各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況
■ インタビュー/エミリー・ファハルド
「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」
■「脱核を成し遂げよう」佐藤大介・小原つなき
■「原発輸出に血眼の韓国は加害者」イ・ホンソク


ヨン・ソンロク(脱核新聞編集委員)  脱核新聞10月号より


今年で30周年を迎えた反核アジアフォーラム(NNAF/No Nukes Asia Forum)が、9月19日から23日までの5日間、韓国で開かれた。20回目となる今回のフォーラムには、韓国をはじめ、日本、インド、台湾、タイ、オーストラリア、フィリピン、トルコ、8ヵ国が参加した。海外参加者は29人だ。フォーラム参加者らは、2025年の反核アジアフォーラムの開催地を台湾に決定した。

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況(ヨン・ソンロク

2023反核アジアフォーラムは9月19日、ソウルのカトリック会館で開会式を行った。開会式でヤン・ギソク神父(韓国組織委員会共同委員長)は「ノーニュークス・アジアフォーラムを30年間率いてきた日本事務局の佐藤大介さんをはじめとする皆さんに感謝と尊敬の気持ちを伝える」と述べた。さらに、「韓国の反原発運動がきちんと根を下ろしていなかったとき、日本の反原発運動家たちとノーニュークス・アジアフォーラムが大きな力になったという話を聞いた」とし、「これからは韓国でもアジア各国の反原発運動の力になれる方法を模索する」と話した。さらに、「原発は絶えず差別と不平等を生む」とし、原発による住民の健康被害と、絶え間ない抵抗について言及した。

佐藤大介反核アジアフォーラム日本事務局長は挨拶で、「ノーニュークス・アジアフォーラムの30年間は、人々のたたかいの歴史のたった1ページですが、たしかな1ページです。アジアの各地で、人々は原発を進めようとする支配者たちとたたかってきました。それは、民主主義を求めるたたかいとつながっています」と述べ、また、都市住民は、原発周辺の住民に対して加害者の立場、原発輸出国の住民は輸出相手国の住民に対して加害者の立場にあると話した。彼は、放射能の加害者にならないために、原発周辺の住民、輸出相手国の住民と手を組んでたたかう責任があると話した。そして、汚染水を海洋投棄する日本は放射能の加害国になってしまったとし、日本で反対運動を続けると話した。


初日、ソウルで開かれたフォーラムでは、各国の参加者が国別の原発状況を発表した。オーストラリアではウラン採掘による先住民族の被害が大きく、地震国トルコでは原発建設が続けられている。フィリピン、インドでは原発反対の闘いの過程で多くの犠牲者が発生した。日本、韓国などは原発輸出に長い間努力を傾けている。タイは最近、米国と手を組んでSMR(小型モジュール原子炉)を計画するとしている。
台湾は、長年の運動が実を結び、2025年に原発ゼロを実現する。


初日のテーマ別セミナーでは、「福島原発汚染水問題」「アジアの核兵器と平和」「気候危機と原発」をテーマに討論した。


2日目、釜山では、日本領事館前で福島汚染水の海洋投棄中止を訴える記者会見を行った。その後、密陽送電塔反対住民が参加するなかで、「原子力と国家暴力」「老朽原発寿命延長」をテーマにフォーラムを進行した。翌日午前にはコリ原発がある現地で「原発と住民被害」について共有した。


21日、蔚山(ウルサン)では蔚山市役所のプレスセンターで老朽原発の寿命延長中止を求める記者会見を開き、「使用済み核燃料処分問題」などのテーマでフォーラムを開いた。蔚山記者会見はいつにも増してマスコミ各社の取材熱気が熱かった。


22日、慶州と月城(ウォルソン)原発前で、「低線量被曝と住民健康被害、甲状腺がん訴訟」をテーマに討論し、その後、蔚珍(ウルチン)原発と、住民投票で原発建設計画を白紙化した三陟(サムチョク)の「原発白紙化記念塔」を訪問し、住民と交流した。


23日にはソウルで3万人の「9.23気候正義行進」に合流した。夜は、反原発・脱原発の青年活動家たちが交流会を開いた。


多くのマスコミが反核アジアフォーラムを取材して報じた。

2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会には43団体が参加した。フォーラム準備と進行、通訳と翻訳などには韓国組織委員会の多くの活動家などが格別な努力を傾けた。釜山、蔚山、慶州での集会は、地域の脱原発団体が準備して進めた。蔚珍と三陟では、現場を見学し交流するプログラムを実施した。ソンミサン学校の生徒たちもフォーラム全体の日程を共にした。韓国の原発地域の問題とアジア各国の反原発運動に接し、反原発運動の理解の幅を広げた。

■ 「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」インタビュー/エミリー・ファハルド(Nukes Coal-Free Bataan)

「原発地域住民の話を直接聞くことができた良い機会だった。いつも悲しい話だが、住民たちの要求を無視する韓国政府と原発会社に対抗して、今も自分の権利のためにたたかっているのは感動的だ。また、三陟(サムチョク)地域住民の闘争と勝利の話、慶州月城原発に反対する住民たちが続けている抗議行動と籠城テントに感動を受けた。

今回のフォーラムで最も印象深かったのは、多くの若者たちが参加する姿に接したことだ。若者たちと一緒に過ごしたことは楽しみとインスピレーションの源となった。
ノーニュークス・アジアフォーラムを続ける次世代人材を確保することが重要だ」  *抜粋

■ 「脱核を成し遂げよう」9・23気候正義行進の集会での発言/佐藤大介(反核アジアフォーラム日本事務局)、小原つなき(脱核新聞編集委員)

私たち日本人は、汚染水の海洋投棄を防ぐことができませんでした。日本はアジア諸国を侵略、植民地支配しましたが、今度は放射能の加害者になってしまいました。日本人の一人としてお詫び申し上げます。汚染水の海洋投棄を止めるために、今後も日本でも、反対し続けます。

1993年に発足した反核アジアフォーラムは、今年で30年目です。今回のフォーラムは、5日間の日程で、ソウルで会議を開いた後、釜山、古里、蔚山、慶州、蔚珍、三陟に行ってきました。韓国以外では、日本、台湾、フィリピン、タイ、インド、トルコ、オーストラリアから、29人が参加しました。


アジア各地の人びとは30 年以上、原発を推進する勢力と闘ってきました。脱原発運動は民主主義を求める闘いでもあります。


今、世界中で気候正義と脱原発を求める声が高まっています。原発は気候危機の解決策ではありません。事故の危険性と核廃棄物問題を抱えている原発は、差別と不平等を深め、むしろ再生エネルギーの拡大を阻みます。気候危機を口実にした「老朽原発の寿命延長と新規原発建設」に反対するアジア各国の脱原発運動に共に連帯してください。


私たちは、原発に対抗し続け、最終的には勝利するでしょう。それが歴史の必然です。しかし、できるだけ早く勝利しなければなりません。チェルノブイリや福島のような大事故が繰り返される前に、原発を終わらせなければなりません。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。私たちの子孫のために、一緒に脱原発を実現しましょう。脱核!

*영상映像(4分)
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0KaurFAqYh9jcR6iYL7tBToDSCXzFkMJRfsyCRYervM965xy43rq7zh5mVRZFAMdFl&id=100000477953354&mibextid=CDWPTG

* 佐藤大介さんは、反核アジアフォーラムの開始からこれまで日本事務局を担当・運営しており、事実上、全体事務局の役割も果たしている。アジア各国の反原発運動の情報を収集・発信し、30年間行われた反核アジアフォーラムを記録・整理して資料化している。(ヨン・ソンロク)

■ 原発輸出に血眼の韓国は加害者/イ・ホンソク(2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会)

7月、産業通商資源部は2027年までに約5兆ウォン規模の原発設備海外受注プロジェクトに挑戦すると明らかにした。同計画は、2030年までに原発10基を輸出するという尹錫悦政府の目標の一環だ。主事業者に選定されなくても、原発の周辺機器など各種設備プロジェクトに参加して、関連中小企業100社を育成するということだ。

09年UAEの原発受注後、韓国は海外原発建設プロジェクトに応札を続けている。しかし、いまだに、原発輸出問題は韓国の脱原発運動内部ですら注目されていない。


今年、反核アジアフォーラムを準備する際、海外の脱原発活動家から韓国の原発輸出計画の情報を求める要請を何度も受けた。


現在、事業者を選定中のトルコ原発建設事業に参加するため、韓電社長から尹錫悦大統領までがトルコに売り込み工作を行っている。タイには、韓国原子力研究院が研究用原子炉の輸出計画を推進している。韓国原子力研究院は、2009年にヨルダンへの研究用原子炉輸出に合意した後、釜山機張郡に輸出用新型研究炉の建設を進めている。


タイの仲間から、タイへの原発輸出計画について質問された。基本的な情報を伝えたが、「韓国ではまだ、本格的な原発輸出反対運動はない」とは言えなかった。


社会運動の進歩派から「原発輸出計画に反対するのは難しい」という声も聞いている。


脱原発運動の基本は「核のない世の中を作ること」であり、国内と国外を分けない。力量の問題で海の向こうの全ての国の原発に反対運動を展開することは難しいが、少なくとも、韓国が関与する海外核施設プロジェクトは韓国の脱原発運動の役割だ。


海外の脱原発活動家と専門家の助けがなかったら、国内の脱原発運動はここまで来れなかっただろう。


今回の反核アジアフォーラムは、多くの団体や各原発地域の人たちが一緒に準備して進めた。組織委員会執行委員長として足りない点もあったと思うが、世界5位の原発大国であり原発輸出国である韓国の脱原発活動家の視野が、反核アジアフォーラムを通じて一層広くなったことを願う。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信185号
(23年12月20日発行、B5-32p)もくじ

・各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流
  ― 2023反核アジアフォーラム、盛況 ― (ヨン・ソンロク)        
・「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」 (エミリー・ファハルド)
・「脱核を成し遂げよう」 (佐藤大介・小原つなき)             
・原発輸出に血眼の韓国は加害者 (イ・ホンソク)              
・核を越えて、平和のアジアのための青年活動家交流会 (コン・ヘウォン)   
・老朽原発と核廃棄場のない釜山へ (ミン・ウンジュ)            
・霊光ハンビッ1・2号機の寿命延長に反対する (小原つなき)        
・2023 NNAF釜山声明 「アジアの人々が連帯して核汚染水の海洋投棄に抗議し、
           核を超えて、生命と平和の世界へ」         
・2023 NNAF共同声明 「核を越えて、生命と平和のアジアへ!」       
・原発事故12年目の避難指示エリア 〜 抵抗する人びと (豊田直巳)     
・「脱核アジア連帯30年」 「韓国でNNAF第20回フォーラム」 
「アジアの脱原発運動30年、佐藤大介さん」 23.12                     
33年、未だに終結しない、オンカラック研究炉建設計画           
・柏崎刈羽原発再稼働 もってのほか! (小木曽茂子)            
・女川原発再稼働差止訴訟控訴審 (日野正美)               
・上関町民を苦しめ続ける中国電力を許さない (渡田正弘)         
・「原発のないふるさと」を語り継ぐことの大切さ (山中幸子)        
・東海第二原発の再稼働を許さない 11.18首都圏大集会 (小山芳樹)     
・「12.3とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会」に全国から結集、暴走止めよう!と誓った (橋田秀美)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。連絡ください → sdaisuke アット rice.ocn.ne.jp
 

33年、未だに終結しない、オンカラック研究炉建設計画

(สื่อคุณภาพของคนรุ่นใหม่ที่คัดเลือกประเด็นอย่างพิถีพิถัน ส่ใจในบทสนทนาและความจริงของผู้คนทุกชนชั้น
THAI PUBLIC BROADCASTING SERVICE 11.16)

オンカラック住民たちが公聴会を「粉砕」、9月10日

タイ・オンカラックで研究炉建設計画を推し進める関係機関は、「この研究用原子炉は集落に影響を及ぼさない」というデータを発表した。地域の住民は明確さを求め、反対を申し立てている。

「抵抗する考えの人はたくさんいると思います、原子炉をここに持ってきてほしくない。住民の苦しみが増します。その責任を誰がとるのですか」


オンカラックの農民、マーノップ・ケーオサリーさんの心配に満ちた声だ。彼は、何十年も、魚を飼い、田を耕し、えびを養殖してきた。彼の住む家は、オンカラック国家原子力技術研究所から1キロも離れていない。


マーノップさんは、国家原子力技術研究所の、医療、農業、工業のための新しい研究炉建設計画に反対する住民の一人だ。その原子炉は、オンカラック郡サーイムーン地区に招致、建設が計画されている。しかし、それはまた30年以上の長きにわたる住民からの反対という問題を切り離すことができない。


タイには、すでに研究用の原子炉がある。医療用ラジオアイソトープ(放射性同位元素)を生産するためのもので、バンコクのバーンケーンに建てられ、研究、医療、農業、工業、すべての分野で使うために1962年から稼働を始めた。


だが、この原子炉は1975年に1000kWから2000kWに改造されたが、能力に限界があった。そこで新しい研究炉を建設する計画が持ち上がったが、都市部の膨張でバンコクのバーンケーンに建てることは、もはや妥当ではなくなってしまった。


1990年、1万kW規模の新しいものを建設する案が内閣から出された。ナコーンナヨック県オンカラック郡サーイムーン地区が狙いをつけられ選ばれた地点だった。しかし、建設計画は、地域住民と研究者たちの反対のすう勢から中止をよぎなくされた。


2017年になり、再度、建設計画がもちあがった。このプロジェクトは3回もどってきたことになる。能力も2万kWに拡張され、公聴会も、第1回(2018年)、第2回(2019年)と開かれた。


そして、3回目の公聴会が、2023年9月10日に行われたが、地域住民の抵抗にあって、最終的にこの会は「流会」になった。


反対派ネットワークのリーダーの一人であり、ナコーンナヨック市民協会会長の医学博士スティ・ラッタナモンコンクン助教授は、「この研究炉建設計画は地域の住民にずっと反対されてきました」と語った。


「大きな問題の1つは、すなわち、建設地がナコーンナヨック川の近くに位置するということです。地域住民は、ナコーンナヨック県をバンコクやその隣接県の人々が心をなごませ休養に来るオアシスのような役割を担う所にしておきたいのです」


「オンカラックが研究炉の立地にどう適しているのですか、私たちの質問に答えてください。これだけは答えていただきたい。僕はこうくりかえし3回訊きましたが、彼らは何も答えませんでした」


 3回目の公聴会が「流会」になった後、ナコーンナヨック市民協会とナコーンナヨックの自然遺産を愛する人達のネットワークは共同して、オンカラック郡11の全地区で、このプロジェクトに反対する民衆の署名を集め、その8212名の署名付き書簡をタイ工業連盟(FTI)会長に申し入れた。また、次の機会にはナコーンナヨック県知事あてに書簡を提出する予定をしている。


(原文タイ語、翻訳:吉田かずみ)

【本『原発をとめるアジアの人びと』より】

1998年のNNAFのバンコクでの会議には、研究炉建設計画がもちあがっていたバンコク近郊のナコンナヨク県オンカラックの村人たちも参加した。96年に、応札した複数の海外企業の中からアメリカのゼネラルアトミック社が落札した。オンカラックは豊かな農業地帯であり、灌漑設備が非常に発達していてエビや魚の養殖も盛んである。予定地から4キロ以内に4つの学校と1つの病院がある。突然の研究炉計画は、地域の人々の不安をかきたてた。

2000年3月にはオンカラックから700人の村人たちが10台のバスを連ねてバンコクの科学技術省前につめかけ、激しい抗議行動をくり広げた。「コバルト60事故に対応できなかった原子力庁が、1万kWの研究炉を安全に運転することなど不可能だ!」と抗議の声を上げた。科学省副大臣が村民代表と非公開の協議を行ない、「地元が反対している限り、政府は研究炉の建設を許可しない」との念書にサインさせた。