第1回ノーニュークス・アジアフォーラム記録映像

日本語版:https://youtu.be/jQtemzJatEg
English:https://youtu.be/_yfIXAi5PFs

1993年の第1回NNAFの様子を5分にまとめました。私は編集しながら、昔を思い出しつつ、一方で想いを新たにすることもできました。2018年のフィリピンのフォーラムで上映し、好評でした。東京会議での発言者だけでもNNAFがいかに多くの方々に支えられてきたかがよくわかります。そして、亡くなってしまった方々が多くいらっしゃることも。(とーち)

発言(敬称略):前野良、金源植(韓国)、ジャヤバラン・タンブヤッパ(マレーシア)、宮嶋信夫、小木曾茂子、藤田祐幸、郭建平(台湾)、塵彬良(台湾)、コラソン・ファブロス(フィリピン)、ウィトゥーン・パムポンサーチャロン(タイ)、パドマナバン.V.T(インド)、菅井益郎、西尾漠、高木仁三郎、広瀬隆、小村浩夫、何昭明(台湾)、施信民(台湾)・・・・河田昌東、大庭里美

1993年の福島第一原発のようすも映っています
(ビデオ最後のほうで、みんなが炭坑節で踊ったのは、新潟ではなく名古屋です)

全国28か所で開催された第1回NNAF
107分バージョンもあります → https://youtu.be/T7rH4sdkSL8

ノーニュークス・アジアフォーラム25VTR

60枚のスライド一覧 → http://nonukesasiaforum.org/japan/archives/1382

ほぼ毎年各国持ち回りで開催されてきたノーニュークス・アジアフォーラムの25年間をふり返るスライドショーは約8分。アジア各国の反原発運動の主な歴史もわかります。昨年11月フィリピンでの(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラムのオープニングで英語版が上映され、大好評で、2日目も再上映されました。

日本語版 → https://youtu.be/ARRDXHv5_H8
English  → https://youtu.be/89BE9kbJpP0

(音楽:民衆の歌、バヤンコ、We Shall Overcome)

 

 

日本の原発輸出計画、全滅!― ベトナム・トルコ・ウェールズ、現地の人々の視点から―

~ 企業側の論理からだけでは見えてこない、原発輸出頓挫の背景 ~

お話:吉井美知子(沖縄大学)・森山拓也(同志社大学大学院生)

日時:2月15日(金)18:30~20:30 (18:00開場)
場所:大阪市立総合生涯学習センター・第2研修室
(大阪駅前第2ビル6F、60名)   800円

ウェールズにて(右から2人目が吉井さん)

安倍政権が「成長戦略」の重要な柱として官民一体で推進してきた原発輸出政策が、すべて頓挫するという事態が起きています。

三菱のトルコ・シノップ原発計画、日立の英・ウイルヴァ原発計画、そのどちらもが、安全対策のため膨れ上がった建設費によりビジネスとして採算がとれなくなったとして中止されたのです。ベトナム政府も2016年11月に、日本が輸出予定だった原発建設計画を中止しました。

太陽光や風力など再生可能エネルギーの発電コストが大きく下落する中、1基1兆円超の原発に商機があるはずがありません。しかし、いま起きている原発輸出計画の総崩れは、企業側の論理のみで起きているわけではありません。輸出先の現地で繰り広げられてきた粘り強い運動と、それをとりまくさまざまなネットワークの力も、計画中止に大きな影響を与えてきました。

計画が撤回されたそれぞれの場所で、いったい何が起きていたのか。ベトナムへの原発輸出反対に尽力してきた沖縄大学の吉井美知子さん(昨秋、英・ウェールズの原発建設予定地も訪問)と、トルコの原発反対運動を取材してきた森山拓也さんからお話を伺います。森山さんの昨年のトルコ写真展のパネルも展示します(早めにお越しください) みなさん、ぜひご参加ください。

昨年の森山さんの写真展のチラシより

主催: ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン

毎日新聞 2.5(大阪)

 

第18回ノーニュークス・アジアフォーラム報告

 

バターン原発(ボートから撮影)

第18回NNAF ダイジェスト

(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラムが、「核も原発もない未来に向けて、民衆同士の連帯を強めるために」というスローガンのもと、11月12~15日にフィリピンで開催されました。

12日 NNAF国際会議
13日 公開フォーラム
14日 バターンの石炭火力発電所、
地元の人々との交流集会
15日 民衆が稼働を阻止し続けているバ
ターン原発現地の人々との交流集会

★開催のおしらせ(NNAF@25フィリピン実行委)より
「NNAFは、原発問題に関する情報の交換・共有、参加する様々な国における現地でのキャンペーンを支えることなどを目的に、ネットワークとして発展してきました。そして、アジア地域における原子力の拡散に反対し続けてきました。これまでアジア地域で原発建設計画の撤回、中断、延期などがあった場所では、それを成し遂げた運動の中心にNNAFのメンバーたちがいて、情報交換や市民への啓発活動などに奔走し、それが原発の建設や運転を止めるための力となってきた経過があります」

*フィリピンのドゥテルテ大統領は、2016年11月に原発稼働に向けた作業に着手することを承認。17年11月、ロシア国営原子力企業ロスアトムと原子力分野での協力に関する覚書を締結した。人口が1億を突破し、インフラ整備計画で電力需要の増加が見込まれることを背景に、政府内で最近、原発推進の動きが勢いを増している。クシ・エネルギー相は今年4月、原発稼働を盛り込んだ政策案を提出した。

●11月12日

フォーラム初日は、ケソンのフィリピン大学の集会場で、コラソン・ファブロスさんの歓迎の挨拶からスタート。

続いて、フィリピン大学のローランド・シンブラン教授が基調講演を行なった。原子力産業に対峙するために、今後、反原発運動は平和運動や環境運動とも強く連帯していく必要があることなど、これからの25年を見据えた力強いメッセージが発せられた。

