ロシア製のクダンクラム原発の稼働を阻止しようと、2011年から住民たちは非暴力で、大規模な集会、デモ、道路封鎖、ハンガーストライキなどをくりかえしてきた。2012年9月に3万人が原発を包囲した大行動では、インド政府・警察の暴力的な介入によって2名の死者がでてしまった。日本がインドへの原発輸出を推進すれば、ここに書かれたような事態が再び引き起こされる可能性がある。インドに原発を輸出してはならない。
8856人の「国家の敵」が住む村 - 国家反逆罪の影のもとで暮らすクダンクラムの人々
文:アルン・ジャナルダナン 写真:アミルタラジ・スティーブン 「インディアン・エクスプレス」2016年9月12日付
9月5日、政府によって国家反逆罪とされた事件が最高裁判所で「国家反逆罪に当たらず」と判断されたその同じ日に、インド亜大陸の南端にある小さな村におかれたホワイトボードの字は、人々の手によって「1846日目」と書き換えられた。
今回の最高裁判所の判断は、ウダヤクマール氏が名指しされた一つの事案のみについてであったが、ウダヤクマール氏を含めてこの村の人々が罪状をかけられている事案は140件にも上る。
ここイディンタカライ村と、隣接するクダンクラム村では、2011年以来、ウダヤクマール氏を先頭にクダンクラム原発反対運動が激しく闘われてきたが、8856人の人々が21件の国家反逆罪の事件を起こしたとして「嫌がらせ」の罪状をかけられている。一度にこれほど多くの人々が同じ地域で国家反逆罪の罪を着せられるのは、前例のないことである。
これらの事案に何らかの重要性があると思っている人はいない。警察自体がとりわけそうなのだ。380件の犯罪被害証明書(そのうち240件は最高裁判所の命令を受けて2014年に取り下げられた)のほとんどは、まず最初にウダヤクマール氏の名前が書かれており、それに続いて5人から10人程度の個人名が並び、その次には「その他300名」あるいは「その他3000名」などと書かれているのだ。匿名を条件にインタビューに答えた警察幹部は「このように書かれている理由は二つある。一つは、誰でもその他の数百人の中に入る可能性があるという状態を作って、人々をおびえさせることだ。もう一つの理由は、数百人あるいは数千人の人々の名前をすべて記録することは不可能だからだ」と語った。
だから、5年がたった今も、10000人以上の人口を擁するイディンタカライ村の人々は国家反逆罪の影のもとで暮らすことを強いられているのだ。
国家反逆罪に問われた人々の多くは、インド刑法で定められた「国家に対して戦争を仕掛けた罪」の罪状でも21件の事件で訴えられている。この罪状は、最高刑が死刑となる。
罪を問われた人々のほとんどは、自分の事件がいったいどのような状態になっているのか全く知らされていない。自分が犯したとされる事案に対して発行された犯罪被害証明書を見たことすらない。21件の国家反逆罪に関して、これまでに取り下げられた事件はない。
■初めて国家反逆罪に問われた事件:2011年10月15日 名前があげられた人:10名
クダンクラム原発反対運動は、1988年から行なわれてきたが、2011年に爆発的に広がった。男性たちは漁に出ていることも多かったので、運動を実質的に守ってきたのは村の女性たちだった。
書類の中で名指しされているチェンマニ氏は語る。「はじめて国家反逆罪で人々が訴えられたのは、10月15日にクダンクラムの交差点で行なわれたデモ行進に対してでした」。彼も、クダンクラム原発に反対する団体PMANE(People’s Movement Against Nuclear Energy)と連帯していた。この事件では、ウダヤクマール氏とジェスライ神父も罪を問われた。
クダンクラム原発反対運動の中で300以上の犯罪被害証明書が作成されたが、その中で最も多く訴えられているのはウダヤクマール氏だ。彼は、21件の国家反逆罪の事件すべてと、21件の国家に対して戦争を仕掛けた罪の事件すべてと、100近い刑事事件で訴えられている。それも「だいたいの見積もりにすぎない」とウダヤクマール氏は笑う。インド市民でもっとも多くの国家反逆罪の事件で訴えられている人物でありながら、刑事事件の正確な数字が5年たっても明らかになっていないのだ。
