「ノーニュークス・アジアフォーラム」25周年集会(藍原寛子)【週刊金曜日 12.7】

【週刊金曜日 12.7より】 買って読んでネ

「ノーニュークス・アジアフォーラム」25周年集会(藍原寛子)PDFその1

「ノーニュークス・アジアフォーラム」25周年集会(藍原寛子)PDFその2

ノーニュークス・アジアフォーラム25年VTR

(日本語版)https://youtu.be/ARRDXHv5_H8
(英語版)  https://youtu.be/89BE9kbJpP0

ノーニュークス・アジアフォーラムの25年間をふり返るスライドショー。8分
音楽:民衆の歌、バヤンコ、We Shall Overcome
アジア各国の反原発運動の主な歴史もわかります。
2018111215日に、フィリピンで行なわれた 25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラムのオープニングで英語版が上映され、大好評で、2日目も再上映されました。

 

 

(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラム in フィリピン 報告会、福島とバターン 広がる「抵抗の公共圏」―そのネットワークと可能性―

(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラム in フィリピン 報告会 
福島とバターン 広がる「抵抗の公共圏」―そのネットワークと可能性―

お話:藍原寛子
(福島市在住ジャーナリスト。地元新聞記者からフリーとなり、福島の原発震災を取材している。フィリピン大学とアテネオ大学研究留学時は臓器売買を取材・研究。311後にバターン原発を2度取材。今回はアジア全体のNo Nukeの取り組みに注目し参加)

12月21日(金)18:30
大阪市立総合生涯学習センター・第6研修室(大阪駅前第2ビル5F)
参加費:800円
主催:ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン
連絡先:080-6174-8358(佐藤)

・いったんは原発を断念したかに見えたドゥテルテ大統領、その政権が再び動き出したわけ
・マルコスが建てた巨大な十字架と日本軍の関係とは
・バターン原発立ち入り断念! 外観も見られない事態にとられたまさかの方法とは

*フィリピンには、原発が1基ありますが、いまだかつて運転されたことがありません。悪名高いマルコス大統領の軍事独裁政権下で、アメリカのウエスチングハウス社(当時)によって建設されたこのバターン原発、フィリピンの人々にとってはマルコスの悪行と不正義の象徴であり、1985年のバターン地域ゼネストと翌86年の力強いピープルパワー革命によって閉鎖されました。

しかし90年代後半以降からフィリピン政府はバターン原発の再開や新規の原発導入に関心を示し続けており、バターン原発の近隣に建設された巨大な石炭火力発電所周辺では健康被害が続出していることから、人々は再び立ち上がって反対運動を続けています。厳しい政治状況の下で、常にあきらめることなく闘い続けてきた不屈の人々、そしてその思いを着実に受け継いできた若者たちのまぶしい姿を、ぜひ日本のみなさんにも知ってもらえたらと思います。

福島わかもの国際交流キャンプ in 韓国

■  韓国の人々の深い愛情と情熱によって  宇野田陽子

原発建設計画を撤回させたサムチョクの人たちの「福島の若者たちを迎えたい」との声に応えて、水戸喜世子さんたちと半年以上かけて準備して実現したキャンプが無事に終了しました。

お天気に恵まれ、偶然の出会いに祝福され、導かれているように幸せな行程でした。韓国の人々の深い愛情と情熱によって様々な幸運が手繰り寄せられた一週間でした。この旅がそもそも可能となったのは、福島の若者と韓国の若者の交流の意義に賛同して、あたたかいご支援をくださったみなさんのおかげです。ありがとうございました! お支えくださったみなさんに、キャンプの様子をお伝えしたいと思います。

福島の若者8名(中学生 3 名、高校生 3 名、大学生 2 名)が、まずは8月15日の夜に羽田空港にほど近い宿舎に集合して、結団ミーティングを行ないました。

翌16日、大韓航空でソウル・金浦空港へ。横断幕を掲げて迎えてくれたキム・ボンニョさんをはじめとする韓国側スタッフたちとともに、貸し切りバスでサムチョクへ。

サムチョクでは、原発白紙化記念塔を訪問、塔の前に植樹されたばかりの木に、日本からの参加者が少しずつ土をかけました。夕食会でマ・ギョンマンさんらサムチョクの反原発関係者の方々と歓談し、宿舎であるイ・オクプンさん宅へ。

サムチョクでの3日間、韓国の若者たちとともに、海水浴、透明ボート、浜辺での花火、アワビのおかゆづくり、チヂミづくり、美しい海を見ながら走るレールバイクなどを経験しました。

19日は別れを惜しみながらもサムチョクを出発、東洋最大級の洞窟を見学してから、一路ソウルへ向かいました。親しくなったサムチョクの方々との別れで、みんな移動のバスの中では少し肩を落としていました。

ソウルでは、フリースクールのクリキンディセンターを訪問、19日は青少年気候変化訴訟キャンプのメンバーと交流しました。20日から最終日までは、このクリキンディセンターの学生たちと一緒に過ごしました。

20日は学校内を案内してもらい、歌と演奏で歓迎してもらって大感激。みんなもソウルで出会った新しい友人たちと親しくなっていきました。夕方に有名な「ナンタ」を観劇して笑い転げた後は、クリキンディセンターの学生たちと再び合流して夕食の後、南山タワーに上って、そのまま一緒に宿舎へ。

21日はみんなでチョゴリを着て昌徳宮を見学してから、ソウル市役所へ移動してパク・ウォンスン市長と面会しました。その後の自由時間は、いくつかのコースに分かれて思い思いに買い物や観光を楽しみました。夜は、大きな部屋に集まって、楽しいレクリエーションで体と心を緩めてから、この一週間のふり返りを行ないました。最後の夜ということもあり、みんながしゃべったり笑ったりする声が、夜遅くまで聞こえていました。

22日は、「自力で行くことができる北朝鮮に一番近い場所」である臨津閣と、川を挟んで対岸の北朝鮮の町を見ることができる烏頭山(オドゥサン)展望台を訪問しました。臨津閣では、統一を願う布や旗がフェンスにぎっしりと結びつけられてはためいていました。烏頭山展望台に設置された双眼鏡を通して、小学校でサッカーをする子どもたちや自転車に乗ったおじさんが見えてみんなが驚きました。今まさに歴史の転換点にある場所を、韓国の若者たちと一緒に訪問できたことは、あまりにも貴重な経験でした。

金浦空港では涙で別れを惜しみ、再会を誓いあって出国のゲートをくぐりました。それぞれがたくさんの思いを抱えながらも、違いを乗り越えて理解し合う力をいかんなく発揮した日韓の若者たちの姿が、どれだけ印象的だったことか。

引率者である私も、多くのことを学びました。こんなにどうしようもなく閉塞的な日本の状況の中にあっても「大丈夫だ、絶望なんかしている場合じゃないし、絶望する必要もない」と強く感じることができたことが一番大きな収穫だったかもしれません。次の世代のために、あるいは次の世代の人々と何ができるかを深く考えさせられました。

■ 「福島わかもの国際交流キャンプ」を終えて  水戸喜世子

全員がとにかく1週間の長旅を、けがも事故もなく、無事に帰国できたことが何よりうれしいです。

同じ釜のめしっていいますが、サムチョクの小学生のミソン、ヘリャンの姉弟は、サムチョクでの3日間、親元離れて、日本の学生と寝食を共にして、場を盛り上げるのに一生懸命でした。日本語のできる韓国の学生も寝起きをともにして、深夜まで、ギターを奏で、歌い、時には敷き布団の上に腹ばいになって真剣に韓国語を教わる輪ができていたり、韓・日ギターと歌のコラボが実現したり、大人の想像をはるかに超える世界を見せてくれた若者たち。何と楽しかったことか。地元の学生は生活に響くのに、アルバイトの貴重な契約をキャンセルして、海遊び、山遊びに加わってくれる子もいました。

ソウルではクリキンディセンターの学生たちと一緒に、うんざりするような行列の果てに、やっとたどり着いた南山タワーの展望台。人ごみにまみれながら一緒に眺めたソウルの夜空。うんざりするようなことも、笑い飛ばして楽しい思い出に変えてしまう若さに脱帽するばかりでした。だれ一人、表情が曇る場面がなかったと言っても、信じられないかもしれませんね。日本の学生と韓国の学生総勢14人で着たチマチョゴリも、文字通り、文化を肌に感じる体験になりました。

朴元淳ソウル市長とお会いするというのも直前に知ったことで、市長の椅子を譲ってもらった大学生のT君が由来を説明しながら会津若松の「赤べこ」を贈呈する場面あり、Mさんが素直な言葉で福島の体験を語る場面ありで、すべて準備してつくろった行為ではなく、サムチョクからの延長上の、友情に裏打ちされたアットホームな交流の一場面でした。