次に、ノーニュークス・アジアフォーラム25年の歩みを振り返るVTRが上映された。

そして各国報告。まず、韓国・エネルギー正義行動のジョン・スーフィーさん。現在24基の原発が稼働中、さらに5基が建設中で、発電電力の30%を原子力が占めている。文在寅大統領は2017年10月、国内では緩やかな脱原発政策を打ち出したが、その一方でアラブ首長国連邦への原発輸出を進めるなどしており、反原発運動がその矛盾した政策姿勢を追及している。

台湾環境保護連盟の劉志堅さん。ほぼ完成した第四原発は稼働凍結中で、民進党の蔡英文政権は脱原発政策をすすめている。その一方で、原発推進派の巻き返しの動きも活発で、「2025年までに原発の運転を全て停止する」と定めた電気事業法の条文削除を問う国民投票(推進派が申請)が11月24日に実施予定であることが報告された。その結果次第では、第四原発が復活する可能性があることも指摘された(その後、実施された国民投票は条文削除に賛成となってしまった)。

日本は菅波完さん。発電電力に占める原子力の割合が2016年には1.7%となっており、すでに原発に依存している状態ではないことが指摘された。さらに、福島から木幡ますみさん(大熊町議)が、先の見えない廃炉作業が続く一方で、深刻化する土壌汚染の実態を報告した。

台湾・韓国・日本

インドのヴァイシャリ・パティルさんからは、同国内で続く原発建設に対して、草の根で力強く展開されている反原発運動が紹介された。インドで闘いを続ける人たちにとって、このノーニュークス・アジアフォーラムでの連帯が大きな支えになっており、原発のない世界を実現するために、今後も連帯を続けていきたいという抱負が述べられた。

トルコはプナール・デミルジャンさん。現在、3ヶ所で原発の建設計画があり、北部のシノップは日本、南部のアックユはロシア、そして北西部のイイネアダは中国がそれぞれ輸出計画を進めている。トルコで原発推進の動きが活発化する背景として、最近、議員内閣制が廃止され、大統領に権力が集中するよう改憲されたことで、原発のような国家プロジェクトは大統領の決裁のみで進むという。トルコでは反原発の市民運動の歴史は長いが、原発建設の事業コストや発電コストが上昇する一方で、原発建設は同国の安全保障政策とも密接に絡んでおり、エルドアン大統領の原発推進の意志は変わりそうにない。

トルコ・インド

ベトナムについて、沖縄大学の吉井美知子さんが報告。2016年11月に、日本およびロシアと進められていた原発建設計画が撤回された。その背景として、高額な建設費や電気需要の伸びの減少、人材不足のほか、ベトナム知識人の反対や日本の市民によるベトナム国会へのロビーイング活動があげられた。またベトナム共産党の幹部も原発はすでに時代遅れのエネルギーであると認識している旨が報告された。

最後は、ホスト国のフィリピン。NFBM(非核バターン運動)のデレック・チャベさん。東南アジア初の原発で、1984年の建設完了以来、一度も稼働していないバターン原発の事例が紹介された。その背景には、フィリピンの草の根の人々の原発に対する抵抗があり、連帯がある。その一方で、原発推進派からの稼働要請が続いている。2016年にはIAEA (国際原子力機関)の会議をホストするなど、原子力エネルギーの選択肢は決して消えてはいない。

カントリーリポートの報告終了後には、各国の短編ドキュメント映像が上映された。第1回NNAFの映像も。夕食をはさんで、NNAF声明文作成の作業が深夜まで続いた。

(小川晃弘・メルボルン大学)

*ノーニュークス・アジアフォーラムの25年間をふり返るスライドショー、8分
(日本語版)https://youtu.be/ARRDXHv5_H8
(English) https://youtu.be/89BE9kbJpP0
60枚のスライド→ http://nonukesasiaforum.org/japan/archives/1382

●11月13日

朝9時から、公開フォーラム「核も原発もない未来に向けて」を、フィリピン国内参加者を交えて開催。最初に若者たちの音楽で盛り上げる。司会はミッツィー・チャンさん、2011年NNAF(福島・東京・祝島・広島)の参加者だ。

まず、NNAF25年の歴史をまとめたVTRと、第1回NNAFの映像を上映。若いフィリピン人にとってアジア各国の活発な活動や運動仲間の存在を知るいい材料だ。設立時からのメンバーであるコラソン・ファブロスさんや佐藤大介さんの若く凛々しい?姿に、会場から驚きの声が上がった。多くの人たちの地道な活動の積み重ねで現在があると再認識。

次にコラソンさんが原発を巡るアジアの状況概観(各国報告の要点と反対運動について)を説明。そして、①原子力マフィアが東南アジアを狙っている、②原発建設で深刻な債務問題に直面する、③競争原理が働かず寡占状態で、米国、フランス、韓国、日本の原子力企業が進出し、賄賂など裏金も駆使、④使用済み核燃料の処理問題は未解決のまま、などを指摘。

次にエネルギー省の担当者からエネルギー開発について説明を受ける予定であったが、要請を断られたようで欠席。

続いてパネルディスカッション1を「原子力の汚れたビジネス」のテーマで。パネリストは、韓国、福島、台湾、インド、トルコから。原発建設地の状況や反対運動について映像を交え報告。トルコに関しては、日本とロシアと中国が原発輸出計画を推進し、高コストなど問題山積。チェルノブイリ事故を経験したトルコ市民は大規模な反対運動で抵抗。原発企業は、各国で新自由主義による人権無視・環境破壊の立場でグローバルに事業展開中。

パネルディスカッション2のテーマは「フィリピンのエネルギー開発」。パネリストは、グリーンピース・フィリピン、NFBM(非核バターン運動)、CPII(エネルギーシフト推進センター)。現状では、寡占企業による石炭火力発電の割合が高い。バターン半島のリマイ火力発電所(サンミゲルが住民を強制移住させ建設、石炭はインドネシア・オーストラリアから輸入)による環境汚染・健康被害(肺がん・皮膚病など)が深刻な状況を指摘。ここで発電された電気は近くの石油精製企業(サンミゲル)が使用。

パネルディスカッション3は、「再生可能・代替エネルギーへの転換と潮流」。原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の木村結さんの報告を山下星夢さん(通訳で協力)が代読し、CREST(再生・持続可能エネルギー技術センター)が、フィリピン全体のエネルギー事情を表やグラフで分析。他国との比較も踏まえ、現在も化石燃料依存度が約75%(2017年)と高く、転換の難しい現状を説明。

質疑応答では、トルコのプナール・デミルジャンさんが、台湾の国民投票のやり方、フィリピンのエネルギー転換戦略などについて、突っ込んだ質問を熱心にしていたのが印象的。彼女からは、私が録音したディスカッションの音声データを送るようにも頼まれた。

最後に地元メディアに対する記者会見を開き、インタビューを受ける人も(中部ルソンTV等で報道された)。そして昼食後、NNAF声明を採択し、みんなで記念撮影。フィリピン民衆シアターによる閉会パフォーマンスで終了。

夕方は自由時間があり、街に出かけ、買い物やマッサージを受ける人も。私は、若いフィリピン人の案内で書店に行き、地図を購入した。

(渡田正弘・上関原発止めよう!広島ネットワーク)

●11月14日

朝6時にフロント集合、3台のバンに分乗してバターンに向けて出発。当初のプログラムでは「ダーティ・ビジネス・ツァー」と題して、バターン州の原発と石炭火力発電所の両方を視察する(原発は、炉心部まで入る)予定だったが、残念ながら原発に入る許可が得られず、石炭火力発電所中心のツアーとなった。

7時過ぎ。ハイウェイのサービスエリアで朝食。Jollibeeというファーストフード。これがフィリピンの人々には大人気で、こどもたちはジョリビーに連れてきてもらうと大喜びなのだとか。

10時過ぎ。バターン半島東岸のラマオという集落に到着。バンを降りて民家の軒先を抜けて少し歩くと、そこに巨大なリマイ石炭火力発電所が出現。事業者はビールで有名なサンミゲル。現場で地元の方から概略の説明を受けつつ、発電所の大きさと、集落との近さに圧倒される。周辺住民のほとんどがのどの痛みや頭痛に悩まされているそうだが、我々が現場で話を聞いていた30分ほどの間でも、確かにのどに違和感を覚えた。

リマイ石炭火力発電所

集会場に移動し、地元のCoal-Free Bataan Movement(石炭火力発電所反対バターン運動)の方々から被害の訴えを聞く。

中心的に話してくださったのはローリー・ペレスさんという歯科医の女性で、ラマオバランガイの村議。ローリーさんの他に5名が発言されたが、サンミゲル側の住民無視、強制移転と不十分な補償、健康被害、海の重金属汚染、地下水の枯渇など、極めて劣悪な状況におかれていることが語られた。さらに、運動のリーダーへの脅迫などもあり、実際に、反対運動のメンバーが射殺される事件まであったとのこと。住民を力で押さえつける「推進側」の闇の深さを感じた。

集会では引き続き、NFBMのデレックさんが、パワーポイントで石炭火力発電所問題の全体的な説明。バターン州で、すでに196万kWの石炭火力発電所が稼働している上に、240万kWが建設中であり、さらに90万kWの計画もあること。それらは、海外からも多数の企業が進出している工業団地・経済開発と一体ですすめられていること。石炭の載積ヤードからの粉じんや、焼却灰を投入している処分場(見たところ、大型トラックで灰を投入しているだけの様子)から飛灰が周囲に飛散している様子も紹介された。健康被害などのデータも示されたが、発電所の稼働と被害の因果関係を立証するのは簡単ではなさそうだ。

石炭火力周辺の粉じんや焼却灰の飛散対策などは世界共通の問題でもあるが、バターンの石炭火力は、やればできることも手を抜いているとしか思えない。

集会後は同じ会場で昼食をともにしながら交流を深め、午後3時頃ラマオを後にした。

石炭火力発電所の地元の人々との交流集会で

原発のあるバターン半島西岸のモロンに向かう途中、半島中央部のサマット山にある巨大な十字架のモニュメントMount Samat Crossに立ち寄った。バターン半島は第二次大戦でフィリピン軍とアメリカ軍が日本軍と戦った激戦地であり、バターン半島を制圧した日本軍が、1942年4月、厳しい暑さの中、捕虜8万人を120キロ離れたサンフェルナンドまで徒歩で移動させ、その行程で8千人の死者が出たという「バターン死の行進」の現場でもある。Mount Samat Crossは、1966年にマルコス大統領が、第二次大戦から25年にあたり、祖国のために戦った戦死者を称え、慰霊するために建設したもので、モニュメントの麓には、第二次大戦の資料館もあり、日本からの参加者にとっては、加害の歴史に向き合う貴重な機会となった。

夜、モロンのホテルに到着。夕食後には星空を眺め、つかの間のリゾート気分を味わった。

(菅波完・高木仁三郎市民科学基金)

●11月15日

バターン半島西岸のモロンで朝を迎えた。目の前には青い空と青い海が広がる。今日はいよいよバターン原発へ向かう日だ。

民衆の力で止まったままのバターン原発は、核燃料を一度も装填しておらず、多くの人びとが炉心部まで見学しており、私たちも見学できるということだった。恐ろしいとは思いながらも、一度は目にしてみたかった。

しかし、今回、事前に申請していたものの、国家電力公社からはとうとう許可が下りなかった。ドゥテルテ政権の下で原発稼働の動きが再び強まる中、市民の動きを警戒しているのだろう。

それでも、ゲート前には行こうと、森の道を抜けて原発へ向かった。到着すると、フェンスの向こう側も木に囲まれていて、見えるのはゲートと警備員詰め所、「核エネルギーの事実を学び、真実を発見しよう」という看板だけ。「フェイク・ニュースだ!」とデレックさん。

写真撮影だけして、10分ほどで追われるように立ち去った。後で聞いた話では、コラソンさんは3人の警備員と話をして時間稼ぎをしてくれたのだが、とうとう警察を呼ぼうと電話をかけ始めたという。帰り道にすれ違った警察車両は、それだったのかもしれない。

バターン原発正門前で抗議行動

モロンの街に戻り、住民たちとの交流集会。マルコス独裁政権と対峙してきた年配の方々をはじめ、農民、漁民、女性、若い世代など様々な立場の住民が集まっていた。

NFBM(非核バターン運動)から、フェルナンド・ロレート神父(2014年NNAFに参加)のあいさつ、そして、ジュリト・バラスコさん、フランシスコ・ホンラさん(2016年NNAFに参加)などから、続々と闘いの報告があった。

1985年の地域ゼネストなど住民が果敢に闘うシーンを集めた記録映像も上映された。戒厳令の下、軍隊も出動する中、住民各層が組織化され、立ち上がり、地域ぐるみで命がけの闘いの末に、稼働を阻止したのだ。ダンテ・イラヤ議長は「住民を団結させるということは大変だったが、それを乗り越えて団結することができた」と語った。住民の「団結」が地域の誇りになっているようだった。

続いて、アジア各国の参加者からのスピーチ。私も発言の機会をいただき、バターンと同じように佐賀・玄海にも豊かな自然、美味しい食べ物があることを触れながら、住民の意志を無視して原発が推進される日本の状況を報告した。

集会でスピーチする永野さん

昼をはさんで、NNAF次回開催地、台湾への引継ぎ式が行なわれた。最後に、みんなで「No Nukes Asia!」の声を何度もあげて、交流集会は終了した。

右側フィリピンから、左側の台湾(次回NNAF開催国)へ引き継ぐ

マニラへ戻る前、漁民の方たちが船を出してくれることとなり、急遽、原発へ船で向かった。こんな時にも日頃の繋がりが生きてくるのだろう。

青く穏やかな南シナ海を眺めながら疾走すること15分、少し突き出た半島の向こうに、ドーム屋根が見えてきた。バターン原発だ。船はどんどんどんどん近づいていく。完成してから30年以上動かないままの原子炉建屋のコンクリートは黒ずんできて、これをまた動かそうとするなど信じられない不気味さだった。岸辺には貯蔵施設のような建物があり、土砂がむきだしのところもあった。排水溝らしきものもあった。もし、原発が稼働したら、ここから膨大な量の温排水が流される。そして、この海も空も大地も放射能で汚染されてしまいかねない…
どうか、動かないでくれ!
大丈夫、フィリピンの仲間たちが必ずこの「怪物」の息の根を止めるから!

ギリギリのところで闘っているフィリピンの仲間に応援できることがあるとすれば、私は私のいる佐賀の地で、それぞれのメンバーがそれぞれの地で、原発を絶対に止めることだ。それしかない。船がUターンし、小さくなっていく「怪物」を睨みながら、そう誓った。

(永野浩二・玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会)

*この活動は、一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストの助成を受けています。

**************************
★ノーニュークス・アジアフォーラム通信155号(12月20日発行、B5-28p)もくじ

・第18回NNAF ダイジェスト (小川晃弘、渡田正弘、菅波完、永野浩二)
・基調講演:「核も原発もない未来に向けて、民衆同士の連帯を強めよう」(ローランド・シンブラン)
・ノーニュークス・アジアフォーラム25年VTR
・NNAF in フィリピン に参加して (永野浩二、藍原寛子、菅波完、小川晃弘、渡田正弘、とーち、徳井和美、石丸陽一、吉井美知子)
・東海第二原発 新安全協定で迷走 (阿部功志)
・「被災原発」である女川原発の再稼働は許されない (舘脇章宏)
・ストップ原発輸出!-ウェールズの住民や議員と意見交換- (深草あゆみ)
・トルコへの原発輸出をくいとめたぞ! (守田敏也)
・台湾「2025年までに脱原発」に反対する国民投票が可決された後 (陳威志)

年6回発行です。購読料(年2000円)
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「ノーニュークス・アジアフォーラム」25周年集会(藍原寛子)【週刊金曜日 12.7】

【週刊金曜日 12.7より】 買って読んでネ

「ノーニュークス・アジアフォーラム」25周年集会(藍原寛子)PDFその1

「ノーニュークス・アジアフォーラム」25周年集会(藍原寛子)PDFその2

ノーニュークス・アジアフォーラム25年VTR

(日本語版)https://youtu.be/ARRDXHv5_H8
(英語版)  https://youtu.be/89BE9kbJpP0

ノーニュークス・アジアフォーラムの25年間をふり返るスライドショー。8分
音楽:民衆の歌、バヤンコ、We Shall Overcome
アジア各国の反原発運動の主な歴史もわかります。
2018111215日に、フィリピンで行なわれた 25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラムのオープニングで英語版が上映され、大好評で、2日目も再上映されました。

 

 

(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラム in フィリピン 報告会、福島とバターン 広がる「抵抗の公共圏」―そのネットワークと可能性―

(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラム in フィリピン 報告会 
福島とバターン 広がる「抵抗の公共圏」―そのネットワークと可能性―

お話:藍原寛子
(福島市在住ジャーナリスト。地元新聞記者からフリーとなり、福島の原発震災を取材している。フィリピン大学とアテネオ大学研究留学時は臓器売買を取材・研究。311後にバターン原発を2度取材。今回はアジア全体のNo Nukeの取り組みに注目し参加)

12月21日(金)18:30
大阪市立総合生涯学習センター・第6研修室(大阪駅前第2ビル5F)
参加費:800円
主催:ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン
連絡先:080-6174-8358(佐藤)

・いったんは原発を断念したかに見えたドゥテルテ大統領、その政権が再び動き出したわけ
・マルコスが建てた巨大な十字架と日本軍の関係とは
・バターン原発立ち入り断念! 外観も見られない事態にとられたまさかの方法とは

*フィリピンには、原発が1基ありますが、いまだかつて運転されたことがありません。悪名高いマルコス大統領の軍事独裁政権下で、アメリカのウエスチングハウス社(当時)によって建設されたこのバターン原発、フィリピンの人々にとってはマルコスの悪行と不正義の象徴であり、1985年のバターン地域ゼネストと翌86年の力強いピープルパワー革命によって閉鎖されました。

しかし90年代後半以降からフィリピン政府はバターン原発の再開や新規の原発導入に関心を示し続けており、バターン原発の近隣に建設された巨大な石炭火力発電所周辺では健康被害が続出していることから、人々は再び立ち上がって反対運動を続けています。厳しい政治状況の下で、常にあきらめることなく闘い続けてきた不屈の人々、そしてその思いを着実に受け継いできた若者たちのまぶしい姿を、ぜひ日本のみなさんにも知ってもらえたらと思います。

*【週刊金曜日 12.7】より「ノーニュークス・アジアフォーラム25周年集会」(藍原寛子)
PDFその1
http://nonukesasiaforum.org/japan/wp-content/uploads/2018/12/155-51.jpeg
PDFその2
http://nonukesasiaforum.org/japan/wp-content/uploads/2018/12/155-52.jpeg
買って読んでネ

 

福島わかもの国際交流キャンプ in 韓国

■  韓国の人々の深い愛情と情熱によって  宇野田陽子

原発建設計画を撤回させたサムチョクの人たちの「福島の若者たちを迎えたい」との声に応えて、水戸喜世子さんたちと半年以上かけて準備して実現したキャンプが無事に終了しました。

お天気に恵まれ、偶然の出会いに祝福され、導かれているように幸せな行程でした。韓国の人々の深い愛情と情熱によって様々な幸運が手繰り寄せられた一週間でした。この旅がそもそも可能となったのは、福島の若者と韓国の若者の交流の意義に賛同して、あたたかいご支援をくださったみなさんのおかげです。ありがとうございました! お支えくださったみなさんに、キャンプの様子をお伝えしたいと思います。

福島の若者8名(中学生 3 名、高校生 3 名、大学生 2 名)が、まずは8月15日の夜に羽田空港にほど近い宿舎に集合して、結団ミーティングを行ないました。

翌16日、大韓航空でソウル・金浦空港へ。横断幕を掲げて迎えてくれたキム・ボンニョさんをはじめとする韓国側スタッフたちとともに、貸し切りバスでサムチョクへ。

サムチョクでは、原発白紙化記念塔を訪問、塔の前に植樹されたばかりの木に、日本からの参加者が少しずつ土をかけました。夕食会でマ・ギョンマンさんらサムチョクの反原発関係者の方々と歓談し、宿舎であるイ・オクプンさん宅へ。

サムチョクでの3日間、韓国の若者たちとともに、海水浴、透明ボート、浜辺での花火、アワビのおかゆづくり、チヂミづくり、美しい海を見ながら走るレールバイクなどを経験しました。

19日は別れを惜しみながらもサムチョクを出発、東洋最大級の洞窟を見学してから、一路ソウルへ向かいました。親しくなったサムチョクの方々との別れで、みんな移動のバスの中では少し肩を落としていました。

ソウルでは、フリースクールのクリキンディセンターを訪問、19日は青少年気候変化訴訟キャンプのメンバーと交流しました。20日から最終日までは、このクリキンディセンターの学生たちと一緒に過ごしました。

20日は学校内を案内してもらい、歌と演奏で歓迎してもらって大感激。みんなもソウルで出会った新しい友人たちと親しくなっていきました。夕方に有名な「ナンタ」を観劇して笑い転げた後は、クリキンディセンターの学生たちと再び合流して夕食の後、南山タワーに上って、そのまま一緒に宿舎へ。

21日はみんなでチョゴリを着て昌徳宮を見学してから、ソウル市役所へ移動してパク・ウォンスン市長と面会しました。その後の自由時間は、いくつかのコースに分かれて思い思いに買い物や観光を楽しみました。夜は、大きな部屋に集まって、楽しいレクリエーションで体と心を緩めてから、この一週間のふり返りを行ないました。最後の夜ということもあり、みんながしゃべったり笑ったりする声が、夜遅くまで聞こえていました。

22日は、「自力で行くことができる北朝鮮に一番近い場所」である臨津閣と、川を挟んで対岸の北朝鮮の町を見ることができる烏頭山(オドゥサン)展望台を訪問しました。臨津閣では、統一を願う布や旗がフェンスにぎっしりと結びつけられてはためいていました。烏頭山展望台に設置された双眼鏡を通して、小学校でサッカーをする子どもたちや自転車に乗ったおじさんが見えてみんなが驚きました。今まさに歴史の転換点にある場所を、韓国の若者たちと一緒に訪問できたことは、あまりにも貴重な経験でした。

金浦空港では涙で別れを惜しみ、再会を誓いあって出国のゲートをくぐりました。それぞれがたくさんの思いを抱えながらも、違いを乗り越えて理解し合う力をいかんなく発揮した日韓の若者たちの姿が、どれだけ印象的だったことか。

引率者である私も、多くのことを学びました。こんなにどうしようもなく閉塞的な日本の状況の中にあっても「大丈夫だ、絶望なんかしている場合じゃないし、絶望する必要もない」と強く感じることができたことが一番大きな収穫だったかもしれません。次の世代のために、あるいは次の世代の人々と何ができるかを深く考えさせられました。

■ 「福島わかもの国際交流キャンプ」を終えて  水戸喜世子

全員がとにかく1週間の長旅を、けがも事故もなく、無事に帰国できたことが何よりうれしいです。

同じ釜のめしっていいますが、サムチョクの小学生のミソン、ヘリャンの姉弟は、サムチョクでの3日間、親元離れて、日本の学生と寝食を共にして、場を盛り上げるのに一生懸命でした。日本語のできる韓国の学生も寝起きをともにして、深夜まで、ギターを奏で、歌い、時には敷き布団の上に腹ばいになって真剣に韓国語を教わる輪ができていたり、韓・日ギターと歌のコラボが実現したり、大人の想像をはるかに超える世界を見せてくれた若者たち。何と楽しかったことか。地元の学生は生活に響くのに、アルバイトの貴重な契約をキャンセルして、海遊び、山遊びに加わってくれる子もいました。

ソウルではクリキンディセンターの学生たちと一緒に、うんざりするような行列の果てに、やっとたどり着いた南山タワーの展望台。人ごみにまみれながら一緒に眺めたソウルの夜空。うんざりするようなことも、笑い飛ばして楽しい思い出に変えてしまう若さに脱帽するばかりでした。だれ一人、表情が曇る場面がなかったと言っても、信じられないかもしれませんね。日本の学生と韓国の学生総勢14人で着たチマチョゴリも、文字通り、文化を肌に感じる体験になりました。

朴元淳ソウル市長とお会いするというのも直前に知ったことで、市長の椅子を譲ってもらった大学生のT君が由来を説明しながら会津若松の「赤べこ」を贈呈する場面あり、Mさんが素直な言葉で福島の体験を語る場面ありで、すべて準備してつくろった行為ではなく、サムチョクからの延長上の、友情に裏打ちされたアットホームな交流の一場面でした。

韓国の人々の平和への思い、南北統一への願いがどんな切実なものか、境界線のぎりぎりまで近寄ることができる地点を訪ねて、少しだけ肌で感じることができました。朝鮮戦争で引き裂かれた離散家族が、再会を願う願いごとが書かれた無数のリボンが川風に揺られている脇には、無数の弾痕が痛々しい鉄の機関車が朝鮮戦争時の姿そのままに置かれていたのです。このとき私は、サムチョクの公園で記念植樹したアスナロの樹の下のプレートの文言が頭をよぎりました。「生命の息吹、平和の翼」《福島青少年らはここを訪れ、脱核、反戦平和の意思を込めて植樹をする》

一番親しい家族さえ引き裂かれた歴史に堪えてきた国の人々。同じ民族の中に軍事境界線を作ることになる原因を作った国である日本を祖国として持つ私たち。そんな日本の若者を温かく迎えてくれている人々がここにいる。「反核・平和を確実なものにして、初めて私たちの友情は安心な状態でいられるのです」とのサムチョクの人々の願いがこもったプレート、アスナロであることを思いました。政治がどんなに揺れようと、草の根の民と民がしっかり友情でつながっていれば、戦争は防げる。戦争をさせられるのは民なんですから。悲しい境界線近くに立っていても、私の心には、希望の灯が灯っていました。韓・日の仲良しになった若者がここにいる!と。もともと、福島の社会に飛び立つ直前の若者を元気づけたいと始めたはずのプロジェクトなのに、今逆に若者に励まされている自分に気づきました。

最後の夜、ふりかえりの時間では、「初めての海外だったから緊張していたが、今は本当に楽しい。どうして韓国の人はこんなにやさしいの?」「このままずっとここにいたい。帰りたくない」「韓国語をもっとしっかり勉強する!」「韓国の歴史の本を読む」が全員から吹き出すようにくり返し語られた言葉です。福島原発事故によってもたらされた負の遺産を背負わされて生きていく彼らにとって、日本の中は、政治をはじめとして、決してやさしい環境とは言えません。彼らが受けて当然の優しさを韓国の人たちが行動で見せてくれました。

福島・韓国わかもの交流という願いを実現してくださった、サムチョクの核電反対委員会の皆さん、円仏教の皆さん、ハジャセンター・フリースクールのスタッフ、住谷章さん、翻訳通訳でお世話になった在日のイ・チョルさん、イ・ドンソクさん、4映像作家の代島治彦さん、そして支援してくださった多くのみなさん、本当にありがとうございました。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.154より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信154号(10月20日発行、B5-28p)もくじ

・NNAF@25 開催のおしらせ(NNAF@25フィリピン実行委)
・シノップ反原発プラットフォーム声明
・プナール・デミルジャン来日講演、トルコ原発候補地の青い海を想う (水藤周三)
・写真展「原発とたたかうトルコの人々」を開催 (森山拓也)
・原発をめぐるトルコの主な出来事 (森山拓也)
・ジャイタプール;10年前から続く平和的な抗議運動 (アヌジ・ワンケデ)
・クダンクラムの人々の声を聞く特別法廷を求める
・福島わかもの国際交流キャンプ in 韓国 <報告> (宇野田陽子・水戸喜世子)
・「韓日 反核(反原発)ツアー」参加報告 (青山晴江)
・西オーストラリアで計画されるウラン鉱山開発に反対する (エリザベス・マレー)
・南オーストラリア州の放射性廃棄物処分場に抗議 (ミッチェル・マディガン)
・老朽被災原発-東海第二の60年運転は許されない (沼倉潤)
・東海第二原発の再稼働をさせてはいけない (玉造順一)
・中国電力は島根原発3号機の適合性審査申請を撤回すべきだ (芦原康江)
・マハティール首相「エネルギー政策で原発を選択せず」

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写真展「原発とたたかうトルコの人々-日本の原発輸出、現地の声は?」

日本が原発輸出を計画するトルコでは、原発への反対運動が40年以上続いています。トルコの人々はチェルノブイリ原発事故による深刻な汚染被害も経験しており、原発に厳しい目を向けています。
原発
に反対するトルコの人々の声や運動の様子を、写真や説明パネルの展示を通じて紹介します。
トルコ写真展チラシ
9 1130
会場:立命館大学国際平和ミュージアム2 階常設展示室内(京都市北区等持院北町56-1
開館時間:9 30 分~16 30 分  見学資料費:大人400
主催:森山拓也
共催:立命館大学国際平和ミュージアム
協力:ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン

 

 

慶州市民の汗と涙が成し遂げた、月城1号機の廃炉決定

「ついに韓水原(韓国水力原子力)は2018615日の理事会で、月城(ウォルソン)1号機の廃炉を決定した。これまでの10年間の廃炉運動が実を結んだのだ」 

イ・サンホン(慶州環境運動連合)

2015年9月7日、「萬人疎」を 青瓦台(大統領官邸)に提出する前に、光化門前で広げる

● 運命の2015年

自分の身体よりも大きいテントを朝夕、背負わなければならなかった。その年、慶州市役所前で始めたテント篭城は、ビー玉のような汗で維持されていた。24時間の篭城を続けるだけの組織力がなかったため、朝にテントを設置し夕方には撤収するということを2015年5月13日から6月22日まで毎日くり返さなければならなかったのだ。こうした労働はひたすら慶州環境運動連合の事務局の役割だった。もう一度やれといわれても今はもう体力的に難しいだろう。

それでも、約2ヶ月間のテント篭城のおかげで、「月城1号機廃炉慶州運動本部」に18の団体が参加することになったし、不可能に見えた「萬人疎」(後述)を短期間で奇跡的に実現することができた。こうした達成感がなかったら、おそらく私たちは絶望を前に挫折していたに違いない。

私たちを絶望的にさせた出来事は、2015年2月27日の明け方に起きた。廃炉を訴え続けてきた月城1号機に対して、原子力安全委員会(以下、原安委)が再稼動を決定したのだ。

当時、月城原発周辺の住民は、原安委の会議が開かれる日には必ず貸切バスで上京し、原安委のある光化門KTビル前で集会を開いていた。会議の開かれる10時に合わせて到着するには、明け方3時には慶州を出発しなければならなかった。1月15日はバス1台、2月12日はバス5台、2月26日はバス3台が、慶州とソウルを往復した。2月26日の上京の際には、住民が朝ごはんとして準備した生わかめを食べた。闘争資金が底をつき、節約するためには安価で飽満感が得られる生わかめが最適だった。

1,000人余りの住民が月城原発の前に集まり、廃炉を要求する集会を開いたこともあった。この期間、慶州環境運動連合の会員は3種類のビラ合計16,000枚を配るため街中を練り歩いた。

しかし月城1号機は、再稼動という地獄の門に向かって走ることとなった。絶望と憤慨の入り混じった2015年2月27日だった。

チェルノブイリ原発事故29周年をむかえ、全国の脱原発市民が、4月25日、慶州に集まった。約500名が慶州駅を出発し、山のような王の墓(古墳)を経て瞻星台(韓国の国宝第31号で、新羅時代に建造された東洋最古の天文台遺跡)までの2.5キロを行進した。

チャン・ソイク先生が演出する、色々な人形や仮面を利用した脱原発行進は、全国単位の大きな脱原発行進では必ず見られる名物として今では当たり前になったが、当時としては、めずらしい演出だった。街を歩く市民たちは、足を止め目を見張った。

この行進の成功は、慶州地域の脱核運動に大きな力を与え、「月城1号機廃炉慶州運動本部」結成へとつながった。

熱気は、裁判にも現れた。月城1号機寿命延長無効訴訟(以下、無効訴訟)に、慶州市民210人が参加した。訴訟の原告になる手続きとして、訴訟費1万ウォンと住民登録抄本の提出が必要だ。ソウルではないここ慶州で、210人もの人が原告になったことは、市民が動き始めた証だった。

全国的に2,167人の原告が集まり、2015年5月18日、ソウル行政法院に訴状が提出された。慶州市民が原告の約10%を構成した。長い法廷闘争の序幕が上がった。

法廷闘争が始まったころ、慶州地域の市民社会団体などは、「月城1号機廃炉慶州運動本部」を結成し、5月13日から市役所前でテント篭城を始めた。このテント篭城と合わせて始めた大衆運動が、「萬人疎」だった。

市民の意思を凝集するためにはテント篭城だけでは足りず、できることは署名運動以外に思い浮かばなかった。仕方なく署名運動を始めようとしたところ、当時、慶州環境運動連合の共同議長であり、現在は慶州文化院の院長であるキム・ユングン先生が、「萬人疎」を提案してくださった。「萬人疎」は、朝鮮時代の安東地域の儒生たちが政府の政策に反対するために1万人の署名を集めたことに由来する。

一般的な署名とは違い、大きな韓紙に筆で名前を書き拇印を押す。こうして集めた韓紙の署名72枚をつなぎ合わせて、「萬人疎」が完成した。72枚を張り合わせるのに3日かかった。長さは90mを超え、10,181人の真心が込められていた。大きな韓紙、筆、朱肉を持ち歩き集めた署名に、5月13日から7月13日までのわずか2ヶ月で、1万人以上の慶州市民が署名したのである。まさに奇跡のような出来事であった。

7月29日、慶州市役所前で「萬人疎」を披露する式を挙げたあと、9月7日にバス1台でソウルへ上京し、光化門で野外記者会見を行ない、青瓦台(大統領官邸)に「萬人疎」の写しを提出した。こうして、慶州市民は、月城1号機廃炉のために一直線で運動をくり広げていくこととなった。

● 2015年以前

月城1号機廃炉運動の歴史は9年前にさかのぼる。2009年4月1日、慶州市役所前で開催した記者会見がその始まりだ。当時、慶州の市民社会団体などは、月城1号機の圧力管差し替え中止を要求していた。キャンドゥー炉(重水炉)である月城原発の圧力管は、一般の原発の原子炉に該当するものだ。

月城1号機は、1982年11月21日に稼動を開始したので、2012年11月20日が寿命の30年が終了する日だ。ところが、寿命を3年8ヶ月残した2009年4月1日、圧力管差し替え工事が始まったのだ。工事費は6000億ウォン(約600億円)。工事の期間を除くと約2年しか稼動させない原発に、6000億ウォンの費用をかけるというのは常識的に考えて理解できないことだった。

慶州の市民社会団体などは工事に反対し寿命延長の中止を要求したが、発電所側は寿命延長とは無関係の工事だと言い張った。しかし後日、ソウル行政法院は、この圧力管差し替えが寿命延長のための工事だったとの判決を下した。一方、韓国水力原子力(以下、韓水原)は未だに立場を変えていない。

2011年6月23日、現地集会で住民たちが月城1号機の模型を燃やして廃炉を要求

その後も寿命延長に反対する声は続いたが、社会的に大きな注目を集めることはできなかった。ところが2011年3月11日、福島原発事故が発生し、老朽原発に対する社会的関心が爆発的に高まった。そのために、月城1号機の寿命延長のための審査が無期限で延長となり、再稼動の承認を受けられないまま、2012年11月20日を迎えた。

当然、発電所の稼動は中断した。寿命の期限100日前からは、慶州市役所前で「月城1号機寿命期限D-100」一人デモ・リレーが始まった。高校生から老人まで慶州市民100人が参加した。そして、D-DAYには慶州地域の市民社会団体が集まりパーティーを開いた。

その年の冬、18代目の大統領選挙で有力候補たちが月城1号機の再稼動の可否を決定すると公約した。月城1号機の寿命延長の審査は長引き、そのためのストレステストが2年近く行なわれた。切羽つまった政府は結局、15年2月27日、強引に寿命延長を決定した。

● 2015年以降

ソウルでの集会、無効訴訟原告募集、テント篭城、「萬人疎」署名運動などの活動を通じて、慶州地域の月城1号機廃炉運動は2016年度にも継続し拡大していった。福島原発事故5周年に合わせて大邱(テグ)・慶北地域の脱原発大会が慶州で開催され、大小のキャンペーンが実施された。

そうしたなか、マグニチュード5.8の慶州地震が16年9月12日に発生し、月城1号機の廃炉運動は新しい転機を迎えた。地震の恐怖のために家に帰れないと言って公園にテントを張って野宿する市民が、最も恐れていたのは万一起きるかも知れない原発事故だった。老朽原発である月城1号機に対する憂慮は大きかった。

廃炉を要求する記者会見、車両デモなどが連日くり返された。市民社会団体などが記者会見を開催すれば一般市民がSNSなどを通じて情報を共有し数十人が参加するなど、運動に力を与えてくれた。慶州環境運動連合の会員も増えた。市民社会団体の連帯組織として「脱核慶州市民共同行動」を新しく組織し、9月26日から12月23日まで慶州市内のあちこちで一人デモなど様々なキャンペーンを行なった。こうしたなか、脱原発の全国組織である「核のない社会のための共同行動」が「さよなら原発100万署名運動」を発起した。 慶州地域の市民社会団体も10月からこの署名運動を積極的にくり広げた。

16年10月22日、新羅百貨店前で「さよなら原発100万署名運動」

その年の冬、朴槿恵(パク・クネ)-崔順実(チェ・スンシル)の国政汚職を糾弾する全国的なろうそくデモがくり広げられた。慶州駅の広場も市民の熱い熱気が上がった。社会的な課題がろうそくデモの場に集められた。私たちは、ろうそくデモの熱気のなかで月城1号機の廃炉を訴えた。

ろうそくデモは勝利をおさめ、朴槿恵は弾劾された。弾劾により2017年の早期に大統領選挙が行なわれることになり、次期大統領選に時期を合わせて始めた「さよなら原発100万署名運動」も中途で署名者数の統計を出すこととなった。合計338,147人の国民の署名が集められ、そのうち慶州市民の署名は8,198名で、人口比で見ると全国で一番多くの署名が集められた。これは、慶州市民の月城1号機の廃炉の願いが大きいことを表していた。

ろうそくデモの力が燃え上がるなか、ソウル行政法院は、2017年2月7日、月城1号機の継続運転許可処分を取り消すという歴史的な一審判決を下した。
さらに、5月の大統領選挙で文在寅(ムン・ジェイン)氏は、月城1号機の廃炉を公約として掲げ、当選した。

そして、ついに韓水原は、2018年6月15日の理事会で、月城1号機の廃炉を決定した。これまでの10年間の廃炉運動が実を結んだのだ。

しかし、これだけでは充分ではない。大統領の公約である「原発の寿命延長の禁止」が一日も早く法として制度化されなければならない。

月城1号機の廃炉とは別に、無効訴訟の控訴審の裁判が続いている。原安委が控訴審を取り下げるか、あるいは2,167人の原告が最終的に勝訴するとき、本当の意味で、原発廃炉への新しい道が切り開かれるのだ。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.153より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信153号(8月20日発行、B5-24p)もくじ

・慶州市民の汗と涙が成し遂げた、月城1号機の廃炉決定 (イ・サンホン)
・台湾第四原発で呉文通さん楊貴英さんに会う (さとう大)
・台湾における原発推進派の巻き返し (陳威志)             
・英ウェールズ・アングルシー島での原発反対運動に福島から応援団 (大倉純子)
・原発に関するトルコでの報道 (森山拓也)
・東電刑事裁判 ― 驚くべき新事実も次々明らかに (佐藤和良)
・東海第二原発の20年運転延長を認めない!~首都圏連絡会のとりくみ~
埼玉県議会の意見書に抗議する県民のとりくみ (白田真希)
・島根原発3号機「新規稼働」申請と周辺自治体の権限を考える (水藤周三)
・ほろのべ 核のゴミを考える全国交流会 報告 (衛藤英二)

年6回発行です。購読料(年2000円)
見本誌を無料で送ります。事務局へ連絡ください
sdaisukeアットマークrice.ocn.ne.jp

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★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

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★『ノーニュークス・アジアフォーラム(1993~2016)全記録DVD』
PDF 4996ページ
・インドネシア・台湾への原発輸出反対運動の記録他
・国別目次をクリックすると記事に飛べます

■ ノーニュークス・アジアフォーラム通信(No.1~144)
■ ストップ原発輸出キャペーン通信
■ 第1回NNAF報告集(全国28ヶ所で集会。高木仁三郎・藤田祐幸・金源植など各国からの発言)
■ 神戸・環太平洋反原子力会議報告集
■ 第8回NNAF報告集

定価10000円 (NNAFJ会員価格3000円)送料共
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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) http://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01