ロスアトムとの協力をやめよう ーロシアへの制裁のなかでの原子力ー

エコ・ディフェンス  5月27日

 エコ・ディフェンスはロシアの環境保護団体。2014年にロシア政府によって「外国エージェント(代理人)」のレッテルをはられ、以降、政府の攻撃の標的となり、多額の罰金を科されるなど圧迫を受けてきました。今回、勇気ある文章を発表しました。抜粋を掲載します(原文では、スウェーデン、チェコ、ドイツ、フィンランド、フランス、ハンガリー、スロバキア、ブルガリア、エジプトなどの状況の記述もあります)。

ロスアトムはロシア国営原子力企業だが、2月24日のロシアのウクライナ侵攻後、直接的には制裁の対象になっていない。約350社の複合企業であるロスアトムは、原発等を輸出して毎年数十億ドルを稼いでいる。諸国は、ロシアのガス、石油、石炭の輸入に対して課している制裁措置と同様に、ロスアトムとの契約を解消すべきである。

ロスアトムは、海外で受注した35の原発を建設(または計画)しているが、そのほとんどが、ロシア国家からの極めて手厚い資金援助がなければ、建設が不可能な国々である。ロスアトムの役割は、政治的な道具のようなものである。

ベンダー(製造元)固有の技術は、ベンダー固有の燃料とメンテナンスへの依存を生み出し、ガス配送と同じように、ロシアはこの依存関係を政治的影響力の武器として行使している。国庫を自由に使い、ロシア大統領自身が外国の指導者との会談で交渉することで、ロスアトムは、エジプトやバングラデシュのような貧しい顧客のために安いローンを提供する。これが、西側諸国の主要なライバルに対するロスアトムの競争力である。

欧州では今のところ、ハンガリー、スロバキア、チェコ、フィンランド、ウクライナで稼働しているVVER(ロシア型加圧水型炉)に、ロスアトム傘下の核燃料製造会社TVELが核燃料を供給している。

トルコでは、ロスアトムがアックユにVVER1200(加圧水型、120万kW)を、4基同時に建設中である。ロスアトムが、建設資金を提供し、完成したプラントを所有し、生産されたエネルギーを固定価格で販売する、いわゆるBOO(Build Operate and Own)方式で実施されている。コスト試算は200億ドルから最大250億ドルである。

1号機の運転開始は2023年に予定されている。しかし今、アックユ原発建設の資金調達が問題視されている。

インドのクダンクラム原発では、すでに1・2号機が稼働中で、3~6号機、4基のVVER1000の建設が進行中である。2022年4月現在、3号機では原子炉圧力容器が設置され、昨年12月には6号機の原子炉建屋の最初のコンクリート打設が行われた。

他の国のプロジェクトと同様、建設はロシアの融資で支援されている。2019年時点で、3号機と4号機の総工費64億ドルの見積もりのうち34億ドル、および、5号機と6号機の50億ドル超の費用の大部分をカバーする42億ドルが信用供与されることになっている。

ロシアのウクライナ侵攻が始まってから3ヶ月の間に、ロスアトムとの提携がいくつか解消された。

ロスアトムはフィンランドのハンヒキビ原発の建設契約を失い、スウェーデンの電力会社バッテンフォールはロシアからの核燃料の追加納入を拒否、チェコも同様で、多国籍企業ウレンコとフランスのオラノ(旧称アレヴァ)も協力を解消した。

欧州委員会の後押しを受けて、多くの欧州諸国が、ロスアトム傘下の核燃料製造会社TVELと決別し、ウェスチングハウス社の核燃料に切り替える道を進んでおり、これが実現すれば、TVELの欧州核燃料市場での存在感はほぼ消滅することになる。

ロスアトムの主要プロジェクト、つまり海外で原発建設を請け負っているプロジェクトは、長期的には苦境に立たされる可能性が高い。その理由の一つは、ロシアの銀行に対する制裁措置により、ロスアトムが建設資金を調達したり、ロシアが原子炉購入の顧客に約束した融資を継続する能力が著しく損なわれる可能性があることである。もうひとつは、同じ制裁措置によって、建設に参加する協力事業者への支払い能力が損なわれる可能性があることだ。トルコ、インド、エジプトはいずれ、こうした混乱が、自国内で建設中のロシアの原発の進捗に影響を与えることになるかもしれない。

原発の建設や核燃料の取引を通じてロスアトムに関与している企業(ゼネラルエレクトリック、EDF、シーメンス、韓国水力原子力など)は、すでにロスアトムとの関係を絶った企業に加わらなければならない。

戦争は毎日多くの人命を奪っている。

世界はこれ以上、原子力を必要としていないのだ。

着色:ロスアトムが何らかのプロジェクトを実施している国。19年末までで74か国と政府間協定を締結。うち20か国は、原子力施設建設のための協定。

original : https://ecdru.files.wordpress.com/2022/05/shunningrosatom-v1.pdf

***********************

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信176号(6月20日発行、B5-24p)もくじ

・韓国:コリ2号機閉鎖! 老朽原発寿命延長反対! 6.18全国脱核行動 宣言文
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2621

・脱核新聞・創刊100号へのメッセージ(佐藤大介)
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2621

・フィリピン:私たちは、二度、バカにされるのか?(Nukes Coal-Free Bataan)

・バターン原発は電力危機を解決しない(AGHAM)

・タイ:地元団体はオンカラック研究炉建設に反対(バンコクポスト)

・ロスアトムとの協力をやめよう -ロシアへの制裁のなかでの原子力-(エコ・ディフェンス)

・理解と合意なき汚染水海洋放出設備工事の中止を!(大河原さき)

・「311子ども甲状腺がん裁判」第1回口頭弁論・原告意見陳述(原告2さん)

・311子ども甲状腺がん訴訟第1回期日(中野宏典)

・泊原発に差し止め判決、すみやかに廃炉を(川原茂雄)

・川内原発20年延長阻止へ、意見広告運動に協力を(向原祥隆)

・老朽美浜3号機の再稼働を許すな(宮下正一)

・5.29「原発のない明日を -老朽原発このまま廃炉!大集会 in おおさか-」に 2100 人、美浜3号機再稼働阻止に向けてさらに前進を(木原壯林) 

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。見本誌を無料で送ります。連絡ください → sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp

ウクライナの人々は原子力災害を回避するために街頭に立った。アメリカの人々も同じことをするか

ポール・ガンター、リンダ・ペンツ・ガンター (Beyond Nuclear 3.20)

3月2日、印象的なニュース映像がインターネット上に掲載された。ウクライナのザポリージャ原発へのアクセス道路を、原発作業員や一般市民が封鎖している映像だ。ロシア軍が進攻する中、駐車中のタンクローリーやトラック、緩衝材や土嚢を背景に、立ち尽くす人々の姿。

その24時間後、ザポリージャ原発の補助棟が炎に包まれた。ロシア軍が発砲し、最終的に原発を制圧したと報じられた。

SNSでは、ザポリージャ原発で事故が起きればヨーロッパが終焉するとの警告が飛び交い、ウクライナのゼレンスキー大統領もそのように述べた。同国の外相は、旧ソ連とヨーロッパに放射性物質のプルームを飛ばし現在でも人体に悪影響を及ぼしている1986年のチェルノブイリ事故の10倍以上の核惨事になると警告した。

ザポリージャ原発を守るために、ロシアの軍事力に抗して一般市民が立ち上がるのは勇気のいることだった。しかし、原発のような危険なものが、敵対する、しかも経験の浅い人たちの手に渡るというのは、受け入れがたいリスクであった。

それは、ウクライナの人々がすでによく知っているリスクだ。専門家の手であってもチェルノブイリ原発事故を引き起こした。それでもウクライナは原発にこだわり、現在では電力供給の半分を4カ所の商業用原子炉15基でまかなっている。その中で、ザポリージャは6基の原子炉を持つヨーロッパで最大の原発である。破損すれば、チェルノブイリ原発事故をはるかに超える放射能が放出される。だから、ウクライナの人々は原発を守ろうとしたのだ。

米国での反原発運動の立ち上がり

今から約45年前の1977年5月1日、ニューハンプシャー州の海沿いの静かな町シーブルックで、まだ建設されていない原発を心配して2000人の人々が同じ思いを抱いた。

彼らは、非暴力的な不服従と合意による意思決定の訓練を受け、集会会場から原発建設予定地まで行進し、平和的な占拠を達成した。2日後、彼らは州をまたがる警察によって排除され、1400人以上が逮捕され、バスに積め込まれた。米国史上最大の集団逮捕であった。

この行動は、「ハマグリ同盟」と呼ばれるグループによって組織された。ハマグリ同盟は前年の1976年に一握りの活動家たち(ポール・ガンターもその一人だった)によって結成された。ハマグリ同盟は、シーブルックの湿地帯に2基の原子炉を建設する計画に直接対応するものだった。ニューハンプシャー州のパブリック・サービス・カンパニーによるシーブルック原発は、人口の多いビーチリゾートであるハンプトンに近い先住民の埋葬地の上に建設される予定だった。

アメリカの反原発運動の火付け役となるハマグリ同盟が最初にやったことは、馬車に人形劇の舞台を作ることだった。アインシュタインの言葉「村の広場に原子力の事実を運ばなければならない」に触発されたのである。「そこからアメリカの声が聞こえてくるはずだ」というアインシュタインの言葉をヒントに、彼らは州内を歩き回り、次々と町の広場で原子力の危険性を訴えるショーを行っていった。

そして10日後、ハマグリ同盟はシーブルックに到着した。1976年8月1日、非暴力直接行動の訓練を受けた活動家の集団が、建設予定地で最初の占拠活動を行った。彼らは、カエデ、ヒマワリ、トウモロコシの苗木を植えて、この地を自然に還した。これがハマグリ同盟の最初の直接行動で、18人が逮捕された。以後、さまざまな行動が展開された。

1977年メーデーのシーブルック原発建設予定地占拠で逮捕された1400人は、州内のいくつかの拘置所に移送された。そこで彼らは、2週間にわたって集団で拘束された。拘置所の中で彼らは、原子力に関するシンポジウム、ネットワーク作り、訓練を行った。大衆組織化にとってこれまでで最大の機会ととらえて活動した。

最終的には、原発予定地の平和的封鎖で4000人以上が逮捕された。結局、シーブルック原発は2基のうち1基しか稼働しなかった。

ハマグリ同盟の大胆な行動の後、大規模なイベント、デモ、非暴力占拠、封鎖が、ニューヨーク州ロングアイランドのショアハム原発建設予定地からカリフォルニア州サンルイスオビスポのディアブロ・キャニオン原発建設予定地まで全米に押し寄せた。

そういった過程で、電力会社4社が破綻した。

反原発運動は、1979年にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催された「No Nukesコンサート」をはじめとするフェスティバルに結集した。同年の株価大暴落から50年目の記念日には、何千人もの活動家が、原発からの撤退を訴え、ウォール街を封鎖した。

1976年から90年にかけて、全米で発表された原発建設計画の半分近くが、中止または放棄された。この過程は、1979年のスリーマイル島原発事故によって、さらに強化された。しかし、原子力産業が急激に衰退すると、それに反対する大規模な市民運動の勢いも衰え始めた。

2012年3月22日、バーモント・ヤンキー原発で行われた1000人以上の集会では、130人が逮捕された。その日、拘束された最高齢者は、当時92歳だった小柄な運動家、フランシス・クロウだった。これまで何度逮捕されたかと聞かれ、「まだ十分じゃない」と答えた。バーモント・ヤンキー原発は2014年12月29日に永久閉鎖となったが、クロウはさらに5年、100歳まで生きた。

何が変わったのか?