韓国の人々の平和への思い、南北統一への願いがどんな切実なものか、境界線のぎりぎりまで近寄ることができる地点を訪ねて、少しだけ肌で感じることができました。朝鮮戦争で引き裂かれた離散家族が、再会を願う願いごとが書かれた無数のリボンが川風に揺られている脇には、無数の弾痕が痛々しい鉄の機関車が朝鮮戦争時の姿そのままに置かれていたのです。このとき私は、サムチョクの公園で記念植樹したアスナロの樹の下のプレートの文言が頭をよぎりました。「生命の息吹、平和の翼」《福島青少年らはここを訪れ、脱核、反戦平和の意思を込めて植樹をする》

一番親しい家族さえ引き裂かれた歴史に堪えてきた国の人々。同じ民族の中に軍事境界線を作ることになる原因を作った国である日本を祖国として持つ私たち。そんな日本の若者を温かく迎えてくれている人々がここにいる。「反核・平和を確実なものにして、初めて私たちの友情は安心な状態でいられるのです」とのサムチョクの人々の願いがこもったプレート、アスナロであることを思いました。政治がどんなに揺れようと、草の根の民と民がしっかり友情でつながっていれば、戦争は防げる。戦争をさせられるのは民なんですから。悲しい境界線近くに立っていても、私の心には、希望の灯が灯っていました。韓・日の仲良しになった若者がここにいる!と。もともと、福島の社会に飛び立つ直前の若者を元気づけたいと始めたはずのプロジェクトなのに、今逆に若者に励まされている自分に気づきました。

最後の夜、ふりかえりの時間では、「初めての海外だったから緊張していたが、今は本当に楽しい。どうして韓国の人はこんなにやさしいの?」「このままずっとここにいたい。帰りたくない」「韓国語をもっとしっかり勉強する!」「韓国の歴史の本を読む」が全員から吹き出すようにくり返し語られた言葉です。福島原発事故によってもたらされた負の遺産を背負わされて生きていく彼らにとって、日本の中は、政治をはじめとして、決してやさしい環境とは言えません。彼らが受けて当然の優しさを韓国の人たちが行動で見せてくれました。

福島・韓国わかもの交流という願いを実現してくださった、サムチョクの核電反対委員会の皆さん、円仏教の皆さん、ハジャセンター・フリースクールのスタッフ、住谷章さん、翻訳通訳でお世話になった在日のイ・チョルさん、イ・ドンソクさん、4映像作家の代島治彦さん、そして支援してくださった多くのみなさん、本当にありがとうございました。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.154より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信154号(10月20日発行、B5-28p)もくじ

・NNAF@25 開催のおしらせ(NNAF@25フィリピン実行委)
・シノップ反原発プラットフォーム声明
・プナール・デミルジャン来日講演、トルコ原発候補地の青い海を想う (水藤周三)
・写真展「原発とたたかうトルコの人々」を開催 (森山拓也)
・原発をめぐるトルコの主な出来事 (森山拓也)
・ジャイタプール;10年前から続く平和的な抗議運動 (アヌジ・ワンケデ)
・クダンクラムの人々の声を聞く特別法廷を求める
・福島わかもの国際交流キャンプ in 韓国 <報告> (宇野田陽子・水戸喜世子)
・「韓日 反核(反原発)ツアー」参加報告 (青山晴江)
・西オーストラリアで計画されるウラン鉱山開発に反対する (エリザベス・マレー)
・南オーストラリア州の放射性廃棄物処分場に抗議 (ミッチェル・マディガン)
・老朽被災原発-東海第二の60年運転は許されない (沼倉潤)
・東海第二原発の再稼働をさせてはいけない (玉造順一)
・中国電力は島根原発3号機の適合性審査申請を撤回すべきだ (芦原康江)
・マハティール首相「エネルギー政策で原発を選択せず」

年6回発行です。購読料(年2000円)
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写真展「原発とたたかうトルコの人々-日本の原発輸出、現地の声は?」

日本が原発輸出を計画するトルコでは、原発への反対運動が40年以上続いています。トルコの人々はチェルノブイリ原発事故による深刻な汚染被害も経験しており、原発に厳しい目を向けています。
原発
に反対するトルコの人々の声や運動の様子を、写真や説明パネルの展示を通じて紹介します。
トルコ写真展チラシ
9 1130
会場:立命館大学国際平和ミュージアム2 階常設展示室内(京都市北区等持院北町56-1
開館時間:9 30 分~16 30 分  見学資料費:大人400
主催:森山拓也
共催:立命館大学国際平和ミュージアム
協力:ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン

 

 

慶州市民の汗と涙が成し遂げた、月城1号機の廃炉決定

「ついに韓水原(韓国水力原子力)は2018615日の理事会で、月城(ウォルソン)1号機の廃炉を決定した。これまでの10年間の廃炉運動が実を結んだのだ」 

イ・サンホン(慶州環境運動連合)

2015年9月7日、「萬人疎」を 青瓦台(大統領官邸)に提出する前に、光化門前で広げる

● 運命の2015年

自分の身体よりも大きいテントを朝夕、背負わなければならなかった。その年、慶州市役所前で始めたテント篭城は、ビー玉のような汗で維持されていた。24時間の篭城を続けるだけの組織力がなかったため、朝にテントを設置し夕方には撤収するということを2015年5月13日から6月22日まで毎日くり返さなければならなかったのだ。こうした労働はひたすら慶州環境運動連合の事務局の役割だった。もう一度やれといわれても今はもう体力的に難しいだろう。

それでも、約2ヶ月間のテント篭城のおかげで、「月城1号機廃炉慶州運動本部」に18の団体が参加することになったし、不可能に見えた「萬人疎」(後述)を短期間で奇跡的に実現することができた。こうした達成感がなかったら、おそらく私たちは絶望を前に挫折していたに違いない。

私たちを絶望的にさせた出来事は、2015年2月27日の明け方に起きた。廃炉を訴え続けてきた月城1号機に対して、原子力安全委員会(以下、原安委)が再稼動を決定したのだ。

当時、月城原発周辺の住民は、原安委の会議が開かれる日には必ず貸切バスで上京し、原安委のある光化門KTビル前で集会を開いていた。会議の開かれる10時に合わせて到着するには、明け方3時には慶州を出発しなければならなかった。1月15日はバス1台、2月12日はバス5台、2月26日はバス3台が、慶州とソウルを往復した。2月26日の上京の際には、住民が朝ごはんとして準備した生わかめを食べた。闘争資金が底をつき、節約するためには安価で飽満感が得られる生わかめが最適だった。

1,000人余りの住民が月城原発の前に集まり、廃炉を要求する集会を開いたこともあった。この期間、慶州環境運動連合の会員は3種類のビラ合計16,000枚を配るため街中を練り歩いた。

しかし月城1号機は、再稼動という地獄の門に向かって走ることとなった。絶望と憤慨の入り混じった2015年2月27日だった。

チェルノブイリ原発事故29周年をむかえ、全国の脱原発市民が、4月25日、慶州に集まった。約500名が慶州駅を出発し、山のような王の墓(古墳)を経て瞻星台(韓国の国宝第31号で、新羅時代に建造された東洋最古の天文台遺跡)までの2.5キロを行進した。

チャン・ソイク先生が演出する、色々な人形や仮面を利用した脱原発行進は、全国単位の大きな脱原発行進では必ず見られる名物として今では当たり前になったが、当時としては、めずらしい演出だった。街を歩く市民たちは、足を止め目を見張った。

この行進の成功は、慶州地域の脱核運動に大きな力を与え、「月城1号機廃炉慶州運動本部」結成へとつながった。

熱気は、裁判にも現れた。月城1号機寿命延長無効訴訟(以下、無効訴訟)に、慶州市民210人が参加した。訴訟の原告になる手続きとして、訴訟費1万ウォンと住民登録抄本の提出が必要だ。ソウルではないここ慶州で、210人もの人が原告になったことは、市民が動き始めた証だった。

全国的に2,167人の原告が集まり、2015年5月18日、ソウル行政法院に訴状が提出された。慶州市民が原告の約10%を構成した。長い法廷闘争の序幕が上がった。

法廷闘争が始まったころ、慶州地域の市民社会団体などは、「月城1号機廃炉慶州運動本部」を結成し、5月13日から市役所前でテント篭城を始めた。このテント篭城と合わせて始めた大衆運動が、「萬人疎」だった。

市民の意思を凝集するためにはテント篭城だけでは足りず、できることは署名運動以外に思い浮かばなかった。仕方なく署名運動を始めようとしたところ、当時、慶州環境運動連合の共同議長であり、現在は慶州文化院の院長であるキム・ユングン先生が、「萬人疎」を提案してくださった。「萬人疎」は、朝鮮時代の安東地域の儒生たちが政府の政策に反対するために1万人の署名を集めたことに由来する。

