注目

NNAF ネクスト Youtube No.4/5/6追加配信!

ノーニュークス・アジアフォーラム ネクスト

Youtubeチャンネルで NNAF Next という配信番組を開始しました。
たまに地図やWebページを参照しますが、ほとんど音声のみですのでお気軽にお聞きください。気軽に作成してます 🙂
まだ3回ですが、3回目は脱原発に向かう台湾の最新状況などもお伝えしていますので特に聞いてほしいです。

■NNAF Next No.1 脱原発に向かう台湾 1回目 台湾の発展と民主主義の歩みが人々を脱原発へと向かわせた
今年、アジアで初となる脱原発を実現する見込みの台湾。
なぜそれが実現できるのか、1993年から台湾を見続けてきたノーニュークス・アジアフォーラム ジャパンがお話します。

■NNAF Next No.2 脱原発に向かう台湾 2回目 政治と企業の癒着がない歴史が台湾の躍進をもたらした
半導体やスマホなど目覚ましい発展を遂げる台湾の経済。
そこには財閥がほとんどない自由な企業文化があった。
その理由を歴史から紐解きます。

■NNAF Next No.3 脱原発に向かう台湾 3回目 議会では少数与党の民進党がなぜ脱原発に向かえるのか
2024年1月に民進党の頼清徳さんが総統に選ばれました。
しかし立法院では過半数を得ることができず、原発を運転延長する法案が検討されています。
最新情報も含めお伝えします。

■【NEW!】NNAF Next No.4 脱原発に向かう台湾 4回目 台湾の4か所の原発立地点巡り
台湾には4か所の原発立地点があります。
しかし4か所目の第四原発は稼働することなく脱原発に向かいます。
今動いている原発は一つだけ。
4か所の立地点を見ていきます。

■【NEW!】NNAF Next No.5 脱原発に向かう台湾 5回目 第四原発訪問1999年
1999年に訪れた台湾。そこでは日本から輸出される第四原発の建設が始まっていました。
なぜか建設現場にまで入っていける状況、
そして赤さびが浮き出た壁面。衝撃の実態がそこにはありました。

■【NEW!】NNAF Next No.6 脱原発に向かう台湾 6回目 林さんと放射能汚染マンション
前回に続き1999年の訪問時の写真から、原住民の林さんのこと、
原発の廃材でつくられた放射能汚染マンションのことなどをお話します。
冒頭では原発延長法案の最新状況をお伝えしています。
(日本でよく使われる「先住民」という表記の「先」は台湾では
「故」に近い意味があることもあり台湾で使われている「原住民」
という表記を使用しています。)

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Nuclear-Free Future Award(核のない未来賞)を受賞

S.P.ウダヤクマール  
S P Udayakumaran 

ありがとうございます。「核のない未来賞」(*ドイツの財団が主催する賞)受賞が発表されて以来、非常に多くの友人、同志、支持者、そしてメディアを通じて様々な分野の方々から、心温まる祝福とお祝いの言葉をいただいております。皆様に心より感謝申し上げます。

しかし、クダンクラム原発に対する抗議運動は、個人によって始められたものでも、主導されたものでもありません。非常に多くの人々が参加し、大きな貢献をしてきました。そのリストを挙げれば、非常に長くなるでしょう。

命を懸けた人々、投獄された人々、運動のリーダー、神父、修道女、その他の宗教指導者、地域コミュニティのリーダー、村委員会のメンバー、女性リーダー、政党のリーダー、弁護士、映画界の著名人、学識者、作家、出版者、詩人、アーティスト、メディアの編集者、ジャーナリスト、支援団体、タミルナードゥ州内外からの支持者、その他の州からの参加者、一部の政府関係者、警察や情報機関の一部の関係者、運動の活動家、そして何千何万もの人々です。

このように、多くの人々が一体となって行った偉大な民衆闘争において、私だけがこの賞を受け取るのは適切ではないでしょう。多くの方々を壇上に上げることができない事情から、私が代表としてこの賞を受け取るのでしょう。私は皆様を代表してこの賞を受け取り、賞金を、イディンタカライ、クダンクラム、クッタンクリ、ヴィジャーパティ、クータプリの各地域の、スンダリさん、サラスワティさん、カディラバンさん、グラム・アサドさん、ヴァルキンスさんにお渡しします。彼ら彼女らは、この資金を地域住民の法的支援や医療費として使用する予定です。

人々の誠実で正直、堅固で道徳的、そして非暴力的な正義の運動は、いかなる時代にも崩されることはありません。誰にも崩すことはできません。14年前に始まったクダンクラム原発反対闘争が、国際的な認知を受けたということは、近い将来に必ずや勝利を収めることを意味します。偉大な詩人バラティヤールが言ったように、「思いがけない結果が訪れるのも、思い描いた目的が実現するのも、その行動のおかげである」。

クダンクラム原発を停止せよ!閉鎖せよ!

人口が密集するインドでは、破壊的な核施設をどこにもつくってはいけない!

クダンクラム原発反対闘争についての私の包括的な本が間もなく出版されることもお知らせします。

みなさんに感謝します。

2025年1月17日

S.P.ウダヤクマール(PMANE/原発に反対する民衆運動、NAAM/反核運動全国連合)

(原文・タミル語)


伴英幸さんとの語らい -台湾とNNAFについて-

伴英幸さん(原子力資料情報室共同代表)が逝去したのは、昨年6月10日だった。享年72。原発不明癌と診断されてから、わずか2カ月余りのことである。山積みとなっていた文書や資料を整理したり、自身の足跡と思いをまとめたりする時間的・体力的余裕は残されていなかった。

人と人を繋ぎ、運動と運動を紡いできた伴さん。その体験を伝え継ぐために、口述記録に取り掛かったのだが……病の進行と痛み止め薬の影響で、記憶を引き出すことが日に日に難しくなっていった。そこで各地から主だった方々にご足労いただき、病床の伴さんと思い出話を語り合っていただくことに。ここに掲載するのは、NNAFジャパンの佐藤大介さんとの語らいの一部である。伴さんは、脱原発へと向かった台湾を「成功例」だと語っていた。その実現を切に願ってやまない。 (鈴木真奈美)

佐藤 伴さんにはノーニュークス・アジアフォーラムでだいぶお世話になりました。伴さんは2000年から11年までの6回のアジアフォーラムに参加してくれた。日本での、2000年、08年、11年のフォーラム、台湾での、2002年、05年、10年のフォーラムで、伴さんが主に各国報告での日本報告をやってくれた。とくに08年の柏崎と東京でのフォーラムと、11年の福島、東京、祝島、広島でのフォーラムでは、伴さんが、実行委員会での重要な役割を担ってくれた。1990年代のノーニュークス・アジアフォーラムへの原子力資料情報室からの参加は、⾼⽊仁三郎さん。最近だと、松久保さんとか。

鈴木 90年代は、仁三郎さんだったんだ。

佐藤 93年の第1回の日本のフォーラム、95年の第3回の台湾のフォーラム。97年のフィリピンでの第5回フォーラムも仁三郎さんだった。伴さんが参加した2000年代はじめのころの台湾は、民進党の陳⽔扁が総統になって、第四原発の建設が、⼀旦は中⽌の⽅向になったのに、妥協しちゃって、2001年から建設再開になって運動が落ち込んでる時期で、02年や05年のフォーラムは励ます意味もあった。

鈴木 そのころに伴さんが台湾に行ったんだ。

佐藤 2003年は、アジアフォーラムじゃないんだけど、台湾で開催された「全国非核家園⼤会」。

鈴木 伴さんは台湾に何回も行かれたのね。

佐藤 そうそう。アジアフォーラムのときだけで3回、それだけじゃなく、それ以外のいろんなシンポジウムとか、こういう非核家園⼤会とかに呼ばれて⾏った。伴さんはニュースレターに、全部、報告記事を書いてくれている。原⼦⼒資料情報室通信にも書いているけど、主にこちらに詳しいのを書いてくれている。そのころは、国⺠投票をどうするかと。⺠主化運動の象徴の林義雄さんをはじめとして、第四原発の国⺠投票を要求していたけど、第四原発現地の貢寮の⼈は「⼤丈夫か。全国でやったらどうなるのか」って⼼配したり。そういう議論があった時期。順番が逆になってしまったが、その前、2000年に台湾では「持続可能エネルギー国際会議」というのがあり、伴さんが出て報告した。

鈴木 つまり、伴さんは毎年⾏ってたんだ。

佐藤 2001年は台湾で国際新エネルギーシンポジウム。伴さん、現地にも何回も行ったよね。

伴  うん、何回も行った。

鈴木 第四原発現地で印象深かったことは?

伴  ⼀番の思い出は、あの海岸で泳いだこと。第四原発のすぐそばの海で。

鈴木 泳いだんだ。そのころってまだ砂がちゃんとあったのかしら?

伴  いや、だんだんだんだん、なくなり始めたころだったと思う。

佐藤 日本でのアジアフォーラムのときも上関原発予定地の近くで泳いでたよね。

伴  ガハハハッ

鈴木 伴さん、泳ぐの好きなんだ。

伴  好き。

鈴木 第四原発のそばの海の砂が少なくなり始めたころかぁ。地元の人たちが必ず連れていってくれる媽祖(マソ)廟に行きました?

伴  マソ。印象に残ったのは、あれだ、道教といっしょくたになっているんだ。その辺がめちゃめちゃ面白かったね。マソ廟に⾏くと、表にはマソの像があって、ちょっと裏側、裏側というと変な言い方だけど、そこに神様がいた。

鈴木 民俗信仰っていうか、道教とか、いろんなものがごちゃごちゃになって、それが台湾らしいところですよね。

伴  そうそう。

佐藤 台湾の⼈と韓国の⼈、それぞれもちろんいろんな⼈がいるんだけど、台湾の人の方がなんか優しい、柔らかい感じがあるよね。

伴  はっは。

鈴木 でも、第四原発現地の貢寮の人たちって、世代にもよるけど、かつての貢寮の⽅々とか、実⼒⾏使派が昔はいたよね。今はいないけど。

伴  そうそうそう。

佐藤 呉文通さんにしても呉慶年さんにしても、怒ったら怖いね。我々と会ったときはニコニコしているけど、台湾電⼒が相手のときは、やるときはやるって感じで、怖いねぇ。

伴  はっはっは。

鈴木 そういった交渉みたいな相⼿とやりとり、やり合うところなんか⾏きました?

佐藤 たとえば、第二原発、第四原発のPR館で質疑応答するようなとき。台湾の人は普通は本当に柔らかい。いろんな⼈がいるけど。とくに呉慶年先生はやさしかった。

伴  そうそうそう。あぁ、懐かしいねぇ。

鈴木 日本語の通訳もやってくれたしね。私は台湾では娘のように本当に親しくしてもらって。お世話になった。

佐藤 そう。呉慶年先⽣とか、張国龍先⽣とか。

伴  あの人はさ、俺のおじさんと⽠⼆つの顔なんだよ

鈴木 へぇ、そうなの。2000年に台湾でエネルギーに関するフォーラムがあって、⾼⽊さんが亡くなる直前に台湾の皆さんに向けて書いた遺稿を携えて伴さんが来てくれて、それを会場で読み上げてくれた。そのフォーラムの最中に、陳水扁政権が第四原発中止を宣⾔したんだよね。その一報を受けた張国龍さんが壇上で、歓喜の声を上げるのをこらえるみたいに、照れたような顔しながら、それでも喜びで頬を赤らめて「中止が決まった」と言ったら、私の隣にいた伴さんが、「張国龍、カッコイイなぁ」とつぶやいたのを覚えている。

佐藤 「持続可能エネルギー国際会議」ね。これが伴さんの写真。アジアフォーラムの10月のニュースレターに、報告記事を書いてくれた。

伴  そうだった。

佐藤 首相が第四原発建設中⽌と発表した。その後巻き返されちゃうんだけど。一番せめぎ合っているころにも伴さんが行ってくれた。

鈴木 それと、本当にいいことをやってくれたと、今更ながら伴さんに感謝しているのは、台湾電力が再処理契約をフランスと締結しようとしてた時に、台湾にすぐに来てくれたこと。2015年だったね。

伴  あぁ、あった。

鈴木 台湾の人たちにとって再処理は寝耳に水で、それが何を意味するか、運動関係者でさえ把握していなかった。何しろ、突然、出現したわけだから。当時、第一原発と第二原発の貯蔵プールが満杯になりつつあり、乾式貯蔵施設を建設するとしても間に合いそうもない。そこで台湾電力は、使用済み核燃料の再処理を海外に委託することにし、その入札を行おうとしていた。再処理の道を開いたら、脱原発が困難になるので、とにかく再処理契約は絶対に止めなくちゃいけないと思い、こっちでこんなことが起きていると伴さんに電話をかけたら、すぐさま飛行機を予約して、文字通り、飛んできてくれた。大きなシンポジウムをやる時間的余裕はなかったから、運動関係者を呼んで伴さんに話してもらったり、メディアのインタビューを入れたりして、再処理がなぜダメなのか、知ってもらう場を設けた。その後、米国やフランス、イギリスの人たちも動いてくれて、そこまでいけば、台湾の運動は強いし、議員も再処理代金が高いことを理由に、立法院で反対し、契約を潰してくれた。

佐藤 馬英九が第四原発を凍結したあとだね。

鈴木 はい。再処理をめぐる伴さんの貢献は、目立つ活動じゃなかったけど、台湾にとって極めて重要で、もしも、あの時、再処理契約が締結されてしまっていたら、今の台湾はないと思う。

佐藤 真奈美さんは、台湾にどのくらいいたの?

鈴木 断続的に合計で5年くらいかな。あとは、短期的な訪問。

佐藤 フランスとの再処理の契約反対は、すごい重要だったよね。

鈴木 こういう連携もそうだけど、ノーニュークス・アジアフォーラムの意義のひとつは、輸出する側と輸入する側の市⺠運動が一堂に会しているというところだと思う。その辺りで何か思い出話ある?

佐藤 タイでは福島原発事故の直前に、候補地がいくつもあって原発建設計画がぐいぐい進みそうな感じだったけど、福島事故が起こって、すぐに、原発予定地の各現地で運動が盛り上がって、あっちで二千人、こっちで何百人、っていうデモが3月にバァーンと起こって、原発建設計画は延期になった。講演に呼ばれた伴さんが4月にタイに行ったとき、2011年の夏にタイでノーニュークス・アジアフォーラムが開催される予定だったけど、日本で開催してほしいと言われた。

鈴木 それで日本でやることになったのね。

佐藤 もしも福島事故がなかったら、もちろん、ない方がいいに決まってるけど、福島事故がなかったら、タイでは原発がどんどん建ってかたもしれない。

鈴木 タイだけじゃなく、インドネシアとかもどうなんだろう?

佐藤 インドネシアとフィリピンで90年代に進められようとしたけども頓挫して、2007年と2009年に、それぞれ復活してきた原発計画をつぶしてるんだよね。

鈴木 ではあのころは、原子力産業界にとってタイが⼀番有望だったわけだ。

佐藤 そのころはね。ただもう本当に我々にとって問題なのは、やっぱり原⼦炉を輸出しちゃった台湾。伴さんが本当に台湾に関わってくれた。日本の原発輸出問題は、90年代はインドネシア、その後は、トルコ、ベトナム、インドとか他の国の話もあるのだけど。

鈴木 輸出した側である日本ということもあって、台湾っていうのは伴さんにとっても関わりが強い国だったのね。

伴  交流というか、運動の連帯が広がっていた時期でね。それはすごかったと思うよ。

鈴木 運動の連帯というのは、他に具体的な例ありますか? たとえば、原⼦炉の日本からの搬出のときとか。

伴  搬出阻⽌⾏動、やったんだっけ。

佐藤 やった。呉で2003年、日⽴の原子炉、2004年は横浜で、東芝の原子炉、海上で搬出抗議行動をやった。

鈴木 現地の⽅では?

佐藤 現地では搬⼊抗議行動。

鈴木 あと、他に何か具体的な例あるかしら。

佐藤 その前は、国会での追及とか。二国間協定がないのに、アメリカとの交換公文だけで原発輸出していいのかと。辻元清美さんや福島みずほさんとかが、質問や質問主意書など、いろいろ協力してくれた。

伴  そうそうそう。

佐藤 90年代後半から、日本で何度も原発輸出反対の集会や、交渉や、署名運動、広がらなかったけど不買運動も呼びかけたりとか。伴さんたちとよく⼀緒にやった。

鈴木 第四原発は成功例の⼀つだよね。ノーニュークス・アジアフォーラムで作ってきたネットワークや繋がりを土台としてお互いに連携しながら⽌めることができた。

佐藤 伴さん、今、成功例という言葉に、うなずいてたけど、第四原発が中止になって、台湾は脱原発に向かっている。本当によかったよね。

一同 笑い

佐藤 本当よかった。⻑いことやってきて。

伴  成功例だよね。かつての運動が、なんて言うか、世界的なネットワークの形成と、それによる共通の敵、というと、ちょっと強いかもしれないけど、共通の課題にみんなが一堂に、一緒に闘う組織が作られていった。

佐藤 2000年から2011年は、台湾の運動は落ち込んでる時期なんだよね。建設工事がどんどん進んでいた。

伴  そう、落ち込んでる時期だった。

鈴木 でも運動は続けていたんです。

佐藤 それが良かった、運動を続けて。日本でも原発のこんな問題があると伝え続けた。地震の問題とかABWRの構造の問題とか。

伴  そうそうそう。

鈴木 日本は他のアジアの国に⽐べると原発先進国なわけじゃないですか。同時に、いろんな事故の先進国でもあって、その事例を日本側から発信することは意義が⼤きかった。

佐藤 それを伴さんがやってくれた。2000年から2011年までの間、台湾の運動は落ち込んでるけども続いている。集会や、記者会⾒、台湾電⼒との交渉とかで、こんな問題がある。あんな問題があるって、やり取りした。そんな様々なことをやっていく中で、建設を遅らせてきたし、運動を続けてきたその流れの中で、福島事故の後の爆発的な盛り上がりと、建設中止に繋がっていったわけだから、成功例と言っていいのかな。90何%できちゃったっていう中で、もう駄目だなと思ってたけど、2011年、12年、13年、14年の台湾の人たちはすごかった。ずっと繋げてきたから、続けてきたから。

鈴木 運動を繋げてきたなかで、たとえば2010年のノーニュークス・アジアフォーラムで、地震と原発の問題の話があったそうだけど。

佐藤 2010年のノーニュークス・アジアフォーラムで、立法院で公聴会をしたんだけど、台湾電⼒が「第四原発の耐震は400ガルだ、⾮常に優れている」とぬかしやがるんだよ。

伴  笑

佐藤 で、伴さんが、(伴さんの声を真似して)「それでは駄⽬なんだ」と。

伴  公聴会っていうのがあるんだよね。

佐藤 日本で⾔ったら国会議員会館での集会、院内集会と似てる。台湾電⼒が「400ガルは日本での800ガルに相当する」なんてとんでもないことを言ったんで、伴さんが「それはインチキだ!」って発言した。伴さん、覚えている?

伴  うん。この写真の顔、院内集会みたいなかたちでのやりとりとか、結構覚えてる。

佐藤 いやぁ、話してるといろいろ思い出すね。芋づる式に。

鈴木 20何年間の話をしてるわけだから、つきないよね。⽴法院の公聴会のとき、どうでしたか?

伴  結構ね、シビアなやりとりは、シビアというか、結構しっかりした相手とのやりとりをした記憶はある。意外と、食い下がっていたと。

鈴木  自分が?

伴  そう。

鈴木 そのときは呉慶年さんが通訳だった?

伴  呉慶年先生? 違うよね?

佐藤 ダンギンリンくんだったかな。

鈴木 ギンリン君、懐かしい。台湾って若い世代がどんどん⼊ってくるっていうのがすごいよね。元気づけられる。

佐藤 ベテラン連中も頑張るし、若い連中もどんどん増えてきて、いいね

鈴木 日本はベテランが頑張ってる(笑)。日本ではノーニュークス・アジアフォーラムは運動のひとつだけど、台湾にとっては世界とつながる、きわめて重要な存在であり、運動の中で確固たるポジションを築いてきたと思う。その中で、伴さんがどういう貢献をしたのかが分かった。他の国ではどうかしら。

佐藤 伴さんは韓国にも何回も行っている。

鈴木 韓国の思い出は?

伴  マッコリが思い出。

鈴木 翌日⼤変だったんじゃない、酔っ払って。  マッコリ以外に思い出ある? 韓国も原発現地にずいぶん行ったの。

伴  ⾏きましたね。韓国のノーニュークス・アジアフォーラムの仲間が案内してくれて、韓国の原発は全部回ったよね。

鈴木 全部回ったの? すごい数だと思うけど。あ、そうでもないか。場所は4つか。

鈴木 情報室は海外の団体や個人と連絡取り合ったり、交流してるけど、定期的というか、コンスタントなのはやっぱり、ノーニュークス・アジアフォーラムなんじゃないかしら。

佐藤 30年間で20回のフォーラムをやっている継続的なのは特色。単発的に盛り上がる国際会議、シンポジウムというのは色々あるけれど、継続的にやってるっていうのは特色だよね。

鈴木 最後に、ノーニュークス・アジアフォーラムのエピソードとか、こういうことをやればよかったなみたいなことありますか? 伴さん、一言ある?

伴  俺は受⾝なところがあるから、積極的にこうやっておけばよかったというのはないけれども、要は、連帯と発展のキーだよね、ノーニュークス・アジアフォーラムというのは。毎年のように定期的にずっとこれを続けてきてる。そして、なんだかパワフルな女性たちが、ある種、核を作ってるよね。

鈴木 パワフルな女性?

伴  プナール・デミルジャン、トルコの。

鈴木 韓国もそうだし、台湾もそうだけど、女性たちが、みんなすごく強いよね。フィリピンのコラソンさんとかね。ノーニュークス・アジアフォーラムですごいなと思うのは⼥の⼈たちが強くて、活発で、活躍してて。

佐藤 金福女さんや、インドのヴァイシャリさんも。

鈴木 ノーニュークス・アジアフォーラムがずっと続けられてきてるのは、やっぱり⼥性の⼒っていうのがあるような気がする。

佐藤 その通り。伴さん、今、受⾝なところがあるけどとか⾔ったけど、2008年の日本でのフォーラムは伴さんが中心になって呼びかけてくれたんだよ。

鈴木 呼びかけ、伴さんだったの?

佐藤 そう。原子力資料情報室、原水禁、ノーニュークス・アジアフォーラム・日本事務局の3者で主催して、このときは伴さんが中心だった。2007年の新潟の中越沖地震の後、台湾での気候変動・国際NGOフォーラムで伴さんが環境保護連盟の施信民さんから、「来年、ノーニュークス・アジアフォーラムを日本で地震をテーマにしてやってください」と言われたの。それで伴さんが中心になって呼びかけた。2011年のときも、伴さんが積極的にやってくれた。福島事故の後に。

鈴木 伴さん、ノーニュークス・アジアフォーラムやってて楽しかった?

伴  楽しかった。楽しかった理由はやっぱり、広がりがすごく作れたこと。

鈴木 確かに、広がりが実感できるよね。実際に止めてきたていう実績も作っているし。

・・・ 後略 ・・・

鈴木 今日は、大介さんに大阪から来ていただき、ノーニュークス・アジアフォーラムの話をしていただきました。お疲れさまでした。

中島 佐藤さんがいたから、伴がいろいろ話してくれた。オーラルヒストリーで一番輝いていたのは今日だよ。

(*中島さんは伴さんのお連れ合い)

鈴木 こんなことあった、あんなことあったと思い出すことができたね。伴さん、のどかわいていない?

伴  大丈夫、大丈夫。

佐藤 また来ますよ。

伴  ありがとう

(収録日:2024年5月10日、文字起こし協力:原子力市民委員会事務局)

台灣環境保護聯盟「伴英幸先生を偲ぶ」
原子力情報室共同代表 伴英幸先生ご逝去の悲報を知り、誠に残念です。
彼は台湾の反原発運動を支援するために何度も台湾に来てくれました。
私たちは、伴英幸先生の友情と反原発運動への貢献をいつまでも忘れません。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信193号
(25年4月20日発行、B5-32p)もくじ

・原子炉施設規制法改正反対、台湾を守る唯一の道はリコールだ
 (全国廃核行動プラットフォーム)
・ノーニュークス・アジアフォーラム ネクスト配信開始  (とーち)
・第2、第3原発の計画も進めるトルコで政権への大規模抗議 (森山拓也)
・原発は本当に安全なのか (小原つなき)
・尹錫悦罷免に伴う声明 (密陽765kV送電塔反対対策委員会)
・「尹錫悦罷免を越え、核のない世界に向け、脱核が民主主義だ」 (脱核市民行動)
・韓国済州島の海女さんたちを訪ねました (大河原さき)
・ベトナムの原発計画が再始動 (吉井美知子)
・新潟県民投票条例否決される (小木曽茂子)
・女川を核のゴミ捨て場にするな! 女川原発を廃炉に!  (多々良哲)
・北海道泊原発の現地から (佐藤英行)
・川内原発を動かすな (小川みさ子)
・3・22上関原発を建てさせない・核のゴミはいらない山口大集会  (三浦みどり)
・上関町での中間貯蔵施設の建設に反対する決議 (山口県田布施町議会)
・6.8「もうやめよう あぶない原発! 大集会inおおさか」 (木原壯林)
・311子ども甲状腺がん裁判について思うこと (阿部ゆりか)
・はじめての시위(シウィ) ~わたしたちにもできる!~ (渡辺あこ)
・伴英幸さんとの語らい -台湾とNNAFについて-

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非核亞洲論壇30年

高成炎(台湾環境保護連盟)

         1995年、第3回NNAF、3万人デモ

非核亞洲論壇(NNAF)は、アジア各国で開催され、反原発運動の国際的な連携を強化し、多くの政策転換を実現した。

私は数多くのNNAFに参加してきた。とくに、第3回NNAFは1995年9月に台湾で開催されたが、当時、私は環境保護連盟の副会長を務めていたため、NNAFの主催を担った。2011年、福島原発事故後の日本開催NNAFでは、呂秀蓮元副総統の参加を促し、福島災害地の視察を実施した。私はその後、『福島核災啓示録』を執筆・出版した。

NNAFは、発足から30年にわたり、アジア地域において核エネルギーの見直しとエネルギー転換を推進する重要な役割を果たしてきた。各国の草の根運動を結びつけ、長期的な影響を持つ成果を数多く生み出した。NNAFの中心的な議題は、地震が原発に及ぼす危険性、核廃棄物処理の問題、核エネルギー政策の影響、そして草の根抗争の国際的な連携である。その影響を以下にまとめる。

1. 核エネルギー危機の顕在化と抗議活動の拡大

2007年の日本・新潟地震は柏崎刈羽原発の安全問題を浮き彫りにし、NNAFは「地震と原発」というテーマに関心を寄せるようになった。

2011年の福島原発事故は反原発運動の大きな転換点となり、台湾第四原発阻止への闘い、インド・クダンクラムの非暴力闘争、韓国サムチョクの原発計画反対運動といった、アジア各国の抗争をさらに拡大させる契機となった。

NNAFは現地調査や住民交流、国際会議を通じて、原発がもたらす環境および社会的リスクを広く周知させた。

2. 政策変革と草の根運動の強化

ここ十数年間で、NNAFは政策の変革を促進し、2014年の台湾第四原発建設の凍結、2016年のベトナムにおける原発建設計画の撤回、2018年の韓国における原発拡張計画の中止を実現させた。

これらの成果は、NNAFが草の根運動を支援し、現地の住民と活動家に国際的なプラットフォームやリソース、自信を提供したことによるものである。

フィリピンのバターン原発やインドネシアのムリヤ原発の反対運動においても、NNAFは地域の運動を持続的な力へと変えて、住民たちは原発をくい止めてきた。

3. 国際連携とアドボカシー活動

NNAFは、アジア諸国の反原発運動の国際的連携を促進し、各国が原発情報や運動の成功事例を共有する場を提供することで、核エネルギーのリスクに対する一般市民の認識を高めた。

また、国際的な結束と協力を強化し、集団的行動を通じてアジアでの原子力産業の拡大を阻止してきた。

さらに、福島原発事故による汚染水の海洋放出に反対する国際署名運動など、世界規模のアドボカシー活動も展開し、110カ国から8万人以上の署名を集めることに成功した。

4. 無核化と平和的発展の推進

NNAFの30年間の活動は、無核化が決して達成不可能な目標ではないことを証明してきた。国境を越えた協力と草の根の力によって、NNAFはアジアにおける環境正義と平和的発展を推進する中心的なプラットフォームとなった。

今後も国際社会との連携を深め、政策変革を促進する使命を果たし、地球規模での無核化をめざして尽力していくものである。
(「台湾環境」25年2月号より、抜粋)

1995年、第3回NNAF、3万人デモ

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信192号
(25年2月20日発行、B5-28p)もくじ

・第21回ノーニュークス・アジアフォーラム in 台湾 - 開催のお知らせ    
・非核亞洲論壇30年 (高成炎)
・脱核運動の知彼知己  (キム・ヒョヌ)
・[脱核新聞座談会] 尹錫悦弾劾の局面で、脱原発運動は何をすべきか (キム・ヨングクほか)
・大統領弾劾の政局のなかでも原発の寿命延長、着々と進む (小原つなき)
・インドネシアは再び原子力の夢を見るか? (安部竜一郎)
・Nuclear-Free Future Award(核のない未来賞)を受賞 (S.P.ウダヤクマール)
・15万筆超えのインパクト ― 新潟県民は県民投票を求めている (水内基成)
・能登半島地震から14か月 ― 地震と原発避難 ― (堂下健一)
・能登半島地震から1年経っても地震は続く (川原登喜の)
・上関町で生きていく子供たちの為に  (清水康博)
・六ヶ所再処理工場とむつ中間貯蔵施設の現状 (山田清彦)
・核ごみ文献調査報告書が完成 (高野聡)
・福島原発事故被害は今 (宇野朗子)
・老朽原発の延長認可の違法性について初めての司法判断 (柴山恭子)
・使用済み核燃料の行き場はないぞ! 老朽原発うごかすな! (木戸惠子)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。連絡ください → sdaisuke アット rice.ocn.ne.jp

「気候危機の時代における原発輸出入政策への抵抗」・原発拡大への国際共同対応のためのウェビナー

オ・ソンイ編集委員 (韓国脱核新聞12月号より)

11月19日に開かれたこのウェビナーは、脱核新聞と反核アジアフォーラム(NNAF)、脱核市民行動、ユン・ジョンオ国会議員(進歩党)、国会気候危機脱炭素フォーラムが共同で主催した。ウェビナーは、キム・ヒョヌ氏とDJジャニエの共同司会で行われ、韓国とフィリピン、日本、トルコの脱原発活動家たちが各国の原発輸出入の現況とその問題点について発表した。

韓国の状況は、イ・ホンソク氏が紹介した。韓国は、米国やカナダなどから輸入して原発を建設してきたが、1990年代に原子炉を国産化し、2009年からはアラブ首長国連邦(UAE)に原発を輸出した。17年には英国ムーアサイド原発、22年にはポーランドにも原発輸出を試みたが、事業が失敗に終わったり取り消しになった。

イ・ホンソク氏は、最近、韓国がチェコに原発輸出を試みているが、ウェスティングハウス社が知的財産権を主張して訴訟を起こし、その結果は分からないと分析した。

現政権は「原発最強国」を成し遂げるとして大型原発輸出と小型モジュール原子炉(SMR)等を開発しているが、事業主体が公企業であるにもかかわらず、国民に収益性や安全性などに関して正確に知らされたことがなく、事業者が国会にも資料を提出していないと指摘した。

彼は、脱原発の労働者と共に、原発産業の正義的な転換への議論をすることが必要だと強調した。

フィリピンからは、「非核バターン運動」のデレック・チャベ氏が報告した。バターン原発は1984年に完成したが稼動したことがない。マルコス・ジュニア大統領は、父親の主要政策の復活の意味をこめて、候補時代から稼動を公約して推進している。

このための実行可能性調査を韓国の韓水原が費用まで負担しながら協力している。

しかし、バターン原発は、マニラ海溝に近く、断層帯と火山地帯に位置する立地的な問題とともに、核廃棄物に対する解答が出ていない。また、アンケート調査の結果、バターン原発のあるモロン地域の半分に近い地域住民たちが稼動に反対している。

デレック・チャベ氏は、「原発の輸入・輸出を阻止することは、核拡散を防止することだ」とし、「バターン原発の稼動を阻止するために、韓国の人々の役割が非常に大きい」と強調した。

原子力資料情報室の松久保肇事務局長は、日本の原発輸出計画失敗の歴史を紹介した。同氏は、「日本は福島原発事故前から自国内の新規建設が停滞するなかで輸出を試みた」と述べた。

日本は、2010年にベトナムと原発の輸出に合意したが、ベトナムの電力需要見通しの下方修正、費用、対外債務問題で、16年に計画が中止された。

日立は、英国で原発建設を引き受けたが、計画が取り消され、莫大な損失を被った。三菱重工業もトルコで原発の建設に参加することにしたが、費用が増加して撤収した。東芝は、米国の原発製造会社であるウェスティングハウス社を買収したが、建設費用が莫大に超過し、この買収によって東芝は破産寸前に追い込まれたと報告した。

松久保事務局長は、「世界エネルギー機関(IEA)の見通しによると、原発が増える主要な国は中国だが、中国は自国で部品調達が可能なため、中国への原発輸出は容易ではない」と述べた。

最後に、トルコ反核プラットフォームのプナール・デミルジャン氏が、民主主義が後退したトルコの社会全般の状況とともに、トルコの原発輸入問題を報告した。トルコ政府は「2050年ネットゼロ」を達成するために原発を3倍に増やすと発表し、3ヵ所で原発の建設と計画を推進している。

彼女はまず、シノップ原発の建設には、居住人口の増加、大規模な漁業被害、100万本以上の伐採など問題があり、事業者選定もされていないのに、トルコ政府は政治的な目的のために環境影響評価を承認したと批判した。

アックユ原発は、工事が遅れたために、まだ稼動していない。また、ロシア国営企業のロスアトムとその系列会社がアックユ原発の持分を大部分所有しており、電力需給においてロシア依存度が高くなっている。

プナール氏は、「ロシアでは反核運動が活発ではなく、トルコも最近、反核活動を行うことが安全ではない状況だ」とし、「国際的な協力が重要だ」と強調した。

その後、参加者たちは、原発が決して気候危機の代案になり得ないことについて、市民とより積極的に認識を共有し、原発の輸出と輸入を防ぐために連帯を強化しようと、意見を集約して行事を終えた。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信191号
(24年12月20日発行、B5-28p)もくじ

・「気候危機の時代における原発輸出入政策への抵抗」
  原発拡大への国際共同対応のためのウェビナー (オ・ソンイ)
・フィリピンと韓国が、バターン原発の実行可能性調査を開始することに対して、環境保護団体は警鐘を鳴らす (ハンナ・フェルナンデス)
・韓国の原発関連事情 (岩淵正明)
・日韓脱核平和巡礼2024 (昼間範子)
・老朽原発の寿命延長を中断し、原発振興の暴走を今すぐ止めてください (カン・オンジュ)
・柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で (大賀あや子)
・被災原発、女川原発を動かすな (日野正美)
・「動かすな!女川原発 11.2全国集会」でのスピーチ (武藤類子)
・島根原発2号機へ燃料を装荷せず再稼働をするな (広島県5団体)
・島根原発2号機の再稼働に怒る (芦原康江)
・東海第二を廃炉にして、原電自体の使命変えることこそ (披田信一郎)
・原発と核燃サイクルへ (片岡栄子)
・いらない!核のゴミ、止めよう!中間貯蔵施設 (安藤公門)
・放射能汚染土再利用にIAEA(国際原子力機関)が「お墨付き」
  環境省が進める放射能の全国へのバラマキにストップを (青木一政)
・浜岡原発の防波壁、28メートルにかさ上げへ (沖基幸)
・「12・8とめよう!原発依存社会への暴走 関電包囲大集会」に参加して (青山晴江)
・保養資料室《ほよよん》の近況・企画展「能登半島地震」 (宇野田陽子)

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韓国・気候正義行進 & 東アジア脱原発青年交流会【報告】

 9月7日、韓国ソウルでの「907気候正義行進」に、615の市民団体、3万人が参加し、「気候じゃなくて、社会を変えよう」「気候正義の始まりは、脱原発から」と訴えた。
 気候正義行進への参加と合わせて、韓国・脱核新聞とノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパンが、韓国、台湾、日本の若者たちによる「東アジア脱原発青年交流会」を開催した。気候正義運動と脱原発運動をつなげ、国境を越えて互いを理解し、共感を深める機会とするための若者同士の交流を強化すること、そして、2025年に台湾で開催予定の「NNAF青年交流会」につなげることを目的とした。
 

「核発電は気候危機の代案ではない!」
【ドローン空撮映像】https://www.youtube.com/watch?v=OHUbNnGRZyc


【報告】 渡辺あこ(일팬solidarityclub)

9月7日の午前中は、西大門刑務所を訪問した。市民の抵抗と暴虐な権力の歴史を改めて感じることができた。ランチには、脱核法律家の会「ひまわり」のキム・ヨンヒ弁護士も参加して、携わっている気候訴訟についての話を伺った。8月29日に憲法裁判所が、炭素中立基本法に対して、2031~49年の削減目標を示していないため将来世代の環境権などを保護していないと指摘し、憲法違反だとする判決を下したのだ。

14時、大企業本社が集中する江南(カンナム)で、907気候正義行進に参加

まず、前段の脱原発集会。初めのあいさつで、脱核蔚山(ウルサン)市民共同行動の天道僧侶は、憲法裁判所の炭素中立法・憲法不合致判決にふれて、「高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)も、未来に過重な負担を負わせている。安全なエネルギーへの転換が政府の緊急課題だ」と訴えた。

ハンビッ核発電所対応湖南圏共同行動の小原つなき政策チーム長は、「原発が気候危機の代案だという主張は、あまりにも安易な考えだ」と批判した。そして「ハンビッ(ヨングァン)原発の寿命延長手続きが一方的に強行されており、韓国水力原子力は、福島原発のような事故を想定せず、住民避難対策をまともに検討していない」「真のエネルギー転換、安全な社会のために脱原発を成し遂げよう」と強調した。

脱核慶州市民共同行動のイ・サンホン委員長は、「私たちの運動は、希望がいっぱいの闘争」と言い、9月21日に開かれる月城(ウォルソン)原発・移住対策委テント座り込み10周年大会開催を予告した。

緑の党のコン・シヒョン脱核委員長は、「脱原発が気候正義だ。再生エネルギーを抑制し原発を拡大する政府は許せない」とアピールした。

15時からの本集会には、615団体、3万人が参加し、様々なスタイルでアピールが行われた。

907気候正義行進・共同執行委員長のチョン・ロクさんは開会あいさつで、「労働、人権、女性、環境、反貧困運動など多様な領域で、新たな社会をつくるために奮闘してきた私たちは『気候正義運動』で互いを行き来しながら結ばれ、今日このように集まった」と発言した。

気候正義行進の3つの基調は、「気候危機時代のなかで、尊厳ある暮らしを守るための闘争」「脱原発・脱化石燃料と、再生エネルギーへの転換」「新空港・国立公園ケーブルカー・四大河川開発事業など、生態系破壊事業の中断」である。

韓国労総・金属労連のキム・ジュンヨン委員長は、「気候災害は、労働者の生命も脅かし、雇用も脅かす」「正義的な転換のためには、労働者の雇用問題と共に、脆弱階層がより大きな被害を受ける社会的不平等を解消しなければならない」と話した。

青少年気候行動のユン・ヒョンジョンさんは、8月29日、憲法裁判所が炭素中立基本法に対して憲法不合致の判決を下したことについて述べ、「これからが本格的なスタート」と誓った。彼女は、「青少年たちは、自らが変化の主体になることを選択した。私たちの人生を守る最前線を共に作っていこう」と訴えた。

脱核蔚山市民共同行動のパク・チニョンさんは、「私たちが電気を使うことによって生じる高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)について、もう一度考えて、戻る道を考えてみる時だ」「脱原発こそが、再生エネルギーを拡大する」「尹錫悦政府の原発暴走政策を防ぎ、市民の安全を守る気候正義のために、いち早く脱原発を」と主張した。

放射性廃棄物のドラム缶の模型も

マーチでは、参加者たちが、カラフルなプラカードや、旗や被り物などで盛り上げた。脱原発を訴える市民も多くいた。

パレスチナの国旗や、レインボーフラッグを掲げている人の姿もあり、様々なセクターから参加者が集まっていることが見てとれた。歌手のイ・ランさんのパフォーマンスや、バンドチームの参加もあり、アートを用いての連帯行動もあった。3万人で、ダイ・インも行った。この、まるでお祭りのような楽しい姿は、マーチやデモの一つのロールモデルとして記憶したい。

翌日は、朝から東アジア脱原発青年交流会が開かれた。3カ国語が飛び交う新鮮な空気感の中、若者参加者がそれぞれの活動報告をした。

前列左から、李其丰さん、李若慈さん、林正原さん、
中列左から、小原つなきさん、ピョン・イニさん

岡本直也さんは、自身の居住地である祝島について紹介をした。対岸の原発計画が進めば、島の人たちが大切にしている精神的な文化までも奪うことを強調した。

長野誠さんは、鹿児島県の川内原発について話した。地方自治体故の脆弱性や、県議会による県民投票条例案の否決があったことにも言及した。

川崎彩子さんは、自身が参加している気候訴訟や、若者中心の運動体であるFridays For Future や、ワタシのミライでの活動を報告した。

私は、日本のK-POPファンの視点から、気候正義や、歴史的不正義に着目した活動の報告と、意義について話した。

台湾からは、緑色公民行動連盟のメンバーである林正原さん、李其丰さんが、台湾で行われている脱原発運動の現状を報告した。特に、来年の原発ゼロ達成が揺らいでいるという状況には、会場の参加者から不安の声が多く集まった。李さんは、そんな中でも、市民の関心を脱原発運動へ集めるために、より親しみやすく楽しい啓発活動に力をいれていると語った。過去に行ったイベントでは、脱原発へ向けたメッセージやイラストの入った版画制作体験を参加者へ提供したそうだ。写真からも参加者の楽しそうな声が聞こえてくるようだった。

また、Their Nuke Story創設者である李若慈さんは、台湾の原発現地を巡り、地域住民のポートレート写真を撮影し、聞き取りを行っている。原発の問題点は、科学知識にのみ依拠するものではなく、そこに住む人の人権や生活が脅かされることである、という視点の可視化に努めている。

韓国・脱核新聞編集委員の小原つなきさんは、韓国全体の原発の現状と、原発の寿命延長のための公聴会プロセスにおける暴力性や、いい加減さについて話した。

チョン・スヒさんは、密陽住民の送電塔建設反対闘争に対して政府が物理的に弾圧したことを報告にあげた。また、密陽でこれまで運動を支えてきた世代の高齢化に対する不安を話した。

ピョン・イニさんは、2022年からグリーンコリアに参加する若者だ。社会福祉士として生活をしているうちに、村の地域コミュニティに関心を持つようになったという。今は、どんな言葉がより多くの市民の共感を得られるのか、模索しながらコンテンツづくりに励んでいる。

皆、住む地域は違えど、目指すものや、そこにたどり着くまでの葛藤の部分では、共に共感しあえる希望的な時間だったように感じる。各々の活動報告の後の討論会では、脱原発運動における世代交代の懸念に関してと、気候危機運動に脱原発運動をどのように携わらせるかという題で議論した。これらの論点において、台湾と韓国からの参加者は、気候危機対策のひとつとして、原発稼働が謳われてしまうことが、気候正義運動から脱原発運動を遠ざけている要因になっているのでは、と指摘した。気候正義も、脱原発も、問題の核や、ゴールは同じはずであり、互いに協力しあえることを強調した。一方で、東京でさまざまな市民運動に関わる川崎彩子さんは、ゴールは共有できるということを前提に、運動体が問題の交差性を理解することが必要ではないか、と提示した。

声をあげ続けるために、その場が安全であることや、互いにケアをしあい、運動参画の在り方にジャッジをしない関係性を築いていくことの重要性を共有していくことが、今後の脱原発運動の課題と言えそうだ。また、来年の台湾でのノーニュークス・アジアフォーラムでも、若者が中心となって話し合える場を設ける計画を話し合った。

受け入れコーディネーターの金福女さん(通訳も)、小原つなきさん、イ・ホンソクさん、キム・ヒョヌさんほかの韓国のみなさん、ありがとうございました。

*今回のとりくみは、一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストの2024年度助成を受けて実施されました。

■「気候正義行進 in ソウル(1分動画)」 (作成:ilpensolidarityclub)
https://youtu.be/u4rveTl7v3I

■「韓国気候正義行進・東アジア脱原発青年交流会(3分動画)」 (同上)
https://youtu.be/WjTqF5bDYSA

■報告会「韓国・気候正義行進 & 東アジア脱原発青年交流会」 24.10.12 (渡辺あこ・岡本直也・長野誠・川崎彩子)
録画 https://youtu.be/13l0o9xMYOs

■ 気候正義行進と 東アジア脱原発青年交流会に参加して

川﨑彩子(Fridays For Future Tokyo、ワタシのミライ、若者気候訴訟原告)

907気候正義行進に参加した私は、日頃からFFFで「気候正義」を軸に活動している一人として、その概念が、3万人が行進するマーチのタイトルになるほど社会で共有されていることに驚きを隠せなかった。

集会とマーチでは、脱原発や気候危機対策を求めるグループだけでなく、動物愛護、パレスチナ虐殺反対など、様々な観点から気候正義が掲げられていた。

私が最も驚いたことは、火力発電所の労働者との連帯。気候正義に基づくエネルギーの移行には、火力・原子力発電の労働者の生活が守られることは必要不可欠だ。

市民的不服従の強さも印象深かった。市民が使っている車線に車が入り込み、整備がうまくいかない警察に市民が声を荒げる。マーチによる通行止めに怒る運転手らに対しても、彼ら・彼女らは一切折れず、自分たちの権利を存分に行使していた。

4年前に日本に留学しに来ていた友達と韓国で再会し、マーチの話をした。友達は「そういう場面があるから、デモは面白いんだよね」と言っていた。

ダイ・インで熱いコンクリートに寝転がって今までにない角度から樹木を眺めたり、ドラムのリズムに乗りながら、言葉の通じない人々との連帯も感じた。

西大門刑務所歴史館を訪れたことも、社会運動にとりくむ者として意義深かった

私は、韓国と台湾からの参加者と話すとき、日本の歴史的な加害性を意識せずにはいられなかった。

エネルギー分野においても、日本は石炭火力・原発を輸出してきている。それはいまだにアジア各国への植民地主義がかたちを変えて続いていることを表している。

交流会では、参加者の日頃の活動、運動への想い、地域の人々の現状をきき、自分の脱原発への想いも一層強くなるのを感じた。

私が特に関心を持ったのは、同い年のEtta(李若慈)さんの研究。原発のある地域の人々の言葉や心情の変化を、文化人類学の観点から研究するというもの。それは必ず、脱原発運動を構築するナラティブに視座を与えるものだと思う。私が住む東京の運動では、地域の人々を代弁する言葉を聞くことが多い。それに問題意識を持っていた私にヒントをくれた。

次は台湾での闘いの歴史も、もっと現地で聞くことができたらと思った。

私はこれまで、気候危機と原発の関係性について少しずつ声を上げてきた。しかし、若年層で脱原発の声がなかなか上がらない現実に、何か新しいこともしたいと思っていた。

「気候正義」が大きな連帯の可能性を持っているのならば、どのような語りが人々をつなげるのか、日本国内の文脈にも即して考えたい。

今回のようなアジアでの連携は続けながらも、国内で幅を広げられるようなものを企画するつもりだ。来年は、台湾の脱原発とともに日本からも進捗をお伝えしたい。

長野誠(原発ゼロをめざす鹿児島県民の会)

鹿児島県にある川内原発、1号機が今年の7月に20年延長運転に入った。

昨年、鹿児島県では「20年運転延長の是非を問う県民投票条例制定」を求める直接請求署名集めを行った。「是非を」としたのは、原発賛成派の人からも署名を集めるためと、県民が県政へ自分の意思を表す機会をつくるためだ。

法定数50分の1、約2万6千筆を2か月で集めなければならない。鹿児島も国内他県と同じく原発に関わる活動者の高齢化が著しく、しかも離島や山間地域の多い鹿児島県全域で、川内原発の説明、署名の意図の説明、直接請求署名の書き方の説明をしなければならなかった。

夏の猛暑・雨の中、毎日署名を依頼し続けた結果、最終的に法定数を超える約5万筆が集まった。法定数の倍近く集まるとは思っておらず、県庁へ署名を届けた際はその量と重さに驚きと感動を覚えた。

しかし、原発推進派議員が多い県議会は県民投票条例設置を不採択とした。これまでの県民投票署名や延長運転開始など、地元テレビや新聞で取り扱いはされていたが、大きく扱われたという印象は極めて低い。このまま行けば2号機も来年延長運転に入るだろう。

この現状や報道の熱の低さは、「関心ある人が声をあげられる雰囲気が弱い」「若い人の関心が低い」「若い人、新しい住民が参加しづらい」という、今回の東アジア脱原発青年交流会に参加した日本各地で抱える同様の問題が大きく関係していると考える。

一方、韓国で参加した気候正義行進ではその規模や人数にも驚いたが、若者や学生が非常に多く参加していることに驚いた。しかし報告の中で、「若者が減っている」というのだから日本にいる身としては輪をかけて驚かされた。

行進では複数のリズム隊が力強くも軽快な音を刻み、進行ルート各所で違うコールが行われ、飽きさせない。体力に合わせて途中退場も途中参加も自由。訴えに合わせてルート上でのパフォーマンスをする団体。デモ行進に反対の人だろうか、車からクラクションが鳴ったとしても、「応援されている」と余裕の態度で手を振り返す行進者たち。様々な工夫が各所に見られ、目から耳から刺激を受け、長距離長時間の行進でも、疲れどころか進行先の楽しみを生んでくれる。

デモ行進が活動の全てではないが、それだけでも多くの学びがあった。国内では経験できなかったであろう、世代問わず活動に加わりやすい環境・仕組み・宣伝を作っていく貴重な学びとなった。

ヨングァン原発の寿命延長に反対して岡本さんも発言した

岡本直也(上関原発を建てさせない祝島島民の会)

私は、上関原発予定地からわずか4km先にある離島、祝島に東京から移住して15年になる。2009年には上関原発建設の海の埋め立て工事が着工したが、祝島や支援者の抗議行動、座り込みで、2011年の福島原発事故によって工事が一時中断されるまで、阻止することができた。

11年前に、韓国で反原発の活動をしている方々が祝島に来て交流し、その経緯から私は韓国を一度訪れていたので、今回の参加では、いくつもの再会と出会いがあった。

宿舎でも交流し、それぞれの活動について話したり聞いたりができた。台湾の若者たちとは、片言の英語でコミュニケーションができた。

気候正義行進に参加する前に、西大門刑務所を見学した。日本の加害の歴史を知ることができる、拷問と処刑がされていた場所だ。

気候正義行進の集会会場に着いて、まず驚いたのは集会の規模だった。参加団体の多様さ、子供から年配の方まで広い年齢層。そして、集会の演説やデモ行進でも10代や20代くらいの若者たちが目立った。

ここまで大きな集会にできたのは、気候正義という大きなテーマの中に多くの団体や市民が集まっていたからのようだ。反原発もその中のメッセージのひとつ。火力発電所に勤める方が気候対策を訴えて演説していたのも驚きだ。集会で各団体の演説が終わってからデモ行進に移ったのだが、演説の間にも歌や踊りがあったり、デモ行進でも吹奏楽や太鼓のリズム隊がいたり、進路の所々で、トリの着ぐるみを着た子供たちがいたり、大きな人物の造形品があったり、放射性廃棄物を模したドラム缶が置いてあったりと、お祭りに似たような楽しさを感じた。デモの活気など、日本にないものに感銘を受け、発想も広げてくれた。

翌日の青年交流会の後、労働者の劣悪な状況の改善を訴えて焼身自殺を決行し、労働運動の原点になった若者、チョン・テイルの記念館に案内してもらった。ソウルの街中に「労働者の道」というのも残されている。以前、韓国を訪れたときは光州事件など、民主化を求めて闘った市民・学生たちの資料館やお墓にも行かせてもらった。市民が闘いの中で権利を手にしていった歴史が、活動家や市民の中に息づいているのだろうか。気候正義行進にこれだけ人が集まれる背景が気になる。

日程を終えた後、金福女さん、小原つなきさん、チョン・スヒさんに反原発運動の現場に案内していただいた。

韓国西南にあるヨングァン原発では、ちょうど11日が、寿命延長のための公聴会の開催日だった。町から原発に近づくと道は整備されているが歩く人は見なかった。PR館の前にはバスが一台停まっていて、迷彩柄の軍服を着た軍人たちが見学に来ていた。原発の映り込む撮影は警備上一切禁止と警備員から警告された。何より近隣の集落と原発が立ち並ぶ光景は怖かった。

公聴会を開こうとしたのは今回が二度目で、7月の公聴会が住民の反対によって中止になったことを理由に、会場が結婚式場に移された。原発問題に地元も何もないと思うが、入場できるのは地元の人間のみ。軍人上りの警備員と警察が警戒に当たっている中、他の人はモニターで様子を見ることしかできない異様なものだった。

雨が降り始め、韓国水力原子力の関係者が車で駐車場に入って行く中、農民会の方やシスターや市民たちが集まり、抗議の集会をした。私も発言した。

二回開催しようとしたという既成事実があれば手順は踏んだとされるため、今回は無理に中止させることはしなかった。

モニター越しに見た公聴会。反対意見を持った住民が質問すると、質問の内容が難しいとか他の質問者の妨げになるとかの理由で会場の退去を命じられてしまった。誰の何のための公聴会か。そんな問いしか浮かばない。時間が許せば現場にいた方々ともっと交流したかった。

翌12日は釡山から車で、コリ原発と、10年前に送電塔建設反対闘争が暴力的に弾圧された密陽へ、チョン・スヒさんが案内、説明してくれた。

10年前に密陽を訪れたとき、山間で農業を営むおじいちゃん、おばあちゃんたちが土地を守るために体を張って土木作業員や機動隊と対峙していた。その姿が、海を守るために海保や機動隊、土木作業員と対峙する祝島の姿と重なっていて、もう一つの自分たちを見たような印象を残していた。再び同じ場所に訪れた今、送電塔が立ち並ぶ風景はつらく切なかった。

あのときのおばあちゃんに会うことができた。あれからずっとおばあちゃんたちのことが気になっていたことを伝えると、「覚えていてくれてありがとう。私たちは負けてないですよ。あなたたちみたいな若い人たちがまだ頑張ってくれているのだから」と言ってもらった。

密陽では客人を手ぶらで帰すなという風習があると、帰り際に手作りのお菓子をいただき、その足で韓国から日本への帰路に着いた。

韓国でも日本でも核施設があるところには、それによる地域活性を謳った看板や横断幕を見たが、地域の分断や疲弊は付きものであることを確信した。

同じ核問題にとりくむ人々と交流し、お互いの抱える問題を共有することで、他人事ではなく身近になる。

大きく変える力を持つことは誰もが難しいが、交流を続けることで、自分たちの活動もより強くしてくれると感じた。今回、関わってくれた人たちに感謝したい。

渡辺あこ일팬solidarityclub)

私は、「일팬(イルペン-日本のK-popファン)が今も、これからもK-popを公正に愛し続けるには?」をテーマに、様々な人権課題を取り扱った『일팬 Solidarity Club』(以下、ISC)というSNSアカウントを運営しています。主に、日本の歴史的不正義と、その責任放棄を今も続けていることで起きている現状の被害などについて、K-POPファンの視点から問いかけを行っています。

実は、ISCでも以前、福島第一原発の汚染水海洋投棄反対を表明する市民活動を取り上げたことがあります。「もう、これ以上加害国にはなりたくない」というコメントと共にSNSへ投稿したのですが、「韓国の大統領が(海洋放出に対して)理解を示しているのに、お前はそれより偉いのか」とコメントされました。この一件だけでなくとも時々、ISCの活動に対して、韓国の現政権(=社会)の流れに反している。と攻撃されます。

日本もそうですが、政治というのが必ずしも市民の声の総意だとは言えないはずです。「尹錫悦政権は、市民の声を政治に反映していないことが問題だ」と言ってしまいたかったのですが、韓国市民との交流を経ず、日本に住む自分がそのように発言することは無責任なのではないか、と葛藤を抱いていました。今回の参加は、そんな葛藤を手放させてくれるような経験になったと言えます。

気候危機や、脱原発の文脈での活動は、「報告」で記述したため、ここでは個人的に計画し訪問をした「戦争と女性の人権博物館」について触れることにします。従軍慰安婦については、水曜行動に参加をしていたり、何本か映画も観たりと、事前学習はそれなりにしていた身ですが、博物館では、何度か胸が握りつぶされそうな感覚になりました。

日本には、脆弱な立場からみる歴史学習ができる場所がほとんどありません。権力の暴走によって苦しめられるのは、いつも市民であるという認識が共有されにくい社会の中で私たちは生活しているということではないでしょうか。韓国でも、歴史修正主義的風潮があるようですが、そんな中でも、抵抗と記憶の灯を絶やさない力強さに、希望を感じた時間でもありました。

アジア脱原発連帯の道

イ・ホンソク  (脱核新聞10月号より)

韓国、日本、台湾の若者たちが9月8日、ソウルで開かれた東アジア脱原発青年交流会で、各国の脱原発運動の状況と未来について話し合った。脱核新聞メディア協同組合とノーニュークス・アジアフォーラム日本事務局が共同主催した。

★ 地域住民の声を反映させるためのとりくみ

交流会で台湾の李若慈さんは「原発問題は、科学的問題ではなく、住民の暮らしの問題だ」と強調した。彼女は2018年から「彼らの核物語(Their Nuke Story)」というプロジェクトを通じて、原発周辺地域住民が体験する生態的・経済的影響を記録し、これをポッドキャストとSNSを通じて知らせる活動をくり広げてきた。彼女は、「原発問題に対して、住民が直接経験した観点からアプローチすることが重要だ」と強調し、「地域住民の声が十分に反映されていない現実を改善しなければならない」と述べた。

鹿児島の川内原発反対運動を続けている長野誠さんも、地域住民の声が十分に反映されていない現実を指摘した。川内原発の場合、昨年10月に原発の寿命延長住民投票を推進したが、県議会の反対で、住民投票自体が実施されなかった。住民の声を反映しようとする試みさえ阻止されたのだ。長野さんは、「地方の場合、人口高齢化によって住民の要求が反映されにくい現実だ」と説明し、「住民が安全に暮らそうとする要求を尊重しなければならない」と強調した。

人口減少と高齢化で急激に変化する地域社会の声を伝えるための悩みは、新規原発反対運動が40年以上続いている祝島の事例でも明らかになった。都市生活をやめて祝島に住んでいる岡本直也さんは「約10年前までは直接工事を阻止するなどの行動をくり広げたが、現在は地域住民の高齢化によりこのような活動が容易ではない」と説明した。これは、時間が経つにつれ、地域住民が原発建設を阻止しようとする力が弱くなっている現実を示し、これを解決する案づくりが急がれることを示している。

★ 気候運動との結びつき、若者世代の悩み

気候危機と関連した活動では、日本の青年活動家たちが脱原発運動と気候運動を融合させ、青年層の声を反映するために努力している。東京で「未来のための金曜日」(Fridays For Future)の活動を行っている川崎彩子さんは、気候運動と脱原発運動の結びつきを中心に事例を発表した。彼女は、若い世代の声が政府の政策に反映されない日本社会の特性に言及し、気候正義運動と脱原発運動が協力しなければならないと強調した。「未来のための金曜日」(FFF)は、東京をはじめ京都、名古屋、福岡、札幌など9ヶ地域で活動を進行中だ。彼女は最近、日本の温室効果ガス排出企業10社を対象に、10代から20代の青年たちが原告として参加する訴訟を起こしたと話した。このような活動を通じて青年たちが直接、気候危機問題に対応し、温室効果ガス排出削減を要求するなど、社会的変化を引き出している。彼女は、気候運動と脱原発運動が共同する過程で考えの違いが存在するが、これを克服して連帯する方案を探すことが重要だと説明した。

K-pop4planetで活動中の渡辺あこさんは、K-popファンとして社会運動をくり広げている。彼女が紹介したネットワークでは、気候正義のような声だけでなく、従軍慰安婦問題、パレスチナ戦争など多様なイシューが扱われている。彼女は、K-popファンダムを活用して社会問題に対する議論を引き出すことが重要だと話した。これは伝統的な社会運動とは全く違う新しい試みだ。

交流会には、霊光ハンビッ原発の寿命延長反対運動をする小原つなきさん、密陽送電塔対策委のチョン・スヒさん、緑色連合のピョン・イニさんが参加し、韓国の脱原発運動の状況と悩みを交わした。

また、台湾の緑色公民行動連盟の林正原さんと李其丰さんは、台湾の高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)処分場の敷地選定をめぐる議論の経過と、2025年5月の原発ゼロ達成に向かう政治状況を説明した。

★ 2025年5月、台湾でノーニュークス・アジアフォーラムが開催される

来年5月に台湾で行われるノーニュークス・アジアフォーラムに合わせて、今回の交流会のような別途の青年プログラムを進行することも提案された。

こうしたことを通じて、青年層が主導する脱原発と気候正義運動の重要性をもう一度強調し、若者たちがアジア脱原発運動の中心で活動できる機会を拡大する計画だ。

今回の東アジア脱原発青年交流会は、各国の若者たちが、脱原発と気候危機問題を解決するための連帯と協力の重要性を確認する契機になった

今後も、韓国、日本、台湾の若者たちと地域住民が共に作っていく脱原発の旅路が期待され、これを通じて原発のないアジアに向けた流れは続くだろう。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信190号
(24年10月20日発行、B5-32p)もくじ

・韓国気候正義行進 & 東アジア脱原発青年交流会【報告】 (渡辺あこ)
・気候正義行進と東アジア脱原発青年交流会に参加して
            (川﨑彩子、長野誠、岡本直也、渡辺あこ)
・アジア脱原発連帯の道 (イ・ホンソク)
・バングラデシュ政変 ~ どうなるルプール原発 (藤岡恵美子)
・米先住民のウラン採掘・精錬の被害実態 〜来日したディネの女性たち〜(振津かつみ)
・中国の原発開発状況 (松久保肇)
・「フィリピンの原発開発に反対する」 NFBM(非核バターン運動)声明     
・動かすな!女川原発 ― 東日本で初、BWR初の再稼働を許さない (多々良哲)
・いのちや暮らしを守りたい。島根原発2号機再稼働中止を訴える (芦原康江)
・新潟県柏崎刈羽原発をめぐる状況 (有田純也)
・青森、新潟、首都圏、福井、関西、そして全国は連帯しよう (中道雅史)
・文献調査が始まってから ― 寿都町の今 ― (槌谷和幸)
・上関町での中間貯蔵施設計画に反対する (原真紀)
・9.23「老朽原発うごかすな!高浜全国集会 -地震も事故もまったなし-」に360人が結集 (木原壯林)

・311子ども甲状腺がん裁判 (阿部ゆりか)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。連絡ください → sdaisuke アット rice.ocn.ne.jp

10.12報告会「韓国・気候正義行進 & 東アジア脱原発青年交流会」

■ 10.12報告会「韓国・気候正義行進 & 東アジア脱原発青年交流会」  
10月 12日(土)14:30~16:30 
リアル、オンライン併用です 【参加費:無料】  

★ 会場:新大阪セミナーオフィスO-1 (14:00開場) 【申し込みはいりません】 (新大阪駅東口より徒歩1分、東口ステーションビル3F、コンビニの隣が入口)*一番下に図あり https://seminar-osaka.com/%e3%82%a2%e3%82%af%e3%82%bb%e3%82%b9/  

★ オンライン(Zoom) 【事前に申し込んでください】 後日、録画視聴が可能です
申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf5HYbxw92SaAVVtze62hojAvgERMG7PtjZAeasPFLrNQj4-Q/viewform?usp=sf_link

zoomのリンクは報告会前日に申込者にメールで送ります

  [お話]
渡辺あこ:ilpensolidarityclub、気候運動などに参加
岡本直也:祝島在住(子供は祝島小)、上関原発と中間貯蔵施設の建設に反対
川崎彩子:フライデーズ・フォー・フューチャー・東京、「ワタシのミライ」
長野 誠:鹿児島県在住、川内原発の寿命延長反対運動  

● 9月7日、ソウルで3万人が参加し、お祭りのような楽しいデモで 「気候じゃなくて、社会を変えよう」「気候正義の始まりは、脱原発から」と訴えました

翌日には『東アジア脱原発青年交流会』が行われ、 台湾・韓国・日本の若者たちがそれぞれの運動を紹介しました

*ヨングァン原発寿命延長「公聴会」への現地抗議集会に参加した報告もあります  

共催・ilpensolidarityclub   ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン

アジア初の脱原発実現を! ー 29年ぶりの台湾訪問 ー 北野進(珠洲市)

北野進、台湾立法院公聴会・台湾大学などで講演、能登半島地震は「最後の警告」

録画映像:YouTube「綠盟講座で検索

1.はじめに

「台湾で能登半島地震の話をしませんか」と、佐藤大介さんから訪台の提案を受けたのは7月8日のこと。来年5月に脱原発を実現する予定の台湾の情勢が風雲急を告げている。立法院で多数を占める野党国民党が原発の稼働延長法案を4月に提出していたが、6月30日に「7月から審議入り」と発表された。

台湾では2017年に蔡英文総統が「脱原発」を決定し、2021年の公民投票で第四原発の稼働も認められないことが確定。来年5月にはすべての原発が運転期限の40年を終えて「アジア初の脱原発」を実現するスケジュールが進んでいる。こんな中での延長法案である。少しでも力になれることがあるのならば、という思いはあるが、台湾は1995年の第3回NNAFで訪れて以来である。さらに私自身、海外旅行自体が実は23年ぶり。元日の能登半島地震を受け、年明け以降、国内はあちこち出かけているが、海外となると気持ち的にはかなりハードルが高い。躊躇していると、「夏から秋、延長法案の攻防となる。屋外集会などの行動日程が組まれているが、能登地震の教訓の学習会も必要だろう」と、佐藤さんの言葉巧みな話にのせられていく。実現しない可能性もあるし、打診してみるくらいまあいいかと、「7月末なら日程空いてますよ」とつい答えてしまったのである。

台湾は日本と同じく地震大国であり、今回の能登半島地震への関心も高く、私は4月3日に「鏡週刊」という雑誌の取材を受けていた。佐藤さんが台湾環境保護連盟と緑色公民行動連盟にメールを送ると、彼らは「鏡週刊」の特集記事も見ており、すぐに翌9日、「歓迎し、受け入れ準備を進める」旨の連絡があり、急な訪台計画が一気に動き出すことになる。こうなれば貴重な機会に感謝するしかない。

とはいえ講演内容で悩む前に、まずはパスポート申請である。この日からバタバタと訪台準備が始まり、7月29日には小松空港から台湾へと飛び立つこととなった。

2.3か所で能登半島地震の報告

台湾での日程は、講演が3か所。まず30日の午前中、立法院で公聴会が組まれている。イメージとしては院内集会に近いと思うが、范雲立法委員と施信民教授(台湾環境保護連盟の創始者で現在は総統府の国策顧問も務める)のあいさつから始まり、私は通訳含め1時間「能登半島地震と原発リスク」というテーマで報告させてもらう。続いて佐藤さんも日本の老朽原発の危険性などについて報告。さらに台湾電力の原子力発電部・副部長が志賀原発の地震によるトラブルの発生とその対応状況などについて発表。原子力規制委員会を通じて情報を入手しているのだろう。原子力安全委員会主任秘書、台湾の環境団体の代表者らの発言も続き、約3時間の公聴会を終える。

台湾環境保護連盟は、范雲立法委員、郭昱晴立法委、洪申翰立法委員とともに公聴会を開催した。聯合報 7月30日)

午後は第二原発の近く金山の金泰豊人文館で、緑色公民行動連盟の江櫻梅さんら地元の皆さんが集まっての学習会。第二原発は1号炉が2021年12月27日に、2号炉は2023年3月14日に、稼働から40年を迎え、運転を停止した。しかし今回の延長法案で国民党は第二原発の再稼働も含め画策しているので地元の皆さんも真剣である。

昨年廃止になったが、延長・再稼働がねらわれている第二原発のゲート前で

翌31日の夜は台湾大学で緑色公民行動連盟主催の集会が開かれる。ここでの発言時間は通訳含め90分なので、珠洲の運動にも話題を広げて報告する。4月に能登半島地震と珠洲原発の取材で珠洲を訪れた「鏡週刊」記者の尹俞歓さんとも再会できた。彼女の記事が台湾の環境団体の多くの皆さんの目に留まっていたことも今回の訪台につながった。

2日間の講演は、幸いマスコミなど報道関係者の関心も高く、新聞やテレビ、ネット配信記事などを含めると10社以上が報道してくれた。

「民視TVニュース」24.7.30

3.大地震が台湾の原発を襲わなかったことは幸運

私の講演内容について少し補足しておきたい。基本は活断層評価も含め地震学には限界があること、そして原発震災が起これば逃げようがないという能登半島地震の教訓を伝えることが柱となる。ただし能登半島地震固有の問題ではなく、台湾が抱えている課題との共通点も意識し、報告させてもらった。

1900年1月1日~

まず台湾は日本と同じく地震大国だと言われるが、日本の地震回数との比較を示す。4月3日にもマグニチュード7.2の地震が発生し、花蓮で甚大な被害が生じている。台湾は日本の国土面積の約10分の1、九州程度の面積である。対して大地震の発生回数は、海域もあるので厳密な比較ではないが、ほぼ5分の1。つまり2倍ほどの地震リスクがあるということ。

日本同様、台湾でも原発敷地内や周辺の活断層調査は軽視されてきており、国民党が稼働延長をめざす第三原発の敷地内でも活断層の存在が指摘されている。この40年、大地震が原発を襲わなかったことは幸運と言わなければならない。

加えて今回の能登半島地震の大きな特徴である隆起の問題も台湾にとって他人ごとではない。4月の地震でも45cmの隆起が確認されているが、台湾自体、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートが非常に複雑にぶつかり合ってできており、多くの景勝地は隆起も含めた地殻変動によって形成されたところがほとんどである。29年前に訪れたときに立ち寄った第二原発の近くの野柳地質公園には奇岩がたくさんあり、観光気分で「女王の頭」で記念写真も撮ったが、ここも実は複雑な隆起がくり返されてできているそうだ。

4.関心が高まった避難計画の破綻問題

前回1995年の訪問時は福島第一原発事故前ということもあり、台湾の避難計画に特段大きな関心を抱いた記憶はない。しかし、今回の能登半島地震では、福島後の原子力災害対策指針や、それを踏まえた自治体の避難計画の破綻が明らかとなった。はて、台湾の避難計画は?と聞いてみると半径8キロが避難対象区域とのこと。事故発生時には8km圏外に避難するとのことだが、残念ながら詳細な規定は確認できなかった。原発問題に関心がある人たちの間でも、避難計画問題はやや関心が低かったのではと感じる。

実は第一原発、第二原発から30km圏のラインを引くと人口約250万人の台北市はほぼ全域が圏内となり、さらに台北市を取り囲むように位置する人口約400万人の新北市の人口密集地も30km圏内である。30km圏にはなんと世界最多の約600万人が居住しているのである。東海第二原発は30km圏人口が92万人にのぼり、避難計画を策定できないと言われているが、まさに桁違いの人口密集地に台湾の原発は存在しているのだ。

安全対策では日本の原子力政策を真似るところが多いと言われた台湾の原発だが、避難計画を真似ようにもこれでは真似ようがない。講演後のインタビューなどでは避難計画問題にも多くの質問があった。台湾は日本以上に人口が密集している。避難計画は、国民党独裁の戒厳令下、安全神話に依拠して建設された台湾の原発の大きなアキレス腱であり、稼働延長など論外である。

5.第四原発運転阻止から、延長法案阻止、脱原発実現へ

講演日程の他、29日夕方には、今回の訪台の受け入れでお世話になった環境保護連盟の皆さんとの食事会、翌30日の午後は第二原発、31日には第四原発の現地貢寮へも案内してもらった。2001年の韓国でのNNAFで知り合った元台湾国立海洋大学の郭金泉先生には4日間にわたって大変お世話になった。

29年前の訪台時にも貢寮を訪れ、地元のテキスト ボックス:   住民の皆さんとの交流会にも参加したことを覚えているが、一番大きな変化は海岸に建つ抗日記念碑の背後に1号炉、2号炉の建屋がほぼ完成していることである。1895年に、当時の大日本帝国が下関条約で清朝から台湾の「割譲」を受け、日本軍が最初に上陸した地点が貢寮。そこにいま、東芝、日立、三菱による日本初の原発輸出として建設された第四原発1号炉、2号炉が建っているのである。申し訳なさと悔しさがこみ上げてくるが、同時に稼働を阻止した大きな実績にもぜひ注目したい。

第四原発阻止は、この日お会いできた楊貴英さんや呉文通さん(二人は昨年、台湾政府から環境保護生涯功労賞を受賞している)ら、地元の皆さんの長年にわたる粘り強い運動や、21年の公民投票勝利で明らかなように脱原発を選択した台湾の皆さんの行動と決断の結果であることは言うまでもない。

ただ、貢寮の皆さんが日本の人たちにもとても感謝していることを、この機会にぜひ紹介しておきたい。先ごろ亡くなられた伴英幸さんをはじめ多くの人たちが、台湾そして貢寮を訪れ、台湾の皆さんと一緒に第四原発阻止のたたかいを担ってきた。今回私を台湾に連れて行ってくれた佐藤大介さんはこの30年間、実に50回も台湾に通い、台湾と日本の運動をつないできた。楊貴英さんや呉文通さんの大歓待ぶりを見るだけでもこの間の深く長い交流のあゆみが伝わってくる。

国境を超えて原発推進体制を構築している原子力ムラに対する、アジア民衆の連帯による勝利としても、第四原発稼働阻止の意義を語っていかなければいけない。

もちろん稼働阻止で地元の運動が終わったわけではない。今後の跡地利用のプランにも目が離せない。台湾でも大きな問題となっている核廃棄物を持ち込もうなどというとんでもない発言も一部にはあるとのこと。脱原発社会に向かう台湾の象徴的な施設として活用されていくことを期待したいし、呉文通さんらも積極的に提言を行っている。

原発延長法案阻止、来年5月17日のアジア初の脱原発実現を共に祝い合えるよう、私も引き続き応援の声を上げていきたい。

楊貴英さん(右から4人目)の自宅で、ご家族と、呉文通さん(右から2人目)も

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環境団体が公聴会を開催、日本の元議員が能登半島地震の二つの教訓を共有 

聯合報 7月30日 (抜粋)

台湾環境保護連盟と立法委員范雲らは、本日、「地震による原発への脅威に関する公聴会」を開催した。公聴会では、日本の石川県能登半島出身の元県会議員である北野進と、非核アジアフォーラム日本事務局長の佐藤大介が、年初に発生した能登半島地震後の教訓を共有した。

北野進は、能登半島の地震が示した教訓は二つあると指摘した。第一に、現時点の地震学の知識は限られており、地震の発生を予測することはできず、次の大地震が台湾の原発を襲う可能性があることである。第二に、現在の避難計画には欠陥があり、地震と原子力災害が重なった場合、避難が困難であるということである。

今年1月1日に能登半島で発生したマグニチュード7.6の地震は、石川県、福井県、新潟県など広範囲に影響を及ぼした。北野進は、この能登半島地震の際、多くの日本人が、かつて建設が予定されていた珠洲原発が建設されなかったことや、志賀原発が13年間停止していることを幸運に思ったと述べた。さもなければ、結果は想像を絶するものであっただろう。

また彼は、日本の原子力災害対策指針にも欠陥があると指摘し、地震と原子力災害が重なった場合、避難が困難であり、外部支援も困難になるだろう。住民は災害地域に閉じ込められ、放射線に曝露される恐れがある。日本では、原発周辺30km圏内を原子力災害対策の重点地域と定めているが、台湾の第一・第二原発の30km圏内には500万人以上が居住しており、重大事故に備えた避難計画を策定することはほぼ不可能である。

北野進は、台湾が日本と同様に地震が頻発する国であり、経済、社会、文化の面での交流も非常に活発であると強調した。来年5月17日に第三原発2号機が順調に停止し廃止されれば、台湾はアジアで初めて非核家園(核のないふるさと)を実現することになる。これは非常に重要な意義を持ち、日本の脱原発運動の目標となるだろう。

公聴会に出席した台湾電力と原子力安全委員会の代表者は、第二・第三原発では耐震補強が行われており、安全性に問題はないと報告した。

しかし、緑色公民行動連盟の崔愫欣秘書長は、台電の報告は抽象的であり、原発の耐震性能が不十分である事実を覆い隠すことはできないと指摘した。彼女は、台電は補強措置に関するデータを公開するべきであると要求した。

台湾環境保護連盟の創立会長であり、政府の気候変動対策委員会の委員でもある施信民は、台湾が原子力を発展させる条件を持っていないことを強調した。

能登半島地震で核災害避難問題が注目、北野進「台湾の原発は延命すべきではない」

自由時報 8月1日

今年元旦、日本石川県能登半島で7.6の地震が発生し、現在も地震で破壊された道路が復旧していない。北野進は、この地震により外部との連絡道路が深刻に損壊したことを指摘し、過去の避難訓練では想定されていなかった事態が発生したと述べた。幸いにも原発は運転していなかった。もし核災が発生していたら住民は逃げ場を失う恐れがあったとして、能登の経験を警鐘とし、台湾の原発は延命すべきではないと訴えた。

北野進は、石川県で30年以上にわたり反原発運動を推進してきた。珠洲原発建設を阻止し、「志賀原発を廃炉に!訴訟」の原告団長も務めてきた。

今回の能登半島地震は、福島核災害の記憶をもう一度呼び起こさせたと述べた。地震発生時、全国の人々は災害地域近くに原発があるかどうかに注目し、福島核災の再発を懸念したという。

幸いにも珠洲原発は建設されておらず、志賀原発も福島核災以降停止していた。もし珠洲原発が建設されていたら、今回の地震で被害を受け、状況は福島核災以上に深刻だった可能性があると指摘した。

また、今回の能登半島地震で、地震と核災害が重なった時の避難計画の欠陥が明らかになったと述べた。過去の志賀原発の避難訓練では、1本の道路が通行不能になるシナリオしか想定されていなかったが、今回の地震では原発近くの数十箇所の道路が通行不能となり、半年経っても多くの道路が復旧していない。核災が発生した場合、住民は災害地域に閉じ込められ、放射線の脅威にさらされる恐れがあり、外部からの支援も難しい。海上からの脱出についても、地震による津波のリスクを考慮する必要がある。

日本政府はグリーントランスフォーメーション(GX)法案を通過させ、原発の活用を強化し、運転年限を延長する新たな措置を採用した。また、台湾でも野党の立法委員が法改正を通じて原発の延命を主張している。北野進は、日本では原発の延命は「厳格な安全審査」を前提としているが、安全性には疑問が残ると述べた。たとえば、安全審査で全ての部品を検査できるのか、40年以上使用した原子炉の耐久性や脆弱性を正確に評価できるのかが問題である。

原発の利用による二酸化炭素削減について、北野進は、日本にはカーボンニュートラルを考慮して原発を再稼働させるべきと主張する人もいるが、実際には原発を増やすと同時に火力発電も維持する必要があるため、原発と火力発電はセットであり、原発は低炭素ではないと述べた。また、原発の再稼働が再生可能エネルギーの発展を阻害するとし、たとえば九州電力は川内と玄海の二つの原発を再稼働させた後、太陽光発電計画を減少させ、出力制御させた。

北野進は、台湾と日本は共に地震が多い国であり、次の大地震がいつ来るか、どこの原発を襲うかは、誰もわからないと述べ、能登半島地震を経験した立場から、台湾は原発を延命させるべきではないと呼びかけた。

彼は、来年台湾がアジアで初めて非核家園(核のないふるさと)を実現することを期待しており、これは日本の脱原発運動にとって最大の模範となるだろうと述べた。

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【台湾立法院、原発延長法案を採決せず】

野党国民党は、第二原発・第三原発の寿命延長を求めて、原発延長法案を提案していた。立法院教育文化委員会は7月10日、原発延長法案(原子炉施設管理法の改正案)を審議したが、柯志恩議長(国民党)は最終的に、「さらなる議論が必要である」とし、採決を見送った。立法院の現在の会期は7月16日に終了し、次の会期は9月に始まる。

国民党など野党が数的優位で原発延長法案を可決することを恐れていた全国廃核行動平台(ネットワーク)は前日、立法院前で1000人が抗議集会を行い、法案の撤回を求めた。

第一原発2基、第二原発2基は40年寿命ですでに廃止となっており、第三原発1号機は7月27日に、2号機は来年5月17日に停止し、台湾は原発ゼロとなる。

7月9日、立法院前で1000人が抗議集会
4月27日 『427反核占拠行動10周年集会』「反対! 原発延長法案」

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関連:『台湾廃核運動史』(NNAFJ事務局)

台湾は2025年5月17日、アジア初の脱原発を実現する
台湾の人々に学び、私たちも続こう

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信189号
(24年8月20日発行、B5-24p)もくじ

・アジア初の脱原発実現を! ― 29年ぶりの台湾訪問 ― (北野進)
<北野進、台湾立法院公聴会・台湾大学などで講演、能登半島地震は「最後の警告」>
・環境団体が公聴会を開催、日本の元議員が能登半島地震の二つの教訓を共有
・能登半島地震で核災害避難問題が注目、北野進「台湾の原発は延命すべきではない」 
・台湾立法院、原発延長法案を採決せず
・ハンビッ原発寿命延長公聴会、6つの自治体ですべて取り消し (小原つなき)
・インド、マヒ・バンスワラ原発建設に対する村人の抗議 (デカン・ヘラルド)
・ジャビルカの貴重な文化遺産が永久に保護される 
  (グンジェイミ・アボリジニ・コーポレーション)
・ALPS処理汚染水を海に捨てないで! 海洋投棄を止める活動
  1000万円クラウドファンディングへの応援メッセージ
(デイブ・スウィーニー、非核バターン運動、キム・ヨンヒ、イ・サンホン)
・「海風宣言」 ― 2024 海といのちを守るつどい ― 
・パレスチナと8・6広島 (田浪亜央江)
・玄海町「最終処分場に関する文献調査」住民不在で受け入れ (石丸初美)
・能登半島地震から半年 (中垣たか子)
・新潟県柏崎刈羽原発をめぐる状況 (中山均)
・「再稼働するな!」の声が26年ぶりに女川の街に響きわたる、
  この力で11月再稼働を止めよう! (舘脇章宏)

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密陽送電塔6.11行政代執行10年「尹錫悦核暴走 源泉封鎖 決意大会」

2014年6月11日、密陽行政代執行。警察に暴力で排除される住民たち

韓国・環境運動連合  [報道資料・抜粋]

密陽(ミリャン)送電塔6.11行政代執行から10年となる6月8日、「尹錫悦核暴走源泉封鎖決意大会」が密陽で開かれた。大会前には、5つの村に分かれて、事前行事「電気は依然として涙に乗って流れる」が行われ、その後、密陽トゥンチ公園で決意大会が開かれた。この大会は、全国223団体が共同主催し、全国15地域から、20台の「再び乗る密陽希望バス」が出発し、1,500人余りが結集した。

韓国における代表的な国家暴力事件である6.11密陽送電塔行政代執行から10年が経ったが、暴力鎮圧の責任者は誰も処罰されないまま10年が流れ、送電塔は撤去されなかった。当時、密陽警察署長だったキム・スファンは出世して現在、警察庁次長、序列2位の治安正監になっている。

先月発表された「第11次電力需給基本計画」の実務案は、尹錫悦政府の暴走する核政策をそのまま示した。電力需給基本計画には、すべての老朽原発の寿命延長だけでなく、大型原発3基とSMR(小型モジュール原発)の新規建設が含まれている。このまま電力需給基本計画が確定すれば、「電気は涙に乗って流れる」というスローガンが主張した「不正義からの転換」どころか、気候危機対応にも失敗するだろう。


送電塔が建てられた後も依然として送電塔に反対して生きている住民たちが本大会に参加し、「密陽闘争は終わっていない」と断固として訴え、「エネルギー生産、輸送、消費の全過程で誰の犠牲もあってはならない」という正義のエネルギー転換を求めた。

大会では十数名が発言したが、抜粋して紹介する

▼キム・オクヒ(密陽ヨンフェ村住民)


連帯者の皆様、行政代執行10周年の行事にご参加いただき、誠にありがとうございます。私たちの対策委では小さな行事を行おうとしましたが、全国からこんなにたくさんいらっしゃるとは本当に夢にも思いませんでした。10年で山河も変わるというのに、変わらずに、このように密陽を守るために来てくれた連帯者の皆様、密陽の住民として本当に感謝します。


▼いるか(済州島イルカを守る会)


「だめなことはだめだ!」という密陽のおばあさんたちの断固たるお言葉のように、私たちももう一度一緒にこの資本主義による不平等と尹錫悦核暴走に立ち向かってたたかいましょう。そうして、平等で自由な、お互いがお互いのために一緒に暮らす世界を作りましょう。


▼ファン・ブンヒ(月城原発現地住民)


私たちはウォルソン原発の近くに住んでいますが、政府は「放射能が体の中に入っていても基準値以下だから、そのまま生きなさい」と犠牲を迫っています。私も甲状腺癌の手術をしましたが、いま甲状腺癌患者が多く発生しています。私たちはウォルソン原発の前で10年間テントろう城闘争をしてきましたが、韓水原からテントを撤去せよと警告状がきました。未来の子供たちに、こんな世の中を残してはいけません。再生可能エネルギーに変えていきながら、原発の数を減らしていかなければなりません。ウォルソン原発2、3、4号機の寿命延長を防がなければなりません。


▼イ・ヨン(ソンミサン学校)


私は小学校6年生の時から密陽に来ています。密陽を訪れるたびに多くの方々が歓待してくださって、密陽は故郷のようなところになりました。密陽は私たちに抵抗と闘争を教えてくれた学びの場であり、共同体でした。密陽から勇気と愛を学び、正義を実現する闘いを学び、新しい世界を夢見る方法を学びました。私たちが密陽を通じて学んだことは、まさに愛です。生命が尊く、それぞれ美しく生きていくことができ、自由で平和に存在できるために。私たちが闘争するのは、革命を夢見るからであり、すべての生きている生命を愛するからです。


▼パク・ギュソク(公共運輸労組・発電HPS支部)


政府が何の対策もなしに老朽化した石炭火力発電所の閉鎖を決定し、働き口を失う危機に直面した私たち労働組合は、気候正義活動家たちとともに正義のエネルギー転換を要求して2日間ストライキを行いました


発電非正規職労働者と密陽住民は、急激な産業転換過程で無視され、国家権力に踏みにじられた犠牲者という点で、同じだと思います。密陽に加えられた国家暴力と、密陽のおばあさんたちの涙を胸に深く刻み、不正義に対抗した密陽のおばあさんたちの闘争を忘れません。「電気は涙に乗って流れる」という言葉を必ず覚えておきます。終わっていない密陽闘争を共にたたかいます。


▼パク・ウンスク(密陽送電塔反対対策委住民代表)


密陽を再び訪ねてくださって本当にありがとうございます。私たち143世帯の住民たちはまだ合意しておらず、この不当な工事を認めることができません。


韓国電力は、暴力的で非人間的な工事強行と村共同体破壊に対して責任を持って謝罪せよ! 10年前の6月11日、101番の穴蔵で大きな切断機とカットナイフで、もがきながら抵抗する住民たちの首に巻いた鎖を断ち切った韓電のやつら、警察のやつら。その目つきが身震いするほど鮮やかです。


尹錫悦政府が、老朽原発をすべて寿命延長し、新規の原発を4つもさらに建設するそうです。新しい超高圧送電塔なしには新規の原発は作れません。密陽のようなおぞましいことが二度とくり返されてはいけません。全国民が力を合わせて、原発と送電塔を防ぎましょう。第11次電力需給基本計画を廃棄させましょう。

大会は決議文を通じて、△暴力鎮圧責任者キム・スファン警察庁次長の謝罪、△新規原発建設、老朽原発寿命延長、石炭火力発電所など超高圧送電塔を拡大する11次電力需給基本計画廃棄、△密陽と清道の超高圧送電塔撤去および東海岸・新加平超高圧送電線路建設計画撤回、△住民と労働者、皆を考慮した正義のエネルギー転換推進、を要求した。とくに「6.11行政代執行10年を記憶し、11次電力需給基本計画を防ぎ、正義のエネルギー転換を成し遂げるために共に闘うこと」を強調した。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信188号
(24年6月20日発行、B5-32p)もくじ


・密陽送電塔6.11行政代執行10年「尹錫悦核暴走 源泉封鎖 決意大会」 (韓国・環境運動連合)
・月城住民テント座り込み10年、私たちがお世話になった (イ・サンホン)
・427反核占拠行動10周年集会  (台湾・全国廃核行動平台)
・インドネシアの市民社会団体がボルネオ島の原発計画に抗議行動 (イルファン・マウラナ)
・フィリピン・エネルギー省、原子力エネルギー部門を設置
・核のない未来のために声をあげよう、外国の核廃棄物への扉を閉めよう (デイヴ・スウィーニー)

・広島パレスチナともしび連帯共同体の8か月 (湯浅正恵)
・最高裁は被ばくから子どもを守れ (片岡輝美)
・住民への説明なし、玄海町の核ごみ最終処分場文献調査受け入れ (牧瀬昭子)
・むつ中間貯蔵施設を許せば、原発の再稼働・延命・新増設につながる (中道雅史)
・上関町の使用済み核燃料中間貯蔵施設について思うこと (國弘秀人)
・女川原発2号機の見切り発車は許さない (日野正美)
・能登半島地震から学ぶことを恐れる柏崎市長と刈羽村長 (菅井益郎)
・6.9とめよう!原発依存社会への暴走 大集会に1400人 (稲村守)
・志賀原発を廃炉に!訴訟・第42回口頭弁論 意見陳述書  (北野進)
・伴英幸先生への追悼文 (韓国脱核新聞)
・伴英幸氏を偲ぶ (台灣環境保護聯盟)
・東アジア脱原発青年交流会(@韓国) 帯同メンバー【SNS発信担当】を募集します
・汚染水差し止めのクラウドファンディング挑戦中 (大賀あやこ)

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インドネシアの市民社会団体が、ボルネオ島の原発計画に抗議行動

西カリマンタン反原発連合は西カリマンタン州の州都ポンティアナックのゲグリス記念碑前で抗議行動を行った

イルファン・マウラナ (Mongabay 5月14日)

インドネシア最大の環境保護団体ワルヒ(インドネシア環境フォーラム)は、ボルネオ島(カリマンタン島)の西カリマンタン州ベンカヤン県に計画されている原発に反対して、ジャカルタと西カリマンタン州で抗議行動を行った。 

「私たちは、西カリマンタンを核災害の脅威から遠ざけるよう主張しています」と、ワルヒ西カリマンタン支部の事務局長ヘンドリクス・アダム氏は述べた。


1964年にインドネシア初の実験用原子炉である TRIGA Mark II が バンドン市で稼動した。しかし、それ以来、この国はまだ本格的な原発を建設していない。


2023年3月、インドネシアと米国貿易開発庁(USTDA)は、SMR(小型モジュール型原発)を建設するためのパートナーシップ協定を締結した。この合意には、インドネシア国営電力会社PLNへの、実行可能性調査費用100万ドルの補助金が含まれていた。


PLNは西カリマンタン州での46万kW(7.7万kW×6基)のSMR建設を計画しており、このSMRには米国のオレゴン州に本拠を置くニュースケール社が提供する技術が使用されることになる。


4月26日にジャカルタで行われたワルヒの抗議行動では、参加者たちが「インドネシアはチェルノブイリではない」と書かれた横断幕を広げた。チェルノブイリ原発事故と福島原発事故からの教訓は、インドネシアの市民社会運動に多くの情報を与えている。


「人間と環境の悲劇の歴史は、原発が完全には制御できないことを示しています」とアダム氏は語った。


彼はまた、ボルネオ島が、ジャワ島、スマトラ島、スラウェシ島などの島々ほど地震活動が活発ではないことを理由に選ばれたことについて疑問を呈した。


「カリマンタンがこの災害から安全であるという仮定は、もちろん真実ではありません」とアダム氏は語った。「カリマンタンには、メラトゥス断層、マンガバヤル断層、タラカン断層、サンプルナ断層、パテルノスター断層などの地震源があります」


また、ワルヒのエネルギーキャンペーン・リーダーのファニー・クリスチャント氏は語った。「インドネシアでは太陽光やその他の再生可能エネルギーの普及が遅れており、クリーンエネルギーに移行している他国で見られるような補助金が出されていない。私たちにはエネルギー移行のための選択肢がたくさんあるのに、なぜ再生可能エネルギーではなく危険なテクノロジーを選択しなければならないのでしょうか」


ジョコ・ウィドド大統領は、温室効果ガス排出量を2030年までに30%削減するという国連気候変動枠組条約会議COP26に合意している。


西カリマンタン反原発連合のコーディネーターであるアビット・ニブラス・トリラナン氏は、「原発の建設には費用と時間がかかりすぎることが判明している」と述べた。アビット氏はまた、原発を監視する国家機関の能力にも疑問を呈した。


別の民間企業であるPT ThorCon Power Indonesiaは、スマトラ島沖のバンカ・ブリトゥン州の小さな島に実験用原子炉を建設する計画を立てている。


インドネシア国家研究イノベーション庁(BRIN)の主任専門家であるスーパーマン氏は、「インドネシアの28カ所の地域が原発建設の候補地とされているが、主な焦点は西カリマンタン州である」と指摘した。


「将来的には、大型の原発が段階的に建設される可能性がある」とスーパーマン氏は述べた。

4月26日、ジャカルタのエネルギー鉱物資源省前で抗議行動