原発のロビー団体は、時代に適応しながらプロパガンダを転換してきた。1950年代、原発は「平和利用」「安い発電コスト」だった。1990年代は、「安全、クリーン、信頼できる」だった。そして今、原発は「気候変動の解決策」である。

本格的な新規原発の建設は、以前と同じように財政的な大失敗をもたらすことを理解し、原子力ロビーは2000年代半ばの「原子力ルネサンス」という夢物語を捨てた。

そのかわりに、老朽化し劣化した原発を稼働させ続けるために、何百億ドルもの税金の補助金を確保しようと必死になっている。そして、寿命80年にもわたる連続的な免許更新が行われている。

同時に、以前は却下された古いアイデアであるSMR(小型モジュール原子炉)を宣伝するキャンペーンを復活させている。原子力ロビーによれば、SMRは気候変動から救ってくれるという。この業界は、レトリックから「不都合な真実」を徹底的に排除している。たとえば、SMRは「規模の不経済」があり、連邦政府の手厚い補助金がなければならない。

気候変動運動家の一部も、「原発反対」を受け入れずにいる。原発の継続的な使用を支持し資金を提供することは、自然エネルギーへの資金を奪い、実際に気候変動を悪化させるという十分な証拠があるにもかかわらず、である。

原発は共和党と民主党の寵児であり続け、老朽化した原発を稼働させるために何百億ドルも投入し、新しい原子炉の研究開発に何十億ドルも投入しようとしている。

ロシアのウクライナ侵攻は、原発での事故や核災害の現実的な恐怖の認識を高めたが、原子力産業の良心を刺すことはないだろう。それどころか、原子力産業はホワイトハウスに駆け込み、バイデン政権に安価なロシア産ウランの輸入を継続するための免除措置を維持するよう懇願しているのだ。この国に残る93基の原子炉に供給されるウランのほぼ50パーセントは、ロシア、カザフスタン、ウズベキスタンから輸入されている。安価なロシア産ウランの供給がなければ、米国の原発は、より安価な再生可能エネルギーによる電力市場の競争激化で、さらに遅れをとることになり、原発の閉鎖が加速される可能性がある。

アメリカの市民はこれまで、原子力産業の成長に立ち向かい、一定程度くい止めてきた。その教訓を生かし、ハマグリ同盟が再び動き出した。メンバーも年を取り、白髪も増え、なかには亡くなった人もいる。「たいまつ」を次の世代に渡す準備はできているが、その前にもう一度火をつけなければならない

original:
https://beyondnuclearinternational.org/2022/03/20/ukrainians-took-to-the-streets-to-avert-a-nuclear-disaster/?fbclid=IwAR1pA-2yZNLLb9nLBA9ToWiFsKZj_azt6ki7Y-nMhTy53o0sM0c3ubepa5U


ノーニュークス・アジアフォーラム通信175号(4月20日発行、B5-32p)もくじ

・バターン原発復活に反対する (Nukes Coal-Free Bataan) 

・原発をめぐるトルコの主な出来事 (森山拓也)

原子力災害に終止符を (トルコ反核プラットフォーム)

福島核事故11年・脱核プサン市民連帯記者会見文 

・老朽化した原発の寿命延長を撤回せよ (脱核ウルサン市民共同行動)

・インド:原子力省、23年以降の国産PHWR 10基の建設計画を国会で発言

・ベトナム:16年の原発計画中止は賢明な選択、国会議長

・ウクライナの人々は原子力災害を回避するために街頭に立った
  アメリカの人々も同じことをするか (ポール・ガンター、リンダ・ペンツ・ガンター)

片桐なおみさんを、新潟県知事に (小木曽茂子)

4.16さようなら原発首都圏集会報告 (井上年弘)

・雨の中、300人の結集で「STOP!女川原発再稼働」を訴える (舘脇章宏)

・海洋調査から見えてきた福島の海の現状と、汚染水海洋放出に対する監視体制 (水藤周三)

・飯舘村原発被害者訴訟・原告意見陳述 (伊藤延由)

・ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.162~174 主要掲載記事一覧   

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌(174号)を無料で送ります。連絡ください → sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp

台湾廃核運動史

(ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局)

21年12月18日に行われた「第四原発の稼働を問う公民投票(国民投票)」。結果は、426万人が原発反対票を投じ、380万の賛成票を上回った。

事実上の日本の輸出原発(原子炉は日立・東芝、タービンは三菱)であり建設凍結されていた第四原発は稼働しないことが最終決定した。台湾は2025年に原発ゼロとなる。

台湾がいかにして、アジア初となる脱原発 =「非核家園」という悲願へと着実に向かいつつあるのか、これまでの台湾の脱原発運動を、『原発をとめるアジアの人びと』(ノーニュークス・アジアフォーラム編著、創史社刊)と本誌過去記事をもとにふりかえりつつ、日本と台湾の脱原発運動のかかわり、そしてこれからの日本の脱原発運動に示唆されるものについて考えてみたい。

1.第四原発反対運動の始まり

台湾では国民党軍事独裁のもと、1949年から1987年まで、38年間におよぶ世界最長の戒厳令が敷かれ、政府への批判的な言動は徹底的に弾圧された。そのような中で、国営の台湾電力によって、北部の第一(金山/チンシャン)、第二(国聖/クウォシェン)に米ゼネラルエレクトリック社の沸騰水型炉、南部の第三(馬鞍山/マアンシャン)に米ウエスチングハウス社の加圧水型炉、各2基ずつ計6基の原発が建設されてしまった。

1981年には第四原発建設予定地が北東部の貢寮(コンリャオ)と決定され、強制的に土地が収用された。第一、第二、第四原発がひしめきあい、30キロ圏内には台北市も含まれ、600万人が住んでいる。

1987年を迎えて戒厳令が解除されると、台湾環境保護連盟を結成した学者たちが貢寮を訪れ、原発の危険性を伝えた。学者たちの多くは、戒厳令下で欧米に留学して原発の危険性に関する知識を得ていたし、スリーマイル事故やチェルノブイリ事故も彼らに深い危機感を与えていた。

1988年3月1日、台湾電力が貢寮の澳底小学校で「電気の合理的利用に関する説明会」を開催した。原発については一切言及することなく、さまざまな景品が当たる抽選会などが行われ、地域住民も参加した。しかし翌日の新聞には「貢寮住民は第四原発建設を受け入れた」との記事が掲載されたため、住民たちは激怒した。そして5日後、1500人の住民が集まり、「塩寮反核自救会」が結成された。

1988年3月12日、塩寮反核自救会の最初のデモ、貢寮にて(核四=第四原発)
反核自救会の看板と旗、原発予定地前、1988年(核四=第四原発)

戒厳令が解除された後は民主化闘争が高揚していったが、第四原発反対運動は人々の闘いの大きな軸であった。原発は独裁と不正義の象徴であった。軍事独裁政権下で原発建設がすすめられた韓国やフィリピン、インドネシア(計画)と同様、台湾でも民主化闘争と連動する形で第四原発反対運動が広がっていった。反原発と民主化は密接不可分の闘いでありつづけた。

環境保護連盟など多くの団体によって、毎年一万人以上のデモ、国会前での大規模な抗議行動や座り込みなどが行われた。貢寮の人々はいつもバスで大挙参加した。


民主化闘争の中から誕生した民進党も原発反対を綱領とし、国会でも反対決議や予算凍結で、第四原発建設の是非は逆転に次ぐ逆転をくり返した。第四原発建設問題は80年代末から90年代を通して台湾の最大の政治課題の一つであった。

2.1003事件の衝撃

1991年10月3日、事件が起きる。原発建設に反対する塩寮反核自救会は、抗議のため第四原発予定地の前にテントを張っていた。しかし住民との協定を破った警察が突如突入してきてテントを破壊したことで、警察と住民デモ隊との衝突が発生した。この対立の中で、地元住民の林順源氏が運転していた車が倒れ、警察官が1名死亡、2名重傷を負うという悲劇的なできごとが起きた。「1003事件」である。

反核自救会の呉文通さんは語る。「林順源一人で警官隊に包囲された。怖いに決まっている。そこで、彼はUターンしたが警官がフロントガラスをたたき、クモの巣状にヒビが入って、よく見えないなか、柱にぶつかり車はひっくり返った。ちょうど横にいた警官が車の下敷きになってしまった」

事件後、反核自救会のメンバー17人が破壊行為と公務執行妨害の罪で起訴された。そのうち15人は執行猶予となったが、現場指揮者の高清南氏と運転手の林順源氏は、それぞれ10年と無期懲役の判決を受けた。以後、国民党政府は住民団体に「暴力集団」のレッテルを貼って誹謗中傷を行ったが、反対運動の中で死傷者が出てしまったこの出来事は、貢寮の人々の心にぬぐいがたい傷を残した。

3.放射能汚染マンション

台北市で1992年、原発由来の汚染鉄材が原因となった「放射能汚染マンション」問題が発覚した。毎時数十マイクロシーベルトという高線量が確認され、汚染鉄材が建設に使用されたマンション等で暮らす人々にガンや白血病、流産などが多発し、社会を震撼させる事態となった。

被害者たちは訴訟を起こし健康被害に対する補償を求めて闘った。

放射能汚染が見つかったところは、マンション(1580世帯)以外にも、小学校、日本人客も多いカラオケバーなど、計183か所、15000人以上の被曝が確認された。

4.第3回ノーニュークス・アジアフォーラム

95年台湾での第3回NNAF(日本からは32名参加)では、第四原発反対とフランス核実験反対をつなぐ壮大な3万人デモが行われた。デモは「終結核武」「拒絶核電」と叫び、解散時には、目抜き通りの交差点のまん中で核兵器と原発の模型を燃やした。海外参加者は、ランユ島、第一・第二原発、前述の放射能汚染マンションも視察した。

そして、第四原発「敷地内」デモ、貢寮の住民たちとの交流集会でフォーラムをしめくくった。

5.ランユ島、核廃棄物と闘う先住民族

台湾南端から東約80キロにある人口3000人のランユ島は、台湾の先住民族であるタオ族の暮らす島だ。1980 年、観光産業に頼るこの島に、台湾電力は「魚缶詰工場」を建設すると偽って、原発から出る低レベル放射性廃棄物貯蔵所を建設した。82年より、放射性廃棄物のドラム缶の搬入が始まった。戒厳令解除後、タオ族の住民による「駆逐悪霊」と叫ぶ反対運動が続いてきた。貯蔵所での放射性廃棄物管理はずさんで、ドラム缶がさびで覆われたり穴が開いてしまったりしている様子がメディアでも報じられている。

島民たちは96年4月26日、放射性廃棄物の追加搬入を実力で阻止した。早朝、埠頭を400名の島民が埋めつくした。うち70名は伝統的なタオ族の戦闘服をまとい、手に長ヤリをもった。輸送船はやむなく引き返し、廃棄物ドラム缶は第一原発にもどされた。そして、島民たちは、10万本の廃棄物を2002年末までに島から出させることを台湾電力に約束させた。しかし、この約束は未だに実現していない。

また、97年に台湾電力は、低レベル放射性廃棄物を北朝鮮へ輸送すると発表したが、この計画は国際的な抗議で粉砕された。

周縁化された場所へ、マイノリティが暮らす場所へと危険な廃棄物や施設が押しつけられていく事態は、環境レイシズム以外の何物でもない。それと同時に、日本に暮らす私たちがこの問題をどう解決しようとするのかを問い返してもいる。

6.日本からの原子炉輸出

第四原発現地の貢寮では、94年の住民投票で96%が原発建設に反対した。また、96年3月には初の総統選挙にあわせ、首都台北市でも第四原発建設の是非を問う住民投票が行われ52%が反対した。

しかし、96年に第四原発建設の入札が行われてしまい、ゼネラルエレクトリック社が落札。日立と東芝が原子炉を、三菱がタービンを製造することになる。日本から原発本体が輸出されるという悪夢のような事態は、ぜったいに許すことができない。

以来、日本と台湾の間で、実に多くの人々が行き来した。たとえば、同じABWR(新沸騰水型原子炉)がある柏崎からも市会議員たちが何度も訪台し、記者会見、原子力委員長らとの交渉、大集会での発言などでABWRの欠点を伝えた。

貢寮の住民たちは97年、120隻の漁船をくり出し、原子炉が到着した際に入港を阻止するための海上訓練を行った。日の丸の描かれた大きなドーム型の原発模型を船に乗せ、海上でそれに火を放って抗議の意思を表明した(99年にも)。

97年3月には、地元「反核自救会」の住民20人が来日して通産省、東芝、日立へ抗議の申し入れを行った。反核自救会の女性の中心メンバーとしてたたかい続けてきた楊貴英さんは、「貢寮で原発建設を阻止できれば、アジア中に原発が拡散することを止められると思ってたたかっています」と話した。

台湾への原発輸出に関しては重大な疑義がある。それは、NPT(核不拡散条約)違反の問題である。NPTでは、原子力施設の移転にあたっては、受け入れ国から核爆発用に転用しないとの約束を取り付けることが求められている。しかし外務省は、日本と台湾に国交がないことから二国間協定が結べないため、米国務省から在米日本大使館に宛てられた単なる口上書をもってNPTをクリアーする根拠とみなしていた。その口上書は担当部署の責任者の署名すらない連絡文書であって核兵器への転用を行わないことを正式に保証する約束文書として通用するものとは到底いえない。

私たちは、国会での質問主意書などを通じてこの問題を追及した。政府からの答弁は「交換公文があるから問題ない。口上書が保障措置の適用を確保する」というものであった。紙切れ一枚で核不拡散が確認できると強弁する日本政府の態度はあまりに不誠実だ。

日本からの初の本格的原発輸出に対して、署名運動、日立・東芝・三菱の不買運動、集会、国会での質問、株主総会参加、政府との交渉など、日本国内でさまざまな原発輸出反対運動を展開したが、輸出を断念させるには至らなかった。

現地の様子も同様だった。住民投票で勝利しても、地方自治体や県知事が明確に反対しても建設計画はとまらず、貢寮漁民の漁業権は政府に強制的に取り上げられ、第四原発は99年に着工されてしまった。

しかし翌2000年、50年以上続いた国民党独裁は終り、「第四原発中止」を公約とした民進党の陳水扁政権が誕生する。同数の推進派と反対派で構成される「第四原発再検討委員会」の3ヶ月にわたる議論が始まった。この論戦の様子は毎週テレビ中継もされた。その結論をふまえ、10月に行政院長(首相)が建設中止を発表した。11月には過去最大規模10万人のデモも行われた。

しかし、原発建設に利権をもつ国民党の攻撃によって台湾の政局は混迷を極める。2001年1月末には国民党議員が多数を占める国会で建設継続を求める決議が採択され、結局2月14日に陳総統が妥協し建設再開となった。勝利にいったんは安堵した地元の人々の心中は察するに余りある。日本政府は、待っていましたとばかりに2月27日に輸出許可を出した。

台湾での第10回NNAF(02年)では、東電の事故隠しスキャンダルを報告。20名の海外参加者代表は首相とも会見、原発の危険を強く訴えた。

そして、03年に日立の1号機原子炉が呉港から、04年に東芝の2号機原子炉が横浜港から輸出されてしまった。私たちは呉や横須賀の平和船団の方々と協力して、海上抗議行動を行った。私たちが乗ったボートから見上げると、原子炉が積み込まれた貨物船は、真上を見上げなければ視界に入りきらないほど巨大だった。大きな波に翻弄されながら、自分たちの非力さを恨んだ。

第四原発予定地に隣接する美しい海浜公園は、日本軍が初めて台湾に上陸した地として、抗日記念碑が建てられている場所でもある。かつて日本軍が植民地支配を開始するために現れたのと同じ場所に、今度は日本の原子炉が現れたのだ。台湾の人々がこれを「第二の侵略」と表現する重みと痛みを、日本の人々が十分に受け止めていたとは言い難い。

抗日記念碑と建設中の第四原発

現地貢寮の反核自救会は声明で次のようにいう。
「日本によるこのような『公害輸出』という行為に強く抗議する」「日本が台湾に原発を輸出することは、私たちの心の中に恨みと恐怖を輸出することを意味する。ある

いは悲劇を輸出するともいえる・・・・その反面、この険しい原発反対の道をここまで歩んでこれたのも、大勢の日本友人の声援と激励があったからである」

7.映画「こんにちは貢寮」

05年末、台湾から日本にメッセージが届いた。新鋭ドキュメンタリー作家ツィ・スーシンが、貢寮に住み込み、6年の歳月をかけて完成させた作品、映画「こんにちは貢寮」だ。台湾ドキュメンタリー界の重鎮・呉乙峰監督が製作にあたったこの作品は、第27回金穂賞最優秀ドキュメンタリーにも選ばれた。


激動の政治に翻弄された貢寮の人々・・・・。スーシン監督は、ひたすら貢寮の人々を見つめる。貢寮の人々の思い、怒り、悲しみ、願いを映し出す。スーシンさんは言う。「撮影の期間中に何人もの人の他界に遭遇し、いまもその映像を見るときは悲しさを禁じえません。彼らにとって原発に反対することは、まさに、この土地を愛すること、この海を愛すること、家族を愛することであったのです。貢寮の彼らの姿を見て、彼らの声に耳を澄ませてほしい。日本は原発の輸出国であるので、少しでも皆様に関心を寄せてもらえれば幸いです」

反核自救会の呉文通会長やスーシン監督らも来日し、05~06年、大阪・東京・新潟・柏崎・北九州・下関・祝島・広島で「こんにちは貢寮」上映と現地報告を聞く集いを開催した。圧巻は、なんといっても祝島だった。公民館に集まってくれた約100名(過半数は女性)の人々は、何十隻もの漁船を繰り出すシーンや、住民が電力と言い争うシーン、役人に抗議するシーンなどを見て、どよめき、「そう、そう」「おんなじじゃね」と共感の思いを口にした。同じ24年間を、同じように苦労して闘ってきたのだ。スーシンさんは「台湾での70回のどの上映会よりも反応が熱かった。心を重ねてくれていました」と言ってくれた。

映画は、1991年の1003事件で投獄された青年、源さんへの手紙から始まり、クライマックスは11年ぶりの源さんの外出許可だ。身内のところではなく、まっすぐ福隆駅に向かった源さんは、呉文通さんら出迎える住民たちと固く抱き合う。

ちょうど、祝島での上映会(06.3.18)の直前、台湾から呉さんに電話があった。「源さんが3日後に、14年5ヶ月ぶりに釈放される!」。呉文通さんが、そのことを告げると、祝島の上映会場はもう、万雷の拍手。まるで貢寮にいるかのよう。呉文通会長は力強く語った。「祝島は貢寮にそっくりです。祝島のみなさんにお会いして、とても励まされました。この映画のおかげで来ることができました。本当にうれしいです。とめるまで闘います。日本最後といわれる上関原発、台湾最後の第四原発、どちらもとめましょう!」

8.「地震と原発の危険」を伝え続ける

日本からは、「地震と原発の危険」をずっと伝え続けてきた。新潟県中越沖地震の翌08年に柏崎刈羽で行った第12回NNAFにも台湾から多数が参加した。

日本人学者が10年に第四原発および付近の地質調査を行い、新断層を発見し、直後の台湾での第13回NNAF、立法院(国会)公聴会で発表し、参加者たちは耐震基準400ガルを引き上げるようにと訴えた。

10年3月と5月に、中央制御室で火災事故、7月に28時間のステーション・ブラックアウト(全交流電源喪失)が発生した。また、11年に、第四原発で許可なく800ヶ所の設計変更がなされていたことが発覚した。状況が二転三転する中で、第四原発の建設工事はくり返し中断され、大幅に遅れることとなった。

9.福島をくり返さないで

11年3月20日、台北で5000人が反原発デモに参加し、運転中のすべての原発の即時停止と第四原発の建設中止を要求した。4月30日には全国各地で反原発デモ(計15000人)。台北デモには、福島から2人の女性が参加し、「福島をくり返さないで」と訴えた。

                  ダン・ギンリンくん(右)

その後、有名な映画監督、俳優、ミュージシャン、芸能人、文化人をはじめ、内部告発者も含めて、多くの人々が原発反対の意思表現をするようになった。12年、馬総統が「原発に反対意見を言う人を見たことがない」という問題発言をして、「我是人、我反核(わたしは人だ、わたしは反核だ)」のアクションが起き始めた。台湾の有名な映画監督が企画したもの。総統府前の大通りで、60人が人文字で「人」の字をかたどって寝ころび、「我是人、我反核」と叫び、1分でパッと散っていくのだ。第2弾は台北駅で、やはりばらばらにいた人たちがコンコースで一斉に「人」の形に寝ころび、「我是人、我反核」と叫び、一瞬でパッと散る。いわゆるフラッシュモブだ。その後、同じように数名が集まって「人」の文字を作ったり、自分の指に「反核」と書いて人の文字を作ってそれをSNSにアップするなど、ネット上でのアクションが燎原の火のごとく広がった。また、アーティストたちは反核のポスター作りを始めた。

そして13年3月9日、台湾全土で20万人以上が原発反対デモに参加した。台湾の人口は2300万人なので、日本で同じ比率なら100万人だ。400以上の民間団体が連携して実現したもので、主催者発表で台北12万人、台中3万人、高雄7万人、台東数千人で、夜になってからも、道路で映画上映や、音楽など。若者たちはテントを張って夜を越した。

10.非暴力直接行動

14年3月8日、「原発廃止デモ(全台廢核大遊行)」は雨のなか、計13万人が参加した。台北のサウンドカーに引率された隊列では、行政院(政府)前の交差点で、スタッフが突然、黄色封鎖線を引いた。警察がただちに反応できずにいるなか、数千人の市民が交差点を占拠することになり、交通も遮断された。原発事故通報サイレンのような音が響き、防護服を着用したスタッフが、デモ参加者に横たわってくださいと指示。万が一原発事故が起きたら台湾の国民は死ぬほかに道がないということを表現した。この道路占拠は30分間続いた。

「不核作運動」が呼びかけられたのだ。「非暴力運動」=「非協力運動」は、台湾では「不合作運動」となっている。「合作」は「協力」の意味。「合」の北京語読みは「核」と同じなので、語呂合わせで「不核作運動」となり、「非協力」と「反原発」を同時に表わしたものだった。

続いて、中国とのサービス貿易協定の立法院(国会)承認をめぐって、3月18日から4月10日まで、立法院占拠が行われた。この前代未聞の事件を、台湾のメディアをはじめ海外のマスコミも、「ひまわり学生運動」と報道した。たしかに表に出て発言していたのは学生の代表で、立法院の中には若者が多かったが、実は多くの市民団体やNGOが支えていた。毎日数千人の市民が立法院のまわりを囲んで盾となり、3月30日には50万人集会が行われた。それほどまでに、原発推進も含めて、馬英九政権の民意無視・独断専行は度を越していたのだ。

立法院占拠の熱気冷めやまぬ4月22日、第四原発の廃止を訴えるため、民主化闘争のシンボルである林義雄さんが、死を覚悟して、かつて母と娘が暗殺された場所で、無期限断食を開始した。彼はこう述べた。「この数か月のあらゆる抗議行動で、台湾人民がすでに普遍的に覚醒したことがわかります。もし、この覚醒を有効に組織し適切な方法で鍛えれば、人民の主権者としての意識および大衆の闘争能力を高めることができ、誰も止めることのできない力となるでしょう。この力があれば、現在の権力者のやり方は通用せず、未来の台湾に、民意を軽視する独裁者はもう出現できないようにできるでしょう」

断食に呼応する形で、全国126団体による「全国廃核行動平台」が動き出した。26日、大勢の市民が総統府前に座り込んだ。その場で、翌日のデモ行進とともに道路占拠を行うことが予告された。

27日午後、「終結核電、還權於民(原発を終わらせよう、主権を市民に返せ)」と叫びながら、5万人のデモ隊が、総統府前の凱達格蘭大道から出発した。忠孝西路の台北駅に面したエリアに着いたデモ隊は、予告通り、道路占拠を図り、人数の勢いで警察の封鎖を突破し、八車線道路を15時間占拠した。

激動の事態展開のなか、馬英九政権は妥協し、2基ともほぼ完成していた第四原発の「稼動・工事 凍結」を発表した。「第四原発稼働問題は馬英九政権では凍結され、2016年に誕生する新政権下の民意に判断が委ねられることになった」と報道された。

同年9月、第16回NNAF海外参加者60余名はバスで宜蘭県の「台湾民主化運動資料館」を訪問し、林義雄さんご夫妻と有意義な時間を過ごした。林義雄さんは、国民党の軍事独裁政権下にあった1970~80年代の民主化運動指導者の一人で、美麗島事件で獄中にあった1980年2月28日に母親と双子の娘を惨殺される政治テロを経験した。その苦難を踏まえ、妻と「台湾社会運動資料センター」「台湾民主化運動資料館」などを設立した。

11.台湾から私たちが学ぶこと

反核デモとなれば数万人が結集し、目抜き通りを占拠するなど粘り強く勇敢に闘う台湾の人々。ひまわり運動では、若者たちが自分たちの意思を伝えるために国会を非暴力で占拠するという歴史上類を見ない行動も成功させた。15年3月、ひまわり運動に参加した若者二人を関西にお招きした際に、大切な話をたくさん聞かせてもらった。一人は国会の議場内で広報を担当した女性、もう一人は国会の外で議場内の若者たちを守るとりくみに参加した女性だった。

なぜ台湾の多くの若者たちがこのようなエネルギッシュな行動に結集するのかと問われて、彼女らは「私たちは、上の世代の人たちが献身的に闘う姿を見てきています。だから私たちも、同じようにやってみようと思いました」と答えた。真っ先に思い出されるのは、命を懸けて無期限の断食を開始した高齢の林義雄さんのことだ。もちろん著明な活動家だけではなく、一般の人々もそれぞれの持てる力を発揮している。

このたびの立法院占拠の際は、敷地を取り巻くようにして多数の市民がテントを張り、権力が暴力的な介入を行わないように若者を守り続けた。ひたすら炊き出しをする人々、交代で救護所に詰める医師や看護師たち、手作りの新聞を発行して情報伝達を助ける人々、ごみを拾って衛生的な環境を守り続けた人々など。そのようにして結集した人々の中には、点滴を打ちながら車いすに乗ってやってきた高齢者もいたという。アーティストたちは若者たちを支持する作品を路上に飾り、休日ともなれば子どもたちのための工作ワークショップも行われ、ひまわりをあしらった愛らしい作品がやはり路上を彩ったという。

非暴力で、それぞれができることをもちよって、決してあきらめない。38年間の戒厳令を含めて苦難の歴史と対峙した人々の経験と記憶が次の世代へと継承され、暮らしに根づき、ユーモアやあたたかみを忘れない独特のありようを可能にしている。二人の若者たちとの対話で、そのことを痛感した。

12.原発の歴史は終結へ

2016年、脱原発を公約に掲げた民進党の蔡英文が総統選挙で勝利し、翌17年、「原発の運転を2025年までに全て終了する」ことを電気事業法の条文に明記した。

原発維持勢力は巻き返しを図り、18年の公民投票で、「脱原発の達成期限(2025年)」が条文から取り払われてしまった。

しかし民進党政権の脱原発政策はもう揺るがない。19年のノーニュークス・アジアフォーラムでは、陳建仁副総統(副大統領)が、海外参加者30数名に「長年にわたる脱原発へのとりくみに感謝の意を表したい。台湾政府は、脱原発政策を堅持し、運転40年の寿命は延長せず、第四原発も動かさない」と挨拶。

原発維持勢力と国民党は「原発が、電力不足と大気汚染を解決し、さらには地球を救うことができる」と主張し、今回の「第四原発の稼働を問う公民投票」を提起したが、21年12月18日、426万人が原発反対票を投じ、ついに「終止符」が打たれた。

事実上の日本の輸出原発である第四原発は稼働せず、第一原発1・2号機、第二原発1号機は運転40年ですでに廃止となり、残る3基も25年までに廃止となる。

全国廃核行動平台は、「公民投票では、平均より高い75%の貢寮住民が原発に反対した。貢寮の人々は3世代にわたって、数え切れないほど街頭に出て第四原発に反対し、子や孫のために闘ってきた。もし貢寮の人たちの粘り強い努力がなかったら、第四原発は稼働され、台湾は非常に高い核災害のリスクにさらされていたことだろう」と評した。

13.私たちはどんな道を行くのか

日本と台湾の反原発運動が交流を始めてともに励まし合うようになってから30年が経つ。この時の流れの中で、貢寮で親しくさせていただいた少なくない方々が、すでに天に召された。そして、日本との縁が深かった二人も、私たちは忘れない。東京に暮らし、母国台湾への愛と反原発の信念をもって、日本と台湾の運動をつなげるためにすべてを捧げるように活動された何昭明さん。堪能な日本語と魅力的な人柄で、いつも私たちと台湾の若者の運動との懸け橋になってくれ、30歳で夭折したダン・ギンリンくん。

このたびの公民投票で、貢寮をはじめとする台湾の仲間たちの長年の苦労がとうとう報われた。台湾は2025年、アジア初の脱原発を実現する。日本に暮らす私たちも、台湾の人びとに続こう。これからも台湾の人々と手を取り合い、学び合って進んでいこう。その姿は、きっと次の世代へと受け継がれていくと思う。

楊貴英さん「公民投票では核四(第四原発)に不同意を」

公民投票結果を聞く呉文通さん
第四原発

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信174号
(2月20日発行、B5-28p)もくじ

・台湾廃核運動史(NNAFJ事務局)
                  
・憐憫のない人たち(チャン・ヨンシク)/高レベル核廃棄物管理基本計画と特別法案の撤回を促す全国行動・声明書             
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2550

「この50年間、一方的な犠牲を強要されてきた地域と住民たちに、再び犠牲を強要しています。全国の原発があるところに「敷地内貯蔵施設」という名で、高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)の「乾式」貯蔵施設を建設しようとしています。 これは原発がある地域と住民たちに無限の犠牲を強要することです。原発立地地域を核の墓にしようということです」

・南オーストラリア州の放射性廃棄物処分場予定地で洪水(ミシェル・マディガン)

・欧州委、原発をEUの「グリーン投資」に位置づけ
 ― 内外からあがる批判の声 ―(満田夏花)

              
・今度は加害者になるわけにはいかない(片岡輝美)
・11.13 海といのちを守るつどい アピール(これ以上海を汚すな!市民会議)
・日弁連が、汚染水「海洋放出に反対する意見書」    
          

・水戸地裁判決の意義と限界 ― 住民運動による突破こそ本命(大石光伸)  

・急展開の島根原発再稼働の動き(土光均)                

・柏崎刈羽原発をめぐる新潟県の現状について(小木曾茂子)        

・311子ども甲状腺がん裁判弁護団、元首相5人の書簡への非難に対し抗議声明 

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌(174号)を無料で送ります。連絡ください → sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp

「憐憫のない人たち」(チャン・ヨンシク)「高レベル核廃棄物管理基本計画と特別法案の撤回を促す全国行動・声明書」

共に民主党の党本部前で、1月25日(撮影:チャン・ヨンシク)

「憐憫のない人たち」 チャン・ヨンシク(写真作家)

久しぶりにソウルに行ってきました。 汝矣島(ヨイド)にある共に民主党の本部前で、「高レベル核廃棄物管理基本計画と特別法案の撤回を促す全国行動」が行われれたためです。 釜山からバスを借りて夜明け道を走り、ソウルに向かいました。

大統領選挙を控えた国会前の風景は混雑していました。 様々なスローガンを書き込んだ垂れ幕が掲げられ、一人デモをしている人もいました。共に民主党の本部前は、警察が陣を張っていました。原発がある釜山(プサン)と霊光(ヨングァン)、そして、蔚山(ウルサン)と慶州(キョンジュ)から、地域を代表する市民たちが集まりました。 ソウルからも宗教環境会議代表や緑の党の党員たちが参加しました。

文在寅(ムン・ジェイン)政府が無責任に高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)を原発立地地域に保管するという基本計画を立て、国会もまた特別法案を成立させようとしています。

文在寅政府の主要公約である「脱原発政策」は雑巾になりました。核マフィア(原子力ムラ)の執拗な攻勢に積極的に対処できなかった結果です。文在寅政府が、新古里5・6号機の建設の公論化過程を経て、「脱原発政策」に手をこまねいていた結果です。 政府の主要政策が攻撃を受けても、一途に対応できなかった政権与党の無能と無責任の結果です。

これまで原発立地地域の住民らは、一方的な犠牲を強要されてきました。 原発を稼働すれば「核種」という放射性物質が排出されることは当然のことです。気体と液体 の放射性物質は住民の健康権と生命権を脅かしました。

原発を建てる際にも、原発の危険性について住民たちに話しませんでした。むしろ原発があれば、地域が発展すると宣伝しました。 住民たちはその宣伝にだまされたのが唯一の過ちでした。古里(コリ)で初めて原発を建てるときも、「小さい電気工場一つが建設される」と嘘をつきました。「電気工場ができると地域が発展する」と懐柔しました。村の住民たちは、「その小さい電気工場が原発であると知っていたなら、命をかけて反対したはずだ」と言います。

この50年間、一方的な犠牲を強要されてきた地域と住民たちに、再び犠牲を強要しています。全国の原発があるところに「敷地内貯蔵施設」という名で、高レベル核廃棄物の「乾式」貯蔵施設を建設しようとしています。 これは原発がある地域と住民たちに無限の犠牲を強要することです。原発立地地域を核の墓にしようということです。

政府は、このような重要な問題を決定する過程で、意見の収れんを経ずに一方的に進めました。 意見聴取期間に提出された意見も無視しました。25の原発立地地域と近隣地域の自治体、議会、市民団体が送った意見書を黙殺したのです。 全国の市民団体と環境団体も、政府の基本計画に対して審議の中断を要求しましたが、黙殺しました。

これに先立ち21年9月15日、共に民主党の国会議員24人が、「高レベル放射性廃棄物管理に関する特別法案」を国会に発議しました。この特別法案は、政府の基本計画と一脈相通じていて、高レベル核廃棄物の「敷地内貯蔵施設」建設を法制化する内容を含んでいます。

高レベル核廃棄物特別法案を代表発議した金星煥(キム・ソンファン)議員はソウル蘆原区地域選出の国会議員です。 彼が蘆原区長だった2012年、蘆原区の月渓洞の道路から基準値以上の放射能が検出されました。放射能に汚染されたアスファルトを全面撤去し、廃アスファルトは、蘆原区庁の裏にある公営駐車場とマドゥル水泳場にそれぞれ235トンと94トンずつ臨時保管された後、保管容器に密封され、慶州の中低レベル放射性廃棄物処分場で永久に保管されることになりました。そうしたことを先頭に立って推し進めた人物です。

自分の地域区では、放射性物質は保管できないと否定しておいて、廃アスファルトとは比較もできないほどの高レベル核廃棄物は、原発がある地域と住民たちに押しつけるという特別法案を代表発議し、取り消す意向はないと述べています。 厚顔無恥なことです。

5年前の大統領選挙では脱原発が主要テーマでした。 大半の大統領選候補らが原発の危険性に同意しました。 文在寅候補と安哲秀候補は、これ以上の原発を建設しないことに同意しました。5年が過ぎた今、5年前の時間で止まっているのではなく、むしろはるかに後退しています。欧州では、原発は気候危機の代案にならないとし、原発を廃炉にしているにもかかわらず、韓国の現在の大統領選候補らは原発をさらに建設すると述べています。

電気を最も多く使用している所が、原発と核のゴミ捨て場の負担を負わなければいけません。そんなにクリーンで経済的だというならば原発をなぜ首都圏に建設しないのでしょう。 首都圏から最も遠く離れた孤立した地域に建設し、そこに核廃棄場も建てるというのは原発が安全ではないということに対する同意であり、逆説です。

原発と核のゴミ捨て場を首都圏から最も遠く離れた所に建てるというのは差別です。地域と地域住民を差別することです。 地域と地域住民たちを排除することです。

50年前、原発を初めて建てる時も、住民たちの意向をろくに聞こうとしませんでした。50年が過ぎた後も同じです。原発があるところに、10万年以上も保管しなければならない核廃棄物の貯蔵施設を建設することについて、誰にも問わずにいます。それは民主主義に対する暴挙であり、暴力です。 国家暴力です。

灰色の空の下、怪物のようだった汝矣島の国会議事堂を眺めながら、釜山に帰る道で、国民の力のユン・ソギョル候補が、「PM2.5の発生を減らすため、脱原発を白紙化して、原発最強国を建設する」という公約を発表したというニュースを聞きました。ユン・ソギョル候補には、放射能の被害によってがん闘病する地域住民に対する愛民と憐憫の心はどこにもありませんでした。(カトリックニュース「今ここ」より)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【高レベル核廃棄物管理基本計画と特別法案の撤回を促す全国行動・声明書】