一般的な署名とは違い、大きな韓紙に筆で名前を書き拇印を押す。こうして集めた韓紙の署名72枚をつなぎ合わせて、「萬人疎」が完成した。72枚を張り合わせるのに3日かかった。長さは90mを超え、10,181人の真心が込められていた。大きな韓紙、筆、朱肉を持ち歩き集めた署名に、5月13日から7月13日までのわずか2ヶ月で、1万人以上の慶州市民が署名したのである。まさに奇跡のような出来事であった。

7月29日、慶州市役所前で「萬人疎」を披露する式を挙げたあと、9月7日にバス1台でソウルへ上京し、光化門で野外記者会見を行ない、青瓦台(大統領官邸)に「萬人疎」の写しを提出した。こうして、慶州市民は、月城1号機廃炉のために一直線で運動をくり広げていくこととなった。

● 2015年以前

月城1号機廃炉運動の歴史は9年前にさかのぼる。2009年4月1日、慶州市役所前で開催した記者会見がその始まりだ。当時、慶州の市民社会団体などは、月城1号機の圧力管差し替え中止を要求していた。キャンドゥー炉(重水炉)である月城原発の圧力管は、一般の原発の原子炉に該当するものだ。

月城1号機は、1982年11月21日に稼動を開始したので、2012年11月20日が寿命の30年が終了する日だ。ところが、寿命を3年8ヶ月残した2009年4月1日、圧力管差し替え工事が始まったのだ。工事費は6000億ウォン(約600億円)。工事の期間を除くと約2年しか稼動させない原発に、6000億ウォンの費用をかけるというのは常識的に考えて理解できないことだった。

慶州の市民社会団体などは工事に反対し寿命延長の中止を要求したが、発電所側は寿命延長とは無関係の工事だと言い張った。しかし後日、ソウル行政法院は、この圧力管差し替えが寿命延長のための工事だったとの判決を下した。一方、韓国水力原子力(以下、韓水原)は未だに立場を変えていない。

2011年6月23日、現地集会で住民たちが月城1号機の模型を燃やして廃炉を要求

その後も寿命延長に反対する声は続いたが、社会的に大きな注目を集めることはできなかった。ところが2011年3月11日、福島原発事故が発生し、老朽原発に対する社会的関心が爆発的に高まった。そのために、月城1号機の寿命延長のための審査が無期限で延長となり、再稼動の承認を受けられないまま、2012年11月20日を迎えた。

当然、発電所の稼動は中断した。寿命の期限100日前からは、慶州市役所前で「月城1号機寿命期限D-100」一人デモ・リレーが始まった。高校生から老人まで慶州市民100人が参加した。そして、D-DAYには慶州地域の市民社会団体が集まりパーティーを開いた。

その年の冬、18代目の大統領選挙で有力候補たちが月城1号機の再稼動の可否を決定すると公約した。月城1号機の寿命延長の審査は長引き、そのためのストレステストが2年近く行なわれた。切羽つまった政府は結局、15年2月27日、強引に寿命延長を決定した。

● 2015年以降

ソウルでの集会、無効訴訟原告募集、テント篭城、「萬人疎」署名運動などの活動を通じて、慶州地域の月城1号機廃炉運動は2016年度にも継続し拡大していった。福島原発事故5周年に合わせて大邱(テグ)・慶北地域の脱原発大会が慶州で開催され、大小のキャンペーンが実施された。

そうしたなか、マグニチュード5.8の慶州地震が16年9月12日に発生し、月城1号機の廃炉運動は新しい転機を迎えた。地震の恐怖のために家に帰れないと言って公園にテントを張って野宿する市民が、最も恐れていたのは万一起きるかも知れない原発事故だった。老朽原発である月城1号機に対する憂慮は大きかった。

廃炉を要求する記者会見、車両デモなどが連日くり返された。市民社会団体などが記者会見を開催すれば一般市民がSNSなどを通じて情報を共有し数十人が参加するなど、運動に力を与えてくれた。慶州環境運動連合の会員も増えた。市民社会団体の連帯組織として「脱核慶州市民共同行動」を新しく組織し、9月26日から12月23日まで慶州市内のあちこちで一人デモなど様々なキャンペーンを行なった。こうしたなか、脱原発の全国組織である「核のない社会のための共同行動」が「さよなら原発100万署名運動」を発起した。 慶州地域の市民社会団体も10月からこの署名運動を積極的にくり広げた。

16年10月22日、新羅百貨店前で「さよなら原発100万署名運動」

その年の冬、朴槿恵(パク・クネ)-崔順実(チェ・スンシル)の国政汚職を糾弾する全国的なろうそくデモがくり広げられた。慶州駅の広場も市民の熱い熱気が上がった。社会的な課題がろうそくデモの場に集められた。私たちは、ろうそくデモの熱気のなかで月城1号機の廃炉を訴えた。

ろうそくデモは勝利をおさめ、朴槿恵は弾劾された。弾劾により2017年の早期に大統領選挙が行なわれることになり、次期大統領選に時期を合わせて始めた「さよなら原発100万署名運動」も中途で署名者数の統計を出すこととなった。合計338,147人の国民の署名が集められ、そのうち慶州市民の署名は8,198名で、人口比で見ると全国で一番多くの署名が集められた。これは、慶州市民の月城1号機の廃炉の願いが大きいことを表していた。

ろうそくデモの力が燃え上がるなか、ソウル行政法院は、2017年2月7日、月城1号機の継続運転許可処分を取り消すという歴史的な一審判決を下した。
さらに、5月の大統領選挙で文在寅(ムン・ジェイン)氏は、月城1号機の廃炉を公約として掲げ、当選した。

そして、ついに韓水原は、2018年6月15日の理事会で、月城1号機の廃炉を決定した。これまでの10年間の廃炉運動が実を結んだのだ。

しかし、これだけでは充分ではない。大統領の公約である「原発の寿命延長の禁止」が一日も早く法として制度化されなければならない。

月城1号機の廃炉とは別に、無効訴訟の控訴審の裁判が続いている。原安委が控訴審を取り下げるか、あるいは2,167人の原告が最終的に勝訴するとき、本当の意味で、原発廃炉への新しい道が切り開かれるのだ。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.153より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信153号(8月20日発行、B5-24p)もくじ

・慶州市民の汗と涙が成し遂げた、月城1号機の廃炉決定 (イ・サンホン)
・台湾第四原発で呉文通さん楊貴英さんに会う (さとう大)
・台湾における原発推進派の巻き返し (陳威志)             
・英ウェールズ・アングルシー島での原発反対運動に福島から応援団 (大倉純子)
・原発に関するトルコでの報道 (森山拓也)
・東電刑事裁判 ― 驚くべき新事実も次々明らかに (佐藤和良)
・東海第二原発の20年運転延長を認めない!~首都圏連絡会のとりくみ~
埼玉県議会の意見書に抗議する県民のとりくみ (白田真希)
・島根原発3号機「新規稼働」申請と周辺自治体の権限を考える (水藤周三)
・ほろのべ 核のゴミを考える全国交流会 報告 (衛藤英二)

年6回発行です。購読料(年2000円)
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★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

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★『ノーニュークス・アジアフォーラム(1993~2016)全記録DVD』
PDF 4996ページ
・インドネシア・台湾への原発輸出反対運動の記録他
・国別目次をクリックすると記事に飛べます

■ ノーニュークス・アジアフォーラム通信(No.1~144)
■ ストップ原発輸出キャペーン通信
■ 第1回NNAF報告集(全国28ヶ所で集会。高木仁三郎・藤田祐幸・金源植など各国からの発言)
■ 神戸・環太平洋反原子力会議報告集
■ 第8回NNAF報告集

定価10000円 (NNAFJ会員価格3000円)送料共
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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) http://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

 

英ウェールズ・アングルシー島での原発反対運動に福島から応援団

大倉純子(アイルランド在住)

日立が原発を輸出しようとしているウィルヴァの地元アングルシー島でフォトショップを営む写真家のジュリアンさん作成のポストカード。同島内の古代遺跡の写真。説明文は「この青銅器時代のスタンディングストーンから1マイルと離れていないウィルヴァで作られる日立の放射性廃棄物、それは、このストーンが過ごした年月の百倍の時間をかけないと消えない」「私たちの子どもたちのために、そして何世代にもわたる子孫のために、今こそ核の悪夢を止める時だ」

英ウェールズ北西部アングルシー島に、日立が原発輸出を計画している(事業者は現地子会社ホライズン)。

5月末、ウィルヴァ原発の地元住民反対運動団体PAWB(People Agianst Wylfa B)の代表3名が日本政府への反対署名提出のために訪日した際、福島県農民連代表の根本敬氏らが「福島の経験に学んでほしい」とウィルヴァ現地訪問を申し出た。7月半ば、アングルシー島および周辺地域計5ヶ所での講演会、記者会見、農業関連の話題を紹介する地元テレビ番組のインタビュー、アングルシー州議員との面談、農場訪問などが行なわれた。

