第20回ノーニュークス・アジアフォーラム in 韓国 ダイジェスト

韓国のスタッフ・通訳のみなさん、ソウル・釜山・蔚山・慶州・月城・蔚珍・三陟のみなさん、
ありがとうございました!

9月20日、プサン

日程

9月19日
ソウル会議:NNAF開会式
各国報告(台湾、フィリピン、インド、ベトナム、オーストラリア、韓国、タイ、トルコ、日本)
セミナー1. 福島原発汚染水問題
セミナー2. 核兵器と平和
セミナー3. 気候危機と原子力産業、原発輸出

9月20日
プサン記者会見 :「福島原発汚染水投棄反対」(日本領事館前)
プサン集会 : 1. 原子力と国家暴力・住民闘争(密陽ほか)、文化公演、

      2.老朽原発寿命延長(対馬報告も)

9月21日
古里(コリ)原発、セミナー :「コリ原発の歴史など」
蔚山(ウルサン)市庁で記者会見
蔚山集会 : 1. 使用済み核燃料処分問題 2. 各国の反原発運動の経験

9月22日
慶州(キョンジュ)集会 :「韓国の甲状腺がん訴訟」
月城(ウォルソン)原発前で集会 :「放射能被害住民の移転問題」
蔚珍(ウルチン/ハヌル)原発 :「住民との交流」
三陟(サムチョク)原発白紙化記念塔 :「三陟対策委と交流会」
「三陟の原発・核廃棄物処分場反対運動の歴史と石炭火力発電所新設反対運動」
宣言文と次回NNAFについて討論

9月23日
ソウル「9.23気候正義行進」
(3万人集会・デモ、脱原発を訴える!)
青年活動家交流会 


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主催:NNAF韓国組織委員会(エネルギー正義行動、グリーンコリア、正義党、脱核慶州市民共同行動、脱核釜山市民連帯、脱核新聞、脱核蔚山市民共同行動、YWCA連合会、環境運動連合など、43団体)

セウル1.2.3.4号 = 新古里3.4.5.6号
(日本経済新聞 23.7.19 より)

ソウル会議 「30年の活動を評価し、新しい30年を築くきっかけに」

設立から30年目を迎えた今年、NNAF は9月19日、ソウルの中心地、明洞にあるカトリック会館で開幕した。コロナ禍を経て4年ぶりの再会となり、各国の脱原発活動家や韓国の市民らは開催の喜びを実感するとともに、アジア各国の脱原発の最新情報と課題を共有。引き続きNNAFのネットワークの連帯を強め、よりアクティブにアジアの原発ゼロをめざすことも再確認した。

会議はイ・ホンソクさん(エネルギー正義行動)の司会で始まった。パク・ミギョンNNAF韓国組織委員会・共同委員長は、「現在のユン政権は、反対する住民の意見を無視して、原発の運転を60年まで延長しようとするなど、原発ルネッサンスを進めている。福島原発が私たちに警告したように、原発事故では危険が予測できず、コントロールもできない。原発を廃止することこそが、事故を防ぐ唯一の道だ。原発や核なきアジア、生命を守り平和を築くアジアの実現に共にとりくもう」とあいさつした。

佐藤大介NNAF日本事務局長は、NNAFの30年間の活動を振り返り、「アジアの各国で原発を進めようとする支配者たちに対する人々の闘いの歴史の1ページであり、民主主義を求める闘いだ」と語った。そして「都市の住民は原発近くの住民に対して加害者の立場であり、原発輸出国の住民は輸出先国の住民に対して加害者の立場にある。汚染水を海洋投棄する日本は加害国になった」「すでに世界中どこでも原発は産業として成り立たなくなってきた。私たちアジアの人々は闘い続け、最後は必ず勝利する。それが歴史の必然だ。素晴らしい仲間たちと、お互いに学び合い、励まし合って頑張ろう」と述べた。

続いて、ヤン・ギソクNNAF韓国組織委員会・共同委員長が基調講演に立った。「この30年間、皆さんの精力的な活動がなければ、韓国をはじめ、アジア各国には、より多くの原発が建っていた。米国スリーマイルやソ連のチェルノブイリ、日本の福島で甚大な原発事故が起きたにも関わらず、原発を推進する各国政府や産業界は、『原発は安全で安価だ』『気候危機の代案だ』という話をくり返している。しかし『核なき世界』の実現にとりくむNNAFの皆さんの献身的な努力のおかげで、原発は安全ではないということに人々は気づくようになり、新規原発の数は減少している」とNNAFの活動を称えた。

