各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況
■ インタビュー/エミリー・ファハルド
「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」
■「脱核を成し遂げよう」佐藤大介・小原つなき
■「原発輸出に血眼の韓国は加害者」イ・ホンソク


ヨン・ソンロク(脱核新聞編集委員)  脱核新聞10月号より


今年で30周年を迎えた反核アジアフォーラム(NNAF/No Nukes Asia Forum)が、9月19日から23日までの5日間、韓国で開かれた。20回目となる今回のフォーラムには、韓国をはじめ、日本、インド、台湾、タイ、オーストラリア、フィリピン、トルコ、8ヵ国が参加した。海外参加者は29人だ。フォーラム参加者らは、2025年の反核アジアフォーラムの開催地を台湾に決定した。

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況(ヨン・ソンロク

2023反核アジアフォーラムは9月19日、ソウルのカトリック会館で開会式を行った。開会式でヤン・ギソク神父(韓国組織委員会共同委員長)は「ノーニュークス・アジアフォーラムを30年間率いてきた日本事務局の佐藤大介さんをはじめとする皆さんに感謝と尊敬の気持ちを伝える」と述べた。さらに、「韓国の反原発運動がきちんと根を下ろしていなかったとき、日本の反原発運動家たちとノーニュークス・アジアフォーラムが大きな力になったという話を聞いた」とし、「これからは韓国でもアジア各国の反原発運動の力になれる方法を模索する」と話した。さらに、「原発は絶えず差別と不平等を生む」とし、原発による住民の健康被害と、絶え間ない抵抗について言及した。

佐藤大介反核アジアフォーラム日本事務局長は挨拶で、「ノーニュークス・アジアフォーラムの30年間は、人々のたたかいの歴史のたった1ページですが、たしかな1ページです。アジアの各地で、人々は原発を進めようとする支配者たちとたたかってきました。それは、民主主義を求めるたたかいとつながっています」と述べ、また、都市住民は、原発周辺の住民に対して加害者の立場、原発輸出国の住民は輸出相手国の住民に対して加害者の立場にあると話した。彼は、放射能の加害者にならないために、原発周辺の住民、輸出相手国の住民と手を組んでたたかう責任があると話した。そして、汚染水を海洋投棄する日本は放射能の加害国になってしまったとし、日本で反対運動を続けると話した。


初日、ソウルで開かれたフォーラムでは、各国の参加者が国別の原発状況を発表した。オーストラリアではウラン採掘による先住民族の被害が大きく、地震国トルコでは原発建設が続けられている。フィリピン、インドでは原発反対の闘いの過程で多くの犠牲者が発生した。日本、韓国などは原発輸出に長い間努力を傾けている。タイは最近、米国と手を組んでSMR(小型モジュール原子炉)を計画するとしている。
台湾は、長年の運動が実を結び、2025年に原発ゼロを実現する。


初日のテーマ別セミナーでは、「福島原発汚染水問題」「アジアの核兵器と平和」「気候危機と原発」をテーマに討論した。


2日目、釜山では、日本領事館前で福島汚染水の海洋投棄中止を訴える記者会見を行った。その後、密陽送電塔反対住民が参加するなかで、「原子力と国家暴力」「老朽原発寿命延長」をテーマにフォーラムを進行した。翌日午前にはコリ原発がある現地で「原発と住民被害」について共有した。


21日、蔚山(ウルサン)では蔚山市役所のプレスセンターで老朽原発の寿命延長中止を求める記者会見を開き、「使用済み核燃料処分問題」などのテーマでフォーラムを開いた。蔚山記者会見はいつにも増してマスコミ各社の取材熱気が熱かった。


22日、慶州と月城(ウォルソン)原発前で、「低線量被曝と住民健康被害、甲状腺がん訴訟」をテーマに討論し、その後、蔚珍(ウルチン)原発と、住民投票で原発建設計画を白紙化した三陟(サムチョク)の「原発白紙化記念塔」を訪問し、住民と交流した。


23日にはソウルで3万人の「9.23気候正義行進」に合流した。夜は、反原発・脱原発の青年活動家たちが交流会を開いた。


多くのマスコミが反核アジアフォーラムを取材して報じた。

2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会には43団体が参加した。フォーラム準備と進行、通訳と翻訳などには韓国組織委員会の多くの活動家などが格別な努力を傾けた。釜山、蔚山、慶州での集会は、地域の脱原発団体が準備して進めた。蔚珍と三陟では、現場を見学し交流するプログラムを実施した。ソンミサン学校の生徒たちもフォーラム全体の日程を共にした。韓国の原発地域の問題とアジア各国の反原発運動に接し、反原発運動の理解の幅を広げた。

■ 「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」インタビュー/エミリー・ファハルド(Nukes Coal-Free Bataan)

「原発地域住民の話を直接聞くことができた良い機会だった。いつも悲しい話だが、住民たちの要求を無視する韓国政府と原発会社に対抗して、今も自分の権利のためにたたかっているのは感動的だ。また、三陟(サムチョク)地域住民の闘争と勝利の話、慶州月城原発に反対する住民たちが続けている抗議行動と籠城テントに感動を受けた。

今回のフォーラムで最も印象深かったのは、多くの若者たちが参加する姿に接したことだ。若者たちと一緒に過ごしたことは楽しみとインスピレーションの源となった。
ノーニュークス・アジアフォーラムを続ける次世代人材を確保することが重要だ」  *抜粋

■ 「脱核を成し遂げよう」9・23気候正義行進の集会での発言/佐藤大介(反核アジアフォーラム日本事務局)、小原つなき(脱核新聞編集委員)

私たち日本人は、汚染水の海洋投棄を防ぐことができませんでした。日本はアジア諸国を侵略、植民地支配しましたが、今度は放射能の加害者になってしまいました。日本人の一人としてお詫び申し上げます。汚染水の海洋投棄を止めるために、今後も日本でも、反対し続けます。

1993年に発足した反核アジアフォーラムは、今年で30年目です。今回のフォーラムは、5日間の日程で、ソウルで会議を開いた後、釜山、古里、蔚山、慶州、蔚珍、三陟に行ってきました。韓国以外では、日本、台湾、フィリピン、タイ、インド、トルコ、オーストラリアから、29人が参加しました。


アジア各地の人びとは30 年以上、原発を推進する勢力と闘ってきました。脱原発運動は民主主義を求める闘いでもあります。


今、世界中で気候正義と脱原発を求める声が高まっています。原発は気候危機の解決策ではありません。事故の危険性と核廃棄物問題を抱えている原発は、差別と不平等を深め、むしろ再生エネルギーの拡大を阻みます。気候危機を口実にした「老朽原発の寿命延長と新規原発建設」に反対するアジア各国の脱原発運動に共に連帯してください。


私たちは、原発に対抗し続け、最終的には勝利するでしょう。それが歴史の必然です。しかし、できるだけ早く勝利しなければなりません。チェルノブイリや福島のような大事故が繰り返される前に、原発を終わらせなければなりません。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。私たちの子孫のために、一緒に脱原発を実現しましょう。脱核!

*영상映像(4分)
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0KaurFAqYh9jcR6iYL7tBToDSCXzFkMJRfsyCRYervM965xy43rq7zh5mVRZFAMdFl&id=100000477953354&mibextid=CDWPTG

* 佐藤大介さんは、反核アジアフォーラムの開始からこれまで日本事務局を担当・運営しており、事実上、全体事務局の役割も果たしている。アジア各国の反原発運動の情報を収集・発信し、30年間行われた反核アジアフォーラムを記録・整理して資料化している。(ヨン・ソンロク)

■ 原発輸出に血眼の韓国は加害者/イ・ホンソク(2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会)

7月、産業通商資源部は2027年までに約5兆ウォン規模の原発設備海外受注プロジェクトに挑戦すると明らかにした。同計画は、2030年までに原発10基を輸出するという尹錫悦政府の目標の一環だ。主事業者に選定されなくても、原発の周辺機器など各種設備プロジェクトに参加して、関連中小企業100社を育成するということだ。

09年UAEの原発受注後、韓国は海外原発建設プロジェクトに応札を続けている。しかし、いまだに、原発輸出問題は韓国の脱原発運動内部ですら注目されていない。


今年、反核アジアフォーラムを準備する際、海外の脱原発活動家から韓国の原発輸出計画の情報を求める要請を何度も受けた。


現在、事業者を選定中のトルコ原発建設事業に参加するため、韓電社長から尹錫悦大統領までがトルコに売り込み工作を行っている。タイには、韓国原子力研究院が研究用原子炉の輸出計画を推進している。韓国原子力研究院は、2009年にヨルダンへの研究用原子炉輸出に合意した後、釜山機張郡に輸出用新型研究炉の建設を進めている。


タイの仲間から、タイへの原発輸出計画について質問された。基本的な情報を伝えたが、「韓国ではまだ、本格的な原発輸出反対運動はない」とは言えなかった。


社会運動の進歩派から「原発輸出計画に反対するのは難しい」という声も聞いている。


脱原発運動の基本は「核のない世の中を作ること」であり、国内と国外を分けない。力量の問題で海の向こうの全ての国の原発に反対運動を展開することは難しいが、少なくとも、韓国が関与する海外核施設プロジェクトは韓国の脱原発運動の役割だ。


海外の脱原発活動家と専門家の助けがなかったら、国内の脱原発運動はここまで来れなかっただろう。


今回の反核アジアフォーラムは、多くの団体や各原発地域の人たちが一緒に準備して進めた。組織委員会執行委員長として足りない点もあったと思うが、世界5位の原発大国であり原発輸出国である韓国の脱原発活動家の視野が、反核アジアフォーラムを通じて一層広くなったことを願う。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信185号
(23年12月20日発行、B5-32p)もくじ

・各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流
  ― 2023反核アジアフォーラム、盛況 ― (ヨン・ソンロク)        
・「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」 (エミリー・ファハルド)
・「脱核を成し遂げよう」 (佐藤大介・小原つなき)             
・原発輸出に血眼の韓国は加害者 (イ・ホンソク)              
・核を越えて、平和のアジアのための青年活動家交流会 (コン・ヘウォン)   
・老朽原発と核廃棄場のない釜山へ (ミン・ウンジュ)            
・霊光ハンビッ1・2号機の寿命延長に反対する (小原つなき)        
・2023 NNAF釜山声明 「アジアの人々が連帯して核汚染水の海洋投棄に抗議し、
           核を超えて、生命と平和の世界へ」         
・2023 NNAF共同声明 「核を越えて、生命と平和のアジアへ!」       
・原発事故12年目の避難指示エリア 〜 抵抗する人びと (豊田直巳)     
・「脱核アジア連帯30年」 「韓国でNNAF第20回フォーラム」 
「アジアの脱原発運動30年、佐藤大介さん」 23.12                     
33年、未だに終結しない、オンカラック研究炉建設計画           
・柏崎刈羽原発再稼働 もってのほか! (小木曽茂子)            
・女川原発再稼働差止訴訟控訴審 (日野正美)               
・上関町民を苦しめ続ける中国電力を許さない (渡田正弘)         
・「原発のないふるさと」を語り継ぐことの大切さ (山中幸子)        
・東海第二原発の再稼働を許さない 11.18首都圏大集会 (小山芳樹)     
・「12.3とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会」に全国から結集、暴走止めよう!と誓った (橋田秀美)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
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33年、未だに終結しない、オンカラック研究炉建設計画

(สื่อคุณภาพของคนรุ่นใหม่ที่คัดเลือกประเด็นอย่างพิถีพิถัน ส่ใจในบทสนทนาและความจริงของผู้คนทุกชนชั้น
THAI PUBLIC BROADCASTING SERVICE 11.16)

オンカラック住民たちが公聴会を「粉砕」、9月10日

タイ・オンカラックで研究炉建設計画を推し進める関係機関は、「この研究用原子炉は集落に影響を及ぼさない」というデータを発表した。地域の住民は明確さを求め、反対を申し立てている。