政府は、原発立地地域に無限の犠牲を強要する「高レベル基本計画」を撤回せよ

国会は、原発立地地域を核の墓にする「高レベル特別法案」を撤回せよ

全国の原発立地地域と、ソウルを含めた全国の市民・環境団体、宗教界などは、コロナの懸念にもかかわらず今日この場に集まった。政府が、無責任に、高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)を原発立地地域に保管しろという基本計画を立て、国会が、特別法案を通過させようとしているからだ。

政府と政界が、国民の安全と生命と人権を踏みにじり、未来世代に不平等を強要する現状況をこのまま見過ごすわけにはいかない。私たちは、政府と政界に、生命と平和、平等と人権のために良心をかけて国家政策を正すことを要求する。

韓国は1978年の古里1号機の商業運転を皮切りに44年の間に原発建設を拡大し、現在、合計26基の原発から出た高レベル核廃棄物を各原発に保管している。政府と原発事業者は、この44年間、高レベル核廃棄物の中間貯蔵施設や永久処分施設の建設場所を選定することもできないまま、原発を維持し続けてきた。

これまでの間、原発の近隣に住む住民たちは、原発を稼動することによって必須的に放出される気体と液体の放射性物質に露出されてきた。彼らは日常的に健康上の被害を受け、原発の様々な事故や、地震・台風などによる事故の脅威の中で暮らしている。

ところが今回、政府が樹立した「高レベル放射性廃棄物管理基本計画」と、国会に係留中の「高レベル放射性廃棄物特別法案」は、26基の原発から出た高レベル核廃棄物を敷地内に保管するようにする内容を盛り込んだ。これまでの「臨時貯蔵施設」と呼ばれる使用済み核燃料プールが飽和となれば、「敷地内貯蔵施設」という名で、高レベル核廃棄物の「乾式」貯蔵施設を全国の原発サイトごとに新たに建設せよという内容だ。

これは、原発立地地域に無限の犠牲を強要することであり、原発立地地域を核の墓にしようとするものだ。 私たちは、無責任な政府と政界の核エネルギー政策に対し、憤りを超えて惨憺たる心境だ。

政府は12月27日、原子力振興委員会(委員長、キム・ブギョム首相)を開き、産業通商資源部(以下、産業部。日本の経産省にあたる)が拙速に用意した、「第2次高レベル放射性廃棄物管理基本計画」を議決した。

この基本計画は、産業部が行政予告した後、わずか20日で確定したもので、産業部は基本計画の樹立過程において原発立地地域と全国の意見収集を経ておらず、意見聴取期間に提出された意見も無視した。25の原発立地自治体と近隣地域自治体、議会、市民団体が送った意見書を黙殺したのだ。それだけでなく、全国の市民・環境団体も政府に基本計画の審議の中断を要求したが受け入れられなかった。

これに先立ち昨年9月15日、共に民主党所属の24人の国会議員が、「高レベル放射性廃棄物管理に関する特別法案」を国会に発議し、11月23日、産業資源委員会の全体会議に上程した。現在この法案は、産業資源委員会の法案審査小委、与野党の幹事協議と案件上程を控えている。 この特別法案は、政府の基本計画と脈を共にし、高レベル核廃棄物の「敷地内貯蔵施設」建設を法制化する内容を含んでいる。

この「高レベル特別法案」を代表発議した金星煥(キム・ソンファン)議員は、昨年9月2日、この法案が産業部と協議を終えた法案だと明らかにした。そして産業部は12月7日、高レベル基本計画を行政予告し、政府は12月27日、基本計画を議決した。つまり、高レベル核廃棄物の「敷地内貯蔵」は、金盛煥議員をはじめとする共に民主党の国会議員たちと政府が積極的に推し進めたのだ。

我々は、共に民主党を強く糾弾し、政府の高レベル基本計画と国会の特別法案の撤回を要求する。

現政府をはじめ、国民の力、国民党、正義党などの政界は、高レベル核廃棄物の発生を最小限に食い止めるために脱原発の時期を明確にする「脱原発基本法」を制定し、全国民と真に疎通し、高レベル核廃棄物の処分対策を打ち出さなければならない。 そのために、我々は次のように要求する。

第一、政府は、「高レベル基本計画」を撤回し再樹立せよ。
第二、国会の金星煥議員らは、「高レベル特別法案」を、ただちに撤回せよ。
第三、政府は全国民参画を通じた高レベル核廃棄物管理政策を樹立せよ。
第四、与野党と政府は、脱原発基本法を制定し、核廃棄物の発生を最小化せよ。

2022年 1月 25日
「高レベル核廃棄物管理基本計画と特別法案の撤回を促す全国行動」参加者一同
参加団体:脱核釜山市民連帯、脱核蔚山市民共同行動、脱核慶州市民共同行動、ハンビッ原発全羅道圏共同行動、宗教環境会議(キリスト教、仏教、円仏教、天道教、カトリック)、2022脱核大統領選連帯

***********************

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信174号
(2月20日発行、B5-28p)もくじ

・台湾廃核運動史(NNAFJ事務局)
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2555

 21年12月18日に行われた「第四原発の稼働を問う公民投票(国民投票)」。結果は、426万人が原発反対票を投じ、380万の賛成票を上回った。
 事実上の日本の輸出原発(原子炉は日立・東芝、タービンは三菱)であり建設凍結されていた第四原発は稼働しないことが最終決定した。台湾は2025年に原発ゼロとなる。
 台湾がいかにして、アジア初となる脱原発 =「非核家園」という悲願へと着実に向かいつつあるのか、これまでの台湾の脱原発運動を、ふりかえりつつ、日本と台湾の脱原発運動のかかわり、そしてこれからの日本の脱原発運動に示唆されるものについて考える。

1.第四原発反対運動の始まり
2.1003事件の衝撃
3.放射能汚染マンション
4.第3回ノーニュークス・アジアフォーラム
5.ランユ島、核廃棄物と闘う先住民族
6.日本からの原子炉輸出
7.映画「こんにちは貢寮」
8.「地震と原発の危険」を伝え続ける
9.福島をくり返さないで
10.非暴力直接行動
11.台湾から私たちが学ぶこと
12.原発の歴史は終結へ
13.私たちはどんな道を行くのか
                    
・憐憫のない人たち(チャン・ヨンシク)                 
・高レベル核廃棄物管理基本計画と特別法案の撤回を促す全国行動・声明書

・南オーストラリア州の放射性廃棄物処分場予定地で洪水(ミシェル・マディガン)

・欧州委、原発をEUの「グリーン投資」に位置づけ
 ― 内外からあがる批判の声 ―(満田夏花)
              
・今度は加害者になるわけにはいかない(片岡輝美)
・11.13 海といのちを守るつどい アピール(これ以上海を汚すな!市民会議)
・日弁連が、汚染水「海洋放出に反対する意見書」
              

・水戸地裁判決の意義と限界 ― 住民運動による突破こそ本命(大石光伸)  

・急展開の島根原発再稼働の動き(土光均)                

・柏崎刈羽原発をめぐる新潟県の現状について(小木曾茂子)        

・311子ども甲状腺がん裁判弁護団、元首相5人の書簡への非難に対し抗議声明 

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌(174号)を無料で送ります。連絡ください → sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp

4,262,451票もの強力な反原発票をありがとう、第四原発を終結させ、核のない社会へ

12.18第四原発公民投票(国民投票)で勝利
日立・東芝が原子炉を輸出した第四原発は稼働せず
台湾は、2025年原発ゼロ、アジア初の脱原発に向かいます
下記は台湾の全国廃核行動平台(ネットワーク)の声明(抄訳)です

4,262,451票もの強力な反原発票をありがとう、
第四原発を終結させ、核のない社会へ

2021.12.18 全国廃核行動平台

●「公民投票(原発維持派が提起)は不成立、第四原発の歴史は終結する」

 40年間にわたる第四原発問題は、2021年末の公民投票で426万人が稼働反対票を投じ、ようやく幕を閉じた。(稼働賛成は380万票)
 数十年も第四原発と闘い、最後の1歩まで共に歩んできたすべての人々に感謝します。
 今後も政府を監視し、第四原発の歴史を終わらせよう。

●「原発は過去のもの、エネルギー転換を進めよう」

 原発維持勢力と国民党は「原発が、電力不足と大気汚染を解決し、さらには地球を救うことができる」と主張している。
 しかし台湾はもう、古くて危険な原発について議論する必要はない。エネルギー転換に貴重な時間を浪費するだけでなく、社会的コストを増大させることになるのだ。

●「歴史的正義を貫く貢寮の人々」

 貢寮では27年前に住民投票が行われ、96%という圧倒的な得票率で原発反対を表明したが、法的拘束力がなかったため、貢寮の人々はその後も闘いを続けてきた。
 原発問題を何度も公民投票にかけることは、地元住民にとって不公平である。
 本日の投票では、平均より高い75%の貢寮住民が原発に反対した。貢寮の人々は3世代にわたって、数え切れないほど街頭に出て第四原発に反対し、子や孫のために闘ってきた。
 もし貢寮の人たちの粘り強い努力がなかったら、第四原発は稼働され、台湾は非常に高い核災害のリスクにさらされていたことだろう。
 貢寮の人々が安心した暮らしを手に入れるために、一日も早く第四原発を廃止しよう。
 4,262,451票もの強力な反原発票をありがとう! 共に第四原発を終結させよう!

投票結果を聞く呉文通さん
楊貴英さん
反核自救会の看板と旗、原発予定地前、1988年


***********************

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信173号
(12月20日発行、B5-28p)もくじ

4,262,451票もの強力な反原発票をありがとう
  第四原発を終結させ、核のない社会へ (台湾・全国廃核行動平台)    
・台湾公投(国民投票)私見 (とーち)                    
・蔚山、労働組合も高レベル放射性廃棄物特別法案の廃棄を要求 (イ・サンボム)
・地域を核廃棄場にする高レベル特別法案を廃棄せよ (脱核釜山市民連帯)  
・2022脱核大統領選連帯・発足式 (ソン・チュヒ)              
・バターン原発との闘いにどう勝利したか (トネット・オレハス)       
・キンバの放射性廃棄物処分場計画、南オーストラリア州首相は州法を適用すべき
                        (FoEオーストラリア)
・アックユ原発の建設中にくり返される事故 (森山拓也)                                
・東海第二原発いらない! 12.11一斉行動 (志田文広)           
・1600人が参加「12.5老朽原発このまま廃炉!大集会inおおさか」は、
・老朽原発を廃炉に追い込む出発点 (橋田秀美)            
・原発マネーの不正還流、検察審査会に約1200名で申し立てます (末田一秀) 
・関電原発マネー不正還流事件告発弁護団・声明(不起訴処分に対する抗議声明)
・『こんど、いつ会える? 原発事故後の子どもたちと関西の保養の10年』
  発刊しました (小野洋) 
・「ほっとかれへん!」と思った関西の《おせっかいな》人々の10年間  (宇野田陽子)
・長谷川健一さんは私たちを励ましている (宇野朗子) 

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。事務局へ連絡ください → sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp

バターン原発との闘いにどう勝利したか

トネット・オレハス (Daily Inquirer 10月24日)

「私たちの抵抗の記録です」と、ローランド・シンブラン教授は、彼が編集した新刊本『非核の国 ― フィリピンにおける民衆の力vs原子力の力』について強調した。

この本の企画は10年前に始まったが、今月になってようやく出版された。シンブラン氏はインクワイアラー紙に「現在と将来の世代のために、私たちの勝利と欠点を総括し、評価するための時間が必要でした」と語っている。

この264ページの本では、彼が「成功した歴史的な闘い」と呼んだBNPP(バターン原発)反対闘争が記録されている。彼は、1981年の設立から7年間、「非核フィリピン連合」の議長を務めた。

この本は、非核フィリピン連合の設立委員長である故ロレンソ・タニアダ元上院議員、設立事務局長のホセ・クナナン牧師、暗殺されたBNPP作業員のエルネスト・ナザレノ氏など、多くの殉教者を追悼して書かれたものである。

シンブラン氏(67歳)は序文で、「フィリピン人がどのようにしてBNPPとその後の原発計画を止めたのかは、素晴らしい物語である。フィリピンの草の根反原発運動は、1970年代、80年代の戒厳令という最も抑圧的な状況下でも、そして現在に至るまで、フィリピン群島に1基の原発も稼働させないできた。私たちは、未来の世代に対して義務がある。それは、人類の生命を存続させるために、核のない祖国をつくるという約束である」と書いている。