そして「原発を増やそうとする一部の国の動きがあり、その代表格が韓国だ。25基の原発が稼働し、18基の寿命延長だけでなく、小型原子炉(SMR)の研究開発や、トルコやフィリピンなどへの輸出の動きが出ている。韓国で稼働する原発周辺では、甲状腺がん、健康上の問題が起き、『我が体が証拠だ』と脱原発の訴えが出たが、政府と原発産業側は因果関係を認めず、裁判所も被害を認めなかった。しかし、明らかに被害があり、今でも大勢の人たちが放射性物質にさらされている。福島原発から海洋放出された汚染水の問題も一緒。福島の漁民と、日本の国民、周辺国の我々の心配、憂慮にも関わらず、汚染水放流が強行された。生物蓄積、生態系や未来世代に悪影響を及ぼすだろう。原発は、健康被害や処理できない廃棄物問題で、差別と不平等を絶えず作り出す。戦争でも攻撃の標的になる。安全な原発など存在しない。これまでの30年の活動を評価し、新しい30年を築くきっかけになったらと思う。核なきアジアの実現に向け、共に頑張ろう」と話した。


この後は、各国報告。
台湾のリン・チェンイェンさん(緑色公民行動連盟)、リン・シュエユアンさん(環境保護連盟)は、日本が輸出した第四原発の廃止を含め2025年5月に原発ゼロが実現することになった脱原発運動の状況と、福島の汚染水海洋放出に対する反対運動について報告した。
また、エミリー・ファハルドさん(フィリピン)、ヴァイシャリ・パティルさん(インド)、エイドリアン・グラモーガンさん(オーストラリア)、吉井美知子さん(ベトナム報告)、プラソン・パンスリさん(タイ)、プナール・デミルジャンさん(トルコ)、藤本泰成さん(日本)らが報告。

そして、福島原発汚染水問題、核兵器と平和、気候危機と原子力産業・原発輸出について、それぞれ報告とディスカッションが行われた。菅波完さん、湯浅正恵さん、川瀬俊治さん、豊田直巳さんらも登壇、意見を交わした。

(藍原寛子) 

プサン記者会見(汚染水投棄反対)、プサン集会(原子力と国家暴力、老朽原発寿命延長、対馬)

20日朝、KTXに乗り、2時間半かけてソウルからプサンへ移動しました。駅構内の食堂へ。キムチやスンドゥブなど何種類かメニューが置いてあり、自分で好きなだけ取るビュッフェスタイル。個人的にはおかゆがとても美味しく、お代わりしました。

その後記者会見現場に徒歩で移動。大きな交差点に、大きな銅像。誰だろう? 聞くと、秀吉の朝鮮侵略時に活躍した鄭撥(チョン・バル)将軍だそうです。その銅像の前が会見場所です。現地に到着すると韓国の警察らしき男性が何十人も待機しています。さっきの緩やかさから一変、物々しい雰囲気に包まれますが、こういった市民活動をされている皆さんは慣れた様子。


大きなプラカードを後ろで若い子たちが持ってくれています。その前に、私たちは3列に並びました。道行く人、路線バスで行き交う乗客、様々な視線を浴びながらマイクが次々に変わり、それぞれの国の参加者が思いを語ります。日本からは菅波さんがアピール。福島原発の汚染水投棄に抗議する声明が次々と出され、我々もシュプレヒコールを挟みます。


アジアから大勢の人が集まって、違う言語で同じテーマで主張をする、このことがとても印象に残っています。


記者会見会場から次の集会場所に向かう途中で「草梁」という地名を通りました。この地名に、自分は覚えがありました。江戸時代の対馬藩は、幕府から朝鮮との外交権を委託されていましたが、その外交するための日本人居留地を「草梁倭館」と呼び、常時対馬藩士が500名、草梁倭館に居住していました。現在、草梁に日本領事館があります。領事館のすぐ前には、大きな話題になっている「少女像」が、今も凛として前を向いていました。

集会では、「原子力と国家暴力」のテーマで、密陽の送電塔建設反対住民闘争や、各国の住民の闘争が語られ、「老朽原発寿命延長」問題では、プサンの方々がコリ原発、小原つなきさんがヨングァン原発(ハンビッ原発)、杣谷健太さんが川内原発、それぞれ寿命延長反対運動を報告しました。


会場で渡された分厚い冊子(予稿集)と、同時通訳を聞きながら何時間も座っているのは、皆さん相当に気力体力を消耗するものですが、会場では常にそれを続けるだけの栄養と甘いお菓子が用意されています。


私も10分ほどスピーチして、核ゴミ誘致に揺れる対馬の現状を伝えました。自分から見える対馬の現状ということで、自分なりに一生懸命考えたものが、これで良いのかも正直わからなかったのですが、スピーチが終わった後、とても大きな拍手をいただきました。

集会の合間に、韓国の小さな女の子たちがスルスルとステージに上がり、ギターに合わせて歌を歌ってくれました。それも、核のない世界を望む歌! ステージから女の子たちが降り、「これで終わりかな?」と思ったのもつかの間、女の子たちが会場にいる全員に対して音楽の中やさしいハグをしてくれました。これには私たちも大感激。自分も感動のあまり涙が出ました。