「抵抗する考えの人はたくさんいると思います、原子炉をここに持ってきてほしくない。住民の苦しみが増します。その責任を誰がとるのですか」


オンカラックの農民、マーノップ・ケーオサリーさんの心配に満ちた声だ。彼は、何十年も、魚を飼い、田を耕し、えびを養殖してきた。彼の住む家は、オンカラック国家原子力技術研究所から1キロも離れていない。


マーノップさんは、国家原子力技術研究所の、医療、農業、工業のための新しい研究炉建設計画に反対する住民の一人だ。その原子炉は、オンカラック郡サーイムーン地区に招致、建設が計画されている。しかし、それはまた30年以上の長きにわたる住民からの反対という問題を切り離すことができない。


タイには、すでに研究用の原子炉がある。医療用ラジオアイソトープ(放射性同位元素)を生産するためのもので、バンコクのバーンケーンに建てられ、研究、医療、農業、工業、すべての分野で使うために1962年から稼働を始めた。


だが、この原子炉は1975年に1000kWから2000kWに改造されたが、能力に限界があった。そこで新しい研究炉を建設する計画が持ち上がったが、都市部の膨張でバンコクのバーンケーンに建てることは、もはや妥当ではなくなってしまった。


1990年、1万kW規模の新しいものを建設する案が内閣から出された。ナコーンナヨック県オンカラック郡サーイムーン地区が狙いをつけられ選ばれた地点だった。しかし、建設計画は、地域住民と研究者たちの反対のすう勢から中止をよぎなくされた。


2017年になり、再度、建設計画がもちあがった。このプロジェクトは3回もどってきたことになる。能力も2万kWに拡張され、公聴会も、第1回(2018年)、第2回(2019年)と開かれた。


そして、3回目の公聴会が、2023年9月10日に行われたが、地域住民の抵抗にあって、最終的にこの会は「流会」になった。


反対派ネットワークのリーダーの一人であり、ナコーンナヨック市民協会会長の医学博士スティ・ラッタナモンコンクン助教授は、「この研究炉建設計画は地域の住民にずっと反対されてきました」と語った。


「大きな問題の1つは、すなわち、建設地がナコーンナヨック川の近くに位置するということです。地域住民は、ナコーンナヨック県をバンコクやその隣接県の人々が心をなごませ休養に来るオアシスのような役割を担う所にしておきたいのです」


「オンカラックが研究炉の立地にどう適しているのですか、私たちの質問に答えてください。これだけは答えていただきたい。僕はこうくりかえし3回訊きましたが、彼らは何も答えませんでした」


 3回目の公聴会が「流会」になった後、ナコーンナヨック市民協会とナコーンナヨックの自然遺産を愛する人達のネットワークは共同して、オンカラック郡11の全地区で、このプロジェクトに反対する民衆の署名を集め、その8212名の署名付き書簡をタイ工業連盟(FTI)会長に申し入れた。また、次の機会にはナコーンナヨック県知事あてに書簡を提出する予定をしている。


(原文タイ語、翻訳:吉田かずみ)

【本『原発をとめるアジアの人びと』より】

1998年のNNAFのバンコクでの会議には、研究炉建設計画がもちあがっていたバンコク近郊のナコンナヨク県オンカラックの村人たちも参加した。96年に、応札した複数の海外企業の中からアメリカのゼネラルアトミック社が落札した。オンカラックは豊かな農業地帯であり、灌漑設備が非常に発達していてエビや魚の養殖も盛んである。予定地から4キロ以内に4つの学校と1つの病院がある。突然の研究炉計画は、地域の人々の不安をかきたてた。

2000年3月にはオンカラックから700人の村人たちが10台のバスを連ねてバンコクの科学技術省前につめかけ、激しい抗議行動をくり広げた。「コバルト60事故に対応できなかった原子力庁が、1万kWの研究炉を安全に運転することなど不可能だ!」と抗議の声を上げた。科学省副大臣が村民代表と非公開の協議を行ない、「地元が反対している限り、政府は研究炉の建設を許可しない」との念書にサインさせた。

ノーニュークス・アジアフォーラム 韓国 報告会『韓国の原発推進と、福島原発事故の今、そして汚染水問題』

お話:藍原寛子
(福島市在住ジャーナリスト。今回の「ノーニュークス・アジアフォーラム in 韓国」の記事を週刊金曜日10月27日発売号に掲載)

11月25日(土)14:30-(14:00開場)
大阪市立総合生涯学習センター第7研修室(大阪駅前第2ビル5F)

チラシPDF両面印刷 → https://nonukesasiaforum.org/japan/20231125pdf

第20回ノーニュークス・アジアフォーラム in 韓国 ダイジェスト

韓国のスタッフ・通訳のみなさん、ソウル・釜山・蔚山・慶州・月城・蔚珍・三陟のみなさん、
ありがとうございました!

9月20日、プサン

日程

9月19日
ソウル会議:NNAF開会式
各国報告(台湾、フィリピン、インド、ベトナム、オーストラリア、韓国、タイ、トルコ、日本)
セミナー1. 福島原発汚染水問題
セミナー2. 核兵器と平和
セミナー3. 気候危機と原子力産業、原発輸出

9月20日
プサン記者会見 :「福島原発汚染水投棄反対」(日本領事館前)
プサン集会 : 1. 原子力と国家暴力・住民闘争(密陽ほか)、文化公演、

      2.老朽原発寿命延長(対馬報告も)

9月21日
古里(コリ)原発、セミナー :「コリ原発の歴史など」
蔚山(ウルサン)市庁で記者会見
蔚山集会 : 1. 使用済み核燃料処分問題 2. 各国の反原発運動の経験

9月22日
慶州(キョンジュ)集会 :「韓国の甲状腺がん訴訟」
月城(ウォルソン)原発前で集会 :「放射能被害住民の移転問題」
蔚珍(ウルチン/ハヌル)原発 :「住民との交流」
三陟(サムチョク)原発白紙化記念塔 :「三陟対策委と交流会」
「三陟の原発・核廃棄物処分場反対運動の歴史と石炭火力発電所新設反対運動」
宣言文と次回NNAFについて討論

9月23日
ソウル「9.23気候正義行進」
(3万人集会・デモ、脱原発を訴える!)
青年活動家交流会 


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主催:NNAF韓国組織委員会(エネルギー正義行動、グリーンコリア、正義党、脱核慶州市民共同行動、脱核釜山市民連帯、脱核新聞、脱核蔚山市民共同行動、YWCA連合会、環境運動連合など、43団体)

セウル1.2.3.4号 = 新古里3.4.5.6号
(日本経済新聞 23.7.19 より)

ソウル会議 「30年の活動を評価し、新しい30年を築くきっかけに」

設立から30年目を迎えた今年、NNAF は9月19日、ソウルの中心地、明洞にあるカトリック会館で開幕した。コロナ禍を経て4年ぶりの再会となり、各国の脱原発活動家や韓国の市民らは開催の喜びを実感するとともに、アジア各国の脱原発の最新情報と課題を共有。引き続きNNAFのネットワークの連帯を強め、よりアクティブにアジアの原発ゼロをめざすことも再確認した。

会議はイ・ホンソクさん(エネルギー正義行動)の司会で始まった。パク・ミギョンNNAF韓国組織委員会・共同委員長は、「現在のユン政権は、反対する住民の意見を無視して、原発の運転を60年まで延長しようとするなど、原発ルネッサンスを進めている。福島原発が私たちに警告したように、原発事故では危険が予測できず、コントロールもできない。原発を廃止することこそが、事故を防ぐ唯一の道だ。原発や核なきアジア、生命を守り平和を築くアジアの実現に共にとりくもう」とあいさつした。

佐藤大介NNAF日本事務局長は、NNAFの30年間の活動を振り返り、「アジアの各国で原発を進めようとする支配者たちに対する人々の闘いの歴史の1ページであり、民主主義を求める闘いだ」と語った。そして「都市の住民は原発近くの住民に対して加害者の立場であり、原発輸出国の住民は輸出先国の住民に対して加害者の立場にある。汚染水を海洋投棄する日本は加害国になった」「すでに世界中どこでも原発は産業として成り立たなくなってきた。私たちアジアの人々は闘い続け、最後は必ず勝利する。それが歴史の必然だ。素晴らしい仲間たちと、お互いに学び合い、励まし合って頑張ろう」と述べた。

続いて、ヤン・ギソクNNAF韓国組織委員会・共同委員長が基調講演に立った。「この30年間、皆さんの精力的な活動がなければ、韓国をはじめ、アジア各国には、より多くの原発が建っていた。米国スリーマイルやソ連のチェルノブイリ、日本の福島で甚大な原発事故が起きたにも関わらず、原発を推進する各国政府や産業界は、『原発は安全で安価だ』『気候危機の代案だ』という話をくり返している。しかし『核なき世界』の実現にとりくむNNAFの皆さんの献身的な努力のおかげで、原発は安全ではないということに人々は気づくようになり、新規原発の数は減少している」とNNAFの活動を称えた。

そして「原発を増やそうとする一部の国の動きがあり、その代表格が韓国だ。25基の原発が稼働し、18基の寿命延長だけでなく、小型原子炉(SMR)の研究開発や、トルコやフィリピンなどへの輸出の動きが出ている。韓国で稼働する原発周辺では、甲状腺がん、健康上の問題が起き、『我が体が証拠だ』と脱原発の訴えが出たが、政府と原発産業側は因果関係を認めず、裁判所も被害を認めなかった。しかし、明らかに被害があり、今でも大勢の人たちが放射性物質にさらされている。福島原発から海洋放出された汚染水の問題も一緒。福島の漁民と、日本の国民、周辺国の我々の心配、憂慮にも関わらず、汚染水放流が強行された。生物蓄積、生態系や未来世代に悪影響を及ぼすだろう。原発は、健康被害や処理できない廃棄物問題で、差別と不平等を絶えず作り出す。戦争でも攻撃の標的になる。安全な原発など存在しない。これまでの30年の活動を評価し、新しい30年を築くきっかけになったらと思う。核なきアジアの実現に向け、共に頑張ろう」と話した。


この後は、各国報告。
台湾のリン・チェンイェンさん(緑色公民行動連盟)、リン・シュエユアンさん(環境保護連盟)は、日本が輸出した第四原発の廃止を含め2025年5月に原発ゼロが実現することになった脱原発運動の状況と、福島の汚染水海洋放出に対する反対運動について報告した。
また、エミリー・ファハルドさん(フィリピン)、ヴァイシャリ・パティルさん(インド)、エイドリアン・グラモーガンさん(オーストラリア)、吉井美知子さん(ベトナム報告)、プラソン・パンスリさん(タイ)、プナール・デミルジャンさん(トルコ)、藤本泰成さん(日本)らが報告。

そして、福島原発汚染水問題、核兵器と平和、気候危機と原子力産業・原発輸出について、それぞれ報告とディスカッションが行われた。菅波完さん、湯浅正恵さん、川瀬俊治さん、豊田直巳さんらも登壇、意見を交わした。

(藍原寛子) 

プサン記者会見(汚染水投棄反対)、プサン集会(原子力と国家暴力、老朽原発寿命延長、対馬)

20日朝、KTXに乗り、2時間半かけてソウルからプサンへ移動しました。駅構内の食堂へ。キムチやスンドゥブなど何種類かメニューが置いてあり、自分で好きなだけ取るビュッフェスタイル。個人的にはおかゆがとても美味しく、お代わりしました。

その後記者会見現場に徒歩で移動。大きな交差点に、大きな銅像。誰だろう? 聞くと、秀吉の朝鮮侵略時に活躍した鄭撥(チョン・バル)将軍だそうです。その銅像の前が会見場所です。現地に到着すると韓国の警察らしき男性が何十人も待機しています。さっきの緩やかさから一変、物々しい雰囲気に包まれますが、こういった市民活動をされている皆さんは慣れた様子。


大きなプラカードを後ろで若い子たちが持ってくれています。その前に、私たちは3列に並びました。道行く人、路線バスで行き交う乗客、様々な視線を浴びながらマイクが次々に変わり、それぞれの国の参加者が思いを語ります。日本からは菅波さんがアピール。福島原発の汚染水投棄に抗議する声明が次々と出され、我々もシュプレヒコールを挟みます。


アジアから大勢の人が集まって、違う言語で同じテーマで主張をする、このことがとても印象に残っています。


記者会見会場から次の集会場所に向かう途中で「草梁」という地名を通りました。この地名に、自分は覚えがありました。江戸時代の対馬藩は、幕府から朝鮮との外交権を委託されていましたが、その外交するための日本人居留地を「草梁倭館」と呼び、常時対馬藩士が500名、草梁倭館に居住していました。現在、草梁に日本領事館があります。領事館のすぐ前には、大きな話題になっている「少女像」が、今も凛として前を向いていました。

集会では、「原子力と国家暴力」のテーマで、密陽の送電塔建設反対住民闘争や、各国の住民の闘争が語られ、「老朽原発寿命延長」問題では、プサンの方々がコリ原発、小原つなきさんがヨングァン原発(ハンビッ原発)、杣谷健太さんが川内原発、それぞれ寿命延長反対運動を報告しました。


会場で渡された分厚い冊子(予稿集)と、同時通訳を聞きながら何時間も座っているのは、皆さん相当に気力体力を消耗するものですが、会場では常にそれを続けるだけの栄養と甘いお菓子が用意されています。


私も10分ほどスピーチして、核ゴミ誘致に揺れる対馬の現状を伝えました。自分から見える対馬の現状ということで、自分なりに一生懸命考えたものが、これで良いのかも正直わからなかったのですが、スピーチが終わった後、とても大きな拍手をいただきました。

集会の合間に、韓国の小さな女の子たちがスルスルとステージに上がり、ギターに合わせて歌を歌ってくれました。それも、核のない世界を望む歌! ステージから女の子たちが降り、「これで終わりかな?」と思ったのもつかの間、女の子たちが会場にいる全員に対して音楽の中やさしいハグをしてくれました。これには私たちも大感激。自分も感動のあまり涙が出ました。


今回、初参加で右も左もわからない状況の中、周りの方々に助けられながらもやっとフォーラムについてこられました。フォーラムに参加されている方はみなさん、意思と意見をしっかり持ち、優しさと体力を兼ね備えた方ばかりでした。


核のない世界に切り替わるまで、世代を超えて私たちは主張を続けるでしょう。貴重な機会を経験させていただき、ありがとうございました。

(諸松瀬里奈/対馬の未来を考える会)

コリ原発(コリ原発の歴史など)

「原子炉から住宅街まで700メートルしか離れていません」。古里(コリ)原発1~4号機の敷地と住宅地を区切るフェンス沿いの道をバスで通過する際、現地スタッフから説明があった。「東海村と似ているな」。頭には原発敷地を出るとすぐに住宅地が広がる東海村の様子が思い浮かんだ。

現地視察当日の21日は、あいにくの小雨。コリ原発1~4号機が見えるカフェに向かう。カフェの目の前は海で、何艘もの小さな船が波に揺られている。昔から港だと思っていたが、以前は砂浜だったという。説明してくれた女性チョン・スヒさんは言う。「この集落には、鉄道も、外国船が来る港もあり、豊かだった。しかし、原発が建設されて釜山で一番貧しい地域になった」

川内原発(鹿児島県薩摩川内市)と同じだ。川内原発から一番近い滄浪(そうろう)小学校は廃校に。市中心部の商店街も活気を失っている。「地域振興のために原発を」。その掛け声が虚しく響く。


川内原発と同じ状況にあるのは、地域の姿だけではない。川内原発を運営する九州電力は20年の延長運転を申請し、現在、原子力規制委員会で審査中。コリ2・3号機でも事業者が運転延長を申請している。運転延長に対する闘いは韓国でも展開されており、川内原発の運転延長の是非を問う県民投票を求める県民投票の会メンバーの一人として、心強く感じた。


コリ原発1~4号機と新コリ原発1・2号機は釜山市、新コリ原発3~6号機(セウル1~4号機、22年11月に名称変更)は蔚山市だが、河川を一つ挟んだだけで、実質的には同じ敷地。現在、新コリ原発5・6号機が建設中である。コリ原発、新コリ原発の「放射線非常計画区域」には約380万人が居住。世界最大の人口密集地だ。日本では、東海第二原発の94万人(30キロ圏内)が最大で、桁が違う。


福島第一原発事故を受け、韓国でも「放射線非常計画区域」を8キロから20~30キロに拡大。蔚山市は計画区域を30キロとした。釜山市は30キロまで拡大すると人口が多すぎ、「実効性がない」との理由で、20キロとしたが、住民側の強い働きかけの結果、2022年末に30キロにまで拡大した。


古里集落は原発建設のために、集団移住させられた。避難計画を立てなければならないこと自体、その土地を追われる=集団移住のリスクを抱えているということに他ならない。川内原発が再稼働する際、避難計画の妥当性も議論されたが、国が「妥当」とする避難計画は、少々被曝しても人体に影響はないということが前提だ。韓国でも時間内に避難できるかどうかが懸念されているという。韓国でも、原発を推進する者にとっては、住民の多少の被曝は我慢しろということなのだろう。


集団移住、避難──。原発は一人ひとりの人生や尊厳を踏みにじる発電方法であることを改めて痛感させられた。人権を守るためにも、原発は一刻も早くこの世界からなくさなければならない。


(杣谷健太/川内原発20年延長を問う県民投票の会)

蔚山(ウルサン)記者会見、蔚山集会(使用済み核燃料処分問題ほか)

21日、釜山市のホテルからバスに乗り、約1時間半で機張(キジャン)郡にある古里(コリ)原発に到着した。古里原発が見えるカフェで、釜山エネルギー正義行動のチョン・スヒさんから古里原発近隣地域の歴史の変遷について話を聞いた。古里原発がある村一帯は、以前は美しい海水浴場が広がり、列車も走り、第一級の港の指定を受けた町として栄えた。しかし原発が建てられてからは、海水浴場は消え、温排水の影響で特産品のワカメの生産量も減少し、釜山で最も貧しい村に様変わりしてしまった。原発事業者の韓国水力原子力は、漁業権を買い取ったり、支援金制度を導入し、地域のインフラを整えるなどして住民懐柔を行い、原発に対する不満の声を抑圧し続けた。現在は、原発反対よりも、新規原発を誘致し原発と共生する道を選ぶ住民が増え、中には原発を誘致することで得られる補助金で移住を求める住民もいるという。

チョン・スヒさんの話を聞いた後、バスは蔚山(ウルサン)へと向かった。途中で韓国の最新型原発である新コリ原発3,4号機と完成が近づく5,6号機が見えた。この地域が世界で最大の原発密集地域であることを実感するとともに、原発建設に翻弄され続けた地域の名もなき住民の人生を思うと、心が重たくなった。

蔚山に到着すると、まず市役所で蔚山脱核市民共同行動が主催した記者会見が開かれた。蔚山脱核市民共同行動からは「ウルサンを核の墓場にしようとしている政府の試みと老朽原発の寿命延長などの原発推進政策に強く反対する」「原発は持続可能な地球環境を脅かす最も深刻な足かせとなる」といった発言があった。続いてノーニュークス・アジアフォーラム日本事務局からとーちさんが連帯のあいさつをした。とーちさんは、過去に日本が韓国に対して行った蛮行を考えると韓国に行けなかったが、阪神淡路大震災の時に、韓国からチョコレートの援助が届いたことに感銘を受け、それ以来、韓国製のチョコの包み紙が自分にとっての韓国行きビザになったというエピソードを涙ながらに語った。さらに「汚染水を海に捨てることは全世界に向けたテロだ」と述べ、「ノ~ニュ~クス!」と連呼し発言を終えた。

次に、会議場に場所を移し、韓日の高レベル核廃棄物問題を扱うシンポジウムが開催された。韓国からは蔚山脱核市民共同行動のヨン・ソンロクさんが発表した。文在寅政権は「使用済み核燃料管理政策再検討委員会」を設置し、社会的議論を促したものの、その内容は慶州(キョンジュ)市にある月城(ウォルソン)原発サイト内に乾式貯蔵施設を建設するという結果ありきの議論だった。さらに月城原発から蔚山北区は近いにもかかわらず、行政区が違うという理由で議論に参加すらできなかったことに反発した蔚山北区住民は、2020年に民間主導で住民投票を実施した。投票者数は有権者の約29%に相当する5万人で、4万7800人余りが反対した。ボランティアは3000人を超え、連帯の力を見せたが、政府は法的拘束力はないとしてこれを無視し、月城原発内での乾式貯蔵建設を決定してしまった。

一方、日本からは私が発表をした。原発推進と一体化した処分場探しのおかしさ、交付金をエサにした不透明な調査応募の方法などを批判した。また、処分場建設の第一段階である文献調査の応募により地域の分断に苦しむ北海道・寿都町の状況を説明した。岸田政権は文献調査実地拡大を目論んでおり、それを跳ね返す運動の強化を訴えた。

その後、各国の運動の経験が報告された。日本からは「原発さよなら四国ネットワーク」の大野恭子さんが発言した。障がい者支援施設で働く自らの経験を語り、原発事故が起きたら、障がい者を長期間引き取ってくれる施設を探すのは困難で、大混乱の中、被ばくし続ける状況になるだろうと警告した。「核と人類は共存できず、子孫に禍根を残さない」というメッセージで発表をしめくくった。


(高野聡/原子力資料情報室)

慶州(キョンジュ)集会
(韓国の甲状腺がん訴訟)

22日、私たちはウルサンから慶州にバスで移動し、月城(ウォルソン)原発周辺住民の健康被害と甲状腺がん訴訟について、移住対策委との懇談会をもち、 慶州環境運動連合のイ・サンホン局長と法務法人「民心」のソ・ウンギョン弁護士から話を聞いた。

月城原発団地には、月城1・2・3・4号機(カナダ型の重水炉)、新月城1・2号機(軽水炉)、中低レベルの核廃棄場、さらに使用済み核燃料乾式貯蔵施設が設置されている。月城原発の30km圏内には130万人が生活し、とくに原発から1kmの集落の住民は2014年から、原発敷地入り口にテントを張り、移住を求めて座り込みを続けている。この移住要求の背景には、正常運転中の原発から排出される放射性物質による健康被害があった。


2021年11月から22年12月まで、原発から5km以内の960人の住民を対象とし、ソウル大学医学部が環境省の委託により調査を行なった。その結果77.1%の住民の尿からトリチウムが検出された。またトリチウム濃度が高いほど、尿中のヨウ素値は上昇し、トリチウム値100Bq/l以上の住民は、大幅に正常値を超えていた。また月城原発から半径10km以内の住民と10〜20kmの住民のがん発生率を比較すると10km以内の住民のがん発症率は44%高く、胃がんでは82%、甲状腺がんでは73%高くなったとされる。


韓国各地の原発周辺地域の住民らは、現在、韓国水力原子力を相手に「甲状腺がん共同訴訟」を行なっている。原発から半径10km以内に5年以上居住していた住民もしくは原発労働者のうち、甲状腺がんを発症した618人(家族含む2855人)が2015年に提訴して、この損害賠償訴訟は始まった。第一審は2022年6月に敗訴、控訴審は今年8月に棄却されている。


原告らをこの困難な「共同訴訟」に動機づけたのは、2014年のキュンド家族訴訟の一部勝訴の判決だった。家族は30年以上、コリ原発から7.7kmで生活しており、パク原告の甲状腺がんと原発との因果関係が2014年に一審で認められた。しかし2019年の控訴審判決ではパク原告を含めて、他の家族の先天性自閉症や直腸がんも認められず完全敗訴となり、第三審では棄却され控訴審判決が確定した。