ウダヤクマール氏を含めた反対運動参加者は、抗議行動をするために教会から違法に資金を入手した罪にも問われている。当時の大臣、ナラヤナサミ氏は、これまでPMANEを非難し続けてきた人物だが、この状況に関して問われると「どれも大臣だったときに言ったことだ。今の政府関係者に質問すべきだ」と答えた。彼は今でもPMANEが外国から不正に資金を得ていたと思っているのだろうか?「いまさら何を質問しているんだね? もう、すべて終わったことだろう」
ウダヤクマール氏にとっては、なにも終わってはいない。多くの罪に問われながら、彼は今まで裁判所から出頭命令を受けたことは一度もない。逮捕されたことも一度もない。2年前にネパールでの会議に参加しようとして、当局によって拘束されたことがあるだけだ。
チェンマニ氏は「これはあたりまえなことですよ。暴力もなければ、一般市民が脅かされる行為もなかったのですから。当局は、反対運動に参加する市民を脅迫しているだけなのです。罪を問われた人々の中には、逮捕されることを恐れて2年ほど村から外に出られなかった者も多くいました」
2014年10月に最高裁判所が事件の数を380件から140件へと減らすことを決定したものの、国家反逆罪と国家に対して戦争を仕掛けた罪についてはそのままにされた。
鉄道労働者の息子であるウダヤクマール氏は、ケララ大学でイギリス文学の修士号を取った後、エチオピアの学校で教鞭をとり、アメリカの大学で平和学の博士号を取得した。ドイツの緑の党運動に影響を受け、アメリカからインドに帰ると2000年に緑の党を立ち上げた。しばらくしてPMANEの代表に就任した。イディンタカライ村から40キロ離れたナゲルコイルに暮らし、妻と一緒に貧しい子どもたちのための学校を運営している。妻もPMANEの会合に参加したあと、国家反逆罪に問われている。
ジェスライ神父も、最初に国家反逆罪の罪を問われた人々の一人だ。彼はイディンタカライ村から80キロほど離れたチェランマハデヴィの出身だが、学生のころからクダンクラム原発反対運動にかかわっていた。そして2011年以降は教会に頼み込んで教区の仕事を免除してもらってまで抗議行動に参加していた。
ジェスライ神父は、反対運動に参加していることで、ティルネルベリの司教やデリーのカトリック高官らからくり返し警告を受け続けた。イディンタカライ村の人々のほとんどは、キリスト教徒だ。ヒンズー教徒の家庭は100世帯にも満たない。抗議行動が続けられている日数を記録し続けているホワイトボードに書かれた数字は、毎日人々の手で更新されて、1850日を数え、村のセントルーデス教会の前庭のわら屋根の下に立っている。そのわら屋根の下のスペースには、2000人の人々が入ることができる。
最初のうち、この教会は人々の抗議行動から距離を取っていた。「しかしこの教区の神父であるジャヤクマル氏は、じきに運動を支援せざるをえなくなったんです。だって、村全体が原発に反対なのですから。人々が集まれるように、教会の前庭に大きなわら屋根をつくったのですが、そのときには教会に許可を取りもしませんでした」と、国家反逆罪にも問われ、女性の活動家の中で最も長い期間収監されていたスンダリさんは語る。
やはり国家反逆罪に問われているアントニー・ケビストンはこう話す。「ジャヤクマル神父は、ティルネルベリの司教から何度も村を離れるよう説得されていたようです。でも彼は私たちの側に立ったんです」。 最初のうち、この教会は人々の抗議行動から距離を取っていた。「しかしこの教区の神父であるジャヤクマル氏は、じきに運動を支援せざるをえなくなったんです。だって、村全体が原発に反対なのですから。人々が集まれるように、教会の前庭に大きなわら屋根をつくったのですが、そのときには教会に許可を取りもしませんでした」と、国家反逆罪にも問われ、女性の活動家の中で最も長い期間収監されていたスンダリさんは語る。
しばらくして、警察が村に入ろうとするたびに、セントルーデス教会の鐘が打ち鳴らされた。危険なので、みんな教会の建物の前に集まりなさい、というサインだった。
2014年、ジェスライ神父はティルネルベリから庶民党候補として出馬した。ウダヤクマールも同様に出馬した。ジェスライは、自分たちの代表が国会に行かなければ、この問題は決して解決しない、と教会の上層部を説得した。教会は彼を停職処分とした。彼は選挙に落選し、いまは再び神父としてティルネルベリに近いパラヤムコッタイの教会にいる。「10以上の国家反逆罪を含めて135以上の事件で罪を問われていますが、私は運動にかかわったことを後悔していません」と語る。
アントニー・ケビストにいてくれたことで抗議行動が「円滑で平和的な」ものになったと述懐する。「ジャヤクマル神父は教区の神父として、ジェスライ神父は神父と活動家の両方の役割を果たしてくれました。彼はいつも先頭に立ってくれました」
■2011年11月22日に国家反逆罪に問われた事件 名前があげられた人:17名、その他600名
■2012年4月22日に国家反逆罪に問われた事件 名前があげられた人:17名、その他425名
■2012年5月7日に国家反逆罪に問われた事件 名前があげられた人:ウダヤクマール、その他2265名
■2012年5月7日に国家反逆罪に問われた事件 名前があげられた人:ウダヤクマール、その他565名
2012年に、1号機の運転開始の予定日を前にして、村人たちは近隣の村や町にも反対運動を拡大していった。20000人前後がそのときは抗議行動に参加していた。
これらの犯罪被害証明書を参照していくと、何人かの人々の名前がくり返し出てくる。アントニー・ケビストンは、イディンタカライ村で文房具店を営んでいた。プシュパラヤンとムギランは、村人を支援するために村外からやってきた活動家だった。ミルトンは、運動のリーダーの一人だった。先述のスンダリ、そしてミルドレッドは、PMANEのデモを率いてきた女性だ。アーディ・リンガムは65歳、視覚障害のある日雇い労働者だ。そして、ジェスライ神父とジャヤクマル神父。
国家反逆罪を含めて100以上の事件で罪を問われているケビストンは、抗議行動のメディア担当として、運動の様子を発信していた。「BNSLダイアルアップのコネクションがあったので、抗議行動の様子を常にリアルタイムでアップデートしていました」。彼がアップした動画の中でトラブルを引き起こしたのは、3歳の娘が反原発の歌をうたっているものだった。
「彼女はよく反原発の歌を歌ったり、スローガンを叫んだりしていました。ジャヤラリタ州首相に文句を言ったりすることもありました。そんな普段の姿を撮ったものだったのですが、それをアップした後、怪しい人物らが来て私の店に放火したのです。娘は心底怯えていました」。ケビストンの妻のマヘスワリはそう語る。彼女も原発反対のハンストに参加して10日間断食を行なった。「ケビストンは、3年間にわたって村から出られませんでした。村を出たら逮捕すると脅されていたからです。イディンタカライ村から外の世界に出るには、クダンクラムを通る一本きりの道を通らなければならないのです。そこを通らないとすれば、森の中の小道を通るしかありません。彼の妹が結婚式をあげた日には、森の中の小道をこっそり伝って彼女を花婿の家まで連れて行かなければなりませんでした」
44歳のミルドレッド・ラジは、3人の子どもたちと一緒に抗議行動に参加してきた。国家反逆罪を含めて100近い事件で罪を問われているにもかかわらず、彼女はほぼ毎日子どもたちと教会に来て抗議行動に加わった。18歳の次男は工学部で、20歳の長男は海洋学部で学んでいた。19歳の長女は大学生だ。ミルドレッドは「勝つまで、ここに来ることをやめません」と語る。
ミルドレッドは、原発の科学技術的な側面については知識がない。しかし彼女は言う。「原発が安全だというなら、なぜ原子炉緊急停止がくり返されているのでしょうか? なぜ運転開始のテストが何度も失敗して、発電開始の日がどんどんずれ込んだのでしょうか? これまで何人の科学者が安全基準で定められたやり方に背いて罰せられてきたでしょうか?」
68歳のリーラも、いくつもの刑事事件でミルドレッドとともに罪を問われているが、彼女らはティルネルベリの地方長官事務所でヒンズー至上主義者たちから襲撃されたことがある。「外国から不正に資金を得て活動している不届き者」とのレッテルを張られたのだ。
「彼らは、ヘルメットをかぶってやってきて、私たちを襲撃したんですよ。私はいつも教会に来て反対運動に参加しています。私はこの場所で死ぬのかもしれませんよ」と笑う。
■2012年9月に国家反逆罪に問われた6件の事件
・9月10日
名前があげられた人:一つ目の事件では49人の名前と、その他100名。二つ目の事件では、48人の名前と、その他300名。三つ目の事件は18人の名前と、その他50名。四つ目の事件では、ウダヤクマールの名前と、その他5000名(これはのちに、その他2000名と書き換えられた)
・9月11日
二つの事件で名前があげられた人:12人の名前と、その他3400名
2012年9月、教会に入ろうとした女性や子どもたちに警察が襲いかかって、警棒で殴りつける事件があった。
9月10日に、四つの事件で約5500名が国家反逆罪に問われた。
9月11日には、さらに2つの事件で3000人以上が国家反逆罪に問われた。
40歳のスンダリは、300以上の事件のため、98日間をティルチラパッリの拘置所で過ごした。そのうちの少なくとも12件が国家反逆罪だった。9月10日の海岸での弾圧での逮捕だった。スンダリは抗議行動の女性委員会のリーダーだった。女性委員会には85名ほどのメンバーがおり、数百人の女性たちを組織していた。
スンダリが収監されていた間、子どもたちの世話は漁師である夫の仕事となった。9歳の息子と1歳の娘だ。
「警察は、私が裁判所に出廷するとき、子どもたちが私に近づくことを禁じました。子どもたちは泣き叫び、私が乗せられている警察車両の周りを駆け回り、どこかから中に入れないかと必死に探していました。車が動き出すまで、ずっと私を求めて走り回っていたんです。そのときは涙が止まりませんでした。収監中に私が泣いたのは、そのときだけです」
自分の信念に従って行動していることに誇りをもちながらも、スンダリは母親としての義務を放棄してしまっているのではないかと自分を責めたという。
釈放されたあと、彼女は自分の経験を本にまとめた。書かれたエピソードのなかには、夫との電話を許されたスンダリが、料理のできない夫におかずの作り方を教えたという話もあった。
スンダリは国家反逆罪で逮捕された女性としては、最も長い期間を獄中で過ごした。「2012年9月10日に逮捕されたのは、63人の男性と、私を含めて7人の女性でした。4人の女性は45日で保釈されましたが、ほかの2人が保釈されたのは80日後でした。私は『テロリスト』とレッテルを貼られていましたので、98日後に条件付きの保釈となる前にマドラス高等裁判所に行かなければなりませんでした」
その保釈の条件とは、2ヶ月間にわたり、村から240キロ離れたマドゥライにある三つの警察署に毎日出頭して署名をすることだった。彼女はその条件を満たすために、村に帰る前にマドゥライの女性用ホステルに滞在して毎日出頭しなければならなかった。そして村に帰ってからは、半年間クダンクラムの警察署に毎日出頭することが義務づけられたという。
「警察と政府と裁判所が協力して、私たちの運動を潰そうとしました。政府も裁判所も、私たちに課せられた罪が妥当なものなのかどうか考えもしませんでした。それどころか、私たちをわざと遠方の拘置所に送って嫌がらせをしたのです」と彼女は語る。
スンダリの家族は親戚から今も村八分の扱いを受けている。「反国家的」のレッテルを貼られた代償だ。
国家反逆罪で訴えられた村の若者たちも、ブラックリストにのせられてしまったために大変な苦労に直面した。海外へ行く計画をもっていた若者たちが、その夢をあきらめざるをえなかった。パスポートを申請しても、手続きに気が遠くなるほどの時間がかかったりもした。工学の学位をもつ26歳のヴィノドは、4年越しで申請して、やっと最近になってパスポートを入手した。「ドバイで工学の知識を活かして働ける企業3社から内定をもらっていたのに、パスポートが発行されなかったために、どれも棒に振ってしまいました。私にかけられている罪状は明確なものではないのに、当局はパスポートの発行を遅らせたのです」と悔しがる。
■2016年8月10日:クダンクラム原発の引き渡し式典
国家反逆罪に人々が問われている事件は21件のまま
この式典はビデオ会談方式で行なわれた。モディ首相はデリーから、プーチン首相はモスクワから、ジャヤラリタ州首相はチェンナイから参加して、クダンクラム原発は世界でも最も安全な原発であると語り合った。クダンクラム原発のスンダル所長は、「地元の人たちは、何の知識もないのに危険だと言い立てる。何度も住民たちに会って話し合ったのに、どうしてもわかってくれない。中央政府から複数の省庁の役人や専門家を送り込んで、必要なプロセスをすべて踏みながら行なわれたプロジェクトだ。住民が理解してくれなかったことは残念だ」などと語った。
長いながい闘いの、曲がりくねった道を歩き続けて向き合うこととなったその日にも、イディンタカライ村の教会では女性たちが集まって抗議行動を行なっていた。毎晩誰かが泊まり込んで、抗議の声をあげ続けている。
今も教会に通い続ける人々の中に、スンダリもいる。テレビドラマが大好きな普通の主婦だった彼女が、勇猛果敢なリーダーへと成長した旅路について語ってくれた。「都市に住んでいる人たちにしてみれば、私たちみんなが字も読めない無学な田舎ものに見えるのでしょうね。彼らは、英国式の教育を受けてきたエリートだから。彼らは、自分たちの家のエアコンを動かして、オフィスの電子機器やいろいろなぜいたく品を動かす電気をつくるために、私たちの村に危険な発電所を建てることに何の良心の呵責も感じないのです。でも、私たちは知っているんです。どれだけ原発が危険なのか、そして、インド政府がどれくらい無能なのかということを。2004年に津波がこの町を襲ったとき、私たちを助けに来た人はだれ一人いなかったんです。大きなロケットを作ったり衛星を飛ばしたりしているけれど、津波が来るってことを予想することもできなかったんです。無茶苦茶なやり方で原発を押しつけておいて、すべて安心だと信じろと言われても、できるわけがありません。とにかく、私たちは闘いをやめるわけにはいかないんです」
ある政府高官はこう語った。「このような事件のケースでは、おおむね半年もたてばファイルの上に『これ以上の手続きは行なわず』と書いて取り下げるものなのです。しかしクダンクラムとイディンタカライの場合は、村人たちを監視し続けなければならない非常に特殊なケースだったんです。国家反逆罪の罪に問われた状態のままにしておくことです。彼らの怒りに冷や水を浴びせて、おとなしくさせておく。8000人以上の人々が罪を問われていれば、再びあのような抗議行動をしようとは思わないでしょうから」
罪を問われている人々に対してさらなる圧力をかけていくのかどうか問うと、「これ以上、事件について調査を行なったりする予定はありません。これらは、人々を怖がらせるためのものです。この5年間をふり返ってみると、ランダムに8000人の住民を国家反逆罪や国家に対して戦争を仕掛けた罪で訴えるという方法は、十分に目的を果たしてきていると思います」
スンダリは「政府の思うように進むでしょうか」と話す。イディンタカライ村の浜辺に佇んで、今訴えられている罪もこれから掛けられる罪も、彼女にとってはたいした意味をもたないと語った。「彼らが私たちをテロリストと呼ぶなら、呼ばせておけばいいのです。私たちは、自分たちがだれなのかちゃんと分かっているんですから」
(訳:宇野田陽子)
ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.142より
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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信142号(10月20日発行、B5-28p)もくじ
●インド・ジャイタプール原発の撤回を求めて非暴力の抗議行動(ヴァイシャリ・パティル、ラリター・ラームダース)
●インド・8856人の「国家の敵」が住む村 ― 国家反逆罪の影のもとで暮らすクダンクラムの人々(アルン・ジャナルダナン、アミルタラジ・スティーブン)
●南オーストラリア州を世界の核のゴミ捨て場にするな!(南オーストラリア州環境保全協会)
●フィリピン・ドゥテルテ政権のバタアン原発復活の動きに抗議する(非核バタアン運動)
●最大級地震、韓国に衝撃 揺らぐ原発安全(中野晃)
●国内最大規模の地震が発生、原発が危険だ ― 老朽原発を閉鎖し、新規建設を中断しろ ―(核なき世界のための共同行動)ほか
●川内1号機は、2度と動かさない ― 11月13日に全国集会を開催(向原祥隆)
●注目される全国一番手に再稼働した川内原発定期検査後の稼働(小川みさ子)
●「原発輸出とアジアの反核運動のいま」講演会報告(安楽知子・杉本皓子・笹木基根)
●原発メーカー訴訟原告団設立に向けて(原告団・弁護団)
年6回発行です。購読料(年2000円)
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sdaisukeアットマークrice.ocn.ne.jp
★NNAF通信・主要掲載記事(No.1~141) http://www.nonukesasiaforum.org/jp/keisaikiji.htm
★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm