アジア初の脱原発実現を! ー 29年ぶりの台湾訪問 ー 北野進(珠洲市)

北野進、台湾立法院公聴会・台湾大学などで講演、能登半島地震は「最後の警告」

録画映像:YouTube「綠盟講座で検索

1.はじめに

「台湾で能登半島地震の話をしませんか」と、佐藤大介さんから訪台の提案を受けたのは7月8日のこと。来年5月に脱原発を実現する予定の台湾の情勢が風雲急を告げている。立法院で多数を占める野党国民党が原発の稼働延長法案を4月に提出していたが、6月30日に「7月から審議入り」と発表された。

台湾では2017年に蔡英文総統が「脱原発」を決定し、2021年の公民投票で第四原発の稼働も認められないことが確定。来年5月にはすべての原発が運転期限の40年を終えて「アジア初の脱原発」を実現するスケジュールが進んでいる。こんな中での延長法案である。少しでも力になれることがあるのならば、という思いはあるが、台湾は1995年の第3回NNAFで訪れて以来である。さらに私自身、海外旅行自体が実は23年ぶり。元日の能登半島地震を受け、年明け以降、国内はあちこち出かけているが、海外となると気持ち的にはかなりハードルが高い。躊躇していると、「夏から秋、延長法案の攻防となる。屋外集会などの行動日程が組まれているが、能登地震の教訓の学習会も必要だろう」と、佐藤さんの言葉巧みな話にのせられていく。実現しない可能性もあるし、打診してみるくらいまあいいかと、「7月末なら日程空いてますよ」とつい答えてしまったのである。

台湾は日本と同じく地震大国であり、今回の能登半島地震への関心も高く、私は4月3日に「鏡週刊」という雑誌の取材を受けていた。佐藤さんが台湾環境保護連盟と緑色公民行動連盟にメールを送ると、彼らは「鏡週刊」の特集記事も見ており、すぐに翌9日、「歓迎し、受け入れ準備を進める」旨の連絡があり、急な訪台計画が一気に動き出すことになる。こうなれば貴重な機会に感謝するしかない。

とはいえ講演内容で悩む前に、まずはパスポート申請である。この日からバタバタと訪台準備が始まり、7月29日には小松空港から台湾へと飛び立つこととなった。

2.3か所で能登半島地震の報告

台湾での日程は、講演が3か所。まず30日の午前中、立法院で公聴会が組まれている。イメージとしては院内集会に近いと思うが、范雲立法委員と施信民教授(台湾環境保護連盟の創始者で現在は総統府の国策顧問も務める)のあいさつから始まり、私は通訳含め1時間「能登半島地震と原発リスク」というテーマで報告させてもらう。続いて佐藤さんも日本の老朽原発の危険性などについて報告。さらに台湾電力の原子力発電部・副部長が志賀原発の地震によるトラブルの発生とその対応状況などについて発表。原子力規制委員会を通じて情報を入手しているのだろう。原子力安全委員会主任秘書、台湾の環境団体の代表者らの発言も続き、約3時間の公聴会を終える。

台湾環境保護連盟は、范雲立法委員、郭昱晴立法委、洪申翰立法委員とともに公聴会を開催した。聯合報 7月30日)

午後は第二原発の近く金山の金泰豊人文館で、緑色公民行動連盟の江櫻梅さんら地元の皆さんが集まっての学習会。第二原発は1号炉が2021年12月27日に、2号炉は2023年3月14日に、稼働から40年を迎え、運転を停止した。しかし今回の延長法案で国民党は第二原発の再稼働も含め画策しているので地元の皆さんも真剣である。

昨年廃止になったが、延長・再稼働がねらわれている第二原発のゲート前で

翌31日の夜は台湾大学で緑色公民行動連盟主催の集会が開かれる。ここでの発言時間は通訳含め90分なので、珠洲の運動にも話題を広げて報告する。4月に能登半島地震と珠洲原発の取材で珠洲を訪れた「鏡週刊」記者の尹俞歓さんとも再会できた。彼女の記事が台湾の環境団体の多くの皆さんの目に留まっていたことも今回の訪台につながった。

2日間の講演は、幸いマスコミなど報道関係者の関心も高く、新聞やテレビ、ネット配信記事などを含めると10社以上が報道してくれた。

「民視TVニュース」24.7.30

3.大地震が台湾の原発を襲わなかったことは幸運

私の講演内容について少し補足しておきたい。基本は活断層評価も含め地震学には限界があること、そして原発震災が起これば逃げようがないという能登半島地震の教訓を伝えることが柱となる。ただし能登半島地震固有の問題ではなく、台湾が抱えている課題との共通点も意識し、報告させてもらった。

1900年1月1日~

まず台湾は日本と同じく地震大国だと言われるが、日本の地震回数との比較を示す。4月3日にもマグニチュード7.2の地震が発生し、花蓮で甚大な被害が生じている。台湾は日本の国土面積の約10分の1、九州程度の面積である。対して大地震の発生回数は、海域もあるので厳密な比較ではないが、ほぼ5分の1。つまり2倍ほどの地震リスクがあるということ。

日本同様、台湾でも原発敷地内や周辺の活断層調査は軽視されてきており、国民党が稼働延長をめざす第三原発の敷地内でも活断層の存在が指摘されている。この40年、大地震が原発を襲わなかったことは幸運と言わなければならない。

加えて今回の能登半島地震の大きな特徴である隆起の問題も台湾にとって他人ごとではない。4月の地震でも45cmの隆起が確認されているが、台湾自体、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートが非常に複雑にぶつかり合ってできており、多くの景勝地は隆起も含めた地殻変動によって形成されたところがほとんどである。29年前に訪れたときに立ち寄った第二原発の近くの野柳地質公園には奇岩がたくさんあり、観光気分で「女王の頭」で記念写真も撮ったが、ここも実は複雑な隆起がくり返されてできているそうだ。

4.関心が高まった避難計画の破綻問題

前回1995年の訪問時は福島第一原発事故前ということもあり、台湾の避難計画に特段大きな関心を抱いた記憶はない。しかし、今回の能登半島地震では、福島後の原子力災害対策指針や、それを踏まえた自治体の避難計画の破綻が明らかとなった。はて、台湾の避難計画は?と聞いてみると半径8キロが避難対象区域とのこと。事故発生時には8km圏外に避難するとのことだが、残念ながら詳細な規定は確認できなかった。原発問題に関心がある人たちの間でも、避難計画問題はやや関心が低かったのではと感じる。

実は第一原発、第二原発から30km圏のラインを引くと人口約250万人の台北市はほぼ全域が圏内となり、さらに台北市を取り囲むように位置する人口約400万人の新北市の人口密集地も30km圏内である。30km圏にはなんと世界最多の約600万人が居住しているのである。東海第二原発は30km圏人口が92万人にのぼり、避難計画を策定できないと言われているが、まさに桁違いの人口密集地に台湾の原発は存在しているのだ。

安全対策では日本の原子力政策を真似るところが多いと言われた台湾の原発だが、避難計画を真似ようにもこれでは真似ようがない。講演後のインタビューなどでは避難計画問題にも多くの質問があった。台湾は日本以上に人口が密集している。避難計画は、国民党独裁の戒厳令下、安全神話に依拠して建設された台湾の原発の大きなアキレス腱であり、稼働延長など論外である。

5.第四原発運転阻止から、延長法案阻止、脱原発実現へ

講演日程の他、29日夕方には、今回の訪台の受け入れでお世話になった環境保護連盟の皆さんとの食事会、翌30日の午後は第二原発、31日には第四原発の現地貢寮へも案内してもらった。2001年の韓国でのNNAFで知り合った元台湾国立海洋大学の郭金泉先生には4日間にわたって大変お世話になった。

29年前の訪台時にも貢寮を訪れ、地元のテキスト ボックス:   住民の皆さんとの交流会にも参加したことを覚えているが、一番大きな変化は海岸に建つ抗日記念碑の背後に1号炉、2号炉の建屋がほぼ完成していることである。1895年に、当時の大日本帝国が下関条約で清朝から台湾の「割譲」を受け、日本軍が最初に上陸した地点が貢寮。そこにいま、東芝、日立、三菱による日本初の原発輸出として建設された第四原発1号炉、2号炉が建っているのである。申し訳なさと悔しさがこみ上げてくるが、同時に稼働を阻止した大きな実績にもぜひ注目したい。

第四原発阻止は、この日お会いできた楊貴英さんや呉文通さん(二人は昨年、台湾政府から環境保護生涯功労賞を受賞している)ら、地元の皆さんの長年にわたる粘り強い運動や、21年の公民投票勝利で明らかなように脱原発を選択した台湾の皆さんの行動と決断の結果であることは言うまでもない。

ただ、貢寮の皆さんが日本の人たちにもとても感謝していることを、この機会にぜひ紹介しておきたい。先ごろ亡くなられた伴英幸さんをはじめ多くの人たちが、台湾そして貢寮を訪れ、台湾の皆さんと一緒に第四原発阻止のたたかいを担ってきた。今回私を台湾に連れて行ってくれた佐藤大介さんはこの30年間、実に50回も台湾に通い、台湾と日本の運動をつないできた。楊貴英さんや呉文通さんの大歓待ぶりを見るだけでもこの間の深く長い交流のあゆみが伝わってくる。

国境を超えて原発推進体制を構築している原子力ムラに対する、アジア民衆の連帯による勝利としても、第四原発稼働阻止の意義を語っていかなければいけない。

もちろん稼働阻止で地元の運動が終わったわけではない。今後の跡地利用のプランにも目が離せない。台湾でも大きな問題となっている核廃棄物を持ち込もうなどというとんでもない発言も一部にはあるとのこと。脱原発社会に向かう台湾の象徴的な施設として活用されていくことを期待したいし、呉文通さんらも積極的に提言を行っている。

原発延長法案阻止、来年5月17日のアジア初の脱原発実現を共に祝い合えるよう、私も引き続き応援の声を上げていきたい。

楊貴英さん(右から4人目)の自宅で、ご家族と、呉文通さん(右から2人目)も

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環境団体が公聴会を開催、日本の元議員が能登半島地震の二つの教訓を共有 

聯合報 7月30日 (抜粋)

台湾環境保護連盟と立法委員范雲らは、本日、「地震による原発への脅威に関する公聴会」を開催した。公聴会では、日本の石川県能登半島出身の元県会議員である北野進と、非核アジアフォーラム日本事務局長の佐藤大介が、年初に発生した能登半島地震後の教訓を共有した。

北野進は、能登半島の地震が示した教訓は二つあると指摘した。第一に、現時点の地震学の知識は限られており、地震の発生を予測することはできず、次の大地震が台湾の原発を襲う可能性があることである。第二に、現在の避難計画には欠陥があり、地震と原子力災害が重なった場合、避難が困難であるということである。

今年1月1日に能登半島で発生したマグニチュード7.6の地震は、石川県、福井県、新潟県など広範囲に影響を及ぼした。北野進は、この能登半島地震の際、多くの日本人が、かつて建設が予定されていた珠洲原発が建設されなかったことや、志賀原発が13年間停止していることを幸運に思ったと述べた。さもなければ、結果は想像を絶するものであっただろう。

また彼は、日本の原子力災害対策指針にも欠陥があると指摘し、地震と原子力災害が重なった場合、避難が困難であり、外部支援も困難になるだろう。住民は災害地域に閉じ込められ、放射線に曝露される恐れがある。日本では、原発周辺30km圏内を原子力災害対策の重点地域と定めているが、台湾の第一・第二原発の30km圏内には500万人以上が居住しており、重大事故に備えた避難計画を策定することはほぼ不可能である。

北野進は、台湾が日本と同様に地震が頻発する国であり、経済、社会、文化の面での交流も非常に活発であると強調した。来年5月17日に第三原発2号機が順調に停止し廃止されれば、台湾はアジアで初めて非核家園(核のないふるさと)を実現することになる。これは非常に重要な意義を持ち、日本の脱原発運動の目標となるだろう。

公聴会に出席した台湾電力と原子力安全委員会の代表者は、第二・第三原発では耐震補強が行われており、安全性に問題はないと報告した。

しかし、緑色公民行動連盟の崔愫欣秘書長は、台電の報告は抽象的であり、原発の耐震性能が不十分である事実を覆い隠すことはできないと指摘した。彼女は、台電は補強措置に関するデータを公開するべきであると要求した。

台湾環境保護連盟の創立会長であり、政府の気候変動対策委員会の委員でもある施信民は、台湾が原子力を発展させる条件を持っていないことを強調した。

能登半島地震で核災害避難問題が注目、北野進「台湾の原発は延命すべきではない」

自由時報 8月1日

今年元旦、日本石川県能登半島で7.6の地震が発生し、現在も地震で破壊された道路が復旧していない。北野進は、この地震により外部との連絡道路が深刻に損壊したことを指摘し、過去の避難訓練では想定されていなかった事態が発生したと述べた。幸いにも原発は運転していなかった。もし核災が発生していたら住民は逃げ場を失う恐れがあったとして、能登の経験を警鐘とし、台湾の原発は延命すべきではないと訴えた。

北野進は、石川県で30年以上にわたり反原発運動を推進してきた。珠洲原発建設を阻止し、「志賀原発を廃炉に!訴訟」の原告団長も務めてきた。

今回の能登半島地震は、福島核災害の記憶をもう一度呼び起こさせたと述べた。地震発生時、全国の人々は災害地域近くに原発があるかどうかに注目し、福島核災の再発を懸念したという。

幸いにも珠洲原発は建設されておらず、志賀原発も福島核災以降停止していた。もし珠洲原発が建設されていたら、今回の地震で被害を受け、状況は福島核災以上に深刻だった可能性があると指摘した。

また、今回の能登半島地震で、地震と核災害が重なった時の避難計画の欠陥が明らかになったと述べた。過去の志賀原発の避難訓練では、1本の道路が通行不能になるシナリオしか想定されていなかったが、今回の地震では原発近くの数十箇所の道路が通行不能となり、半年経っても多くの道路が復旧していない。核災が発生した場合、住民は災害地域に閉じ込められ、放射線の脅威にさらされる恐れがあり、外部からの支援も難しい。海上からの脱出についても、地震による津波のリスクを考慮する必要がある。

日本政府はグリーントランスフォーメーション(GX)法案を通過させ、原発の活用を強化し、運転年限を延長する新たな措置を採用した。また、台湾でも野党の立法委員が法改正を通じて原発の延命を主張している。北野進は、日本では原発の延命は「厳格な安全審査」を前提としているが、安全性には疑問が残ると述べた。たとえば、安全審査で全ての部品を検査できるのか、40年以上使用した原子炉の耐久性や脆弱性を正確に評価できるのかが問題である。

原発の利用による二酸化炭素削減について、北野進は、日本にはカーボンニュートラルを考慮して原発を再稼働させるべきと主張する人もいるが、実際には原発を増やすと同時に火力発電も維持する必要があるため、原発と火力発電はセットであり、原発は低炭素ではないと述べた。また、原発の再稼働が再生可能エネルギーの発展を阻害するとし、たとえば九州電力は川内と玄海の二つの原発を再稼働させた後、太陽光発電計画を減少させ、出力制御させた。

北野進は、台湾と日本は共に地震が多い国であり、次の大地震がいつ来るか、どこの原発を襲うかは、誰もわからないと述べ、能登半島地震を経験した立場から、台湾は原発を延命させるべきではないと呼びかけた。

彼は、来年台湾がアジアで初めて非核家園(核のないふるさと)を実現することを期待しており、これは日本の脱原発運動にとって最大の模範となるだろうと述べた。

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【台湾立法院、原発延長法案を採決せず】

野党国民党は、第二原発・第三原発の寿命延長を求めて、原発延長法案を提案していた。立法院教育文化委員会は7月10日、原発延長法案(原子炉施設管理法の改正案)を審議したが、柯志恩議長(国民党)は最終的に、「さらなる議論が必要である」とし、採決を見送った。立法院の現在の会期は7月16日に終了し、次の会期は9月に始まる。

国民党など野党が数的優位で原発延長法案を可決することを恐れていた全国廃核行動平台(ネットワーク)は前日、立法院前で1000人が抗議集会を行い、法案の撤回を求めた。

第一原発2基、第二原発2基は40年寿命ですでに廃止となっており、第三原発1号機は7月27日に、2号機は来年5月17日に停止し、台湾は原発ゼロとなる。

7月9日、立法院前で1000人が抗議集会
4月27日 『427反核占拠行動10周年集会』「反対! 原発延長法案」

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関連:『台湾廃核運動史』(NNAFJ事務局)

台湾は2025年5月17日、アジア初の脱原発を実現する
台湾の人々に学び、私たちも続こう

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信189号
(24年8月20日発行、B5-24p)もくじ

・アジア初の脱原発実現を! ― 29年ぶりの台湾訪問 ― (北野進)
<北野進、台湾立法院公聴会・台湾大学などで講演、能登半島地震は「最後の警告」>
・環境団体が公聴会を開催、日本の元議員が能登半島地震の二つの教訓を共有
・能登半島地震で核災害避難問題が注目、北野進「台湾の原発は延命すべきではない」 
・台湾立法院、原発延長法案を採決せず
・ハンビッ原発寿命延長公聴会、6つの自治体ですべて取り消し (小原つなき)
・インド、マヒ・バンスワラ原発建設に対する村人の抗議 (デカン・ヘラルド)
・ジャビルカの貴重な文化遺産が永久に保護される 
  (グンジェイミ・アボリジニ・コーポレーション)
・ALPS処理汚染水を海に捨てないで! 海洋投棄を止める活動
  1000万円クラウドファンディングへの応援メッセージ
(デイブ・スウィーニー、非核バターン運動、キム・ヨンヒ、イ・サンホン)
・「海風宣言」 ― 2024 海といのちを守るつどい ― 
・パレスチナと8・6広島 (田浪亜央江)
・玄海町「最終処分場に関する文献調査」住民不在で受け入れ (石丸初美)
・能登半島地震から半年 (中垣たか子)
・新潟県柏崎刈羽原発をめぐる状況 (中山均)
・「再稼働するな!」の声が26年ぶりに女川の街に響きわたる、
  この力で11月再稼働を止めよう! (舘脇章宏)

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【重要署名】老朽化した危険な原発を延長するな ー 原発延長法案反対、安全を最優先に!

*台湾の126団体による「全国廃核行動平台」は、3月11日、下記の署名運動を開始した。

台湾の老朽原発3カ所6基は、運転免許が満了(4基)、または満了間近(2基)で、法に基づく廃炉の実施、または準備段階に入っている。

しかし、今期の国民党の新立法委員(国会議員)らは、原発を延長させるための法改正を提案する予定であり、原発が再び政治的な攻撃と防御の焦点となる。


このため私たちは、立法院が「台湾社会が負担するリスクと代償」を明確にして社会的合意をする前に法改正を急ぐべきではない、と強い懸念を表明する。


私たちは、原発を延長できるかどうかの最大の鍵は、法的適用期間ではなく、老朽原発が人々に安全上の脅威をもたらすかどうかであると考える。核廃棄物の解決策はあるのか? そして人々は、延長による高いリスクと高額なコストを負担しなければならないことを知っているのだろうか?


このため、市民社会団体は、「原発の運転を延長するかどうかは、政治的決定ではなく、安全性を最優先にすべきである」と主張する共同請願を提案することを決定した。延長するかどうかについての議論が行われる前に、それが確認されることになる。

● なぜ危険で老朽化した原発の運転延長に反対するのか?

老朽原発には次のようなリスクがある。

  1. 原発の設備は老朽化が進んでおり、複数の故障履歴があり、核災害につながる可能性がある。
  2. 原発の敷地は活断層に近く、強い地震が発生すると核災害を引き起こしやすい。
  3. 台湾は人口が密集しており、核災害時の避難は困難で、対応能力がほとんどない。
  4. 原発の燃料プールは満杯で、使用済み核燃料を置く場所がない。
  5. 核廃棄物の最終処分場を見つけるのは依然として困難だ。

まず、3カ所の原発は、それぞれ安全性や核廃棄物保管の問題を抱えており、それらが解決できなければ運転を延期することは事実上不可能である。

次に、福島原発事故後、国際的な原発安全基準が大幅に改善され、原発の運転コストが上昇し続けている。老朽原発の運転を延長する場合、法律に従って老朽化評価報告書と安全分析報告書を提出することに加え、最新の国際安全基準を遵守し、老朽原発の改善に資源を投資しなければならない。議論するには、必要な時間と費用をより正確に見積もり、開示する必要がある。


最後に、核廃棄物が処分されない場合、原発は不当なエネルギー源であり、使用期間の延長によってさらに多くの核廃棄物が発生することになる。台湾は、適切な最終処分場をまだ見つけておらず、高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)処分の法的根拠も欠如しており、高レベル核廃棄物は依然として原発内に危険な状態で保管されている。ランユ島の核廃棄物もまだ撤去されていない。核のゴミは、原発を使うか使わないかを決める最も難しい問題であり、与野党が責任を持って積極的に向き合わなければならない。

● 署名者は次のように主張する

与野党の立法委員と行政機関はイデオロギー論争から決別すべきだ。政治的な舌戦だけでは原発が安全かどうかを決めることはできない。

  1. 老朽原発の安全上の懸念が明確になる前に、また核廃棄物の解決策が見つかる前に、老朽原発を延期すべきではない。
  2. 行政院、経済部、原子力安全委員会は、最も厳格な国際基準に従って、原発安全分析、地質リスク評価、その他の報告書を提出し、運転延長のリスクとコストを完全に開示し、核廃棄物処分対策も提案し、それらを国民に公開して、社会的議論を行うべきである。
  3. すべての政党と立法委員は、自らのイデオロギーを脇に置き、国民に対する原発延長のリスクとコストを確認し、核廃棄物処分に関する立法を開始すべきである。

台湾総統選、立法委員選について

とーちです。本年もよろしくお願いします。

昨日、台湾で総統選挙と立法委員選挙(日本でいう国会議員選挙。一委員制)が行われました。
総統選については民進党(2025年脱原発を制定)の賴清德が当選し、国民党の侯友宜と民衆党の柯文哲が敗北宣言をしました。
侯友宜は原稿を読むこともなく滔々と再起を語り、柯文哲は原稿を読んでいたのが意外に思えました。
(これは国民党の敗北原稿は用意されてなくて、柯文哲は予定通りなので原稿がある、という気がします)
一方、立法委員選挙は選挙前と比較して下記となりました。

  • 国民党 37->52
  • 民進党 62->51
  • 民衆党 5 -> 8
  • 時代力量 3 -> 0
  • 台湾基進 1 -> 0
  • 無所属 5 -> 2
  • 計 113

国民党が第一党ですが、過半数は57なので、国民党、民進党いずれも過半数に達しません。
無所属も2なので事実上、8議席を持っている民衆党がキャスティング・ボートを握ります。
蔡英文総統の時代は、常に立法委員でも第一党であったため、あれだけの実績を残せたわけです。
2000年には陳水扁が政権を取りましたが、一度は第四原発建設停止を決めながら、立法委員で国民党が圧倒的第一党だったため、政局となり、建設継続となったことが思い出されます。
当時は総統選と立法委員選挙が同日ではなく、1年から数か月離れていました。
その事情もあり、このねじれ状態は2000年以来といえるかも知れません。
選挙の最終版で民衆党の柯文哲は国民党との連立を拒否したのですが、その意図通りの結果になったといえます。柯文哲の敗北宣言はまるで勝利宣言のように笑顔でした。
原発に関して民衆党の柯文哲は、第二原発の再稼働、第三原発の稼働延長を主張していたため余談を許しません。
立法委員選挙は、

  • 小選挙区 73
  • 比例代表 34
  • 原住民 6

という構成なのですが、比例代表では民進党36%、国民党35%とわずかに高かったのですが、獲得議席は13と五分でした。民衆党は22%を獲得して8議席を取りました。民衆党は小選挙区では1議席も得ていません。すべて比例代表での議席です。柯文哲ありきの政党と思われるゆえんです。
ひまわり運動から誕生した時代力量が議席を失ったのは残念です。党首の王婉諭は再起を語っていました(たぶん)

能登半島地震に11億円を超える寄付を行ってくれた台湾の人々。
それだけ関心をもってくれているのに、志賀原発の状況の発信が不十分だったと反省しています。
今回ほとんど争点にならなかった原発ですが、時間がないとはいえ、再稼働させることのリスクを強調すれば少しは影響があったのではないか。立法委員の結果はほぼ読めていたので、民衆党の柯文哲に、志賀原発の状況を伝え、それでも再稼働するのですか?と突撃質問する記者が一人くらいいてもよかったのではないかと思えてなりません。

以上です。

「非核のアジアを夢見て」 王舜薇

台湾の40年間の反原発運動の歴史をまとめた『海島核事』(王舜薇・崔愫欣・劉惠敏・賴偉傑著、春山出版、2023年12月) 461~469ページ

佐藤大介にとって、長年にわたって台湾と日本を何度も往復し両地間の反原発交流に尽力する原動力となったのは、実はありふれた一枚の写真だった。妻と子供を連れて、貢寮(第四原発予定地)の反核自救会の楊貴英を訪ねたのだ。子供の足にひどい皮膚炎があるのを見て、彼女は朝、裏山で新鮮な薬草を摘んできて、家の外にしゃがみこんで2時間かけて、潰し、挽き、抽出し、子供に塗らせるために瓶に詰めて与えた。

お互いの世話をしながら、彼らは台湾と日本の反原発運動の最新の進展について話し合い、懸念と楽観主義を分かち合った。国籍や言葉の壁を超えた共同体意識が、世代を超えて運動を前進させているのだ。

日本の呉港は、第二次世界大戦中、主要な海軍の町であり、重要な軍事拠点だった。2003年、日立の原子炉を積んだ船が呉港を出港し、翌年には、横浜港から東芝製の原子炉を積んだ船が海を渡った。

両船とも貢寮行きであったが、20年経った今も、両船が積んでいた第四原発1号炉と2号炉は静かに封印されたまま稼働していない。台湾民衆の頑強な抵抗に加え、地元住民たちからの対抗措置にも直面してきた。

上の左から2人目が楊貴英

■ 非核アジアフォーラムの設立

佐藤大介は1957年生まれ。高校時代に読んだ韓国人反体制派の詩をきっかけに植民地支配と独裁政権への抵抗の歴史を知り、大学では朝鮮語を専攻する。1980年5月、韓国の悲惨な光州事件のとき、韓国の学生や労働者への支持を示すため、キャンパスで断食運動を始めた。

卒業後、佐藤は大阪で就職し、日雇労働者の相談員として労働災害などに対応した。仕事柄、原発で働く派遣労働者と接することが多く、彼らが放射線被曝のリスクと脆弱な職場環境に直面していることを知った。労働者の権利保護に貢献するだけでなく、佐藤は上司を説得して、リスクの高い原発の仕事を労働者に紹介するのを止めさせたこともあった。そして、反原発運動に注力するようになった。

チェルノブイリ原発事故後、欧米では原発の新規建設計画は止まり、新たな市場を求める原発事業者にとってはアジアの新興国がターゲットとなっていた。日本も1990年に、中国、インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア、韓国を招いて第1回「アジア地域原子力協力国際会議」を開催した。この会議の目的は、表面的には原子力開発のための専門的な問題や人材育成について他国と議論することだったが、実際には、原発の輸出を促進するために、日本の原発の経験を宣伝した。「地域住民は、優れた福祉を受け、原発を積極的に受け入れている」と宣伝し、各国に地域住民への工作方法を教えた。

日本の原発の現実をアジア諸国に伝えるため、佐藤大介は韓国の反原発団体と連絡を取り合い、各地で反原発運動をしている人たちとともに、国境を越えたプラットフォームである「非核アジアフォーラム(No Nukes Asia Forum)」を設立した。

1993年の第1回フォーラムは日本で開催され、海外7カ国から30人が参加し、日本国内では7つのグループに分かれて原発立地地域を訪問した。台湾側では、環境保護連盟が郭建平、廖彬良ら10人の代表を派遣し、蘭ユ島の核廃棄物反対闘争や貢寮の第四原発反対運動の状況を報告した。

以来、このフォーラムは毎年アジア各国で開催され、各国の反原発ニュースを定期的にまとめ、出版物を発行して各団体の気運を維持してきた。

1995年に台湾で初めて開催された非核アジアフォーラムでは、世界各国の反原発活動家が、原発のある地域だけでなく、蘭ユ島に行って反核廃棄物の問題を学んだり、台北での第四原発反対集会とデモに参加して、当時フランスが南太平洋のポリネシアで行った核実験にも抗議した。

非核アジアフォーラムは、台湾を支援する最も重要な国際反原発ネットワークであり、現在まで台湾ではフォーラムが6回開催されている。

■ 台日原発運命共同体

「日本政府はいつも原発をうまく運転しているかのように主張しているが、実際には、日本の原発は、情報の選択的開示、嘘、ごまかしの上に成り立っている」。佐藤大介は非核アジアフォーラムで怒りを込めて指摘してきた。

台湾は日本に植民地化された歴史があり、文化的にも地理的にも近いため、日本は台湾の反原発運動にとって最も重要な同盟国となっている。


1895年に日本軍が塩寮の海岸に上陸し、50年にわたる植民地支配が始まったこと、そして日本製の原子炉2基も塩寮の海岸から台湾に上陸したことを知った後、交流のために台湾を訪れた多くの日本人は、貢寮の住民に深々と頭を下げ、「申し訳ありません、これは第二の植民地化です」と言った。

   *中略(日本の原発について)


2007年7月、新潟県でマグニチュード6.8の大地震が発生し、世界最大規模7基の柏崎刈羽原発では、放射性物質の冷却水漏れもあり、地震の影響により日本の原発で初めて長期停止した。柏崎刈羽原発の6号機と7号機で使用されている改良型沸騰水型原発(ABWR)は、第四原発に輸出されているものと同型であるため、この原発安全上の事故は、同原発の耐震性の低さを浮き彫りにし、台湾の反原発団体が特に懸念している。(訳注:柏崎市会議員たちが1990年代から何度も訪台し、ABWRの危険性を集会や記者会見などで伝えた)

1996年、アメリカのGE社が原発を落札し、日立製作所と東芝に原子炉の受注を譲渡したことで、台湾は日本の原子力産業が初めて原子炉を海外に輸出する国となった。しかし、核拡散防止条約(NPT)加盟国である日本は、国際原子力機関(IAEA)が定める「原発輸入国が原子力施設や原材料を核兵器製造に使用することを禁止する正式な協定」を、台湾と締結する義務を遵守すべきであったが、台湾と日本は正式な国交がないため、この協定締結は回避され、日本の反原発団体から批判と懸念の声が上がった。

非核アジアフォーラム日本事務局のあっせんの下、多くの日本の専門家が台湾を訪れ、第四原発の安全上の問題点を指摘してきた。たとえば、かつてGEで原発建設工程管理を担当した原発技術者の菊地洋一氏は2003年から13年にかけて3回台湾を訪れ、第四原発の建設現場の質の低さ、請負業者の工事に問題が山積していることを公然と指摘し、地震に対する台湾電力の対応能力にも疑問を呈した。2010年には地質学者の塩坂邦雄氏が台湾を訪れ、第四原発の周辺に活断層が存在することを明らかにした。(訳注:2010年には刈羽村の武本和幸氏も訪台し地形視察と記者会見を行った)

2001年に第四原発の建設が再開され、反原発運動が下火になったが、これらの専門家の証言のおかげで、原発の進行を効果的に牽制することができ、社会的関心が後退していても国民の監視から逃れることはできなかった。

台湾の反原発運動に最も熱心に反応した日本人は、山口県の瀬戸内海に浮かぶ小さな離島、祝島の住民だろう。人口300人あまりのこの島の住民の大半は、海を生活の基盤としており、1980年代初頭から、4キロ離れた離島に建設される上関原発の計画に反対する運動を続けてきた。毎週月曜日の夕方、島民たちは定期的に島内を行進し、その回数は1000回を超えている。

2006年、呉文通と崔スーシンが祝島を訪れ、ドキュメンタリー映画『こんにちは貢寮』を上映した。原発問題に関心を持つ台湾の学生、陳炯霖が通訳した。貢寮の漁師たちが漁船を走らせ、海で闘う映像を見て、祝島の住民たちは「ここと同じだ!」と叫んだ。

■ 福島原発事故後の東アジア反原発交流

台湾と同様の民主化と経済発展の歴史をもつ韓国もまた、反原発運動の重要な同盟国である。韓国の反原発運動は民主化運動の進展と大きく結びついてきた。

しかし韓国政府の原発開発への野心は、さらに強かった。将来の原発輸出国の基盤となる垂直統合システムを構築した。韓国には25基の原発があり、国内電力の3分の1を供給している。

李明博政権下(2008~13年)の韓国政府は、原発輸出を景気刺激策として利用し、20年間で80基の原発を輸出し3000億米ドルの利益を生み出す計画を立てた。2009年、韓国電力はアラブ首長国連邦(UAE)初の原発を200億ドルで落札した。バラカ原発4基が建設された。この韓国からの初の原発輸出は、「経済的奇跡であり、原子力産業の成功」と宣伝されている。

日本の54基の原発が一時停止した2011年の福島原発事故の後、世界の反原発運動は新たな活力を得た。同年、ソウル市長に当選した社会運動家の朴元淳弁護士は、「原発を1基減らそう」というイニシアチブを立ち上げ、市民に節電と再生可能エネルギーの比率を高めるよう呼びかけた。このような自治体主導のモデルは、台湾の団体にも注目され、経験を学び、交換することで、ポスト福島時代のエネルギー転換のとりくみへの道を開いている。

フィリピン、インドネシア、ベトナム、インドなど他のアジア諸国の反原発運動は、それぞれの国の社会運動や言論の自由の度合いに影響されており、これらの国の反原発活動家は、台湾、韓国、日本の活動家よりも厳しい政治的弾圧に直面している。言論の自由も市民運動もない中国では、原発は公然と議論できないタブーに近いテーマであり、一般市民が原発への疑問を表明する術はない。

地球の反対側ヨーロッパでは反原発運動が早くから始まった。台湾の反原発運動は、ドイツの「人間の鎖」による道路封鎖や裸の反原発デモなど、多くの抗議行動や文化的行動の形を借用している。

■ 反原発運動における台湾の成功と失敗:アジアにとっての指標

「福島原発事故以後、アジア各国で反原発運動は拡大した」。2019年9月に台北で開催された非核アジアフォーラムで、佐藤大介はそう語った。

戒厳令の解除、政権の交代、第四原発の建設中止と再開と凍結、第一原発の廃炉など、台湾の劇的な変遷の過程を目の当たりにしてきた佐藤は、「運動が継承されていることが、台湾と日本の最大の違いだ」という。ポスト福島の時代に多様な抵抗運動を展開し、若者を多く惹きつけた台湾に比べ、日本の社会運動は1970年前後の学生運動以降に空白期間があり、次の世代を育てることが難しかった。

廃炉時代の到来により、日本、韓国、台湾の第一世代は廃炉という茨の道に直面しており、放射性廃棄物の処分には、他国の経験を参考にする必要がある。台湾にとっても、放射性廃棄物問題は重要である。

2023年、30周年の非核アジアフォーラムが韓国で行われ、佐藤大介は「気候正義行進」のステージであいさつした。「私たちは、原発に対抗し続け、最終的には勝利するでしょう。それが歴史の必然です。しかし、できるだけ早く勝利しなければなりません。チェルノブイリや福島のような大事故が繰り返される前に、原発を終わらせなければなりません。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。私たちの子孫のために、一緒に脱原発を実現しましょう」

「台湾は、脱原発を実現するアジアで最初の国であり、台湾の非核政策は、東アジアのエネルギー政策の発展に影響を与える」と佐藤は言う。アジア諸国は、情報を交換し、行動を起こすことで、共に学び、成長し続けなければならない。

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★『台湾廃核運動史』
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2555
「2014年4月27日、「終結核電、還權於民(原発を終わらせよう、主権を市民に返せ)」と叫びながら、5万人のデモ隊が、総統府前の凱達格蘭大道から出発した。忠孝西路の台北駅に面したエリアに着いたデモ隊は、予告通り、道路占拠を図り、人数の勢いで警察の封鎖を突破し、八車線道路を15時間占拠した」

1993年6月21日、楊貴英(右端)は、幼い娘を連れて立法院(国会)に抗議に行った

台湾廃核運動史

(ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局)

21年12月18日に行われた「第四原発の稼働を問う公民投票(国民投票)」。結果は、426万人が原発反対票を投じ、380万の賛成票を上回った。

事実上の日本の輸出原発(原子炉は日立・東芝、タービンは三菱)であり建設凍結されていた第四原発は稼働しないことが最終決定した。台湾は2025年に原発ゼロとなる。

台湾がいかにして、アジア初となる脱原発 =「非核家園」という悲願へと着実に向かいつつあるのか、これまでの台湾の脱原発運動を、『原発をとめるアジアの人びと』(ノーニュークス・アジアフォーラム編著、創史社刊)と本誌過去記事をもとにふりかえりつつ、日本と台湾の脱原発運動のかかわり、そしてこれからの日本の脱原発運動に示唆されるものについて考えてみたい。

1.第四原発反対運動の始まり

台湾では国民党軍事独裁のもと、1949年から1987年まで、38年間におよぶ世界最長の戒厳令が敷かれ、政府への批判的な言動は徹底的に弾圧された。そのような中で、国営の台湾電力によって、北部の第一(金山/チンシャン)、第二(国聖/クウォシェン)に米ゼネラルエレクトリック社の沸騰水型炉、南部の第三(馬鞍山/マアンシャン)に米ウエスチングハウス社の加圧水型炉、各2基ずつ計6基の原発が建設されてしまった。

1981年には第四原発建設予定地が北東部の貢寮(コンリャオ)と決定され、強制的に土地が収用された。第一、第二、第四原発がひしめきあい、30キロ圏内には台北市も含まれ、600万人が住んでいる。

1987年を迎えて戒厳令が解除されると、台湾環境保護連盟を結成した学者たちが貢寮を訪れ、原発の危険性を伝えた。学者たちの多くは、戒厳令下で欧米に留学して原発の危険性に関する知識を得ていたし、スリーマイル事故やチェルノブイリ事故も彼らに深い危機感を与えていた。

1988年3月1日、台湾電力が貢寮の澳底小学校で「電気の合理的利用に関する説明会」を開催した。原発については一切言及することなく、さまざまな景品が当たる抽選会などが行われ、地域住民も参加した。しかし翌日の新聞には「貢寮住民は第四原発建設を受け入れた」との記事が掲載されたため、住民たちは激怒した。そして5日後、1500人の住民が集まり、「塩寮反核自救会」が結成された。

1988年3月12日、塩寮反核自救会の最初のデモ、貢寮にて(核四=第四原発)
反核自救会の看板と旗、原発予定地前、1988年(核四=第四原発)

戒厳令が解除された後は民主化闘争が高揚していったが、第四原発反対運動は人々の闘いの大きな軸であった。原発は独裁と不正義の象徴であった。軍事独裁政権下で原発建設がすすめられた韓国やフィリピン、インドネシア(計画)と同様、台湾でも民主化闘争と連動する形で第四原発反対運動が広がっていった。反原発と民主化は密接不可分の闘いでありつづけた。

環境保護連盟など多くの団体によって、毎年一万人以上のデモ、国会前での大規模な抗議行動や座り込みなどが行われた。貢寮の人々はいつもバスで大挙参加した。


民主化闘争の中から誕生した民進党も原発反対を綱領とし、国会でも反対決議や予算凍結で、第四原発建設の是非は逆転に次ぐ逆転をくり返した。第四原発建設問題は80年代末から90年代を通して台湾の最大の政治課題の一つであった。

2.1003事件の衝撃

1991年10月3日、事件が起きる。原発建設に反対する塩寮反核自救会は、抗議のため第四原発予定地の前にテントを張っていた。しかし住民との協定を破った警察が突如突入してきてテントを破壊したことで、警察と住民デモ隊との衝突が発生した。この対立の中で、地元住民の林順源氏が運転していた車が倒れ、警察官が1名死亡、2名重傷を負うという悲劇的なできごとが起きた。「1003事件」である。

反核自救会の呉文通さんは語る。「林順源一人で警官隊に包囲された。怖いに決まっている。そこで、彼はUターンしたが警官がフロントガラスをたたき、クモの巣状にヒビが入って、よく見えないなか、柱にぶつかり車はひっくり返った。ちょうど横にいた警官が車の下敷きになってしまった」

事件後、反核自救会のメンバー17人が破壊行為と公務執行妨害の罪で起訴された。そのうち15人は執行猶予となったが、現場指揮者の高清南氏と運転手の林順源氏は、それぞれ10年と無期懲役の判決を受けた。以後、国民党政府は住民団体に「暴力集団」のレッテルを貼って誹謗中傷を行ったが、反対運動の中で死傷者が出てしまったこの出来事は、貢寮の人々の心にぬぐいがたい傷を残した。

3.放射能汚染マンション

台北市で1992年、原発由来の汚染鉄材が原因となった「放射能汚染マンション」問題が発覚した。毎時数十マイクロシーベルトという高線量が確認され、汚染鉄材が建設に使用されたマンション等で暮らす人々にガンや白血病、流産などが多発し、社会を震撼させる事態となった。

被害者たちは訴訟を起こし健康被害に対する補償を求めて闘った。

放射能汚染が見つかったところは、マンション(1580世帯)以外にも、小学校、日本人客も多いカラオケバーなど、計183か所、15000人以上の被曝が確認された。

4.第3回ノーニュークス・アジアフォーラム

95年台湾での第3回NNAF(日本からは32名参加)では、第四原発反対とフランス核実験反対をつなぐ壮大な3万人デモが行われた。デモは「終結核武」「拒絶核電」と叫び、解散時には、目抜き通りの交差点のまん中で核兵器と原発の模型を燃やした。海外参加者は、ランユ島、第一・第二原発、前述の放射能汚染マンションも視察した。

そして、第四原発「敷地内」デモ、貢寮の住民たちとの交流集会でフォーラムをしめくくった。

5.ランユ島、核廃棄物と闘う先住民族

台湾南端から東約80キロにある人口3000人のランユ島は、台湾の先住民族であるタオ族の暮らす島だ。1980 年、観光産業に頼るこの島に、台湾電力は「魚缶詰工場」を建設すると偽って、原発から出る低レベル放射性廃棄物貯蔵所を建設した。82年より、放射性廃棄物のドラム缶の搬入が始まった。戒厳令解除後、タオ族の住民による「駆逐悪霊」と叫ぶ反対運動が続いてきた。貯蔵所での放射性廃棄物管理はずさんで、ドラム缶がさびで覆われたり穴が開いてしまったりしている様子がメディアでも報じられている。

島民たちは96年4月26日、放射性廃棄物の追加搬入を実力で阻止した。早朝、埠頭を400名の島民が埋めつくした。うち70名は伝統的なタオ族の戦闘服をまとい、手に長ヤリをもった。輸送船はやむなく引き返し、廃棄物ドラム缶は第一原発にもどされた。そして、島民たちは、10万本の廃棄物を2002年末までに島から出させることを台湾電力に約束させた。しかし、この約束は未だに実現していない。

また、97年に台湾電力は、低レベル放射性廃棄物を北朝鮮へ輸送すると発表したが、この計画は国際的な抗議で粉砕された。

周縁化された場所へ、マイノリティが暮らす場所へと危険な廃棄物や施設が押しつけられていく事態は、環境レイシズム以外の何物でもない。それと同時に、日本に暮らす私たちがこの問題をどう解決しようとするのかを問い返してもいる。

6.日本からの原子炉輸出

第四原発現地の貢寮では、94年の住民投票で96%が原発建設に反対した。また、96年3月には初の総統選挙にあわせ、首都台北市でも第四原発建設の是非を問う住民投票が行われ52%が反対した。

しかし、96年に第四原発建設の入札が行われてしまい、ゼネラルエレクトリック社が落札。日立と東芝が原子炉を、三菱がタービンを製造することになる。日本から原発本体が輸出されるという悪夢のような事態は、ぜったいに許すことができない。

以来、日本と台湾の間で、実に多くの人々が行き来した。たとえば、同じABWR(新沸騰水型原子炉)がある柏崎からも市会議員たちが何度も訪台し、記者会見、原子力委員長らとの交渉、大集会での発言などでABWRの欠点を伝えた。

貢寮の住民たちは97年、120隻の漁船をくり出し、原子炉が到着した際に入港を阻止するための海上訓練を行った。日の丸の描かれた大きなドーム型の原発模型を船に乗せ、海上でそれに火を放って抗議の意思を表明した(99年にも)。

97年3月には、地元「反核自救会」の住民20人が来日して通産省、東芝、日立へ抗議の申し入れを行った。反核自救会の女性の中心メンバーとしてたたかい続けてきた楊貴英さんは、「貢寮で原発建設を阻止できれば、アジア中に原発が拡散することを止められると思ってたたかっています」と話した。

台湾への原発輸出に関しては重大な疑義がある。それは、NPT(核不拡散条約)違反の問題である。NPTでは、原子力施設の移転にあたっては、受け入れ国から核爆発用に転用しないとの約束を取り付けることが求められている。しかし外務省は、日本と台湾に国交がないことから二国間協定が結べないため、米国務省から在米日本大使館に宛てられた単なる口上書をもってNPTをクリアーする根拠とみなしていた。その口上書は担当部署の責任者の署名すらない連絡文書であって核兵器への転用を行わないことを正式に保証する約束文書として通用するものとは到底いえない。

私たちは、国会での質問主意書などを通じてこの問題を追及した。政府からの答弁は「交換公文があるから問題ない。口上書が保障措置の適用を確保する」というものであった。紙切れ一枚で核不拡散が確認できると強弁する日本政府の態度はあまりに不誠実だ。

日本からの初の本格的原発輸出に対して、署名運動、日立・東芝・三菱の不買運動、集会、国会での質問、株主総会参加、政府との交渉など、日本国内でさまざまな原発輸出反対運動を展開したが、輸出を断念させるには至らなかった。

現地の様子も同様だった。住民投票で勝利しても、地方自治体や県知事が明確に反対しても建設計画はとまらず、貢寮漁民の漁業権は政府に強制的に取り上げられ、第四原発は99年に着工されてしまった。

しかし翌2000年、50年以上続いた国民党独裁は終り、「第四原発中止」を公約とした民進党の陳水扁政権が誕生する。同数の推進派と反対派で構成される「第四原発再検討委員会」の3ヶ月にわたる議論が始まった。この論戦の様子は毎週テレビ中継もされた。その結論をふまえ、10月に行政院長(首相)が建設中止を発表した。11月には過去最大規模10万人のデモも行われた。

しかし、原発建設に利権をもつ国民党の攻撃によって台湾の政局は混迷を極める。2001年1月末には国民党議員が多数を占める国会で建設継続を求める決議が採択され、結局2月14日に陳総統が妥協し建設再開となった。勝利にいったんは安堵した地元の人々の心中は察するに余りある。日本政府は、待っていましたとばかりに2月27日に輸出許可を出した。

台湾での第10回NNAF(02年)では、東電の事故隠しスキャンダルを報告。20名の海外参加者代表は首相とも会見、原発の危険を強く訴えた。

そして、03年に日立の1号機原子炉が呉港から、04年に東芝の2号機原子炉が横浜港から輸出されてしまった。私たちは呉や横須賀の平和船団の方々と協力して、海上抗議行動を行った。私たちが乗ったボートから見上げると、原子炉が積み込まれた貨物船は、真上を見上げなければ視界に入りきらないほど巨大だった。大きな波に翻弄されながら、自分たちの非力さを恨んだ。

第四原発予定地に隣接する美しい海浜公園は、日本軍が初めて台湾に上陸した地として、抗日記念碑が建てられている場所でもある。かつて日本軍が植民地支配を開始するために現れたのと同じ場所に、今度は日本の原子炉が現れたのだ。台湾の人々がこれを「第二の侵略」と表現する重みと痛みを、日本の人々が十分に受け止めていたとは言い難い。

抗日記念碑と建設中の第四原発

現地貢寮の反核自救会は声明で次のようにいう。
「日本によるこのような『公害輸出』という行為に強く抗議する」「日本が台湾に原発を輸出することは、私たちの心の中に恨みと恐怖を輸出することを意味する。ある

いは悲劇を輸出するともいえる・・・・その反面、この険しい原発反対の道をここまで歩んでこれたのも、大勢の日本友人の声援と激励があったからである」

7.映画「こんにちは貢寮」

05年末、台湾から日本にメッセージが届いた。新鋭ドキュメンタリー作家ツィ・スーシンが、貢寮に住み込み、6年の歳月をかけて完成させた作品、映画「こんにちは貢寮」だ。台湾ドキュメンタリー界の重鎮・呉乙峰監督が製作にあたったこの作品は、第27回金穂賞最優秀ドキュメンタリーにも選ばれた。


激動の政治に翻弄された貢寮の人々・・・・。スーシン監督は、ひたすら貢寮の人々を見つめる。貢寮の人々の思い、怒り、悲しみ、願いを映し出す。スーシンさんは言う。「撮影の期間中に何人もの人の他界に遭遇し、いまもその映像を見るときは悲しさを禁じえません。彼らにとって原発に反対することは、まさに、この土地を愛すること、この海を愛すること、家族を愛することであったのです。貢寮の彼らの姿を見て、彼らの声に耳を澄ませてほしい。日本は原発の輸出国であるので、少しでも皆様に関心を寄せてもらえれば幸いです」

反核自救会の呉文通会長やスーシン監督らも来日し、05~06年、大阪・東京・新潟・柏崎・北九州・下関・祝島・広島で「こんにちは貢寮」上映と現地報告を聞く集いを開催した。圧巻は、なんといっても祝島だった。公民館に集まってくれた約100名(過半数は女性)の人々は、何十隻もの漁船を繰り出すシーンや、住民が電力と言い争うシーン、役人に抗議するシーンなどを見て、どよめき、「そう、そう」「おんなじじゃね」と共感の思いを口にした。同じ24年間を、同じように苦労して闘ってきたのだ。スーシンさんは「台湾での70回のどの上映会よりも反応が熱かった。心を重ねてくれていました」と言ってくれた。

映画は、1991年の1003事件で投獄された青年、源さんへの手紙から始まり、クライマックスは11年ぶりの源さんの外出許可だ。身内のところではなく、まっすぐ福隆駅に向かった源さんは、呉文通さんら出迎える住民たちと固く抱き合う。

ちょうど、祝島での上映会(06.3.18)の直前、台湾から呉さんに電話があった。「源さんが3日後に、14年5ヶ月ぶりに釈放される!」。呉文通さんが、そのことを告げると、祝島の上映会場はもう、万雷の拍手。まるで貢寮にいるかのよう。呉文通会長は力強く語った。「祝島は貢寮にそっくりです。祝島のみなさんにお会いして、とても励まされました。この映画のおかげで来ることができました。本当にうれしいです。とめるまで闘います。日本最後といわれる上関原発、台湾最後の第四原発、どちらもとめましょう!」

8.「地震と原発の危険」を伝え続ける

日本からは、「地震と原発の危険」をずっと伝え続けてきた。新潟県中越沖地震の翌08年に柏崎刈羽で行った第12回NNAFにも台湾から多数が参加した。

日本人学者が10年に第四原発および付近の地質調査を行い、新断層を発見し、直後の台湾での第13回NNAF、立法院(国会)公聴会で発表し、参加者たちは耐震基準400ガルを引き上げるようにと訴えた。

10年3月と5月に、中央制御室で火災事故、7月に28時間のステーション・ブラックアウト(全交流電源喪失)が発生した。また、11年に、第四原発で許可なく800ヶ所の設計変更がなされていたことが発覚した。状況が二転三転する中で、第四原発の建設工事はくり返し中断され、大幅に遅れることとなった。

9.福島をくり返さないで

11年3月20日、台北で5000人が反原発デモに参加し、運転中のすべての原発の即時停止と第四原発の建設中止を要求した。4月30日には全国各地で反原発デモ(計15000人)。台北デモには、福島から2人の女性が参加し、「福島をくり返さないで」と訴えた。

                  ダン・ギンリンくん(右)

その後、有名な映画監督、俳優、ミュージシャン、芸能人、文化人をはじめ、内部告発者も含めて、多くの人々が原発反対の意思表現をするようになった。12年、馬総統が「原発に反対意見を言う人を見たことがない」という問題発言をして、「我是人、我反核(わたしは人だ、わたしは反核だ)」のアクションが起き始めた。台湾の有名な映画監督が企画したもの。総統府前の大通りで、60人が人文字で「人」の字をかたどって寝ころび、「我是人、我反核」と叫び、1分でパッと散っていくのだ。第2弾は台北駅で、やはりばらばらにいた人たちがコンコースで一斉に「人」の形に寝ころび、「我是人、我反核」と叫び、一瞬でパッと散る。いわゆるフラッシュモブだ。その後、同じように数名が集まって「人」の文字を作ったり、自分の指に「反核」と書いて人の文字を作ってそれをSNSにアップするなど、ネット上でのアクションが燎原の火のごとく広がった。また、アーティストたちは反核のポスター作りを始めた。

そして13年3月9日、台湾全土で20万人以上が原発反対デモに参加した。台湾の人口は2300万人なので、日本で同じ比率なら100万人だ。400以上の民間団体が連携して実現したもので、主催者発表で台北12万人、台中3万人、高雄7万人、台東数千人で、夜になってからも、道路で映画上映や、音楽など。若者たちはテントを張って夜を越した。

10.非暴力直接行動

14年3月8日、「原発廃止デモ(全台廢核大遊行)」は雨のなか、計13万人が参加した。台北のサウンドカーに引率された隊列では、行政院(政府)前の交差点で、スタッフが突然、黄色封鎖線を引いた。警察がただちに反応できずにいるなか、数千人の市民が交差点を占拠することになり、交通も遮断された。原発事故通報サイレンのような音が響き、防護服を着用したスタッフが、デモ参加者に横たわってくださいと指示。万が一原発事故が起きたら台湾の国民は死ぬほかに道がないということを表現した。この道路占拠は30分間続いた。

「不核作運動」が呼びかけられたのだ。「非暴力運動」=「非協力運動」は、台湾では「不合作運動」となっている。「合作」は「協力」の意味。「合」の北京語読みは「核」と同じなので、語呂合わせで「不核作運動」となり、「非協力」と「反原発」を同時に表わしたものだった。

続いて、中国とのサービス貿易協定の立法院(国会)承認をめぐって、3月18日から4月10日まで、立法院占拠が行われた。この前代未聞の事件を、台湾のメディアをはじめ海外のマスコミも、「ひまわり学生運動」と報道した。たしかに表に出て発言していたのは学生の代表で、立法院の中には若者が多かったが、実は多くの市民団体やNGOが支えていた。毎日数千人の市民が立法院のまわりを囲んで盾となり、3月30日には50万人集会が行われた。それほどまでに、原発推進も含めて、馬英九政権の民意無視・独断専行は度を越していたのだ。

立法院占拠の熱気冷めやまぬ4月22日、第四原発の廃止を訴えるため、民主化闘争のシンボルである林義雄さんが、死を覚悟して、かつて母と娘が暗殺された場所で、無期限断食を開始した。彼はこう述べた。「この数か月のあらゆる抗議行動で、台湾人民がすでに普遍的に覚醒したことがわかります。もし、この覚醒を有効に組織し適切な方法で鍛えれば、人民の主権者としての意識および大衆の闘争能力を高めることができ、誰も止めることのできない力となるでしょう。この力があれば、現在の権力者のやり方は通用せず、未来の台湾に、民意を軽視する独裁者はもう出現できないようにできるでしょう」

断食に呼応する形で、全国126団体による「全国廃核行動平台」が動き出した。26日、大勢の市民が総統府前に座り込んだ。その場で、翌日のデモ行進とともに道路占拠を行うことが予告された。

27日午後、「終結核電、還權於民(原発を終わらせよう、主権を市民に返せ)」と叫びながら、5万人のデモ隊が、総統府前の凱達格蘭大道から出発した。忠孝西路の台北駅に面したエリアに着いたデモ隊は、予告通り、道路占拠を図り、人数の勢いで警察の封鎖を突破し、八車線道路を15時間占拠した。

激動の事態展開のなか、馬英九政権は妥協し、2基ともほぼ完成していた第四原発の「稼動・工事 凍結」を発表した。「第四原発稼働問題は馬英九政権では凍結され、2016年に誕生する新政権下の民意に判断が委ねられることになった」と報道された。

同年9月、第16回NNAF海外参加者60余名はバスで宜蘭県の「台湾民主化運動資料館」を訪問し、林義雄さんご夫妻と有意義な時間を過ごした。林義雄さんは、国民党の軍事独裁政権下にあった1970~80年代の民主化運動指導者の一人で、美麗島事件で獄中にあった1980年2月28日に母親と双子の娘を惨殺される政治テロを経験した。その苦難を踏まえ、妻と「台湾社会運動資料センター」「台湾民主化運動資料館」などを設立した。

11.台湾から私たちが学ぶこと

反核デモとなれば数万人が結集し、目抜き通りを占拠するなど粘り強く勇敢に闘う台湾の人々。ひまわり運動では、若者たちが自分たちの意思を伝えるために国会を非暴力で占拠するという歴史上類を見ない行動も成功させた。15年3月、ひまわり運動に参加した若者二人を関西にお招きした際に、大切な話をたくさん聞かせてもらった。一人は国会の議場内で広報を担当した女性、もう一人は国会の外で議場内の若者たちを守るとりくみに参加した女性だった。

なぜ台湾の多くの若者たちがこのようなエネルギッシュな行動に結集するのかと問われて、彼女らは「私たちは、上の世代の人たちが献身的に闘う姿を見てきています。だから私たちも、同じようにやってみようと思いました」と答えた。真っ先に思い出されるのは、命を懸けて無期限の断食を開始した高齢の林義雄さんのことだ。もちろん著明な活動家だけではなく、一般の人々もそれぞれの持てる力を発揮している。

このたびの立法院占拠の際は、敷地を取り巻くようにして多数の市民がテントを張り、権力が暴力的な介入を行わないように若者を守り続けた。ひたすら炊き出しをする人々、交代で救護所に詰める医師や看護師たち、手作りの新聞を発行して情報伝達を助ける人々、ごみを拾って衛生的な環境を守り続けた人々など。そのようにして結集した人々の中には、点滴を打ちながら車いすに乗ってやってきた高齢者もいたという。アーティストたちは若者たちを支持する作品を路上に飾り、休日ともなれば子どもたちのための工作ワークショップも行われ、ひまわりをあしらった愛らしい作品がやはり路上を彩ったという。

非暴力で、それぞれができることをもちよって、決してあきらめない。38年間の戒厳令を含めて苦難の歴史と対峙した人々の経験と記憶が次の世代へと継承され、暮らしに根づき、ユーモアやあたたかみを忘れない独特のありようを可能にしている。二人の若者たちとの対話で、そのことを痛感した。

12.原発の歴史は終結へ

2016年、脱原発を公約に掲げた民進党の蔡英文が総統選挙で勝利し、翌17年、「原発の運転を2025年までに全て終了する」ことを電気事業法の条文に明記した。

原発維持勢力は巻き返しを図り、18年の公民投票で、「脱原発の達成期限(2025年)」が条文から取り払われてしまった。

しかし民進党政権の脱原発政策はもう揺るがない。19年のノーニュークス・アジアフォーラムでは、陳建仁副総統(副大統領)が、海外参加者30数名に「長年にわたる脱原発へのとりくみに感謝の意を表したい。台湾政府は、脱原発政策を堅持し、運転40年の寿命は延長せず、第四原発も動かさない」と挨拶。

原発維持勢力と国民党は「原発が、電力不足と大気汚染を解決し、さらには地球を救うことができる」と主張し、今回の「第四原発の稼働を問う公民投票」を提起したが、21年12月18日、426万人が原発反対票を投じ、ついに「終止符」が打たれた。

事実上の日本の輸出原発である第四原発は稼働せず、第一原発1・2号機、第二原発1号機は運転40年ですでに廃止となり、残る3基も25年までに廃止となる。

全国廃核行動平台は、「公民投票では、平均より高い75%の貢寮住民が原発に反対した。貢寮の人々は3世代にわたって、数え切れないほど街頭に出て第四原発に反対し、子や孫のために闘ってきた。もし貢寮の人たちの粘り強い努力がなかったら、第四原発は稼働され、台湾は非常に高い核災害のリスクにさらされていたことだろう」と評した。

13.私たちはどんな道を行くのか

日本と台湾の反原発運動が交流を始めてともに励まし合うようになってから30年が経つ。この時の流れの中で、貢寮で親しくさせていただいた少なくない方々が、すでに天に召された。そして、日本との縁が深かった二人も、私たちは忘れない。東京に暮らし、母国台湾への愛と反原発の信念をもって、日本と台湾の運動をつなげるためにすべてを捧げるように活動された何昭明さん。堪能な日本語と魅力的な人柄で、いつも私たちと台湾の若者の運動との懸け橋になってくれ、30歳で夭折したダン・ギンリンくん。

このたびの公民投票で、貢寮をはじめとする台湾の仲間たちの長年の苦労がとうとう報われた。台湾は2025年、アジア初の脱原発を実現する。日本に暮らす私たちも、台湾の人びとに続こう。これからも台湾の人々と手を取り合い、学び合って進んでいこう。その姿は、きっと次の世代へと受け継がれていくと思う。

楊貴英さん「公民投票では核四(第四原発)に不同意を」

公民投票結果を聞く呉文通さん
第四原発

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関連:「非核のアジアを夢見て」 王舜薇

「非核アジアフォーラムは、台湾を支援する最も重要な国際反原発ネットワークであり、現在まで台湾ではフォーラムが6回開催されている」


★ノーニュークス・アジアフォーラム通信174号
(2月20日発行、B5-28p)もくじ

・台湾廃核運動史(NNAFJ事務局)
                  
・憐憫のない人たち(チャン・ヨンシク)/高レベル核廃棄物管理基本計画と特別法案の撤回を促す全国行動・声明書             
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2550

「この50年間、一方的な犠牲を強要されてきた地域と住民たちに、再び犠牲を強要しています。全国の原発があるところに「敷地内貯蔵施設」という名で、高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)の「乾式」貯蔵施設を建設しようとしています。 これは原発がある地域と住民たちに無限の犠牲を強要することです。原発立地地域を核の墓にしようということです」

・南オーストラリア州の放射性廃棄物処分場予定地で洪水(ミシェル・マディガン)

・欧州委、原発をEUの「グリーン投資」に位置づけ
 ― 内外からあがる批判の声 ―(満田夏花)

              
・今度は加害者になるわけにはいかない(片岡輝美)
・11.13 海といのちを守るつどい アピール(これ以上海を汚すな!市民会議)
・日弁連が、汚染水「海洋放出に反対する意見書」    
          

・水戸地裁判決の意義と限界 ― 住民運動による突破こそ本命(大石光伸)  

・急展開の島根原発再稼働の動き(土光均)                

・柏崎刈羽原発をめぐる新潟県の現状について(小木曾茂子)        

・311子ども甲状腺がん裁判弁護団、元首相5人の書簡への非難に対し抗議声明 

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4,262,451票もの強力な反原発票をありがとう、第四原発を終結させ、核のない社会へ

12.18第四原発公民投票(国民投票)で勝利
日立・東芝が原子炉を輸出した第四原発は稼働せず
台湾は、2025年原発ゼロ、アジア初の脱原発に向かいます
下記は台湾の全国廃核行動平台(ネットワーク)の声明(抄訳)です

4,262,451票もの強力な反原発票をありがとう、
第四原発を終結させ、核のない社会へ

2021.12.18 全国廃核行動平台

●「公民投票(原発維持派が提起)は不成立、第四原発の歴史は終結する」

 40年間にわたる第四原発問題は、2021年末の公民投票で426万人が稼働反対票を投じ、ようやく幕を閉じた。(稼働賛成は380万票)
 数十年も第四原発と闘い、最後の1歩まで共に歩んできたすべての人々に感謝します。
 今後も政府を監視し、第四原発の歴史を終わらせよう。

●「原発は過去のもの、エネルギー転換を進めよう」

 原発維持勢力と国民党は「原発が、電力不足と大気汚染を解決し、さらには地球を救うことができる」と主張している。
 しかし台湾はもう、古くて危険な原発について議論する必要はない。エネルギー転換に貴重な時間を浪費するだけでなく、社会的コストを増大させることになるのだ。

●「歴史的正義を貫く貢寮の人々」

 貢寮では27年前に住民投票が行われ、96%という圧倒的な得票率で原発反対を表明したが、法的拘束力がなかったため、貢寮の人々はその後も闘いを続けてきた。
 原発問題を何度も公民投票にかけることは、地元住民にとって不公平である。
 本日の投票では、平均より高い75%の貢寮住民が原発に反対した。貢寮の人々は3世代にわたって、数え切れないほど街頭に出て第四原発に反対し、子や孫のために闘ってきた。
 もし貢寮の人たちの粘り強い努力がなかったら、第四原発は稼働され、台湾は非常に高い核災害のリスクにさらされていたことだろう。
 貢寮の人々が安心した暮らしを手に入れるために、一日も早く第四原発を廃止しよう。
 4,262,451票もの強力な反原発票をありがとう! 共に第四原発を終結させよう!

投票結果を聞く呉文通さん
楊貴英さん
反核自救会の看板と旗、原発予定地前、1988年


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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信173号
(12月20日発行、B5-28p)もくじ

4,262,451票もの強力な反原発票をありがとう
  第四原発を終結させ、核のない社会へ (台湾・全国廃核行動平台)    
・台湾公投(国民投票)私見 (とーち)                    
・蔚山、労働組合も高レベル放射性廃棄物特別法案の廃棄を要求 (イ・サンボム)
・地域を核廃棄場にする高レベル特別法案を廃棄せよ (脱核釜山市民連帯)  
・2022脱核大統領選連帯・発足式 (ソン・チュヒ)              
・バターン原発との闘いにどう勝利したか (トネット・オレハス)       
・キンバの放射性廃棄物処分場計画、南オーストラリア州首相は州法を適用すべき
                        (FoEオーストラリア)
・アックユ原発の建設中にくり返される事故 (森山拓也)                                
・東海第二原発いらない! 12.11一斉行動 (志田文広)           
・1600人が参加「12.5老朽原発このまま廃炉!大集会inおおさか」は、
・老朽原発を廃炉に追い込む出発点 (橋田秀美)            
・原発マネーの不正還流、検察審査会に約1200名で申し立てます (末田一秀) 
・関電原発マネー不正還流事件告発弁護団・声明(不起訴処分に対する抗議声明)
・『こんど、いつ会える? 原発事故後の子どもたちと関西の保養の10年』
  発刊しました (小野洋) 
・「ほっとかれへん!」と思った関西の《おせっかいな》人々の10年間  (宇野田陽子)
・長谷川健一さんは私たちを励ましている (宇野朗子) 

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「第四原発とお別れしよう!」台湾第四原発稼働の是非を問う12.18公民投票(国民投票)

台湾廃核行動平台(プラットフォーム

第4原発の2号機は建設が終了しておらず、1号機は原子力委員会の安全認証テスト(使用前検査)を通過しておらず、封印をして7年がたった。当時、なんとか1号機の安全認証テストが行えるよう、2号機から1700点もの部品を1号機に流用した。現在一部の部品はすでに生産中止。オリジナルのプロジェクトチームはすでに解散。

第4原発の建設過程で幾度となく工事の不正行為、スキャンダルおよび重大設計ミスが起き、安全が危ぶまれる。

台湾電力によれば第4原発の建設継続は以下の困難に直面し、少なくともあと10年が必要:
● 第4原発の安全メーターコントロールシステムの設計は、世界でも唯一であり、20年が過ぎ、取り換える必要がある。しかしそのサプライヤーはすでに生産中止、備品の入手困難という問題がある。第4原発はABWR(改良型沸騰水型炉)。
● 建設再開前にGEと煩雑な契約変更の交渉プロセスが必要、工期や経費などの項目について内容は煩雑で、時期については予測が難しい。
● 予算編成や国会での承認が必要。
● 原子力委員会に封印解除の申請を提出し、同意が必要。
● 継続する工事の施工、福島原子力災害のあと安全強化改善工程、燃料装填後のウォーミングアップテストなどのプロセスを完了しなければならず、前述の各項工程実務の予測では6~7年の時間が必要。
● 時期の予測ができない2項目;設計元のGEとの交渉および安全デジタルメーターコントロール設備の取り換えにかかる時間。

最新の地質調査報告によれば、第4原発敷地真下に長さ2kmのS断層が走っており、近隣する海域にも連続すると40km以上の活断層があり、さらに過去に記されていなかった断層帯も見つかっている。

20年前の第4原発建設時の耐震設計(400ガル)では、もはや安全基準を満たさない。


福島原子力災害後、国際的にも原発の耐震基準が引き上げられ、時代遅れの第4原発の設計ではもはや安全に運転することを保証できない。

第4原発は施工始まって以来スキャンダル続出、手抜き工事、違法に設計変更、施工不良、設備浸水、火事など、規定違反事件が計512件。合計で2290万元の罰金が科せられ、さらに監察院による糾弾6回、弾劾2回。第4原発の工程品質が危ぶまれる。

断層と工程品質の2点から、第4原発は、先天的に不良(欠陥)、後天的に失調の、システム的、根本的問題があり。これ以上時間と金銭をかけても安全に運転する保証が得られない。

第4原発を使わなくても、空気汚染を減らすことができる。原発が占める割合が減り続けているここ数年、空気汚染物質の排出量も同時に減り続けている。これは空気品質を改善するのに原発に頼らなくてもよい証拠である。

また、政府および学者の統計によれば、電力部門が国内のpm2.5排出に占める割合は4.5%から16%の間で、さらに高い割合を占める交通汚染源や産業排出も同じように重視されるべきである。それでこそ、台湾の空気汚染を本当に改善することができよう。

第4原発は1980年4月に行政院(政府)が敷地を確定してから、与野党の論争を経て、1992年6月に立法院(国会)が予算支出を承認、総額は1697億元(6669億円)。

2004年から原子炉容量増加、建設停止・継続による工期の延長、経済的変数の変動、契約変更および福島事故後の強化、5度の予算追加により総額が2838億元(1兆1153億円)となった。

台湾電力の最新の試算によると、第4原発の建設継続には、元の投資以外に、少なくともさらに800億元(3144億円)の予算追加が必要である。これは第4原発が完成がままならない底なし沼であることを示している。

国際的な電力平均コストは、この10年間で、太陽光発電コストは89%減少、風力発電コストは70%減少し、原発を新設するコストは26%増加した。原発は価格競争力を持たない。

核廃棄物の処置決定時期の延期により、将来、原発コストの継続的増加は必然である。台湾電力の予測では、廃炉および核廃棄物の最終処理の経費が、3353億元から6200億元に増加するが、原発の後期運営総費用は4729億元しかなく、巨額な不足を抱え、さらに原発運転の安全基準は高まっていき、将来原発はますます高くなる。

台湾の低レベル核廃棄物は少なくとも300年の保管が必要であり、原発と蘭嶼島の貯蔵場に一時保管している。そして、高レベル核廃棄物は少なくとも10万年の保管が必要であり、現在第1、第2、第3原発ともに高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)を満タンの冷却プールの中で一時保管している。

核廃棄物は高熱、そして高い強度の放射線を1万年以上持続的に放出し、他のどの発電方式の廃棄物よりも処理が難しく、ゆえに世界各国いまだに安全に保管できる方法を見いだせていない。

台湾は国土が狭く、人口が密集し、地震帯の上に位置し、核廃棄物の行き先について社会的コンセンサスが形成していない。2019年の世論調査では、7割の民意が核廃棄物を自分の住んでいる自治体に保管することに反対している。

原発を使い続ける限り、処理できない難題を作り出し続け、無責任に世紀の劇毒を将来の子孫へなすりつけることに等しい。

みなさんのすべてのお友達にこのスライドをシェアしてほしい、より多くの人が第4原発の真実を知る手助けとなってほしい。第4原発によって台湾のエネルギー転換の貴重な時間を無駄にしないでほしい。

第4原発とお別れしよう。
― 私たちは第4原発はいらない ―

第4原発公民投票17案は「不同意」

(翻訳/張建元)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信171号
(8月20日発行、B5-24p)もくじ

・第四原発とお別れしよう! ― 12.18公民投票 (全国廃核行動平台)       

・脱原発アジェンダを確定し、大統領選挙に対応しよう (ヨン・ソンロク)     

・中国・台山原発の「放射能の脅威」が、なぜ、インドで懸念されるのか
 (ソナリ・フリア) 
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2253 

・ライナス社レアアース製錬工場の現状報告 (和田喜彦)
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2240            

・「第二の原発」リニア中央新幹線にも関心を (石橋克彦)            

・広島原爆「黒い雨」訴訟の成果 (湯浅正恵)                 

・美浜原発3号機の運転禁止仮処分について (中野宏典)            

・伊方原発廃炉のために (名出真一)                     

・柏崎刈羽原発反対50年 (後編) (矢部忠夫)

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台湾の明日はどっちだ! 2020年台湾総統選挙の注目点

概要

4年に一度の台湾総統選挙が、2020年1月11日(土)に行われます。
台湾はアメリカ合衆国に似た政治機構で、総統の任期は4年、有権者の直接選挙により選出されます。ちょうど合衆国と同じ年に先行して行われるため、その点でもよく話題になります。
また日本の国会議員に当たる、立法委員も同時に全議席改選されるので大きな変革が起きやすいです。

今年も特に話題の多い選挙のため、日本のみなさんにもぜひ注視して、1月11日を迎えて欲しいなぁ、と思っているので、立候補者の説明などをしてみます。

文責等はすべてとーち(奥田亮)にあります。

ところで「総統」という語は「大統領」の中国語表記であり、まったく同じと考えていい。英語ではPresidentである。トランプ大統領は、台湾では「特朗普總統」となる。
したがって、厳密には日本語の文脈でも大統領と表するほうが妥当だともいえるので、ここでは大統領でいってみる。

民進党関連の立候補関連者

民進党は現在の与党。原発には反対で、日本から輸出された第四原発を稼働させないことを決定した。今回も民進党政権となれば第四原発が稼働する可能性はほぼなくなるのではないかと言われている。

蔡英文 (民進党 大統領候補)

蔡英文
總統府, Attribution, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=48898316による

2016年に初当選した現在(2020/01/04現在)の大統領であり、今回の大統領選の候補でもある。
台湾では大統領の任期は最大2期と決まっているので、これが最後の大統領選となる。

蔡英文は李登輝に見いだされ政治活動をしていたが、民進党に入ったのは2004年と遅かった。しかし、2008年には主席に就いている。その後紆余曲折あったが2010年に新北市市長選で国民党の朱立倫に敗れている。
その後、2016年に、今度は大統領選で同じく朱立倫と争うこととなり、当選を果たし、大統領となった。
またこの際、立法院でも民進党が過半数を得たため、その後の政治運営が容易になった。2000年に民進党が初めて政権を得て以来、立法院でも過半数を得たのはこの時が初めてであった。

2017年に脱原発法、2019年には世界で27番目となる同性婚合法化を成立させるなどリベラルな実績を残している。
しかし、2018年の統一地方選では民進党が22のうち13の知事・市長を占めていたのを6にまで激減させ、その責任をとって党主席を辞任している。
このため2018年末の時点では大統領候補にもなれないだろうと思われていたが、
2019年1月、中国の習近平が台湾にも一国二制度を用いるべきだと発言したことに、即座に反論し、改めて支持を得た。そしてその後、香港での逃亡犯条例をめぐる動きにより台湾が「明日の香港」となる懸念を呼び起こさせ、香港での動きが深刻さを増すに従い、支持率を上げてきた。

頼清徳(民進党 副大統領候補)

頼清徳
臺南市政府 – https://www.tainan.gov.tw/Default.aspx, Attribution, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61333914による

蔡英文より独立色が強いといわれている。蔡英文により行政院長に任命されるなど重用されていたが、統一地方選後、蔡英文の人気が落ちる中、大統領候補として民進党内の予備選蔡英文と戦った。結局、香港の動きなどにより蔡英文の支持率が復活したことから予備選では敗北し、その後副大統領として蔡英文とともに選挙に挑むこととなった。
独立派ではあるが、自らを反中ではなく、親中愛台であると述べている。

柯文哲

柯文哲
KP – IMG_9322-1, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=70166416による

日本統治時代に祖父が教師をしており、228事件で逮捕されその後病死している。優秀な外科医として活躍し、政界の中にも何人も柯文哲に命を救われた人がいる。

2012年の大統領選では蔡英文を支持、ひまわり運動の際には立法院を占拠している若者たちのもとに駆け付けるなどリベラルな側面で知られる。
国際関係では友中親美靠日(中国と友好を保ち、アメリカと親しくし、日本とも近しい)というなんでもアリな意見を表明している。しかし、これは台湾の若者の一般的な意見に近いものであり、素直な意識の吐露であるともいえる。
さらに柯文哲は毛沢東を支持しているとし、国民党を撤退させた毛沢東に学びたいとも発言している。

2014年に民進党の支持を受け、台北市長に初当選し、その後2018年には民進党は独自候補を出したが、無所属で市長選に出馬し、国民党候補に僅差で勝っている。
今回、大統領選へ出馬する意向を示していたが、結局9月になって出馬を見送った。

しかし、台湾民衆党という政党の党首でもあり、立法院選でどれだけの委員が当選するかが注目されている。

呂秀蓮

呂秀蓮
davidreid – https://www.flickr.com/photos/davidonformosa/2297833015/, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=48929873による

台湾がまだ戒厳令下であった1979年に美麗島事件という言論弾圧事件が発生する。呂秀蓮はその対象となった美麗島という雑誌社の副社長だったため投獄され、弁護士であった陳水扁らに弁護された。
その後、2000年の大統領選で民進党が勝利し、陳水扁が大統領に、呂秀蓮が副大統領となった。2期目も務めたたため、呂秀蓮は8年間副大統領の座にあった。

今回、台湾最大のキリスト教団体である長老教会は、ほとんどが蔡英文支持なのだが、主に同性婚を否定する宗教上の理由から一部独自候補を擁立する動きがあり喜楽島連盟が2019年7月に設立された。呂秀蓮はそこから立候補を試みたが、政党として認められていないため、立候補には28万人の署名が必要であった。
結局署名を集めることができず、11月2日に立候補断念を発表した。

国民党関連の立候補関連者

そもそも国民党は、日本が戦争に負けた時点では大陸の支配を共産党と争っていた。その後、共産党に追われる形で、台湾に逃げ込み、現在に至る。
したがって、民主化された現在では、国民党は政党という側面もあるが、そもそもは台湾の支配組織の名称というのが実情だった。過去建設された3か所6基の原発も国民党による戒厳令下に建設された。
日本から輸出された第四原発も戒厳令下に建設が決定されたが、民主化と共にその建設が阻止されつづけてきたのだ。

韓国瑜(国民党 大統領候補)

韓国瑜
高雄市政府, Attribution, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=82278429による

陸軍士官学校を出て、1990年代に台北県議を経て、立法委員を3期務めたのち、青果市場運営会社社長などをしていたが、2018年の地方選で高雄市長の国民党公認候補となり、当選する。
従来の、エリートでスタイリッシュという国民党政治家像とは異なる庶民派の人柄が好感を持たれ、一大ブームを巻き起こした。
高雄市長当選後、国民党の大統領予備選で44ポイントという大差をつけて大統領候補となるが、そのころをピークに支持率は低下していく。

マンション投資を暴かれたり、ディスニーランドや競馬場誘致といった公約が何一つ実現されないなど、次第に批判されることが多くなり、香港情勢を「動乱」と呼んだことなども批判された。

親民党関連の立候補関連者

宋楚瑜(親民党 大統領候補)

宋楚瑜

湖南省生まれの外省人。国立政治大学、カリフォルニアバークレー校、ジョージタウン大学と進学し、その英語力を買われて蒋経国に英文秘書に抜擢された。
その後、同じく蒋経国に見いだされていた李登輝の下で活躍し、1994年には台湾省長に就いている。当時の国民党は大陸を含めた中国全土を支配する建前であったため、大陸の各地方省にも省長の役職があり、実質唯一有意なのが台湾省長だった。
しかし、李登輝はこの非合理な状態を解消したため台湾省の機能を凍結してしまった。宋楚瑜はこれに抗議して辞表を提出。
2000年の大統領選に無所属として立候補した。この際、
民進党 陳水扁  39%
国民党 連戦      23%
無所属 宋楚瑜  37%
という国民党を上回る得票を得ながら、わずかの差で、陳水扁、呂秀蓮に政権を渡してしまう。

その後の2004年の大統領選では、国民党の連戦に花を持たせ、自身は副大統領候補に回るが、それでも50.11 対 49.89という僅差で敗れ、政権を得るに至らなかった。
自ら立ち上げた親民党を率いてその後も大統領選に出馬するがいずれも敗退している。今回もやはり出馬を決めた。

郭台銘

郭台銘
dilmarousseff – https://www.flickr.com/photos/dilma-rousseff/5781202680/, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21672831による

1974年24歳のときに若くして企業し、鴻海精密工業(当初は鴻海プラスチック企業有限公司)を興す。その後当時はまだ知られていなかった中国深センにIT工場を建設し、iPhoneを製造するなどにより世界有数のIT企業とし自身も台湾一の富豪と呼ばれるようになる。
日本では2016年にシャープを買収したことでその名が知られた。

2019年4月に媽祖のお告げがあったとして大統領選への出馬を決める。
しかし国民党の予備戦では、韓国瑜44%に対し、郭台銘27%と惨敗し、無所属での出馬も検討していたが、9月なって出馬を見送った。

むすび

柯文哲は一部の民進党委員と不仲であるといわれていたこともあり、独自の出馬を考えていたが結局見送った。また政策そのものは蔡英文ととても近く、柯文哲の支持層は蔡英文に投票すると思われる。
呂秀蓮の喜楽島連盟も、その支持者が国民党に投票することは考えにくく、事実上民進党陣営は一つにまとまったといえる。

対して、立候補を断念した郭台銘は、宋楚瑜の親民党を支援するとしている。
台湾のマスコミは、現在77歳の宋楚瑜の後任を取り付けたのではないか、と報道しているが当の宋楚瑜はTVで否定してはいる。
いずれにしろ、求心力を失った韓国瑜に対し、予備選を戦った郭台銘が対立の構図となるのはいずれの陣営にも苦しい状態だと思われる。

また、同じく2020年1月11日には台湾立法院選挙も行われる。
台湾の立法院は一院制で議席は113。任期は4年なので、大統領と同時に総入れ替えとなるため、そのたびに大きな政治変化が起こるようにできている。
今回の蔡英文政権で脱原発法や同性婚合法化が達成できたのは、立法院でも多数派であったことが大きく影響している。この状態が継続できるかどうかも、大きな焦点になる。合わせて注目して欲しい。

最後に、この台湾の選挙について日本一部の報道媒体が、国民党に反対する陣営が「反中」として戦っているかのように読める誤解を記載していることに気を付けたい。
すでに自治を維持している台湾を、一国二制度のもとに統合しようということに反対することは「反中」ということとは違う。
上述したように、多くの台湾の人びとは中国とも協調しながら発展していくことを望んでおり、そもそも経済状態の深い結びつきからいって、完全に敵対する選択肢などあり得ず、いかに妥協点を見つけながら歩んでいくのか、というのがこれまでもこれからも、必要なことなのだ。

Over:

第19回NNAF in 台湾 ダイジェスト、副総統あいさつ

第19回ノーニュークス・アジアフォーラム in 台湾 ダイジェスト
 
■ 9月21日

2019 NNAF開幕にあたり、20年前の9月21日に発生した「9.21大地震」の犠牲者を追悼する祈祷式が行なわれた。長老教会の鄭英兒牧師は当時をふり返り「多くの犠牲者に心から哀悼を捧げる。自然に対抗してはいけない。核を使わないことをここに誓う」と述べた。

続いて、台湾環境保護連盟会長の劉志堅さんが挨拶。「2018年11月の国民投票では、反核側が敗北した。いま私たちは『原発廃止、再生可能エネルギー推進』国民投票を呼びかけている。核のないアジアを作ろう」

施信民さん「台湾は過去5回NNAFを開催し、今年6回目の開催ができて光栄だ。『非核アジア』の目標のために団結し続けよう。各国の反核運動における長年の粘り強い努力に感謝し、33名の海外ゲストの参加を心から歓迎する」

民進党立法委員(国会議員)の陳曼麗さん(立法院再生エネルギー促進連誼会・会長)は、「現在台湾は『非核家園』政策を進めているが、野党の国民党は原発を再開させたいと考えている。1月の選挙では、原発反対の議員を落選させるわけにはいかない」と述べた。また、立法委員の呉焜裕さんは、「福島と同じ事故が台湾で起きたら、想像もできないほど恐ろしい。再生可能エネルギーを進めよう」と訴えた。

次は特別講演。ノーベル化学賞受賞者の李遠哲さん(中央研究院・前院長)は『原子力は私たちの選択肢ではない』と題して講演。「核のゴミを処理するには何十万年もかかる。一旦核災害が起きると、影響は全世界におよぶ。太陽光発電と風力発電がコストの面で一番安くなってきた。ライフスタイルを変えなければいけない」と述べた。

デーブ・スウィーニーさん(ICANオーストラリア共同創設者)は、2017年に受賞したノーベル平和賞のメダルを持参し、「我々は核兵器廃絶の条約を締結させることが目標で、約半分達成できた。今直面している課題は、気候変動と核兵器による大規模破壊だ。立ち上がって行動すべきだ」

呂秀蓮さん(元副総統)は『福島による台湾啓発』として、「台湾は約2300万人の島に4つの原発が立地し、首都から30km圏内に3つの原発がある。台湾の近海には70以上の海底火山があり、第2原発から5kmの海底にも火山がある。原発の近くには活断層もある。原発を廃止し、『非核家園』を実現するには政治的な力が必要だ」と述べた。

佐藤大介さんは「NNAF 25年」の映像(中文)を上映し、「26年間、アジア各国で励まし合ってきた。各地で闘ってきた全ての人々に感謝すべき」と述べた。

続いて、議題1「各国の原子力エネルギー開発と反核運動の状況に関する報告」が行なわれた。台湾:潘翰聲さん(台湾環境保護連盟)、日本:後藤政志さん(NPO APAST)、韓国:キム・ヒョヌさん(エネルギー気候政策研究所)、フィリピン:ディー・ジェイさん(非核バターン運動)、ローランド・シンブラン教授(非核フィリピン連合)、インド:ヴァイシャリ・パティルさん(反核運動全国連合)、中国:ウェン・ボーさん(環境保護基金)、モンゴル:Erdenetsogt Dorjpalamさん(環境と市民委員会)、トルコ:プナール・デミルジャンさん(反核プラットフォーム)、ベトナム:インラサラさん、オーストラリア:マーラ・ボナッチさん(FoE Australia)が報告した。

議題2は「核廃棄物問題と原発事故の被害」として、各国からスピーチが行なわれた。日本:里見喜生さん(いわき湯本温泉ホテル経営)、片岡遼平(原子力資料情報室)、アメリカ:アンエリス・ルアレンさん(カリフォルニア大学准教授)、インド:Marcony Thongniさん(Khasi Students)、台湾:蔡雅瀅さん(蠻野心足生態協会・弁護士)、台湾:楊木火さん(鹽寮反核自救会)が報告を行なった。

夕食は、立法院康園餐廳に移動して歓迎晩宴がひらかれた。美味しい台湾料理を食べながら生演奏や飛び入りの歌も披露され、各国の参加者が歓談して親交を深めた。(片岡遼平)

■ 9月22日

フォーラム2日目である。全般についてだが、発表者のうち半数が女性であり、また各国代表(台湾以外)10名のうち4名が女性であることに驚いた。ジェンダーは「非核」運動の中でも重要なポイントの1つである。

この日は4つの報告セッションと共同声明についてのセッション、閉幕式が行なわれた。4セッションのうち2つは台湾に関わるセッションである。全発表者名は「2019 NNAF 非核亞洲論壇 議程」に書かれている。

最初のセッションは「台湾のエネルギー転換 ─ NGO+産+官+学+研」である。再生可能エネルギーについて、NGO台湾再生エネルギー推動連盟、日益能源科技(太陽光エネルギー)股份有限公司、立法委員(国会議員)、シンクタンクRSPRC、台湾大の研究室が、それぞれの立場から発表を行なった。

第2セッションは「再生エネルギーの未来」である。3名の報告があった。陳惠萍さんは太陽光発電について博士論文執筆と社会的企業を起こし、クラウドファウンディング会社を立ち上げたプロセスを紹介した。明日香壽川さんは、日本の再生エネルギーの状況と課題について報告し、最後に太陽光発電のコストが下がり続けていることを指摘した。

第3セッションは「台湾の原発についての公民投票」。3名の報告があった。2018年の公民投票結果(「2025年までに原発の運転を全て停止する」という電気事業法の条文の削除)も踏まえた分析や、今後どう進めるかについての報告があった。3人目の施信民さんは「明確な公民投票の結果が出れば政府もそれに従う」と締めくくった。

第4セッションが「廃炉と原発事故の被害」である。5名の発表があった。その中で、青木一政さんは、放射能を測る中で見えた具体的な問題を紹介し「市民自らが測定し監視することが大きな力になる」とした。伊藤延由さんは福島・飯舘村に住むことについて話した。自然の恵みである山菜の汚染度が高いことや、一度事故が起これば取り返しがつかないことなどを話した。
また、第一原発と第二原発の真ん中に住んでいる郭慶霖さんが育ったところは素晴らしい景観があったこと、小学校入学時に原発建設が始まったことなど、原発が作られる(自然が奪われる)歴史を紹介し、原発廃絶の必然性を訴えた。

「総合討論/共同声明討論」では、全体についての議論のあと、共同声明案(長短バージョン)を示し、短いバージョンをもとに意見交換を行なった。

「閉幕式」では、台湾および台湾外からの10国(日本、モンゴル、フィリピン、オーストラリア、ベトナム、インド、韓国、トルコ、中国、アメリカ)の代表がひと言づつ挨拶をし、それぞれの現場で非核にとりくんでいくことを表明した。いくつかのコメントを抜粋する。日本「台湾にならって脱原発を頑張る」、フィリピン「(NNAFで)さらなる交流を深めたい」、インド「抗議活動をするとき弾圧されるがNNAFで勇気をもらった」、トルコ「民主化がなければ情報の透明化が実現できない(脱原発に必要)」、中国「啓発教育が大切」、アメリカ「ゼロ原発の世界を作りたい」。

次回開催予定の韓国の挨拶、閉幕挨拶をもって2日間の会議が終了した。(吉野太郎)

■ 9月23日

海外参加者30数名は、副総統(副大統領)の陳建仁氏を表敬訪問した。陳副総統は会見の冒頭、参加者一人ずつと握手した上で、「台湾総統と国民を代表して皆さんを歓迎するとともに、長年にわたる脱原発へのとりくみに感謝の意を表したい。政府として、2025年までに脱原発を達成するという目標を打ち出しており、先の国民投票の結果は残念だったが、持続可能な発展のために、脱原発政策を堅持する」などと挨拶をした。

続いて、参加者代表として、佐藤大介さん、後藤政志さん、デーブ・スウィーニーさんが副総統に向けてメッセージを伝えた。

午後は、郭慶霖さん(北海岸反核行動連盟)の案内で、まず第二原発周辺を見学した。排水口が接する海辺の広場は、周辺観光地を表す地図看板の表示名に「第二原発事故時の緊急避難先」とある以外は、ごく一般的な海辺であり、この日も釣り人が数人訪れていた。そのすぐ傍らに、排水口は防波堤で取り囲むようにあり、勢いよく水が噴き出していた(訪問時点で2機が稼働中)。1993年、この付近で背骨の曲がった魚が大量に発見されたという。

第一原発へ向かう途中、第二原発の下を走るとされる「山脚断層」を理解するため、金山区(新北市)に立ち寄った。小高い丘から海岸方向と内陸方向を眺めると、山脚断層は、海岸砂丘に直交するように横切っていることがわかる。原発が建設された当時は、断層上に原発があるリスクが認識されていなかったそうだ。なお、この近辺は第一、第二原発から10km圏内にあり、近くには、原発事故時の避難場所を示す案内標識が立っていた。

第一原発の先には緑濃い山々が見えたが、第一原発の排水は、その内陸部から流れる川の水と混ざり合っているという。排水口のそばで郭慶霖さんは、原発建設が始まった1970年代は戒厳令下にあり、情報もなく、異を唱えることもできないまま、ふるさとの自然やコミュニティが破壊されてしまった歴史を語ってくれた。

なお、第一原発は廃炉が決まり、運転は停止している。すぐ横には、観光スポットとして有名な寺院があり、多くの観光客で賑わっていた。

その後、バスは海岸線を走り、第四原発に向かった。第四原発のすぐそばに抗日記念碑があり、そこを見学する予定だったが、時間の都合で見送られた。第四原発周辺は海水浴場、温泉もあるというリゾート地である。第四原発は、過去には死者も出るような激しい反対運動も展開されたが、現在は建設凍結が決まり、正門前は静まりかえっていた。燃料棒は、2020年末までに8回に分けて順次米国に輸送され、原発施設の解体が行なわれる予定だという。

貢寮で、「反核自救会」の人たちを交えた夕食交流会が行なわれた。楊木火さんが第四原発の技術的な問題点を、呉文通さんが反対運動の経過をお話しされ、その後、参加者との質疑応答が行なわれた。

第四原発は、建設凍結中であるものの、来年1月の総統選の結果次第で情勢が変わる可能性がある。日本側からの意見として、まさに第四原発にも関わった東芝の元技術者後藤さんは、「万が一、第四原発の建設工事が再開され稼働することになれば、非常に危険だ。まず、建設から相当年数が経っているプラントは、さびなどの経年劣化がどこにあるかわからない。また、ABWRは最新型とはいえ、経済性を重視したプラントで、安全性が高いということではない。格納容器が小さいため、事故が起こると圧力が急に上昇してしまう」と問題点を指摘した。

飯舘村の伊藤さんは「移住したいと思うほど台湾の気候や食べ物が気に入ったが、今回、原発が活断層の上に立地していることを知りショックを受けた。台湾の方々には、福島事故の教訓をさらに学んでほしい」と訴えた。(白井聡子)

■ 9月24日

今日は、台湾の南端の屏東県に。台北駅8時半発の高速鉄道(新幹線)を利用し高雄市の左榮駅で下車。貸し切りバスで屏東県に向かう。屏東県は、農業や観光が主要産業。米が三毛作できる温暖な地域で、日射しも強く感じられた。しかし、地盤沈下や土地の塩化問題も起きているそうだ。

屏東は第三原発の立地県であるが、県政府が再生可能エネルギー利用に積極的にとりくんでいる。民間企業と共同での、台湾初の「水上(浮体式)太陽光発電」を見学し、

そして、太陽光発電と野菜・果物栽培をドッキングさせた「ソーラーシェアリング」の大規模設備も見学した。発電設備容量は約3000キロワットだそうだ。

昼食は恒春にある海鮮レストランで豪華な魚介類料理をいただく。これは屏東県政府のおごりらしい・・・。とっても新鮮でおいしく、屏東県は海の幸に恵まれていると納得。

午後からは、恒春の農業関係庁舎での「第三原発の廃炉問題に関する地元住民との座談会」。放射性廃棄物をどうすべきか、行政も含め議論中とのこと。原発のある地域一帯は「墾丁国家公園」であり、台湾有数の観光地として有名で観光産業が重要な収入源。しかし、地域住民には廃炉問題についてきちんと説明していないようだ。住民は、観光産業に打撃を与えないか、あるいは廃炉に伴う雇用減を心配している。

原発は海水浴ができる美しい砂浜が続くビーチ沿いに立地し、原発建屋がビーチから丸見えなのでびっくり。(渡田正弘)

■ 9月25日

台湾の南端にある国家公園内のホテルを8時にバスで出発。南湾を進んでいくと美しい砂浜が続く。風力発電装置が並び、さすがと思っていると、長く続く海水浴場になっているビーチのすぐ後ろに2基の第三原発があり驚く。

第三原発ゲート到着。「ノーニュークス 台湾! ノーニュークス アジア! ノーニュークス ワールド!」とアピールした後、屏東県庁へ。到着までバスで2時間、参加者それぞれが心のこもったスピーチを。

10時半、屏東県知事の潘孟安氏と面会、意見交換。潘知事は、私たちを歓迎してくださり、「第三原発の寿命延長は認められない。2025年に台湾は原発ゼロとなる。屏東県の民生用電力を2021年までに100%再生エネルギーにする」と決意を述べられた。

その後、県庁で記者会見をし、台北駅へと向かい解散。(大野恭子)

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陳建仁副総統 あいさつ  2019.9.23 総統府にて

みなさま、おはようございます!
皆様とお会いできて、本当にうれしく思います。第19回NNAFが台湾で開催されたことは、大変に光栄なことです。それは、海外の友人たちが非核国家をめざしている私たちの努力を認めて下さったからだと考えるからです。台湾へようこそいらっしゃいました。皆様を心から歓迎いたします。

1993年に設立されて以来ノーニュークス・アジアフォーラムは、核も原発もない未来の世界を実現するために、相互に学び合い励まし合いながら、関係性を醸成し、情報交換を行ない、共同行動を行なうことに尽力してきました。台湾環境保護連盟は、核も原発もない台湾を実現するため長年にわたって献身的に活動してきたことで広く知られています。長年にわたる脱原発へのとりくみに感謝します。連盟がNNAFのホスト国として名乗りを上げてくれたこの機会に、経験を分かち合うために台湾までお越しくださった各国からの参加者のみなさんに、私からお礼を述べさせていただきたいと思います。

当初から、この政権は非核政策を堅持してきました。2002年にさかのぼりますが、台湾は環境基本法を通過させ、非核家園(核も原発もない台湾)が私たちの目標であることを明示しました。

蔡英文が2016年に総統に就任した後、政府はエネルギー部門を改革するための政策に着手し、積極的に再生可能エネルギーを推進してきました。その政策は、現存する原発は運転期間が経過したら廃炉にすることをめざしており、それによって2025年には非核家園というゴールを実現するというものです。

もちろん、非核家園に続く道の途上では、異を唱える声が常にあがることでしょう。昨年は、国民投票16番が通過し、その国民投票の結果に基づいて、「2025年までに原発の運転を全て停止する」という電気事業法の条文を削除しました。

しかし台湾は小さくて人口稠密な国であり、放射性廃棄物を処分する場所もありません。ですから持続可能な開発を確かなものとするため、そして台湾市民の命と財産を守るため、私たちはさらに前進することを決意し、非核家園を実現するためこれまで通り邁進していきます。

ノーニュークス・アジアフォーラムは、非核政策を推進するため、日本、韓国、フィリピン、ベトナム、インド、トルコ、モンゴル、オーストラリア、アメリカ、中国が参加しています。私たちも非核家園を長年にわたり自分たちの目標としてきましたので、第19回NNAFが台湾で開催されたことには、とりわけ大きな意味があるのです。

ここで、私は改めて、台湾が非核家園となるために努力していくことを申し上げます。フォーラムに参加した各国代表者の交流が、エネルギー産業の改革と非核アジアを実現するためにさらなる可能性を発見するよう願っております。

もう一度、言わせてください。みなさん、台湾へようこそいらっしゃいました。
ありがとうございました!

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2019 NNAF 非核亞洲論壇 議程

■ 9 月 21 日
【開幕式】
司会:董建宏(台湾環境保護連盟・学術委員)
追思 921 祈禱儀式:鄭英兒(台湾基督長老教会・牧師)
挨拶:劉志堅(台湾環境保護連盟・会長)、施信民(非核亞洲論壇・台湾召集人)
来賓挨拶:陳曼麗(立法院再生エネルギー促進連誼会・会長)、呉焜裕(立法委員)
【專題演講】
司会:楊聰栄(台湾環境保護連盟・執行委員)、施信民(非核亞洲論壇・台湾召集人)
・李遠哲(中央研究院・前院長)・ Dave Sweeney(ICANオーストラリア)
・呂秀蓮(元副総統)・ Sato Daisuke(非核亞洲論壇・日本事務局長)
【各国報告】
司会:徐光蓉(媽媽監督核電廠連盟・理事長)、劉志堅(台湾環境保護連盟・会長)
・台湾:潘翰聲 ・日本:後藤政志 ・韓国:Kim Hyunwoo ・フィリピン:Djoannalyn Janier & Roland G. Simbulan ・インド:Vaishali Patil ・中国:Wen Bo ・モンゴル:Erdenetsogt Dorjpalam ・トルコ:Pinar Demircan ・ベトナム:Inrasara ・オーストラリア:Mara Bonacci
【核廃棄物問題と原発事故の被害】 
司会:劉俊秀(台湾環境保護連盟・前会長)
・日本:里見喜生 ・日本:片岡遼平 ・アメリカ:Ann-Elise Lewallen ・インド:Marcony Thongni ・台湾:蔡雅瀅(蠻野心足生態協会・弁護士)・台湾:楊木火(鹽寮反核自救会)

■ 9 月 22 日
【台湾のエネルギー転換 ─ NGO+産+官+学+研】
司会:葉国樑(台湾教授協会・環保組召集人)
・高茹萍 ・畢婉蘋 ・陳曼麗 ・林木興 ・高成炎
【再生エネルギーの未来】
司会:高茹萍(再生エネルギー推動連盟・理事長)
・日本:明日香壽川 ・陳惠萍 ・鍾寶珠
【公民投票について】
司会:吳明全(台湾環境保護連盟・学術委員会召集人)
・沈軒宇(緑色公民行動連盟)・葉慈容(臨門一腳團)・施信民(非核亞洲論壇・台湾召集人)
【廃炉と原発事故の被害】
司会:方儉(緑色消費者基金会・秘書長)
・日本:青木一政 ・日本:伊藤延由 ・謝蓓宜(環境法律人協会)・郭慶霖(北海岸反核行動連盟)・張怡(屏東県環境保護連盟)
【総合討論/共同声明討論】
司会:劉志堅会長(台湾環境保護連盟・会長)、リンダ・アリーゴ(台湾環境保護連盟)
【閉幕式】各国代表挨拶、次回開催国(韓国)挨拶

■ 9 月 23 日
・海外参加者が総統府訪問、副総統の陳建仁氏と面会
・第一、第二原発、凍結された第四原発へ ・夕食交流会(第四原発のある漁村・貢寮にて)

■ 9 月 24 日
・南部の屏東県へ、浮揚式太陽光発電とソーラーシェアリング施設を見学
・恆春で住民との座談会

■ 9 月 25 日
・第三原発へ ・屏東県庁を訪問、屏東県知事の潘孟安氏と面会

● 主催:台湾環境保護連盟、七星生態保育基金会、ママ原発監督連盟、台湾教授協会、台湾基督教長老教会、緑色消費者基金会、野薑花公民協会、国家展望文教基金会、台湾再生エネルギー推動連盟
● 共催:環境法律人協会、台湾樹人会、台湾北社、看守台湾協会、蛮野心足生態協会、緑色公民行動連盟、北海岸反核行動連盟、主婦連盟環境保護基金会、台湾環境公義協会、国立台湾大学研究生協会、台日産経友好協会、台湾数位電商創新協会、高雄市愛益獅子会、凱達格蘭学校校友会悦閲書巻社、澎湖青年陣線
● 協力:行政院経済部、行政院環境保護署、屏東県政府、義美環境保護基金会

*通訳・翻訳:管明芳、リンダ・アリーゴ、トニー・ボーイズ、近藤敦子、アンエリス・ルアレン、郭金泉、陳威志ほか
*写真:とーち、片岡遼平ほか

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信160号(10月20日発行、B5-28p)もくじ

・2019 NNAF 非核亞洲論壇 議程
・第19回ノーニュークス・アジアフォーラム in 台湾 ダイジェスト
(片岡遼平、吉野太郎、白井聡子、渡田正弘、大野恭子)
・陳建仁副総統 あいさつ
・ノーニュークス・アジアフォーラム2019 in台湾 共同声明
・NNAF in 台湾 に参加して
(青木一政、明日香壽川、伊藤延由、宇野田陽子、大野恭子、片岡遼平、後藤政志、佐藤大介、里見喜生、白井聡子、とーち、トニー・ボーイズ、吉井美知子、吉野太郎、渡田正弘)
・東電刑事裁判の「判決」に思う (武藤類子)
・隠される原発事故被害と「見える化」プロジェクト (満田夏花)
・関電の原発マネー還流事件を徹底究明し、原子力からの撤退を求める集会決議
・その後のシノップ (小川晃弘)

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福島原発事故から7年、台湾の環境団体は原発に反対し、再生可能エネルギーを支持する

3月11日、台北 (以下同じ)

福島原発事故から7年、台湾の環境団体は原発に反対し、再生可能エネルギーを支持する

   全國廢核行動平台

3月11日、「全国廢核行動平台(プラットフォーム)」の呼びかけに応じて、多くの環境団体がケタガラン大通りに結集し、原発に反対するデモ行進を行なった。数千人が参加して、再生可能エネルギーの未来を求める声を上げた。
今年のこのデモ行進は「原発のコストを知り、エネルギーの未来を変える」をテーマに、原発を廃止してエネルギーのシフトを実現することを政府に強く求めていくことを目的として行なわれた。

原発の段階的削減は喫緊の課題であり、放射性廃棄物の処分には天文学的なコストが必要になるという事実について、人々に注意喚起することも目的とされた。

2011年の福島原発事故から7年が経過し、あの災害による教訓は時間とともに少しずつ忘れられつつある。全国廢核行動平台は、社会に対して、見て見ぬふりをするのではなく、原発の真のコストと真正面から向き合うことを呼びかけている。「核のない台湾」政策は、核の悪夢の終わりを意味するわけではない。人々は、既存の原発の廃炉と放射性廃棄物の処分に関連して膨大な費用が必要となることを理解しなければならない。未来の世代は、たかだか40年間稼働するだけの原発が残した負の遺産に対して支払いを始めたばかりであって、社会全体が解決策を見つけるために問題を認識しなければならない。

政府が「2025年に脱原発を実現する」と公表したのに、なぜ市民グループはデモ行進をするのだろうか? 民進党政権はすでに2年間政権の座にあるが、「核のない台湾」政策はいまだ完全に実施されてはいない。安全性の問題と古い原発の廃炉の問題は、いまも人々の注目を必要としているし、放射性廃棄物処分場となる地域はいまだ決定していない。

さらに、台湾のエネルギーシフトのための努力は、従来の発電方法を支持する勢力からあざけりを受けたり非難されたりしている。彼らは、これまで通り高い汚染をもたらす伝統的な発電方法を擁護する道へと台湾を立ち戻らせようとしている。

もし私たちがより良い発展を遂げて自分たちのエネルギーを何とか管理していこうとするなら、私たちは原発の代替案として唯一の答えが石炭火力だと信じ込まされる罠にはまらないようにしなければならない。全国廢核行動平台は、大気汚染も原発もない台湾を実現する唯一の道は、省エネルギーとエネルギーシフトの実現によってのみ可能になると信じている。

今年のデモ行進では、「エネルギーの未来を変える」と題した展示会も開催され、ソーラーパネルで発電した電気のみを使った「グリーンコンサート」も開催された。

主婦連盟環境保護基金会は、「手間のかからないエネルギー節約ハンドブック」を発行し、エネルギーシフトに誰でも参加できることをわかりやすく人々に伝えている。

たとえば、個人が使う電気製品について、よりクリーンなエネルギー源から発電された電気を使うことが望ましいと指摘している。15ワットの超小型ソーラーパネルは、同基金会が出したブースで販売されており、よく晴れた日なら30分でスマートフォンを0%から45%まで充電することができる。

グリーンピースは、食べ物も販売する三輪自転車の青空ワークショップを行なった。展示された三輪自転車は、ソーラーパネルとペダル式の発電機が備えつけられている。訪れた客たちは、そこで発電される電力を使って自分で綿あめを作って食べることで自然エネルギーを体感できるようになっている。グリーンピースは、再生可能エネルギー普及のため自らも創造的なアイデアを実践している人々を招いての活動も行なった。

アダマベーカリーは2014年以来、自社で消費する電力の70%を自家発電でまかなっている。アダマの一日の発電量はおおむね32.1キロワットで、将来的には太陽光発電によって自家発電された電力のみですべてのパンを焼きあげるようにしたいと考えている。アダマは、会社としてとりくんでいる食育トラックで行進に参加した。その食育トラックに描かれたデザインは、鴎の翼からヒントを得たもので、搭載されている太陽光パネルで発電する電力で麺の生地をこねて製麺しているという。アダマは400個の菓子パンをその場で提供したので、参加者たちは、太陽の恵みによる電気で作られた焼き立てのパンの香りも楽しむことができた。

● 自然エネルギーでコミュニティも利益を得る

グリーン・アドボケイツ・エネルギー協同組合(緑主張翠電生産合作社)は、苗栗県でルーフトップ型ソーラープロジェクト「スカイI」に着手した。このプロジェクトは、関係作りを経てコミュニティと契約を交わして進められたもので、コミュニティからの資金提供によってソーラーパネルを設置した。これによってユーザーは、エネルギー消費者からエネルギー生産者となった。協同組合を通じて資金を調達した自然エネルギー発電所は、これが国内初の事例であり、市民社会の力を活用したものである。

TRENA(台湾再生可能エネルギー推進連盟)は、太陽光パネルが設置された耕作地で、パネルの下で行なわれている有機農業についての報告を行なった。
迷い犬のシェルターを運営する団体からは、台湾で初めて自然エネルギーを活用した迷い犬のシェルターでの活動が報告された。

台湾環境保護連盟の花蓮支部からは、小水力発電のとりくみが報告された。地域の農業用灌漑用水路を活用して、自然を脅かさない方法でエネルギーの自立を図っていこうというとりくみである。

●「核も原発もない台湾」政策が掲げられても、それは核の悪夢の終わりではない

台湾環境保護連盟の会長で、技術者として、そして工学部教授として発言したリュウ・チュンシンは、「原発の施設や機材が安全だと保証することはできません。7年前の福島原発事故は、どれだけ注意深くプロジェクトを遂行していようとも、予期せぬ出来事や最新の科学技術で予見できなかった問題が起きて不測の事態がもたらされうるという事実を我々に突きつけました。福島では、今も人々は事故の影響にさらされながら暮らしています。放射能汚染の問題も解決されないまま残っており、福島の住民たちは事故前と全く同じ生活に戻ることはできずにいます。台湾は、原発事故がもたらすリスクを受け入れることはできません」と述べた。

● 原発のリスクと大気汚染を減らすためにはエネルギーシフトが最も重要

緑色公民行動連盟の事務局長のツィ・スーシンは言った。「台湾は、大規模かつ集中型の発電所と配電のシステムに依存してきたことによって、主要な発電所や中継地点でトラブルが起きると、問題がどんどん広がって収拾がつかなくなってしまっていました。

たとえば、昨年8月15日に起きた大規模な停電は、原発での発電が不足していたからではありませんでした。配電システムの中で突然大量の電力が失われ、送電線内での周波数が急激に落ちてしまったのです。台湾電力の幹部も次のように認めています。『もしあれほどの規模の電力量が失われれば、たとえあのとき原発がすべて稼働していたとしても、あのような大規模な停電は避けられなかっただろう』と。

今こそ、台湾は巨大で集中的な発電所の脆弱性を認めて、そのバックアップシステムを計画するときです。それによって、リスクを分散し、一つのトラブルがもたらすインパクトを小さくすることができます。台湾は分散型の自然エネルギーに投資を増やしていくべきであり、台湾中の送電線において、分散型の地域送電網の割合を増やしていくべきです。地域の送電網に関して自立性と柔軟性を高めていくために、スマートシステムも導入されるべきです。そうすることで、一つの事象がシステム全体の破たんへとつながってしまうような事態を避けることができるようになります」

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.151より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信151号 (4月20日発行、B5-32p)もくじ

・ジャイタプール原発建設計画を推進するフランス大統領のインド訪問に抗議する国際連帯声明
・ジャイタプールの反原発運動は、粘り強く続いていく(ファキール・ソルカル)
・スリーマイル島原発事故の記憶とクダンクラム原発(ウダヤクマール)
・トルコ・アックユ原発の建設開始(森山拓也)
・フィリピン/再び提起される、バターン原発の復活
・韓国/「原発輸出支援を中断せよ」(アン·ジェフン)
・台湾の環境団体は原発に反対し再生可能エネルギーを支持する(全國廢核行動平台)
・3.11東電本店前抗議行動へのメッセージ(武藤類子・山本太郎)
・玄海原発蒸気漏れ事故 警告を無視した再稼働強行を許さない(永野浩二)
・伊方原発2号機の廃炉決定を受けて(原発さよなら四国ネットワーク)
・「第7回 核ごみに関する政府との会合」報告(マシオン恵美香)
・[ミサイル高浜原発運転差止め仮処分] 原発の危険性を正視せず武力攻撃事態法(有事法)を振りかざした不当な決定(水戸喜世子)
・[白浜町長への要望書] 使用済核燃料の「中間貯蔵施設」は受け入れないとの意思をあらかじめはっきりと表明してください(小山英之)
・武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)声明
・原発輸出に国民負担リスク=兆円単位で膨らむ建設費用-日本、官民一体で推進

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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) https://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm