Nuclear-Free Future Award(核のない未来賞)を受賞

S.P.ウダヤクマール  
S P Udayakumaran 

ありがとうございます。「核のない未来賞」(*ドイツの財団が主催する賞)受賞が発表されて以来、非常に多くの友人、同志、支持者、そしてメディアを通じて様々な分野の方々から、心温まる祝福とお祝いの言葉をいただいております。皆様に心より感謝申し上げます。

しかし、クダンクラム原発に対する抗議運動は、個人によって始められたものでも、主導されたものでもありません。非常に多くの人々が参加し、大きな貢献をしてきました。そのリストを挙げれば、非常に長くなるでしょう。

命を懸けた人々、投獄された人々、運動のリーダー、神父、修道女、その他の宗教指導者、地域コミュニティのリーダー、村委員会のメンバー、女性リーダー、政党のリーダー、弁護士、映画界の著名人、学識者、作家、出版者、詩人、アーティスト、メディアの編集者、ジャーナリスト、支援団体、タミルナードゥ州内外からの支持者、その他の州からの参加者、一部の政府関係者、警察や情報機関の一部の関係者、運動の活動家、そして何千何万もの人々です。

このように、多くの人々が一体となって行った偉大な民衆闘争において、私だけがこの賞を受け取るのは適切ではないでしょう。多くの方々を壇上に上げることができない事情から、私が代表としてこの賞を受け取るのでしょう。私は皆様を代表してこの賞を受け取り、賞金を、イディンタカライ、クダンクラム、クッタンクリ、ヴィジャーパティ、クータプリの各地域の、スンダリさん、サラスワティさん、カディラバンさん、グラム・アサドさん、ヴァルキンスさんにお渡しします。彼ら彼女らは、この資金を地域住民の法的支援や医療費として使用する予定です。

人々の誠実で正直、堅固で道徳的、そして非暴力的な正義の運動は、いかなる時代にも崩されることはありません。誰にも崩すことはできません。14年前に始まったクダンクラム原発反対闘争が、国際的な認知を受けたということは、近い将来に必ずや勝利を収めることを意味します。偉大な詩人バラティヤールが言ったように、「思いがけない結果が訪れるのも、思い描いた目的が実現するのも、その行動のおかげである」。

クダンクラム原発を停止せよ!閉鎖せよ!

人口が密集するインドでは、破壊的な核施設をどこにもつくってはいけない!

クダンクラム原発反対闘争についての私の包括的な本が間もなく出版されることもお知らせします。

みなさんに感謝します。

2025年1月17日

S.P.ウダヤクマール(PMANE/原発に反対する民衆運動、NAAM/反核運動全国連合)

(原文・タミル語)


伴英幸さんとの語らい -台湾とNNAFについて-

伴英幸さん(原子力資料情報室共同代表)が逝去したのは、昨年6月10日だった。享年72。原発不明癌と診断されてから、わずか2カ月余りのことである。山積みとなっていた文書や資料を整理したり、自身の足跡と思いをまとめたりする時間的・体力的余裕は残されていなかった。

人と人を繋ぎ、運動と運動を紡いできた伴さん。その体験を伝え継ぐために、口述記録に取り掛かったのだが……病の進行と痛み止め薬の影響で、記憶を引き出すことが日に日に難しくなっていった。そこで各地から主だった方々にご足労いただき、病床の伴さんと思い出話を語り合っていただくことに。ここに掲載するのは、NNAFジャパンの佐藤大介さんとの語らいの一部である。伴さんは、脱原発へと向かった台湾を「成功例」だと語っていた。その実現を切に願ってやまない。 (鈴木真奈美)

佐藤 伴さんにはノーニュークス・アジアフォーラムでだいぶお世話になりました。伴さんは2000年から11年までの6回のアジアフォーラムに参加してくれた。日本での、2000年、08年、11年のフォーラム、台湾での、2002年、05年、10年のフォーラムで、伴さんが主に各国報告での日本報告をやってくれた。とくに08年の柏崎と東京でのフォーラムと、11年の福島、東京、祝島、広島でのフォーラムでは、伴さんが、実行委員会での重要な役割を担ってくれた。1990年代のノーニュークス・アジアフォーラムへの原子力資料情報室からの参加は、⾼⽊仁三郎さん。最近だと、松久保さんとか。

鈴木 90年代は、仁三郎さんだったんだ。

佐藤 93年の第1回の日本のフォーラム、95年の第3回の台湾のフォーラム。97年のフィリピンでの第5回フォーラムも仁三郎さんだった。伴さんが参加した2000年代はじめのころの台湾は、民進党の陳⽔扁が総統になって、第四原発の建設が、⼀旦は中⽌の⽅向になったのに、妥協しちゃって、2001年から建設再開になって運動が落ち込んでる時期で、02年や05年のフォーラムは励ます意味もあった。

鈴木 そのころに伴さんが台湾に行ったんだ。

佐藤 2003年は、アジアフォーラムじゃないんだけど、台湾で開催された「全国非核家園⼤会」。

鈴木 伴さんは台湾に何回も行かれたのね。

佐藤 そうそう。アジアフォーラムのときだけで3回、それだけじゃなく、それ以外のいろんなシンポジウムとか、こういう非核家園⼤会とかに呼ばれて⾏った。伴さんはニュースレターに、全部、報告記事を書いてくれている。原⼦⼒資料情報室通信にも書いているけど、主にこちらに詳しいのを書いてくれている。そのころは、国⺠投票をどうするかと。⺠主化運動の象徴の林義雄さんをはじめとして、第四原発の国⺠投票を要求していたけど、第四原発現地の貢寮の⼈は「⼤丈夫か。全国でやったらどうなるのか」って⼼配したり。そういう議論があった時期。順番が逆になってしまったが、その前、2000年に台湾では「持続可能エネルギー国際会議」というのがあり、伴さんが出て報告した。

鈴木 つまり、伴さんは毎年⾏ってたんだ。

佐藤 2001年は台湾で国際新エネルギーシンポジウム。伴さん、現地にも何回も行ったよね。

伴  うん、何回も行った。

鈴木 第四原発現地で印象深かったことは?

伴  ⼀番の思い出は、あの海岸で泳いだこと。第四原発のすぐそばの海で。

鈴木 泳いだんだ。そのころってまだ砂がちゃんとあったのかしら?

伴  いや、だんだんだんだん、なくなり始めたころだったと思う。

佐藤 日本でのアジアフォーラムのときも上関原発予定地の近くで泳いでたよね。

伴  ガハハハッ

鈴木 伴さん、泳ぐの好きなんだ。

伴  好き。

鈴木 第四原発のそばの海の砂が少なくなり始めたころかぁ。地元の人たちが必ず連れていってくれる媽祖(マソ)廟に行きました?

伴  マソ。印象に残ったのは、あれだ、道教といっしょくたになっているんだ。その辺がめちゃめちゃ面白かったね。マソ廟に⾏くと、表にはマソの像があって、ちょっと裏側、裏側というと変な言い方だけど、そこに神様がいた。

鈴木 民俗信仰っていうか、道教とか、いろんなものがごちゃごちゃになって、それが台湾らしいところですよね。

伴  そうそう。

佐藤 台湾の⼈と韓国の⼈、それぞれもちろんいろんな⼈がいるんだけど、台湾の人の方がなんか優しい、柔らかい感じがあるよね。

伴  はっは。

鈴木 でも、第四原発現地の貢寮の人たちって、世代にもよるけど、かつての貢寮の⽅々とか、実⼒⾏使派が昔はいたよね。今はいないけど。

伴  そうそうそう。

佐藤 呉文通さんにしても呉慶年さんにしても、怒ったら怖いね。我々と会ったときはニコニコしているけど、台湾電⼒が相手のときは、やるときはやるって感じで、怖いねぇ。

伴  はっはっは。

鈴木 そういった交渉みたいな相⼿とやりとり、やり合うところなんか⾏きました?

佐藤 たとえば、第二原発、第四原発のPR館で質疑応答するようなとき。台湾の人は普通は本当に柔らかい。いろんな⼈がいるけど。とくに呉慶年先生はやさしかった。

伴  そうそうそう。あぁ、懐かしいねぇ。

鈴木 日本語の通訳もやってくれたしね。私は台湾では娘のように本当に親しくしてもらって。お世話になった。

佐藤 そう。呉慶年先⽣とか、張国龍先⽣とか。

伴  あの人はさ、俺のおじさんと⽠⼆つの顔なんだよ

鈴木 へぇ、そうなの。2000年に台湾でエネルギーに関するフォーラムがあって、⾼⽊さんが亡くなる直前に台湾の皆さんに向けて書いた遺稿を携えて伴さんが来てくれて、それを会場で読み上げてくれた。そのフォーラムの最中に、陳水扁政権が第四原発中止を宣⾔したんだよね。その一報を受けた張国龍さんが壇上で、歓喜の声を上げるのをこらえるみたいに、照れたような顔しながら、それでも喜びで頬を赤らめて「中止が決まった」と言ったら、私の隣にいた伴さんが、「張国龍、カッコイイなぁ」とつぶやいたのを覚えている。

佐藤 「持続可能エネルギー国際会議」ね。これが伴さんの写真。アジアフォーラムの10月のニュースレターに、報告記事を書いてくれた。

伴  そうだった。

佐藤 首相が第四原発建設中⽌と発表した。その後巻き返されちゃうんだけど。一番せめぎ合っているころにも伴さんが行ってくれた。

鈴木 それと、本当にいいことをやってくれたと、今更ながら伴さんに感謝しているのは、台湾電力が再処理契約をフランスと締結しようとしてた時に、台湾にすぐに来てくれたこと。2015年だったね。

伴  あぁ、あった。

鈴木 台湾の人たちにとって再処理は寝耳に水で、それが何を意味するか、運動関係者でさえ把握していなかった。何しろ、突然、出現したわけだから。当時、第一原発と第二原発の貯蔵プールが満杯になりつつあり、乾式貯蔵施設を建設するとしても間に合いそうもない。そこで台湾電力は、使用済み核燃料の再処理を海外に委託することにし、その入札を行おうとしていた。再処理の道を開いたら、脱原発が困難になるので、とにかく再処理契約は絶対に止めなくちゃいけないと思い、こっちでこんなことが起きていると伴さんに電話をかけたら、すぐさま飛行機を予約して、文字通り、飛んできてくれた。大きなシンポジウムをやる時間的余裕はなかったから、運動関係者を呼んで伴さんに話してもらったり、メディアのインタビューを入れたりして、再処理がなぜダメなのか、知ってもらう場を設けた。その後、米国やフランス、イギリスの人たちも動いてくれて、そこまでいけば、台湾の運動は強いし、議員も再処理代金が高いことを理由に、立法院で反対し、契約を潰してくれた。

佐藤 馬英九が第四原発を凍結したあとだね。

鈴木 はい。再処理をめぐる伴さんの貢献は、目立つ活動じゃなかったけど、台湾にとって極めて重要で、もしも、あの時、再処理契約が締結されてしまっていたら、今の台湾はないと思う。

佐藤 真奈美さんは、台湾にどのくらいいたの?

鈴木 断続的に合計で5年くらいかな。あとは、短期的な訪問。

佐藤 フランスとの再処理の契約反対は、すごい重要だったよね。

鈴木 こういう連携もそうだけど、ノーニュークス・アジアフォーラムの意義のひとつは、輸出する側と輸入する側の市⺠運動が一堂に会しているというところだと思う。その辺りで何か思い出話ある?

佐藤 タイでは福島原発事故の直前に、候補地がいくつもあって原発建設計画がぐいぐい進みそうな感じだったけど、福島事故が起こって、すぐに、原発予定地の各現地で運動が盛り上がって、あっちで二千人、こっちで何百人、っていうデモが3月にバァーンと起こって、原発建設計画は延期になった。講演に呼ばれた伴さんが4月にタイに行ったとき、2011年の夏にタイでノーニュークス・アジアフォーラムが開催される予定だったけど、日本で開催してほしいと言われた。

鈴木 それで日本でやることになったのね。

佐藤 もしも福島事故がなかったら、もちろん、ない方がいいに決まってるけど、福島事故がなかったら、タイでは原発がどんどん建ってかたもしれない。

鈴木 タイだけじゃなく、インドネシアとかもどうなんだろう?

佐藤 インドネシアとフィリピンで90年代に進められようとしたけども頓挫して、2007年と2009年に、それぞれ復活してきた原発計画をつぶしてるんだよね。

鈴木 ではあのころは、原子力産業界にとってタイが⼀番有望だったわけだ。

佐藤 そのころはね。ただもう本当に我々にとって問題なのは、やっぱり原⼦炉を輸出しちゃった台湾。伴さんが本当に台湾に関わってくれた。日本の原発輸出問題は、90年代はインドネシア、その後は、トルコ、ベトナム、インドとか他の国の話もあるのだけど。

鈴木 輸出した側である日本ということもあって、台湾っていうのは伴さんにとっても関わりが強い国だったのね。

伴  交流というか、運動の連帯が広がっていた時期でね。それはすごかったと思うよ。

鈴木 運動の連帯というのは、他に具体的な例ありますか? たとえば、原⼦炉の日本からの搬出のときとか。

伴  搬出阻⽌⾏動、やったんだっけ。

佐藤 やった。呉で2003年、日⽴の原子炉、2004年は横浜で、東芝の原子炉、海上で搬出抗議行動をやった。

鈴木 現地の⽅では?

佐藤 現地では搬⼊抗議行動。

鈴木 あと、他に何か具体的な例あるかしら。

佐藤 その前は、国会での追及とか。二国間協定がないのに、アメリカとの交換公文だけで原発輸出していいのかと。辻元清美さんや福島みずほさんとかが、質問や質問主意書など、いろいろ協力してくれた。

伴  そうそうそう。

佐藤 90年代後半から、日本で何度も原発輸出反対の集会や、交渉や、署名運動、広がらなかったけど不買運動も呼びかけたりとか。伴さんたちとよく⼀緒にやった。

鈴木 第四原発は成功例の⼀つだよね。ノーニュークス・アジアフォーラムで作ってきたネットワークや繋がりを土台としてお互いに連携しながら⽌めることができた。

佐藤 伴さん、今、成功例という言葉に、うなずいてたけど、第四原発が中止になって、台湾は脱原発に向かっている。本当によかったよね。

一同 笑い

佐藤 本当よかった。⻑いことやってきて。

伴  成功例だよね。かつての運動が、なんて言うか、世界的なネットワークの形成と、それによる共通の敵、というと、ちょっと強いかもしれないけど、共通の課題にみんなが一堂に、一緒に闘う組織が作られていった。

佐藤 2000年から2011年は、台湾の運動は落ち込んでる時期なんだよね。建設工事がどんどん進んでいた。

伴  そう、落ち込んでる時期だった。

鈴木 でも運動は続けていたんです。

佐藤 それが良かった、運動を続けて。日本でも原発のこんな問題があると伝え続けた。地震の問題とかABWRの構造の問題とか。

伴  そうそうそう。

鈴木 日本は他のアジアの国に⽐べると原発先進国なわけじゃないですか。同時に、いろんな事故の先進国でもあって、その事例を日本側から発信することは意義が⼤きかった。

佐藤 それを伴さんがやってくれた。2000年から2011年までの間、台湾の運動は落ち込んでるけども続いている。集会や、記者会⾒、台湾電⼒との交渉とかで、こんな問題がある。あんな問題があるって、やり取りした。そんな様々なことをやっていく中で、建設を遅らせてきたし、運動を続けてきたその流れの中で、福島事故の後の爆発的な盛り上がりと、建設中止に繋がっていったわけだから、成功例と言っていいのかな。90何%できちゃったっていう中で、もう駄目だなと思ってたけど、2011年、12年、13年、14年の台湾の人たちはすごかった。ずっと繋げてきたから、続けてきたから。

鈴木 運動を繋げてきたなかで、たとえば2010年のノーニュークス・アジアフォーラムで、地震と原発の問題の話があったそうだけど。

佐藤 2010年のノーニュークス・アジアフォーラムで、立法院で公聴会をしたんだけど、台湾電⼒が「第四原発の耐震は400ガルだ、⾮常に優れている」とぬかしやがるんだよ。

伴  笑

佐藤 で、伴さんが、(伴さんの声を真似して)「それでは駄⽬なんだ」と。

伴  公聴会っていうのがあるんだよね。

佐藤 日本で⾔ったら国会議員会館での集会、院内集会と似てる。台湾電⼒が「400ガルは日本での800ガルに相当する」なんてとんでもないことを言ったんで、伴さんが「それはインチキだ!」って発言した。伴さん、覚えている?

伴  うん。この写真の顔、院内集会みたいなかたちでのやりとりとか、結構覚えてる。

佐藤 いやぁ、話してるといろいろ思い出すね。芋づる式に。

鈴木 20何年間の話をしてるわけだから、つきないよね。⽴法院の公聴会のとき、どうでしたか?

伴  結構ね、シビアなやりとりは、シビアというか、結構しっかりした相手とのやりとりをした記憶はある。意外と、食い下がっていたと。

鈴木  自分が?

伴  そう。

鈴木 そのときは呉慶年さんが通訳だった?

伴  呉慶年先生? 違うよね?

佐藤 ダンギンリンくんだったかな。

鈴木 ギンリン君、懐かしい。台湾って若い世代がどんどん⼊ってくるっていうのがすごいよね。元気づけられる。

佐藤 ベテラン連中も頑張るし、若い連中もどんどん増えてきて、いいね

鈴木 日本はベテランが頑張ってる(笑)。日本ではノーニュークス・アジアフォーラムは運動のひとつだけど、台湾にとっては世界とつながる、きわめて重要な存在であり、運動の中で確固たるポジションを築いてきたと思う。その中で、伴さんがどういう貢献をしたのかが分かった。他の国ではどうかしら。

佐藤 伴さんは韓国にも何回も行っている。

鈴木 韓国の思い出は?

伴  マッコリが思い出。

鈴木 翌日⼤変だったんじゃない、酔っ払って。  マッコリ以外に思い出ある? 韓国も原発現地にずいぶん行ったの。

伴  ⾏きましたね。韓国のノーニュークス・アジアフォーラムの仲間が案内してくれて、韓国の原発は全部回ったよね。

鈴木 全部回ったの? すごい数だと思うけど。あ、そうでもないか。場所は4つか。

鈴木 情報室は海外の団体や個人と連絡取り合ったり、交流してるけど、定期的というか、コンスタントなのはやっぱり、ノーニュークス・アジアフォーラムなんじゃないかしら。

佐藤 30年間で20回のフォーラムをやっている継続的なのは特色。単発的に盛り上がる国際会議、シンポジウムというのは色々あるけれど、継続的にやってるっていうのは特色だよね。

鈴木 最後に、ノーニュークス・アジアフォーラムのエピソードとか、こういうことをやればよかったなみたいなことありますか? 伴さん、一言ある?

伴  俺は受⾝なところがあるから、積極的にこうやっておけばよかったというのはないけれども、要は、連帯と発展のキーだよね、ノーニュークス・アジアフォーラムというのは。毎年のように定期的にずっとこれを続けてきてる。そして、なんだかパワフルな女性たちが、ある種、核を作ってるよね。

鈴木 パワフルな女性?

伴  プナール・デミルジャン、トルコの。

鈴木 韓国もそうだし、台湾もそうだけど、女性たちが、みんなすごく強いよね。フィリピンのコラソンさんとかね。ノーニュークス・アジアフォーラムですごいなと思うのは⼥の⼈たちが強くて、活発で、活躍してて。

佐藤 金福女さんや、インドのヴァイシャリさんも。

鈴木 ノーニュークス・アジアフォーラムがずっと続けられてきてるのは、やっぱり⼥性の⼒っていうのがあるような気がする。

佐藤 その通り。伴さん、今、受⾝なところがあるけどとか⾔ったけど、2008年の日本でのフォーラムは伴さんが中心になって呼びかけてくれたんだよ。

鈴木 呼びかけ、伴さんだったの?

佐藤 そう。原子力資料情報室、原水禁、ノーニュークス・アジアフォーラム・日本事務局の3者で主催して、このときは伴さんが中心だった。2007年の新潟の中越沖地震の後、台湾での気候変動・国際NGOフォーラムで伴さんが環境保護連盟の施信民さんから、「来年、ノーニュークス・アジアフォーラムを日本で地震をテーマにしてやってください」と言われたの。それで伴さんが中心になって呼びかけた。2011年のときも、伴さんが積極的にやってくれた。福島事故の後に。

鈴木 伴さん、ノーニュークス・アジアフォーラムやってて楽しかった?

伴  楽しかった。楽しかった理由はやっぱり、広がりがすごく作れたこと。

鈴木 確かに、広がりが実感できるよね。実際に止めてきたていう実績も作っているし。

・・・ 後略 ・・・

鈴木 今日は、大介さんに大阪から来ていただき、ノーニュークス・アジアフォーラムの話をしていただきました。お疲れさまでした。

中島 佐藤さんがいたから、伴がいろいろ話してくれた。オーラルヒストリーで一番輝いていたのは今日だよ。

(*中島さんは伴さんのお連れ合い)

鈴木 こんなことあった、あんなことあったと思い出すことができたね。伴さん、のどかわいていない?

伴  大丈夫、大丈夫。

佐藤 また来ますよ。

伴  ありがとう

(収録日:2024年5月10日、文字起こし協力:原子力市民委員会事務局)

台灣環境保護聯盟「伴英幸先生を偲ぶ」
原子力情報室共同代表 伴英幸先生ご逝去の悲報を知り、誠に残念です。
彼は台湾の反原発運動を支援するために何度も台湾に来てくれました。
私たちは、伴英幸先生の友情と反原発運動への貢献をいつまでも忘れません。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信193号
(25年4月20日発行、B5-32p)もくじ

・原子炉施設規制法改正反対、台湾を守る唯一の道はリコールだ
 (全国廃核行動プラットフォーム)
・ノーニュークス・アジアフォーラム ネクスト配信開始  (とーち)
・第2、第3原発の計画も進めるトルコで政権への大規模抗議 (森山拓也)
・原発は本当に安全なのか (小原つなき)
・尹錫悦罷免に伴う声明 (密陽765kV送電塔反対対策委員会)
・「尹錫悦罷免を越え、核のない世界に向け、脱核が民主主義だ」 (脱核市民行動)
・韓国済州島の海女さんたちを訪ねました (大河原さき)
・ベトナムの原発計画が再始動 (吉井美知子)
・新潟県民投票条例否決される (小木曽茂子)
・女川を核のゴミ捨て場にするな! 女川原発を廃炉に!  (多々良哲)
・北海道泊原発の現地から (佐藤英行)
・川内原発を動かすな (小川みさ子)
・3・22上関原発を建てさせない・核のゴミはいらない山口大集会  (三浦みどり)
・上関町での中間貯蔵施設の建設に反対する決議 (山口県田布施町議会)
・6.8「もうやめよう あぶない原発! 大集会inおおさか」 (木原壯林)
・311子ども甲状腺がん裁判について思うこと (阿部ゆりか)
・はじめての시위(シウィ) ~わたしたちにもできる!~ (渡辺あこ)
・伴英幸さんとの語らい -台湾とNNAFについて-

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。連絡ください → sdaisuke アット rice.ocn.ne.jp

   

NNAF ネクスト Youtube No.4/5/6追加配信!

ノーニュークス・アジアフォーラム ネクスト

Youtubeチャンネルで NNAF Next という配信番組を開始しました。
たまに地図やWebページを参照しますが、ほとんど音声のみですのでお気軽にお聞きください。気軽に作成してます 🙂
まだ3回ですが、3回目は脱原発に向かう台湾の最新状況などもお伝えしていますので特に聞いてほしいです。

■NNAF Next No.1 脱原発に向かう台湾 1回目 台湾の発展と民主主義の歩みが人々を脱原発へと向かわせた
今年、アジアで初となる脱原発を実現する見込みの台湾。
なぜそれが実現できるのか、1993年から台湾を見続けてきたノーニュークス・アジアフォーラム ジャパンがお話します。

■NNAF Next No.2 脱原発に向かう台湾 2回目 政治と企業の癒着がない歴史が台湾の躍進をもたらした
半導体やスマホなど目覚ましい発展を遂げる台湾の経済。
そこには財閥がほとんどない自由な企業文化があった。
その理由を歴史から紐解きます。

■NNAF Next No.3 脱原発に向かう台湾 3回目 議会では少数与党の民進党がなぜ脱原発に向かえるのか
2024年1月に民進党の頼清徳さんが総統に選ばれました。
しかし立法院では過半数を得ることができず、原発を運転延長する法案が検討されています。
最新情報も含めお伝えします。

■【NEW!】NNAF Next No.4 脱原発に向かう台湾 4回目 台湾の4か所の原発立地点巡り
台湾には4か所の原発立地点があります。
しかし4か所目の第四原発は稼働することなく脱原発に向かいます。
今動いている原発は一つだけ。
4か所の立地点を見ていきます。

■【NEW!】NNAF Next No.5 脱原発に向かう台湾 5回目 第四原発訪問1999年
1999年に訪れた台湾。そこでは日本から輸出される第四原発の建設が始まっていました。
なぜか建設現場にまで入っていける状況、
そして赤さびが浮き出た壁面。衝撃の実態がそこにはありました。

■【NEW!】NNAF Next No.6 脱原発に向かう台湾 6回目 林さんと放射能汚染マンション
前回に続き1999年の訪問時の写真から、原住民の林さんのこと、
原発の廃材でつくられた放射能汚染マンションのことなどをお話します。
冒頭では原発延長法案の最新状況をお伝えしています。
(日本でよく使われる「先住民」という表記の「先」は台湾では
「故」に近い意味があることもあり台湾で使われている「原住民」
という表記を使用しています。)

ノーニュークス・アジアフォーラムのYoutubeチャンネルではほかの動画もおすすめです。
チャンネル登録をぜひお願いします。
ノーニュークス・アジアフォーラムのYoutubeチャンネル

https://www.youtube.com/@NoNukesAsiaForum

非核亞洲論壇30年

高成炎(台湾環境保護連盟)

         1995年、第3回NNAF、3万人デモ

非核亞洲論壇(NNAF)は、アジア各国で開催され、反原発運動の国際的な連携を強化し、多くの政策転換を実現した。

私は数多くのNNAFに参加してきた。とくに、第3回NNAFは1995年9月に台湾で開催されたが、当時、私は環境保護連盟の副会長を務めていたため、NNAFの主催を担った。2011年、福島原発事故後の日本開催NNAFでは、呂秀蓮元副総統の参加を促し、福島災害地の視察を実施した。私はその後、『福島核災啓示録』を執筆・出版した。

NNAFは、発足から30年にわたり、アジア地域において核エネルギーの見直しとエネルギー転換を推進する重要な役割を果たしてきた。各国の草の根運動を結びつけ、長期的な影響を持つ成果を数多く生み出した。NNAFの中心的な議題は、地震が原発に及ぼす危険性、核廃棄物処理の問題、核エネルギー政策の影響、そして草の根抗争の国際的な連携である。その影響を以下にまとめる。

1. 核エネルギー危機の顕在化と抗議活動の拡大

2007年の日本・新潟地震は柏崎刈羽原発の安全問題を浮き彫りにし、NNAFは「地震と原発」というテーマに関心を寄せるようになった。

2011年の福島原発事故は反原発運動の大きな転換点となり、台湾第四原発阻止への闘い、インド・クダンクラムの非暴力闘争、韓国サムチョクの原発計画反対運動といった、アジア各国の抗争をさらに拡大させる契機となった。

NNAFは現地調査や住民交流、国際会議を通じて、原発がもたらす環境および社会的リスクを広く周知させた。

2. 政策変革と草の根運動の強化

ここ十数年間で、NNAFは政策の変革を促進し、2014年の台湾第四原発建設の凍結、2016年のベトナムにおける原発建設計画の撤回、2018年の韓国における原発拡張計画の中止を実現させた。

これらの成果は、NNAFが草の根運動を支援し、現地の住民と活動家に国際的なプラットフォームやリソース、自信を提供したことによるものである。

フィリピンのバターン原発やインドネシアのムリヤ原発の反対運動においても、NNAFは地域の運動を持続的な力へと変えて、住民たちは原発をくい止めてきた。

3. 国際連携とアドボカシー活動

NNAFは、アジア諸国の反原発運動の国際的連携を促進し、各国が原発情報や運動の成功事例を共有する場を提供することで、核エネルギーのリスクに対する一般市民の認識を高めた。

また、国際的な結束と協力を強化し、集団的行動を通じてアジアでの原子力産業の拡大を阻止してきた。

さらに、福島原発事故による汚染水の海洋放出に反対する国際署名運動など、世界規模のアドボカシー活動も展開し、110カ国から8万人以上の署名を集めることに成功した。

4. 無核化と平和的発展の推進

NNAFの30年間の活動は、無核化が決して達成不可能な目標ではないことを証明してきた。国境を越えた協力と草の根の力によって、NNAFはアジアにおける環境正義と平和的発展を推進する中心的なプラットフォームとなった。

今後も国際社会との連携を深め、政策変革を促進する使命を果たし、地球規模での無核化をめざして尽力していくものである。
(「台湾環境」25年2月号より、抜粋)

1995年、第3回NNAF、3万人デモ

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信192号
(25年2月20日発行、B5-28p)もくじ

・第21回ノーニュークス・アジアフォーラム in 台湾 - 開催のお知らせ    
・非核亞洲論壇30年 (高成炎)
・脱核運動の知彼知己  (キム・ヒョヌ)
・[脱核新聞座談会] 尹錫悦弾劾の局面で、脱原発運動は何をすべきか (キム・ヨングクほか)
・大統領弾劾の政局のなかでも原発の寿命延長、着々と進む (小原つなき)
・インドネシアは再び原子力の夢を見るか? (安部竜一郎)
・Nuclear-Free Future Award(核のない未来賞)を受賞 (S.P.ウダヤクマール)
・15万筆超えのインパクト ― 新潟県民は県民投票を求めている (水内基成)
・能登半島地震から14か月 ― 地震と原発避難 ― (堂下健一)
・能登半島地震から1年経っても地震は続く (川原登喜の)
・上関町で生きていく子供たちの為に  (清水康博)
・六ヶ所再処理工場とむつ中間貯蔵施設の現状 (山田清彦)
・核ごみ文献調査報告書が完成 (高野聡)
・福島原発事故被害は今 (宇野朗子)
・老朽原発の延長認可の違法性について初めての司法判断 (柴山恭子)
・使用済み核燃料の行き場はないぞ! 老朽原発うごかすな! (木戸惠子)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。連絡ください → sdaisuke アット rice.ocn.ne.jp

「気候危機の時代における原発輸出入政策への抵抗」・原発拡大への国際共同対応のためのウェビナー

オ・ソンイ編集委員 (韓国脱核新聞12月号より)

11月19日に開かれたこのウェビナーは、脱核新聞と反核アジアフォーラム(NNAF)、脱核市民行動、ユン・ジョンオ国会議員(進歩党)、国会気候危機脱炭素フォーラムが共同で主催した。ウェビナーは、キム・ヒョヌ氏とDJジャニエの共同司会で行われ、韓国とフィリピン、日本、トルコの脱原発活動家たちが各国の原発輸出入の現況とその問題点について発表した。

韓国の状況は、イ・ホンソク氏が紹介した。韓国は、米国やカナダなどから輸入して原発を建設してきたが、1990年代に原子炉を国産化し、2009年からはアラブ首長国連邦(UAE)に原発を輸出した。17年には英国ムーアサイド原発、22年にはポーランドにも原発輸出を試みたが、事業が失敗に終わったり取り消しになった。

イ・ホンソク氏は、最近、韓国がチェコに原発輸出を試みているが、ウェスティングハウス社が知的財産権を主張して訴訟を起こし、その結果は分からないと分析した。

現政権は「原発最強国」を成し遂げるとして大型原発輸出と小型モジュール原子炉(SMR)等を開発しているが、事業主体が公企業であるにもかかわらず、国民に収益性や安全性などに関して正確に知らされたことがなく、事業者が国会にも資料を提出していないと指摘した。

彼は、脱原発の労働者と共に、原発産業の正義的な転換への議論をすることが必要だと強調した。

フィリピンからは、「非核バターン運動」のデレック・チャベ氏が報告した。バターン原発は1984年に完成したが稼動したことがない。マルコス・ジュニア大統領は、父親の主要政策の復活の意味をこめて、候補時代から稼動を公約して推進している。

このための実行可能性調査を韓国の韓水原が費用まで負担しながら協力している。

しかし、バターン原発は、マニラ海溝に近く、断層帯と火山地帯に位置する立地的な問題とともに、核廃棄物に対する解答が出ていない。また、アンケート調査の結果、バターン原発のあるモロン地域の半分に近い地域住民たちが稼動に反対している。

デレック・チャベ氏は、「原発の輸入・輸出を阻止することは、核拡散を防止することだ」とし、「バターン原発の稼動を阻止するために、韓国の人々の役割が非常に大きい」と強調した。

原子力資料情報室の松久保肇事務局長は、日本の原発輸出計画失敗の歴史を紹介した。同氏は、「日本は福島原発事故前から自国内の新規建設が停滞するなかで輸出を試みた」と述べた。

日本は、2010年にベトナムと原発の輸出に合意したが、ベトナムの電力需要見通しの下方修正、費用、対外債務問題で、16年に計画が中止された。

日立は、英国で原発建設を引き受けたが、計画が取り消され、莫大な損失を被った。三菱重工業もトルコで原発の建設に参加することにしたが、費用が増加して撤収した。東芝は、米国の原発製造会社であるウェスティングハウス社を買収したが、建設費用が莫大に超過し、この買収によって東芝は破産寸前に追い込まれたと報告した。

松久保事務局長は、「世界エネルギー機関(IEA)の見通しによると、原発が増える主要な国は中国だが、中国は自国で部品調達が可能なため、中国への原発輸出は容易ではない」と述べた。

最後に、トルコ反核プラットフォームのプナール・デミルジャン氏が、民主主義が後退したトルコの社会全般の状況とともに、トルコの原発輸入問題を報告した。トルコ政府は「2050年ネットゼロ」を達成するために原発を3倍に増やすと発表し、3ヵ所で原発の建設と計画を推進している。

彼女はまず、シノップ原発の建設には、居住人口の増加、大規模な漁業被害、100万本以上の伐採など問題があり、事業者選定もされていないのに、トルコ政府は政治的な目的のために環境影響評価を承認したと批判した。

アックユ原発は、工事が遅れたために、まだ稼動していない。また、ロシア国営企業のロスアトムとその系列会社がアックユ原発の持分を大部分所有しており、電力需給においてロシア依存度が高くなっている。

プナール氏は、「ロシアでは反核運動が活発ではなく、トルコも最近、反核活動を行うことが安全ではない状況だ」とし、「国際的な協力が重要だ」と強調した。

その後、参加者たちは、原発が決して気候危機の代案になり得ないことについて、市民とより積極的に認識を共有し、原発の輸出と輸入を防ぐために連帯を強化しようと、意見を集約して行事を終えた。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信191号
(24年12月20日発行、B5-28p)もくじ

・「気候危機の時代における原発輸出入政策への抵抗」
  原発拡大への国際共同対応のためのウェビナー (オ・ソンイ)
・フィリピンと韓国が、バターン原発の実行可能性調査を開始することに対して、環境保護団体は警鐘を鳴らす (ハンナ・フェルナンデス)
・韓国の原発関連事情 (岩淵正明)
・日韓脱核平和巡礼2024 (昼間範子)
・老朽原発の寿命延長を中断し、原発振興の暴走を今すぐ止めてください (カン・オンジュ)
・柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で (大賀あや子)
・被災原発、女川原発を動かすな (日野正美)
・「動かすな!女川原発 11.2全国集会」でのスピーチ (武藤類子)
・島根原発2号機へ燃料を装荷せず再稼働をするな (広島県5団体)
・島根原発2号機の再稼働に怒る (芦原康江)
・東海第二を廃炉にして、原電自体の使命変えることこそ (披田信一郎)
・原発と核燃サイクルへ (片岡栄子)
・いらない!核のゴミ、止めよう!中間貯蔵施設 (安藤公門)
・放射能汚染土再利用にIAEA(国際原子力機関)が「お墨付き」
  環境省が進める放射能の全国へのバラマキにストップを (青木一政)
・浜岡原発の防波壁、28メートルにかさ上げへ (沖基幸)
・「12・8とめよう!原発依存社会への暴走 関電包囲大集会」に参加して (青山晴江)
・保養資料室《ほよよん》の近況・企画展「能登半島地震」 (宇野田陽子)

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各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況
■ インタビュー/エミリー・ファハルド
「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」
■「脱核を成し遂げよう」佐藤大介・小原つなき
■「原発輸出に血眼の韓国は加害者」イ・ホンソク


ヨン・ソンロク(脱核新聞編集委員)  脱核新聞10月号より


今年で30周年を迎えた反核アジアフォーラム(NNAF/No Nukes Asia Forum)が、9月19日から23日までの5日間、韓国で開かれた。20回目となる今回のフォーラムには、韓国をはじめ、日本、インド、台湾、タイ、オーストラリア、フィリピン、トルコ、8ヵ国が参加した。海外参加者は29人だ。フォーラム参加者らは、2025年の反核アジアフォーラムの開催地を台湾に決定した。

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況(ヨン・ソンロク

2023反核アジアフォーラムは9月19日、ソウルのカトリック会館で開会式を行った。開会式でヤン・ギソク神父(韓国組織委員会共同委員長)は「ノーニュークス・アジアフォーラムを30年間率いてきた日本事務局の佐藤大介さんをはじめとする皆さんに感謝と尊敬の気持ちを伝える」と述べた。さらに、「韓国の反原発運動がきちんと根を下ろしていなかったとき、日本の反原発運動家たちとノーニュークス・アジアフォーラムが大きな力になったという話を聞いた」とし、「これからは韓国でもアジア各国の反原発運動の力になれる方法を模索する」と話した。さらに、「原発は絶えず差別と不平等を生む」とし、原発による住民の健康被害と、絶え間ない抵抗について言及した。

佐藤大介反核アジアフォーラム日本事務局長は挨拶で、「ノーニュークス・アジアフォーラムの30年間は、人々のたたかいの歴史のたった1ページですが、たしかな1ページです。アジアの各地で、人々は原発を進めようとする支配者たちとたたかってきました。それは、民主主義を求めるたたかいとつながっています」と述べ、また、都市住民は、原発周辺の住民に対して加害者の立場、原発輸出国の住民は輸出相手国の住民に対して加害者の立場にあると話した。彼は、放射能の加害者にならないために、原発周辺の住民、輸出相手国の住民と手を組んでたたかう責任があると話した。そして、汚染水を海洋投棄する日本は放射能の加害国になってしまったとし、日本で反対運動を続けると話した。


初日、ソウルで開かれたフォーラムでは、各国の参加者が国別の原発状況を発表した。オーストラリアではウラン採掘による先住民族の被害が大きく、地震国トルコでは原発建設が続けられている。フィリピン、インドでは原発反対の闘いの過程で多くの犠牲者が発生した。日本、韓国などは原発輸出に長い間努力を傾けている。タイは最近、米国と手を組んでSMR(小型モジュール原子炉)を計画するとしている。
台湾は、長年の運動が実を結び、2025年に原発ゼロを実現する。


初日のテーマ別セミナーでは、「福島原発汚染水問題」「アジアの核兵器と平和」「気候危機と原発」をテーマに討論した。


2日目、釜山では、日本領事館前で福島汚染水の海洋投棄中止を訴える記者会見を行った。その後、密陽送電塔反対住民が参加するなかで、「原子力と国家暴力」「老朽原発寿命延長」をテーマにフォーラムを進行した。翌日午前にはコリ原発がある現地で「原発と住民被害」について共有した。


21日、蔚山(ウルサン)では蔚山市役所のプレスセンターで老朽原発の寿命延長中止を求める記者会見を開き、「使用済み核燃料処分問題」などのテーマでフォーラムを開いた。蔚山記者会見はいつにも増してマスコミ各社の取材熱気が熱かった。


22日、慶州と月城(ウォルソン)原発前で、「低線量被曝と住民健康被害、甲状腺がん訴訟」をテーマに討論し、その後、蔚珍(ウルチン)原発と、住民投票で原発建設計画を白紙化した三陟(サムチョク)の「原発白紙化記念塔」を訪問し、住民と交流した。


23日にはソウルで3万人の「9.23気候正義行進」に合流した。夜は、反原発・脱原発の青年活動家たちが交流会を開いた。


多くのマスコミが反核アジアフォーラムを取材して報じた。

2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会には43団体が参加した。フォーラム準備と進行、通訳と翻訳などには韓国組織委員会の多くの活動家などが格別な努力を傾けた。釜山、蔚山、慶州での集会は、地域の脱原発団体が準備して進めた。蔚珍と三陟では、現場を見学し交流するプログラムを実施した。ソンミサン学校の生徒たちもフォーラム全体の日程を共にした。韓国の原発地域の問題とアジア各国の反原発運動に接し、反原発運動の理解の幅を広げた。

■ 「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」インタビュー/エミリー・ファハルド(Nukes Coal-Free Bataan)

「原発地域住民の話を直接聞くことができた良い機会だった。いつも悲しい話だが、住民たちの要求を無視する韓国政府と原発会社に対抗して、今も自分の権利のためにたたかっているのは感動的だ。また、三陟(サムチョク)地域住民の闘争と勝利の話、慶州月城原発に反対する住民たちが続けている抗議行動と籠城テントに感動を受けた。

今回のフォーラムで最も印象深かったのは、多くの若者たちが参加する姿に接したことだ。若者たちと一緒に過ごしたことは楽しみとインスピレーションの源となった。
ノーニュークス・アジアフォーラムを続ける次世代人材を確保することが重要だ」  *抜粋

■ 「脱核を成し遂げよう」9・23気候正義行進の集会での発言/佐藤大介(反核アジアフォーラム日本事務局)、小原つなき(脱核新聞編集委員)

私たち日本人は、汚染水の海洋投棄を防ぐことができませんでした。日本はアジア諸国を侵略、植民地支配しましたが、今度は放射能の加害者になってしまいました。日本人の一人としてお詫び申し上げます。汚染水の海洋投棄を止めるために、今後も日本でも、反対し続けます。

1993年に発足した反核アジアフォーラムは、今年で30年目です。今回のフォーラムは、5日間の日程で、ソウルで会議を開いた後、釜山、古里、蔚山、慶州、蔚珍、三陟に行ってきました。韓国以外では、日本、台湾、フィリピン、タイ、インド、トルコ、オーストラリアから、29人が参加しました。


アジア各地の人びとは30 年以上、原発を推進する勢力と闘ってきました。脱原発運動は民主主義を求める闘いでもあります。


今、世界中で気候正義と脱原発を求める声が高まっています。原発は気候危機の解決策ではありません。事故の危険性と核廃棄物問題を抱えている原発は、差別と不平等を深め、むしろ再生エネルギーの拡大を阻みます。気候危機を口実にした「老朽原発の寿命延長と新規原発建設」に反対するアジア各国の脱原発運動に共に連帯してください。


私たちは、原発に対抗し続け、最終的には勝利するでしょう。それが歴史の必然です。しかし、できるだけ早く勝利しなければなりません。チェルノブイリや福島のような大事故が繰り返される前に、原発を終わらせなければなりません。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。私たちの子孫のために、一緒に脱原発を実現しましょう。脱核!

*영상映像(4分)
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0KaurFAqYh9jcR6iYL7tBToDSCXzFkMJRfsyCRYervM965xy43rq7zh5mVRZFAMdFl&id=100000477953354&mibextid=CDWPTG

* 佐藤大介さんは、反核アジアフォーラムの開始からこれまで日本事務局を担当・運営しており、事実上、全体事務局の役割も果たしている。アジア各国の反原発運動の情報を収集・発信し、30年間行われた反核アジアフォーラムを記録・整理して資料化している。(ヨン・ソンロク)

■ 原発輸出に血眼の韓国は加害者/イ・ホンソク(2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会)

7月、産業通商資源部は2027年までに約5兆ウォン規模の原発設備海外受注プロジェクトに挑戦すると明らかにした。同計画は、2030年までに原発10基を輸出するという尹錫悦政府の目標の一環だ。主事業者に選定されなくても、原発の周辺機器など各種設備プロジェクトに参加して、関連中小企業100社を育成するということだ。

09年UAEの原発受注後、韓国は海外原発建設プロジェクトに応札を続けている。しかし、いまだに、原発輸出問題は韓国の脱原発運動内部ですら注目されていない。


今年、反核アジアフォーラムを準備する際、海外の脱原発活動家から韓国の原発輸出計画の情報を求める要請を何度も受けた。


現在、事業者を選定中のトルコ原発建設事業に参加するため、韓電社長から尹錫悦大統領までがトルコに売り込み工作を行っている。タイには、韓国原子力研究院が研究用原子炉の輸出計画を推進している。韓国原子力研究院は、2009年にヨルダンへの研究用原子炉輸出に合意した後、釜山機張郡に輸出用新型研究炉の建設を進めている。


タイの仲間から、タイへの原発輸出計画について質問された。基本的な情報を伝えたが、「韓国ではまだ、本格的な原発輸出反対運動はない」とは言えなかった。


社会運動の進歩派から「原発輸出計画に反対するのは難しい」という声も聞いている。


脱原発運動の基本は「核のない世の中を作ること」であり、国内と国外を分けない。力量の問題で海の向こうの全ての国の原発に反対運動を展開することは難しいが、少なくとも、韓国が関与する海外核施設プロジェクトは韓国の脱原発運動の役割だ。


海外の脱原発活動家と専門家の助けがなかったら、国内の脱原発運動はここまで来れなかっただろう。


今回の反核アジアフォーラムは、多くの団体や各原発地域の人たちが一緒に準備して進めた。組織委員会執行委員長として足りない点もあったと思うが、世界5位の原発大国であり原発輸出国である韓国の脱原発活動家の視野が、反核アジアフォーラムを通じて一層広くなったことを願う。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信185号
(23年12月20日発行、B5-32p)もくじ

・各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流
  ― 2023反核アジアフォーラム、盛況 ― (ヨン・ソンロク)        
・「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」 (エミリー・ファハルド)
・「脱核を成し遂げよう」 (佐藤大介・小原つなき)             
・原発輸出に血眼の韓国は加害者 (イ・ホンソク)              
・核を越えて、平和のアジアのための青年活動家交流会 (コン・ヘウォン)   
・老朽原発と核廃棄場のない釜山へ (ミン・ウンジュ)            
・霊光ハンビッ1・2号機の寿命延長に反対する (小原つなき)        
・2023 NNAF釜山声明 「アジアの人々が連帯して核汚染水の海洋投棄に抗議し、
           核を超えて、生命と平和の世界へ」         
・2023 NNAF共同声明 「核を越えて、生命と平和のアジアへ!」       
・原発事故12年目の避難指示エリア 〜 抵抗する人びと (豊田直巳)     
・「脱核アジア連帯30年」 「韓国でNNAF第20回フォーラム」 
「アジアの脱原発運動30年、佐藤大介さん」 23.12                     
33年、未だに終結しない、オンカラック研究炉建設計画           
・柏崎刈羽原発再稼働 もってのほか! (小木曽茂子)            
・女川原発再稼働差止訴訟控訴審 (日野正美)               
・上関町民を苦しめ続ける中国電力を許さない (渡田正弘)         
・「原発のないふるさと」を語り継ぐことの大切さ (山中幸子)        
・東海第二原発の再稼働を許さない 11.18首都圏大集会 (小山芳樹)     
・「12.3とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会」に全国から結集、暴走止めよう!と誓った (橋田秀美)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。連絡ください → sdaisuke アット rice.ocn.ne.jp
 

ノーニュークス・アジアフォーラム 韓国 報告会『韓国の原発推進と、福島原発事故の今、そして汚染水問題』

お話:藍原寛子
(福島市在住ジャーナリスト。今回の「ノーニュークス・アジアフォーラム in 韓国」の記事を週刊金曜日10月27日発売号に掲載)

11月25日(土)14:30-(14:00開場)
大阪市立総合生涯学習センター第7研修室(大阪駅前第2ビル5F)

チラシPDF両面印刷 → https://nonukesasiaforum.org/japan/20231125pdf