今回、初参加で右も左もわからない状況の中、周りの方々に助けられながらもやっとフォーラムについてこられました。フォーラムに参加されている方はみなさん、意思と意見をしっかり持ち、優しさと体力を兼ね備えた方ばかりでした。


核のない世界に切り替わるまで、世代を超えて私たちは主張を続けるでしょう。貴重な機会を経験させていただき、ありがとうございました。

(諸松瀬里奈/対馬の未来を考える会)

コリ原発(コリ原発の歴史など)

「原子炉から住宅街まで700メートルしか離れていません」。古里(コリ)原発1~4号機の敷地と住宅地を区切るフェンス沿いの道をバスで通過する際、現地スタッフから説明があった。「東海村と似ているな」。頭には原発敷地を出るとすぐに住宅地が広がる東海村の様子が思い浮かんだ。

現地視察当日の21日は、あいにくの小雨。コリ原発1~4号機が見えるカフェに向かう。カフェの目の前は海で、何艘もの小さな船が波に揺られている。昔から港だと思っていたが、以前は砂浜だったという。説明してくれた女性チョン・スヒさんは言う。「この集落には、鉄道も、外国船が来る港もあり、豊かだった。しかし、原発が建設されて釜山で一番貧しい地域になった」

川内原発(鹿児島県薩摩川内市)と同じだ。川内原発から一番近い滄浪(そうろう)小学校は廃校に。市中心部の商店街も活気を失っている。「地域振興のために原発を」。その掛け声が虚しく響く。


川内原発と同じ状況にあるのは、地域の姿だけではない。川内原発を運営する九州電力は20年の延長運転を申請し、現在、原子力規制委員会で審査中。コリ2・3号機でも事業者が運転延長を申請している。運転延長に対する闘いは韓国でも展開されており、川内原発の運転延長の是非を問う県民投票を求める県民投票の会メンバーの一人として、心強く感じた。


コリ原発1~4号機と新コリ原発1・2号機は釜山市、新コリ原発3~6号機(セウル1~4号機、22年11月に名称変更)は蔚山市だが、河川を一つ挟んだだけで、実質的には同じ敷地。現在、新コリ原発5・6号機が建設中である。コリ原発、新コリ原発の「放射線非常計画区域」には約380万人が居住。世界最大の人口密集地だ。日本では、東海第二原発の94万人(30キロ圏内)が最大で、桁が違う。


福島第一原発事故を受け、韓国でも「放射線非常計画区域」を8キロから20~30キロに拡大。蔚山市は計画区域を30キロとした。釜山市は30キロまで拡大すると人口が多すぎ、「実効性がない」との理由で、20キロとしたが、住民側の強い働きかけの結果、2022年末に30キロにまで拡大した。


古里集落は原発建設のために、集団移住させられた。避難計画を立てなければならないこと自体、その土地を追われる=集団移住のリスクを抱えているということに他ならない。川内原発が再稼働する際、避難計画の妥当性も議論されたが、国が「妥当」とする避難計画は、少々被曝しても人体に影響はないということが前提だ。韓国でも時間内に避難できるかどうかが懸念されているという。韓国でも、原発を推進する者にとっては、住民の多少の被曝は我慢しろということなのだろう。


集団移住、避難──。原発は一人ひとりの人生や尊厳を踏みにじる発電方法であることを改めて痛感させられた。人権を守るためにも、原発は一刻も早くこの世界からなくさなければならない。


(杣谷健太/川内原発20年延長を問う県民投票の会)

蔚山(ウルサン)記者会見、蔚山集会(使用済み核燃料処分問題ほか)

21日、釜山市のホテルからバスに乗り、約1時間半で機張(キジャン)郡にある古里(コリ)原発に到着した。古里原発が見えるカフェで、釜山エネルギー正義行動のチョン・スヒさんから古里原発近隣地域の歴史の変遷について話を聞いた。古里原発がある村一帯は、以前は美しい海水浴場が広がり、列車も走り、第一級の港の指定を受けた町として栄えた。しかし原発が建てられてからは、海水浴場は消え、温排水の影響で特産品のワカメの生産量も減少し、釜山で最も貧しい村に様変わりしてしまった。原発事業者の韓国水力原子力は、漁業権を買い取ったり、支援金制度を導入し、地域のインフラを整えるなどして住民懐柔を行い、原発に対する不満の声を抑圧し続けた。現在は、原発反対よりも、新規原発を誘致し原発と共生する道を選ぶ住民が増え、中には原発を誘致することで得られる補助金で移住を求める住民もいるという。

チョン・スヒさんの話を聞いた後、バスは蔚山(ウルサン)へと向かった。途中で韓国の最新型原発である新コリ原発3,4号機と完成が近づく5,6号機が見えた。この地域が世界で最大の原発密集地域であることを実感するとともに、原発建設に翻弄され続けた地域の名もなき住民の人生を思うと、心が重たくなった。

蔚山に到着すると、まず市役所で蔚山脱核市民共同行動が主催した記者会見が開かれた。蔚山脱核市民共同行動からは「ウルサンを核の墓場にしようとしている政府の試みと老朽原発の寿命延長などの原発推進政策に強く反対する」「原発は持続可能な地球環境を脅かす最も深刻な足かせとなる」といった発言があった。続いてノーニュークス・アジアフォーラム日本事務局からとーちさんが連帯のあいさつをした。とーちさんは、過去に日本が韓国に対して行った蛮行を考えると韓国に行けなかったが、阪神淡路大震災の時に、韓国からチョコレートの援助が届いたことに感銘を受け、それ以来、韓国製のチョコの包み紙が自分にとっての韓国行きビザになったというエピソードを涙ながらに語った。さらに「汚染水を海に捨てることは全世界に向けたテロだ」と述べ、「ノ~ニュ~クス!」と連呼し発言を終えた。

次に、会議場に場所を移し、韓日の高レベル核廃棄物問題を扱うシンポジウムが開催された。韓国からは蔚山脱核市民共同行動のヨン・ソンロクさんが発表した。文在寅政権は「使用済み核燃料管理政策再検討委員会」を設置し、社会的議論を促したものの、その内容は慶州(キョンジュ)市にある月城(ウォルソン)原発サイト内に乾式貯蔵施設を建設するという結果ありきの議論だった。さらに月城原発から蔚山北区は近いにもかかわらず、行政区が違うという理由で議論に参加すらできなかったことに反発した蔚山北区住民は、2020年に民間主導で住民投票を実施した。投票者数は有権者の約29%に相当する5万人で、4万7800人余りが反対した。ボランティアは3000人を超え、連帯の力を見せたが、政府は法的拘束力はないとしてこれを無視し、月城原発内での乾式貯蔵建設を決定してしまった。

一方、日本からは私が発表をした。原発推進と一体化した処分場探しのおかしさ、交付金をエサにした不透明な調査応募の方法などを批判した。また、処分場建設の第一段階である文献調査の応募により地域の分断に苦しむ北海道・寿都町の状況を説明した。岸田政権は文献調査実地拡大を目論んでおり、それを跳ね返す運動の強化を訴えた。

その後、各国の運動の経験が報告された。日本からは「原発さよなら四国ネットワーク」の大野恭子さんが発言した。障がい者支援施設で働く自らの経験を語り、原発事故が起きたら、障がい者を長期間引き取ってくれる施設を探すのは困難で、大混乱の中、被ばくし続ける状況になるだろうと警告した。「核と人類は共存できず、子孫に禍根を残さない」というメッセージで発表をしめくくった。


(高野聡/原子力資料情報室)

慶州(キョンジュ)集会
(韓国の甲状腺がん訴訟)

22日、私たちはウルサンから慶州にバスで移動し、月城(ウォルソン)原発周辺住民の健康被害と甲状腺がん訴訟について、移住対策委との懇談会をもち、 慶州環境運動連合のイ・サンホン局長と法務法人「民心」のソ・ウンギョン弁護士から話を聞いた。

月城原発団地には、月城1・2・3・4号機(カナダ型の重水炉)、新月城1・2号機(軽水炉)、中低レベルの核廃棄場、さらに使用済み核燃料乾式貯蔵施設が設置されている。月城原発の30km圏内には130万人が生活し、とくに原発から1kmの集落の住民は2014年から、原発敷地入り口にテントを張り、移住を求めて座り込みを続けている。この移住要求の背景には、正常運転中の原発から排出される放射性物質による健康被害があった。


2021年11月から22年12月まで、原発から5km以内の960人の住民を対象とし、ソウル大学医学部が環境省の委託により調査を行なった。その結果77.1%の住民の尿からトリチウムが検出された。またトリチウム濃度が高いほど、尿中のヨウ素値は上昇し、トリチウム値100Bq/l以上の住民は、大幅に正常値を超えていた。また月城原発から半径10km以内の住民と10〜20kmの住民のがん発生率を比較すると10km以内の住民のがん発症率は44%高く、胃がんでは82%、甲状腺がんでは73%高くなったとされる。


韓国各地の原発周辺地域の住民らは、現在、韓国水力原子力を相手に「甲状腺がん共同訴訟」を行なっている。原発から半径10km以内に5年以上居住していた住民もしくは原発労働者のうち、甲状腺がんを発症した618人(家族含む2855人)が2015年に提訴して、この損害賠償訴訟は始まった。第一審は2022年6月に敗訴、控訴審は今年8月に棄却されている。