故カカ・カリンバス氏は、「BNPPと最初に闘ったのは、当時バターン輸出加工区で働いていた労働者たちと、農民たちだった」と述べ、この言葉に真実味を与えた。

2005年に中部ルソンの軍隊を指揮していたジョビト・パルパラン元帥の超法規的殺人の犠牲になったキャシー・アルカンタラさんは生前、「バターン州で原発問題を知らない人はいなかった」と語っていた。

反原発運動は、1970年代、マニラの聖スコラスティカ大学を拠点とする「消費者保護のための市民同盟」から始まり、1981年には129団体の連合体へと発展した。

化学者でもある修道女、シスター・アイダ・ベラスケスが、後に非核フィリピン連合となるその連合体に引き込まれたのはそのころだった。

米国在住のフィリピン人化学者ホルヘ・エマニュエル博士は、科学的な情報が運動にとって重要であることを示した。

「ウエスチングハウス社が米国原子力規制委員会に輸出許可を申請したのは、1976年11月だった。その数カ月前、バターン州モロンの住民たちは、地元のメソジスト教会の牧師とシスター・アイダの支援を受けて、原発計画について調べようとした。しかし、彼らは軍の脅迫を受けた。情報を得ることができなかったので、シスター・アイダらは米国の技術専門家やフィリピン人支援団体に連絡をとった」とエマニュエル氏は書いている。

モロン教区司祭だったアントニオ・デュマウル氏は、「さまざまな方法でBNPPと闘った」と述べている。

選挙戦では、汚職、建設地の選択、古い設計、欠陥のある建設、そして人々や環境の安全性について問題提起した。
銀行の資料によると、BNPPは、独裁者であったフェルディナンド・マルコス政権の「最大の不正融資プロジェクト」となり、1984年12月の完成時には、建設費が当初の入札額5億ドルの4倍に当たる23億ドルに達していた。


非核フィリピン連合は、さまざまな形で問題を大衆化するだけでなく、歌や詩、演劇などを用いてメッセージを伝えた。「非核バターン運動」の組織化は村々で行われ、住民はBNPPが「自分たちの生活、家族、コミュニティを危険にさらす」と認識した。

1984年に完成したBNPPは、ウラン燃料を装荷して稼働する予定だったが、バターン民衆は1985年6月18日から20日までのウェルガン・バヤン(人民ストライキ)によって、これを「間一髪」で阻止したのである。5万人の地域ゼネストで、市街を埋め尽くし、軍の戦車に立ち向かった。マニラ首都圏や近隣の州からの支援者たちも、軍の脅しにもかかわらず、バターン民衆に加わった。

「非核バターン運動」の議長を務める弁護士のダンテ・イラヤ氏は、この人民ストライキが、マルコス大統領を追放した1986年2月のピープルパワー革命の前哨戦であったと指摘した。「つまりウェルガン・バヤンは、ピープルパワーの具体的な出現だったのです」と彼は言う。

海外のフィリピン人や外国人もBNPP反対運動に参加し、マルコスへの国際的な圧力を高めた。全米科学者連盟は、BNPP の4,000以上の欠陥を発見した。

コラソン・アキノ大統領が、1986年にBNPPの凍結を決定し、次のフィデル・ラモス大統領がアキノ大統領の決定を支持したのは、これらの欠陥問題やチェルノブイリ原発事故の影響もあったからである。

「BNPPの建設を始めたときに、スリーマイル島の事故が起こりました。反原発闘争真っ只中の1986年にはチェルノブイリ原発が爆発した。そして、マーク・コジュアンコ下院議員が、BNPPを復活させたいと言い出したときに、福島原発事故が起きたのです。だから、私たちは誰かに導かれているのです」とデュマアル司祭は語った。

また、非核フィリピン連合は、1987年に改訂された憲法に「フィリピン領土内に核兵器を置かない」条項を入れることに貢献した。この非核条項は、1991年に米軍基地を閉鎖する根拠の一つとなった。

しかし、シンブラン教授は警告を発する。
「アジアの原子力産業は、福島原発事故の後も計画をあきらめていません。太陽光発電が現在も将来も最も安価なエネルギーであることが証明されているにもかかわらずです。フィリピンでは、エネルギー省と科学技術省が、長期的なエネルギーの選択肢として原子力を利用する計画をあきらめていません。彼らは、BNPPプロジェクトが失敗したのは、『コミュニケーションの問題』や『広報活動が不足していただけだ』と考えているのです」

***********************

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信173号
(12月20日発行、B5-28p)もくじ

4,262,451票もの強力な反原発票をありがとう
  第四原発を終結させ、核のない社会へ (台湾・全国廃核行動平台)
    
・台湾公投(国民投票)私見 (とーち)                    
・蔚山、労働組合も高レベル放射性廃棄物特別法案の廃棄を要求 (イ・サンボム)
・地域を核廃棄場にする高レベル特別法案を廃棄せよ (脱核釜山市民連帯)  
・2022脱核大統領選連帯・発足式 (ソン・チュヒ)              
・バターン原発との闘いにどう勝利したか (トネット・オレハス)       
・キンバの放射性廃棄物処分場計画、南オーストラリア州首相は州法を適用すべき
                        (FoEオーストラリア)
・アックユ原発の建設中にくり返される事故 (森山拓也)                                
・東海第二原発いらない! 12.11一斉行動 (志田文広)           
・1600人が参加「12.5老朽原発このまま廃炉!大集会inおおさか」は、
・老朽原発を廃炉に追い込む出発点 (橋田秀美)            
・原発マネーの不正還流、検察審査会に約1200名で申し立てます (末田一秀) 
・関電原発マネー不正還流事件告発弁護団・声明(不起訴処分に対する抗議声明)
・『こんど、いつ会える? 原発事故後の子どもたちと関西の保養の10年』
  発刊しました (小野洋) 
・「ほっとかれへん!」と思った関西の《おせっかいな》人々の10年間  (宇野田陽子)
・長谷川健一さんは私たちを励ましている (宇野朗子) 

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。事務局へ連絡ください → sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp投稿者satou投稿日:カテゴリー韓国“月城原発、24年間にわたり放射能漏れ”を編集

コメントを残す

「オーストラリアの原子力潜水艦の契約は、未来の危険」「原潜推進における南オーストラリア州の役割に大きな疑問」

「オーストラリアの原子力潜水艦の契約は、未来の危険」

ジム・グリーン(FoE オーストラリア)  RenewEconomy 9月17日

2019年、国会の環境エネルギー常任委員会は「Not without your approval」と題した原子力に関する報告書を発表した。この報告書では、国民の支持なしに原子力を推進することはないと強調していた。

にもかかわらず今月、国民の承認なしに、政府は原子力潜水艦を米英の技術供与により取得することを決定した。


しかし、原子力潜水艦の計画は、経済的理由 ― 原子力潜水艦8隻で1000億豪ドル(約8兆円)以上の費用がかかり、廃炉や廃棄物処理にも同じくらいの費用がかかる可能性がある ― や、他の選択肢があること、国民や政治家の反対など、さまざまな理由で破綻する可能性がある。


■ 代替案


政府内での議論や国際交渉が秘密にされてきたため、代替案が適切に検討されたかどうかを知るすべはない。


原子力が自然エネルギーとバックアップの蓄電よりもはるかに高価であるにもかかわらず、与党の国会議員の多くが、原子力を禁止する連邦法の撤廃を支持している。


ピーター・ダットン国防相の頭の中には、「原子力は良いもの。バッテリーは悪いもの、リベラリストのもの」という単純化されたイデオロギー的な思考があるのだ。


■ 原発へ


原子力潜水艦を運用している国は、5つの核兵器国とインドであり、原発と核兵器の双方を保有している。


原子力潜水艦を支える国内の原子力産業を構築するには、天文学的なコストがかかり、他の面でも問題がある。


スコット・モリソン首相は、原子力潜水艦の提案がオーストラリアでの原子力発電所の推進につながることはないと主張していた。しかし、AUKUSの発表から数時間後、オーストラリア鉱物評議会(MCA)は、オーストラリアでの原子力発電を禁止する法律を廃止するよう求めた。


石炭推進・原発推進・再生可能エネルギー反対のMCAは「オーストラリアが小型原子炉を使用する原子力潜水艦を保有しようとする今、民生用のSMR(小型モジュール原子炉)を検討しない理由はない」と述べ、SMRは「24時間365日、最も安価なゼロエミッションの電力を提供する」と付け加えた。


SMRによる電力は、従来型の原発よりも高価であり、自然エネルギーとは比べものにならないほど高い。


■ 核兵器について


政府は密かに、原子力潜水艦プログラムを通じて、オーストラリアを核兵器保有国に近づけようとしているのだろうか。


モリソン政権が国連の核兵器禁止条約への署名を拒否し、あらゆる段階で積極的に条約を弱体化させてきた理由の一端がそれで説明できるだろうか。


過去にも1960年代後半、ジョン・ゴートン政権が原発・核兵器開発を検討し、オーストラリアが国連の核拡散防止条約(NPT)に署名することに反対したことがある。


原子力潜水艦は、それが計画に含まれているかどうかにかかわらず、オーストラリアを核兵器保有国に近づけることは確かである。原子力潜水艦計画のために訓練を受けたスタッフが、後に核兵器計画に携わることになるかもしれない。


原子力潜水艦を建造することになる南オーストラリア州の州都アデレードの北郊外は、シドニーの南のルーカスハイツにあるオーストラリア原子力科学技術機構の研究用原子炉施設と並ぶ、オーストラリアの第2の核専門家の拠点となるだろう。(オーストラリア原子力科学技術機構の前身であるオーストラリア原子力委員会は、1960年代に核兵器開発に大きく関与していた)。


モリソン政権は、潜水艦交渉の一環として、オーストラリアが原子炉製造能力を身につけるために、米英に対してある程度の技術移転を要求するだろうか。それが政府の真意を問うことになるが、もちろん交渉は秘密裏に行われるので、他の人々は推測するしかない。


オーストラリアが原子力潜水艦を追求すると、他の国が同じことをするのではないか? たとえば、インドネシアは核兵器の保有に近づくため、原子力潜水艦か原発、あるいは、その両方を手に入れようとするだろう。


■ ウランの濃縮


原子力潜水艦の多くは、高濃縮ウラン(HEU)燃料を使用している。原子力潜水艦におけるHEU燃料の使用は大きな問題であり、HEUの非兵器使用の大部分を占めている。


では、オーストラリアは低濃縮ウラン(LEU)燃料の使用を主張するのだろうか。LEUも濃縮工場の存在と稼働を前提としているため問題はあるが、核兵器に直接使用できない点では望ましい。その場合、潜水艦の性能、原子炉の寿命、燃料補給の必要性などにどのような影響があるのか。


オーストラリアでもウラン濃縮を推進する動きが出てくるだろう。


ウラン濃縮の研究開発にオーストラリアが関わったのは、1965年にルーカスハイツの研究用原子炉施設の21号棟の地下で行われた「口笛プロジェクト」である。関係者は21号棟の前を通るときに口笛を吹き、濃縮作業については何も言わないことになっていた。


政府は、原子力潜水艦の追求は国連の核拡散防止条約(NPT)を損なうものではないと主張している。しかし、10年前、オーストラリアは米国と共謀し、NPT非加盟国との核取引を禁止するNPT原則に違反して、インドとの核取引(およびインドへのウラン販売)を認めた。


原子力潜水艦、高濃縮ウランの拡散はNPTのさらなる弱体化につながるだろう。


■ 核廃棄物


原子力潜水艦から発生する高レベル放射性廃棄物と中レベル放射性廃棄物の処分について、政府は沈黙を守っている。


世界のどの国も高レベル放射性廃棄物の処分場を持っていない。


原子力潜水艦から出る放射性廃棄物は、アボリジニの土地に投棄されることになるのではないか。現在、政府はオーストラリアの放射性廃棄物を南オーストラリア州のキンバに投棄する計画を進めようとしている。バンガラの伝統的土地所有者が満場一致で反対しているにもかかわらず。


核廃棄物の投棄に対するアボリジニの満場一致の反対を無視しようとしているのは、連邦政府と南オーストラリア州政府の粗野な人種差別主義を物語っている。連邦政府は、いわゆる「地域社会調査」から伝統的土地所有者を除外するために争ったこともあった。南オーストラリア州労働党は、核廃棄物処分場を含むいかなる原子力施設の計画に対しても、伝統的土地所有者は拒否権を持つべきだという方針を掲げている。


原子力潜水艦から発生する高レベル放射性廃棄物と長寿命の中レベル放射性廃棄物は、海外のコスト試算によると、処分に何百億ドルもかかると言われている。


南オーストラリア州の核燃料サイクル王立委員会は、高レベル放射性廃棄物処分場の建設、運営、廃炉にかかる費用を120年間で1,450億豪ドルと見積もっている。


政府がこのような巨額の長期コストを検討した可能性は極めて低い。潜水艦の廃炉もまた、将来の世代が直面する高価で危険な悪夢となる可能性が高い。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 172-13.jpg

「原潜推進における南オーストラリア州の役割に大きな疑問」

ケビン・ノートン InDaily 9.28


オーストラリアの原子力潜水艦の推進については、未知のことが多い。


将来、原子力潜水艦に搭載される原子炉と1隻あたり220トン以上の核廃棄物をどうするのか? 潜水艦が退役した後、解体が必要な潜水艦の部品は何か、オーストラリアにその能力はあるのか。退役した潜水艦からは3段階の放射性物質(熱を発し続ける核燃料、原子炉圧力容器ほか、さまざまな中低レベル放射性廃棄物)が発生するため、取り扱い、輸送、処分方法に課題がある。


オーストラリアには、放射性廃棄物を処分するための施設がなく、現在は国内100カ所以上の場所に保管されている。過去には、南オーストラリア州のウーメラ付近やノーザンテリトリー(北部準州)のマカティ付近などに、放射性廃棄物処分場を建設しようとしたが、地域住民の懸念や州政府の抵抗により、失敗に終わった。


2015年、南オーストラリア州のジェイ・ウェザリル首相(当時)が「核燃料サイクル王立委員会」を設置した。同委員会は2016年に次のような報告を行った。


「南オーストラリア州には、国際的な使用済み核燃料を安全に管理・処分する属性と能力があり、それは地域社会に大きな世代間利益をもたらすだろう。この活動を進めるためには、社会と地域の同意が基本となる」。そして報告書では、使用済み核燃料の処分施設の建設を追求するため、法律上の制約を取り除くよう提言している。


しかし、この報告書を検討するために設置された市民陪審は、提案に反対した。当時の野党党首であったスティーブン・マーシャルは、核廃棄物処分施設の推進は「もはや死んだも同然」と述べた。


今年、再び、南オーストラリア州のキンバでの低レベル放射性廃棄物処分場建設計画が提案されている。


オーストラリア政府は、南オーストラリア州のアデレードで潜水艦を建造するという意向をもっている。

***********************

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信172号
(10月20日発行、B5-28p)もくじ

・月城原発、24年間にわたり放射能漏れ (ヨン・ソンロク)
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2489           

・1003事件から30年目の公民投票で、第四原発を終結させよう(台湾環境情報センター)

・オーストラリアの原子力潜水艦の契約は、未来の危険 (ジム・グリーン)     

・原潜推進における南オーストラリア州の役割に大きな疑問(ケビン・ノートン)ほか

・トルコの人々は日本の原発輸出にどう向き合ったのか
     ―『原発と闘うトルコの人々』を出版 ― (森山拓也)

・CoP 26 市民社会の声明 (世界252団体)

 ・東電に核を扱う資格はない ― 柏崎刈羽原発再稼働反対 ― (竹内英子)    

・東北電力は、被災原発・女川原発2号機の再稼働をするな! (日野正美)   

・避難計画の実効性を地元同意の要件に ~島根原発再稼働反対~ (山中幸子)   

・伊方原発仮処分、なるか3度目の差止め (小倉正)              

・10月停止の老朽原発・美浜3号機をそのまま廃炉に追い込み、原発全廃に前進しよう! (木原壯林) 

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。事務局へ連絡ください → sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp

月城原発、24年間にわたり放射能漏れ

蔚山(ウルサン)市の56の市民団体などで構成する脱核蔚山市民共同行動は、放射能漏れが明らかになった月城(ウォルソン)原発を直ちに廃止することを要求する脱原発大会と対市民宣伝行動を行った

ヨン・ソンロク (脱核新聞より)

韓国政府の原子力安全委員会が構成した「月城(ウォルソン)原発トリチウム民間調査団」(以下、調査団)と懸案疎通協議会は、9月 10日、月城原発 1~4 号機の放射性物質漏えい調査の1次結果と今後の計画を発表した。

調査では、土からガンマ核種であるセシウム137も検出され、構造物の安全性に対する憂慮が拡大した。ガンマ核種はトリチウムとは異なりコンクリートを透過できない。つまり月城原発内の施設物に損傷があることを意味する。

調査団は、韓国水力原子力(以下、韓水原)が月城 1号機の使用済み核燃料貯蔵プール(以下 SFB)遮水幕の補修工事のための掘削作業を行ったことにより、SFB 遮水幕などの構造物の健全性の検査を行い、周辺の土壌と水の試料を分析した。


調査団が発表した1回目の調査結果を以下のように整理した。


★月城1号機の1997年使用済み核燃料貯蔵プール補修工事前後の遮水幕構造

■使用済み核燃料貯蔵プール(SFB)構造物健全性調査の結果
●遮水幕と有孔管の損傷を確認
●遮水幕が切れて汚染水漏洩

調査団は、SFB 遮水幕などの構造物の健全性を確認した結果、2012年、月城 1号機の格納建屋の濾過排気設備設置工事の際に、地盤補強用の基礎ファイル 7つが遮水幕(床の部分)を損傷させたことを確認した。

調査団はまた、2010年、月城 1号機の SFB 遮水壁の補強工事と 2012年 濾過排気設備設置工事の際に有孔管が損傷し、「詰まり」が発生、漏洩水が集水槽に入る機能が低下したことを確認した。


そして、1997年のSFB 壁の亀裂補修工事の過程で、底のコンクリート上部の遮水幕が遮水壁まで連なっておらず壁の端の部分から切れていることを確認した。当時、補修した遮水幕はもともとの設計とは異なる構造で施工されており、漏洩水が集水槽に集まる南側の流入ルートが基本的に遮断されていることも確認した。

■使用済み核燃料貯蔵プール(SFB)健全性調査の結果
●貯蔵プール壁を通じて冷却水漏洩を確認
●底の方からの漏水量がはるかに多いと推定

調査団は、月城 1号機の SFB 南側の壁のエポキシ樹脂の防水性能の欠陥と、垂直の壁の施工ジョイントで、冷却水が漏洩していることを確認した。

韓水原の資料によると、21年 7月 30日から 9月 9日までに収集された漏洩水は 2.7L であるが、すべての漏洩水が収集されてはおらず雨水と混合した。調査団は、冷却水漏洩を SFB の壁 4面のうち南側の 1面だけで把握し、床の部分は今も内部エポキシ樹脂の補修工事をしていないので漏洩水の量は多いと推定した。

■周辺の土壌と水汚染調査の結果
●土でセシウム137、370 ベクレル/kg検出
●試料 25個のうち 14個からガンマ核種検出
●漏洩水より、周辺汚染濃度が高く検出

調査団が、月城1号機 SFB 周辺の土壌と水試料(深度 9m で採取)を分析した結果、土壌ではセシウム137が最大 370 Bq/kg 検出された。セシウム137の自主処分の許容濃度は 100 Bq/kg だ。調査団は今年7月 27日から 8月 25日まで 25個の試料を採取し、そのうち 14個の試料からセシウム137を検出した。

調査団は、水の試料も分析したが、ここではトリチウムが 最大 756,000Bq/L(最小1640)、セシウム137は最大 140 Bq/kg 検出した。


調査団は、月城1号機の SFB の壁と遮水構造物が 1997年に元の設計とは異なって施工されたことを確認した。その後、遮水機能が機能しなかったと判断した。


調査団は、SFBの漏洩水のトリチウムの濃度(15~45万 Bq/L)よりも、周辺の水試料の濃度が高く測定され、セシウム137まで検出されたため、追加の流出経路を調査している。

■敷地境界の外部環境への流出の有無
●現在は外部環境の流出有無の判断は難しい

調査団は、現在は放射性物質の外部環境流出の有無を判断することは難しく、今後 精密調査を行う予定だと明らかにした。なお、現在まで海岸近くの地下水観測穴(深度約20m)では、トリチウムとセシウム137の有意な濃度変化が観測されなかったと明らかにした。

調査団は、全般的な地下水流動は敷地から海の方向に流れるが、構造物の影響を受けている地下水は構造物方向に流れるとした。また、月城原発敷地の上流から下流方向に流れるナサン川のトリチウム濃度を1回分析した結果、16.9~19.9Bq/L となった。今後、月1回のペースで河川のトリチウムの分析を進めるとした。

●韓水原、調査中の遮水幕と遮水壁を除去
●韓水原の非協力的な態度により調査に支障

韓水原は、調査団との協議なしに、調査対象である月城 1号機の SFB の遮水壁と遮水幕を除去した。調査団は、韓水原のこのような行為によって SFB 遮水構造物の状態確認が難しい状況だとした。

また、放射性物質の環境流出の調査のため、追加のボーリング孔を通じた地下水分析が必要だが、ボーリング孔の施工が遅延し円滑な調査に支障が出ていると説明した。


なお、韓水原が提供した資料のうち鮮明でない図面があり構造把握が難しく、調査団が要求したことについて韓水原が答弁資料の提出を遅らせており、調査が困難であるとした。

●報道から 3ヶ月過ぎて調査団を構成
●調査から 5ヶ月過ぎて一次調査の発表

月城原発の遮水幕破損の事実は 2019年と 20年に脱核新聞がすでに報道したとおりだ。しかし、韓水原はこれを補修しなかった。こうしたなか、慶州環境運動連合は韓水原の「月城原発敷地内の地下水のトリチウムの管理現況および措置計画」(2020. 6. 23)内部文書を入手した。

慶州環境運動連合は、韓水原の内部文書を分析し、その結果、月城原発の使用済み核燃料貯蔵プール(SFB)と埋設配管の周辺でトリチウムが漏出したことを確認した。


脱核新聞の慶州市の通信員は、この事実を脱核新聞 20年 12月号で「月城1号機が漏れている」という題で最初に報道した。さらに、慶州市と蔚山市の脱原発団体は、韓水原の内部文書をマスコミに公開し、記者会見を行った。


以降、月城原発の放射性物質の漏洩をめぐって「原子力学界」の教授などは「バナナ、イワシ、コーヒーにもトリチウムは存在する」などの主張をくり返し、世論を騒がせた。


しかし、原子力安全委員会が「月城原発トリチウム民間調査団」を構成して発足したのは 3月 30日だ。 放射性物質の漏洩が発覚して 3ヶ月が過ぎてからだった。


調査団は調査を開始したが、これまで一度も中間調査の結果を発表せず、9月 10日に初めて一次調査結果を発表した。


調査団は調査期間を 2023年 3月までとしている。

●オム・ジェシク原子力安全委員長、「国民に謝罪する」
●貯蔵プール防水施設をステンレス製に交換することを検討
●「基準ない」、放射能の非計画的漏洩を認定

オム・ジェシク原子力安全委員会委員長が9月9日、国会科学技術情報放送通信委員会の全体会議に出席し、月城原発の放射性物質漏洩について議員たちの質問に答えた。

オム・ジェシク委員長は「月城原発使用済み核燃料貯蔵プール防水施設であるエポキシ樹脂に問題が生じて7回にわたって補修した事実を認識しており、調査結果が出れば、エポキシ樹脂をステンレスに転換することを含めて対策を樹立することになるだろう」と話した。


また、「放射性物質が『意図されない形』(非計画的漏洩)で漏れたことを深刻に見ている」「国民が感じている不安と懸念について、私がもう一度謝罪する」と話した。


(オム・ジェシク委員長は、今年2月18日には、国会の科学技術情報放送通信委員会の全体会議で、「4万ベクレル/リットル(㏃/ℓ)というトリチウムの排出管理基準はあるが、原発内のトリチウムの量に対する規制や管理体系にはいかなる基準もない」などと話していた)。