アングルシー州議会にて(写真提供:藍原寛子)

訪問メンバーの一人、馬場績氏は福島原発から30kmの浪江町津島地区で畜産・米畑作を行なうとともに、この28年間町議を勤めてきた。帰還困難区域にある自宅・田畑の荒れ果てた現状や、避難時の混乱について話された。事前合意にもかかわらず東電から事故の連絡は何もなく、浪江町独自の判断で住民は津島地区へ避難したが、実はそこは高線量地区であったこと、食料も医薬品もガソリンもない状況で、避難の最中に亡くなった方がたくさんいることを写真を見せながら話された。また、アングルシーから本土に行くには二本の橋しかないことから「緊急事態になったらどんな混乱が起こるか」と懸念を表された。

根本さんは二本松市で米畑作を営む農家。事故後、福島の農民で自殺した人が何人もいること、人間だけでなく家畜たちも悲惨な末路をたどらざるをえなかったことを話された。農民連の太陽光発電事業を紹介し、「百姓たるもの食とエネルギーは自給すべし、後世に廃炉や廃棄物の負担を押し付けるな」と熱く語った。

故郷の福島から情報発信を続けるフリージャーナリストの藍原寛子さんは、ご自分も編纂にかかわった「福島10の教訓」を説明し、また、マーシャル諸島大統領が核推進側を評した言葉「Lie, Deny, Classify(うそ、否定、機密扱い)」(今、PAWBの間で流行っている)や、アイリーン・美緒子・スミスさんの「水俣と福島に共通する10の手口」を紹介された。

ところで、この原発の名前のアルファベット表記はWylfa Newydd。発音はウィル「ヴ」ァ・ニューイッ「th」。英語ではなく、ウェールズ語だからだ。「イギリス」は、実は国政の中心イングランドと、ケルト文化圏に属するウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国からなる連合国で、それぞれが独自の文化・言語を持つ。そのうち、明確に脱原発を打ち出し、独立の機運も高いスコットランドや、紛争の後遺症が続き、また隣のアイルランド共和国も関わってくる北アイルランドは、ヘタに刺激できないからか、原発関連のお荷物はウェールズに押し付けられがちのようだ(セラフィールドのあるカンブリアも、現在はイングランドだが地名の語源はウェールズ語)。

地図でもわかるように、アングルシーはウェールズの北西の端だ。島の住民の大半がウェールズ語で生活しており、自分たちの言語・文化への強い誇りがある。30年前にPAWBが結成されたときも、その母体はウェールズ語協会だったそうだ。一方、人口・産業は200km以上離れた首都カーディフがある南部に集中している。

実際の政策決定は、第一にロンドンの英国会(与党:保守党)、次にカーディフのウェールズ議会(与党:労働党。支持母体の労働組合が雇用を理由に原発に賛成しているため、労働党も賛成)のトップダウン。日本の原発に見られる中央-周辺の差別構造が、ここでも顕著に現れている。

ウェールズにはプライド・カムリ(ウェールズ党)という民族政党があるが、原発への意見は党内で分かれている。「PAWBにはプライド・カムリ支持者が多いが、党の上層部は支持者や一般党員の意見を聞かない」とPAWB設立メンバーのディランさんは歯噛みする。現にアングルシー州議会はプライド・カムリが与党だが、明確に反対を表明するのは1人か2人。福島の訪問団との面談でも「自分たちにはなんの決定権もない」と言い訳ともつかない発言をしていた。しかし、緊急避難計画策定責任はアングルシー州にある。このような危機感のなさで、どんな計画ができるのか心配だ。

アングルシーの主要産業は農業と観光。美しいビーチやヨットハーバー、貴重鳥類の営巣地があり、世界一長い名前で有名な駅やアイルランド共和国へのフェリー港もある。内陸は広々とした牧草地が広がり、吹き渡る風が気持ちいい。人々はとてもフレンドリーで、落ち着いた穏やかさが印象的だ。それでも経済的に「貧しい」地域とされ、「雇用創出」が第一の政策課題とされる。

カルナーヴァンにてPAWBメンバーと。後ろに見える龍の旗はウェールズ国旗(写真提供:藍原寛子)

英国では原発立地への政府からの交付金制度はないが、日立・ホライズン社のばら撒き工作は始まっている。私の宿泊先にもホライズン社のPRパンフが配布されてきていた(英語とウェールズ語半々。現地の文化軽視批判への対策らしい)。コミュニティ支援としてサッカー施設などに3千万円を寄付したことや、アングルシー出身者のホライズン社への幹部登用、若者たちの日本への招待旅行などが載っていた。

地元の小中学校ではホライズン社員による授業がカリキュラムに組み込まれ、昨日の新聞には、ウィルヴァ原発建設に必要な技術習得コースを地域の専門学校内に設ける、という記事が出ていた。

PAWBのロブさんは「地域の開発計画はすべて『ウィルヴァ』ありき。原発に限らずたった一つのプロジェクトに地域の将来をかけるのは無謀」と指摘する。

実は、記者会見会場に予約してあったホテルから、前日になってキャンセルされる事件があった。「過激な人たちが抗議行動をしようとしている」という電話があったとのこと。「このホテルはこれまでいろんなイベントで使ってきたのに」とPAWBメンバーは残念がる。日本の原発予定地が味わってきた、露骨で汚いコミュニティ分断工作がここでも行なわれるのかと思うと胸が痛む。

原発予定地で唯一ホライズンへの土地売却を拒否したジョーンズ夫妻との面談では、農業や原発への世代間の意見の相違など、国を超えた共通の話題が出た。ジョーンズ家では息子さんが後を継ぐことを明言しており家族の結束は固いが、多くの若者は他の仕事をやりたがるという。ジョーンズ家には2011年夏に土地売却の打診があった。非常に高圧的で、断ると様々な嫌がらせがあったが、地元新聞が報じたことでやっと収まったという。同地ですでに廃炉になったウィルヴァA原発による健康被害に関しては、ご自身の娘さんが悪性リンパ腫、また孫の親友は白血病だという。この地域はガンの割合が非常に高いと病院などでも言われるが、行政は否定する。人口も少ないため証明が困難とのこと。「実は原発に反対している人はたくさんいるのに、メディアは報じない」と苦言を呈する。敷地の一部をリゾート会社に貸し出そうとしたが、原発に近すぎるということで断られたそうだ。

英国全体でも原子力への逆風は激しい。高騰する費用、見通しのつかない地層処理、一方で再生可能エネルギーのコスト低下。しかし英政府は原子力に不合理なほど執着している(ロブさんは「軍用核技術保持のため」と推測する)。

「私たちが土地を所有するのではない、私たちが土地に属しているのだ」(注)というジョーンズ夫妻の言葉に共感できる者同士の連帯。これしか核の狂気を止める方法はないのかもしれない。
*注:元はアボリジニの、彼らと大地のスピリチュアルな関係を表す言葉

(7月31日記。英国の原発計画や今回の訪問は、東京新聞・朝日新聞のデジタル・サイトに関連記事が出ているので、チェックしてほしい)

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.153より)

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・慶州市民の汗と涙が成し遂げた、月城1号機の廃炉決定 (イ・サンホン)
・台湾第四原発で呉文通さん楊貴英さんに会う (さとう大)
・台湾における原発推進派の巻き返し (陳威志)             
・英ウェールズ・アングルシー島での原発反対運動に福島から応援団 (大倉純子)
・原発に関するトルコでの報道 (森山拓也)
・東電刑事裁判 ― 驚くべき新事実も次々明らかに (佐藤和良)
・東海第二原発の20年運転延長を認めない!~首都圏連絡会のとりくみ~
埼玉県議会の意見書に抗議する県民のとりくみ (白田真希)
・島根原発3号機「新規稼働」申請と周辺自治体の権限を考える (水藤周三)
・ほろのべ 核のゴミを考える全国交流会 報告 (衛藤英二)

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「福島原発事故体験者・木幡ますみと過ごした5日間」

Pınar Demircan プナール・デミルジャン(Yeşil Gazete 4月29日)

4月22日、トルコ・シノップ、野外記者会見。木幡ますみさん、プナール・デミルジャンさん

福島原発事故の影響は7年間続いており、10年後も、そしておそらく何百年後も続く、人間が引き起こした悲劇だ。この悲劇が起きたとき、原発からわずか6kmの距離で家族と共に暮らしていた木幡ますみが、体験を伝えるためにトルコを訪問し、チェルノブイリ原発事故32周年のイベントに参加した。No Nukes Asia Forum Japanとnukleersiz.orgが協力して準備し、シノップでシノップ反核プラットフォーム、サムスンで電気技師会議所と建築家会議所、イスタンブールでは電気技師会議所の主催するイベントで講演を行なった。木幡ますみは、福島原発事故の体験を話し、トルコで建設が予定されている原発について警告した。

