台湾ノーニュークス・アジアフォーラム報告

2025年5月17日22時、台湾が原発ゼロになった
「非核家園、No Nukes TAIWAN、No Nukes ASIA」を 台湾電力ビルに投影(撮影・豊田直巳)

【台湾NNAFダイジェスト映像 LET’S follow Taiwan(台湾に続こう)】 (6分30秒)
https://youtu.be/c6bnrpV7gIQ

台湾は非核家園の実現へ
環境団体は No Nukes TAIWAN と訴える

1978年に台湾が原発を開始してから1万日余りを経て、5月17日、ついに正式に「非核家園(非核の国)」へと歩みを進めることとなった。環境団体は台湾電力本社前に再び集まり、No Nukes TAIWANのスローガンを掲げ、それをビルに投影し、台湾の持続可能な発展への道を祝福した。

非核家園への最後の一里である第三原発2号機は、17日午後に出力を下げ始め、夜10時すぎに送電網から切り離され、正式に運転を停止する。

反核運動において重要な役割を果たしてきた台湾環境保護連盟は、今夜、反核運動の象徴的な場所である台湾電力本社前に再び集まり、「迎接非核家園」夜会を開催した。同地は1988年に同連盟が台北で初の反核集会を実施した歴史的地点である。

夜会は午後8時に開始され、台湾環境保護連盟、緑色公民行動連盟、台湾再生エネルギー連盟などの複数の環境団体のほか、日本、韓国、フィリピン、インド、インドネシア、タイ、トルコの反核団体、さらには第四原発建設反対のために断食した民進党の弁護士・林義雄が設立した人民作主志工団などが参加した。参加者は何度もNo Nukes TAIWANを唱和した。

台湾環保連盟会長の謝志誠氏は、台湾では16,965日間、原発が動かされたが、天の加護により大きな災害なく過ごせたこと、そして台湾電力の原発従業員の尽力に感謝を示した。過去に原発ではトラブルが相次いだが、大きな原子力災害は回避されたと語った。

緑色公民行動連盟の崔愫欣秘書長は、今日は祝うべき日であるが、依然として多くの擁核派や野党が原発の再稼働を望んでいることに懸念を示した。来週には立法院で第三原発再稼働の国民投票を決定しようとする動きもある。台湾の反核運動はこれまで幾多のたたかいを経験してきたが、もし8月に国民投票が実施されるならば、それを最後のたたかいとし、台湾を真の非核家園とすべきであると語った。

ノーニュークス・アジアフォーラム日本事務局のToach氏も、台湾の脱原発は民主主義の成果であると述べ、台湾が今後もアジアの民主主義先進国として、アジアを非核の道へと導く存在であり続けてほしいと期待を示した。

台湾環保連盟の創設会長である施信民氏も、報道陣のインタビューに応じて過去の反核運動と台湾電力との関係について詳細に語り、民進党政権による非核家園の方針に強く賛同すると述べた。

歌手パナイも、参加者たちと共に「非核家園」の歌を高らかに歌い、「子どもたちに非核家園を」との願いを込めた。

そして最後に、台湾電力本社ビル外壁に「非核家園、No Nukes TAIWAN、No Nukes ASIA」のスローガンを投影し、台湾が正式に非核家園へと歩みを進めたことを祝した。     (中央通信 5月17日)

2025 NNAF 非核亜洲論壇 議程

■ 5月16日 
【開会式】
挨拶:謝志誠(台湾環境保護連盟会長)、施信民(非核亜洲論壇・台湾招集人)、陳培瑜(立法委員)、水戸喜世子、村上正子、伴英幸氏への黙祷
【基調講演】
木原省治「日本被団協ノーベル賞の喜びと責任」
【各国報告】
台湾:李卓翰、日本:松久保肇、韓国:ユ・エスダー、フィリピン:Djoannalyn Janier、インド:ヴァイシャリ・パティル、トルコ:プナール・デミルジャン、タイ:プラソン・パンソリ、インドネシア:トゥバグス・アマディ
【若者セッション(世代をつないで)1 】
とーち、廖彬良、イ・ホンソク、エッタ・リー、黃醫雯、川﨑彩子・佐久間いぶき、オ・ソンイ

★「台湾反核運動40年写真展」見学

■ 5月17日 
【課題共有】 
張雅惇「再生エネルギーの経済性」、明日香壽川「将来のエネルギーミックス」、林子倫「エネルギー転換の戦略」、北野進「能登地震と原発」、中道雅史「日本の使用済み核燃料」、豊田直巳「福島復興の虚構」、大賀あや子「福島原発事故による被害と被曝」
【若者セッション(世代をつないで)2 】
黃品涵、陳曼麗、陳秉亨、渡辺あこ、コン・ヘウォン、エンリケ・ベレン、ジョシュア・カマチョ
【共同声明討議/次回開催国について】

★立法院前と自由広場でスタンディング

【非核家園・夜会(脱原発実現・記念集会)】
謝志誠、艾文アイウェン(歌)、高茹萍、ツィ・スーシン、パナイ(歌)、高成炎、孫一信、小川みさ子、とーち、佐藤大介、韓国参加団パフォーマンスほか
 
■ 5月18日
【曽文生・台湾電力会長との懇談会】
【第三原発訪問】
【第三原発現地・恒春住民との交流】

■ 5月19日 
【屏東県ソーラーシェアリングなど見学】 
【周春米・屏東県知事との面談】
【地球公民基金会との交流会】

【若者交流会】(台北・緑色公民行動連盟事務所にて)

■ 5月20日 
【第四原発訪問】(貢寮の楊貴英さん・呉文通さん)
【第一原発・乾式貯蔵施設視察】【第二原発訪問】

・主催:台灣環境保護聯盟、台灣再生能源推動聯盟、野薑花公民協會、媽媽氣候行動聯盟、綠色公民行動聯盟、全球綠人台灣之友會、台灣教師聯盟、守望文教基金會、綠台文教基金會、環盟北海岸分會、環盟東北角分會、環盟花蓮分會、環盟台東分會、環盟台南分會、環盟澎湖分會

・共催:人民作主志工團、公民監督國會聯盟、生態關懷者協會、主婦聯盟環境保護基金會、台灣人權促進會、台灣社、台灣北社、台灣永社、台灣客社、台灣綠黨、爸爸非核陣線、綠主張綠電合作社

★ 参加者(台湾以外) 日本:藍原寛子(福島在住ジャーナリスト)、明日香壽川(東北大学)、稲垣美穂子(ジャーナリスト)、宇野田陽子(NNAFJ事務局)、大賀あや子(「避難の権利」を求める全国避難者の会)、小川みさ子(鹿児島県議会議員)、川﨑彩子(原子力資料情報室)、北野進(志賀原発を廃炉に!訴訟原告団)、木原省治(広島市原爆被害者の会)、佐藤大介(NNAFJ事務局)、曽根俊太郎(元高校生平和大使)、とーち(NNAFJ事務局)、徳井和美(NNAFJ事務局)、豊田直巳(フォトジャーナリスト)、中道雅史(核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会)、七沢潔(ジャーナリスト)、松久保肇(原子力資料情報室)、水戸晶子(応援カレンダープロジェクト)、水戸喜世子(子ども脱被ばく裁判の会)、村上正子(原子力市民委員会)、森山拓也(気候ネットワーク)、吉野太郎(関西学院大学)、渡辺あこ(Ilpen Solidarity Club)、渡田正弘(上関原発止めよう!広島ネットワーク)
韓国:エネルギー正義行動、グリーンコリア、環境運動連合、仏教環境連帯、脱核新聞など25名
フィリピン:非核バターン運動3名、インドネシア:WALHI、タイ:Nakhon Nayok Environment Heritage、インド:反核運動全国連合、トルコ:Nukleersiz

■ NNAF台北会議・発表者資料(PPTまたはスピーチ原稿)
https://drive.google.com/drive/folders/1COOFZGGg49fae-ccIV34sS7bRwdwJ7ox

■ Youtube中継録画(日本語通訳音声) https://www.youtube.com/@NoNukesAsiaForum

*若者セッション・若者交流会は、一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストの2025年度助成を受けて実施されました。

2025 非核亞洲論壇 開幕挨拶

施信民(非核亞洲論壇台灣召集人)

おはようございます。「2025 ノーニュークス・アジアフォーラム」にご参加いただき、誠にありがとうございます。

今回のフォーラムには、日本、韓国、フィリピン、インドネシア、タイ、インド、トルコなど、国外から60名を超える方々をお迎えでき、大変嬉しく思っております。

原発の拡大と核兵器の拡散に反対し、クリーンで持続可能なエネルギーの使用を促進するため、アジア地域の人々は、1993年に日本で初めて「ノーニュークス・アジアフォーラム」を開催しました。

その後、フォーラムはアジア各国で順番に開催されてきました。台湾ではこれまでに6回(1995年、2002年、2005年、2010年、2014年、2019年)開催しており、今年で7回目の主催となります。

明日、第三原発が停止し、台湾は正式に「非核国家」となります。この成果を達成できたのも、皆さまから長年にわたって台湾の反核団体への励ましとご支援をいただいたおかげです。心より感謝申し上げます。

とはいえ、国内外の原発推進勢力は依然として強大であり、「非核家園」を守るための大きな挑戦が私たちの前に立ちはだかっています。

私たちはここに、台湾およびアジアのすべての人々に向けて訴えます――原発が危険で高コスト、かつ何万年にもわたり害を及ぼすものであるという本質を直視し、「非核家園」政策を支持し、民衆の力で原発利権集団の反撃に立ち向かおう、と。

今回のフォーラムは、台湾環境保護連盟が国内の多くの団体に呼びかけて共に開催します。この場を借りて、企画・運営に携わってくださったすべての団体と関係者の皆さまに、心からの感謝を申し上げます。

フォーラムは5月16日から20日までの5日間にわたり、国際会議、夜会、視察活動などが行われます。この5日間の議論と交流を通じて、私たちがお互いの理解を深め、共通の認識を築き、「非核アジア」という目標に向かって団結していくことを願っています。

久しぶりにお会いする多くの旧友の皆さま――反核運動における長年のご尽力に深く敬意を表します。また、今回初めてお会いする新しい友人の皆さまにも、心より歓迎と感謝を申し上げます。このアジア反核の祭典で、皆さまが有意義な経験を得られることを願っております。

台湾での滞在が安全で楽しいものになりますよう、また、皆さまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

翌5月17日「非核家園」夜会での施信民さん

第21回ノーニュークス・アジアフォーラム in 台湾 ダイジェスト

516

台湾大学図書館地下の国際会議ホールにて、開幕式は台湾環境保護連盟(TEPU)会長の謝志誠さん、NNAF台湾代表の施信民さんの挨拶で始まった。「明日、第三原発が停止し、台湾は正式に原発ゼロになる」という言葉を聞き、「本当のことなのだ」という実感が湧いた。

続いて、今年90歳という水戸喜世子さんの挨拶だ。台湾や韓国での脱原発をめぐる交流の思い出とともに、福島原発事故後の日本の被ばくの状況にも触れ、核廃絶に向けた民衆の愛の力の結集を呼びかけた。水戸さんは虐殺行為が続くパレスチナへのアクションを呼びかけることも忘れなかった。続いて、2024年6月に亡くなった原子力資料情報室の伴英幸さんを偲び、アジアの盟友たちと黙とうささげた。

基調講演は、日本被団協のノーベル平和賞を記念して、広島の木原省治さん。被爆80年目の今、被爆者のこれまでの経験や願いを語り、戦争において核爆弾を使わせなかった先人たちの平和運動を引き継いでいくという課題の重さを語られた。また、核被害という観点において原爆と原発は区別できないとして、核廃絶・脱原発におけるアジアの連帯を呼びかけた。

各国の原発やエネルギーの現状を報告し合うセッションのトップバッターは台湾の李卓翰さん(TEPU元事務局長)。学生の頃から脱原発運動を始め、ついに脱原発を達成することをうれしそうに語っていたが、台湾の電力の8割はいまだ化石燃料が占めており、再エネは15%。再エネを増やすとともに、エネルギー効率を高めることや省エネを今後の課題として挙げた

日本からは松久保肇さん。政府のエネルギー政策が原発や火力の維持を優先し、再エネを抑制的に扱っている現状とともに、福島原発事故後の廃炉の困難な状況を詳しく解説し、ひとたび原発事故が起きれば大量の放射性廃棄物の処理に追われるのであり、各国で脱原発を進めることが重要であることを改めて強調した。

韓国からはユ・エスダーさん(KFEM)。「原発で国を豊かにする」ことをかかげていた尹錫悦前政権のもとでの市民のたゆまぬ抵抗運動の紹介があった。また、新大統領に決まった李在明氏は、原発について積極的な発言をしなくなっているとのことで、韓国にとって重要な転換期にあるとして、118もの社会改革の項目をまとめるなど、市民が力強く活動を続けている様子が報告された。

フィリピンからは、Djoannalyn Janierさん。マルコス・ジュニア大統領のもと、原発13カ所、SMR(小型原発)14カ所の候補地が設定される一方、再生エネは伸びていない(現在22~25%)現状を報告した。市民の6割以上は原発に否定的であり、民主化や気候危機に反する現状の政策に対し、市民の力が必要だと語った。

インドからはヴァイシャリ・パティルさん。インドでは国家安全上の理由で、原発にかかわる調査研究が禁じられ、国会で議論もされない現状にふれ、厳しい状況に置かれても民衆が力を維持しつづけることの重要性を説いた。

トルコについてはプナール・デミルジャンさん。アックユとシノップという二つの原発計画があり、アックユでは現在、2万人以上の労働者による工事が進んでいる。トルコでも抗議活動を行う学生が逮捕・拘束される状況が続いており、プナールさんもまた民主化運動の継続の重要性を訴えた。

タイは、プラソン・パンソリさん。タイには本格的な原発計画はないが、研究用の原子炉があり、最近ではSMRに強い関心を持っているという。隣国のミャンマーやカンボジアでもSMRの計画が進んでおり、阻止するために運動を学んでいきたいと語った。

最後の報告となったインドネシアについては、トゥバグス・アマディさん。気候変動対策として原発建設への圧力が高まっている状況にあり、西カリマンタンでは東南アジア最初のSMR建設が期待されているという。他にも二か所(バンカ、ムリア)の計画がうごめいており、政府に対して公正性、透明性、法的根拠を求め、活動をしている状況が報告された。 (村上正子)

516日・若者セッション1

ユースの発表を中心に報告する。

台湾の活動家Ettaは、文化人類学の研究者でもある。原発の国民投票が行われた2018年から、Their Nuke Storyというとりくみを始め、原発立地地域の人々の声を調査し始めた。そこには、生きてきた現実と、普遍的な科学とは異なる批判的な視点があるという。

Ettaは、social decommissioning(社会的廃炉)という言葉を用いて文化人類学的観点の重要性を説明した。廃炉は、原発や廃棄物についてだけでなく、社会や人々の感情も含めたより広い影響についても含まれるべきだという。ある住民は、第三原発を見ると、40年間原発で働いたという亡くなった父親のことを思い出すと語った。Their Nuke Storyは、そこにいる人びとの声を、その人の言葉(文化)で可視化する試みで、市民の複雑な想いを複雑なまま取り上げていることも重要な点であった。

「原発・気候問題は単に科学的なエネルギーの問題ではない」。最も強調されていたメッセージに、きっと参加者は強く共感した。

次に、各国の気候訴訟の報告が行われた。

台湾の気候訴訟は、先住民、漁民、農民など、気候変動によって暮らしを脅かされる人々を中心に、100人以上が起こしたものである。日本と同様、憲法によって環境権が保障されておらず、その明記を求めるとりくみでもある。台湾は世界全体の温室効果ガス排出の1%にも満たないが、だからといって対策をしなくてもよいというわけではなく、1つひとつの国がその責任を負うべきということを話していた。

韓国からは昨年判決が出た訴訟について報告があった。胎児を含めた若い世代が原告となり、2020年に提訴。気候危機から安全が守られることが環境権として認められ、2031-2049年まで温室効果ガス排出削減目標が設定されていないことは違憲であることなどが確認された。

日本からは、「明日を生きるための若者気候訴訟」原告として、筆者と、台湾に留学中の大学生が発表した。この訴訟は、対政府の台湾・韓国のとりくみとは異なって、火力発電事業者を相手取っ

これらは単なる訴訟ではなく、大きな気候正義運動を作るものであると認識している。韓国の勝訴に続き、日本と台湾でも世論を高め、気候対策を前進させることができるかが問われている。

原発の問題は、一部のユースにとっては非常に関心の高いことであるが、依然としてとして高年齢層中心の運動になっている。NNAFも例外ではない。とくに日本における脱核運動は、継承と同時にアップデートが必要である。そのため、多世代での国際会議は互いの関心や価値観を聴き合う重要な場であった。 (川﨑彩子)

各国のユースを紹介

■ 5月17日

張雅惇さんはNGOの立場から「再生エネルギーの経済性」について話した。講演の最後に、議員など連携先にどのように伝えるか、市民環境団体と環境省の連携、一般の人々にエネルギー政策を認識してもらうにはどうすればよいのかを考えること、3点の重要性を語った。

明日香壽川さんは、日本における将来のエネルギーミックスについて。多くの人が再生可能エネルギーは高価であるというまちがった認識を持っていることを指摘し、労働組合や若い人を含む関係者のコミュニケーションが必要と述べた。

林子倫さんは、2050年に向けた台湾のネットゼロ(温室効果ガス実質ゼロ)政策について講演した。エネルギー転換・産業転換・ライフスタイル転換・社会転換の4つがストラテジーであり、製造業の部署からのとりくみの必要性、グリーンエネルギーが雇用を増やすことも示した。

北野進さんは「能登地震と原発」。昨年発災した能登地震は、志賀原発にも影響が及んでいる。もし原発が動いていたらどうなったのか、住民は避難できたのか。地震学が進んでもいつどこで地震が起きるかはわからないこと、原発震災が起こると住民は逃げることができないことを指摘した。

中道雅史さんは「日本の使用済み核燃料」について。1985年4月9日に青森県知事が県議会で「核燃料サイクル施設」を六ヶ所村に受け入れると宣言してから現在に至る状況を示し、青森県には、大間原発、東通原発、米軍基地、自衛隊基地、軍事レーダー、軍事施設、むつ使用済み核燃料中間貯蔵施設などもあることを述べた。

豊田直巳さんは「フクシマの『復興』。消される風景と消えない放射能」。パレスチナ・ガザの状況や軍事と原発のつながりについて言及した後、3.11直後から何度も福島を訪れ撮影した写真を見せていった。朽ちた建物が次に撮影したときには更地に変わるだけでなく、「原子力正しい理解で豊かなくらし」「原子力郷土の発展豊かな未来」という看板が外されていくこと、商店街の痕跡が無くなっていくことなどを示した。

大賀あや子さんは「福島原発事故による被害と被曝」。3.11の被害は今もなお続いている。事故直後から今に至るまでのさまざまな放射線分布マップを示した。そして原発事故避難者がいまだ6~7万人いることを述べ、被曝健康被害なども含め、棄民政策であるとして国の責任を求めた。

「若者セッション2」のあと、最後に、共同声明案が示され、意見交換が行われた。そして、次回(2026年)のNNAF開催国はフィリピンに決定。大きな拍手で承認された。 (吉野太郎)

517日・若者セッション2

台湾から3名、韓国から1名、フィリピンから2名の一組。日本からは私が発表をしました。

mom loves Taiwanや、SHARE (center for Sexual rigHts And Reproductive justicE)や、日本の加害歴史文脈から話をした私もそうですが、「脱原発」運動がメインの活動ではない登壇者が多かったように思います。

脱原発運動家というのが色濃く出ていたのは、フィリピンの2人でした。日本や、韓国の原発輸出国からの参加者の前で、バターン原発の話をしてくださいました。彼らのスライドの中には、フィリピンのマルコス大統領と、韓国の前大統領の尹錫悦が優雅に乾杯をしている写真がありました。「栄光」とか、「友好」とかのタイトルが付けられそうなきらびやかな写真です。その裏で、24歳のEricと、23歳のJoshuaが、自身の生活を投げうって脱原発を訴えている。こういう状況を許している世界で、私たちは生きていることを虚しくも感じます。

ちなみに、フィリピンの2人の発表の前には、SHAREのへウォンさんが尹の弾劾デモの様子などを見せてくれていましたが、改めて、あの人は弾劾されるべきだな〜、と感じましたし、それができる韓国市民社会を尊敬します。へウォンさんの発表では、とくに密陽から始まった脱核への声が、イシューの垣根を超え、人権の話に発展して運動の連帯を深めていったこと。また、気候危機文脈での連帯の現状や、その重要性について語られました。正直、日本の脱核運動に足りない視点は、まさに「人権」なのではないか。と思います。韓国や台湾と比べて、日本の脱原発運動の場では、原発問題以外の社会問題に関心がない人や、「マイノリティ」が運動のなかに存在していることに無自覚な人が多いと思います。そういう意味で、SHAREで活動をしながら、脱核を訴えるへウォンさんのような存在は、大切だと感じました。

台湾からは、冒頭にあげたmom loves Taiwanからの発表が印象に残っています。まず、名前からわかるように、「mom-母」の視点から、気候危機・脱核を訴えるというコンセプトに感心しました。みんな、社会の中で、それぞれの役割があります。自分が社会とどのように関わっているのか。自分目線での語りができると、より多くの共感が得られるはずです。 (渡辺あこ)

■ 5月17日・「非核家園」夜会

今日は、台湾の「非核家園」(非核国家)達成を皆で喜び合う記念日である。

立法院前で

夕方、立法院前と、民主化運動のシンボルである「自由広場」前を経由して、「非核家園」夜会を開く台湾電力本社前へ。

本社前で、人民作主志工団(民主化運動指導者で反原発運動の象徴的人物の林義雄さんが設立した団体)など、台湾の人びとと共に集会に参加。

集会開始は8時過ぎで、主催者あいさつは謝志誠さん(台湾環境保護連盟会長)。「この台湾電力本社前は台湾の反原発運動の歴史を象徴する場所である」「原発が動かされたが、天の加護により大きな災害なく過ごせたこと、そして台湾電力の原発従業員の尽力に感謝する」と述べた。

続いて台湾人歌手の艾文アイウェンさんが台湾愛を歌いあげてムードを盛り上げる。次に高茹萍さん、ツィ・スーシンさん(緑色公民行動連盟)などが現在までの運動の歴史を踏まえ報告。ツィさんは、「依然として多くの原発推進派や野党が原発の再稼働を望んでおり、油断せず闘い続ける」と述べた。原住民女性歌手のパナイさんが魂のこもった歌を歌い、参加者と一緒に合唱。

昔から反原発運動をしてきた高成炎さんが若き活動家の孫一信さんを紹介し、彼が熱い連帯の挨拶。日本の参加者から、小川みさ子さん、とーちさん、佐藤大介さんが祝福と連帯の挨拶をした。

いつも元気でパフォーマンス好きの韓国人グループからの挨拶があり、ハングル「脱核」の巨大バナーを広げ「ノーニュークス・ 台湾、ノーニュークス・アジア」を連呼!!

最後に参加者一同でこぶしを振り上げ「ノーニュークス・台湾、ノーニュークス・ アジア」を連呼し記念撮影。そして、最後の原発が正式に運転停止される夜10時という節目の時間を迎えた。すると、本社ビルの壁に巨大な緑色の文字「非核家園、 No Nukes TAIWAN、No Nukes ASIA」が道路の反対側から投射された!

驚いた私たちが台湾人スタッフに聞くと、台湾電力からは「短時間ならOK」と了解済みとのこと。側にいた女性警察官に「大丈夫なの?」と聞くと「大丈夫、OKよ」と笑って答えてくれた! これは台湾市民社会の力強さの証明であり、他国ではありえない。 (渡田正弘)

■ 5月18日

朝からバスで台北駅へ向かい、新幹線で左営駅まで移動、そこから貸し切りバスで第三原発のある南端の恒春へと向かった。大都会の台北とは違い、しばらく走るとパイナップル畑やヤシの木やエビの養殖場が広がり、のどかで美しい田園風景が広がる。

到着した第三原発では、PR館に隣接した立派な会議室に通された。約80人の参加者がゆったり座れるように椅子とテーブルが配置され、テーブルには軽食や飲み物などが並べられている。脱原発を掲げてこのように歓待されることに、なんだか不思議な思いだった。

非核家園Tシャツをもつ曽文生・台湾電力会長と謝志誠・環保連盟会長

しかも、この会合に出てきてくれたのは、台湾電力のトップである曽文生会長。そこで話されたことは、「台湾の脱原発は時代的な流れだ」「原発がすべての面で優れているなら、なぜ原子力産業は成長しつづけないのか」「寿命が終わった原発を修理したり、10年以上のリードタイムをかけて新規建設するより、再生可能エネルギーを増やす方が安定的で効率的だ」というような明確な内容であった。

その後、昨夜運転終了したドーム型の第三原発が見える美しいビーチへ立ち寄り、しばしの休憩。よくもまあ、原発というのは世界中どこでも風光明媚なところを選んで建てられてきたものだ。厚かましいことこの上ない。

その夜は、地元の住民も参加しての夕食会。その食事の素朴ながら美味しかったこと! その場に参加してくれた地元の農民、張清文さんは、次のように語った。「私は約60年間、ここに住んでいますので、第三原発が建設されていくところをずっと見てきました。そしてこのたび第三原発は運転を終了し、今度は廃炉を見届けていくことになります。廃炉とはどいうものなのか、安全性に不安はないのか、わからないことだらけです。これから仲間と廃炉を監視していくうえで、私たちは助けを必要としています。みなさん、ぜひ私たちをサポートしてください」

食事の後は、屏東のビジネスホテルへ移動して宿泊。チェックインしていると、翌日面会予定の県知事から歓迎のパイナップルが届けられた。ホテルのエントランス前にパイナップルが山積みにされ、一人の女性が華麗なナイフさばきでどんどんパイナップルの皮を切り落として葉の部分を持って食べられるよう手際よく切っては参加者に手渡していく。夜のとばりのなか、エントランスの照明に照らされながらアジア各国の人々が嬉しそうにパイナップルをほおばる様子は、とても美しかった。 (宇野田陽子)

■ 5月19日

この日の午前中は台湾政府と屏東県が10年前から進めてきた原発の代替エネルギーの開発現場を視察した。2台のバスはパイナップル畑や椰子のプランテーション、魚の養殖場が点在する広大な農業地帯を走り、10時に最初の目的地の屏東持続可能環境グリーンエネルギー公園に到着した。

長い脚柱を池の水に浸しながら立つ大きなソーラーパネルの一群。ここは元々農地だったが、台風などによる水害で何度も水没、海水も入り込んで耕作不能に追い込まれたという。地域の高齢化率は75%、後継者もなく再起が難しい農家の救済を兼ねて、屏東県が実験教育施設として太陽光発電の施設を建設、土地を貸す農家には借地料が支払われている。道路を挟んで2つの施設があり発電容量はそれぞれ23MW。生産された電気は台湾電力公社に1kw時あたり3NTD(台湾ドル=元)で、民間の会社なら5NTDで買い上げられる。

次に訪れたのはソーラーパネルを屋根に組み込んだバニラ豆の栽培実験施設。香草であるバニラはアイスクリームやタバコ、香水などに用いられるが、元々熱帯雨林に生息し直射日光に弱い。そのためここではソーラーパネルの屋根が日陰を作って豆を保護する。農業省が推進する穀物生産とソーラーシステムの連動モデルで、農業収入に太陽光発電による売電収入が上乗せされて土地の利用効率が高まる。

すでに6年の実績があり、バニラ豆は地元の他に日本、韓国や欧米に輸出される。栽培面積は0.2ha、台湾全体で5ha。発電した電気は地元の火力発電の会社に販売している。

午後は屏東県庁で県知事と会見。14時、NNAF参加者が待ち受ける会議室に周春米知事が入ると歓声が沸き起こった。

台湾からの参加者たちの多くが所属する台湾環境保護連盟は、2016年に政権についた民進党の脱原発政策に助言し続けてきた。

立法院で野党が提出した原発の寿命を20年延長可能にする法案が可決され、第三原発の再稼働をめぐる国民投票が予定される中、停止したばかりの原発を抱える県のトップに「ぶれない」脱原発姿勢を取り続けるよう激励する意図も感じた。

周春米知事(前列中央)を囲む

「励まし、ありがとう」と甲高い声で応じた周知事は、「時間をかけ民意を集めて進めてきた対話を反故にして、十分な議論もせずに再稼働できるようにした」と野党の強引な立法を批判、「安全を軽視し、屏東の未来を踏みじるものだ」と怒りをあらわにした。会見後、かつて立法院で議員として周氏と同僚だったある参加者は私に「彼女とは一緒に脱原発の道を歩んできた。今さらぶれることはないと信じている」とコメントした。 (七沢潔)

■ 5月19日・若者交流会

夜、台北の緑色公民行動連盟の事務所で、若者交流会が開かれました。台湾、日本、韓国、フィリピンから18名の若者が集い、原発のない未来をめざして、それぞれの経験や思いを語り合いました。

プログラムの中心は、各国代表による発表と、発表後の質疑応答。日本からは福島原発事故後の現状や市民のとりくみ、韓国・台湾からは地域で続いてきた粘り強い反原発運動が紹介されました。

もっとも印象的だったのはフィリピンの発表でした。若者たちの活動は始まったばかりで、資金も人手も限られている。それでも「家族や友人のためだけでなく、国の未来、そして地球全体のために運動を広げていきたい」と語った若者の言葉には、静かで強い決意が宿っていました。

この発言に対し、他の国の参加者から「私たちにできることはあるか?」と自然に声が上がった場面は、国境を越えた連帯の瞬間でした。

発表後には、各国に対して他国が2つまで質問できるセッションがありました。日本に対しては「子どもの甲状腺がんの現状」と「若者の運動参加の広がり」についての質問が寄せられ、関心の高さがうかがえました。

私自身、反原発や環境運動にとりくむ中で、どうすれば同世代に関心を広げられるのか悩んできました。けれど今回の交流を通して、その悩みは国を超えて共通するものだと知り、孤独ではないという安心感と、あらためて頑張ろうという気持ちを得ました。

違う国に生きる同世代が、同じ未来を願い、言葉を交わす。それ自体が希望であり、この出会いは今後の活動に確かな力を与えてくれるものとなりました。 (曽根俊太郎)


■ 5月20日

最終日の視察先は、台湾の北部。反対運動の激化で建設中止となり2014年に封印された第四原発(龍門)、次に運転期間40年満了で2018、2019年に閉鎖した第一原発(金山)、2021、2023年に同じく閉鎖した第二原発(國聖)でした。

第四原発の敷地には入れなかったが、同行の松久保氏がドローン撮影した画像を共有下さった。その近辺にある「抗日紀念碑」にも立ち寄る時間がなかった。

地元・貢寮の人たちとの交流会では、楊貴英さん、呉文通さんの話を聞いた。第四原発建設のため最高のビーチが荒らされ、環境や経済資源でもある観光産業も大きな打撃を受けていて、自然豊かな地域にとって、原子炉に核燃料が入らなかったものの、輸出したのは日本であり、第二の侵略と言われているとのこと。

台湾では2021年に公民投票(国民投票)が行われ脱原発政策が強く支持され、再生可能エネルギーへの転換を進めてきた。

2016年の時点で再生可能エネルギーの比率は4.8%だったが、2024年には11.9%に達し、今年2025年3月時点で14.6%にまで増加。一方で、原子力の比率は2016年に12%、2024年に4%まで下がり、5月16日には3%台、5月17日には遂に原発ゼロを達成。

午後、我々が次に向かった第一原発は受付でパスポートを掲示、ボディチェックして専用バスで使用済み核燃料の乾式貯蔵施設に案内された。原発で発生した使用済み核燃料は各原発のプールで冷却されているがプールが満杯になっているため、台湾で初めてプールから乾式貯蔵に移され、この5月から20年貯蔵を開始した(現在、112体)。。

そして、台湾電力から廃炉についての説明を聞いた。廃炉による物質の処理や放射能測定のことなどだ。再利用できる鉄等、ゴミ減容化、品質管理について、年間に受ける放射線量が10マイクロシーベルトというIAEAの基準で策定したクリアランスプログラムを原子力安全委員会がOKしているとのこと。第一原発には多くの視察・訪問があるという。質疑応答で避難計画、敷地内外のモニタリングポストなどについて聞いた。

第二原発の温排水排出口の視察で行程は終了した。かつては大量の温排水が勢いよく流れていたところだ。 (小川みさ子)

左から、楊貴英さん、一人おいて、呉文通さん

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信194号
(25年6月20日発行、B5-32p)もくじ

・台湾は非核家園の実現へ、環境団体は No Nukes TAIWAN と訴える  
・2025 NNAF非核亜洲論壇 議程                     
・2025 非核亞洲論壇 開幕挨拶 (施信民)
・第21回ノーニュークス・アジアフォーラム in 台湾 ダイジェスト
  (村上正子、川﨑彩子、吉野太郎、渡辺あこ、渡田正弘、宇野田陽子、七沢潔、曽根俊太郎、小川みさ子)
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/3299 
・核のない世界に向かって共に歩もう (韓国参加団)
・原発にノー、安全で公正な未来にイエス! (非核バターン運動)
・「非核家園」夜会(脱原発実現記念集会)でのスピーチ (ツィ・スーシン)
・「2025 NNAF」参加の皆さまへ  (フィリップ・ワイト)
・老朽原発の再稼働に反対する! 国民投票を政治の道具にするな!
  (台湾・全国廃核行動プラットフォーム)
・NNAF in 台湾 に参加して
  (藍原寛子、明日香壽川、稲垣美穂子、宇野田陽子、大賀あや子、小川みさ子、川﨑彩子、北野進、木原省治、佐藤大介、曽根俊太郎、とーち、徳井和美、豊田直巳、中道雅史、七沢潔、松久保肇、水戸晶子、水戸喜世子、村上正子、森山拓也、吉野太郎、渡辺あこ、渡田正弘、プナール・デミルジャン、チャン・ヨンシク)      
・「6歳の時に福島原発事故を経験した青年はいま」 曽根俊太郎インタビュー  (韓国脱核新聞)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。連絡ください → sdaisuke アット rice.ocn.ne.jp

【アジア初の脱原発!】「台湾ノーニュークス・アジアフォーラム」Zoom報告会

【アジア初の脱原発!】「台湾ノーニュークス・アジアフォーラム」Zoom報告会
7月6日(日) 10:00~12:00

台湾の人々の長年のたたかいが実を結び、5月17日、最後の第三原発2号機が40年の寿命により運転を終了し、台湾は原発ゼロとなり、「アジア初の脱原発」を実現しました。17日夜、台湾電力ビル前では、海外(韓国・日本・フィリピン・インドネシア・タイ・インド・トルコ)からの60名も、台湾の人々とともに「NO NUKES TAIWAN、NO NUKES ASIA」と叫びました。この日をはさんで開催されたNNAF(ノーニュークス・アジアフォーラム)- 国際会議、台湾電力会長との懇談会、第1~第4原発訪問、若者交流会などの報告を行います。

● NNAFハイライト映像(グリーンコリア制作)
● NNAF参加者リレートーク:藍原寛子(福島在住ジャーナリスト)、明日香壽川(東北大学)、宇野田陽子(NNAFJ事務局)、大賀あや子(「避難の権利」を求める全国避難者の会)、小川みさ子(鹿児島県議会議員)、川﨑彩子(原子力資料情報室)、北野進(志賀原発を廃炉に!訴訟原告団)、木原省治(広島市原爆被害者の会)、佐藤大介(NNAFJ事務局)、曽根俊太郎(元高校生平和大使)、とーち(NNAFJ事務局)、豊田直巳(フォトジャーナリスト)、中道雅史(核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会)、七沢潔(ジャーナリスト)、水戸晶子(応援カレンダープロジェクト)、水戸喜世子(子ども脱被ばく裁判の会)、村上正子(原子力市民委員会)、吉野太郎(関西学院大学)、渡辺あこ(Ilpen Solidarity Club)

■申し込み登録(無料)
https://forms.gle/HJ8q8gs5adN2aBXp7
または、sdaisuke アット rice.ocn.ne.jp 

*「台湾ノーニュークス・アジアフォーラム報告特集」
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/3280

* Youtube中継録画「台湾ノーニュークス・アジアフォーラム」(日本語通訳音声)
https://www.youtube.com/@NoNukesAsiaForum

アジア初の脱原発を実現した台湾とアジアの若者たちの動き

5月16日から20日まで、第21回目となるノーニュークス・アジアフォーラム(NNAF)が台湾で開催されました。国内で唯一運転中だった原発が、会期中の5月17日に運転を終了し、長い闘いの末に台湾がアジア初の脱原発を実現した台湾。今回のフォーラムに参加して、その歴史的な瞬間を台湾で迎えた参加者たちが現地での経験を報告します。今回の報告会では、特に青年交流会に参加した若者たちに焦点を当てて、現地での経験や今の思いを話していただきます。(会場では、台湾の若者たちによる反原発絵画展の作品を久しぶりに展示します。珠洲のお菓子も販売しますのでお楽しみに!)

日 時:6月28日(土)13:00~15:00(開場12:45)
場 所:大阪市青少年センターKOKO PLAZA講義室505 
    アクセス | KOKOPLAZA(新大阪駅東口より徒歩7分)
参加費:500円
報告者:渡辺あこ(Ilpen solidarity club)、川﨑彩子(若者気候訴訟原告)、曽根俊太郎(元高校生平和大使)他
Zoom(無料)申し込み・お問い合わせ:ayupertiwi アット rice.ocn.ne.jp (宇野田)

伴英幸さんとの語らい -台湾とNNAFについて-

伴英幸さん(原子力資料情報室共同代表)が逝去したのは、昨年6月10日だった。享年72。原発不明癌と診断されてから、わずか2カ月余りのことである。山積みとなっていた文書や資料を整理したり、自身の足跡と思いをまとめたりする時間的・体力的余裕は残されていなかった。

人と人を繋ぎ、運動と運動を紡いできた伴さん。その体験を伝え継ぐために、口述記録に取り掛かったのだが……病の進行と痛み止め薬の影響で、記憶を引き出すことが日に日に難しくなっていった。そこで各地から主だった方々にご足労いただき、病床の伴さんと思い出話を語り合っていただくことに。ここに掲載するのは、NNAFジャパンの佐藤大介さんとの語らいの一部である。伴さんは、脱原発へと向かった台湾を「成功例」だと語っていた。その実現を切に願ってやまない。 (鈴木真奈美)

佐藤 伴さんにはノーニュークス・アジアフォーラムでだいぶお世話になりました。伴さんは2000年から11年までの6回のアジアフォーラムに参加してくれた。日本での、2000年、08年、11年のフォーラム、台湾での、2002年、05年、10年のフォーラムで、伴さんが主に各国報告での日本報告をやってくれた。とくに08年の柏崎と東京でのフォーラムと、11年の福島、東京、祝島、広島でのフォーラムでは、伴さんが、実行委員会での重要な役割を担ってくれた。1990年代のノーニュークス・アジアフォーラムへの原子力資料情報室からの参加は、⾼⽊仁三郎さん。最近だと、松久保さんとか。

鈴木 90年代は、仁三郎さんだったんだ。

佐藤 93年の第1回の日本のフォーラム、95年の第3回の台湾のフォーラム。97年のフィリピンでの第5回フォーラムも仁三郎さんだった。伴さんが参加した2000年代はじめのころの台湾は、民進党の陳⽔扁が総統になって、第四原発の建設が、⼀旦は中⽌の⽅向になったのに、妥協しちゃって、2001年から建設再開になって運動が落ち込んでる時期で、02年や05年のフォーラムは励ます意味もあった。

鈴木 そのころに伴さんが台湾に行ったんだ。

佐藤 2003年は、アジアフォーラムじゃないんだけど、台湾で開催された「全国非核家園⼤会」。

鈴木 伴さんは台湾に何回も行かれたのね。

佐藤 そうそう。アジアフォーラムのときだけで3回、それだけじゃなく、それ以外のいろんなシンポジウムとか、こういう非核家園⼤会とかに呼ばれて⾏った。伴さんはニュースレターに、全部、報告記事を書いてくれている。原⼦⼒資料情報室通信にも書いているけど、主にこちらに詳しいのを書いてくれている。そのころは、国⺠投票をどうするかと。⺠主化運動の象徴の林義雄さんをはじめとして、第四原発の国⺠投票を要求していたけど、第四原発現地の貢寮の⼈は「⼤丈夫か。全国でやったらどうなるのか」って⼼配したり。そういう議論があった時期。順番が逆になってしまったが、その前、2000年に台湾では「持続可能エネルギー国際会議」というのがあり、伴さんが出て報告した。

鈴木 つまり、伴さんは毎年⾏ってたんだ。

佐藤 2001年は台湾で国際新エネルギーシンポジウム。伴さん、現地にも何回も行ったよね。

伴  うん、何回も行った。

鈴木 第四原発現地で印象深かったことは?

伴  ⼀番の思い出は、あの海岸で泳いだこと。第四原発のすぐそばの海で。

鈴木 泳いだんだ。そのころってまだ砂がちゃんとあったのかしら?

伴  いや、だんだんだんだん、なくなり始めたころだったと思う。

佐藤 日本でのアジアフォーラムのときも上関原発予定地の近くで泳いでたよね。

伴  ガハハハッ

鈴木 伴さん、泳ぐの好きなんだ。

伴  好き。

鈴木 第四原発のそばの海の砂が少なくなり始めたころかぁ。地元の人たちが必ず連れていってくれる媽祖(マソ)廟に行きました?

伴  マソ。印象に残ったのは、あれだ、道教といっしょくたになっているんだ。その辺がめちゃめちゃ面白かったね。マソ廟に⾏くと、表にはマソの像があって、ちょっと裏側、裏側というと変な言い方だけど、そこに神様がいた。

鈴木 民俗信仰っていうか、道教とか、いろんなものがごちゃごちゃになって、それが台湾らしいところですよね。

伴  そうそう。

佐藤 台湾の⼈と韓国の⼈、それぞれもちろんいろんな⼈がいるんだけど、台湾の人の方がなんか優しい、柔らかい感じがあるよね。

伴  はっは。

鈴木 でも、第四原発現地の貢寮の人たちって、世代にもよるけど、かつての貢寮の⽅々とか、実⼒⾏使派が昔はいたよね。今はいないけど。

伴  そうそうそう。

佐藤 呉文通さんにしても呉慶年さんにしても、怒ったら怖いね。我々と会ったときはニコニコしているけど、台湾電⼒が相手のときは、やるときはやるって感じで、怖いねぇ。

伴  はっはっは。

鈴木 そういった交渉みたいな相⼿とやりとり、やり合うところなんか⾏きました?

佐藤 たとえば、第二原発、第四原発のPR館で質疑応答するようなとき。台湾の人は普通は本当に柔らかい。いろんな⼈がいるけど。とくに呉慶年先生はやさしかった。

伴  そうそうそう。あぁ、懐かしいねぇ。

鈴木 日本語の通訳もやってくれたしね。私は台湾では娘のように本当に親しくしてもらって。お世話になった。

佐藤 そう。呉慶年先⽣とか、張国龍先⽣とか。

伴  あの人はさ、俺のおじさんと⽠⼆つの顔なんだよ

鈴木 へぇ、そうなの。2000年に台湾でエネルギーに関するフォーラムがあって、⾼⽊さんが亡くなる直前に台湾の皆さんに向けて書いた遺稿を携えて伴さんが来てくれて、それを会場で読み上げてくれた。そのフォーラムの最中に、陳水扁政権が第四原発中止を宣⾔したんだよね。その一報を受けた張国龍さんが壇上で、歓喜の声を上げるのをこらえるみたいに、照れたような顔しながら、それでも喜びで頬を赤らめて「中止が決まった」と言ったら、私の隣にいた伴さんが、「張国龍、カッコイイなぁ」とつぶやいたのを覚えている。

佐藤 「持続可能エネルギー国際会議」ね。これが伴さんの写真。アジアフォーラムの10月のニュースレターに、報告記事を書いてくれた。

伴  そうだった。

佐藤 首相が第四原発建設中⽌と発表した。その後巻き返されちゃうんだけど。一番せめぎ合っているころにも伴さんが行ってくれた。

鈴木 それと、本当にいいことをやってくれたと、今更ながら伴さんに感謝しているのは、台湾電力が再処理契約をフランスと締結しようとしてた時に、台湾にすぐに来てくれたこと。2015年だったね。

伴  あぁ、あった。

鈴木 台湾の人たちにとって再処理は寝耳に水で、それが何を意味するか、運動関係者でさえ把握していなかった。何しろ、突然、出現したわけだから。当時、第一原発と第二原発の貯蔵プールが満杯になりつつあり、乾式貯蔵施設を建設するとしても間に合いそうもない。そこで台湾電力は、使用済み核燃料の再処理を海外に委託することにし、その入札を行おうとしていた。再処理の道を開いたら、脱原発が困難になるので、とにかく再処理契約は絶対に止めなくちゃいけないと思い、こっちでこんなことが起きていると伴さんに電話をかけたら、すぐさま飛行機を予約して、文字通り、飛んできてくれた。大きなシンポジウムをやる時間的余裕はなかったから、運動関係者を呼んで伴さんに話してもらったり、メディアのインタビューを入れたりして、再処理がなぜダメなのか、知ってもらう場を設けた。その後、米国やフランス、イギリスの人たちも動いてくれて、そこまでいけば、台湾の運動は強いし、議員も再処理代金が高いことを理由に、立法院で反対し、契約を潰してくれた。

佐藤 馬英九が第四原発を凍結したあとだね。

鈴木 はい。再処理をめぐる伴さんの貢献は、目立つ活動じゃなかったけど、台湾にとって極めて重要で、もしも、あの時、再処理契約が締結されてしまっていたら、今の台湾はないと思う。

佐藤 真奈美さんは、台湾にどのくらいいたの?

鈴木 断続的に合計で5年くらいかな。あとは、短期的な訪問。

佐藤 フランスとの再処理の契約反対は、すごい重要だったよね。

鈴木 こういう連携もそうだけど、ノーニュークス・アジアフォーラムの意義のひとつは、輸出する側と輸入する側の市⺠運動が一堂に会しているというところだと思う。その辺りで何か思い出話ある?

佐藤 タイでは福島原発事故の直前に、候補地がいくつもあって原発建設計画がぐいぐい進みそうな感じだったけど、福島事故が起こって、すぐに、原発予定地の各現地で運動が盛り上がって、あっちで二千人、こっちで何百人、っていうデモが3月にバァーンと起こって、原発建設計画は延期になった。講演に呼ばれた伴さんが4月にタイに行ったとき、2011年の夏にタイでノーニュークス・アジアフォーラムが開催される予定だったけど、日本で開催してほしいと言われた。

鈴木 それで日本でやることになったのね。

佐藤 もしも福島事故がなかったら、もちろん、ない方がいいに決まってるけど、福島事故がなかったら、タイでは原発がどんどん建ってかたもしれない。

鈴木 タイだけじゃなく、インドネシアとかもどうなんだろう?

佐藤 インドネシアとフィリピンで90年代に進められようとしたけども頓挫して、2007年と2009年に、それぞれ復活してきた原発計画をつぶしてるんだよね。

鈴木 ではあのころは、原子力産業界にとってタイが⼀番有望だったわけだ。

佐藤 そのころはね。ただもう本当に我々にとって問題なのは、やっぱり原⼦炉を輸出しちゃった台湾。伴さんが本当に台湾に関わってくれた。日本の原発輸出問題は、90年代はインドネシア、その後は、トルコ、ベトナム、インドとか他の国の話もあるのだけど。

鈴木 輸出した側である日本ということもあって、台湾っていうのは伴さんにとっても関わりが強い国だったのね。

伴  交流というか、運動の連帯が広がっていた時期でね。それはすごかったと思うよ。

鈴木 運動の連帯というのは、他に具体的な例ありますか? たとえば、原⼦炉の日本からの搬出のときとか。

伴  搬出阻⽌⾏動、やったんだっけ。

佐藤 やった。呉で2003年、日⽴の原子炉、2004年は横浜で、東芝の原子炉、海上で搬出抗議行動をやった。

鈴木 現地の⽅では?

佐藤 現地では搬⼊抗議行動。

鈴木 あと、他に何か具体的な例あるかしら。

佐藤 その前は、国会での追及とか。二国間協定がないのに、アメリカとの交換公文だけで原発輸出していいのかと。辻元清美さんや福島みずほさんとかが、質問や質問主意書など、いろいろ協力してくれた。

伴  そうそうそう。

佐藤 90年代後半から、日本で何度も原発輸出反対の集会や、交渉や、署名運動、広がらなかったけど不買運動も呼びかけたりとか。伴さんたちとよく⼀緒にやった。

鈴木 第四原発は成功例の⼀つだよね。ノーニュークス・アジアフォーラムで作ってきたネットワークや繋がりを土台としてお互いに連携しながら⽌めることができた。

佐藤 伴さん、今、成功例という言葉に、うなずいてたけど、第四原発が中止になって、台湾は脱原発に向かっている。本当によかったよね。

一同 笑い

佐藤 本当よかった。⻑いことやってきて。

伴  成功例だよね。かつての運動が、なんて言うか、世界的なネットワークの形成と、それによる共通の敵、というと、ちょっと強いかもしれないけど、共通の課題にみんなが一堂に、一緒に闘う組織が作られていった。

佐藤 2000年から2011年は、台湾の運動は落ち込んでる時期なんだよね。建設工事がどんどん進んでいた。

伴  そう、落ち込んでる時期だった。

鈴木 でも運動は続けていたんです。

佐藤 それが良かった、運動を続けて。日本でも原発のこんな問題があると伝え続けた。地震の問題とかABWRの構造の問題とか。

伴  そうそうそう。

鈴木 日本は他のアジアの国に⽐べると原発先進国なわけじゃないですか。同時に、いろんな事故の先進国でもあって、その事例を日本側から発信することは意義が⼤きかった。

佐藤 それを伴さんがやってくれた。2000年から2011年までの間、台湾の運動は落ち込んでるけども続いている。集会や、記者会⾒、台湾電⼒との交渉とかで、こんな問題がある。あんな問題があるって、やり取りした。そんな様々なことをやっていく中で、建設を遅らせてきたし、運動を続けてきたその流れの中で、福島事故の後の爆発的な盛り上がりと、建設中止に繋がっていったわけだから、成功例と言っていいのかな。90何%できちゃったっていう中で、もう駄目だなと思ってたけど、2011年、12年、13年、14年の台湾の人たちはすごかった。ずっと繋げてきたから、続けてきたから。

鈴木 運動を繋げてきたなかで、たとえば2010年のノーニュークス・アジアフォーラムで、地震と原発の問題の話があったそうだけど。

佐藤 2010年のノーニュークス・アジアフォーラムで、立法院で公聴会をしたんだけど、台湾電⼒が「第四原発の耐震は400ガルだ、⾮常に優れている」とぬかしやがるんだよ。

伴  笑

佐藤 で、伴さんが、(伴さんの声を真似して)「それでは駄⽬なんだ」と。

伴  公聴会っていうのがあるんだよね。

佐藤 日本で⾔ったら国会議員会館での集会、院内集会と似てる。台湾電⼒が「400ガルは日本での800ガルに相当する」なんてとんでもないことを言ったんで、伴さんが「それはインチキだ!」って発言した。伴さん、覚えている?

伴  うん。この写真の顔、院内集会みたいなかたちでのやりとりとか、結構覚えてる。

佐藤 いやぁ、話してるといろいろ思い出すね。芋づる式に。

鈴木 20何年間の話をしてるわけだから、つきないよね。⽴法院の公聴会のとき、どうでしたか?

伴  結構ね、シビアなやりとりは、シビアというか、結構しっかりした相手とのやりとりをした記憶はある。意外と、食い下がっていたと。

鈴木  自分が?

伴  そう。

鈴木 そのときは呉慶年さんが通訳だった?

伴  呉慶年先生? 違うよね?

佐藤 ダンギンリンくんだったかな。

鈴木 ギンリン君、懐かしい。台湾って若い世代がどんどん⼊ってくるっていうのがすごいよね。元気づけられる。

佐藤 ベテラン連中も頑張るし、若い連中もどんどん増えてきて、いいね

鈴木 日本はベテランが頑張ってる(笑)。日本ではノーニュークス・アジアフォーラムは運動のひとつだけど、台湾にとっては世界とつながる、きわめて重要な存在であり、運動の中で確固たるポジションを築いてきたと思う。その中で、伴さんがどういう貢献をしたのかが分かった。他の国ではどうかしら。

佐藤 伴さんは韓国にも何回も行っている。

鈴木 韓国の思い出は?

伴  マッコリが思い出。

鈴木 翌日⼤変だったんじゃない、酔っ払って。  マッコリ以外に思い出ある? 韓国も原発現地にずいぶん行ったの。

伴  ⾏きましたね。韓国のノーニュークス・アジアフォーラムの仲間が案内してくれて、韓国の原発は全部回ったよね。

鈴木 全部回ったの? すごい数だと思うけど。あ、そうでもないか。場所は4つか。

鈴木 情報室は海外の団体や個人と連絡取り合ったり、交流してるけど、定期的というか、コンスタントなのはやっぱり、ノーニュークス・アジアフォーラムなんじゃないかしら。

佐藤 30年間で20回のフォーラムをやっている継続的なのは特色。単発的に盛り上がる国際会議、シンポジウムというのは色々あるけれど、継続的にやってるっていうのは特色だよね。

鈴木 最後に、ノーニュークス・アジアフォーラムのエピソードとか、こういうことをやればよかったなみたいなことありますか? 伴さん、一言ある?

伴  俺は受⾝なところがあるから、積極的にこうやっておけばよかったというのはないけれども、要は、連帯と発展のキーだよね、ノーニュークス・アジアフォーラムというのは。毎年のように定期的にずっとこれを続けてきてる。そして、なんだかパワフルな女性たちが、ある種、核を作ってるよね。

鈴木 パワフルな女性?

伴  プナール・デミルジャン、トルコの。

鈴木 韓国もそうだし、台湾もそうだけど、女性たちが、みんなすごく強いよね。フィリピンのコラソンさんとかね。ノーニュークス・アジアフォーラムですごいなと思うのは⼥の⼈たちが強くて、活発で、活躍してて。

佐藤 金福女さんや、インドのヴァイシャリさんも。

鈴木 ノーニュークス・アジアフォーラムがずっと続けられてきてるのは、やっぱり⼥性の⼒っていうのがあるような気がする。

佐藤 その通り。伴さん、今、受⾝なところがあるけどとか⾔ったけど、2008年の日本でのフォーラムは伴さんが中心になって呼びかけてくれたんだよ。

鈴木 呼びかけ、伴さんだったの?

佐藤 そう。原子力資料情報室、原水禁、ノーニュークス・アジアフォーラム・日本事務局の3者で主催して、このときは伴さんが中心だった。2007年の新潟の中越沖地震の後、台湾での気候変動・国際NGOフォーラムで伴さんが環境保護連盟の施信民さんから、「来年、ノーニュークス・アジアフォーラムを日本で地震をテーマにしてやってください」と言われたの。それで伴さんが中心になって呼びかけた。2011年のときも、伴さんが積極的にやってくれた。福島事故の後に。

鈴木 伴さん、ノーニュークス・アジアフォーラムやってて楽しかった?

伴  楽しかった。楽しかった理由はやっぱり、広がりがすごく作れたこと。

鈴木 確かに、広がりが実感できるよね。実際に止めてきたていう実績も作っているし。

・・・ 後略 ・・・

鈴木 今日は、大介さんに大阪から来ていただき、ノーニュークス・アジアフォーラムの話をしていただきました。お疲れさまでした。

中島 佐藤さんがいたから、伴がいろいろ話してくれた。オーラルヒストリーで一番輝いていたのは今日だよ。

(*中島さんは伴さんのお連れ合い)

鈴木 こんなことあった、あんなことあったと思い出すことができたね。伴さん、のどかわいていない?

伴  大丈夫、大丈夫。

佐藤 また来ますよ。

伴  ありがとう

(収録日:2024年5月10日、文字起こし協力:原子力市民委員会事務局)

台灣環境保護聯盟「伴英幸先生を偲ぶ」
原子力情報室共同代表 伴英幸先生ご逝去の悲報を知り、誠に残念です。
彼は台湾の反原発運動を支援するために何度も台湾に来てくれました。
私たちは、伴英幸先生の友情と反原発運動への貢献をいつまでも忘れません。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信193号
(25年4月20日発行、B5-32p)もくじ

・原子炉施設規制法改正反対、台湾を守る唯一の道はリコールだ
 (全国廃核行動プラットフォーム)
・ノーニュークス・アジアフォーラム ネクスト配信開始  (とーち)
・第2、第3原発の計画も進めるトルコで政権への大規模抗議 (森山拓也)
・原発は本当に安全なのか (小原つなき)
・尹錫悦罷免に伴う声明 (密陽765kV送電塔反対対策委員会)
・「尹錫悦罷免を越え、核のない世界に向け、脱核が民主主義だ」 (脱核市民行動)
・韓国済州島の海女さんたちを訪ねました (大河原さき)
・ベトナムの原発計画が再始動 (吉井美知子)
・新潟県民投票条例否決される (小木曽茂子)
・女川を核のゴミ捨て場にするな! 女川原発を廃炉に!  (多々良哲)
・北海道泊原発の現地から (佐藤英行)
・川内原発を動かすな (小川みさ子)
・3・22上関原発を建てさせない・核のゴミはいらない山口大集会  (三浦みどり)
・上関町での中間貯蔵施設の建設に反対する決議 (山口県田布施町議会)
・6.8「もうやめよう あぶない原発! 大集会inおおさか」 (木原壯林)
・311子ども甲状腺がん裁判について思うこと (阿部ゆりか)
・はじめての시위(シウィ) ~わたしたちにもできる!~ (渡辺あこ)
・伴英幸さんとの語らい -台湾とNNAFについて-

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NNAF ネクスト Youtube No.4/5/6追加配信!

ノーニュークス・アジアフォーラム ネクスト

Youtubeチャンネルで NNAF Next という配信番組を開始しました。
たまに地図やWebページを参照しますが、ほとんど音声のみですのでお気軽にお聞きください。気軽に作成してます 🙂
まだ3回ですが、3回目は脱原発に向かう台湾の最新状況などもお伝えしていますので特に聞いてほしいです。

■NNAF Next No.1 脱原発に向かう台湾 1回目 台湾の発展と民主主義の歩みが人々を脱原発へと向かわせた
今年、アジアで初となる脱原発を実現する見込みの台湾。
なぜそれが実現できるのか、1993年から台湾を見続けてきたノーニュークス・アジアフォーラム ジャパンがお話します。

■NNAF Next No.2 脱原発に向かう台湾 2回目 政治と企業の癒着がない歴史が台湾の躍進をもたらした
半導体やスマホなど目覚ましい発展を遂げる台湾の経済。
そこには財閥がほとんどない自由な企業文化があった。
その理由を歴史から紐解きます。

■NNAF Next No.3 脱原発に向かう台湾 3回目 議会では少数与党の民進党がなぜ脱原発に向かえるのか
2024年1月に民進党の頼清徳さんが総統に選ばれました。
しかし立法院では過半数を得ることができず、原発を運転延長する法案が検討されています。
最新情報も含めお伝えします。

■【NEW!】NNAF Next No.4 脱原発に向かう台湾 4回目 台湾の4か所の原発立地点巡り
台湾には4か所の原発立地点があります。
しかし4か所目の第四原発は稼働することなく脱原発に向かいます。
今動いている原発は一つだけ。
4か所の立地点を見ていきます。

■【NEW!】NNAF Next No.5 脱原発に向かう台湾 5回目 第四原発訪問1999年
1999年に訪れた台湾。そこでは日本から輸出される第四原発の建設が始まっていました。
なぜか建設現場にまで入っていける状況、
そして赤さびが浮き出た壁面。衝撃の実態がそこにはありました。

■【NEW!】NNAF Next No.6 脱原発に向かう台湾 6回目 林さんと放射能汚染マンション
前回に続き1999年の訪問時の写真から、原住民の林さんのこと、
原発の廃材でつくられた放射能汚染マンションのことなどをお話します。
冒頭では原発延長法案の最新状況をお伝えしています。
(日本でよく使われる「先住民」という表記の「先」は台湾では
「故」に近い意味があることもあり台湾で使われている「原住民」
という表記を使用しています。)

ノーニュークス・アジアフォーラムのYoutubeチャンネルではほかの動画もおすすめです。
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ノーニュークス・アジアフォーラムのYoutubeチャンネル

https://www.youtube.com/@NoNukesAsiaForum

非核亞洲論壇30年

高成炎(台湾環境保護連盟)

         1995年、第3回NNAF、3万人デモ

非核亞洲論壇(NNAF)は、アジア各国で開催され、反原発運動の国際的な連携を強化し、多くの政策転換を実現した。

私は数多くのNNAFに参加してきた。とくに、第3回NNAFは1995年9月に台湾で開催されたが、当時、私は環境保護連盟の副会長を務めていたため、NNAFの主催を担った。2011年、福島原発事故後の日本開催NNAFでは、呂秀蓮元副総統の参加を促し、福島災害地の視察を実施した。私はその後、『福島核災啓示録』を執筆・出版した。

NNAFは、発足から30年にわたり、アジア地域において核エネルギーの見直しとエネルギー転換を推進する重要な役割を果たしてきた。各国の草の根運動を結びつけ、長期的な影響を持つ成果を数多く生み出した。NNAFの中心的な議題は、地震が原発に及ぼす危険性、核廃棄物処理の問題、核エネルギー政策の影響、そして草の根抗争の国際的な連携である。その影響を以下にまとめる。

1. 核エネルギー危機の顕在化と抗議活動の拡大

2007年の日本・新潟地震は柏崎刈羽原発の安全問題を浮き彫りにし、NNAFは「地震と原発」というテーマに関心を寄せるようになった。

2011年の福島原発事故は反原発運動の大きな転換点となり、台湾第四原発阻止への闘い、インド・クダンクラムの非暴力闘争、韓国サムチョクの原発計画反対運動といった、アジア各国の抗争をさらに拡大させる契機となった。

NNAFは現地調査や住民交流、国際会議を通じて、原発がもたらす環境および社会的リスクを広く周知させた。

2. 政策変革と草の根運動の強化

ここ十数年間で、NNAFは政策の変革を促進し、2014年の台湾第四原発建設の凍結、2016年のベトナムにおける原発建設計画の撤回、2018年の韓国における原発拡張計画の中止を実現させた。

これらの成果は、NNAFが草の根運動を支援し、現地の住民と活動家に国際的なプラットフォームやリソース、自信を提供したことによるものである。

フィリピンのバターン原発やインドネシアのムリヤ原発の反対運動においても、NNAFは地域の運動を持続的な力へと変えて、住民たちは原発をくい止めてきた。

3. 国際連携とアドボカシー活動

NNAFは、アジア諸国の反原発運動の国際的連携を促進し、各国が原発情報や運動の成功事例を共有する場を提供することで、核エネルギーのリスクに対する一般市民の認識を高めた。

また、国際的な結束と協力を強化し、集団的行動を通じてアジアでの原子力産業の拡大を阻止してきた。

さらに、福島原発事故による汚染水の海洋放出に反対する国際署名運動など、世界規模のアドボカシー活動も展開し、110カ国から8万人以上の署名を集めることに成功した。

4. 無核化と平和的発展の推進

NNAFの30年間の活動は、無核化が決して達成不可能な目標ではないことを証明してきた。国境を越えた協力と草の根の力によって、NNAFはアジアにおける環境正義と平和的発展を推進する中心的なプラットフォームとなった。

今後も国際社会との連携を深め、政策変革を促進する使命を果たし、地球規模での無核化をめざして尽力していくものである。
(「台湾環境」25年2月号より、抜粋)

1995年、第3回NNAF、3万人デモ

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信192号
(25年2月20日発行、B5-28p)もくじ

・第21回ノーニュークス・アジアフォーラム in 台湾 - 開催のお知らせ    
・非核亞洲論壇30年 (高成炎)
・脱核運動の知彼知己  (キム・ヒョヌ)
・[脱核新聞座談会] 尹錫悦弾劾の局面で、脱原発運動は何をすべきか (キム・ヨングクほか)
・大統領弾劾の政局のなかでも原発の寿命延長、着々と進む (小原つなき)
・インドネシアは再び原子力の夢を見るか? (安部竜一郎)
・Nuclear-Free Future Award(核のない未来賞)を受賞 (S.P.ウダヤクマール)
・15万筆超えのインパクト ― 新潟県民は県民投票を求めている (水内基成)
・能登半島地震から14か月 ― 地震と原発避難 ― (堂下健一)
・能登半島地震から1年経っても地震は続く (川原登喜の)
・上関町で生きていく子供たちの為に  (清水康博)
・六ヶ所再処理工場とむつ中間貯蔵施設の現状 (山田清彦)
・核ごみ文献調査報告書が完成 (高野聡)
・福島原発事故被害は今 (宇野朗子)
・老朽原発の延長認可の違法性について初めての司法判断 (柴山恭子)
・使用済み核燃料の行き場はないぞ! 老朽原発うごかすな! (木戸惠子)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
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「気候危機の時代における原発輸出入政策への抵抗」・原発拡大への国際共同対応のためのウェビナー

オ・ソンイ編集委員 (韓国脱核新聞12月号より)

11月19日に開かれたこのウェビナーは、脱核新聞と反核アジアフォーラム(NNAF)、脱核市民行動、ユン・ジョンオ国会議員(進歩党)、国会気候危機脱炭素フォーラムが共同で主催した。ウェビナーは、キム・ヒョヌ氏とDJジャニエの共同司会で行われ、韓国とフィリピン、日本、トルコの脱原発活動家たちが各国の原発輸出入の現況とその問題点について発表した。

韓国の状況は、イ・ホンソク氏が紹介した。韓国は、米国やカナダなどから輸入して原発を建設してきたが、1990年代に原子炉を国産化し、2009年からはアラブ首長国連邦(UAE)に原発を輸出した。17年には英国ムーアサイド原発、22年にはポーランドにも原発輸出を試みたが、事業が失敗に終わったり取り消しになった。

イ・ホンソク氏は、最近、韓国がチェコに原発輸出を試みているが、ウェスティングハウス社が知的財産権を主張して訴訟を起こし、その結果は分からないと分析した。

現政権は「原発最強国」を成し遂げるとして大型原発輸出と小型モジュール原子炉(SMR)等を開発しているが、事業主体が公企業であるにもかかわらず、国民に収益性や安全性などに関して正確に知らされたことがなく、事業者が国会にも資料を提出していないと指摘した。

彼は、脱原発の労働者と共に、原発産業の正義的な転換への議論をすることが必要だと強調した。

フィリピンからは、「非核バターン運動」のデレック・チャベ氏が報告した。バターン原発は1984年に完成したが稼動したことがない。マルコス・ジュニア大統領は、父親の主要政策の復活の意味をこめて、候補時代から稼動を公約して推進している。

このための実行可能性調査を韓国の韓水原が費用まで負担しながら協力している。

しかし、バターン原発は、マニラ海溝に近く、断層帯と火山地帯に位置する立地的な問題とともに、核廃棄物に対する解答が出ていない。また、アンケート調査の結果、バターン原発のあるモロン地域の半分に近い地域住民たちが稼動に反対している。

デレック・チャベ氏は、「原発の輸入・輸出を阻止することは、核拡散を防止することだ」とし、「バターン原発の稼動を阻止するために、韓国の人々の役割が非常に大きい」と強調した。

原子力資料情報室の松久保肇事務局長は、日本の原発輸出計画失敗の歴史を紹介した。同氏は、「日本は福島原発事故前から自国内の新規建設が停滞するなかで輸出を試みた」と述べた。

日本は、2010年にベトナムと原発の輸出に合意したが、ベトナムの電力需要見通しの下方修正、費用、対外債務問題で、16年に計画が中止された。

日立は、英国で原発建設を引き受けたが、計画が取り消され、莫大な損失を被った。三菱重工業もトルコで原発の建設に参加することにしたが、費用が増加して撤収した。東芝は、米国の原発製造会社であるウェスティングハウス社を買収したが、建設費用が莫大に超過し、この買収によって東芝は破産寸前に追い込まれたと報告した。

松久保事務局長は、「世界エネルギー機関(IEA)の見通しによると、原発が増える主要な国は中国だが、中国は自国で部品調達が可能なため、中国への原発輸出は容易ではない」と述べた。

最後に、トルコ反核プラットフォームのプナール・デミルジャン氏が、民主主義が後退したトルコの社会全般の状況とともに、トルコの原発輸入問題を報告した。トルコ政府は「2050年ネットゼロ」を達成するために原発を3倍に増やすと発表し、3ヵ所で原発の建設と計画を推進している。

彼女はまず、シノップ原発の建設には、居住人口の増加、大規模な漁業被害、100万本以上の伐採など問題があり、事業者選定もされていないのに、トルコ政府は政治的な目的のために環境影響評価を承認したと批判した。

アックユ原発は、工事が遅れたために、まだ稼動していない。また、ロシア国営企業のロスアトムとその系列会社がアックユ原発の持分を大部分所有しており、電力需給においてロシア依存度が高くなっている。

プナール氏は、「ロシアでは反核運動が活発ではなく、トルコも最近、反核活動を行うことが安全ではない状況だ」とし、「国際的な協力が重要だ」と強調した。

その後、参加者たちは、原発が決して気候危機の代案になり得ないことについて、市民とより積極的に認識を共有し、原発の輸出と輸入を防ぐために連帯を強化しようと、意見を集約して行事を終えた。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信191号
(24年12月20日発行、B5-28p)もくじ

・「気候危機の時代における原発輸出入政策への抵抗」
  原発拡大への国際共同対応のためのウェビナー (オ・ソンイ)
・フィリピンと韓国が、バターン原発の実行可能性調査を開始することに対して、環境保護団体は警鐘を鳴らす (ハンナ・フェルナンデス)
・韓国の原発関連事情 (岩淵正明)
・日韓脱核平和巡礼2024 (昼間範子)
・老朽原発の寿命延長を中断し、原発振興の暴走を今すぐ止めてください (カン・オンジュ)
・柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で (大賀あや子)
・被災原発、女川原発を動かすな (日野正美)
・「動かすな!女川原発 11.2全国集会」でのスピーチ (武藤類子)
・島根原発2号機へ燃料を装荷せず再稼働をするな (広島県5団体)
・島根原発2号機の再稼働に怒る (芦原康江)
・東海第二を廃炉にして、原電自体の使命変えることこそ (披田信一郎)
・原発と核燃サイクルへ (片岡栄子)
・いらない!核のゴミ、止めよう!中間貯蔵施設 (安藤公門)
・放射能汚染土再利用にIAEA(国際原子力機関)が「お墨付き」
  環境省が進める放射能の全国へのバラマキにストップを (青木一政)
・浜岡原発の防波壁、28メートルにかさ上げへ (沖基幸)
・「12・8とめよう!原発依存社会への暴走 関電包囲大集会」に参加して (青山晴江)
・保養資料室《ほよよん》の近況・企画展「能登半島地震」 (宇野田陽子)

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各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況
■ インタビュー/エミリー・ファハルド
「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」
■「脱核を成し遂げよう」佐藤大介・小原つなき
■「原発輸出に血眼の韓国は加害者」イ・ホンソク


ヨン・ソンロク(脱核新聞編集委員)  脱核新聞10月号より


今年で30周年を迎えた反核アジアフォーラム(NNAF/No Nukes Asia Forum)が、9月19日から23日までの5日間、韓国で開かれた。20回目となる今回のフォーラムには、韓国をはじめ、日本、インド、台湾、タイ、オーストラリア、フィリピン、トルコ、8ヵ国が参加した。海外参加者は29人だ。フォーラム参加者らは、2025年の反核アジアフォーラムの開催地を台湾に決定した。

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況(ヨン・ソンロク

2023反核アジアフォーラムは9月19日、ソウルのカトリック会館で開会式を行った。開会式でヤン・ギソク神父(韓国組織委員会共同委員長)は「ノーニュークス・アジアフォーラムを30年間率いてきた日本事務局の佐藤大介さんをはじめとする皆さんに感謝と尊敬の気持ちを伝える」と述べた。さらに、「韓国の反原発運動がきちんと根を下ろしていなかったとき、日本の反原発運動家たちとノーニュークス・アジアフォーラムが大きな力になったという話を聞いた」とし、「これからは韓国でもアジア各国の反原発運動の力になれる方法を模索する」と話した。さらに、「原発は絶えず差別と不平等を生む」とし、原発による住民の健康被害と、絶え間ない抵抗について言及した。

佐藤大介反核アジアフォーラム日本事務局長は挨拶で、「ノーニュークス・アジアフォーラムの30年間は、人々のたたかいの歴史のたった1ページですが、たしかな1ページです。アジアの各地で、人々は原発を進めようとする支配者たちとたたかってきました。それは、民主主義を求めるたたかいとつながっています」と述べ、また、都市住民は、原発周辺の住民に対して加害者の立場、原発輸出国の住民は輸出相手国の住民に対して加害者の立場にあると話した。彼は、放射能の加害者にならないために、原発周辺の住民、輸出相手国の住民と手を組んでたたかう責任があると話した。そして、汚染水を海洋投棄する日本は放射能の加害国になってしまったとし、日本で反対運動を続けると話した。


初日、ソウルで開かれたフォーラムでは、各国の参加者が国別の原発状況を発表した。オーストラリアではウラン採掘による先住民族の被害が大きく、地震国トルコでは原発建設が続けられている。フィリピン、インドでは原発反対の闘いの過程で多くの犠牲者が発生した。日本、韓国などは原発輸出に長い間努力を傾けている。タイは最近、米国と手を組んでSMR(小型モジュール原子炉)を計画するとしている。
台湾は、長年の運動が実を結び、2025年に原発ゼロを実現する。


初日のテーマ別セミナーでは、「福島原発汚染水問題」「アジアの核兵器と平和」「気候危機と原発」をテーマに討論した。


2日目、釜山では、日本領事館前で福島汚染水の海洋投棄中止を訴える記者会見を行った。その後、密陽送電塔反対住民が参加するなかで、「原子力と国家暴力」「老朽原発寿命延長」をテーマにフォーラムを進行した。翌日午前にはコリ原発がある現地で「原発と住民被害」について共有した。


21日、蔚山(ウルサン)では蔚山市役所のプレスセンターで老朽原発の寿命延長中止を求める記者会見を開き、「使用済み核燃料処分問題」などのテーマでフォーラムを開いた。蔚山記者会見はいつにも増してマスコミ各社の取材熱気が熱かった。


22日、慶州と月城(ウォルソン)原発前で、「低線量被曝と住民健康被害、甲状腺がん訴訟」をテーマに討論し、その後、蔚珍(ウルチン)原発と、住民投票で原発建設計画を白紙化した三陟(サムチョク)の「原発白紙化記念塔」を訪問し、住民と交流した。


23日にはソウルで3万人の「9.23気候正義行進」に合流した。夜は、反原発・脱原発の青年活動家たちが交流会を開いた。


多くのマスコミが反核アジアフォーラムを取材して報じた。

2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会には43団体が参加した。フォーラム準備と進行、通訳と翻訳などには韓国組織委員会の多くの活動家などが格別な努力を傾けた。釜山、蔚山、慶州での集会は、地域の脱原発団体が準備して進めた。蔚珍と三陟では、現場を見学し交流するプログラムを実施した。ソンミサン学校の生徒たちもフォーラム全体の日程を共にした。韓国の原発地域の問題とアジア各国の反原発運動に接し、反原発運動の理解の幅を広げた。

■ 「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」インタビュー/エミリー・ファハルド(Nukes Coal-Free Bataan)

「原発地域住民の話を直接聞くことができた良い機会だった。いつも悲しい話だが、住民たちの要求を無視する韓国政府と原発会社に対抗して、今も自分の権利のためにたたかっているのは感動的だ。また、三陟(サムチョク)地域住民の闘争と勝利の話、慶州月城原発に反対する住民たちが続けている抗議行動と籠城テントに感動を受けた。

今回のフォーラムで最も印象深かったのは、多くの若者たちが参加する姿に接したことだ。若者たちと一緒に過ごしたことは楽しみとインスピレーションの源となった。
ノーニュークス・アジアフォーラムを続ける次世代人材を確保することが重要だ」  *抜粋

■ 「脱核を成し遂げよう」9・23気候正義行進の集会での発言/佐藤大介(反核アジアフォーラム日本事務局)、小原つなき(脱核新聞編集委員)

私たち日本人は、汚染水の海洋投棄を防ぐことができませんでした。日本はアジア諸国を侵略、植民地支配しましたが、今度は放射能の加害者になってしまいました。日本人の一人としてお詫び申し上げます。汚染水の海洋投棄を止めるために、今後も日本でも、反対し続けます。

1993年に発足した反核アジアフォーラムは、今年で30年目です。今回のフォーラムは、5日間の日程で、ソウルで会議を開いた後、釜山、古里、蔚山、慶州、蔚珍、三陟に行ってきました。韓国以外では、日本、台湾、フィリピン、タイ、インド、トルコ、オーストラリアから、29人が参加しました。


アジア各地の人びとは30 年以上、原発を推進する勢力と闘ってきました。脱原発運動は民主主義を求める闘いでもあります。


今、世界中で気候正義と脱原発を求める声が高まっています。原発は気候危機の解決策ではありません。事故の危険性と核廃棄物問題を抱えている原発は、差別と不平等を深め、むしろ再生エネルギーの拡大を阻みます。気候危機を口実にした「老朽原発の寿命延長と新規原発建設」に反対するアジア各国の脱原発運動に共に連帯してください。


私たちは、原発に対抗し続け、最終的には勝利するでしょう。それが歴史の必然です。しかし、できるだけ早く勝利しなければなりません。チェルノブイリや福島のような大事故が繰り返される前に、原発を終わらせなければなりません。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。私たちの子孫のために、一緒に脱原発を実現しましょう。脱核!

*영상映像(4分)
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0KaurFAqYh9jcR6iYL7tBToDSCXzFkMJRfsyCRYervM965xy43rq7zh5mVRZFAMdFl&id=100000477953354&mibextid=CDWPTG

* 佐藤大介さんは、反核アジアフォーラムの開始からこれまで日本事務局を担当・運営しており、事実上、全体事務局の役割も果たしている。アジア各国の反原発運動の情報を収集・発信し、30年間行われた反核アジアフォーラムを記録・整理して資料化している。(ヨン・ソンロク)

■ 原発輸出に血眼の韓国は加害者/イ・ホンソク(2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会)

7月、産業通商資源部は2027年までに約5兆ウォン規模の原発設備海外受注プロジェクトに挑戦すると明らかにした。同計画は、2030年までに原発10基を輸出するという尹錫悦政府の目標の一環だ。主事業者に選定されなくても、原発の周辺機器など各種設備プロジェクトに参加して、関連中小企業100社を育成するということだ。

09年UAEの原発受注後、韓国は海外原発建設プロジェクトに応札を続けている。しかし、いまだに、原発輸出問題は韓国の脱原発運動内部ですら注目されていない。


今年、反核アジアフォーラムを準備する際、海外の脱原発活動家から韓国の原発輸出計画の情報を求める要請を何度も受けた。


現在、事業者を選定中のトルコ原発建設事業に参加するため、韓電社長から尹錫悦大統領までがトルコに売り込み工作を行っている。タイには、韓国原子力研究院が研究用原子炉の輸出計画を推進している。韓国原子力研究院は、2009年にヨルダンへの研究用原子炉輸出に合意した後、釜山機張郡に輸出用新型研究炉の建設を進めている。


タイの仲間から、タイへの原発輸出計画について質問された。基本的な情報を伝えたが、「韓国ではまだ、本格的な原発輸出反対運動はない」とは言えなかった。


社会運動の進歩派から「原発輸出計画に反対するのは難しい」という声も聞いている。


脱原発運動の基本は「核のない世の中を作ること」であり、国内と国外を分けない。力量の問題で海の向こうの全ての国の原発に反対運動を展開することは難しいが、少なくとも、韓国が関与する海外核施設プロジェクトは韓国の脱原発運動の役割だ。


海外の脱原発活動家と専門家の助けがなかったら、国内の脱原発運動はここまで来れなかっただろう。


今回の反核アジアフォーラムは、多くの団体や各原発地域の人たちが一緒に準備して進めた。組織委員会執行委員長として足りない点もあったと思うが、世界5位の原発大国であり原発輸出国である韓国の脱原発活動家の視野が、反核アジアフォーラムを通じて一層広くなったことを願う。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信185号
(23年12月20日発行、B5-32p)もくじ

・各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流
  ― 2023反核アジアフォーラム、盛況 ― (ヨン・ソンロク)        
・「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」 (エミリー・ファハルド)
・「脱核を成し遂げよう」 (佐藤大介・小原つなき)             
・原発輸出に血眼の韓国は加害者 (イ・ホンソク)              
・核を越えて、平和のアジアのための青年活動家交流会 (コン・ヘウォン)   
・老朽原発と核廃棄場のない釜山へ (ミン・ウンジュ)            
・霊光ハンビッ1・2号機の寿命延長に反対する (小原つなき)        
・2023 NNAF釜山声明 「アジアの人々が連帯して核汚染水の海洋投棄に抗議し、
           核を超えて、生命と平和の世界へ」         
・2023 NNAF共同声明 「核を越えて、生命と平和のアジアへ!」       
・原発事故12年目の避難指示エリア 〜 抵抗する人びと (豊田直巳)     
・「脱核アジア連帯30年」 「韓国でNNAF第20回フォーラム」 
「アジアの脱原発運動30年、佐藤大介さん」 23.12                     
33年、未だに終結しない、オンカラック研究炉建設計画           
・柏崎刈羽原発再稼働 もってのほか! (小木曽茂子)            
・女川原発再稼働差止訴訟控訴審 (日野正美)               
・上関町民を苦しめ続ける中国電力を許さない (渡田正弘)         
・「原発のないふるさと」を語り継ぐことの大切さ (山中幸子)        
・東海第二原発の再稼働を許さない 11.18首都圏大集会 (小山芳樹)     
・「12.3とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会」に全国から結集、暴走止めよう!と誓った (橋田秀美)

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