そして、トリチウムが人体に害を及ぼすかどうかを問う議員の質疑に、「トリチウムを含むすべての放射性物質は基本的に有害だ」「トリチウムは放射線を出す放射性物質であり、放射線が人体に利益があるとはいえない」と述べた。

●蔚山市民団体、早期閉鎖を促す
●労働者と住民の健康調査を要求
●貯蔵槽をステンレスに替えることも要求

月城原発の基準放射線非常計画区域に100万人以上が居住する蔚山市の 56の市民団体の連帯団体である脱核蔚山市民共同行動は、9月 10日に声明を発表し、「原子力安全委員会は、放射能がダダ漏れしている月城 2,3,4 号機の稼動を直ちに中止せよ」と促した。

また、放射性物質が敷地内で長期間にわたって漏洩したことが確認されたとし、原子力安全委員会と韓水原に対して、月城原発で働いた履歴があるすべての労働者の健康調査と健康影響疫学調査を実施するよう要求した。さらに、住民の健康調査や、住民健康影響疫学調査を要求し、原子力安全委員会がすべての行政力を動員して放射性物質漏れを遮断することを促した。


蔚山共同行動は、韓水原に対して、月城2,3,4 号機の早期閉鎖を決定し、直ちに使用済み核燃料貯蔵槽をステンレスに全面的に替えるよう促した。


脱核蔚山市民共同行動は、対策なしの政府と韓水原をだまって眺めているわけにはいかないとし、今年 3月から月城 2,3,4 号機の早期閉鎖を求める署名を集めている。

●全国の脱原発団体の連帯ネットワーク
「全国 24基の原発の SFBについて、調査が必要」

全国の脱原発団体の連帯ネットワークである「脱核市民行動」は、9月10日に声明を出し、放射性物質が外部に流出したかどうか、これによって住民に被害が発生したかについて調査しなければならないとした。さらに、月城 2~4 号機を含めた全国の 24基の原発の SFBに対する調査も必要だとした。

脱核市民行動は、今回の調査結果はこれまで国内の原発がどれほどずさんに管理されていたかを物語るとし、これは韓国水力原子力と原子力安全委員会の職務遺棄だと述べた。     (翻訳/小原つなき)

***********************

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信172号
(10月20日発行、B5-28p)もくじ

・月城原発、24年間にわたり放射能漏れ (ヨン・ソンロク)           

・1003事件から30年目の公民投票で、第四原発を終結させよう(台湾環境情報センター)

・オーストラリアの原子力潜水艦の契約は、未来の危険 (ジム・グリーン)
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2506    

・原潜推進における南オーストラリア州の役割に大きな疑問(ケビン・ノートン)ほか

・トルコの人々は日本の原発輸出にどう向き合ったのか
     ―『原発と闘うトルコの人々』を出版 ― (森山拓也)

・CoP 26 市民社会の声明 (世界252団体)

・東電に核を扱う資格はない ― 柏崎刈羽原発再稼働反対 ― (竹内英子)    

・東北電力は、被災原発・女川原発2号機の再稼働をするな! (日野正美)   

・避難計画の実効性を地元同意の要件に ~島根原発再稼働反対~ (山中幸子)   

・伊方原発仮処分、なるか3度目の差止め (小倉正)              

・10月停止の老朽原発・美浜3号機をそのまま廃炉に追い込み、原発全廃に前進しよう! (木原壯林) 

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。事務局へ連絡ください → sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp

YouTube『アジアの原発と反原発運動』 佐藤大介

さよなら原発神戸アクションが、録画を公開
http://sayogenkobe.blog.fc2.com/blog-entry-226.html
または https://www.youtube.com/watch?v=DJ4W3tXiaro&t=5610s

タイ、インドネシア、フィリピン、ベトナム、インド、トルコ、
韓国、台湾で、原発をとめる人びと、200枚の写真。約90分
(最初の50秒は、とばしてください)

 
■ アジアの原発どうなっているの?@ZOOM茶話会 2021年9月4日
『アジアの原発と反原発運動』
お話:佐藤大介(ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局)
主催:さよなら原発神戸アクション

http://sayogenkobe.blog.fc2.com/blog-entry-223.html

チェルノブイリ事故のあと、ドイツをはじめとするヨーロッパの人びとが広範な反原発運動を展開したように、福島原発事故のあと、アジアの人びとも大きく立ち上がり、デモなどを繰り返しました。結果、台湾では、日立・東芝が原子炉を輸出した第四原発の建設を凍結し、2025年原発ゼロ、アジア初の脱原発に向かっています。韓国政府も脱原発宣言し、新規原発建設と老朽原発の寿命延長をしないとしました。ベトナム・トルコへの、日本からの原発輸出計画は中止となり、フィリピン、タイ、インドネシアの原発計画はとん挫しています。インドや中国では依然として原発が建設されていますが、エネルギー転換は時代の趨勢です。日本ではあまり知られていないアジアの反原発運動を伝えます。

★ノーニュークス・アジアフォーラムとは:
 韓国の反原発活動家から「原発推進派が活発に国際連携しているので、反対派も国際連帯しなければなければならない」と提案され、1993年に第1回ノーニュークス・アジアフォーラムを日本で開催、全国28か所で集会を行ないました。以後、フォーラムは持ち回りで、韓国、台湾、インドネシア、フィリピン、タイ、インドで、19回開催されています。フォーラムは、常に原発現地を重要視することとしています。

 また、インドネシア・台湾・ベトナム・インド・トルコへの原発輸出に反対するキャンペーンも行ってきました。

震災翌年の1996年には、神戸での「環太平洋原子力会議」(原発推進の国際会議)に対抗し、「さよなら原発・神戸ネットワーク」のみなさんとともに「環太平洋反原子力会議」を開催しました。
★ 『市民による環太平洋[反]原子力会議』報告/記録
http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/pbnc/index.htm

「第四原発とお別れしよう!」台湾第四原発稼働の是非を問う12.18公民投票(国民投票)

台湾廃核行動平台(プラットフォーム

第4原発の2号機は建設が終了しておらず、1号機は原子力委員会の安全認証テスト(使用前検査)を通過しておらず、封印をして7年がたった。当時、なんとか1号機の安全認証テストが行えるよう、2号機から1700点もの部品を1号機に流用した。現在一部の部品はすでに生産中止。オリジナルのプロジェクトチームはすでに解散。

第4原発の建設過程で幾度となく工事の不正行為、スキャンダルおよび重大設計ミスが起き、安全が危ぶまれる。

台湾電力によれば第4原発の建設継続は以下の困難に直面し、少なくともあと10年が必要:
● 第4原発の安全メーターコントロールシステムの設計は、世界でも唯一であり、20年が過ぎ、取り換える必要がある。しかしそのサプライヤーはすでに生産中止、備品の入手困難という問題がある。第4原発はABWR(改良型沸騰水型炉)。
● 建設再開前にGEと煩雑な契約変更の交渉プロセスが必要、工期や経費などの項目について内容は煩雑で、時期については予測が難しい。
● 予算編成や国会での承認が必要。
● 原子力委員会に封印解除の申請を提出し、同意が必要。
● 継続する工事の施工、福島原子力災害のあと安全強化改善工程、燃料装填後のウォーミングアップテストなどのプロセスを完了しなければならず、前述の各項工程実務の予測では6~7年の時間が必要。
● 時期の予測ができない2項目;設計元のGEとの交渉および安全デジタルメーターコントロール設備の取り換えにかかる時間。

最新の地質調査報告によれば、第4原発敷地真下に長さ2kmのS断層が走っており、近隣する海域にも連続すると40km以上の活断層があり、さらに過去に記されていなかった断層帯も見つかっている。

20年前の第4原発建設時の耐震設計(400ガル)では、もはや安全基準を満たさない。


福島原子力災害後、国際的にも原発の耐震基準が引き上げられ、時代遅れの第4原発の設計ではもはや安全に運転することを保証できない。

第4原発は施工始まって以来スキャンダル続出、手抜き工事、違法に設計変更、施工不良、設備浸水、火事など、規定違反事件が計512件。合計で2290万元の罰金が科せられ、さらに監察院による糾弾6回、弾劾2回。第4原発の工程品質が危ぶまれる。

断層と工程品質の2点から、第4原発は、先天的に不良(欠陥)、後天的に失調の、システム的、根本的問題があり。これ以上時間と金銭をかけても安全に運転する保証が得られない。

第4原発を使わなくても、空気汚染を減らすことができる。原発が占める割合が減り続けているここ数年、空気汚染物質の排出量も同時に減り続けている。これは空気品質を改善するのに原発に頼らなくてもよい証拠である。

また、政府および学者の統計によれば、電力部門が国内のpm2.5排出に占める割合は4.5%から16%の間で、さらに高い割合を占める交通汚染源や産業排出も同じように重視されるべきである。それでこそ、台湾の空気汚染を本当に改善することができよう。

第4原発は1980年4月に行政院(政府)が敷地を確定してから、与野党の論争を経て、1992年6月に立法院(国会)が予算支出を承認、総額は1697億元(6669億円)。

2004年から原子炉容量増加、建設停止・継続による工期の延長、経済的変数の変動、契約変更および福島事故後の強化、5度の予算追加により総額が2838億元(1兆1153億円)となった。

台湾電力の最新の試算によると、第4原発の建設継続には、元の投資以外に、少なくともさらに800億元(3144億円)の予算追加が必要である。これは第4原発が完成がままならない底なし沼であることを示している。

国際的な電力平均コストは、この10年間で、太陽光発電コストは89%減少、風力発電コストは70%減少し、原発を新設するコストは26%増加した。原発は価格競争力を持たない。

核廃棄物の処置決定時期の延期により、将来、原発コストの継続的増加は必然である。台湾電力の予測では、廃炉および核廃棄物の最終処理の経費が、3353億元から6200億元に増加するが、原発の後期運営総費用は4729億元しかなく、巨額な不足を抱え、さらに原発運転の安全基準は高まっていき、将来原発はますます高くなる。

台湾の低レベル核廃棄物は少なくとも300年の保管が必要であり、原発と蘭嶼島の貯蔵場に一時保管している。そして、高レベル核廃棄物は少なくとも10万年の保管が必要であり、現在第1、第2、第3原発ともに高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)を満タンの冷却プールの中で一時保管している。

核廃棄物は高熱、そして高い強度の放射線を1万年以上持続的に放出し、他のどの発電方式の廃棄物よりも処理が難しく、ゆえに世界各国いまだに安全に保管できる方法を見いだせていない。

台湾は国土が狭く、人口が密集し、地震帯の上に位置し、核廃棄物の行き先について社会的コンセンサスが形成していない。2019年の世論調査では、7割の民意が核廃棄物を自分の住んでいる自治体に保管することに反対している。

原発を使い続ける限り、処理できない難題を作り出し続け、無責任に世紀の劇毒を将来の子孫へなすりつけることに等しい。

みなさんのすべてのお友達にこのスライドをシェアしてほしい、より多くの人が第4原発の真実を知る手助けとなってほしい。第4原発によって台湾のエネルギー転換の貴重な時間を無駄にしないでほしい。

第4原発とお別れしよう。
― 私たちは第4原発はいらない ―

第4原発公民投票17案は「不同意」

(翻訳/張建元)

***********************

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信171号
(8月20日発行、B5-24p)もくじ

・第四原発とお別れしよう! ― 12.18公民投票 (全国廃核行動平台)       

・脱原発アジェンダを確定し、大統領選挙に対応しよう (ヨン・ソンロク)     

・中国・台山原発の「放射能の脅威」が、なぜ、インドで懸念されるのか
 (ソナリ・フリア) 
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2253 

・ライナス社レアアース製錬工場の現状報告 (和田喜彦)
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2240            

・「第二の原発」リニア中央新幹線にも関心を (石橋克彦)            

・広島原爆「黒い雨」訴訟の成果 (湯浅正恵)                 

・美浜原発3号機の運転禁止仮処分について (中野宏典)            

・伊方原発廃炉のために (名出真一)                     

・柏崎刈羽原発反対50年 (後編) (矢部忠夫)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。事務局へ連絡ください → sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp