33年、未だに終結しない、オンカラック研究炉建設計画

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オンカラック住民たちが公聴会を「粉砕」、9月10日

タイ・オンカラックで研究炉建設計画を推し進める関係機関は、「この研究用原子炉は集落に影響を及ぼさない」というデータを発表した。地域の住民は明確さを求め、反対を申し立てている。

「抵抗する考えの人はたくさんいると思います、原子炉をここに持ってきてほしくない。住民の苦しみが増します。その責任を誰がとるのですか」


オンカラックの農民、マーノップ・ケーオサリーさんの心配に満ちた声だ。彼は、何十年も、魚を飼い、田を耕し、えびを養殖してきた。彼の住む家は、オンカラック国家原子力技術研究所から1キロも離れていない。


マーノップさんは、国家原子力技術研究所の、医療、農業、工業のための新しい研究炉建設計画に反対する住民の一人だ。その原子炉は、オンカラック郡サーイムーン地区に招致、建設が計画されている。しかし、それはまた30年以上の長きにわたる住民からの反対という問題を切り離すことができない。


タイには、すでに研究用の原子炉がある。医療用ラジオアイソトープ(放射性同位元素)を生産するためのもので、バンコクのバーンケーンに建てられ、研究、医療、農業、工業、すべての分野で使うために1962年から稼働を始めた。


だが、この原子炉は1975年に1000kWから2000kWに改造されたが、能力に限界があった。そこで新しい研究炉を建設する計画が持ち上がったが、都市部の膨張でバンコクのバーンケーンに建てることは、もはや妥当ではなくなってしまった。


1990年、1万kW規模の新しいものを建設する案が内閣から出された。ナコーンナヨック県オンカラック郡サーイムーン地区が狙いをつけられ選ばれた地点だった。しかし、建設計画は、地域住民と研究者たちの反対のすう勢から中止をよぎなくされた。


2017年になり、再度、建設計画がもちあがった。このプロジェクトは3回もどってきたことになる。能力も2万kWに拡張され、公聴会も、第1回(2018年)、第2回(2019年)と開かれた。


そして、3回目の公聴会が、2023年9月10日に行われたが、地域住民の抵抗にあって、最終的にこの会は「流会」になった。


反対派ネットワークのリーダーの一人であり、ナコーンナヨック市民協会会長の医学博士スティ・ラッタナモンコンクン助教授は、「この研究炉建設計画は地域の住民にずっと反対されてきました」と語った。


「大きな問題の1つは、すなわち、建設地がナコーンナヨック川の近くに位置するということです。地域住民は、ナコーンナヨック県をバンコクやその隣接県の人々が心をなごませ休養に来るオアシスのような役割を担う所にしておきたいのです」


「オンカラックが研究炉の立地にどう適しているのですか、私たちの質問に答えてください。これだけは答えていただきたい。僕はこうくりかえし3回訊きましたが、彼らは何も答えませんでした」


 3回目の公聴会が「流会」になった後、ナコーンナヨック市民協会とナコーンナヨックの自然遺産を愛する人達のネットワークは共同して、オンカラック郡11の全地区で、このプロジェクトに反対する民衆の署名を集め、その8212名の署名付き書簡をタイ工業連盟(FTI)会長に申し入れた。また、次の機会にはナコーンナヨック県知事あてに書簡を提出する予定をしている。


(原文タイ語、翻訳:吉田かずみ)

【本『原発をとめるアジアの人びと』より】

1998年のNNAFのバンコクでの会議には、研究炉建設計画がもちあがっていたバンコク近郊のナコンナヨク県オンカラックの村人たちも参加した。96年に、応札した複数の海外企業の中からアメリカのゼネラルアトミック社が落札した。オンカラックは豊かな農業地帯であり、灌漑設備が非常に発達していてエビや魚の養殖も盛んである。予定地から4キロ以内に4つの学校と1つの病院がある。突然の研究炉計画は、地域の人々の不安をかきたてた。

2000年3月にはオンカラックから700人の村人たちが10台のバスを連ねてバンコクの科学技術省前につめかけ、激しい抗議行動をくり広げた。「コバルト60事故に対応できなかった原子力庁が、1万kWの研究炉を安全に運転することなど不可能だ!」と抗議の声を上げた。科学省副大臣が村民代表と非公開の協議を行ない、「地元が反対している限り、政府は研究炉の建設を許可しない」との念書にサインさせた。