韓国核発電所の地域の概要と懸案

ヨン・ソンロク(脱核新聞編集委員長) *2023NNAF韓国での報告より

1. 釜山(プサン)

 万kW運転開始 
コリ1591978. 4永久停止
コリ2651983. 7延長申請
コリ3951985. 9延長申請
コリ4951986. 4延長申請
新コリ11002011. 2 
新コリ21002012. 7 
[釜山広域市機張郡長安邑]

コリ1号機は韓国で最初の原発で、1978年4月に商業運転を開始し、設計寿命が30年なのに1回寿命延長(10年)して約40年稼働後、永久停止した。事業者はさらにもう1回の寿命延長を図ったが、釜山市民をはじめとする全国の強力な永久停止要求があり、2015年6月に永久停止を決定した。

2017年6月19日、事業者である韓国水力原子力と文在寅大統領は「コリ1号機永久停止宣布式」を行い、6月18日24時を期して発電を停止した。

コリ1号機は2012年2月、計画予防整備期間に12分間ブラックアウトが発生したが、事業者がこれを隠して、1ヶ月後に事実が知られ、韓国社会に波紋を呼んだ。

韓国水力原子力は1985~86年に、コリ原発から出た核廃棄物46,000トンを長安邑吉川里の林野(山)に不法に埋めた

現在、事業者がコリ2~4号機の寿命延長手続きを進めている。

韓国原子力研究院は2022年9月から、釜山機張郡で「輸出用新型研究炉および付帯施設」建設工事を始めた。これは、下部駆動制御装置、板型核燃料など最新技術を適用した1.5万kW級の研究用原子炉を建設する工事だ。事業者は「この研究炉によって、放射性同位元素の国内需給安定化と製品輸出能力を確保する」としている。

釜山市民社会は、コリ2~4号機の寿命延長と高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)の敷地内貯蔵を防ぐ活動を展開している。

2. 蔚山(ウルサン)

 万kW運転開始 
セウル11402016.12 
セウル21402019. 9 
セウル3140 建設中
セウル4140 建設中
*セウル1・2・3・4 = 新コリ3・4・5・6
[蔚山広域市蔚州郡西生面]

事業者が2022年に、新コリ3~6号機の名前を、セウル1~4号機に変更した。セウル1~4号機は、韓国水力原子力が「独自開発した韓国型原発APR-1400」と広報しており、設備容量が140万kWで大容量だ。APR-1400はアラブ首長国連邦に韓国が輸出した炉型でもある。

釜山と蔚山の原発は、行政区域が異なるだけで、河川一つを挟んで同じ敷地だ。したがって、釜山と蔚山は、コリ原発、新コリ原発、セウル原発の事故時にその影響を同時に受けることになる。

釜山と蔚山の原発放射線非常計画区域は、380万人が居住する世界最大の人口密集地域だ。同じ敷地に10基(建設中2基含む)も密集しており、世界的にも例がない。

蔚山は、北の月城原発、南のコリ原発に挟まれており、計16基の原発に囲まれた都市だ。放射線非常計画区域に蔚山市民110万人のうち100万人が含まれる。蔚山は石油化学団地など大規模な国家産業団地が2つあるところで、事故時に、その影響は非常に大きいだろう。

蔚山では、市民社会と労働組合と進歩政党などが積極的に脱原発運動をくり広げており、2020年に「高レベル核廃棄物貯蔵施設建設阻止」のための住民投票をした経験がある。

最近、原発所在地の西生面の住民が、セウル原発5・6号機を誘致するという署名運動を行っており、蔚山市民社会などは寿命延長と新規原発建設阻止、高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)の敷地内貯蔵を防がなければならない課題がある。

3. 慶州(キョンジュ)

 万kW運転開始 
月城1681983. 4永久停止
月城2701997. 7 
月城3701998. 7 
月城4701999.10 
新月城11002012. 7 
新月城21002015. 7 
[慶尚北道慶州市陽北面]

韓国で唯一の重水炉型原発、月城(ウォルソン) 1~4号機があり、重水炉型は三重水素(トリチウム)排出量が軽水炉型より10倍多い。

天然ウランを核燃料として使用する月城1~4号機は、使用済み核燃料の発生量も軽水炉型より著しく多く、韓国では唯一、原発敷地内に、高レベル核廃棄物(使用済み核燃料)の乾式貯蔵施設がある。

月城1~4号機から放射性物質が漏出していた事実が2019年11月に明らかになり、現在、政府が民間調査団を構成して原因を調査中だ。月城1号機では、使用済み核燃料貯蔵プールの亀裂も発見された。

政府は月城1号機の寿命延長を許可したが、全国脱原発陣営が、最新技術基準の未適用など違法事項をあげて、寿命延長許可の取消訴訟を提起した。裁判所は違法事項を認め、政府が許可した寿命延長許可は取り消された。以後、事業者は2019年12月に永久停止を決定した。

月城には、中低レベル放射性廃棄物処分場もある。しかし、地下水の流入など問題が発生している。

韓国原子力研究院が慶州に「文武大王科学研究所」を建設中であり、ここでSMR(小型モジュール炉)の実証実験を行う計画だ。

月城1~4号機は三重水素(トリチウム)排出量が多く、住民の健康被害が深刻な状況だ。発電所の隣接地域住民の尿検査の結果、住民100%の尿で三重水素が検出された。環境省が最近実施した住民健康調査の結果、やはり住民の健康に異常があることが確認された。

「月城原発隣接地域住民移住対策委員会」が、移住を要求して、月城原発前のろう城テントで座り込みをしていて、現在9年目になる。

核関連総合百貨店と呼ばれる慶州での脱原発運動は慶州環境運動連合が主軸となり求心点の役割をしている。

4. 霊光(ヨングァン)

 万kW運転開始 
ハンビッ1951986. 8延長申請
ハンビッ2951987. 6延長申請
ハンビッ31001995. 3 
ハンビッ41001996. 1 
ハンビッ51002002. 5 
ハンビッ61002002.12 
[全羅南道霊光郡弘農邑]

もともと霊光原発という名前を使用していたが、「霊光クルビ(イシモチ)」など地域水産物販売の影響などの理由で、事業者が発電所名をハンビッ原発に変更した。

ハンビッ3・4号機で働いていた労働者の妻が、1988年と89年に、二度も無脳児を出産して社会的な波紋を巻き起こし、この事件は放射線被害を広く知らせた。政府はこれを収拾するため、1990年から約20年間、「原発従事者および周辺地域住民疫学調査」を実施した。

ハンビッ3・4号機は「不良工事の代名詞」と呼ばれている。「ハンビッ原発民官合同調査団」は、格納容器の157cmの空隙を発見した。200個近い格納容器の空隙が発見されている。

しかし、約5年7ヶ月稼働停止したハンビッ4号機が2022年12月から再稼働に入り、地域住民の反発が大きい状況だ。

ハンビッ1・2号機では、全数調査を通じて、これまで1号機で2330個、2号機で1508個の鉄板の腐食が発見された。

事業者は、ハンビッ1・2号機の寿命延長申請書を政府に提出し、地方自治体への放射線環境影響評価書(草案)公覧を準備中だ。

政府が2003年に、霊光付近の扶安(プアン)郡の蝟島を核廃棄場候補地として発表した後、扶安郡民と霊光郡民などの強力な闘争でこれを白紙化させた。

霊光の脱原発運動は住民中心性が強い。ハンビッ原発のすぐ隣に高敝(コチャン)郡があり、高敝郡住民と市民社会も「核のない社会のための高敝郡民行動」を中心に活発に脱原発活動をしている。

5. 蔚珍(ウルチン)

 万kW運転開始 
ハヌル1951988. 9 
ハヌル2951989. 9 
ハヌル31001998. 8 
ハヌル41001999.12 
ハヌル51002004. 7 
ハヌル61002005. 4 
新ハヌル11402022.12 
新ハヌル21402023.12 計26基
[慶尚北道蔚珍郡北面]

8基もの原発が稼働しているのは、世界でも蔚珍だけである。

事業者は、ハヌル7・8号機を、新ハヌル1・2号機と呼んでいる。これは、一つの地域に原発が多数あることを希釈する意図があるといえる。

新ハヌル1・2号機は、周辺に航空機滑走路があり航空機災害の評価などが不十分だという指摘を受け、水素除去装置も安全性問題が提起されたが、原子力安全委員会は運転を許可した。

新ハヌル2号機は、政府の「核振興政策」の影響で、原子力安全委員会が審査会議を4回だけ行って41日で運転を許可した。新ハヌル1号機の審査は7ヶ月もかかったのに。

原子力安全委員会の一部の委員は、審査の対象である事故管理計画書が含まれていない状態で運転許可を審議・議決したことは重大な欠陥であり違法だと主張している。

文在寅政府が新ハヌル3・4号機建設計画を白紙化したが、現政府が再び新ハヌル3・4号機の新規建設計画を推進している。

蔚珍原発には、国内で唯一の「中低レベル核廃棄物ガラス固化」設備があり、ガラス固化作業も進めている。

蔚珍は政治的保守性が強く、地方自治体と住民団体などが原発に友好的な性向がある。周辺の状況が難しい中、「核から安全に暮らしたい人々」という市民団体が脱原発活動をしている。

6. 原発と核廃棄場候補地だった 三陟と盈徳

(1) 三陟(サムチョク)

三陟住民の反核闘争は、原発建設計画を2回白紙化し、中低レベル放射性廃棄場誘致計画も1回防いだ。

政府は1991年に、三陟市近徳面に原発を建設すると発表した。住民たちは反対対策委を結成し、里長(村長)集団辞表など、反対運動に乗り出した。93年8月29日、住民たちは総決起大会を開いた。98年には国会前集会、光化門決議大会などで最高潮に達した。結局、政府は98年12月、三陟原発建設予定地指定を解除した。

これを記念して、住民たちは99年、近徳面に8・29記念公園を作り、「原発白紙化記念塔」と碑石を建てた。

2010年、キム・デス三陟市長が原発誘致を強力に推進すると公言した。12年9月、政府が再び、三陟を原発予定地に指定した。

住民たちは三陟市長選挙で、原発建設計画白紙化を公約に掲げたキム・ヤンホ氏を当選させ、三陟市長と市民は、2014年10月9日、「三陟原発建設賛否住民投票」を行い、建設反対84.9%と反対意思を明らかにした。

2019年6月5日、文在寅政府が三陟原発予定地指定を解除して、白紙化を成し遂げた。以後住民たちは8・29記念公園に2番目の原発白紙化記念塔を建てた。

政府は現在、三陟でも抜群に美しい海岸に石炭火力発電所建設を進めている。原発建設白紙化のためにたたかった住民たちは、いま、石炭火力発電所建設阻止のために全力を注いでいる。

(2) 盈徳(ヨンドク)

1988年、核廃棄場候補地として盈徳と蔚珍、迎日など東海岸の3地域が選ばれた。住民たちはその事実を知らなかったが、1989年2月に国会でこの事実が知られると、盈徳住民たちは街に飛び出して大規模デモを行って核廃棄場建設計画を防いだ。これは韓国初の核廃棄場反対運動だった。

2012年9月、政府が盈徳と三陟を原発予定地に指定した。三陟が住民投票を通じて原発建設反対意思を確認した翌年の2015年11月、盈徳住民たちも自主住民投票を推進した。投票の結果、全投票権者のうち32.5%が投票に参加し、そのうち91.7%が反対意思を明らかにした。そして2021年3月29日、政府は盈徳の原発予定地の指定を撤回した。

7. 大田(テジョン)

韓国原子力研究院があり、3万kW級の研究用原子炉を運転している。このハナロは、1995年に韓国が自力で設計した多目的研究用原子炉だ。ハナロは頻繁な稼働停止などで住民の不安を高めている。しかし、設計寿命がなく、まだ廃止していない。

大田には、研究や実験などのために、全国の原発から持ってきた使用済み核燃料が1699本もある。また、中低レベル放射性廃棄物も約3万ドラムある。
大田にある韓電原子燃料工場が、韓国のすべての原発が使用する核燃料棒を生産している。

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設計寿命満了
2023年コリ2 
2024年コリ3 
2025年コリ4ハンビッ1
2026年ハンビッ2月城2
2027年月城3ハヌル1
2028年ハヌル2 
2029年月城4 
月城原発の設計寿命は30年、他は40年

「老朽原発10基の寿命を延長するな!」

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信186号
(24年2月20日発行、B5-32p)もくじ

・若者たちが公設市場でバターン原発再建反対署名運動
韓国核発電所の地域の概要と懸案 (ヨン・ソンロク)            
『海島核事』― 台湾反核運動の軌跡 (鈴木真奈美)            
未稼働の第四原発 ― 楊貴英と呉文通 (王舜薇)              
非核のアジアを夢見て (王舜薇)                    
能登半島地震と原発リスク (北野進)                  
能登半島地震 ― それでもなお、原発回帰、再稼働を続けるのか (多名賀哲也)
令和6年能登半島地震を踏まえた意見書 (脱原発弁護団全国連絡会)    
3.23「ストップ!女川原発再稼働 さようなら原発全国集会in宮城」に参集を! (多々良哲)
女川原発2号機の再稼働を止める (舘脇章宏)               
上関町の中間貯蔵施設建設計画を止めよう (小中進)
青森県の再処理と中間貯蔵の現状 (小熊ひと美)             
ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.174~185 主要掲載記事一覧

 
ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
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台湾総統選、立法委員選について

とーちです。本年もよろしくお願いします。

昨日、台湾で総統選挙と立法委員選挙(日本でいう国会議員選挙。一委員制)が行われました。
総統選については民進党(2025年脱原発を制定)の賴清德が当選し、国民党の侯友宜と民衆党の柯文哲が敗北宣言をしました。
侯友宜は原稿を読むこともなく滔々と再起を語り、柯文哲は原稿を読んでいたのが意外に思えました。
(これは国民党の敗北原稿は用意されてなくて、柯文哲は予定通りなので原稿がある、という気がします)
一方、立法委員選挙は選挙前と比較して下記となりました。

  • 国民党 37->52
  • 民進党 62->51
  • 民衆党 5 -> 8
  • 時代力量 3 -> 0
  • 台湾基進 1 -> 0
  • 無所属 5 -> 2
  • 計 113

国民党が第一党ですが、過半数は57なので、国民党、民進党いずれも過半数に達しません。
無所属も2なので事実上、8議席を持っている民衆党がキャスティング・ボートを握ります。
蔡英文総統の時代は、常に立法委員でも第一党であったため、あれだけの実績を残せたわけです。
2000年には陳水扁が政権を取りましたが、一度は第四原発建設停止を決めながら、立法委員で国民党が圧倒的第一党だったため、政局となり、建設継続となったことが思い出されます。
当時は総統選と立法委員選挙が同日ではなく、1年から数か月離れていました。
その事情もあり、このねじれ状態は2000年以来といえるかも知れません。
選挙の最終版で民衆党の柯文哲は国民党との連立を拒否したのですが、その意図通りの結果になったといえます。柯文哲の敗北宣言はまるで勝利宣言のように笑顔でした。
原発に関して民衆党の柯文哲は、第二原発の再稼働、第三原発の稼働延長を主張していたため余談を許しません。
立法委員選挙は、

  • 小選挙区 73
  • 比例代表 34
  • 原住民 6

という構成なのですが、比例代表では民進党36%、国民党35%とわずかに高かったのですが、獲得議席は13と五分でした。民衆党は22%を獲得して8議席を取りました。民衆党は小選挙区では1議席も得ていません。すべて比例代表での議席です。柯文哲ありきの政党と思われるゆえんです。
ひまわり運動から誕生した時代力量が議席を失ったのは残念です。党首の王婉諭は再起を語っていました(たぶん)

能登半島地震に11億円を超える寄付を行ってくれた台湾の人々。
それだけ関心をもってくれているのに、志賀原発の状況の発信が不十分だったと反省しています。
今回ほとんど争点にならなかった原発ですが、時間がないとはいえ、再稼働させることのリスクを強調すれば少しは影響があったのではないか。立法委員の結果はほぼ読めていたので、民衆党の柯文哲に、志賀原発の状況を伝え、それでも再稼働するのですか?と突撃質問する記者が一人くらいいてもよかったのではないかと思えてなりません。

以上です。

「非核のアジアを夢見て」 王舜薇

台湾の40年間の反原発運動の歴史をまとめた『海島核事』(王舜薇・崔愫欣・劉惠敏・賴偉傑著、春山出版、2023年12月) 461~469ページ

佐藤大介にとって、長年にわたって台湾と日本を何度も往復し両地間の反原発交流に尽力する原動力となったのは、実はありふれた一枚の写真だった。妻と子供を連れて、貢寮(第四原発予定地)の反核自救会の楊貴英を訪ねたのだ。子供の足にひどい皮膚炎があるのを見て、彼女は朝、裏山で新鮮な薬草を摘んできて、家の外にしゃがみこんで2時間かけて、潰し、挽き、抽出し、子供に塗らせるために瓶に詰めて与えた。

お互いの世話をしながら、彼らは台湾と日本の反原発運動の最新の進展について話し合い、懸念と楽観主義を分かち合った。国籍や言葉の壁を超えた共同体意識が、世代を超えて運動を前進させているのだ。

日本の呉港は、第二次世界大戦中、主要な海軍の町であり、重要な軍事拠点だった。2003年、日立の原子炉を積んだ船が呉港を出港し、翌年には、横浜港から東芝製の原子炉を積んだ船が海を渡った。

両船とも貢寮行きであったが、20年経った今も、両船が積んでいた第四原発1号炉と2号炉は静かに封印されたまま稼働していない。台湾民衆の頑強な抵抗に加え、地元住民たちからの対抗措置にも直面してきた。

上の左から2人目が楊貴英

■ 非核アジアフォーラムの設立

佐藤大介は1957年生まれ。高校時代に読んだ韓国人反体制派の詩をきっかけに植民地支配と独裁政権への抵抗の歴史を知り、大学では朝鮮語を専攻する。1980年5月、韓国の悲惨な光州事件のとき、韓国の学生や労働者への支持を示すため、キャンパスで断食運動を始めた。

卒業後、佐藤は大阪で就職し、日雇労働者の相談員として労働災害などに対応した。仕事柄、原発で働く派遣労働者と接することが多く、彼らが放射線被曝のリスクと脆弱な職場環境に直面していることを知った。労働者の権利保護に貢献するだけでなく、佐藤は上司を説得して、リスクの高い原発の仕事を労働者に紹介するのを止めさせたこともあった。そして、反原発運動に注力するようになった。

チェルノブイリ原発事故後、欧米では原発の新規建設計画は止まり、新たな市場を求める原発事業者にとってはアジアの新興国がターゲットとなっていた。日本も1990年に、中国、インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア、韓国を招いて第1回「アジア地域原子力協力国際会議」を開催した。この会議の目的は、表面的には原子力開発のための専門的な問題や人材育成について他国と議論することだったが、実際には、原発の輸出を促進するために、日本の原発の経験を宣伝した。「地域住民は、優れた福祉を受け、原発を積極的に受け入れている」と宣伝し、各国に地域住民への工作方法を教えた。

日本の原発の現実をアジア諸国に伝えるため、佐藤大介は韓国の反原発団体と連絡を取り合い、各地で反原発運動をしている人たちとともに、国境を越えたプラットフォームである「非核アジアフォーラム(No Nukes Asia Forum)」を設立した。

1993年の第1回フォーラムは日本で開催され、海外7カ国から30人が参加し、日本国内では7つのグループに分かれて原発立地地域を訪問した。台湾側では、環境保護連盟が郭建平、廖彬良ら10人の代表を派遣し、蘭ユ島の核廃棄物反対闘争や貢寮の第四原発反対運動の状況を報告した。

以来、このフォーラムは毎年アジア各国で開催され、各国の反原発ニュースを定期的にまとめ、出版物を発行して各団体の気運を維持してきた。

1995年に台湾で初めて開催された非核アジアフォーラムでは、世界各国の反原発活動家が、原発のある地域だけでなく、蘭ユ島に行って反核廃棄物の問題を学んだり、台北での第四原発反対集会とデモに参加して、当時フランスが南太平洋のポリネシアで行った核実験にも抗議した。

非核アジアフォーラムは、台湾を支援する最も重要な国際反原発ネットワークであり、現在まで台湾ではフォーラムが6回開催されている。

■ 台日原発運命共同体

「日本政府はいつも原発をうまく運転しているかのように主張しているが、実際には、日本の原発は、情報の選択的開示、嘘、ごまかしの上に成り立っている」。佐藤大介は非核アジアフォーラムで怒りを込めて指摘してきた。

台湾は日本に植民地化された歴史があり、文化的にも地理的にも近いため、日本は台湾の反原発運動にとって最も重要な同盟国となっている。


1895年に日本軍が塩寮の海岸に上陸し、50年にわたる植民地支配が始まったこと、そして日本製の原子炉2基も塩寮の海岸から台湾に上陸したことを知った後、交流のために台湾を訪れた多くの日本人は、貢寮の住民に深々と頭を下げ、「申し訳ありません、これは第二の植民地化です」と言った。

   *中略(日本の原発について)


2007年7月、新潟県でマグニチュード6.8の大地震が発生し、世界最大規模7基の柏崎刈羽原発では、放射性物質の冷却水漏れもあり、地震の影響により日本の原発で初めて長期停止した。柏崎刈羽原発の6号機と7号機で使用されている改良型沸騰水型原発(ABWR)は、第四原発に輸出されているものと同型であるため、この原発安全上の事故は、同原発の耐震性の低さを浮き彫りにし、台湾の反原発団体が特に懸念している。(訳注:柏崎市会議員たちが1990年代から何度も訪台し、ABWRの危険性を集会や記者会見などで伝えた)

1996年、アメリカのGE社が原発を落札し、日立製作所と東芝に原子炉の受注を譲渡したことで、台湾は日本の原子力産業が初めて原子炉を海外に輸出する国となった。しかし、核拡散防止条約(NPT)加盟国である日本は、国際原子力機関(IAEA)が定める「原発輸入国が原子力施設や原材料を核兵器製造に使用することを禁止する正式な協定」を、台湾と締結する義務を遵守すべきであったが、台湾と日本は正式な国交がないため、この協定締結は回避され、日本の反原発団体から批判と懸念の声が上がった。

非核アジアフォーラム日本事務局のあっせんの下、多くの日本の専門家が台湾を訪れ、第四原発の安全上の問題点を指摘してきた。たとえば、かつてGEで原発建設工程管理を担当した原発技術者の菊地洋一氏は2003年から13年にかけて3回台湾を訪れ、第四原発の建設現場の質の低さ、請負業者の工事に問題が山積していることを公然と指摘し、地震に対する台湾電力の対応能力にも疑問を呈した。2010年には地質学者の塩坂邦雄氏が台湾を訪れ、第四原発の周辺に活断層が存在することを明らかにした。(訳注:2010年には刈羽村の武本和幸氏も訪台し地形視察と記者会見を行った)

2001年に第四原発の建設が再開され、反原発運動が下火になったが、これらの専門家の証言のおかげで、原発の進行を効果的に牽制することができ、社会的関心が後退していても国民の監視から逃れることはできなかった。

台湾の反原発運動に最も熱心に反応した日本人は、山口県の瀬戸内海に浮かぶ小さな離島、祝島の住民だろう。人口300人あまりのこの島の住民の大半は、海を生活の基盤としており、1980年代初頭から、4キロ離れた離島に建設される上関原発の計画に反対する運動を続けてきた。毎週月曜日の夕方、島民たちは定期的に島内を行進し、その回数は1000回を超えている。

2006年、呉文通と崔スーシンが祝島を訪れ、ドキュメンタリー映画『こんにちは貢寮』を上映した。原発問題に関心を持つ台湾の学生、陳炯霖が通訳した。貢寮の漁師たちが漁船を走らせ、海で闘う映像を見て、祝島の住民たちは「ここと同じだ!」と叫んだ。

■ 福島原発事故後の東アジア反原発交流

台湾と同様の民主化と経済発展の歴史をもつ韓国もまた、反原発運動の重要な同盟国である。韓国の反原発運動は民主化運動の進展と大きく結びついてきた。

しかし韓国政府の原発開発への野心は、さらに強かった。将来の原発輸出国の基盤となる垂直統合システムを構築した。韓国には25基の原発があり、国内電力の3分の1を供給している。

李明博政権下(2008~13年)の韓国政府は、原発輸出を景気刺激策として利用し、20年間で80基の原発を輸出し3000億米ドルの利益を生み出す計画を立てた。2009年、韓国電力はアラブ首長国連邦(UAE)初の原発を200億ドルで落札した。バラカ原発4基が建設された。この韓国からの初の原発輸出は、「経済的奇跡であり、原子力産業の成功」と宣伝されている。

日本の54基の原発が一時停止した2011年の福島原発事故の後、世界の反原発運動は新たな活力を得た。同年、ソウル市長に当選した社会運動家の朴元淳弁護士は、「原発を1基減らそう」というイニシアチブを立ち上げ、市民に節電と再生可能エネルギーの比率を高めるよう呼びかけた。このような自治体主導のモデルは、台湾の団体にも注目され、経験を学び、交換することで、ポスト福島時代のエネルギー転換のとりくみへの道を開いている。

フィリピン、インドネシア、ベトナム、インドなど他のアジア諸国の反原発運動は、それぞれの国の社会運動や言論の自由の度合いに影響されており、これらの国の反原発活動家は、台湾、韓国、日本の活動家よりも厳しい政治的弾圧に直面している。言論の自由も市民運動もない中国では、原発は公然と議論できないタブーに近いテーマであり、一般市民が原発への疑問を表明する術はない。

地球の反対側ヨーロッパでは反原発運動が早くから始まった。台湾の反原発運動は、ドイツの「人間の鎖」による道路封鎖や裸の反原発デモなど、多くの抗議行動や文化的行動の形を借用している。

■ 反原発運動における台湾の成功と失敗:アジアにとっての指標

「福島原発事故以後、アジア各国で反原発運動は拡大した」。2019年9月に台北で開催された非核アジアフォーラムで、佐藤大介はそう語った。

戒厳令の解除、政権の交代、第四原発の建設中止と再開と凍結、第一原発の廃炉など、台湾の劇的な変遷の過程を目の当たりにしてきた佐藤は、「運動が継承されていることが、台湾と日本の最大の違いだ」という。ポスト福島の時代に多様な抵抗運動を展開し、若者を多く惹きつけた台湾に比べ、日本の社会運動は1970年前後の学生運動以降に空白期間があり、次の世代を育てることが難しかった。

廃炉時代の到来により、日本、韓国、台湾の第一世代は廃炉という茨の道に直面しており、放射性廃棄物の処分には、他国の経験を参考にする必要がある。台湾にとっても、放射性廃棄物問題は重要である。

2023年、30周年の非核アジアフォーラムが韓国で行われ、佐藤大介は「気候正義行進」のステージであいさつした。「私たちは、原発に対抗し続け、最終的には勝利するでしょう。それが歴史の必然です。しかし、できるだけ早く勝利しなければなりません。チェルノブイリや福島のような大事故が繰り返される前に、原発を終わらせなければなりません。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。私たちの子孫のために、一緒に脱原発を実現しましょう」

「台湾は、脱原発を実現するアジアで最初の国であり、台湾の非核政策は、東アジアのエネルギー政策の発展に影響を与える」と佐藤は言う。アジア諸国は、情報を交換し、行動を起こすことで、共に学び、成長し続けなければならない。

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★『台湾廃核運動史』
https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/2555
「2014年4月27日、「終結核電、還權於民(原発を終わらせよう、主権を市民に返せ)」と叫びながら、5万人のデモ隊が、総統府前の凱達格蘭大道から出発した。忠孝西路の台北駅に面したエリアに着いたデモ隊は、予告通り、道路占拠を図り、人数の勢いで警察の封鎖を突破し、八車線道路を15時間占拠した」

1993年6月21日、楊貴英(右端)は、幼い娘を連れて立法院(国会)に抗議に行った

各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況
■ インタビュー/エミリー・ファハルド
「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」
■「脱核を成し遂げよう」佐藤大介・小原つなき
■「原発輸出に血眼の韓国は加害者」イ・ホンソク


ヨン・ソンロク(脱核新聞編集委員)  脱核新聞10月号より


今年で30周年を迎えた反核アジアフォーラム(NNAF/No Nukes Asia Forum)が、9月19日から23日までの5日間、韓国で開かれた。20回目となる今回のフォーラムには、韓国をはじめ、日本、インド、台湾、タイ、オーストラリア、フィリピン、トルコ、8ヵ国が参加した。海外参加者は29人だ。フォーラム参加者らは、2025年の反核アジアフォーラムの開催地を台湾に決定した。

■ 2023反核アジアフォーラム、盛況(ヨン・ソンロク

2023反核アジアフォーラムは9月19日、ソウルのカトリック会館で開会式を行った。開会式でヤン・ギソク神父(韓国組織委員会共同委員長)は「ノーニュークス・アジアフォーラムを30年間率いてきた日本事務局の佐藤大介さんをはじめとする皆さんに感謝と尊敬の気持ちを伝える」と述べた。さらに、「韓国の反原発運動がきちんと根を下ろしていなかったとき、日本の反原発運動家たちとノーニュークス・アジアフォーラムが大きな力になったという話を聞いた」とし、「これからは韓国でもアジア各国の反原発運動の力になれる方法を模索する」と話した。さらに、「原発は絶えず差別と不平等を生む」とし、原発による住民の健康被害と、絶え間ない抵抗について言及した。

佐藤大介反核アジアフォーラム日本事務局長は挨拶で、「ノーニュークス・アジアフォーラムの30年間は、人々のたたかいの歴史のたった1ページですが、たしかな1ページです。アジアの各地で、人々は原発を進めようとする支配者たちとたたかってきました。それは、民主主義を求めるたたかいとつながっています」と述べ、また、都市住民は、原発周辺の住民に対して加害者の立場、原発輸出国の住民は輸出相手国の住民に対して加害者の立場にあると話した。彼は、放射能の加害者にならないために、原発周辺の住民、輸出相手国の住民と手を組んでたたかう責任があると話した。そして、汚染水を海洋投棄する日本は放射能の加害国になってしまったとし、日本で反対運動を続けると話した。


初日、ソウルで開かれたフォーラムでは、各国の参加者が国別の原発状況を発表した。オーストラリアではウラン採掘による先住民族の被害が大きく、地震国トルコでは原発建設が続けられている。フィリピン、インドでは原発反対の闘いの過程で多くの犠牲者が発生した。日本、韓国などは原発輸出に長い間努力を傾けている。タイは最近、米国と手を組んでSMR(小型モジュール原子炉)を計画するとしている。
台湾は、長年の運動が実を結び、2025年に原発ゼロを実現する。


初日のテーマ別セミナーでは、「福島原発汚染水問題」「アジアの核兵器と平和」「気候危機と原発」をテーマに討論した。


2日目、釜山では、日本領事館前で福島汚染水の海洋投棄中止を訴える記者会見を行った。その後、密陽送電塔反対住民が参加するなかで、「原子力と国家暴力」「老朽原発寿命延長」をテーマにフォーラムを進行した。翌日午前にはコリ原発がある現地で「原発と住民被害」について共有した。


21日、蔚山(ウルサン)では蔚山市役所のプレスセンターで老朽原発の寿命延長中止を求める記者会見を開き、「使用済み核燃料処分問題」などのテーマでフォーラムを開いた。蔚山記者会見はいつにも増してマスコミ各社の取材熱気が熱かった。


22日、慶州と月城(ウォルソン)原発前で、「低線量被曝と住民健康被害、甲状腺がん訴訟」をテーマに討論し、その後、蔚珍(ウルチン)原発と、住民投票で原発建設計画を白紙化した三陟(サムチョク)の「原発白紙化記念塔」を訪問し、住民と交流した。


23日にはソウルで3万人の「9.23気候正義行進」に合流した。夜は、反原発・脱原発の青年活動家たちが交流会を開いた。


多くのマスコミが反核アジアフォーラムを取材して報じた。

2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会には43団体が参加した。フォーラム準備と進行、通訳と翻訳などには韓国組織委員会の多くの活動家などが格別な努力を傾けた。釜山、蔚山、慶州での集会は、地域の脱原発団体が準備して進めた。蔚珍と三陟では、現場を見学し交流するプログラムを実施した。ソンミサン学校の生徒たちもフォーラム全体の日程を共にした。韓国の原発地域の問題とアジア各国の反原発運動に接し、反原発運動の理解の幅を広げた。

■ 「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」インタビュー/エミリー・ファハルド(Nukes Coal-Free Bataan)

「原発地域住民の話を直接聞くことができた良い機会だった。いつも悲しい話だが、住民たちの要求を無視する韓国政府と原発会社に対抗して、今も自分の権利のためにたたかっているのは感動的だ。また、三陟(サムチョク)地域住民の闘争と勝利の話、慶州月城原発に反対する住民たちが続けている抗議行動と籠城テントに感動を受けた。

今回のフォーラムで最も印象深かったのは、多くの若者たちが参加する姿に接したことだ。若者たちと一緒に過ごしたことは楽しみとインスピレーションの源となった。
ノーニュークス・アジアフォーラムを続ける次世代人材を確保することが重要だ」  *抜粋

■ 「脱核を成し遂げよう」9・23気候正義行進の集会での発言/佐藤大介(反核アジアフォーラム日本事務局)、小原つなき(脱核新聞編集委員)

私たち日本人は、汚染水の海洋投棄を防ぐことができませんでした。日本はアジア諸国を侵略、植民地支配しましたが、今度は放射能の加害者になってしまいました。日本人の一人としてお詫び申し上げます。汚染水の海洋投棄を止めるために、今後も日本でも、反対し続けます。

1993年に発足した反核アジアフォーラムは、今年で30年目です。今回のフォーラムは、5日間の日程で、ソウルで会議を開いた後、釜山、古里、蔚山、慶州、蔚珍、三陟に行ってきました。韓国以外では、日本、台湾、フィリピン、タイ、インド、トルコ、オーストラリアから、29人が参加しました。


アジア各地の人びとは30 年以上、原発を推進する勢力と闘ってきました。脱原発運動は民主主義を求める闘いでもあります。


今、世界中で気候正義と脱原発を求める声が高まっています。原発は気候危機の解決策ではありません。事故の危険性と核廃棄物問題を抱えている原発は、差別と不平等を深め、むしろ再生エネルギーの拡大を阻みます。気候危機を口実にした「老朽原発の寿命延長と新規原発建設」に反対するアジア各国の脱原発運動に共に連帯してください。


私たちは、原発に対抗し続け、最終的には勝利するでしょう。それが歴史の必然です。しかし、できるだけ早く勝利しなければなりません。チェルノブイリや福島のような大事故が繰り返される前に、原発を終わらせなければなりません。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。私たちの子孫のために、一緒に脱原発を実現しましょう。脱核!

*영상映像(4分)
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0KaurFAqYh9jcR6iYL7tBToDSCXzFkMJRfsyCRYervM965xy43rq7zh5mVRZFAMdFl&id=100000477953354&mibextid=CDWPTG

* 佐藤大介さんは、反核アジアフォーラムの開始からこれまで日本事務局を担当・運営しており、事実上、全体事務局の役割も果たしている。アジア各国の反原発運動の情報を収集・発信し、30年間行われた反核アジアフォーラムを記録・整理して資料化している。(ヨン・ソンロク)

■ 原発輸出に血眼の韓国は加害者/イ・ホンソク(2023反核アジアフォーラム韓国組織委員会)

7月、産業通商資源部は2027年までに約5兆ウォン規模の原発設備海外受注プロジェクトに挑戦すると明らかにした。同計画は、2030年までに原発10基を輸出するという尹錫悦政府の目標の一環だ。主事業者に選定されなくても、原発の周辺機器など各種設備プロジェクトに参加して、関連中小企業100社を育成するということだ。

09年UAEの原発受注後、韓国は海外原発建設プロジェクトに応札を続けている。しかし、いまだに、原発輸出問題は韓国の脱原発運動内部ですら注目されていない。


今年、反核アジアフォーラムを準備する際、海外の脱原発活動家から韓国の原発輸出計画の情報を求める要請を何度も受けた。


現在、事業者を選定中のトルコ原発建設事業に参加するため、韓電社長から尹錫悦大統領までがトルコに売り込み工作を行っている。タイには、韓国原子力研究院が研究用原子炉の輸出計画を推進している。韓国原子力研究院は、2009年にヨルダンへの研究用原子炉輸出に合意した後、釜山機張郡に輸出用新型研究炉の建設を進めている。


タイの仲間から、タイへの原発輸出計画について質問された。基本的な情報を伝えたが、「韓国ではまだ、本格的な原発輸出反対運動はない」とは言えなかった。


社会運動の進歩派から「原発輸出計画に反対するのは難しい」という声も聞いている。


脱原発運動の基本は「核のない世の中を作ること」であり、国内と国外を分けない。力量の問題で海の向こうの全ての国の原発に反対運動を展開することは難しいが、少なくとも、韓国が関与する海外核施設プロジェクトは韓国の脱原発運動の役割だ。


海外の脱原発活動家と専門家の助けがなかったら、国内の脱原発運動はここまで来れなかっただろう。


今回の反核アジアフォーラムは、多くの団体や各原発地域の人たちが一緒に準備して進めた。組織委員会執行委員長として足りない点もあったと思うが、世界5位の原発大国であり原発輸出国である韓国の脱原発活動家の視野が、反核アジアフォーラムを通じて一層広くなったことを願う。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信185号
(23年12月20日発行、B5-32p)もくじ

・各国の反原発運動に対する理解の幅を広げた国際交流
  ― 2023反核アジアフォーラム、盛況 ― (ヨン・ソンロク)        
・「今回のフォーラムは感動とインスピレーションの源」 (エミリー・ファハルド)
・「脱核を成し遂げよう」 (佐藤大介・小原つなき)             
・原発輸出に血眼の韓国は加害者 (イ・ホンソク)              
・核を越えて、平和のアジアのための青年活動家交流会 (コン・ヘウォン)   
・老朽原発と核廃棄場のない釜山へ (ミン・ウンジュ)            
・霊光ハンビッ1・2号機の寿命延長に反対する (小原つなき)        
・2023 NNAF釜山声明 「アジアの人々が連帯して核汚染水の海洋投棄に抗議し、
           核を超えて、生命と平和の世界へ」         
・2023 NNAF共同声明 「核を越えて、生命と平和のアジアへ!」       
・原発事故12年目の避難指示エリア 〜 抵抗する人びと (豊田直巳)     
・「脱核アジア連帯30年」 「韓国でNNAF第20回フォーラム」 
「アジアの脱原発運動30年、佐藤大介さん」 23.12                     
33年、未だに終結しない、オンカラック研究炉建設計画           
・柏崎刈羽原発再稼働 もってのほか! (小木曽茂子)            
・女川原発再稼働差止訴訟控訴審 (日野正美)               
・上関町民を苦しめ続ける中国電力を許さない (渡田正弘)         
・「原発のないふるさと」を語り継ぐことの大切さ (山中幸子)        
・東海第二原発の再稼働を許さない 11.18首都圏大集会 (小山芳樹)     
・「12.3とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会」に全国から結集、暴走止めよう!と誓った (橋田秀美)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信は、年6回発行。購読料:年2000円。
見本誌を無料で送ります。連絡ください → sdaisuke アット rice.ocn.ne.jp
 

33年、未だに終結しない、オンカラック研究炉建設計画

(สื่อคุณภาพของคนรุ่นใหม่ที่คัดเลือกประเด็นอย่างพิถีพิถัน ส่ใจในบทสนทนาและความจริงของผู้คนทุกชนชั้น
THAI PUBLIC BROADCASTING SERVICE 11.16)

オンカラック住民たちが公聴会を「粉砕」、9月10日

タイ・オンカラックで研究炉建設計画を推し進める関係機関は、「この研究用原子炉は集落に影響を及ぼさない」というデータを発表した。地域の住民は明確さを求め、反対を申し立てている。

「抵抗する考えの人はたくさんいると思います、原子炉をここに持ってきてほしくない。住民の苦しみが増します。その責任を誰がとるのですか」


オンカラックの農民、マーノップ・ケーオサリーさんの心配に満ちた声だ。彼は、何十年も、魚を飼い、田を耕し、えびを養殖してきた。彼の住む家は、オンカラック国家原子力技術研究所から1キロも離れていない。


マーノップさんは、国家原子力技術研究所の、医療、農業、工業のための新しい研究炉建設計画に反対する住民の一人だ。その原子炉は、オンカラック郡サーイムーン地区に招致、建設が計画されている。しかし、それはまた30年以上の長きにわたる住民からの反対という問題を切り離すことができない。


タイには、すでに研究用の原子炉がある。医療用ラジオアイソトープ(放射性同位元素)を生産するためのもので、バンコクのバーンケーンに建てられ、研究、医療、農業、工業、すべての分野で使うために1962年から稼働を始めた。


だが、この原子炉は1975年に1000kWから2000kWに改造されたが、能力に限界があった。そこで新しい研究炉を建設する計画が持ち上がったが、都市部の膨張でバンコクのバーンケーンに建てることは、もはや妥当ではなくなってしまった。


1990年、1万kW規模の新しいものを建設する案が内閣から出された。ナコーンナヨック県オンカラック郡サーイムーン地区が狙いをつけられ選ばれた地点だった。しかし、建設計画は、地域住民と研究者たちの反対のすう勢から中止をよぎなくされた。


2017年になり、再度、建設計画がもちあがった。このプロジェクトは3回もどってきたことになる。能力も2万kWに拡張され、公聴会も、第1回(2018年)、第2回(2019年)と開かれた。


そして、3回目の公聴会が、2023年9月10日に行われたが、地域住民の抵抗にあって、最終的にこの会は「流会」になった。


反対派ネットワークのリーダーの一人であり、ナコーンナヨック市民協会会長の医学博士スティ・ラッタナモンコンクン助教授は、「この研究炉建設計画は地域の住民にずっと反対されてきました」と語った。


「大きな問題の1つは、すなわち、建設地がナコーンナヨック川の近くに位置するということです。地域住民は、ナコーンナヨック県をバンコクやその隣接県の人々が心をなごませ休養に来るオアシスのような役割を担う所にしておきたいのです」


「オンカラックが研究炉の立地にどう適しているのですか、私たちの質問に答えてください。これだけは答えていただきたい。僕はこうくりかえし3回訊きましたが、彼らは何も答えませんでした」


 3回目の公聴会が「流会」になった後、ナコーンナヨック市民協会とナコーンナヨックの自然遺産を愛する人達のネットワークは共同して、オンカラック郡11の全地区で、このプロジェクトに反対する民衆の署名を集め、その8212名の署名付き書簡をタイ工業連盟(FTI)会長に申し入れた。また、次の機会にはナコーンナヨック県知事あてに書簡を提出する予定をしている。


(原文タイ語、翻訳:吉田かずみ)

【本『原発をとめるアジアの人びと』より】

1998年のNNAFのバンコクでの会議には、研究炉建設計画がもちあがっていたバンコク近郊のナコンナヨク県オンカラックの村人たちも参加した。96年に、応札した複数の海外企業の中からアメリカのゼネラルアトミック社が落札した。オンカラックは豊かな農業地帯であり、灌漑設備が非常に発達していてエビや魚の養殖も盛んである。予定地から4キロ以内に4つの学校と1つの病院がある。突然の研究炉計画は、地域の人々の不安をかきたてた。

2000年3月にはオンカラックから700人の村人たちが10台のバスを連ねてバンコクの科学技術省前につめかけ、激しい抗議行動をくり広げた。「コバルト60事故に対応できなかった原子力庁が、1万kWの研究炉を安全に運転することなど不可能だ!」と抗議の声を上げた。科学省副大臣が村民代表と非公開の協議を行ない、「地元が反対している限り、政府は研究炉の建設を許可しない」との念書にサインさせた。

ノーニュークス・アジアフォーラム 韓国 報告会『韓国の原発推進と、福島原発事故の今、そして汚染水問題』

お話:藍原寛子
(福島市在住ジャーナリスト。今回の「ノーニュークス・アジアフォーラム in 韓国」の記事を週刊金曜日10月27日発売号に掲載)

11月25日(土)14:30-(14:00開場)
大阪市立総合生涯学習センター第7研修室(大阪駅前第2ビル5F)

チラシPDF両面印刷 → https://nonukesasiaforum.org/japan/20231125pdf

第20回ノーニュークス・アジアフォーラム in 韓国 ダイジェスト

韓国のスタッフ・通訳のみなさん、ソウル・釜山・蔚山・慶州・月城・蔚珍・三陟のみなさん、
ありがとうございました!

9月20日、プサン

日程

9月19日
ソウル会議:NNAF開会式
各国報告(台湾、フィリピン、インド、ベトナム、オーストラリア、韓国、タイ、トルコ、日本)
セミナー1. 福島原発汚染水問題
セミナー2. 核兵器と平和
セミナー3. 気候危機と原子力産業、原発輸出

9月20日
プサン記者会見 :「福島原発汚染水投棄反対」(日本領事館前)
プサン集会 : 1. 原子力と国家暴力・住民闘争(密陽ほか)、文化公演、

      2.老朽原発寿命延長(対馬報告も)

9月21日
古里(コリ)原発、セミナー :「コリ原発の歴史など」
蔚山(ウルサン)市庁で記者会見
蔚山集会 : 1. 使用済み核燃料処分問題 2. 各国の反原発運動の経験

9月22日
慶州(キョンジュ)集会 :「韓国の甲状腺がん訴訟」
月城(ウォルソン)原発前で集会 :「放射能被害住民の移転問題」
蔚珍(ウルチン/ハヌル)原発 :「住民との交流」
三陟(サムチョク)原発白紙化記念塔 :「三陟対策委と交流会」
「三陟の原発・核廃棄物処分場反対運動の歴史と石炭火力発電所新設反対運動」
宣言文と次回NNAFについて討論

9月23日
ソウル「9.23気候正義行進」
(3万人集会・デモ、脱原発を訴える!)
青年活動家交流会 


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主催:NNAF韓国組織委員会(エネルギー正義行動、グリーンコリア、正義党、脱核慶州市民共同行動、脱核釜山市民連帯、脱核新聞、脱核蔚山市民共同行動、YWCA連合会、環境運動連合など、43団体)

セウル1.2.3.4号 = 新古里3.4.5.6号
(日本経済新聞 23.7.19 より)

ソウル会議 「30年の活動を評価し、新しい30年を築くきっかけに」

設立から30年目を迎えた今年、NNAF は9月19日、ソウルの中心地、明洞にあるカトリック会館で開幕した。コロナ禍を経て4年ぶりの再会となり、各国の脱原発活動家や韓国の市民らは開催の喜びを実感するとともに、アジア各国の脱原発の最新情報と課題を共有。引き続きNNAFのネットワークの連帯を強め、よりアクティブにアジアの原発ゼロをめざすことも再確認した。

会議はイ・ホンソクさん(エネルギー正義行動)の司会で始まった。パク・ミギョンNNAF韓国組織委員会・共同委員長は、「現在のユン政権は、反対する住民の意見を無視して、原発の運転を60年まで延長しようとするなど、原発ルネッサンスを進めている。福島原発が私たちに警告したように、原発事故では危険が予測できず、コントロールもできない。原発を廃止することこそが、事故を防ぐ唯一の道だ。原発や核なきアジア、生命を守り平和を築くアジアの実現に共にとりくもう」とあいさつした。

佐藤大介NNAF日本事務局長は、NNAFの30年間の活動を振り返り、「アジアの各国で原発を進めようとする支配者たちに対する人々の闘いの歴史の1ページであり、民主主義を求める闘いだ」と語った。そして「都市の住民は原発近くの住民に対して加害者の立場であり、原発輸出国の住民は輸出先国の住民に対して加害者の立場にある。汚染水を海洋投棄する日本は加害国になった」「すでに世界中どこでも原発は産業として成り立たなくなってきた。私たちアジアの人々は闘い続け、最後は必ず勝利する。それが歴史の必然だ。素晴らしい仲間たちと、お互いに学び合い、励まし合って頑張ろう」と述べた。

続いて、ヤン・ギソクNNAF韓国組織委員会・共同委員長が基調講演に立った。「この30年間、皆さんの精力的な活動がなければ、韓国をはじめ、アジア各国には、より多くの原発が建っていた。米国スリーマイルやソ連のチェルノブイリ、日本の福島で甚大な原発事故が起きたにも関わらず、原発を推進する各国政府や産業界は、『原発は安全で安価だ』『気候危機の代案だ』という話をくり返している。しかし『核なき世界』の実現にとりくむNNAFの皆さんの献身的な努力のおかげで、原発は安全ではないということに人々は気づくようになり、新規原発の数は減少している」とNNAFの活動を称えた。

そして「原発を増やそうとする一部の国の動きがあり、その代表格が韓国だ。25基の原発が稼働し、18基の寿命延長だけでなく、小型原子炉(SMR)の研究開発や、トルコやフィリピンなどへの輸出の動きが出ている。韓国で稼働する原発周辺では、甲状腺がん、健康上の問題が起き、『我が体が証拠だ』と脱原発の訴えが出たが、政府と原発産業側は因果関係を認めず、裁判所も被害を認めなかった。しかし、明らかに被害があり、今でも大勢の人たちが放射性物質にさらされている。福島原発から海洋放出された汚染水の問題も一緒。福島の漁民と、日本の国民、周辺国の我々の心配、憂慮にも関わらず、汚染水放流が強行された。生物蓄積、生態系や未来世代に悪影響を及ぼすだろう。原発は、健康被害や処理できない廃棄物問題で、差別と不平等を絶えず作り出す。戦争でも攻撃の標的になる。安全な原発など存在しない。これまでの30年の活動を評価し、新しい30年を築くきっかけになったらと思う。核なきアジアの実現に向け、共に頑張ろう」と話した。


この後は、各国報告。
台湾のリン・チェンイェンさん(緑色公民行動連盟)、リン・シュエユアンさん(環境保護連盟)は、日本が輸出した第四原発の廃止を含め2025年5月に原発ゼロが実現することになった脱原発運動の状況と、福島の汚染水海洋放出に対する反対運動について報告した。
また、エミリー・ファハルドさん(フィリピン)、ヴァイシャリ・パティルさん(インド)、エイドリアン・グラモーガンさん(オーストラリア)、吉井美知子さん(ベトナム報告)、プラソン・パンスリさん(タイ)、プナール・デミルジャンさん(トルコ)、藤本泰成さん(日本)らが報告。

そして、福島原発汚染水問題、核兵器と平和、気候危機と原子力産業・原発輸出について、それぞれ報告とディスカッションが行われた。菅波完さん、湯浅正恵さん、川瀬俊治さん、豊田直巳さんらも登壇、意見を交わした。

(藍原寛子) 

プサン記者会見(汚染水投棄反対)、プサン集会(原子力と国家暴力、老朽原発寿命延長、対馬)

20日朝、KTXに乗り、2時間半かけてソウルからプサンへ移動しました。駅構内の食堂へ。キムチやスンドゥブなど何種類かメニューが置いてあり、自分で好きなだけ取るビュッフェスタイル。個人的にはおかゆがとても美味しく、お代わりしました。

その後記者会見現場に徒歩で移動。大きな交差点に、大きな銅像。誰だろう? 聞くと、秀吉の朝鮮侵略時に活躍した鄭撥(チョン・バル)将軍だそうです。その銅像の前が会見場所です。現地に到着すると韓国の警察らしき男性が何十人も待機しています。さっきの緩やかさから一変、物々しい雰囲気に包まれますが、こういった市民活動をされている皆さんは慣れた様子。


大きなプラカードを後ろで若い子たちが持ってくれています。その前に、私たちは3列に並びました。道行く人、路線バスで行き交う乗客、様々な視線を浴びながらマイクが次々に変わり、それぞれの国の参加者が思いを語ります。日本からは菅波さんがアピール。福島原発の汚染水投棄に抗議する声明が次々と出され、我々もシュプレヒコールを挟みます。


アジアから大勢の人が集まって、違う言語で同じテーマで主張をする、このことがとても印象に残っています。


記者会見会場から次の集会場所に向かう途中で「草梁」という地名を通りました。この地名に、自分は覚えがありました。江戸時代の対馬藩は、幕府から朝鮮との外交権を委託されていましたが、その外交するための日本人居留地を「草梁倭館」と呼び、常時対馬藩士が500名、草梁倭館に居住していました。現在、草梁に日本領事館があります。領事館のすぐ前には、大きな話題になっている「少女像」が、今も凛として前を向いていました。

集会では、「原子力と国家暴力」のテーマで、密陽の送電塔建設反対住民闘争や、各国の住民の闘争が語られ、「老朽原発寿命延長」問題では、プサンの方々がコリ原発、小原つなきさんがヨングァン原発(ハンビッ原発)、杣谷健太さんが川内原発、それぞれ寿命延長反対運動を報告しました。


会場で渡された分厚い冊子(予稿集)と、同時通訳を聞きながら何時間も座っているのは、皆さん相当に気力体力を消耗するものですが、会場では常にそれを続けるだけの栄養と甘いお菓子が用意されています。


私も10分ほどスピーチして、核ゴミ誘致に揺れる対馬の現状を伝えました。自分から見える対馬の現状ということで、自分なりに一生懸命考えたものが、これで良いのかも正直わからなかったのですが、スピーチが終わった後、とても大きな拍手をいただきました。

集会の合間に、韓国の小さな女の子たちがスルスルとステージに上がり、ギターに合わせて歌を歌ってくれました。それも、核のない世界を望む歌! ステージから女の子たちが降り、「これで終わりかな?」と思ったのもつかの間、女の子たちが会場にいる全員に対して音楽の中やさしいハグをしてくれました。これには私たちも大感激。自分も感動のあまり涙が出ました。


今回、初参加で右も左もわからない状況の中、周りの方々に助けられながらもやっとフォーラムについてこられました。フォーラムに参加されている方はみなさん、意思と意見をしっかり持ち、優しさと体力を兼ね備えた方ばかりでした。


核のない世界に切り替わるまで、世代を超えて私たちは主張を続けるでしょう。貴重な機会を経験させていただき、ありがとうございました。

(諸松瀬里奈/対馬の未来を考える会)

コリ原発(コリ原発の歴史など)

「原子炉から住宅街まで700メートルしか離れていません」。古里(コリ)原発1~4号機の敷地と住宅地を区切るフェンス沿いの道をバスで通過する際、現地スタッフから説明があった。「東海村と似ているな」。頭には原発敷地を出るとすぐに住宅地が広がる東海村の様子が思い浮かんだ。

現地視察当日の21日は、あいにくの小雨。コリ原発1~4号機が見えるカフェに向かう。カフェの目の前は海で、何艘もの小さな船が波に揺られている。昔から港だと思っていたが、以前は砂浜だったという。説明してくれた女性チョン・スヒさんは言う。「この集落には、鉄道も、外国船が来る港もあり、豊かだった。しかし、原発が建設されて釜山で一番貧しい地域になった」

川内原発(鹿児島県薩摩川内市)と同じだ。川内原発から一番近い滄浪(そうろう)小学校は廃校に。市中心部の商店街も活気を失っている。「地域振興のために原発を」。その掛け声が虚しく響く。


川内原発と同じ状況にあるのは、地域の姿だけではない。川内原発を運営する九州電力は20年の延長運転を申請し、現在、原子力規制委員会で審査中。コリ2・3号機でも事業者が運転延長を申請している。運転延長に対する闘いは韓国でも展開されており、川内原発の運転延長の是非を問う県民投票を求める県民投票の会メンバーの一人として、心強く感じた。


コリ原発1~4号機と新コリ原発1・2号機は釜山市、新コリ原発3~6号機(セウル1~4号機、22年11月に名称変更)は蔚山市だが、河川を一つ挟んだだけで、実質的には同じ敷地。現在、新コリ原発5・6号機が建設中である。コリ原発、新コリ原発の「放射線非常計画区域」には約380万人が居住。世界最大の人口密集地だ。日本では、東海第二原発の94万人(30キロ圏内)が最大で、桁が違う。


福島第一原発事故を受け、韓国でも「放射線非常計画区域」を8キロから20~30キロに拡大。蔚山市は計画区域を30キロとした。釜山市は30キロまで拡大すると人口が多すぎ、「実効性がない」との理由で、20キロとしたが、住民側の強い働きかけの結果、2022年末に30キロにまで拡大した。


古里集落は原発建設のために、集団移住させられた。避難計画を立てなければならないこと自体、その土地を追われる=集団移住のリスクを抱えているということに他ならない。川内原発が再稼働する際、避難計画の妥当性も議論されたが、国が「妥当」とする避難計画は、少々被曝しても人体に影響はないということが前提だ。韓国でも時間内に避難できるかどうかが懸念されているという。韓国でも、原発を推進する者にとっては、住民の多少の被曝は我慢しろということなのだろう。


集団移住、避難──。原発は一人ひとりの人生や尊厳を踏みにじる発電方法であることを改めて痛感させられた。人権を守るためにも、原発は一刻も早くこの世界からなくさなければならない。


(杣谷健太/川内原発20年延長を問う県民投票の会)

蔚山(ウルサン)記者会見、蔚山集会(使用済み核燃料処分問題ほか)

21日、釜山市のホテルからバスに乗り、約1時間半で機張(キジャン)郡にある古里(コリ)原発に到着した。古里原発が見えるカフェで、釜山エネルギー正義行動のチョン・スヒさんから古里原発近隣地域の歴史の変遷について話を聞いた。古里原発がある村一帯は、以前は美しい海水浴場が広がり、列車も走り、第一級の港の指定を受けた町として栄えた。しかし原発が建てられてからは、海水浴場は消え、温排水の影響で特産品のワカメの生産量も減少し、釜山で最も貧しい村に様変わりしてしまった。原発事業者の韓国水力原子力は、漁業権を買い取ったり、支援金制度を導入し、地域のインフラを整えるなどして住民懐柔を行い、原発に対する不満の声を抑圧し続けた。現在は、原発反対よりも、新規原発を誘致し原発と共生する道を選ぶ住民が増え、中には原発を誘致することで得られる補助金で移住を求める住民もいるという。

チョン・スヒさんの話を聞いた後、バスは蔚山(ウルサン)へと向かった。途中で韓国の最新型原発である新コリ原発3,4号機と完成が近づく5,6号機が見えた。この地域が世界で最大の原発密集地域であることを実感するとともに、原発建設に翻弄され続けた地域の名もなき住民の人生を思うと、心が重たくなった。

蔚山に到着すると、まず市役所で蔚山脱核市民共同行動が主催した記者会見が開かれた。蔚山脱核市民共同行動からは「ウルサンを核の墓場にしようとしている政府の試みと老朽原発の寿命延長などの原発推進政策に強く反対する」「原発は持続可能な地球環境を脅かす最も深刻な足かせとなる」といった発言があった。続いてノーニュークス・アジアフォーラム日本事務局からとーちさんが連帯のあいさつをした。とーちさんは、過去に日本が韓国に対して行った蛮行を考えると韓国に行けなかったが、阪神淡路大震災の時に、韓国からチョコレートの援助が届いたことに感銘を受け、それ以来、韓国製のチョコの包み紙が自分にとっての韓国行きビザになったというエピソードを涙ながらに語った。さらに「汚染水を海に捨てることは全世界に向けたテロだ」と述べ、「ノ~ニュ~クス!」と連呼し発言を終えた。

次に、会議場に場所を移し、韓日の高レベル核廃棄物問題を扱うシンポジウムが開催された。韓国からは蔚山脱核市民共同行動のヨン・ソンロクさんが発表した。文在寅政権は「使用済み核燃料管理政策再検討委員会」を設置し、社会的議論を促したものの、その内容は慶州(キョンジュ)市にある月城(ウォルソン)原発サイト内に乾式貯蔵施設を建設するという結果ありきの議論だった。さらに月城原発から蔚山北区は近いにもかかわらず、行政区が違うという理由で議論に参加すらできなかったことに反発した蔚山北区住民は、2020年に民間主導で住民投票を実施した。投票者数は有権者の約29%に相当する5万人で、4万7800人余りが反対した。ボランティアは3000人を超え、連帯の力を見せたが、政府は法的拘束力はないとしてこれを無視し、月城原発内での乾式貯蔵建設を決定してしまった。

一方、日本からは私が発表をした。原発推進と一体化した処分場探しのおかしさ、交付金をエサにした不透明な調査応募の方法などを批判した。また、処分場建設の第一段階である文献調査の応募により地域の分断に苦しむ北海道・寿都町の状況を説明した。岸田政権は文献調査実地拡大を目論んでおり、それを跳ね返す運動の強化を訴えた。

その後、各国の運動の経験が報告された。日本からは「原発さよなら四国ネットワーク」の大野恭子さんが発言した。障がい者支援施設で働く自らの経験を語り、原発事故が起きたら、障がい者を長期間引き取ってくれる施設を探すのは困難で、大混乱の中、被ばくし続ける状況になるだろうと警告した。「核と人類は共存できず、子孫に禍根を残さない」というメッセージで発表をしめくくった。


(高野聡/原子力資料情報室)

慶州(キョンジュ)集会
(韓国の甲状腺がん訴訟)

22日、私たちはウルサンから慶州にバスで移動し、月城(ウォルソン)原発周辺住民の健康被害と甲状腺がん訴訟について、移住対策委との懇談会をもち、 慶州環境運動連合のイ・サンホン局長と法務法人「民心」のソ・ウンギョン弁護士から話を聞いた。

月城原発団地には、月城1・2・3・4号機(カナダ型の重水炉)、新月城1・2号機(軽水炉)、中低レベルの核廃棄場、さらに使用済み核燃料乾式貯蔵施設が設置されている。月城原発の30km圏内には130万人が生活し、とくに原発から1kmの集落の住民は2014年から、原発敷地入り口にテントを張り、移住を求めて座り込みを続けている。この移住要求の背景には、正常運転中の原発から排出される放射性物質による健康被害があった。


2021年11月から22年12月まで、原発から5km以内の960人の住民を対象とし、ソウル大学医学部が環境省の委託により調査を行なった。その結果77.1%の住民の尿からトリチウムが検出された。またトリチウム濃度が高いほど、尿中のヨウ素値は上昇し、トリチウム値100Bq/l以上の住民は、大幅に正常値を超えていた。また月城原発から半径10km以内の住民と10〜20kmの住民のがん発生率を比較すると10km以内の住民のがん発症率は44%高く、胃がんでは82%、甲状腺がんでは73%高くなったとされる。


韓国各地の原発周辺地域の住民らは、現在、韓国水力原子力を相手に「甲状腺がん共同訴訟」を行なっている。原発から半径10km以内に5年以上居住していた住民もしくは原発労働者のうち、甲状腺がんを発症した618人(家族含む2855人)が2015年に提訴して、この損害賠償訴訟は始まった。第一審は2022年6月に敗訴、控訴審は今年8月に棄却されている。


原告らをこの困難な「共同訴訟」に動機づけたのは、2014年のキュンド家族訴訟の一部勝訴の判決だった。家族は30年以上、コリ原発から7.7kmで生活しており、パク原告の甲状腺がんと原発との因果関係が2014年に一審で認められた。しかし2019年の控訴審判決ではパク原告を含めて、他の家族の先天性自閉症や直腸がんも認められず完全敗訴となり、第三審では棄却され控訴審判決が確定した。


ソ・ウンギョン弁護士はこのパク原告の一審勝訴の要因として、ソウル大学のアン・ユンオク教授チームの原発周辺住民の疫学調査を挙げている。1991年から2011年まで19年2ヶ月にわたる36,176名を対象とする調査では、原発から半径30kmを超える地域の住民に対し、半径5〜30kmの近距離地域の住民の甲状腺がん発症の相対危険度は1.8倍であり、原発から半径5km以内の周辺住民の相対危険度は2.5倍とされている。この調査結果をもとに、パク原告の甲状腺がんは原発由来の放射線被曝が原因である可能性を認めた大韓職業環境医学会の診療記録鑑定が提出され、勝訴が導かれたとの分析だった。


しかし第二審においては、広島原爆やチェルノブイリ事故などの放射線事故以外では甲状腺がんの発症原因は不明であり、100mSv以下の低線量被曝については国内外で一致した見解がないことから、医療被曝を含む他の原因による発症も排除できないとして、原告完全敗訴の判決となった。


これらのキュンド家族訴訟の第二審の判決をなぞる形で「共同訴訟」の第一審判決は出された。キュンド家族訴訟の第一審でパク原告の勝訴要因となったアン・ユンオク教授の研究結果は全く異なった解釈をされ、「過剰診断」仮説をもとに、がんと原発との因果関係を否定している。また原告が主張した米国原子力規制委員会の原発の線量制約値については、ガイドラインに過ぎず放射線防護基準として解釈してはならず、韓国の法令違反でないことから、被告側の主張を受け入れ韓水原の責任を不問とした。


月城原発の居住制限区域は直線距離でわずか原発から半径914mであり、原発設計段階でより広範な地域住民の移住対策をとっていれば、健康被害は防ぐことができたとして、今後も移住の権利を求めて闘っていくとソ・ウンギョン弁護士は報告を結んだ。


原告敗訴要因となった100mSv以下のがんと放射線の因果関係を否定する言説は、広島・長崎の被爆者データーをもとに70年にもわたり国際的に構築された政治的「科学」言説である。「過剰診断」言説も併せて、日本でも極めて馴染みのあるナンセンスに暗澹たる気持ちとなった。


たとえば、環境省の資金が公益法人原子力安全研究協会を通り、WHO(世界保健機関)のがん専門機関であるIARC(国際がん研究機関)の「国際研究」に注ぎ込まれ、低線量被曝を否定する「過剰診断」を正当化する研究成果(IARCテクニカル・レポート第46号)に結実している。そしてそれが、まことしやかに日本や韓国の原発裁判で被害者住民を打ちのめす。


原子力安全研究協会は、原子力発電を持つ電力会社とその関連の企業からの出資で運営されている日本の組織であるが、そのHPに列挙される委託研究報告書には、2004年からは「原子力に関するアジア協力推進活動-報告書」(文科省委託事業)、そして2008年からは名前を変えて「アジア地域原子力協力に関する調査業務報告書」(内閣府委託事業)が毎年掲載されており、いかに原発推進活動が国境をこえた協力体制のもと、緊密に進められているかがわかる。その中で、原発「安全研究」も裁判情報とともに共有されているだろう。


こうした原発推進勢力の税金を使った緊密な連携に対抗するには、原発反対勢力の国境を超えた正義と真理を力とする連帯が必須と改めて感じた。


(湯浅正恵/広島市立大学)

月城原発の籠城テント前で

月城(ウォルソン)原発

月城原発前の座り込みテントの前で、放射能被害住民のファン・ブンヒさんたちから話を聞いた。

「月城原発から放出される放射能(トリチウム)によって被曝をしている。とくに子どもの被曝は切実な問題だ。そのため、移住対策を求め、座り込みや、毎週月曜日にはデモ行進を10年間続けている。デモ行進では、葬式の再現をするための『棺』や、廃棄物を象徴するドラム缶を引きながら、原発職員の出勤する時間帯に行っている。


政府は技術をアピールするだけで、私たちの言うことを聞いてくれない。事業者は原発の安全性をアピールするためにPR施設を建て、観光をかねたり、招待したりして見学をさせている。


どうして、このように原発の近くに居住できるというのか。放射能が自分の体の中に入っている。息子や孫、未来の人たちには、私のように体の中に放射能が入ることを認めてはいけない。甲状腺癌にさせるわけにはいかない。世界の国々の人々が同じように立ち向かうべき。たとえ生活が多少不便になったとしても危険な原発はなくすべきだ」。


(稲垣美穂子)

とーち撮影

蔚珍(ウルチン/ハヌル)原発

蔚珍原発の近くの砂浜で、「核から安全に暮らしたい蔚珍の人々」の代表イ・キュボンさんの話を聞いた。

「韓国国内ではもちろん、世界でもこれほど大型原子炉が密集しているサイトはないほどの原発団地が蔚珍原発だ。


1988年、蔚珍原発1号機が商業運転を開始。その運転開始から今日まで、蔚珍には8つの原発が建てられた。イさんは、卒業後すぐに反核運動をするために戻ってきて、30年が経つ。当時は故郷を守るため、多くの人々が反対運動に参加していたが、今はほんのわずかになってしまった。一方で、蔚珍原発を巡る課題は山積みだ。


・増設問題:文在寅前大統領の時には増設はしないとしていたが、原発を強力に推し進める現在の尹錫悦大統領は、9・10号機を増設することを発表した。丁寧に行うべき環境アセスメントなどの手順を経ずに、早々に進めている。


・寿命延長問題:蔚珍1・2号機は95万kW、3~6号機は100万kW、7・8号機は140万kWで、尹錫悦大統領はこれらの原発の寿命を延長させると言っている。今後新設される9・10号機は設計段階から60年運転を想定している。しかし、活断層が存在することが分かっており、住民たちは不安に感じている。


・被曝と補償の問題:政府と韓水原が専門機関に依頼したところ、海藻から放射能が検出されたことが分かった。しかし、政府は許容量以下の数値だとした。補償金が支払われているが、そうした金は共同体を破壊する。30年前に闘っていた反原発だった団体が原発賛成に回り、地域支援金を受け取っている。


・昨年、蔚珍全体の3分の1が焼失するほどの、韓国史上もっとも長い時間(213時間)消せなかった山火事が発生した。原発の1キロ前まで迫った。地元住民ら約4000人が公民館などに避難した。その際、大統領が「原発を死んでも守れ」という特別命令を出し、全国から消防隊が集結した。


・使用済み核燃料臨時貯蔵施設建設問題:2031年には原発立地4地域で、それぞれの原発敷地内に、使用済み核燃料の乾式の臨時貯蔵施設を建てるという。


・避難訓練をやったことがない


・地元には野党所属議員が一人もいない。小さい地域では、すべての社会団体が今の与党側についていることも悲しい現実だ。反原発運動の末に当選させることのできた議員でさえ、今や与党に所属している。


(稲垣美穂子)

とーち撮影

三陟の朝
(サムチョク原発白紙化記念塔)

眠りの微睡の中に一筋の糸が下りてきた。いつもなら再び落ちていくのだが今日は起きようと決めていた。外に出る。まだ陽は出ていない。河沿いを東に抜け長い砂浜にでる。東の水平線と雲の間からやがて光の矢が放たれた。 私の住む街では水平線から陽を見ることはない。そのせいか光はいっそう輝いて見えた。

半島の東海岸、三陟。日の出の名所として近年観光客が増えているという。何人もの人が東を見つめている。キャンピングカーも多数止まっている。そしてそこは核電白紙化記念塔がある場所だった。


昨日三陟に着いた私たちはまず8・29記念公園に降り立ち核電白紙化記念塔に向かった。8名の方が出迎えてくれ、闘いの歴史を悠久の勲のごとく語ってくれた。

1982年全斗煥政権下に核電予定地に選定されたのだが、当時は住民に知らされることはなかった。盧泰愚政権下の1991年に国会で議員が質問したことで、驚きの中で住民たちは知ることとなった。

しかし住民たちの動きは早く、核電反対闘争委員会が作られたが、どのように反対したらいいか模索の中の始まりとなった。とにかくできることを血のにじむ努力をして続けていった。1993年には38の集落の代表が集まって計画し、7000人の大集会を行った。歩ける人はすべて集まったとまでいわれている。当時の運動は苛烈で警察との軋轢も激しかった。刑事がまるで秘書のようにくっついて尾行していたという。その後も大規模な集会を何度も行い、1998年にはバス50台貸し切りにして電力会社本社へも出かけて行った。そうした運動の成果で、金大中政権下の1998年に白紙撤回を勝ち取った。


ほっとしたのもつかの間、その後、核廃棄物処分場候補地になったが、それも2005年に撤回させた。


しかし2010年になって今度は当時の市長が政府に核電誘致申請をした。核電に賛成する署名を集めたが、それは偽の署名、別人の署名を寄せ集めたものだった。


2014年には住民投票を行うこととなり、85%が反対に票を投じた


2015年には市役所の前で1万人が参加する集会、デモを行った。


そして長く続けてきた水曜ロウソクデモが352回を数えた2019年に、核電建設計画白紙撤回をようやく勝ち取った。


しかし核電を推進する側はまた狙ってくるだろうから、反核はこれからも続けていかなくてはならない、と三陟の人々は言う。


そして今度は、遠くに排気塔が見える石炭火力発電所の建設工事が行われてしまっているが、それに対しても8か月も工事を中断させるなど闘いを続けている。


私は次第に強くなってくる光を浴びながら昨日聞いた言葉を思い出していた。


ー この美しい海辺を守るために沈黙していることはできない ー


続ける理由をそう語った気持ちに、少し近づけた気がした。


(とーち)

次回NNAFは台湾で開催

22日夜、キム・ヒョヌさん(脱核新聞)の司会で、宣言文と次回NNAFについて討論を行った。

今回、台湾環境保護連盟2名と台湾緑色連盟3名が参加していた。次回のNNAFは、台湾で、「原発ゼロ」が実現する2025年5月に開催することが決定した。

ソウル「9.23気候正義行進」
(3万人集会・デモ、脱原発を訴える!)

ソウルの市庁舎前、車道の4車線を封鎖して長い会場ができていた。歩道側に連なる多数のテント。それぞれのブースでチラシを配っている。水飲み場もある。私たちは韓国NNAFスタッフの人たちにもらったお揃いの「Don’t Nuke the Climate」Tシャツを着た。子供達も歩き回っていて、お祭り騒ぎだ。多くの旗と横断幕。動物の帽子をかぶった若者たちもいる。

集会は大規模で参加者数は約3万人だ。労働、農民、女性、障害者、環境、宗教など各界の500以上の団体が参加したという。

遠くにステージがあり、スピーチが始まった。それを写す大型スクリーンがあり、話す声もはっきり聞こえ、話す人の姿も良く見える。NNAFスタッフで韓国YWCAのユ・エスダーさんが司会だ。開会のあいさつでは「気候危機の不平等に抵抗するために、私たちはここに集まりました」「ソウルで水害の被害がここ1~2年に起こっています。これには貧困層の住宅問題があるのです」。


9.23気候正義行進の「5つの要求」の中に、「原子力と化石燃料から再生可能エネルギーへの移行」がある。

佐藤大介さんと小原つなきさんが登壇した。「ノーニュークス・アジアフォーラムが始まって今年で30年です。アジアの各地(日本・台湾・タイ・インド・フィリピン・ベトナム・トルコ・オーストラリア)から29名が参加しています。アジア各地の人々は、原発を推進する勢力と闘ってきました。原発は気候危機の代案ではありません。原発は、むしろ再生エネルギーの拡大を阻みます。気候危機を口実にした『老朽原発の寿命延長と新規原発建設』に反対する脱原発運動に連帯してください。台湾は2025年に脱原発が実現します。私たちも台湾に続きましょう。一緒に脱原発を実現しましょう」。

石炭火力発電所の労働者の話があった。「水・ガス・電気は商品ではない」「大地・風・太陽は商品ではない」「私たち火力発電所の労働者は、気候と環境の危機に対応するためにカーボンニュートラルの必要性を共有しています。しかし、発電所の廃止で失業する労働者の命を守り、適切な措置を講じることは政府の義務です」。

次々に人々が話し、1時間で集会は終わり、約2キロの行進が始まった。普通に歩けば30分だが、ゆっくり歩くので、1時間はかかるとのことである。


先頭は、5つの宗教団体。(韓国の宗教者は平和活動・社会活動に積極的にかかわるそうだ)。そこには、3つの頭を持つ鷹の巨大な作り物をかかげて歩く人々がいる。(伝説の鳥で、飢えと病気を防ぐ)。その後は、太鼓をたたく農楽隊の集団。

2番目に出発したのは、全国から集まった脱原発を訴える大集団。NNAFの参加者や、韓国緑の党の人々もここだ。私たちは後ろの方に座っていたつもりだったが、回れ右をした後では先頭に近くなった。

40分くらい行進した後、全員でダイ・インをした。災害警報が鳴り響き、全員が地面に寝た。寝転んで空を見上げると、美しい青空に秋のうろこ雲が浮かんでいた。その後、足の痛みをこらえて最後まで歩き切ることができ満足だった。


緑の党の会員である私は、今年の6月に開催されたグローバルグリーンズ大会in韓国にも参加した。持続可能な社会、平和な社会、脱原発を求めている。今回のノーニュークス・アジアフォーラムで韓国グリーンズの方々とも再会し、思いを共にし、幸せだった。人類は核と共存できない。それぞれの国の事情は似ている部分と違う部分があるが、核の無い世界で生きる権利を求めることは同じだ。2年後の台湾で、またアジアの人々に会いたい。


(伊形順子/緑の党)

青年活動家交流会

最終日の夜、各国の若者たちの座談会があった。NNAFスタッフの女性たち(コン・ヘウォン、ピョン・イニ、ユ・エスダー、ハバラさん他)を中心に韓国の若者たちが多かった。日本からは稲垣さんと私が参加。

韓国の参加者の中には、自然豊かな地元から都市に出てきて体調を崩したことから環境団体に入り反原発運動に関わる人もいれば、緑色連合でボランティアしたことがきっかけの人もいた。


私は、福島第一原発事故で原発に関心を持ち、現在は川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の運転延長の是非を問う県民投票を求める市民団体に関わっている。座談会では、どうやって若者を巻き込めばいいか意見を求めた。すると、韓国の一人から「私たちも若い人がどうすれば一緒に運動できるか関心を持っている」との答えが返ってきた。意外だった。


9月23日の気候正義行進には多くの若者の姿があった。それだけでなく、道端の人々の視線には温かいものが感じられた。韓国でも若い人をどう運動に巻き込むかが課題というが、私には、若い人が参加しているように映る。鹿児島などで私が取材、参加したデモはまったく異なる。道ゆく人の表情からは「邪魔だ」「うるさい」という雰囲気を感じる。


私は39歳。若者とは言えないが、私が参加している団体では最も若い。2014年の記者時代から今の団体を見ているが、顔ぶれは変わらず、若手が入っていないのが実情だ。


韓国の参加者の一人は「脱原発、脱石炭セミナーを開催し、いろんな人に声をかけている」と話した。私は本屋を経営している。お客さんに声をかけて、少しずつでも運動への参加者を増やしていかないといけないと強く感じた。


(杣谷健太)

*各国参加者について

台湾からの5人の参加者は互いにしっかりと結束しつつ、若者がプレゼンテーションを行い、年配者が韓国の若者たちと親しく語り合って脱核への道を伝えるなど、それぞれが持ち味を生かして「アジア初の脱原発」を実現する台湾の今を届けてくれた。

フィリピンのエミリーは、活動家が暗殺されるような厳しい状況の中でも、いかにして人々がひるむことなく原発に反対する運動を展開しているかを熱く語ってくれた。


インドのヴァイシャリは、詩を朗読するかのような優しい語り口から激しいアジテーションへと連なる素晴らしいスピーチで聴衆の心を揺さぶる。原発に反対することが国家反逆罪に問われる現状の中で、民衆が非暴力でどのように闘い続けているのかを鮮明に伝えてくれた。


トルコのプナールは、韓国各地で運動を担う人々の発表を食い入るように聞いては納得いくまで質問を続けていた。着工してしまったアックユ原発、黒海をはさんで戦闘が続くウクライナの状況に加えて、多くの人命が失われた今年2月のトルコ・シリア大地震の被害に直面して涙が止まらない時期があったと話してくれた。


タイのプラソンは、研究炉建設計画がくすぶり続けるタイの状況をユーモラスに語り、笑顔を絶やさない。環境活動家が命を奪われる事件はタイでも起きているからこそ、彼の姿には胸に迫るものがあった。


アジアのあちこちに仲間がいる。なんと心強いことだろうか。日本が汚染水を海洋放出して世界の人々の尊厳を踏みにじろうとしていることの愚を痛感する。まだまだやることがあると勇気を得た5日間だった。


(宇野田陽子)

右2人目から、エミリー、プラソン、ヴァイシャリ、プナール

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信184号
(23年10月20日発行、B5-28p)もくじ

<第20回ノーニュークス・アジアフォーラム 報告>
・日程など
・ソウル会議「30年の活動を評価し、新しい30年を築くきっかけに」 (藍原寛子)
・プサン記者会見「福島原発汚染水投棄反対」、プサン集会「原子力と国家暴力、老朽原発寿命延長、対馬」  (諸松瀬里奈)
・古里(コリ)原発「コリ原発の歴史など」 (杣谷健太)
・蔚山(ウルサン)記者会見、蔚山集会「使用済み核燃料処分問題ほか」 (高野聡)
・慶州(キョンジュ)集会「韓国の甲状腺がん訴訟」 (湯浅正恵)
・月城(ウォルソン)原発  (稲垣美穂子)
・蔚珍(ウルチン/ハヌル)原発
  (稲垣美穂子)
・三陟の朝(サムチョク原発白紙化記念塔) (とーち)
・次回NNAFは台湾で開催                         
・ソウル「9.23気候正義行進」(3万人集会・デモ、脱原発を訴える!) (伊形順子)
・青年活動家交流会  (杣谷健太)
・NNAF in 韓国 に参加して (エミリー・ファハルド、プナール・デミルジャン、宇野田陽子、大野恭子、吉井美知子、渡辺美奈、川瀬俊治、菅波完、谷雅志、豊田直巳)
・上関町に関電と中電が中間貯蔵施設を計画、その後  (三浦みどり)
・柏崎刈羽原発の検証、県(知事)のていたらく  (石山謙一郎)
・12.3「とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会
  -うごかすな老朽原発-」に総結集を (木原壯林)
・「ストップ!女川原発再稼働」紙面デモ(意見広告)

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