)、テンプル大学大学院(1999年修了)で映画製作とメディア・アーツを専攻。2000年まで米国、その後トルコの複数の大学や機関で映画とメディア・アーツを指導。現在は映画製作、映画関連のプロジェクトや論文の指導に加え、ドキュメンタリーの歴史、理論、批評について指導している。トルコにおけるクルド・ドキュメンタリー映画についてや、トルコのドキュメンタリー映画の歴史についての著書がある。ドクイスタンブール・ドキュメンタリー・スタディーズ研究センター(docIstanbul Center for Documentary Studies)創設メンバー。

監督・プロデューサーとして制作した3作品は、賞を受け、世界中で配給された。長編ドキュメンタリー映画「壁(DUVARLAR, MAUERN, WALLS)」(2000年)では、ベルリンの壁崩壊後のドイツにおけるトルコ人移民を描いた。他に、悪名名高いトルコの大学入試を描いた「3時間(3 HOURS)」(2008年)や、トルコでLGBTの子を持つ親たちのグループを描いた「私の子供(MY CHILD)」(2013)がある。「ニュークリア・アラトゥルカ」は4作目の長編ドキュメンタリー映画となる。

*プロフィール詳細:http://boun.academia.edu/CanCandan
(訳:森山拓也)
(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.148より)

映画制作支援金(1000円~)を下記へ  (日本での目標50万円)
郵便振替  口座番号:00940-3-276634
口座名:ストップ原発輸出キャンペーン
ゆうちょ口座:099(ゼロキユウキユウ)店 当座0276634

❤ 支援金ありがとうございます! (1月8日現在、148名、計614,000円)
赤沢美恵子、上里恵子、麻野他郎、安部栄子、荒木いおり、池田裕、石川孝、石橋喜美子、石渡秋、井戸謙一、稲庭篤、井上真紀子、井上豊、岩田紀子、岩村義雄、上野白湖、牛田等、歌野敬、宇野田尚哉、宇野田陽子、遠藤槙夫、大倉純子、大田美智子、大津定美、大野圭子、岡田雅宏、丘の上のさんぽ道、尾関修、小野田雄二、小野寺健一、折口晴夫、角地弘子、加藤朝子、兼崎暉、河合成一、喜岡笙子、菊池恵介、岸野稔子、喜多幡佳秀、北林岳彦、木村真、熊坂兌子、郡安ひろこ、後藤裕己、小林晶子、小林はるよ、古屋敷一葉、坂田仲市、崎山比早子、佐々木真紀、定方昭夫、佐藤明宏、佐藤大介、佐藤徹、佐藤弥生、佐藤るみ子、柴田志麻枝、島京子、島岡誠、志村洋子、下末かよ子、末田一秀、杉本皓子、須田剛、全港湾西成センター分会、高倉康光、高橋洋子、高柳功、竹内治男、竹浪純、多田篤毅、橘優子、棚橋寿郎、谷口智江、田原良次、田平正子、田村幸康、旦保立子、チェイス洋子、徳井和美、徳橋明、戸田靖子、冨田寿一、豊田キヨ子、中谷俊一、中村光一、奈良本英佑、難波希美子、西谷靖男、西部徹、二俣和聖、根本がん、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン、野村修身、野村民夫、のばなし、野宮政子、羽倉信彦、橋本あき、長谷川薫、馬場浩太、早川紀代、林琉昇、原弘美、原実、原田禎忠、疋田真紀、日達稜、平川宗信、日向真紀子、深澤洋子、藤田政治、藤原寿和、船川俊一郎、ぺんぎんぺり館とおともだち、堀口邦子、前野恭子、松野尾かおる、三上元、峰村富士雄、宮地佳子、宮野吉史、もりのぶひと、森園かずえ、守田敏也、森本宥紹、森山拓也、森山真理子、安田久子、山崎叔子、山田秋夫、湯沢優子、吉武克宏、吉武仁貞、笠優子、渡辺由美子、和田正英、和田泰子、渡辺浩司、渡部英樹、渡辺正子、渡辺真知子、渡田正弘、渡辺千秋、ほか匿名の方々

 

 

 

トルコで Worldwide Hibakusha パネル展

プナール・デミルジャン

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トルコでの原発建設計画は、2013年に福島原発事故後の日本と原子力協定を結んでから、日本でもよく話題になっています。

トルコは、1953年に米国との原子力協定をはじめに結んだ国の一つであり、1976年からずっと原発を造る夢を見ています。政治的、経済的、社会的な理由や、強い抵抗のために、実現されていませんが、トルコは未だにその夢を諦めていません。

トルコ政府は2010年に、アックユ原発建設のためにロシアと協定、2013年には、黒海の町であるシノップ市に原発を建設するために日本と協定を結び、さらに、トラキアとして知られる地方、キリキラル市のイーネアダ村に原発を建設するために中国と協力するようです。

トルコの北部はチェルノブイリ原発事故の影響を酷く受けて汚染され、さらに2011年の福島原発災害以降、トルコの人びとは核の事実を理解することになりました。

しかし今、トルコ政府は、市民社会を原発建設計画のプロセスから排除するために、新しい方法を適用しようとしています。原発は事故が発生した時に非常に重大な結果がありますが、市民社会にはそれについて言葉を言う権利を持たせないように対処しようとしています。

原発や核について新たな情報を広めるミッションで発足した団体Nukleersiz.org は今年、Worldwide Hibakusha パネル展を各地で開催しました。

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の会員で医師のアレックス・ローゼンのリーダーシップで研修生によって作られた50枚のパネルです。核兵器、核実験、ウラン採掘、原発、原発事故、核廃棄物のパネルは、「すべての結果は、ヒバクシャ」ということを教えています。

パネル展は、チェルノブイリ事故31周年である2017年の4月26日から始めて、アックユ原発建設予定地に近いメルシン市、シノップ原発建設予定地のシノップ市と、そのとなりのサムスン市、そして、イーネアダ原発建設予定地のキリキラル市で行なわれました。

シノップでのパネル展は、広島原爆72年目の8月6日前後に、サムスン市では、長崎原爆の8月9日前後に、そしてキリキラル市では、マヤーク核事故(ウラル核惨事)60年目の9月29日前後に行なわれました。

各地のパネル展で、コーディネーターの私(プナ―ル・デミルジャン)がプレゼンテーションを行ないました。プレゼン発表では、原子力技術を持つ国の政府は、背後に核兵器計画を隠しているということを説明しました。

発表で伝えたもう一つのことは、原発と核兵器の両方が環境に深刻な害を及ぼすことです。原発や再処理工場の事故で、大量の放射能が空気、土壌、水を汚染したら、多くの世代において有害な健康影響を引き起こすことです。そして、膨大な量の放射性廃棄物を何十万年もの間、安全に管理する方法がないことです。トルコの人々は核エネルギーについてもっと知るべきです。

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(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.148より)

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・新コリ5・6号機建設再開に対する立場
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・新コリ5・6号機公論化と蘆武鉉大統領の影(陳尙炫)
・インド・ジャイタプールはフランスの原発建設計画にノーと断言
(DiaNuke.org)
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・玄海原発 再稼働させてはならない(永野浩二)
・東海第二原発は再稼働させてはいけない(相沢一正)
・東京電力柏崎刈羽原子力発電所6・7号機の審査書案についての申し入れ
(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
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