福島原発事故経験者の木幡ますみが福島での体験を伝えるための5日間のイベントに、原子力物理学者のハイレッティン・クルチュ教授をはじめ地元の様々な団体や個人が参加した。木幡ますみは「福島原発事故を起こした国が他国に原発を輸出しようとする企てが恥ずかしい」「日本政府は使えない技術をトルコへ売りつけようとしている」と述べた。

世界で2番目に大きな原発事故を経験した木幡ますみ、2011年3月11日に起きた地震と津波から7年が経った今も、放射能汚染のため生活が完全に変わってしまった人々、14年と15年に緑の思想協会とNükleersiz.orgから2度招かれ、昨年もトルコ弁護士会環境都市委員会が企画した「原子力と法シンポジウム」で講演した守田敏也などトルコを訪れてくれた人たち、原発輸出に反対する日本人たち、映像作家の丹下紘希のような人々が、私たちに、「どうか、原発を建てるという考えに慣れないでください」と警告している。

全ての話が悲劇だ。家々を捨てなければならなかった日の体験へと話を移す。

「あの日」

福島では2011年3月11日のことを「あの日」と言う。木幡ますみが忘れることのできない光景は、住民が避難した日の光景だ。避難しようとする人々で道が渋滞し、身動きがとれなかった。

「トルコで原発を建設する者たちは、道路に関心を寄せていない」
「パニック状態でした。あの日を忘れることができません」

木幡ますみは、シノップの道路が緊急時避難のために十分でないことから、原発建設を決定した者たちは避難について重視していないと述べた。

驚くべきことではない。なぜなら、アックユ原発の環境影響評価レポートでは、緊急時の避難計画が話題にもなっておらず、専門家調査で話題にあげても真剣に議論されなかった。

「原発事故が起きたことで人生が変わりました」

福島原発から6kmの大熊町で夫と共に農業と塾を経営していた木幡ますみの生活は、原発事故によって完全に変わってしまった。原子炉で爆発が起きてからそこは避難区域となり、11km先の体育館へ避難させられた。しかし体育館のインフラは大勢の避難者のために十分ではなく、水道が使えず、道路も壊れており外から水や食料を運ぶこともできなかった。木幡ますみはその後、夫と共に100km離れた会津若松市へ移った。

「病気になった人や自殺した人が大勢いる」

救助活動が十分に行なえずに亡くなった人、避難先の劣悪な環境や被曝のために自殺した人、避難中に薬が飲めずに病気が悪化して亡くなった人の合計は2227名だが、実際はこの2~3倍ではないかと予想される。

腎臓を一つ、夫に移植した

原発事故前に治療を受けていた木幡ますみの夫は、長い避難生活で薬を飲むことができず、きれいな水も飲むことができなかった。一つの腎臓だけでは生活が難しくなり、残っている腎臓も摘出しなければならなくなった。夫に腎臓を一つ与えたと話す木幡ますみの目は笑っていた。

「原発事故を予想していた」

木幡ますみは、結婚して夫が住む大熊町に来てから、福島原発を見てきた。何度も「原発モニター」に応募したが叶わなかった。しかし2005年に委員長が交代し、「原発モニター」に就任することができた。たとえば、津波を防ぐ防波堤が低いことや、非常用発電機の設置場所が適切ではないことなどを指摘した。しかし回答はいつも同じで、「予算がない」と言われた。提案は予算不足という理由で東京電力の経営陣によって拒否された。木幡ますみはこのときに、原発には他にも問題があり、放射能漏れや欠陥が人々から隠されていると主張していた。

「そんなことをすれば大変なことになる」

木幡ますみは、福島原発に関する決定を行なう者たちや国に対して苦しい闘いを行なっている。町議会議員として、除染活動などについての決定にも関わっている。たとえば、貯蔵タンクに集めた100万トンの放射能汚染水を海へ流すことに対し、「そのようなことをすれば大変なことになる」と言った。

「私が死んでも、自殺ではありません」

福島原発から7年間、海へ毎日流れる放射能汚染水は、カリフォルニアの海岸まで届いた。これには世界中が注目している。

13人の町議会議員のうち、原発に反対なのは木幡一人だけだ。原発事故が起きても、国の政策に反対する勇気を持たないのだ。

原発のリスクと危険性について話し、様々な地域で放射能汚染の恐ろしさを説明して真実を語り、原発再稼働や原発輸出に反対する木幡ますみは、批判されることも多い。それを気にせず、世界に真実を伝える木幡は、友人たちにこう伝えている。「私の話すことを不快に思う者が大勢いる。もし私が死んだら、自殺だとは思わないでください」

「政府は放射性物質に汚染された地域への帰還を呼びかけている」

木幡ますみが最も怒っていることは、東京電力と政府が放射能汚染はないと主張して人々を自宅に戻そうとしていることだ。2020年の東京オリンピックのために、福島の放射能汚染は終わり、全てが通常に戻ったという国際的プロパガンダが行なわれている。しかし、大熊町を含め原発から近い地域の放射線量は通常の10倍から100倍に達する。なぜなら、放射性物質がほぼなくなるまで何百年もかかるのだ。以前に農業を行なっていた木幡は、大熊町では二度と米や野菜、果物を育てられないことを悲しげに話した。

緊急時の強制労働

毎日、5000人の労働者が原発内で収束作業をしている。木幡ますみは、原発事故後に被曝労働に従事したくないため逃げた労働者が脅しによって原発へ戻されたと説明した。

新しく建てられた学校でも似たようなことが起きている。役所の職員の子供が、汚染区域にある学校へ避難先の家から強制的に通わされている。

「家畜を自分の手で殺した」

福島原発事故のもう一つの悲惨な結果は、福島は農業の盛んな地域だったため、人々は家畜を持っており、それらを捨てなければならなかったことだ。地域に入ることが禁止されたため、長期間、家に戻って家畜の世話をすることができなかった。さらに、ひもでつながれたり、小屋の中に残されたまま、家畜たちは逃げ出すことができず餓死した。原発事故の発生からしばらく後、家畜の世話のために一時帰宅した人の中には、被曝した家畜に毒を与えて殺さなければならなかった者もいる。木幡ますみは「私の犬と猫も放射能の犠牲となった」と言った。

「ああ、あの山と森」

原発の爆発により放射能汚染された山と森は除染が不可能なため、永久に危険なままである。風や雨によって放射性物質は移動する。木幡ますみはこのように表現した。「この状況で政府は私たちを山のふもとの家に戻そうとしている。しかし、私は抵抗します。このようなシステムに反対するために元気でいる必要があります」

「漁業はもうできない。放射線測定のために魚を捕っている」

福島県の浜通り地区では漁業に従事する者が多かったが、全てが変わってしまい、漁師たちは職業を変えるか漁業のために他の地域へ移ったと木幡ますみは説明した。

木幡ますみがくり返し語るのを辛抱強く聞く。なぜなら、彼女の経験を私たちは誰ひとり経験していない。彼女をトルコへ招いたのも、彼女の経験したことをくり返さないため、彼女の経験したことの原因を説明するため、悲劇から教訓を得るためである。

「原発の建設を許さないでください。最後に泣くのはあなたたちです」

これは前にも聞いたことだ。決して忘れられない警告は、私が日本を訪問したとき、ある女性が話した「これらはすべて、私たちが政治家に任せきりにしたから起きた」という言葉だ。別の一人は、「一つ原発が建てば、さらに建設が続く」と言った。既存の原子炉の隣に新しい原子炉を加えることは法的インフラの面で整備が簡単であり、世論でも議題となりにくいため、政権にとって都合がよい。

「最も安全な原発は、建てられなかった原発だ」

商業原発を持たないトルコで、どの方向へステップが踏まれるのか?

ここ2年で、アックユ原発の環境影響評価に対して市民社会が訴えた裁判で、法が政権によっていかに取り除かれたのかを見てきた。

次の選挙は、原発建設に関する政治決定に影響することが確実だ。したがって、誰に投票するのか、重要性は大きい。

福島原発事故から得た教訓は、最も安全な原発は、建てられなかった原発だということだ。

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■ シノップ反原発集会に禁止令

シノップで続けられてきた反原発集会が内務省によって初めて禁止された。シノップではチェルノブイリ原発事故のあった4月26日に合わせ、毎年4月下旬に大規模な反原発集会が開催されてきた。今年もシノップ反核プラットフォームの呼びかけで4月22日に反原発集会が計画されていた。

4月19日、内務省はシノップ反原発集会の禁止を命じた。禁止の明確な理由は示されなかった。

前日の18日にはエルドアン大統領が、2019年11月に実施予定だった大統領選挙と議会選挙を、1年半前倒しで6月24日に実施する方針を示した。

昨年4月に行なわれた国民投票で、行政権限を大統領に集中させ議院内閣制から実権大統領制に移行するための憲法改正が決まった。次の大統領選挙で当選した候補は初の実権型大統領となる。シノップ反原発集会の禁止は、選挙に向けて政権への反対派が勢いづくのを防ぐ意図があると考えられる。集会の禁止と合わせ、集会前日にシノップで開催が予定されていた木幡ますみさんによる福島の現状についての講演会も禁止された。

集会の禁止を受け、シノップ反核プラットフォームは22日の集会当日にシノップ中心の広場で抗議の記者会見を行なった。記者会見には野党・共和人民党の国会議員をはじめ、300人ほどが集まった。会見では木幡ますみさんも福島の現状を報告し、原発に反対するメッセージを語った。同日にイスタンブールとメルスィンでも、反核プラットフォームや環境団体が原発に反対する記者会見を行なった。4月26日にはアックユ原発から近い北キプロス・トルコ共和国の首都でもアックユ原発への抗議行動が行なわれた。
(トルコ現地紙からのまとめ)

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■ イスタンブール反核プラットフォーム・声明
2018年4月22日

チェルノブイリ原発事故32周年にシノップで開催が予定されていた集会とシンポジウムが、内務省によって「挑発行為と安全」の理由によって禁止されました。シノップ反核プラットフォームの呼びかけに応じてトルコ各地からシノップへ向かおうとした原発反対派は妨害を受けました。

シノップで13年間続いてきた「シノップに原発はいらない」集会を禁止した内務省の決定は受け入れられません。

資本を代表する公正発展党(AKP)政権は、アックユ原発の派手な起工式(4月3日)を行ない、ノーベル賞受賞者のアズィズ・サンジャルを使ったテレビ広告によって原発のメリットを宣伝し、原発事業を推し進めようとしています。シノップ原発の市民公聴会(2月6日)では、原発に反対するシノップ住民の参加が暴力を用いて妨害されました。

似たような圧力と妨害は、アックユ原発の環境影響評価レポートの結果に反対する司法プロセスでも絶え間なく続いています。トルコを核の暗闇にとどめようとする者たちに反対する声を、これまでよりもさらに強める必要があります。

1986年4月26日以来、チェルノブイリ原発事故による汚染、死者の増加、破壊は続いています。今もここで続き、さらに何世代にもわたって続くこの災害と、変わらない考え方に対して抗議するために私たちは集まりました。

32年にわたって語られてきた「原発に関する嘘」を信じていないと叫ぶために、
私たちは集まりました。そして、どんな妨害や圧力があろうとも、原発を建設させません。

チェルノブイリ原発事故から32年の今、ジェラーテッペ、イスタンブール北部森林、ファトサ、アラクル、ムンズル、フルトゥナ、チャナッカレ、バルトゥンなど各地で自然環境と生活環境を脅威にさらす開発に、生活環境や公有地を企業に売り渡すための法案に、「エネルギーと発展」についての嘘に、自然環境の破壊に、反対します。

私たちの全ての権利を行使して、アックユ、シノップ、イイネアダで、原発を受け入れません。
(以上すべての翻訳:森山拓也)

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.152より)

★★★★★★★★★★★★★★★★★

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信152号(6月20日発行、B5-28p)もくじ

・「福島の声をトルコへ」トルコ訪問報告(木幡ますみ)
・「福島原発事故体験者・木幡ますみと過ごした5日間」(プナール・デミルジャン)
・シノップ反原発集会に禁止令
・イスタンブール反核プラットフォーム・声明
・2018年トルコ総選挙 各党の原発政策(森山拓也)
・誰のための原発輸出? 日英市民に押し付けられるコストとリスク(深草亜悠美)
・人々の命より生産性を優先させるのか?
バングラデシュの原発開発の問題点(モヒミーン・レイエス)
・インドとパキスタンよ 今すぐ核兵器を放棄せよ!
核実験から20年目の市民アピール
・インドネシア・西ジャワ州チレボンおよびインドラマユ石炭火力発電所への
日本の公的融資停止を求める国際要請書を日本政府に提出(波多江秀枝)
・「とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会」結成(柳田真)

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「福島の声をトルコへ」― トルコ訪問報告 ―

木幡ますみ (6.2大阪集会での報告より抜粋、構成)

4月25日、イスタンブール

<日程>
4月21日 シノップ原発建設予定地へ
22日 シノップ集会中止・抗議の野外記者会見
23日 サムスンで講演会
24日 イスタンブールでラジオ出演
25日 イスタンブールで公開記者会見

■ 4月21日

シノップでの、21日の私の講演会と、22日の大集会・デモが、政府・内務省の19日の命令で中止させられたとのことで、入国を拒否されるのではないかと心配していました。しかし入国審査では、カウンターの高さがとても高いので、身長の低い私が飛び跳ねながら審査を受けようとする姿を見て、係の人が笑顔で入国手続きをしてくれました。

プナール・デミルジャンさん、森山拓也さん、佐藤大介さんと私は、イスタンブールから国内線の飛行機で、トルコ北部、黒海沿岸のシノップへ行きました。

チェルノブイリ事故の放射能が降り注いだシノップでは、2006年以降、毎年4月、原発建設反対の大集会・デモが行なわれてきました。2015年は4万人が参加したそうです。

昼ごろシノップの市街地に到着しました。シノップ市は人口約5万人、シノップ県では約20万人です。まずメティン・ギュルブズさん夫婦が経営する小さいけどすごくステキなホテルに荷物をおろしました。メティンさんは、SNKP(Sinop Nükleer Karşıtı Platform/シノップ反核プラットフォーム)のメンバーで、2年前、福島で行なったノーニュークス・アジアフォーラムに、プナールさんとともに参加した方です。

シノップは漁業町です。漁港には漁船がたくさん並んでいます。すぐそばに、市街地があり、ホテルやレストランや魚屋さんがあります。私は、3.11までにぎやかだった浪江町の請戸漁港を思い出しました。思い返せば、とてもぜいたくなことでした。双葉郡ではサケがたくさんとれます。とれすぎるとおすそ分けでたくさんもらって、ご飯のおかずにしても、味噌汁にしても食べきれず、「しゃけ、いらないよねえ」なんて言ったりするほどでした。もう絶対に戻ってこない暮らしです。

原発建設予定地

私たち4人と、SNKPのメンバー6人は、市街地から約15キロの原発建設予定地に、車で行きました。

周辺に自然保護地域も存在する、たいへん美しい地域なんですが、国有林の木が200万本も伐採されていて、無残な風景でした。森山さんが「1年前に来たときは一面、緑豊かな森だったのに。環境影響評価も完了していないのに」と言いました。

そこで、悲しい光景がありました。ずっと向こうから一頭の牛がこちらへ歩いてくるのです。不思議に思って聞いてみると、森林が伐採されたこの場所に、あの牛が飼われていた家があったんだそうです。だから、自分がかつて住んでいたところを思い出し、牛が自分の故郷に戻ってきているのでした。今の双葉郡を見ているような気がしました。

予定地の近くで、佐藤さんが持ってきた放射線測定器で空間線量をはかると、SNKPのメンバーたちが大注目でした。シノップ市街地よりだいぶ高いです。「32年前の放射能が樹木に残っているんだ」との声があがりました。

「こっちはウクライナ製。こっちは日本製、福島県では持っている人が多い」と説明すると、「値段はいくらか?」「どうしたら買えるのか?」と聞いてきました。佐藤さんがSNKPに贈呈しました。

SNKPの人たちと。左から2人目佐藤、4人目木幡 (撮影:森山、他の写真も)

予定地のとなり、トルコ最北端の灯台に行きました。黒海の景色もよく、観光客もたくさん来ていました。私は、灯台のある富岡町の小良ヶ浜漁港を思い出しました。

夜は、SNKPのメンバーたちと夕食会。テーブルにおかれているパンがおいしいので食べ過ぎてしまい、料理が出てくる前に、おなかがいっぱいになってしまいました。「地球の歩き方」によると、トルコのパンは世界一おいしいらしいです。みなさん、トルコに行ったら、食事のときにパンを食べすぎてはいけませんよ。トルコは、魚も肉も野菜も何でもおいしいです。

■ 4月22日

シノップでは2月6日に、原発の環境影響評価に関する市民公聴会が、推進側だけの参加で開催され、参加しようとしたシノップ市民たちやジャーナリストが警察によって排除されたそうです。

また、トルコ南部、地中海沿岸で、ロシアが建設するアックユ原発の起工式が4月3日に開催され、エルドアン大統領とプーチン大統領が共に出席しましたが、このとき、アックユ原発のあるメルスィン県では県知事がデモや集会の禁止令を出したということです。

