9月7日、韓国ソウルでの「907気候正義行進」に、615の市民団体、3万人が参加し、「気候じゃなくて、社会を変えよう」「気候正義の始まりは、脱原発から」と訴えた。
気候正義行進への参加と合わせて、韓国・脱核新聞とノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパンが、韓国、台湾、日本の若者たちによる「東アジア脱原発青年交流会」を開催した。気候正義運動と脱原発運動をつなげ、国境を越えて互いを理解し、共感を深める機会とするための若者同士の交流を強化すること、そして、2025年に台湾で開催予定の「NNAF青年交流会」につなげることを目的とした。
【報告】 渡辺あこ(일팬solidarityclub)
9月7日の午前中は、西大門刑務所を訪問した。市民の抵抗と暴虐な権力の歴史を改めて感じることができた。ランチには、脱核法律家の会「ひまわり」のキム・ヨンヒ弁護士も参加して、携わっている気候訴訟についての話を伺った。8月29日に憲法裁判所が、炭素中立基本法に対して、2031~49年の削減目標を示していないため将来世代の環境権などを保護していないと指摘し、憲法違反だとする判決を下したのだ。
14時、大企業本社が集中する江南(カンナム)で、907気候正義行進に参加。
まず、前段の脱原発集会。初めのあいさつで、脱核蔚山(ウルサン)市民共同行動の天道僧侶は、憲法裁判所の炭素中立法・憲法不合致判決にふれて、「高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)も、未来に過重な負担を負わせている。安全なエネルギーへの転換が政府の緊急課題だ」と訴えた。
ハンビッ核発電所対応湖南圏共同行動の小原つなき政策チーム長は、「原発が気候危機の代案だという主張は、あまりにも安易な考えだ」と批判した。そして「ハンビッ(ヨングァン)原発の寿命延長手続きが一方的に強行されており、韓国水力原子力は、福島原発のような事故を想定せず、住民避難対策をまともに検討していない」「真のエネルギー転換、安全な社会のために脱原発を成し遂げよう」と強調した。
脱核慶州市民共同行動のイ・サンホン委員長は、「私たちの運動は、希望がいっぱいの闘争」と言い、9月21日に開かれる月城(ウォルソン)原発・移住対策委テント座り込み10周年大会開催を予告した。
緑の党のコン・シヒョン脱核委員長は、「脱原発が気候正義だ。再生エネルギーを抑制し原発を拡大する政府は許せない」とアピールした。
15時からの本集会には、615団体、3万人が参加し、様々なスタイルでアピールが行われた。
907気候正義行進・共同執行委員長のチョン・ロクさんは開会あいさつで、「労働、人権、女性、環境、反貧困運動など多様な領域で、新たな社会をつくるために奮闘してきた私たちは『気候正義運動』で互いを行き来しながら結ばれ、今日このように集まった」と発言した。
気候正義行進の3つの基調は、「気候危機時代のなかで、尊厳ある暮らしを守るための闘争」「脱原発・脱化石燃料と、再生エネルギーへの転換」「新空港・国立公園ケーブルカー・四大河川開発事業など、生態系破壊事業の中断」である。
韓国労総・金属労連のキム・ジュンヨン委員長は、「気候災害は、労働者の生命も脅かし、雇用も脅かす」「正義的な転換のためには、労働者の雇用問題と共に、脆弱階層がより大きな被害を受ける社会的不平等を解消しなければならない」と話した。
青少年気候行動のユン・ヒョンジョンさんは、8月29日、憲法裁判所が炭素中立基本法に対して憲法不合致の判決を下したことについて述べ、「これからが本格的なスタート」と誓った。彼女は、「青少年たちは、自らが変化の主体になることを選択した。私たちの人生を守る最前線を共に作っていこう」と訴えた。
脱核蔚山市民共同行動のパク・チニョンさんは、「私たちが電気を使うことによって生じる高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)について、もう一度考えて、戻る道を考えてみる時だ」「脱原発こそが、再生エネルギーを拡大する」「尹錫悦政府の原発暴走政策を防ぎ、市民の安全を守る気候正義のために、いち早く脱原発を」と主張した。
マーチでは、参加者たちが、カラフルなプラカードや、旗や被り物などで盛り上げた。脱原発を訴える市民も多くいた。
パレスチナの国旗や、レインボーフラッグを掲げている人の姿もあり、様々なセクターから参加者が集まっていることが見てとれた。歌手のイ・ランさんのパフォーマンスや、バンドチームの参加もあり、アートを用いての連帯行動もあった。3万人で、ダイ・インも行った。この、まるでお祭りのような楽しい姿は、マーチやデモの一つのロールモデルとして記憶したい。
翌日は、朝から東アジア脱原発青年交流会が開かれた。3カ国語が飛び交う新鮮な空気感の中、若者参加者がそれぞれの活動報告をした。
岡本直也さんは、自身の居住地である祝島について紹介をした。対岸の原発計画が進めば、島の人たちが大切にしている精神的な文化までも奪うことを強調した。
長野誠さんは、鹿児島県の川内原発について話した。地方自治体故の脆弱性や、県議会による県民投票条例案の否決があったことにも言及した。
川崎彩子さんは、自身が参加している気候訴訟や、若者中心の運動体であるFridays For Future や、ワタシのミライでの活動を報告した。
私は、日本のK-POPファンの視点から、気候正義や、歴史的不正義に着目した活動の報告と、意義について話した。
台湾からは、緑色公民行動連盟のメンバーである林正原さん、李其丰さんが、台湾で行われている脱原発運動の現状を報告した。特に、来年の原発ゼロ達成が揺らいでいるという状況には、会場の参加者から不安の声が多く集まった。李さんは、そんな中でも、市民の関心を脱原発運動へ集めるために、より親しみやすく楽しい啓発活動に力をいれていると語った。過去に行ったイベントでは、脱原発へ向けたメッセージやイラストの入った版画制作体験を参加者へ提供したそうだ。写真からも参加者の楽しそうな声が聞こえてくるようだった。
また、Their Nuke Story創設者である李若慈さんは、台湾の原発現地を巡り、地域住民のポートレート写真を撮影し、聞き取りを行っている。原発の問題点は、科学知識にのみ依拠するものではなく、そこに住む人の人権や生活が脅かされることである、という視点の可視化に努めている。
韓国・脱核新聞編集委員の小原つなきさんは、韓国全体の原発の現状と、原発の寿命延長のための公聴会プロセスにおける暴力性や、いい加減さについて話した。
チョン・スヒさんは、密陽住民の送電塔建設反対闘争に対して政府が物理的に弾圧したことを報告にあげた。また、密陽でこれまで運動を支えてきた世代の高齢化に対する不安を話した。
ピョン・イニさんは、2022年からグリーンコリアに参加する若者だ。社会福祉士として生活をしているうちに、村の地域コミュニティに関心を持つようになったという。今は、どんな言葉がより多くの市民の共感を得られるのか、模索しながらコンテンツづくりに励んでいる。
皆、住む地域は違えど、目指すものや、そこにたどり着くまでの葛藤の部分では、共に共感しあえる希望的な時間だったように感じる。各々の活動報告の後の討論会では、脱原発運動における世代交代の懸念に関してと、気候危機運動に脱原発運動をどのように携わらせるかという題で議論した。これらの論点において、台湾と韓国からの参加者は、気候危機対策のひとつとして、原発稼働が謳われてしまうことが、気候正義運動から脱原発運動を遠ざけている要因になっているのでは、と指摘した。気候正義も、脱原発も、問題の核や、ゴールは同じはずであり、互いに協力しあえることを強調した。一方で、東京でさまざまな市民運動に関わる川崎彩子さんは、ゴールは共有できるということを前提に、運動体が問題の交差性を理解することが必要ではないか、と提示した。
声をあげ続けるために、その場が安全であることや、互いにケアをしあい、運動参画の在り方にジャッジをしない関係性を築いていくことの重要性を共有していくことが、今後の脱原発運動の課題と言えそうだ。また、来年の台湾でのノーニュークス・アジアフォーラムでも、若者が中心となって話し合える場を設ける計画を話し合った。
受け入れコーディネーターの金福女さん(通訳も)、小原つなきさん、イ・ホンソクさん、キム・ヒョヌさんほかの韓国のみなさん、ありがとうございました。
*今回のとりくみは、一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストの2024年度助成を受けて実施されました。
■「気候正義行進 in ソウル(1分動画)」 (作成:ilpensolidarityclub)
https://youtu.be/u4rveTl7v3I
■「韓国気候正義行進・東アジア脱原発青年交流会(3分動画)」 (同上)
https://youtu.be/WjTqF5bDYSA
■報告会「韓国・気候正義行進 & 東アジア脱原発青年交流会」 24.10.12 (渡辺あこ・岡本直也・長野誠・川崎彩子)
録画 https://youtu.be/13l0o9xMYOs
■ 気候正義行進と 東アジア脱原発青年交流会に参加して
川﨑彩子(Fridays For Future Tokyo、ワタシのミライ、若者気候訴訟原告)
907気候正義行進に参加した私は、日頃からFFFで「気候正義」を軸に活動している一人として、その概念が、3万人が行進するマーチのタイトルになるほど社会で共有されていることに驚きを隠せなかった。
集会とマーチでは、脱原発や気候危機対策を求めるグループだけでなく、動物愛護、パレスチナ虐殺反対など、様々な観点から気候正義が掲げられていた。
私が最も驚いたことは、火力発電所の労働者との連帯。気候正義に基づくエネルギーの移行には、火力・原子力発電の労働者の生活が守られることは必要不可欠だ。
市民的不服従の強さも印象深かった。市民が使っている車線に車が入り込み、整備がうまくいかない警察に市民が声を荒げる。マーチによる通行止めに怒る運転手らに対しても、彼ら・彼女らは一切折れず、自分たちの権利を存分に行使していた。
4年前に日本に留学しに来ていた友達と韓国で再会し、マーチの話をした。友達は「そういう場面があるから、デモは面白いんだよね」と言っていた。
ダイ・インで熱いコンクリートに寝転がって今までにない角度から樹木を眺めたり、ドラムのリズムに乗りながら、言葉の通じない人々との連帯も感じた。
西大門刑務所歴史館を訪れたことも、社会運動にとりくむ者として意義深かった。
私は、韓国と台湾からの参加者と話すとき、日本の歴史的な加害性を意識せずにはいられなかった。
エネルギー分野においても、日本は石炭火力・原発を輸出してきている。それはいまだにアジア各国への植民地主義がかたちを変えて続いていることを表している。
交流会では、参加者の日頃の活動、運動への想い、地域の人々の現状をきき、自分の脱原発への想いも一層強くなるのを感じた。
私が特に関心を持ったのは、同い年のEtta(李若慈)さんの研究。原発のある地域の人々の言葉や心情の変化を、文化人類学の観点から研究するというもの。それは必ず、脱原発運動を構築するナラティブに視座を与えるものだと思う。私が住む東京の運動では、地域の人々を代弁する言葉を聞くことが多い。それに問題意識を持っていた私にヒントをくれた。
次は台湾での闘いの歴史も、もっと現地で聞くことができたらと思った。
私はこれまで、気候危機と原発の関係性について少しずつ声を上げてきた。しかし、若年層で脱原発の声がなかなか上がらない現実に、何か新しいこともしたいと思っていた。
「気候正義」が大きな連帯の可能性を持っているのならば、どのような語りが人々をつなげるのか、日本国内の文脈にも即して考えたい。
今回のようなアジアでの連携は続けながらも、国内で幅を広げられるようなものを企画するつもりだ。来年は、台湾の脱原発とともに日本からも進捗をお伝えしたい。
長野誠(原発ゼロをめざす鹿児島県民の会)
鹿児島県にある川内原発、1号機が今年の7月に20年延長運転に入った。
昨年、鹿児島県では「20年運転延長の是非を問う県民投票条例制定」を求める直接請求署名集めを行った。「是非を」としたのは、原発賛成派の人からも署名を集めるためと、県民が県政へ自分の意思を表す機会をつくるためだ。
法定数50分の1、約2万6千筆を2か月で集めなければならない。鹿児島も国内他県と同じく原発に関わる活動者の高齢化が著しく、しかも離島や山間地域の多い鹿児島県全域で、川内原発の説明、署名の意図の説明、直接請求署名の書き方の説明をしなければならなかった。
夏の猛暑・雨の中、毎日署名を依頼し続けた結果、最終的に法定数を超える約5万筆が集まった。法定数の倍近く集まるとは思っておらず、県庁へ署名を届けた際はその量と重さに驚きと感動を覚えた。
しかし、原発推進派議員が多い県議会は県民投票条例設置を不採択とした。これまでの県民投票署名や延長運転開始など、地元テレビや新聞で取り扱いはされていたが、大きく扱われたという印象は極めて低い。このまま行けば2号機も来年延長運転に入るだろう。
この現状や報道の熱の低さは、「関心ある人が声をあげられる雰囲気が弱い」「若い人の関心が低い」「若い人、新しい住民が参加しづらい」という、今回の東アジア脱原発青年交流会に参加した日本各地で抱える同様の問題が大きく関係していると考える。
一方、韓国で参加した気候正義行進ではその規模や人数にも驚いたが、若者や学生が非常に多く参加していることに驚いた。しかし報告の中で、「若者が減っている」というのだから日本にいる身としては輪をかけて驚かされた。
行進では複数のリズム隊が力強くも軽快な音を刻み、進行ルート各所で違うコールが行われ、飽きさせない。体力に合わせて途中退場も途中参加も自由。訴えに合わせてルート上でのパフォーマンスをする団体。デモ行進に反対の人だろうか、車からクラクションが鳴ったとしても、「応援されている」と余裕の態度で手を振り返す行進者たち。様々な工夫が各所に見られ、目から耳から刺激を受け、長距離長時間の行進でも、疲れどころか進行先の楽しみを生んでくれる。
デモ行進が活動の全てではないが、それだけでも多くの学びがあった。国内では経験できなかったであろう、世代問わず活動に加わりやすい環境・仕組み・宣伝を作っていく貴重な学びとなった。
岡本直也(上関原発を建てさせない祝島島民の会)
私は、上関原発予定地からわずか4km先にある離島、祝島に東京から移住して15年になる。2009年には上関原発建設の海の埋め立て工事が着工したが、祝島や支援者の抗議行動、座り込みで、2011年の福島原発事故によって工事が一時中断されるまで、阻止することができた。
11年前に、韓国で反原発の活動をしている方々が祝島に来て交流し、その経緯から私は韓国を一度訪れていたので、今回の参加では、いくつもの再会と出会いがあった。
宿舎でも交流し、それぞれの活動について話したり聞いたりができた。台湾の若者たちとは、片言の英語でコミュニケーションができた。
気候正義行進に参加する前に、西大門刑務所を見学した。日本の加害の歴史を知ることができる、拷問と処刑がされていた場所だ。
気候正義行進の集会会場に着いて、まず驚いたのは集会の規模だった。参加団体の多様さ、子供から年配の方まで広い年齢層。そして、集会の演説やデモ行進でも10代や20代くらいの若者たちが目立った。
ここまで大きな集会にできたのは、気候正義という大きなテーマの中に多くの団体や市民が集まっていたからのようだ。反原発もその中のメッセージのひとつ。火力発電所に勤める方が気候対策を訴えて演説していたのも驚きだ。集会で各団体の演説が終わってからデモ行進に移ったのだが、演説の間にも歌や踊りがあったり、デモ行進でも吹奏楽や太鼓のリズム隊がいたり、進路の所々で、トリの着ぐるみを着た子供たちがいたり、大きな人物の造形品があったり、放射性廃棄物を模したドラム缶が置いてあったりと、お祭りに似たような楽しさを感じた。デモの活気など、日本にないものに感銘を受け、発想も広げてくれた。
翌日の青年交流会の後、労働者の劣悪な状況の改善を訴えて焼身自殺を決行し、労働運動の原点になった若者、チョン・テイルの記念館に案内してもらった。ソウルの街中に「労働者の道」というのも残されている。以前、韓国を訪れたときは光州事件など、民主化を求めて闘った市民・学生たちの資料館やお墓にも行かせてもらった。市民が闘いの中で権利を手にしていった歴史が、活動家や市民の中に息づいているのだろうか。気候正義行進にこれだけ人が集まれる背景が気になる。
日程を終えた後、金福女さん、小原つなきさん、チョン・スヒさんに反原発運動の現場に案内していただいた。
韓国西南にあるヨングァン原発では、ちょうど11日が、寿命延長のための公聴会の開催日だった。町から原発に近づくと道は整備されているが歩く人は見なかった。PR館の前にはバスが一台停まっていて、迷彩柄の軍服を着た軍人たちが見学に来ていた。原発の映り込む撮影は警備上一切禁止と警備員から警告された。何より近隣の集落と原発が立ち並ぶ光景は怖かった。
公聴会を開こうとしたのは今回が二度目で、7月の公聴会が住民の反対によって中止になったことを理由に、会場が結婚式場に移された。原発問題に地元も何もないと思うが、入場できるのは地元の人間のみ。軍人上りの警備員と警察が警戒に当たっている中、他の人はモニターで様子を見ることしかできない異様なものだった。
雨が降り始め、韓国水力原子力の関係者が車で駐車場に入って行く中、農民会の方やシスターや市民たちが集まり、抗議の集会をした。私も発言した。
二回開催しようとしたという既成事実があれば手順は踏んだとされるため、今回は無理に中止させることはしなかった。
モニター越しに見た公聴会。反対意見を持った住民が質問すると、質問の内容が難しいとか他の質問者の妨げになるとかの理由で会場の退去を命じられてしまった。誰の何のための公聴会か。そんな問いしか浮かばない。時間が許せば現場にいた方々ともっと交流したかった。
翌12日は釡山から車で、コリ原発と、10年前に送電塔建設反対闘争が暴力的に弾圧された密陽へ、チョン・スヒさんが案内、説明してくれた。
10年前に密陽を訪れたとき、山間で農業を営むおじいちゃん、おばあちゃんたちが土地を守るために体を張って土木作業員や機動隊と対峙していた。その姿が、海を守るために海保や機動隊、土木作業員と対峙する祝島の姿と重なっていて、もう一つの自分たちを見たような印象を残していた。再び同じ場所に訪れた今、送電塔が立ち並ぶ風景はつらく切なかった。
あのときのおばあちゃんに会うことができた。あれからずっとおばあちゃんたちのことが気になっていたことを伝えると、「覚えていてくれてありがとう。私たちは負けてないですよ。あなたたちみたいな若い人たちがまだ頑張ってくれているのだから」と言ってもらった。
密陽では客人を手ぶらで帰すなという風習があると、帰り際に手作りのお菓子をいただき、その足で韓国から日本への帰路に着いた。
韓国でも日本でも核施設があるところには、それによる地域活性を謳った看板や横断幕を見たが、地域の分断や疲弊は付きものであることを確信した。
同じ核問題にとりくむ人々と交流し、お互いの抱える問題を共有することで、他人事ではなく身近になる。
大きく変える力を持つことは誰もが難しいが、交流を続けることで、自分たちの活動もより強くしてくれると感じた。今回、関わってくれた人たちに感謝したい。
渡辺あこ(일팬solidarityclub)
私は、「일팬(イルペン-日本のK-popファン)が今も、これからもK-popを公正に愛し続けるには?」をテーマに、様々な人権課題を取り扱った『일팬 Solidarity Club』(以下、ISC)というSNSアカウントを運営しています。主に、日本の歴史的不正義と、その責任放棄を今も続けていることで起きている現状の被害などについて、K-POPファンの視点から問いかけを行っています。
実は、ISCでも以前、福島第一原発の汚染水海洋投棄反対を表明する市民活動を取り上げたことがあります。「もう、これ以上加害国にはなりたくない」というコメントと共にSNSへ投稿したのですが、「韓国の大統領が(海洋放出に対して)理解を示しているのに、お前はそれより偉いのか」とコメントされました。この一件だけでなくとも時々、ISCの活動に対して、韓国の現政権(=社会)の流れに反している。と攻撃されます。
日本もそうですが、政治というのが必ずしも市民の声の総意だとは言えないはずです。「尹錫悦政権は、市民の声を政治に反映していないことが問題だ」と言ってしまいたかったのですが、韓国市民との交流を経ず、日本に住む自分がそのように発言することは無責任なのではないか、と葛藤を抱いていました。今回の参加は、そんな葛藤を手放させてくれるような経験になったと言えます。
気候危機や、脱原発の文脈での活動は、「報告」で記述したため、ここでは個人的に計画し訪問をした「戦争と女性の人権博物館」について触れることにします。従軍慰安婦については、水曜行動に参加をしていたり、何本か映画も観たりと、事前学習はそれなりにしていた身ですが、博物館では、何度か胸が握りつぶされそうな感覚になりました。
日本には、脆弱な立場からみる歴史学習ができる場所がほとんどありません。権力の暴走によって苦しめられるのは、いつも市民であるという認識が共有されにくい社会の中で私たちは生活しているということではないでしょうか。韓国でも、歴史修正主義的風潮があるようですが、そんな中でも、抵抗と記憶の灯を絶やさない力強さに、希望を感じた時間でもありました。
■ アジア脱原発連帯の道
イ・ホンソク (脱核新聞10月号より)
韓国、日本、台湾の若者たちが9月8日、ソウルで開かれた東アジア脱原発青年交流会で、各国の脱原発運動の状況と未来について話し合った。脱核新聞メディア協同組合とノーニュークス・アジアフォーラム日本事務局が共同主催した。
★ 地域住民の声を反映させるためのとりくみ
交流会で台湾の李若慈さんは「原発問題は、科学的問題ではなく、住民の暮らしの問題だ」と強調した。彼女は2018年から「彼らの核物語(Their Nuke Story)」というプロジェクトを通じて、原発周辺地域住民が体験する生態的・経済的影響を記録し、これをポッドキャストとSNSを通じて知らせる活動をくり広げてきた。彼女は、「原発問題に対して、住民が直接経験した観点からアプローチすることが重要だ」と強調し、「地域住民の声が十分に反映されていない現実を改善しなければならない」と述べた。
鹿児島の川内原発反対運動を続けている長野誠さんも、地域住民の声が十分に反映されていない現実を指摘した。川内原発の場合、昨年10月に原発の寿命延長住民投票を推進したが、県議会の反対で、住民投票自体が実施されなかった。住民の声を反映しようとする試みさえ阻止されたのだ。長野さんは、「地方の場合、人口高齢化によって住民の要求が反映されにくい現実だ」と説明し、「住民が安全に暮らそうとする要求を尊重しなければならない」と強調した。
人口減少と高齢化で急激に変化する地域社会の声を伝えるための悩みは、新規原発反対運動が40年以上続いている祝島の事例でも明らかになった。都市生活をやめて祝島に住んでいる岡本直也さんは「約10年前までは直接工事を阻止するなどの行動をくり広げたが、現在は地域住民の高齢化によりこのような活動が容易ではない」と説明した。これは、時間が経つにつれ、地域住民が原発建設を阻止しようとする力が弱くなっている現実を示し、これを解決する案づくりが急がれることを示している。
★ 気候運動との結びつき、若者世代の悩み
気候危機と関連した活動では、日本の青年活動家たちが脱原発運動と気候運動を融合させ、青年層の声を反映するために努力している。東京で「未来のための金曜日」(Fridays For Future)の活動を行っている川崎彩子さんは、気候運動と脱原発運動の結びつきを中心に事例を発表した。彼女は、若い世代の声が政府の政策に反映されない日本社会の特性に言及し、気候正義運動と脱原発運動が協力しなければならないと強調した。「未来のための金曜日」(FFF)は、東京をはじめ京都、名古屋、福岡、札幌など9ヶ地域で活動を進行中だ。彼女は最近、日本の温室効果ガス排出企業10社を対象に、10代から20代の青年たちが原告として参加する訴訟を起こしたと話した。このような活動を通じて青年たちが直接、気候危機問題に対応し、温室効果ガス排出削減を要求するなど、社会的変化を引き出している。彼女は、気候運動と脱原発運動が共同する過程で考えの違いが存在するが、これを克服して連帯する方案を探すことが重要だと説明した。
K-pop4planetで活動中の渡辺あこさんは、K-popファンとして社会運動をくり広げている。彼女が紹介したネットワークでは、気候正義のような声だけでなく、従軍慰安婦問題、パレスチナ戦争など多様なイシューが扱われている。彼女は、K-popファンダムを活用して社会問題に対する議論を引き出すことが重要だと話した。これは伝統的な社会運動とは全く違う新しい試みだ。
交流会には、霊光ハンビッ原発の寿命延長反対運動をする小原つなきさん、密陽送電塔対策委のチョン・スヒさん、緑色連合のピョン・イニさんが参加し、韓国の脱原発運動の状況と悩みを交わした。
また、台湾の緑色公民行動連盟の林正原さんと李其丰さんは、台湾の高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)処分場の敷地選定をめぐる議論の経過と、2025年5月の原発ゼロ達成に向かう政治状況を説明した。
★ 2025年5月、台湾でノーニュークス・アジアフォーラムが開催される
来年5月に台湾で行われるノーニュークス・アジアフォーラムに合わせて、今回の交流会のような別途の青年プログラムを進行することも提案された。
こうしたことを通じて、青年層が主導する脱原発と気候正義運動の重要性をもう一度強調し、若者たちがアジア脱原発運動の中心で活動できる機会を拡大する計画だ。
今回の東アジア脱原発青年交流会は、各国の若者たちが、脱原発と気候危機問題を解決するための連帯と協力の重要性を確認する契機になった。
今後も、韓国、日本、台湾の若者たちと地域住民が共に作っていく脱原発の旅路が期待され、これを通じて原発のないアジアに向けた流れは続くだろう。
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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信190号
(24年10月20日発行、B5-32p)もくじ
・韓国気候正義行進 & 東アジア脱原発青年交流会【報告】 (渡辺あこ)
・気候正義行進と東アジア脱原発青年交流会に参加して
(川﨑彩子、長野誠、岡本直也、渡辺あこ)
・アジア脱原発連帯の道 (イ・ホンソク)
・バングラデシュ政変 ~ どうなるルプール原発 (藤岡恵美子)
・米先住民のウラン採掘・精錬の被害実態 〜来日したディネの女性たち〜(振津かつみ)
・中国の原発開発状況 (松久保肇)
・「フィリピンの原発開発に反対する」 NFBM(非核バターン運動)声明
・動かすな!女川原発 ― 東日本で初、BWR初の再稼働を許さない (多々良哲)
・いのちや暮らしを守りたい。島根原発2号機再稼働中止を訴える (芦原康江)
・新潟県柏崎刈羽原発をめぐる状況 (有田純也)
・青森、新潟、首都圏、福井、関西、そして全国は連帯しよう (中道雅史)
・文献調査が始まってから ― 寿都町の今 ― (槌谷和幸)
・上関町での中間貯蔵施設計画に反対する (原真紀)
・9.23「老朽原発うごかすな!高浜全国集会 -地震も事故もまったなし-」に360人が結集 (木原壯林)
・311子ども甲状腺がん裁判 (阿部ゆりか)
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