原告らをこの困難な「共同訴訟」に動機づけたのは、2014年のキュンド家族訴訟の一部勝訴の判決だった。家族は30年以上、コリ原発から7.7kmで生活しており、パク原告の甲状腺がんと原発との因果関係が2014年に一審で認められた。しかし2019年の控訴審判決ではパク原告を含めて、他の家族の先天性自閉症や直腸がんも認められず完全敗訴となり、第三審では棄却され控訴審判決が確定した。


ソ・ウンギョン弁護士はこのパク原告の一審勝訴の要因として、ソウル大学のアン・ユンオク教授チームの原発周辺住民の疫学調査を挙げている。1991年から2011年まで19年2ヶ月にわたる36,176名を対象とする調査では、原発から半径30kmを超える地域の住民に対し、半径5〜30kmの近距離地域の住民の甲状腺がん発症の相対危険度は1.8倍であり、原発から半径5km以内の周辺住民の相対危険度は2.5倍とされている。この調査結果をもとに、パク原告の甲状腺がんは原発由来の放射線被曝が原因である可能性を認めた大韓職業環境医学会の診療記録鑑定が提出され、勝訴が導かれたとの分析だった。


しかし第二審においては、広島原爆やチェルノブイリ事故などの放射線事故以外では甲状腺がんの発症原因は不明であり、100mSv以下の低線量被曝については国内外で一致した見解がないことから、医療被曝を含む他の原因による発症も排除できないとして、原告完全敗訴の判決となった。


これらのキュンド家族訴訟の第二審の判決をなぞる形で「共同訴訟」の第一審判決は出された。キュンド家族訴訟の第一審でパク原告の勝訴要因となったアン・ユンオク教授の研究結果は全く異なった解釈をされ、「過剰診断」仮説をもとに、がんと原発との因果関係を否定している。また原告が主張した米国原子力規制委員会の原発の線量制約値については、ガイドラインに過ぎず放射線防護基準として解釈してはならず、韓国の法令違反でないことから、被告側の主張を受け入れ韓水原の責任を不問とした。


月城原発の居住制限区域は直線距離でわずか原発から半径914mであり、原発設計段階でより広範な地域住民の移住対策をとっていれば、健康被害は防ぐことができたとして、今後も移住の権利を求めて闘っていくとソ・ウンギョン弁護士は報告を結んだ。


原告敗訴要因となった100mSv以下のがんと放射線の因果関係を否定する言説は、広島・長崎の被爆者データーをもとに70年にもわたり国際的に構築された政治的「科学」言説である。「過剰診断」言説も併せて、日本でも極めて馴染みのあるナンセンスに暗澹たる気持ちとなった。


たとえば、環境省の資金が公益法人原子力安全研究協会を通り、WHO(世界保健機関)のがん専門機関であるIARC(国際がん研究機関)の「国際研究」に注ぎ込まれ、低線量被曝を否定する「過剰診断」を正当化する研究成果(IARCテクニカル・レポート第46号)に結実している。そしてそれが、まことしやかに日本や韓国の原発裁判で被害者住民を打ちのめす。


原子力安全研究協会は、原子力発電を持つ電力会社とその関連の企業からの出資で運営されている日本の組織であるが、そのHPに列挙される委託研究報告書には、2004年からは「原子力に関するアジア協力推進活動-報告書」(文科省委託事業)、そして2008年からは名前を変えて「アジア地域原子力協力に関する調査業務報告書」(内閣府委託事業)が毎年掲載されており、いかに原発推進活動が国境をこえた協力体制のもと、緊密に進められているかがわかる。その中で、原発「安全研究」も裁判情報とともに共有されているだろう。


こうした原発推進勢力の税金を使った緊密な連携に対抗するには、原発反対勢力の国境を超えた正義と真理を力とする連帯が必須と改めて感じた。


(湯浅正恵/広島市立大学)

月城原発の籠城テント前で

月城(ウォルソン)原発

月城原発前の座り込みテントの前で、放射能被害住民のファン・ブンヒさんたちから話を聞いた。

「月城原発から放出される放射能(トリチウム)によって被曝をしている。とくに子どもの被曝は切実な問題だ。そのため、移住対策を求め、座り込みや、毎週月曜日にはデモ行進を10年間続けている。デモ行進では、葬式の再現をするための『棺』や、廃棄物を象徴するドラム缶を引きながら、原発職員の出勤する時間帯に行っている。


政府は技術をアピールするだけで、私たちの言うことを聞いてくれない。事業者は原発の安全性をアピールするためにPR施設を建て、観光をかねたり、招待したりして見学をさせている。


どうして、このように原発の近くに居住できるというのか。放射能が自分の体の中に入っている。息子や孫、未来の人たちには、私のように体の中に放射能が入ることを認めてはいけない。甲状腺癌にさせるわけにはいかない。世界の国々の人々が同じように立ち向かうべき。たとえ生活が多少不便になったとしても危険な原発はなくすべきだ」。


(稲垣美穂子)

とーち撮影

蔚珍(ウルチン/ハヌル)原発

蔚珍原発の近くの砂浜で、「核から安全に暮らしたい蔚珍の人々」の代表イ・キュボンさんの話を聞いた。

「韓国国内ではもちろん、世界でもこれほど大型原子炉が密集しているサイトはないほどの原発団地が蔚珍原発だ。


1988年、蔚珍原発1号機が商業運転を開始。その運転開始から今日まで、蔚珍には8つの原発が建てられた。イさんは、卒業後すぐに反核運動をするために戻ってきて、30年が経つ。当時は故郷を守るため、多くの人々が反対運動に参加していたが、今はほんのわずかになってしまった。一方で、蔚珍原発を巡る課題は山積みだ。


・増設問題:文在寅前大統領の時には増設はしないとしていたが、原発を強力に推し進める現在の尹錫悦大統領は、9・10号機を増設することを発表した。丁寧に行うべき環境アセスメントなどの手順を経ずに、早々に進めている。


・寿命延長問題:蔚珍1・2号機は95万kW、3~6号機は100万kW、7・8号機は140万kWで、尹錫悦大統領はこれらの原発の寿命を延長させると言っている。今後新設される9・10号機は設計段階から60年運転を想定している。しかし、活断層が存在することが分かっており、住民たちは不安に感じている。


・被曝と補償の問題:政府と韓水原が専門機関に依頼したところ、海藻から放射能が検出されたことが分かった。しかし、政府は許容量以下の数値だとした。補償金が支払われているが、そうした金は共同体を破壊する。30年前に闘っていた反原発だった団体が原発賛成に回り、地域支援金を受け取っている。


・昨年、蔚珍全体の3分の1が焼失するほどの、韓国史上もっとも長い時間(213時間)消せなかった山火事が発生した。原発の1キロ前まで迫った。地元住民ら約4000人が公民館などに避難した。その際、大統領が「原発を死んでも守れ」という特別命令を出し、全国から消防隊が集結した。


・使用済み核燃料臨時貯蔵施設建設問題:2031年には原発立地4地域で、それぞれの原発敷地内に、使用済み核燃料の乾式の臨時貯蔵施設を建てるという。


・避難訓練をやったことがない


・地元には野党所属議員が一人もいない。小さい地域では、すべての社会団体が今の与党側についていることも悲しい現実だ。反原発運動の末に当選させることのできた議員でさえ、今や与党に所属している。


(稲垣美穂子)

とーち撮影

三陟の朝
(サムチョク原発白紙化記念塔)

眠りの微睡の中に一筋の糸が下りてきた。いつもなら再び落ちていくのだが今日は起きようと決めていた。外に出る。まだ陽は出ていない。河沿いを東に抜け長い砂浜にでる。東の水平線と雲の間からやがて光の矢が放たれた。 私の住む街では水平線から陽を見ることはない。そのせいか光はいっそう輝いて見えた。

半島の東海岸、三陟。日の出の名所として近年観光客が増えているという。何人もの人が東を見つめている。キャンピングカーも多数止まっている。そしてそこは核電白紙化記念塔がある場所だった。


昨日三陟に着いた私たちはまず8・29記念公園に降り立ち核電白紙化記念塔に向かった。8名の方が出迎えてくれ、闘いの歴史を悠久の勲のごとく語ってくれた。

1982年全斗煥政権下に核電予定地に選定されたのだが、当時は住民に知らされることはなかった。盧泰愚政権下の1991年に国会で議員が質問したことで、驚きの中で住民たちは知ることとなった。

しかし住民たちの動きは早く、核電反対闘争委員会が作られたが、どのように反対したらいいか模索の中の始まりとなった。とにかくできることを血のにじむ努力をして続けていった。1993年には38の集落の代表が集まって計画し、7000人の大集会を行った。歩ける人はすべて集まったとまでいわれている。当時の運動は苛烈で警察との軋轢も激しかった。刑事がまるで秘書のようにくっついて尾行していたという。その後も大規模な集会を何度も行い、1998年にはバス50台貸し切りにして電力会社本社へも出かけて行った。そうした運動の成果で、金大中政権下の1998年に白紙撤回を勝ち取った。


ほっとしたのもつかの間、その後、核廃棄物処分場候補地になったが、それも2005年に撤回させた。


しかし2010年になって今度は当時の市長が政府に核電誘致申請をした。核電に賛成する署名を集めたが、それは偽の署名、別人の署名を寄せ集めたものだった。


2014年には住民投票を行うこととなり、85%が反対に票を投じた


2015年には市役所の前で1万人が参加する集会、デモを行った。


そして長く続けてきた水曜ロウソクデモが352回を数えた2019年に、核電建設計画白紙撤回をようやく勝ち取った。


しかし核電を推進する側はまた狙ってくるだろうから、反核はこれからも続けていかなくてはならない、と三陟の人々は言う。


そして今度は、遠くに排気塔が見える石炭火力発電所の建設工事が行われてしまっているが、それに対しても8か月も工事を中断させるなど闘いを続けている。


私は次第に強くなってくる光を浴びながら昨日聞いた言葉を思い出していた。


ー この美しい海辺を守るために沈黙していることはできない ー


続ける理由をそう語った気持ちに、少し近づけた気がした。


(とーち)

次回NNAFは台湾で開催

22日夜、キム・ヒョヌさん(脱核新聞)の司会で、宣言文と次回NNAFについて討論を行った。

今回、台湾環境保護連盟2名と台湾緑色連盟3名が参加していた。次回のNNAFは、台湾で、「原発ゼロ」が実現する2025年5月に開催することが決定した。

ソウル「9.23気候正義行進」
(3万人集会・デモ、脱原発を訴える!)

ソウルの市庁舎前、車道の4車線を封鎖して長い会場ができていた。歩道側に連なる多数のテント。それぞれのブースでチラシを配っている。水飲み場もある。私たちは韓国NNAFスタッフの人たちにもらったお揃いの「Don’t Nuke the Climate」Tシャツを着た。子供達も歩き回っていて、お祭り騒ぎだ。多くの旗と横断幕。動物の帽子をかぶった若者たちもいる。

集会は大規模で参加者数は約3万人だ。労働、農民、女性、障害者、環境、宗教など各界の500以上の団体が参加したという。

遠くにステージがあり、スピーチが始まった。それを写す大型スクリーンがあり、話す声もはっきり聞こえ、話す人の姿も良く見える。NNAFスタッフで韓国YWCAのユ・エスダーさんが司会だ。開会のあいさつでは「気候危機の不平等に抵抗するために、私たちはここに集まりました」「ソウルで水害の被害がここ1~2年に起こっています。これには貧困層の住宅問題があるのです」。


9.23気候正義行進の「5つの要求」の中に、「原子力と化石燃料から再生可能エネルギーへの移行」がある。

佐藤大介さんと小原つなきさんが登壇した。「ノーニュークス・アジアフォーラムが始まって今年で30年です。アジアの各地(日本・台湾・タイ・インド・フィリピン・ベトナム・トルコ・オーストラリア)から29名が参加しています。アジア各地の人々は、原発を推進する勢力と闘ってきました。原発は気候危機の代案ではありません。原発は、むしろ再生エネルギーの拡大を阻みます。気候危機を口実にした『老朽原発の寿命延長と新規原発建設』に反対する脱原発運動に連帯してください。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。一緒に脱原発を実現しましょう」。

石炭火力発電所の労働者の話があった。「水・ガス・電気は商品ではない」「大地・風・太陽は商品ではない」「私たち火力発電所の労働者は、気候と環境の危機に対応するためにカーボンニュートラルの必要性を共有しています。しかし、発電所の廃止で失業する労働者の命を守り、適切な措置を講じることは政府の義務です」。

次々に人々が話し、1時間で集会は終わり、約2キロの行進が始まった。普通に歩けば30分だが、ゆっくり歩くので、1時間はかかるとのことである。


先頭は、5つの宗教団体。(韓国の宗教者は平和活動・社会活動に積極的にかかわるそうだ)。そこには、3つの頭を持つ鷹の巨大な作り物をかかげて歩く人々がいる。(伝説の鳥で、飢えと病気を防ぐ)。その後は、太鼓をたたく農楽隊の集団。

2番目に出発したのは、全国から集まった脱原発を訴える大集団。NNAFの参加者や、韓国緑の党の人々もここだ。私たちは後ろの方に座っていたつもりだったが、回れ右をした後では先頭に近くなった。

40分くらい行進した後、全員でダイ・インをした。災害警報が鳴り響き、全員が地面に寝た。寝転んで空を見上げると、美しい青空に秋のうろこ雲が浮かんでいた。その後、足の痛みをこらえて最後まで歩き切ることができ満足だった。


緑の党の会員である私は、今年の6月に開催されたグローバルグリーンズ大会in韓国にも参加した。持続可能な社会、平和な社会、脱原発を求めている。今回のノーニュークス・アジアフォーラムで韓国グリーンズの方々とも再会し、思いを共にし、幸せだった。人類は核と共存できない。それぞれの国の事情は似ている部分と違う部分があるが、核の無い世界で生きる権利を求めることは同じだ。2年後の台湾で、またアジアの人々に会いたい。


(伊形順子/緑の党)

青年活動家交流会

最終日の夜、各国の若者たちの座談会があった。NNAFスタッフの女性たち(コン・ヘウォン、ピョン・イニ、ユ・エスダー、ハバラさん他)を中心に韓国の若者たちが多かった。日本からは稲垣さんと私が参加。

韓国の参加者の中には、自然豊かな地元から都市に出てきて体調を崩したことから環境団体に入り反原発運動に関わる人もいれば、緑色連合でボランティアしたことがきっかけの人もいた。


私は、福島第一原発事故で原発に関心を持ち、現在は川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の運転延長の是非を問う県民投票を求める市民団体に関わっている。座談会では、どうやって若者を巻き込めばいいか意見を求めた。すると、韓国の一人から「私たちも若い人がどうすれば一緒に運動できるか関心を持っている」との答えが返ってきた。意外だった。


9月23日の気候正義行進には多くの若者の姿があった。それだけでなく、道端の人々の視線には温かいものが感じられた。韓国でも若い人をどう運動に巻き込むかが課題というが、私には、若い人が参加しているように映る。鹿児島などで私が取材、参加したデモはまったく異なる。道ゆく人の表情からは「邪魔だ」「うるさい」という雰囲気を感じる。


私は39歳。若者とは言えないが、私が参加している団体では最も若い。2014年の記者時代から今の団体を見ているが、顔ぶれは変わらず、若手が入っていないのが実情だ。


韓国の参加者の一人は「脱原発、脱石炭セミナーを開催し、いろんな人に声をかけている」と話した。私は本屋を経営している。お客さんに声をかけて、少しずつでも運動への参加者を増やしていかないといけないと強く感じた。


(杣谷健太)

*各国参加者について

台湾からの5人の参加者は互いにしっかりと結束しつつ、若者がプレゼンテーションを行い、年配者が韓国の若者たちと親しく語り合って脱核への道を伝えるなど、それぞれが持ち味を生かして「アジア初の脱原発」を実現する台湾の今を届けてくれた。

フィリピンのエミリーは、活動家が暗殺されるような厳しい状況の中でも、いかにして人々がひるむことなく原発に反対する運動を展開しているかを熱く語ってくれた。


インドのヴァイシャリは、詩を朗読するかのような優しい語り口から激しいアジテーションへと連なる素晴らしいスピーチで聴衆の心を揺さぶる。原発に反対することが国家反逆罪に問われる現状の中で、民衆が非暴力でどのように闘い続けているのかを鮮明に伝えてくれた。


トルコのプナールは、韓国各地で運動を担う人々の発表を食い入るように聞いては納得いくまで質問を続けていた。着工してしまったアックユ原発、黒海をはさんで戦闘が続くウクライナの状況に加えて、多くの人命が失われた今年2月のトルコ・シリア大地震の被害に直面して涙が止まらない時期があったと話してくれた。


タイのプラソンは、研究炉建設計画がくすぶり続けるタイの状況をユーモラスに語り、笑顔を絶やさない。環境活動家が命を奪われる事件はタイでも起きているからこそ、彼の姿には胸に迫るものがあった。


アジアのあちこちに仲間がいる。なんと心強いことだろうか。日本が汚染水を海洋放出して世界の人々の尊厳を踏みにじろうとしていることの愚を痛感する。まだまだやることがあると勇気を得た5日間だった。


(宇野田陽子)

右2人目から、エミリー、プラソン、ヴァイシャリ、プナール

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信184号
(23年10月20日発行、B5-28p)もくじ

<第20回ノーニュークス・アジアフォーラム 報告>
・日程など
・ソウル会議「30年の活動を評価し、新しい30年を築くきっかけに」 (藍原寛子)
・プサン記者会見「福島原発汚染水投棄反対」、プサン集会「原子力と国家暴力、老朽原発寿命延長、対馬」  (諸松瀬里奈)
・古里(コリ)原発「コリ原発の歴史など」 (杣谷健太)
・蔚山(ウルサン)記者会見、蔚山集会「使用済み核燃料処分問題ほか」 (高野聡)
・慶州(キョンジュ)集会「韓国の甲状腺がん訴訟」 (湯浅正恵)
・月城(ウォルソン)原発  (稲垣美穂子)
・蔚珍(ウルチン/ハヌル)原発
  (稲垣美穂子)
・三陟の朝(サムチョク原発白紙化記念塔) (とーち)
・次回NNAFは台湾で開催                         
・ソウル「9.23気候正義行進」(3万人集会・デモ、脱原発を訴える!) (伊形順子)
・青年活動家交流会  (杣谷健太)
・NNAF in 韓国 に参加して (エミリー・ファハルド、プナール・デミルジャン、宇野田陽子、大野恭子、吉井美知子、渡辺美奈、川瀬俊治、菅波完、谷雅志、豊田直巳)
・上関町に関電と中電が中間貯蔵施設を計画、その後  (三浦みどり)
・柏崎刈羽原発の検証、県(知事)のていたらく  (石山謙一郎)
・12.3「とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会
  -うごかすな老朽原発-」に総結集を (木原壯林)
・「ストップ!女川原発再稼働」紙面デモ(意見広告)

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