このように、公正発展党(AKP)政権は、強権的に原発を推進するようになってきています。

4月22日、野外記者会見

22日のシノップ大集会・デモも中止させられたのですが、抗議の野外記者会見が行なわれました。市街地の広場のアタチュルク像の前で、数百人が参加しました。アタチュルクはトルコ共和国建国の父です。警察の妨害、規制などはなかったです。

記者会見で私は、福島原発事故被害の状況を伝え、最後に「シノップのような海の恵みにあふれた地域では、決して原発を作らせては駄目です。事故が起きなくても、原発周辺の魚の汚染が心配されて売れなくなります。事故が起きれば、生活も仕事もできない死んだ町になってしまいます。原発の建設は決してしてはいけません。だまされてはいけません。最後に泣くのはそこに住んでいる住民たちです。福島原発事故を起こした日本が、この美しいシノップに原発を輸出するなんて、絶対に許せません。なんとしても止めましょう」と訴えました。私の話を、皆さん一生懸命聞いてくれました。

トルコの皆さんはとても力づよく「座りこみでもなんでもやる!」と言っておられました。トルコでは女性も男性も同等の数くらい参加しており、明るさと強さが備わった国民性に感銘を受けました。

最大野党の共和人民党(CHP)の国会議員や、アンカラやイスタンブールからの著名人など、他のスピーカーの人たちは、原発反対のアピールとともに、集会・デモの中止に抗議し、「民主主義を守れ」などと、力強く訴えていました。

広場には、トルコのどこででも目にする、ゴマを大量にまぶしたリング状のパン「シミット」を売り歩くお兄さんがいて、私は、目が合ってしまうたびに何回も買ってしまいました。

記者会見には、高校生や大学生も、手作りのプラカードやバナーをもって、たくさん参加していました。デモがないので、記者会見のあと、大学生たちが「旧刑務所民俗博物館」に案内してくれました。1877年から1997年まで刑務所として使用されていて、投獄されていた学者、作家、政治家などについての展示もありました。刑務所をそのまま残し、こうした歴史を継承していくことは、とても大切だと感じました。日本の場合は、なんでも壊してきれいに作り変えてしまう気がします。そのまま実物を残して、負の遺産、歴史の影の部分であっても、伝えていこうとすることは重要ですね。国民性の違いが出ているのかなと思います。

デモの警備のために遠方から来ていた警官たちも刑務所の見学に来ていました。私が転びそうになったら、その警官の人たちが手を貸してくれたりしたのが印象的でした。

私が独房に入った写真は、フェイスブックでトルコの人たちに広まっており、人気です。

4月22日、野外記者会見

夜は、交流宴会です。魚がおいしいです。SNKP代表のカイハンさん、前代表のゼキさん、佐藤さん、おっさんたちは、トルコの蒸留酒「ラク」で乾杯しました。ラクは、無色透明ですが水を加えると白濁します。アラビア語圏ではアラックです。

トルコのみなさんは、歌って、踊って、陽気です。どんな方が来ても、一緒に歌おう、踊ろうで、誰が来ても仲間に迎え入れているようでした。福島原発事故で避難を強いられた人々は、作られた明るさ、作られた陽気さ、強いられる復興ではなく、本当の意味での楽しさ、明るさを奪われてしまっているのではないかと感じました。復興住宅などに慰問の人たちが来てくれますが、このような陽気さはありません。最後に「ふるさと」の歌ばかり歌わされて、楽しくない。自主避難の方々からも、「笑っても、心からの笑いじゃないんだよね」と言われたりします。こうした楽しさ、陽気さというのは、人間が生きていくために絶対に欠かせない基本的なもので、なくしてはならないということを、他国に行って改めて考えさせられました。

森山さんは、大学生たち6名と店をかえて夜中2時まで話し込んだそうです。未来の希望ですね。

日本人は、自分たちが原発事故で被害を受けたのに、なんでトルコに原発を輸出しようとするのでしょうか。トルコの人たちは、1890年に和歌山県沖で遭難したエルトゥールル号に乗っていた人たちを救助してくれたということで、日本の人々に対してとても親しみと恩義を感じておられます。しかし今回、「日本が建設した原発で事故が起きたら、私たちは日本人を恨みます」と言われてしまいました。福島原発事故の収束のめども立たないのに、なぜこんな自然豊かなところに原発を立てるのでしょうか。再生エネルギーを推進するために協力していく方が正しいのに、日本は全く逆のことをしようとしています。

■ 4月23日

朝、ホテルに、ハーレさんが訪ねてきてくれました。森山さんの映画「沈黙しない人々」にインタビューで登場した女性です。彼女と話し込みました。当初は運動を呼びかける立場だったそうですが、今は運動の中心から離れているようです。そういえばきのうの宴会もおっさんばかりでした。佐藤さんが「女性が前に出れば勝てます。アジアではどこでもそうです」と言いました。

シノップ在住の画家のセイットさんもホテルに訪ねてきてくれて、原発反対の風刺画をプレゼントしてくれました。

メティンさん夫婦に「また来ます」と、お礼をのべました。

バスで移動し、シノップ県のとなりのサムスン県へ行きました。サムスン市は人口40万人、サムスン県では120万人です。シノップと比べると大都会です。サムスンでも、シノップ原発反対運動が行なわれてきたとのことです。

トルコの反原発運動を支えている組織のひとつが、電気技師会議所(EMO)だそうです。そのサムスン支部主催で講演会が行なわれました。会場にはシノップ原発計画の危険性を示す大きなパネルが数枚展示されていました。50名ほどの参加でした。若者たちもけっこう参加していました。

私は、福島の原発事故被害の状況を、スライドで写真を見せながら報告しました。

■ 4月24日

イスタンブールへもどり、FM放送局の「アチュックラジオ」で、インタビューを収録しました。26日に放送されたそうです。

町会議員をやっている私が、いろいろな場所に呼ばれて講演したりすることを、他人からよく批判されます。「なんであんなことを発言したんだ?」「なんでそんなところに行ったんだ?」と、あれこれ言われるんです。あまりにも頻繁に言われているので、だんだんと気にならなくなってきました。ですから今回は、「トルコ、いいところだったよ~」と話してやったら、相手は羨ましがっていました。

反原発ドキュメンタリー映画「ニュークリア・アラトゥルカ(トルコ原子力狂騒曲)」の製作チーム、監督のジャン・ジャンダンさんや、プロデューサーのアイシェさんらと、シリア料理店で昼食を食べました。佐藤さんによると、日本の147名から、66万円の支援金を送ってあったのですが、完成は2年以上先の見込みとのことです。ジャン監督は「原発には、隠れた目的、つまり、核開発があるのではないか」と言ってました。

観光もしました。ヨーロッパとアジアを分けるボスポラス海峡のクルーズ船に乗りました。

繁華街を歩いていると、何やら人だかりです。まわりに多くの警官がいて、放水車も来ていました。しばらく様子をうかがい、弾圧はなさそうだと判断してから近づくと、百人ほどの人が「顔写真」などを掲げながら座り込んでいます。今日は「アルメニア人虐殺の日」なのです。1915年4月24日、イスタンブールに住んでいた250人ほどのアルメニア人知識人らが逮捕・追放されました。これを機にオスマン帝国領内でアルメニア人への弾圧が強まったため、この日は当時犠牲となったアルメニア人の追悼記念日になっているんだそうです。追悼集会をしている勇気に感銘を受けました。やった方は忘れても、やられた方は絶対に忘れないのです。

夕食は、イスラムについての著書が多い内藤正典先生御用達のレストランでした。

■ 4月25日

電気技師会議所(EMO)の事務所で、公開の記者会見がありました。70名ほどの参加者で満員でした。

私は、気合を入れて福島を伝えました。プナールさんも迫力で通訳してくれました。佐藤さんもノーニュークス・アジアフォーラムについて紹介しました。いくつかのメディアで報道されました。

1000軒もの店が入るグランドバザールへ行って、森山さんの提案で、黒海沿岸産の紅茶1kg、ヘーゼルナッツ1kg×2種、乾燥イチジク1kgを購入しました。持ち帰って、いわき市の放射能測定所「たらちね」で測定してもらいました。セシウム137、単位はKgで、紅茶は、36.1ベクレル、ヘーゼルナッツは、2.5ベクレルでした。32年経っても、紅茶にこれだけ含まれている事実がわかりました。恐いですね。

6月24日に、大統領選挙と、国会議員選挙がありますが、「もし、エルドアンと公正発展党(AKP)が大勝したら、昨年の国民投票で権限が強化された大統領となるエルドアンは、さらに強権的に原発を推進するだろう」と、トルコの人たちは言っていました。「反対の声が上げづらくなり、逮捕されることもあるだろう」「法改定され、トルコの反原発運動を支えてきた電気技師会議所も解散させられることになるだろう」とも言っていました。

三菱とアレバの「アトメア1」(110万kW)4基で、4~5兆円かかるそうです。伊藤忠は離脱しました。事業化に向けた調査は夏に終了予定です。原発輸出反対の声を広げたいと思います。

4月22日、野外記者会見

★ Q&Aより

私は大熊町でポチという名前の犬を飼っていました。2011年3月に避難するときには連れていくことができなくて、6月の一時帰宅の際に連れだしました。しかし保健所で診てもらったときに心臓疾患の可能性を指摘され、獣医さんに連れていくと、血管が細くなって心臓が弱っていると言われました。最終的には全身にがんができて2015年に亡くなりました。

火葬にしまして、最近、その遺骨を、やはり「たらちね」で測定してみたところ、3.39ベクレルのストロンチウム90が出ました。これは自然界にはないものです。東電の職員に事情を話して「これは原発事故で出た放射性物質なのではありませんか?」と問い詰めると、その人は下を向いてしまいました。

うちのポチは、一緒に飼っていたニャーニャーという猫たちを守ろうとしていたようで、動物たちだけで残された後、猫たちから離れず家の周りにずっといたようです。山の中などをあちこち出歩いてはいません。それでもストロンチウムが出たのです。原発で働いている人たちはどうなのでしょうか。これまでにも作業員だった方が病気になったりしていますし、亡くなった方もいます。恐ろしいことです。

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すべての人が帰れるようにするというのではなく、帰りたい人が帰れるように環境を整えることが大事です。

原発のデブリをこれから取り出すといいます。取り出してどうするのかと聞いたら、どこにも持っていく場所はありません。格納容器に入れて大熊町に置いておくのではないかと東電の職員に聞いてみたところ、その人はうなずいていました。デブリの持って行き先がないのもそうですが、デブリを取り出せるかどうかもわかりません。危険なことはやめたほうが良いのです。一番先に被曝して、一番先にひどい目に合うのは、地元の人たちなのです。今、福島原発の収束作業員として働いている労働者の中には、大熊町など地元の人たちが多いのです。安く使えるからです。半分以上が地元の人たちです。給料をやるから文句を言うな、と言われています。だから彼らは何もしゃべりません。

双葉郡の人たちも、トルコの人たちと同じように、よく歌ったり踊ったりしていたのです。相馬盆歌などですね。しかし今では、涙で踊って、涙で歌っていると話してくれた人がいました。

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●トルコでの木幡さんのスピーチからの抜粋

私は、福島県の原発事故が起きた地元大熊町で、原発から6キロのところに住んでいました。私はそこで農業をしていました。しかし原発事故によって家を追われました。今は、会津若松市で暮らしています。

大熊町は、今も放射能が高くて、一部分を除いてほとんど誰も住めません。私は原発事故後、国の「故郷に帰りましょう」という帰還政策に怒りを持ち、町民の命と暮らしを守らなければと思い、町議会議員に立候補して、現在、大熊町の議員として活動しています。大熊町役場と町議会は、100キロ離れた会津若松市にあります。

私は各地域に行って、原発事故後の大熊町や近隣町村の実態を知ってもらいたく時々お話をしています。私は原発は絶対反対です。これは私の基本理念です。

原発事故から7年が経ちましたが、原発に近い町村の人々はほとんど戻って来ていません。福島県全体の避難者は、最初16 万5000 人、現在でも5万人以上です。2017年春に政府が避難指示を解除した原発周辺の4町村では、約1年たっても住民の帰還率は4.3%(31501人のうち1364人が帰還)です。高齢者が多いです。

日本政府は、除染といわれる放射線量を下げる作業をしたからと言って、次から次と人々を帰還させ、復興、復興と喚いています。しかし、放射線量は下がったと言われますがでたらめです。山々の木々や草花にふり積もった放射能は取り除くことはできません。農作物、コメや野菜は作れません。放射能が高い地域でも、帰還しなさいと、国は脅しをかけているような状況です。

人々は7年間の年月の中で、身も心も疲れ果て、自ら命を絶ったり、病に倒れた方々がたくさんいます。病気や自殺などの原発関連死者は2227人です。

原発の廃炉作業は先が見えません。現在、福島原発内で毎日5000人の労働者が被ばくしながら作業しています。壊れた原発の1号機から3号機までのデブリ(とけ落ちた核燃料)の取り出しはこれからで、とても高い放射線量の中での作業です。できるのでしょうか? 50年以上かかると言われています。またできたとしてもその核廃棄物は何処にも持って行きようがありません。それに、放射能汚染水は、タンクに、今、100万トンたまっています。放射能汚染水を海に流す訳にはいきません。

子供たちの甲状腺癌の多発が大きな問題になっています。福島県で甲状腺癌になった子供は197人(疑いを含め)です。甲状腺癌の手術を施した後でも癌が消えず、肺癌に移行している子供がいます。これからもまだまだ多くの病気が出てくるでしょう。

漁業は、原発事故後、海水の放射能汚染でできませんでした。今は操業再開されましたが、福島県では一部地域、それも一部の限られた海産物しか捕れませんし、捕れたとしても厳しい放射能検査があり、簡単に捕って売れる訳ではありません。福島県の漁師さんたちは、漁業をあきらめ、別の仕事を求めていかれた方が多いです。

トルコの人たちは日本に好意をもってくれていますが、原発が輸出されたら、日本をきらいになってしまうでしょう。私は原発輸出に反対します。

原発の建設は決してしてはいけません。だまされてはいけません。福島原発事故を起こした日本が、美しいシノップに原発を輸出するなんて、絶対に許せません。なんとしても止めましょう。

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★木幡さんについての報道記事

<4月25日>

Fukuşima tanığı Masumi Kowata ile 5 gün…


http://bianet.org/bianet/ekoloji/196526-fukusima-tanigi-sinop-ve-akkuyu-bizim-kasabamiza-benzemesin
http://www.cumhuriyet.com.tr/haber/cevre/964406/Fukusima_tanigi_Masumi__Birlikte_hareket_etmemiz_gerekiyor.html
http://www.emo.org.tr/genel/bizden_detay.php?kod=123326&sube=6(動画)
https://www.rtigercek.com/japonlar-sinop-taki-nukleer-santralden-cekilecek-iddiasi
https://jinnews.com.tr/EKOLOJ/content/view/82170

Basın açıklaması ve söyleşi I Çernobil faciasının 32. Yılında, nükleer santralların etkileri

<4月24日>
http://acikradyo.com.tr/etiket/masumi-kowata(Açıkラジオ)

<4月22日>
http://hbr.haber57.com.tr/genel/nukleer-santral-protesto-edildi/6617/

“Nükleer santral istemiyoruz” diyen Sinoplular, miting yasağına rağmen bir araya geldi: Buradayız!


https://www.birgun.net/haber-detay/yasam-savunuculari-nukleere-karsi-tek-ses-izin-vermeyecegiz-213197.html

SANTRALİN KURULACAĞI BÖLGE DEPREM BÖLGESİ


http://www.hurriyet.com.tr/nukleer-karsiti-platform-uyeleri-sinopta-bir-a-40813478

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.152より)

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『ノーニュークス・アジアフォーラム(1993~2016)全記録DVD』
PDF 4996ページ
・インドネシア・台湾への原発輸出反対運動の記録他
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■ ノーニュークス・アジアフォーラム通信(No.1~144)
■ ストップ原発輸出キャペーン通信
■ 第1回NNAF報告集(全国28ヶ所で集会。高木仁三郎・藤田祐幸・金源植など各国からの発言)
■ 神戸・環太平洋反原子力会議報告集
■ 第8回NNAF報告集

定価10000円 (NNAFJ会員価格3000円)送料共
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参考:NNAF通信・主要掲載記事一覧.国別 http://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信152号(6月20日発行、B5-28p)もくじ

・「福島の声をトルコへ」トルコ訪問報告(木幡ますみ)
・「福島原発事故体験者・木幡ますみと過ごした5日間」(プナール・デミルジャン)
・シノップ反原発集会に禁止令
・イスタンブール反核プラットフォーム・声明
・2018年トルコ総選挙 各党の原発政策(森山拓也)
・誰のための原発輸出? 日英市民に押し付けられるコストとリスク(深草亜悠美)
・人々の命より生産性を優先させるのか?
バングラデシュの原発開発の問題点(モヒミーン・レイエス)
・インドとパキスタンよ 今すぐ核兵器を放棄せよ!
核実験から20年目の市民アピール
・インドネシア・西ジャワ州チレボンおよびインドラマユ石炭火力発電所への
日本の公的融資停止を求める国際要請書を日本政府に提出(波多江秀枝)
・「とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会」結成(柳田真)

年6回発行です。購読料(年2000円)
見本誌を無料で送ります。事務局へ連絡ください
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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) http://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

旧刑務所の独房