ソ・ウンギョン弁護士はこのパク原告の一審勝訴の要因として、ソウル大学のアン・ユンオク教授チームの原発周辺住民の疫学調査を挙げている。1991年から2011年まで19年2ヶ月にわたる36,176名を対象とする調査では、原発から半径30kmを超える地域の住民に対し、半径5〜30kmの近距離地域の住民の甲状腺がん発症の相対危険度は1.8倍であり、原発から半径5km以内の周辺住民の相対危険度は2.5倍とされている。この調査結果をもとに、パク原告の甲状腺がんは原発由来の放射線被曝が原因である可能性を認めた大韓職業環境医学会の診療記録鑑定が提出され、勝訴が導かれたとの分析だった。


しかし第二審においては、広島原爆やチェルノブイリ事故などの放射線事故以外では甲状腺がんの発症原因は不明であり、100mSv以下の低線量被曝については国内外で一致した見解がないことから、医療被曝を含む他の原因による発症も排除できないとして、原告完全敗訴の判決となった。


これらのキュンド家族訴訟の第二審の判決をなぞる形で「共同訴訟」の第一審判決は出された。キュンド家族訴訟の第一審でパク原告の勝訴要因となったアン・ユンオク教授の研究結果は全く異なった解釈をされ、「過剰診断」仮説をもとに、がんと原発との因果関係を否定している。また原告が主張した米国原子力規制委員会の原発の線量制約値については、ガイドラインに過ぎず放射線防護基準として解釈してはならず、韓国の法令違反でないことから、被告側の主張を受け入れ韓水原の責任を不問とした。


月城原発の居住制限区域は直線距離でわずか原発から半径914mであり、原発設計段階でより広範な地域住民の移住対策をとっていれば、健康被害は防ぐことができたとして、今後も移住の権利を求めて闘っていくとソ・ウンギョン弁護士は報告を結んだ。


原告敗訴要因となった100mSv以下のがんと放射線の因果関係を否定する言説は、広島・長崎の被爆者データーをもとに70年にもわたり国際的に構築された政治的「科学」言説である。「過剰診断」言説も併せて、日本でも極めて馴染みのあるナンセンスに暗澹たる気持ちとなった。


たとえば、環境省の資金が公益法人原子力安全研究協会を通り、WHO(世界保健機関)のがん専門機関であるIARC(国際がん研究機関)の「国際研究」に注ぎ込まれ、低線量被曝を否定する「過剰診断」を正当化する研究成果(IARCテクニカル・レポート第46号)に結実している。そしてそれが、まことしやかに日本や韓国の原発裁判で被害者住民を打ちのめす。


原子力安全研究協会は、原子力発電を持つ電力会社とその関連の企業からの出資で運営されている日本の組織であるが、そのHPに列挙される委託研究報告書には、2004年からは「原子力に関するアジア協力推進活動-報告書」(文科省委託事業)、そして2008年からは名前を変えて「アジア地域原子力協力に関する調査業務報告書」(内閣府委託事業)が毎年掲載されており、いかに原発推進活動が国境をこえた協力体制のもと、緊密に進められているかがわかる。その中で、原発「安全研究」も裁判情報とともに共有されているだろう。


こうした原発推進勢力の税金を使った緊密な連携に対抗するには、原発反対勢力の国境を超えた正義と真理を力とする連帯が必須と改めて感じた。


(湯浅正恵/広島市立大学)

月城原発の籠城テント前で

月城(ウォルソン)原発

月城原発前の座り込みテントの前で、放射能被害住民のファン・ブンヒさんたちから話を聞いた。

「月城原発から放出される放射能(トリチウム)によって被曝をしている。とくに子どもの被曝は切実な問題だ。そのため、移住対策を求め、座り込みや、毎週月曜日にはデモ行進を10年間続けている。デモ行進では、葬式の再現をするための『棺』や、廃棄物を象徴するドラム缶を引きながら、原発職員の出勤する時間帯に行っている。


政府は技術をアピールするだけで、私たちの言うことを聞いてくれない。事業者は原発の安全性をアピールするためにPR施設を建て、観光をかねたり、招待したりして見学をさせている。


どうして、このように原発の近くに居住できるというのか。放射能が自分の体の中に入っている。息子や孫、未来の人たちには、私のように体の中に放射能が入ることを認めてはいけない。甲状腺癌にさせるわけにはいかない。世界の国々の人々が同じように立ち向かうべき。たとえ生活が多少不便になったとしても危険な原発はなくすべきだ」。


(稲垣美穂子)

とーち撮影

蔚珍(ウルチン/ハヌル)原発

蔚珍原発の近くの砂浜で、「核から安全に暮らしたい蔚珍の人々」の代表イ・キュボンさんの話を聞いた。

「韓国国内ではもちろん、世界でもこれほど大型原子炉が密集しているサイトはないほどの原発団地が蔚珍原発だ。


1988年、蔚珍原発1号機が商業運転を開始。その運転開始から今日まで、蔚珍には8つの原発が建てられた。イさんは、卒業後すぐに反核運動をするために戻ってきて、30年が経つ。当時は故郷を守るため、多くの人々が反対運動に参加していたが、今はほんのわずかになってしまった。一方で、蔚珍原発を巡る課題は山積みだ。


・増設問題:文在寅前大統領の時には増設はしないとしていたが、原発を強力に推し進める現在の尹錫悦大統領は、9・10号機を増設することを発表した。丁寧に行うべき環境アセスメントなどの手順を経ずに、早々に進めている。


・寿命延長問題:蔚珍1・2号機は95万kW、3~6号機は100万kW、7・8号機は140万kWで、尹錫悦大統領はこれらの原発の寿命を延長させると言っている。今後新設される9・10号機は設計段階から60年運転を想定している。しかし、活断層が存在することが分かっており、住民たちは不安に感じている。


・被曝と補償の問題:政府と韓水原が専門機関に依頼したところ、海藻から放射能が検出されたことが分かった。しかし、政府は許容量以下の数値だとした。補償金が支払われているが、そうした金は共同体を破壊する。30年前に闘っていた反原発だった団体が原発賛成に回り、地域支援金を受け取っている。


・昨年、蔚珍全体の3分の1が焼失するほどの、韓国史上もっとも長い時間(213時間)消せなかった山火事が発生した。原発の1キロ前まで迫った。地元住民ら約4000人が公民館などに避難した。その際、大統領が「原発を死んでも守れ」という特別命令を出し、全国から消防隊が集結した。


・使用済み核燃料臨時貯蔵施設建設問題:2031年には原発立地4地域で、それぞれの原発敷地内に、使用済み核燃料の乾式の臨時貯蔵施設を建てるという。


・避難訓練をやったことがない


・地元には野党所属議員が一人もいない。小さい地域では、すべての社会団体が今の与党側についていることも悲しい現実だ。反原発運動の末に当選させることのできた議員でさえ、今や与党に所属している。


(稲垣美穂子)

とーち撮影

三陟の朝
(サムチョク原発白紙化記念塔)

眠りの微睡の中に一筋の糸が下りてきた。いつもなら再び落ちていくのだが今日は起きようと決めていた。外に出る。まだ陽は出ていない。河沿いを東に抜け長い砂浜にでる。東の水平線と雲の間からやがて光の矢が放たれた。 私の住む街では水平線から陽を見ることはない。そのせいか光はいっそう輝いて見えた。

半島の東海岸、三陟。日の出の名所として近年観光客が増えているという。何人もの人が東を見つめている。キャンピングカーも多数止まっている。そしてそこは核電白紙化記念塔がある場所だった。


昨日三陟に着いた私たちはまず8・29記念公園に降り立ち核電白紙化記念塔に向かった。8名の方が出迎えてくれ、闘いの歴史を悠久の勲のごとく語ってくれた。

1982年全斗煥政権下に核電予定地に選定されたのだが、当時は住民に知らされることはなかった。盧泰愚政権下の1991年に国会で議員が質問したことで、驚きの中で住民たちは知ることとなった。

しかし住民たちの動きは早く、核電反対闘争委員会が作られたが、どのように反対したらいいか模索の中の始まりとなった。とにかくできることを血のにじむ努力をして続けていった。1993年には38の集落の代表が集まって計画し、7000人の大集会を行った。歩ける人はすべて集まったとまでいわれている。当時の運動は苛烈で警察との軋轢も激しかった。刑事がまるで秘書のようにくっついて尾行していたという。その後も大規模な集会を何度も行い、1998年にはバス50台貸し切りにして電力会社本社へも出かけて行った。そうした運動の成果で、金大中政権下の1998年に白紙撤回を勝ち取った。


ほっとしたのもつかの間、その後、核廃棄物処分場候補地になったが、それも2005年に撤回させた。


しかし2010年になって今度は当時の市長が政府に核電誘致申請をした。核電に賛成する署名を集めたが、それは偽の署名、別人の署名を寄せ集めたものだった。


2014年には住民投票を行うこととなり、85%が反対に票を投じた


2015年には市役所の前で1万人が参加する集会、デモを行った。


そして長く続けてきた水曜ロウソクデモが352回を数えた2019年に、核電建設計画白紙撤回をようやく勝ち取った。


しかし核電を推進する側はまた狙ってくるだろうから、反核はこれからも続けていかなくてはならない、と三陟の人々は言う。


そして今度は、遠くに排気塔が見える石炭火力発電所の建設工事が行われてしまっているが、それに対しても8か月も工事を中断させるなど闘いを続けている。


私は次第に強くなってくる光を浴びながら昨日聞いた言葉を思い出していた。


ー この美しい海辺を守るために沈黙していることはできない ー


続ける理由をそう語った気持ちに、少し近づけた気がした。


(とーち)

次回NNAFは台湾で開催

22日夜、キム・ヒョヌさん(脱核新聞)の司会で、宣言文と次回NNAFについて討論を行った。

今回、台湾環境保護連盟2名と台湾緑色連盟3名が参加していた。次回のNNAFは、台湾で、「原発ゼロ」が実現する2025年5月に開催することが決定した。

ソウル「9.23気候正義行進」
(3万人集会・デモ、脱原発を訴える!)

ソウルの市庁舎前、車道の4車線を封鎖して長い会場ができていた。歩道側に連なる多数のテント。それぞれのブースでチラシを配っている。水飲み場もある。私たちは韓国NNAFスタッフの人たちにもらったお揃いの「Don’t Nuke the Climate」Tシャツを着た。子供達も歩き回っていて、お祭り騒ぎだ。多くの旗と横断幕。動物の帽子をかぶった若者たちもいる。

集会は大規模で参加者数は約3万人だ。労働、農民、女性、障害者、環境、宗教など各界の500以上の団体が参加したという。

遠くにステージがあり、スピーチが始まった。それを写す大型スクリーンがあり、話す声もはっきり聞こえ、話す人の姿も良く見える。NNAFスタッフで韓国YWCAのユ・エスダーさんが司会だ。開会のあいさつでは「気候危機の不平等に抵抗するために、私たちはここに集まりました」「ソウルで水害の被害がここ1~2年に起こっています。これには貧困層の住宅問題があるのです」。


9.23気候正義行進の「5つの要求」の中に、「原子力と化石燃料から再生可能エネルギーへの移行」がある。

佐藤大介さんと小原つなきさんが登壇した。「ノーニュークス・アジアフォーラムが始まって今年で30年です。アジアの各地(日本・台湾・タイ・インド・フィリピン・ベトナム・トルコ・オーストラリア)から29名が参加しています。アジア各地の人々は、原発を推進する勢力と闘ってきました。原発は気候危機の代案ではありません。原発は、むしろ再生エネルギーの拡大を阻みます。気候危機を口実にした『老朽原発の寿命延長と新規原発建設』に反対する脱原発運動に連帯してください。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。一緒に脱原発を実現しましょう」。

石炭火力発電所の労働者の話があった。「水・ガス・電気は商品ではない」「大地・風・太陽は商品ではない」「私たち火力発電所の労働者は、気候と環境の危機に対応するためにカーボンニュートラルの必要性を共有しています。しかし、発電所の廃止で失業する労働者の命を守り、適切な措置を講じることは政府の義務です」。

次々に人々が話し、1時間で集会は終わり、約2キロの行進が始まった。普通に歩けば30分だが、ゆっくり歩くので、1時間はかかるとのことである。


先頭は、5つの宗教団体。(韓国の宗教者は平和活動・社会活動に積極的にかかわるそうだ)。そこには、3つの頭を持つ鷹の巨大な作り物をかかげて歩く人々がいる。(伝説の鳥で、飢えと病気を防ぐ)。その後は、太鼓をたたく農楽隊の集団。

2番目に出発したのは、全国から集まった脱原発を訴える大集団。NNAFの参加者や、韓国緑の党の人々もここだ。私たちは後ろの方に座っていたつもりだったが、回れ右をした後では先頭に近くなった。

40分くらい行進した後、全員でダイ・インをした。災害警報が鳴り響き、全員が地面に寝た。寝転んで空を見上げると、美しい青空に秋のうろこ雲が浮かんでいた。その後、足の痛みをこらえて最後まで歩き切ることができ満足だった。


緑の党の会員である私は、今年の6月に開催されたグローバルグリーンズ大会in韓国にも参加した。持続可能な社会、平和な社会、脱原発を求めている。今回のノーニュークス・アジアフォーラムで韓国グリーンズの方々とも再会し、思いを共にし、幸せだった。人類は核と共存できない。それぞれの国の事情は似ている部分と違う部分があるが、核の無い世界で生きる権利を求めることは同じだ。2年後の台湾で、またアジアの人々に会いたい。


(伊形順子/緑の党)

青年活動家交流会

最終日の夜、各国の若者たちの座談会があった。NNAFスタッフの女性たち(コン・ヘウォン、ピョン・イニ、ユ・エスダー、ハバラさん他)を中心に韓国の若者たちが多かった。日本からは稲垣さんと私が参加。

韓国の参加者の中には、自然豊かな地元から都市に出てきて体調を崩したことから環境団体に入り反原発運動に関わる人もいれば、緑色連合でボランティアしたことがきっかけの人もいた。


私は、福島第一原発事故で原発に関心を持ち、現在は川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の運転延長の是非を問う県民投票を求める市民団体に関わっている。座談会では、どうやって若者を巻き込めばいいか意見を求めた。すると、韓国の一人から「私たちも若い人がどうすれば一緒に運動できるか関心を持っている」との答えが返ってきた。意外だった。


9月23日の気候正義行進には多くの若者の姿があった。それだけでなく、道端の人々の視線には温かいものが感じられた。韓国でも若い人をどう運動に巻き込むかが課題というが、私には、若い人が参加しているように映る。鹿児島などで私が取材、参加したデモはまったく異なる。道ゆく人の表情からは「邪魔だ」「うるさい」という雰囲気を感じる。


私は39歳。若者とは言えないが、私が参加している団体では最も若い。2014年の記者時代から今の団体を見ているが、顔ぶれは変わらず、若手が入っていないのが実情だ。


韓国の参加者の一人は「脱原発、脱石炭セミナーを開催し、いろんな人に声をかけている」と話した。私は本屋を経営している。お客さんに声をかけて、少しずつでも運動への参加者を増やしていかないといけないと強く感じた。


(杣谷健太)

*各国参加者について

台湾からの5人の参加者は互いにしっかりと結束しつつ、若者がプレゼンテーションを行い、年配者が韓国の若者たちと親しく語り合って脱核への道を伝えるなど、それぞれが持ち味を生かして「アジア初の脱原発」を実現する台湾の今を届けてくれた。

フィリピンのエミリーは、活動家が暗殺されるような厳しい状況の中でも、いかにして人々がひるむことなく原発に反対する運動を展開しているかを熱く語ってくれた。


インドのヴァイシャリは、詩を朗読するかのような優しい語り口から激しいアジテーションへと連なる素晴らしいスピーチで聴衆の心を揺さぶる。原発に反対することが国家反逆罪に問われる現状の中で、民衆が非暴力でどのように闘い続けているのかを鮮明に伝えてくれた。


トルコのプナールは、韓国各地で運動を担う人々の発表を食い入るように聞いては納得いくまで質問を続けていた。着工してしまったアックユ原発、黒海をはさんで戦闘が続くウクライナの状況に加えて、多くの人命が失われた今年2月のトルコ・シリア大地震の被害に直面して涙が止まらない時期があったと話してくれた。


タイのプラソンは、研究炉建設計画がくすぶり続けるタイの状況をユーモラスに語り、笑顔を絶やさない。環境活動家が命を奪われる事件はタイでも起きているからこそ、彼の姿には胸に迫るものがあった。


アジアのあちこちに仲間がいる。なんと心強いことだろうか。日本が汚染水を海洋放出して世界の人々の尊厳を踏みにじろうとしていることの愚を痛感する。まだまだやることがあると勇気を得た5日間だった。


(宇野田陽子)

右2人目から、エミリー、プラソン、ヴァイシャリ、プナール

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信184号
(23年10月20日発行、B5-28p)もくじ

<第20回ノーニュークス・アジアフォーラム 報告>
・日程など
・ソウル会議「30年の活動を評価し、新しい30年を築くきっかけに」 (藍原寛子)
・プサン記者会見「福島原発汚染水投棄反対」、プサン集会「原子力と国家暴力、老朽原発寿命延長、対馬」  (諸松瀬里奈)
・古里(コリ)原発「コリ原発の歴史など」 (杣谷健太)
・蔚山(ウルサン)記者会見、蔚山集会「使用済み核燃料処分問題ほか」 (高野聡)
・慶州(キョンジュ)集会「韓国の甲状腺がん訴訟」 (湯浅正恵)
・月城(ウォルソン)原発  (稲垣美穂子)
・蔚珍(ウルチン/ハヌル)原発
  (稲垣美穂子)
・三陟の朝(サムチョク原発白紙化記念塔) (とーち)
・次回NNAFは台湾で開催                         
・ソウル「9.23気候正義行進」(3万人集会・デモ、脱原発を訴える!) (伊形順子)
・青年活動家交流会  (杣谷健太)
・NNAF in 韓国 に参加して (エミリー・ファハルド、プナール・デミルジャン、宇野田陽子、大野恭子、吉井美知子、渡辺美奈、川瀬俊治、菅波完、谷雅志、豊田直巳)
・上関町に関電と中電が中間貯蔵施設を計画、その後  (三浦みどり)
・柏崎刈羽原発の検証、県(知事)のていたらく  (石山謙一郎)
・12.3「とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会
  -うごかすな老朽原発-」に総結集を (木原壯林)
・「ストップ!女川原発再稼働」紙面デモ(意見広告)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
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반핵아시아포럼의 30년

핵무기도 핵발전도 없는 세상을 만들기 위해 아시아 사람들이 손을 맞잡고 활동하는 네트워크로 반핵아시아포럼이 결성된 지 올해 30년을 맞이합니다. 아시아 지역에서 활동하는 사람들이 국경을 넘어 서로를 존중하고 격려해 온 역사를 되돌아봅니다. (NNAFJ 사무국) *번역: 오하라 츠나키

1993 NNAF 1st 일본

1990년대 초 일본 핵산업은 국내 핵발전 신규 건설이 한계에 부딪치자, 아시아 각국에 핵발전소를 수출하려 했다. 아시아 각국에서 핵발전 추진 분위기가 조성되도록 일본 원자력 산업 회의가 주도한 ‘아시아 지역 원자력 협력 국제 회의’도 매년 개최되었다.

이런 가운데 한국 활동가가 ‘핵발전 추진파가 국제 교류를 활발히 하고 있다면 우리들 반대파도 국제 연대해야 한다’고 제안했다. 그것이 계기가 되어 1993년 6월 26일 ~ 7월 4일 제1차 반핵아시아포럼이 일본에서 개최되었다. 8개국 30명이 참가해 7개 코스로 나뉘어 핵발전소 현지 및 주변 도시 총 28곳에서 집회를 열었다.

이후 포럼은 거의 매년 각국을 돌며 개최되어 왔다. 도시지역에서 국제회의를 실시할 뿐만 아니라, 핵발전소 소재지와 건설 예정지에서 지역 주민들을 만나는 것을 소중히 해 왔다.

핵발전소 소재지와 건설 예정지에서 열리는 집회와 교류회 등을 통해 많은 사람들이 반핵아시아포럼에 참여했다. 참가자들은 정보교환, 경험공유, 공동행동을 펼쳤고 서로 배우고 격려했다.

1994 NNAF 2nd 한국

한국에서는 1987년 대투쟁 이후 민주화운동을 배경으로 반핵 운동이 시작됐다. 제2회 반핵아시아포럼에 일본에서 36명 참가했다. 영광핵발전소, 고리핵발전소, 울진핵발전소에서 어민과 농민들과 함께 집회와 시위를 벌였다. 또 핵폐기물 처분장 건설 저지에 성공한 고성과 청하에서도 집회를 열었다. 힘찬 실력투쟁을 벌여온 각지 주민들과 연일 만났다.

반핵아시아포럼 직후 한국 지역단체와 시민단체는 네트워크 조직으로 ‘핵없는 사회를 위한 전국반핵운동본부’를 결성했다.

1995 NNAF 3rd 대만

대만은 세계에서 가장 오래 지속된 계엄령이 1987년 해제된 후 제4핵발전소 반대운동이 민주화 투쟁의 큰 축이 되었다. 제1핵발전소부터 제3핵발전소까지 총 6기는 계엄령 하에서 건설되었고 운전이 강행되었다. 하지만 독재와 부정부패의 상징이라 할 수 있는 제4핵발전소 건설 계획에 대해 사람들의 분노가 폭발했다. 제3차 반핵아시아포럼에서는 타이베이에서 3만 명이 시위에 결집했다.

포럼 참가자들은 제1, 제2핵발전소, 방사능 오염 아파트, 방사능 오염 도로, 타오위안 방사능오염지역, 란유섬을 방문했다. 또한 제4핵발전소 부지 내에서 시위를 벌였고, 마지막에 공라오(貢寮) 주민과의 교류집회를 하면서 포럼 막을 내렸다.

1996 NNAF 4th 인도네시아

1990년대 수하르토 군사독재정권은 자바 섬 중부 무리아에서 핵발전소 건설을 계획했다. 일본 간사이전력 자회사가 사전 조사를 실시한 사실이 보도되자 일본에서 반대 여론이 터져 나왔고 원전 수출 반대 캠페인이 벌어졌다.

일본에서 1993년부터 97년까지 약 15만 명의 서명을 받았고, 인도네시아에서 핵발전소 반대운동을 하는 사람들을 일본으로 초청해 매년 집회를 개최했다. 일본 활동가들이 인도네시아를 방문해 핵발전의 위험성을 알리기도 했다.

군사독재 정권 하에 있던 인도네시아에서 핵발전소 반대 운동은 바로 민주화운동이었다.

1996년 반핵아시아포럼에서는 그 동안 반핵 운동의 중심이었던 자바 섬은 물론 수마트라, 롬복, 칼리만탄, 술라웨시 등 섬 주민들도 처음으로 한자리에 모였고 반핵 전국 네트워크가 만들어졌다.

핵발전소 반대 여론이 높아졌고 경제위기도 맞물려 1997년 핵발전소 건설 연기가 발표되었다. 98년에는 30년 넘게 군림했던 수하르토 독재정권이 민중 투쟁의 승리로 막을 내리자 무리아 핵발전소 건설 계획도 백지화되었다.

1997 NNAF 5th 필리핀

필리핀에는 마르코스 대통령의 군사 독재 하에서 미국 웨스팅하우스사가 건설한 바탄 핵발전소가 있다. 바탄 핵발전소는 마르코스 정권의 부패와 유착과 비리, 인간 어리석음의 상징이었다. 이 결함투성이 바탄 핵발전소 가동에 반대해 1985년 6월 바탄에서는 시민 5만 명이 거리로 나와 총파업을 강행했고 민중들이 군사 탄압에 맞섰다. 그 격렬한 싸움이 86년 2월 피플 파워혁명으로 이어져 마르코스 군사독재 정권을 타도했다. 완공됐던 바탄 핵발전소는 아키노 정권 출범 직후 동결되었고 가동에 이르지 않았다.

그러나 필리핀 정부는 1992년 이후 다시 바탄 핵발전소 재개를 계획했다. 97년 반핵아시아포럼에서는 해외 참가자들이 버스를 타고 바탄 현지에 오후 11시 반을 넘어 도착했는데도 많은 지역 주민들이 나와 숙소 앞에서 참가자들을 박수로 맞이해주었다.

다음날 활활 타오르는 횃불을 들고 약 2000명이 핵발전소 건설 반대 시위를 했다. 바탄 민중들의 열정은 포럼 참가자들에게 큰 감동을 주었다.

1998 NNAF 6th 태국

태국에는 핵발전소는 없지만 동남아시아 지역에서 핵발전소 도입이 모색되는 분위기 기운데 상업로와 연구로 건설 계획이 부상했다. 위기를 느낀 태국 사람들이 반핵아시아포럼 개최지로 손을 들어주었고 태국에서 포럼을 열게 되었다. 방콕에서 이틀에 걸쳐 심포지엄을 연 후 참가자들은 버스로 600km를 이동해 남부 춘퐁에 도착, 핵발전소 건설 예정지에서 200명의 주민들과 집회를 열었다. 이것이 춘퐁에서 처음으로 여는 반핵 주민집회였다.

2000년 온카락 연구로 건설 반대 주민 투쟁이 시작했다. 약 700명의 온카락 주민들이 수십 대의 버스로 상경해 정부를 향해 건설 계획 중단을 요구했고 계획은 중단되었다.

1회부터 태국 활동가들은 반핵아시아포럼에 참여했고, 젊은 활동가들은 온카락에서 건설이 계획된 연구로에 깊은 관심을 가졌고 온카락 사람들과 내용을 공유했다. 온카락 사람들은 98년 반핵아시아포럼에도 참가했다. 포럼이 온카락 사람들을 격려하는데 조금이나마 도움이 되었다면 다행이다.

1999 NNAF 7th 인도

인도에서 2번째 핵실험(1998년)을 했던 이듬해 반핵아시아포럼을 인도에서 개최했다. 핵무기도 핵발전도 없는 아시아라는 구호가 가진 다면성과 그 무게를 담은 포럼이었다.

포럼에는 방사능으로 인한 건강 피해가 큰 자두고다 우라늄 광산 주민들도 참석했다. 파키스탄과의 관계, 중동 핵문제 등도 논의 주제로 등장했다.

카이가 핵발전소 현장 답사에서는 냉각수를 확보하기 위해 만들어진 댐으로 마을 절반이 침수된 현장을 찾아갔다. 물에 잠겨가는 마을에서 생활을 계속하고 있는 주민들, 강제 퇴거를 당한 주민들과 의견을 교환했다. 국가권력의 막강함과 무자비함에 충격을 받는 동시에 그래도 일어서는 무수한 인도 사람들의 용기에 각국 참가자들은 용기를 얻었다.

2000 NNAF 8th 일본

도카이무라와 후쿠시마에서 포럼을 연 뒤 가시와자키시를 찾았다. 카시와자키가리와 6·7호와 같은 노형인 ABWR이 대만 제4핵발전소에서 건설되는 상황에서 대만에서 온 참가자들은 절실한 호소를 보냈다.

이에 앞서 1996년 대만 제4핵발전소 입찰이 실시되어 미국 GE사가 낙찰했다. 히타치와 도시바가 원자로를, 미쓰비시중공업이 터빈을 제조하게 되었다.

이후 대만에 핵발전소를 수출하는 것을 반대하면서 일본과 대만 사이를 실로 많은 사람들이 오갔다.

일본에서는 서명운동, 불매운동, 집회, 국회질문, 도시바 주주총회 참석, 정부와의 협상 등을 벌였지만 힘이 부족했다.

제4핵발전소는 99년 착공되어 2003년과 2004년에 걸쳐 결국 원자로를 수출했다.

2001 NNAF 9th 한국

영광 핵발전소 현지에서 ‘문화광장’이 열려 노래와 판소리, 사물놀이 등 참가자도 함께 주민들과 둥글게 춤을 추었다.

증설 계획이 있는 월성핵발전소 앞에서는 약 800명이 참가하는 집회가 열렸다. 울산에서도 신고리 핵발전소 건설에 반대하며 강력한 집회와 시위가 열려 약 500명이 참가했다.

2002 NNAF 10th 대만

이미 착공된 제4핵발전소 찬반을 묻는 공민투표(국민투표)를 요구하는 집회와 시위를 열었다. 대만 총리와의 면담도 이뤄졌다.

대만 원주민 타오족이 사는 란유 섬도 방문했다. 랑유도에서는 계엄령 하에 생선 통조림 공장을 만들겠다는 거짓 약속으로 건설이 시작된 핵폐기물 처분장이 있고, 도민들의 거센 항의에도 불구하고 이미 드럼통 10만 개가 반입되었다. 1996년에는 핵폐기물을 실은 수송선 입항 저지 실력투쟁이 벌어져 핵폐기물의 섬 밖 반출이 약속되었지만 아직 이뤄지지 않고 있다.

2003 핵폐기물 국제포럼, 부안

한국 부안에서는 2003년 핵폐기물 처분장 건설에 반대해 약 1000~2000명의 군민들이 매일 밤 도로에 모여 촛불집회를 200일 동안 계속했다. 쏟아지는 빗속에서도 찬바람을 맞으면서도 계속했다. 군민 한명 한명이 주인공인 투쟁이었다.

이런 분위기 속에서 핵폐기물 국제포럼이 개최되었다. ‘부안선언’에는 고향 사랑과 강한 각오가 담겨졌고 눈물 없이는 읽을 수 없었다. 2004년 2월 부안군민은 핵폐기물 처분장 건설 여부를 묻는 자주 주민투표를 성공시켜 승리했다.

2005 NNAF 11th 대만

대만에서 개최된 11회 포럼에서는 일본이 원자로를 수출해 건설이 추진되고 있는 제4핵발전소 반대 운동이 벌어졌다. 공사는 착착 진행되고 있었지만 아무도 포기하지 않았다.

제4핵발전소 현지인 공라오(貢寮) 사람들을 담은 다큐멘터리 영화 ‘안녕 공라오’가 상영되었다. 현지인들이 걸어온 고난의 역사를 담은 이 영화는 이후 대만과 일본에서 널리 상영되었다.

2007 인도네시아 무리아 핵발전소 계획 백지화

수하르토 퇴진과 함께 무기한 연기된 무리아 핵발전소 건설 계획이 다시 부상한 것에 반대해 2007년 8월 31일 밤 무리아 핵발전소 예정지인 바론 마을 주민 약 6000명이 35km를 걷는 도보 행진을 벌였다.

다음날 전국 규모의 이슬람 단체인 NU 중부 자바 지부 성직자 약 100명은 무리아 핵발전소를 하람(haram) 즉 이슬람에서 금지하는 것으로 결론지었다. 결국 부활한 핵발전 건설 계획을 무산되었다.

2008 NNAF 12th 일본

2007년 니가타현 주에쓰 앞바다에서 일어난 지진으로 가시와자키가리와 핵발전소에서 문제가 발생했다. 1~7기 모두가 가동을 멈추었고 장기간에 걸쳐 정지하는 사태가 벌어졌다.

이에 따라 2008년 일본에서 열린 반핵아시아포럼에서는 지진과 핵발전소의 위험성에 대해 인식을 공유하고 집회와 시위를 통해 시민에게 호소했다.

2009 필리핀 바탄 핵발전소 재추진 백지화

필리핀 국회에서 바탄 핵발전소 재추진을 위한 법안이 제출되었다. 그러나 사람들은 바탄 핵발전소 건설 반대 네트워크(No to BNPP)를 결성해 반격에 나섰다.

바탄 핵발전소는 일부 정치인에게 거액의 이익을 안겨줬지만 일반 국민에게 가혹한 채무가 짊어졌고 부실공사 등 결함투성이이었다. 민중들은 즉각 필리핀 곳곳에서 항의 집회와 시위를 벌였다.

바탄 핵발전소 건설 재추진 움직임은 다시 민중의 투쟁으로 백지화되었다.

2010 NNAF 13th 대만

포럼에서는 제4 핵발전소 부근에 있는 활성단층에 대해 처음으로 지적해 지진과 핵발전의 위험성을 호소했다. 입법원(국회)에서 공청회를 열고 제4핵발전소의 내진성이 극히 취약하다는 점과 지질에 대한 재조사 필요성을 호소했다.

일본에서는 각지에서 지진이 활동기에 접어들면서 지진으로 인한 핵발전소 영향에 대해 다양한 대책이 강구되고 있었다. 하지만 지금 돌이켜보면 그 다음 해 일본에서 무슨 일이 일어날지 그 때는 아무도 알 수 없었다.

2011 NNAF 14th 일본

2011년 3월 11일 동일본 대지진과 후쿠시마 핵발전소 사고가 발생했다. 핵발전소에서 연이어 수소폭발이 일어나면서 거센 연기가 피어오르는 영상을 전 세계 사람들이 목격했다. 그해 여름 반핵아시아포럼은 일본에서 개최되었다. 후쿠시마에서 약 2000명이 참여하는 시위에 참가했고 도쿄전력 본사에서 열린 항의행동에 참가했다. 그 외에도 이와이시마에서 교류집회, 히로시마에서 원수금대회 등에 참여했다.

후쿠시마 핵발전소 사고 이후 아시아 각국에서 반핵운동이 급격히 확대했다. 태국에서는 3월 핵발전소 건설 후보지였던 여러 곳에서 주민 시위가 벌어져 핵발전소 반대 민중 네트워크를 결성했다. 대만에서는 대규모 제4핵발전소 반대 운동이 부활했다. 인도에서는 8월부터 코단쿨람(koodankulam) 핵발전소 가동을 막기 위한 비폭력 주민투쟁이 연일 대규모로 진행되었다. 핵발전소 사고가 현실에서 일어나는 것을 후쿠시마 사고를 보고 모두가 인식한 것이었다. 후쿠시마 사고는 아시아 사람들에게 자신의 고향이 핵발전소로 사라질지 모른다는 최대 위기감을 갖고 반대운동에 임하게 될 계기가 되었다.

핵발전소 건설 계획이 있는 베트남에서도 2012년 핵발전소 건설 반대 서명운동을 벌였다.

2012 NNAF 15th 한국

후쿠시마 핵발전소 사고 충격이 아직 깊이 남아 있는 그해 한국에서 열린 반핵아시아포럼에서는 후쿠시마 사고 이후 핵발전소 신규 건설 예정지로 지목된 삼척과 영덕에서 집회와 시위가 벌어졌다. 집회에서는 후쿠시마에서 참가한 고 하세가와 겐이치(長谷川健一)씨의 생생한 연설에 현지인들이 가만히 귀를 기울였다. 시위에는 가톨릭 신부 등 많은 종교인들도 참여했고 길가에서 작게 손을 흔들어 주는 주민들의 모습도 있었다.

https://www.youtube.com/watch?v=EOq1J9eXk54 (3분영화)

이 두 곳의 핵발전소 건설 계획은 2014년과 2015년 주민투표에서 반대파가 각각 승리하면서 2018년 건설 계획은 공식 백지화되었다.

2012 인도 쿠단쿨람 핵발전소 가동 반대

후쿠시마 핵발전소 사고를 계기로 인도 각지에서 핵발전소 건설 반대운동이 확산되었다. 그 중에서 쿠단쿨람에서의 싸움은 역사적인 주민 투쟁으로 발전했다.

2012년 9월 9일, 약 3만 명의 주민들이 건설 중인 쿠단쿨람 핵발전소를 포위하고 항의했다. 그러나 바닷가에서 하룻밤을 지낸 다음 날 10일 완전무장한 경찰대가 주민을 탄압해 많은 사상자와 체포자가 발생했다.

장기간에 걸친 비폭력 대규모 주민투쟁이었다. 약 8000명이 국가 반역죄로 피소됐다. 쿠단쿨람 핵발전소는 운전에 이르고 말았지만, 그 투쟁은 인도 각지에 계승되었다.

2014 NNAF 16th 대만

대만에서는 2011~13년에 걸쳐서 제4핵발전소 반대하는 10~20명 규모의 집회가 연일 열렸다. 2014년 4월 27일, 5만 명의 시위대가 타이베이역 앞 8차선 도로를 15시간 점거하였다.

대만 정부는 2기 모두 거의 완성된 상태였던 제4핵발전소 건설을 동결할 것을 발표했다.

그 해 반핵아시아포럼은 9월 대만에서 개최되었다.

2015 터키 시놉 핵발전소 반대 투쟁

4월 25일 터키 시놉에서 약 4만 명의 시민들이 집회를 벌여 ‘일본은 시놉에 핵발전소를 수출하지 말라’고 외쳤다. 2013년부터 미쓰비시중공업과 플라마톰이 시놉에 4기의 가압수형 원자로를 건설하려 했지만 흑해 연안 항구도시 시놉 사람들은 이에 대해 거세게 반대 의사를 표명했다.

후쿠시마 사고가 가져온 충격이 컸다. 그러나 그 이상으로 체르노빌 핵발전소 사고로 겪은 공포의 기억이 지금도 시놉 사람들의 기억에 뚜렷이 새겨져 있는 것이 더 큰 이유였다.

시놉 사람들은 일관되게 반대 의사를 관철했고 계획은 2018년 백지화되었다.

2016 NNAF 17th 일본

17차 반핵아시아포럼은 일본에서 열렸다. 후쿠시마를 방문해 현지인들 이야기를 경청했고 도쿄에서 35,000명이 모인 핵발전소 반대 집회에 참가했다.

2016 베트남 핵발전소 건설 계획 중단

2018 NNAF 18th 필리핀

바탄 핵발전소 재개를 호시탐탐 노리는 정치인들의 움직임이 끊이지 않는 가운데 필리핀에서 반핵아시아포럼이 열렸다. 마닐라에서 국제회의를 진행한 후 바탄에서 주민들과 집회를 열었다. 바탄 핵발전소 정문 앞에서의 항의 액션을 벌였고, 어선을 타고 바다 쪽에서 핵발전소를 보기도 했다.

‘반핵아시아포럼은 도시 활동가들의 교류뿐만 아니라 현지주민들을 소중히 여기는 네트워크입니다. 포럼을 통해 현지주민들이 힘을 얻을 수 있었습니다. 인도네시아에서도 태국에서도 필리핀에서도 핵발전을 저지하고 있는데 포럼이 해온 역할은 매우 큽니다’ Corazon Fabros(필리핀)

2019 NNAF 19th 대만

탈원전을 내거는 대만에서 열린 2019년 반핵아시아포럼은 <친정부 행사>가 되었다. 경제부와 환경보호처가 포럼 협찬단체가 된 것이다. 그동안 포럼은 항상 <반정부 행사> 이었기에 조금 익숙하지 않았지만, 천젠인 부통령이 해외 참석자 30여 명에게 “오랜 탈핵 운동에 감사한다.대만 정부는 탈원전 정책을 견지하겠다” 고 인사해 매우 깊은 감회를 받았다.

21년 12월 18일 「제4 핵발전소 가동 여부를 묻는 공민 투표(국민 투표)」가 실시되어 426만 명이 가동 반대표를 던졌다 (찬성은 380만).

대만은 핵발전소 수명 연장을 하지 않았고 이미 4기는 폐지되어 2025년 5월에는 핵발전 제로를 달성할 전망이다.

2020~ 방사능 오염수 해양투기 반대

후쿠시마 제1 핵발전소에서 저장 중인 오염수의 해양 투기 방침을 철회하고 육상 보관할 것을 요구하는 국제 서명이 2020년 4월부터 시작해(28,627명 서명) 일본, 한국, 대만, 필리핀, 호주 등에서 반대 운동을 벌였다.

2021년 1월 20일과 2월 9일에는 한일 참가자(각 150명, 200명)가 온라인 줌을 통해 집회에 참여했고 국제 서명을 제안하고 311개 단체(24개국)가 촉구하는 인터넷 국제 서명이 시작되었다. 여기에는 현재 110개국 87,000명이 서명했다. キャンペーン · 후쿠시마 핵발전소 사고 10주년, 오염수 해양방출 반대! 핵발전소 이제 그만! 국제서명 · Change.org

15개국에서 집회, 스탠딩, 일본대사관 항의 등을 반복했다.

’방사능의가해자가되고싶지않다’

1992년부터 2018년까지 인도네시아, 대만, 베트남, 인도, 터키에서 핵발전소 수출에 반대하는 캠페인을 했다. 서명 운동, 미쓰비시·히타치·도시바의 제품불매운동, 국회에서 질문, 정부와 교섭을 진행하기도 했고, 대상국에서 활동가를 불러서 집회를 열기도 했고 대상국을 방문해서 집회를 열기도 했다.

인도네시아, 베트남, 인도, 터키에 대한 수출계획은 백지화되었다.

대만 제4핵발전소에는 원자로를 수출해 버렸지만, 대만 민중이 가동을 막았다.

2023 NNAF 20th 한국

2023년 제20회 반핵아시아포럼은 한국에서 개최될 예정입니다. 핵발전소가 있는 지역을 직접 방문하면서 지역 주민들과 교류하는 기존의 포럼 방식으로 4년 만에 각국 활동가들이 숙식을 함께 하며 행사를 진행할 예정이다.

독일과 대만은 체르노빌과 후쿠시마를 교훈 삼아 운동을 확대해 탈핵을 실현했습니다. 우리도 뒤를 따르며 조금이라도 빨리 탈핵을 이루어냅시다.

「海は、私の生業であり、人生そのもの」 キム・ヨンチョル 全国漁民会総連盟 執行委員長 インタビュー

脱核新聞 23年5月号 (聞き手・まとめ/小原つなき編集委員)

キム・ヨンチョル氏は、全羅南道麗水市の「ヨジャ湾」の真ん中に位置するヨジャ島で生まれ育った。幼い頃から家族が漁業で生計を立てるのを見ながら海と共に生きてきた。若い頃はソウルで生活したこともあるが、15年前に故郷に戻り、ハイガイの養殖業を営んでいる。漁業が生業だが、漁民が直面する様々な問題を解決するために活動する、自称「漁民活動家1号」だ。

(インタビューの後に、キム・ヨンチョル氏が「6.20 汚染水を海に流すな!福島行動」に寄せたメッセージを掲載)

― 汚染水の放流計画に関して韓国の漁民たちはどう思っているか

初めて知らせを聞いたとき、本当に呆れた。日本政府や国際原子力機関(IAEA)などは安全だと主張しているが、そんなに安全なら、なぜすぐに海に放流せずこれまでタンクに保管してきたのか聞きたい。放っておいてはいけない問題であり、政府や政界が先頭に立って阻止しなければならないと思う。


韓国の漁民の立場としては、水産物の消費萎縮や減少について心配せざるをえない。汚染水が放流される瞬間、韓国の水産業と漁業は滅びると思う。ほとんどの漁民は、その点について深く心配している。


― 汚染水の放流を防ぐために、どのような具体的な行動をしているか


漁民の特性上、行動を一致させることは非常に難しいことだ。社会構成員の中で一番組織化が難しい職業群が漁民だと言っても過言ではない。何日も海に出て荒々しい波と闘い魚を捕る漁民もいれば、私のようにいろいろな養殖業を営む漁民もいる。同じ水産業でも業種によって生活パターンが非常に多様だ。しかし、海で生計を立てる漁民として共同で対抗しなければならない課題に向かって力を合わせる必要がある。


私は昨年、全国漁民会総連盟を結成した。「包括的・漸進的環太平洋経済連携協定(CPTPP)に対して、漁民の声をあつめて対応するためだった。福島の汚染水への対応も同様だ。漁民の生計がかかっている問題なので、漁民自らが乗り出すべきだと思う。全国漁民会総連盟は汚染水の海洋放出に反対するために、これまで海上デモや集会を行ってきた。今後も、ソウルの国会や光化門、龍山(ヨンサン)大統領室前で大規模な漁民集会を開くことを計画している。


― 漁民は政府や自治体の対応をどう見ているか


韓国政府の対応は弱すぎると思う。このようなやり方なら、汚染水の海洋放出を既成事実と認め、日本政府に免罪符を与えるのと同じだ。政府は漁民の生存権だけでなく、国民の食と生命、安全な未来を守る義務がある。汚染水の海洋放出がひとたび始まれば、あとで後悔しても取り返しがつかない。韓国政府は海洋放出されれば、海水と水産物に対する放射能検査を強化し、水産物の消費のための広報に重点を置くと話しているが、後の祭りだ。汚染水の海洋放出を実質的に防ぐために、韓国政府ができることはすべてしなければならないと思う。そして自治体と市民社会、国民が皆一丸となって対応してほしい。


― 汚染水の海洋放出に関する市民団体の反対行動を見たことがあるか


市民社会団体が先頭に立って問題解決に努めているのを見て、漁民の一人として感謝している。最近、私が住んでいる光州・全羅南道地域でも、「放射能汚染水海洋投棄阻止・光州全南行動」が結成されて私も参加している。惜しい点があるとしたら、与・野党の政治グループがこの問題を政争に利用する傾向があるということだ。客観的な根拠と人類共通の常識でこの問題を見つめ、阻止のために立ち向かうべきだと思う。また、一般市民がよく理解し、関心を持つように大衆的な広報がもっと必要だと思う。


― 2011福島原発事故当時に受けた打撃は


福島原発事故が発生し、放射性物質を含む海水が韓国にも流れてくるという報道が出た時、国内の水産物の消費が40%減少した。


今回の福島原発汚染水の海洋放出が現実になれば、再び水産物の消費を忌避する現象が起きるだろう。アンケート調査によると、回答した国民の80%以上が、福島の汚染水が海洋放出されれば水産物の消費を控えると回答したという。ため息が出るばかりだ。


一部の漁民は、韓国政府が汚染水の海洋放出を防げないのならば、むしろ、知らんぷりして静かにした方が得策なのではないかという。また、海はすでに核保有国の核実験で十分に放射能で汚染されているため、福島の汚染水について騒がないほうがいいという人もいる。しかし、私はそうは思わない。放射能が私たちの体に有害だということは変わらない真実だ。だから、当然多くの人がこの問題について知らなければならず、反対しなければならないと思う。


― 漁民にとって海はどんな存在だと表現できるだろうか


海は、私の生業であり、人生であり、母の懐のような暖かい場所だ。私たちが海を捨てれば海も私たちを捨てると思う。だから私は海を大切にして、いつまでも守りたい。海を含めて、地球というものは、どの国に所属するものでもなく個人の所有物ではない。


地球を病ませ、人間の生命に危害を加える放射能汚染水の海洋放出は、必ず防がなければならない。言葉だけでなく行動で実践できるよう市民社会が共に力を合わせなければならないと思う。


― 最後に言いたいことは


汚染水の問題だけでなく気候危機など、多様な要因で海がますます病んでいる。海で生計を立てている漁民にとって深刻な現実だ。政府をはじめとする行政は「魚類資源保全」という名前の下に、漁民に各種規制を加えているが、海を誰よりも理解し大切にしているのは他でもない漁民だ。だから規制だけするのではなく、漁民が自ら海を守る自由、主体性と自律性が認められることを願う。


日本でも汚染水の海洋放出を望む漁民は一人もいないと思う。日本政府と東京電力は、何よりもまず、彼らの声をきちんと聞かなければならない。そうすれば答えは自然に出てくるだろう。

韓国・全国漁民会総連盟の執行委員長、キム・ヨンチョルさんからのメッセージ

(6月20日福島市での「汚染水を海に流すな!福島行動」で代読されました。以下、抜粋です)

 福島第一原発事故で発生した汚染水の海洋放出を阻止するために、日々奮闘されている日本の市民の皆さん、福島の漁民の皆さん、こんにちは。私は、漁業を生業とするキム・ヨンチョルと申します。


 海は私たち漁民にとって生活の基盤です。生涯、海だけを見つめながら暮してきました。海は、住み慣れた我が家であり、仕事場であり、家族・友人のような人生の同伴者でもあります。海にいつも感謝の気持ちを捧げながら生きてきました。


 それなのに、隣国の日本が原発事故で発生した放射能汚染水を海に捨てるというとんでもない計画を立ててしまいました。この知らせをはじめて聞いたとき、私はたいへん驚き、慌てずにはいられませんでした。汚染水の海洋放出は、私たちのような漁民の暮らしだけでなく、この大切な海を滅ぼすということです。


 完全に安全だと検証されるまで、汚染水を一滴も海に流させないようにする道だけが、いま私たち漁民が全力でとりくまなければならないことだと思います。私たちが沈黙すれば、日本政府は私たち漁民が海洋放出に同意したと理解するでしょう。


 韓国で汚染水の海洋放出に不安を感じる人たちは、すでに海産物の消費を控えるようになっています。すでに被害が出始めています。海洋放出が現実になれば、私たち漁民の生計は完全に破綻するでしょう。私たち漁民は生きていけなくなります。


 ひとたび汚染水が海に捨てられると、再び拾い集めることはできません。子供たちに核汚染のない海を譲り渡すために最善をつくしましょう。尊敬する日本の市民の皆さま、漁民の皆さま、韓国と日本という国境を越え、「汚染水の海洋放出を阻止する」というたった一つの目標に向けて、最後まであきらめず、共に頑張って闘い抜きましょう!

*関連【 放射能汚染水海洋投棄反対、全国漁民大会 】
― 全国漁民2000人、第2回全国行動の日(6月12日)に参加 ―
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2692

「放射能汚染水海洋投棄反対、全国漁民大会」ー 全国漁民2000人、第2回全国行動の日に参加 ー

ミンギ(環境運動連合) 

国会前で6月12日、放射能汚染水海洋投棄阻止行動が主催した「第2回全国行動の日」に、全国の漁民2000人が集まった。まさにこの日、日本政府が汚染水海洋放流の2週間試運転を開始した。

日本政府は汚染水問題をめぐって嘘をくり返している。とくに「福島漁民および関係者の理解と同意なしに汚染水放流はしない」という約束も破った。最近、福島近隣3県の漁民が明らかにした「汚染水放流に断固反対する」という立場と、太平洋を巡る世界市民の反対にもかかわらず、今夏の海洋放流を固守している。

チュ・ヘグン全国漁民会総連盟会長は「この集会は全国漁民の声を集めて放流を防ぐための場」とし、「韓国政府と政界は何の対策もない。国民が感じる恐怖と脅威を解決してほしい」と訴えた。

連帯発言をした公共給食協同組合のキム・ウンジュ理事長は「汚染水海洋投棄は、水産業従事者にも、水産物を消費する国民にも、青天の霹靂のようなことだ。現在と未来の生存と健康の問題であり、政府と国民が共に対応して、必ず防がなければならない」と述べた。

キム・ジョンシク全国漁民会総連盟副会長は「国が私たちを守ってくれなければ誰が守ってくれるだろうか。私たちを守ってほしいとソウルに集まった」「私たちの生活の基盤である海を奪われることはできない。漁民が団結して力を集めよう」と強調した。

続いて集会参加者たちはプラカードを掲げてウェーブを行った。

日本福島の小野春雄漁民のメッセージが読まれた。「海は漁師の仕事場だ。ところが汚染水海洋放出によって、再び福島原発事故直後のような悪夢をくり返すことになりそうだ」「海洋放出以外の方法はいくらでもある」。

釜山、全羅南道、慶尚南道各地の漁民発言が続いた。

釜山から来たヤン・ジョンモ漁民は「私たちが、食べていける、生きていけるよう、国を導いていく方々がきちんと政策を展開してほしい」と訴えた。

全羅南道から来たパク・ジョンヒ漁民は「汚染水投棄が始まれば、消費減少で、漁民が荒波とたたかって獲ってきた魚、昼夜を問わず養殖場で育てる海苔など、水産物は売れなくなるだろう。政府と国会議員は、汚染水を絶対に防いでほしい」と求めた。

慶尚南道から来たナム・ナムテ漁民は「政府は汚染水放流を積極的に阻止せよ。水産物消費不振と価格下落にともなう漁民の苦痛に共感し、被害を補償せよ」と強調した。  

「放射能汚染水海洋投棄阻止・第2次全国行動の日」「全国漁民大会」共同決議文

福島原発汚染水海洋投棄を阻止せよ! 漁民みんな死ぬ!

日本政府が公言した放射能汚染水の海洋投棄が目前に迫っている。放射能汚染水の海洋投棄を控え、漁民が感じる恐怖は大きくならざるをえない。一生、海だけを見つめ、海を通じて暮らし続けてきた韓国漁民たちは、生活の基盤である海が汚染され、水産物が売れなくなるという恐れと絶望感を感じている。

5月に、環境運動連合が行った汚染水放流に対する国民アンケート調査で、85%の国民が「放射能汚染水海洋放流に反対する」と答えた。また、72%の国民が「汚染水が捨てられれば水産物の消費を減らす」と答えた。汚染水が海に捨てられれば韓国漁民の憂慮が現実になることを示した世論調査の結果だ。

福島原発の汚染水による被害は、果たして誰が責任を負わなければならないのか? 海で生計を立てている漁民たちなのか?


政府は、日本政府の汚染水海洋投棄を容認する態度を捨て、汚染水海洋投棄を阻止せよ!


私たちは、地球と生態系を破壊する放射能汚染水投棄計画に反対する。私たちは放射能汚染水の海洋投棄を防ぐために、最後まで連帯して闘争する。


一 私たちは、日本の放射能汚染水海洋投棄に強く反対する!
一 日本政府は、地球と海を滅ぼす放射能汚染水投棄計画を中止せよ!
一 日本政府は、陸上での長期保管などの解決策を講じろ!
一 韓国政府は、汚染水海洋投棄を防ぐため、国際海洋法裁判所に直ちに提訴せよ!


2023年6月12日
全国漁民会総連盟、放射能汚染水海洋投棄阻止共同行動           <抜粋>

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信182号
(23年6月20日発行、B5-28p)もくじ

・汚染水を海に流すな!5.16東京行動に、のべ1,200人
  「流すな!」の声を大きく広げよう (佐藤和良)

             
・東京で響き渡る「原発汚染水を海洋放出するな」 (チェ・ギョンスク) 

   
・「海洋放出するな!」「海を汚すな!」福島県民たちが東電前や国会前で抗議行動 
  韓国の女性たちも「陸上保管続けろ」と連帯のアピール(民の声新聞より)

 
・放射能汚染水海洋投棄阻止「全国行動の日」に1万人 (ミンギ)

        
・「福島原発汚染水海洋投棄反対国際書簡」発表

                
・「放射能汚染水海洋投棄反対、全国漁民大会」
  ― 全国漁民2000人、第2回全国行動の日に参加 ― (ミンギ)


・「海は、私の生業であり、人生そのもの」 (キム・ヨンチョル) 

      
・トルコ・アックユ原発に核燃料を搬入:「チェルノブイリの日」に市民が抗議
 (森山拓也)
  
・高レベル核廃棄物・最終処分場の候補地になって50年の対馬 (鍵本妙子)

  
・被爆地が軍拡にお墨付きを与えてはならない (木原省治)

         
・川内原発の寿命延長に反対する (小川みさ子)

              
・東京電力に原発の運転資格なし、運転禁止命令の継続は当然だ (菅井益郎)

 
・どうする?原発のごみ全国交流集会で政策転換の提言 (末田一秀)

     
・老朽原発延長の審査で安全性は担保されない (草地妙子)

         
・原発再稼働で電気代が下がるという宣伝にだまされないで (佐藤みえ)

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4.13グローバルアクション 「STOP汚染水の海洋放出」

「これ以上海を汚すな!市民会議」(コレウミ)が呼びかけ、全国各地、世界各地で、スタンディング等がとりくまれました。その一部を紹介します。
【各地の多くの写真】 → https://www.facebook.com/koreumi

いわき
東京
ニューヨーク
パリ
フィジー
マーシャル諸島
ソロモン諸島
ニュ-ジーランド

フィリピンの漁業者と反原発団体が福島原発の汚染水の海洋放出に反対

(Philstar 4月13日)
沿岸地域の漁業者と「非核・非石炭バターン運動」などの団体が13日、マニラの日本大使館とフィリピン外務省の前で、130万トンの放射能汚染水の太平洋投棄に反対する抗議アクションを行った。漁師のパブロ・ロサレス氏は「日本の計画は、フィリピンの消費者に漁獲物の購入を警戒させ、漁業者の生活に影響を及ぼします」と警告した。「放射能汚染水を海に放出する日本の計画は、人々に食料を供給し、何百万人もの人々に生計の源を提供している海をゆっくりと殺すでしょう」と、日本大使館前で述べた。非核・非石炭バターン運動のコーディネーターであるデレック・チャベ氏は、フィリピン政府に対して、環境への脅威をもたらす日本の計画に反対するよう求めた。

マニラ(日本大使館前)

韓国の市民団体「尹錫悦政権は福島第一原発の汚染水放出に明確な立場を表明せよ」

(ハンギョレ新聞 4月14日)
プサンの複数の市民団体が13日、尹錫悦政権に対して、福島第一原発の放射能汚染水の海洋投棄阻止に積極的にとりくむよう求めた。「汚染水の海洋放出は、日本に近いプサン市民の安全と命を脅かし、漁業者と水産業従事者の生存権を奪うだろう」
プサン(日本領事館前)
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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信181号
(23年4月20日発行、B5-32p)もくじ

福島の教訓を生かせ、バターン原発を解体せよ (デレック・チャベ)
 
・「老朽化した原発を延長するな」韓国で集会 (キム・グァンス)

       
・安全な世界、コリ2号機の閉鎖から! 核のない世界へ行進しよう!

      
・ネッカーヴェストハイム原発前に300人のデモ隊が集結 (イェンス・ニシング)


・ドイツ「脱原発」達成

                          
・放射性廃棄物処分場論争がオーストラリア連邦裁判所で開始 (ミシェル・マディガン)

 
・オーストラリアに原子力潜水艦、その多くのリスク (デイブ・スウィーニー)


・台湾第二原発廃止にあたっての全国廃核行動平台意見書

           
・4.13 グローバルアクション「STOP汚染水の海洋放出」

          
・福島汚染水放流阻止のための韓国 YWCA声明


・強行して作った概要調査前の寿都町住民投票はいつ (槌谷和幸)

      
・年度末、柏崎刈羽原発をめぐる状況 (小木曽茂子)

            
・3.10 島根原発2号機運転差止仮処分申し立て (芦原康江)

        
・「被災原発」である女川原発を再稼働してはならない (多々良哲)

      
・ストップ!川内原発20年延長運転、塩田知事に県民投票を望む (鳥原良子)


・高浜原発4号機事故と原発回帰 (宮崎宗真)

              
・老朽原発うごかすな! 関電本店~高浜原発リレーデモ (木戸惠子)

    
・GX脱炭素電源法の問題点 (満田夏花)

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