台湾総統選、立法委員選について

とーちです。本年もよろしくお願いします。

昨日、台湾で総統選挙と立法委員選挙(日本でいう国会議員選挙。一委員制)が行われました。
総統選については民進党(2025年脱原発を制定)の賴清德が当選し、国民党の侯友宜と民衆党の柯文哲が敗北宣言をしました。
侯友宜は原稿を読むこともなく滔々と再起を語り、柯文哲は原稿を読んでいたのが意外に思えました。
(これは国民党の敗北原稿は用意されてなくて、柯文哲は予定通りなので原稿がある、という気がします)
一方、立法委員選挙は選挙前と比較して下記となりました。

  • 国民党 37->52
  • 民進党 62->51
  • 民衆党 5 -> 8
  • 時代力量 3 -> 0
  • 台湾基進 1 -> 0
  • 無所属 5 -> 2
  • 計 113

国民党が第一党ですが、過半数は57なので、国民党、民進党いずれも過半数に達しません。
無所属も2なので事実上、8議席を持っている民衆党がキャスティング・ボートを握ります。
蔡英文総統の時代は、常に立法委員でも第一党であったため、あれだけの実績を残せたわけです。
2000年には陳水扁が政権を取りましたが、一度は第四原発建設停止を決めながら、立法委員で国民党が圧倒的第一党だったため、政局となり、建設継続となったことが思い出されます。
当時は総統選と立法委員選挙が同日ではなく、1年から数か月離れていました。
その事情もあり、このねじれ状態は2000年以来といえるかも知れません。
選挙の最終版で民衆党の柯文哲は国民党との連立を拒否したのですが、その意図通りの結果になったといえます。柯文哲の敗北宣言はまるで勝利宣言のように笑顔でした。
原発に関して民衆党の柯文哲は、第二原発の再稼働、第三原発の稼働延長を主張していたため余談を許しません。
立法委員選挙は、

  • 小選挙区 73
  • 比例代表 34
  • 原住民 6

という構成なのですが、比例代表では民進党36%、国民党35%とわずかに高かったのですが、獲得議席は13と五分でした。民衆党は22%を獲得して8議席を取りました。民衆党は小選挙区では1議席も得ていません。すべて比例代表での議席です。柯文哲ありきの政党と思われるゆえんです。
ひまわり運動から誕生した時代力量が議席を失ったのは残念です。党首の王婉諭は再起を語っていました(たぶん)

能登半島地震に11億円を超える寄付を行ってくれた台湾の人々。
それだけ関心をもってくれているのに、志賀原発の状況の発信が不十分だったと反省しています。
今回ほとんど争点にならなかった原発ですが、時間がないとはいえ、再稼働させることのリスクを強調すれば少しは影響があったのではないか。立法委員の結果はほぼ読めていたので、民衆党の柯文哲に、志賀原発の状況を伝え、それでも再稼働するのですか?と突撃質問する記者が一人くらいいてもよかったのではないかと思えてなりません。

以上です。

台湾の明日はどっちだ! 2020年台湾総統選挙の注目点

概要

4年に一度の台湾総統選挙が、2020年1月11日(土)に行われます。
台湾はアメリカ合衆国に似た政治機構で、総統の任期は4年、有権者の直接選挙により選出されます。ちょうど合衆国と同じ年に先行して行われるため、その点でもよく話題になります。
また日本の国会議員に当たる、立法委員も同時に全議席改選されるので大きな変革が起きやすいです。

今年も特に話題の多い選挙のため、日本のみなさんにもぜひ注視して、1月11日を迎えて欲しいなぁ、と思っているので、立候補者の説明などをしてみます。

文責等はすべてとーち(奥田亮)にあります。

ところで「総統」という語は「大統領」の中国語表記であり、まったく同じと考えていい。英語ではPresidentである。トランプ大統領は、台湾では「特朗普總統」となる。
したがって、厳密には日本語の文脈でも大統領と表するほうが妥当だともいえるので、ここでは大統領でいってみる。

民進党関連の立候補関連者

民進党は現在の与党。原発には反対で、日本から輸出された第四原発を稼働させないことを決定した。今回も民進党政権となれば第四原発が稼働する可能性はほぼなくなるのではないかと言われている。

蔡英文 (民進党 大統領候補)

蔡英文
總統府, Attribution, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=48898316による

2016年に初当選した現在(2020/01/04現在)の大統領であり、今回の大統領選の候補でもある。
台湾では大統領の任期は最大2期と決まっているので、これが最後の大統領選となる。

蔡英文は李登輝に見いだされ政治活動をしていたが、民進党に入ったのは2004年と遅かった。しかし、2008年には主席に就いている。その後紆余曲折あったが2010年に新北市市長選で国民党の朱立倫に敗れている。
その後、2016年に、今度は大統領選で同じく朱立倫と争うこととなり、当選を果たし、大統領となった。
またこの際、立法院でも民進党が過半数を得たため、その後の政治運営が容易になった。2000年に民進党が初めて政権を得て以来、立法院でも過半数を得たのはこの時が初めてであった。

2017年に脱原発法、2019年には世界で27番目となる同性婚合法化を成立させるなどリベラルな実績を残している。
しかし、2018年の統一地方選では民進党が22のうち13の知事・市長を占めていたのを6にまで激減させ、その責任をとって党主席を辞任している。
このため2018年末の時点では大統領候補にもなれないだろうと思われていたが、
2019年1月、中国の習近平が台湾にも一国二制度を用いるべきだと発言したことに、即座に反論し、改めて支持を得た。そしてその後、香港での逃亡犯条例をめぐる動きにより台湾が「明日の香港」となる懸念を呼び起こさせ、香港での動きが深刻さを増すに従い、支持率を上げてきた。

頼清徳(民進党 副大統領候補)

頼清徳
臺南市政府 – https://www.tainan.gov.tw/Default.aspx, Attribution, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61333914による

蔡英文より独立色が強いといわれている。蔡英文により行政院長に任命されるなど重用されていたが、統一地方選後、蔡英文の人気が落ちる中、大統領候補として民進党内の予備選蔡英文と戦った。結局、香港の動きなどにより蔡英文の支持率が復活したことから予備選では敗北し、その後副大統領として蔡英文とともに選挙に挑むこととなった。
独立派ではあるが、自らを反中ではなく、親中愛台であると述べている。

柯文哲

柯文哲
KP – IMG_9322-1, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=70166416による

日本統治時代に祖父が教師をしており、228事件で逮捕されその後病死している。優秀な外科医として活躍し、政界の中にも何人も柯文哲に命を救われた人がいる。

2012年の大統領選では蔡英文を支持、ひまわり運動の際には立法院を占拠している若者たちのもとに駆け付けるなどリベラルな側面で知られる。
国際関係では友中親美靠日(中国と友好を保ち、アメリカと親しくし、日本とも近しい)というなんでもアリな意見を表明している。しかし、これは台湾の若者の一般的な意見に近いものであり、素直な意識の吐露であるともいえる。
さらに柯文哲は毛沢東を支持しているとし、国民党を撤退させた毛沢東に学びたいとも発言している。

2014年に民進党の支持を受け、台北市長に初当選し、その後2018年には民進党は独自候補を出したが、無所属で市長選に出馬し、国民党候補に僅差で勝っている。
今回、大統領選へ出馬する意向を示していたが、結局9月になって出馬を見送った。

しかし、台湾民衆党という政党の党首でもあり、立法院選でどれだけの委員が当選するかが注目されている。

呂秀蓮

呂秀蓮
davidreid – https://www.flickr.com/photos/davidonformosa/2297833015/, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=48929873による

台湾がまだ戒厳令下であった1979年に美麗島事件という言論弾圧事件が発生する。呂秀蓮はその対象となった美麗島という雑誌社の副社長だったため投獄され、弁護士であった陳水扁らに弁護された。
その後、2000年の大統領選で民進党が勝利し、陳水扁が大統領に、呂秀蓮が副大統領となった。2期目も務めたたため、呂秀蓮は8年間副大統領の座にあった。

今回、台湾最大のキリスト教団体である長老教会は、ほとんどが蔡英文支持なのだが、主に同性婚を否定する宗教上の理由から一部独自候補を擁立する動きがあり喜楽島連盟が2019年7月に設立された。呂秀蓮はそこから立候補を試みたが、政党として認められていないため、立候補には28万人の署名が必要であった。
結局署名を集めることができず、11月2日に立候補断念を発表した。

国民党関連の立候補関連者

そもそも国民党は、日本が戦争に負けた時点では大陸の支配を共産党と争っていた。その後、共産党に追われる形で、台湾に逃げ込み、現在に至る。
したがって、民主化された現在では、国民党は政党という側面もあるが、そもそもは台湾の支配組織の名称というのが実情だった。過去建設された3か所6基の原発も国民党による戒厳令下に建設された。
日本から輸出された第四原発も戒厳令下に建設が決定されたが、民主化と共にその建設が阻止されつづけてきたのだ。

韓国瑜(国民党 大統領候補)

韓国瑜
高雄市政府, Attribution, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=82278429による

陸軍士官学校を出て、1990年代に台北県議を経て、立法委員を3期務めたのち、青果市場運営会社社長などをしていたが、2018年の地方選で高雄市長の国民党公認候補となり、当選する。
従来の、エリートでスタイリッシュという国民党政治家像とは異なる庶民派の人柄が好感を持たれ、一大ブームを巻き起こした。
高雄市長当選後、国民党の大統領予備選で44ポイントという大差をつけて大統領候補となるが、そのころをピークに支持率は低下していく。

マンション投資を暴かれたり、ディスニーランドや競馬場誘致といった公約が何一つ実現されないなど、次第に批判されることが多くなり、香港情勢を「動乱」と呼んだことなども批判された。

親民党関連の立候補関連者

宋楚瑜(親民党 大統領候補)

宋楚瑜

湖南省生まれの外省人。国立政治大学、カリフォルニアバークレー校、ジョージタウン大学と進学し、その英語力を買われて蒋経国に英文秘書に抜擢された。
その後、同じく蒋経国に見いだされていた李登輝の下で活躍し、1994年には台湾省長に就いている。当時の国民党は大陸を含めた中国全土を支配する建前であったため、大陸の各地方省にも省長の役職があり、実質唯一有意なのが台湾省長だった。
しかし、李登輝はこの非合理な状態を解消したため台湾省の機能を凍結してしまった。宋楚瑜はこれに抗議して辞表を提出。
2000年の大統領選に無所属として立候補した。この際、
民進党 陳水扁  39%
国民党 連戦      23%
無所属 宋楚瑜  37%
という国民党を上回る得票を得ながら、わずかの差で、陳水扁、呂秀蓮に政権を渡してしまう。

その後の2004年の大統領選では、国民党の連戦に花を持たせ、自身は副大統領候補に回るが、それでも50.11 対 49.89という僅差で敗れ、政権を得るに至らなかった。
自ら立ち上げた親民党を率いてその後も大統領選に出馬するがいずれも敗退している。今回もやはり出馬を決めた。

郭台銘

郭台銘
dilmarousseff – https://www.flickr.com/photos/dilma-rousseff/5781202680/, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21672831による

1974年24歳のときに若くして企業し、鴻海精密工業(当初は鴻海プラスチック企業有限公司)を興す。その後当時はまだ知られていなかった中国深センにIT工場を建設し、iPhoneを製造するなどにより世界有数のIT企業とし自身も台湾一の富豪と呼ばれるようになる。
日本では2016年にシャープを買収したことでその名が知られた。

2019年4月に媽祖のお告げがあったとして大統領選への出馬を決める。
しかし国民党の予備戦では、韓国瑜44%に対し、郭台銘27%と惨敗し、無所属での出馬も検討していたが、9月なって出馬を見送った。

むすび

柯文哲は一部の民進党委員と不仲であるといわれていたこともあり、独自の出馬を考えていたが結局見送った。また政策そのものは蔡英文ととても近く、柯文哲の支持層は蔡英文に投票すると思われる。
呂秀蓮の喜楽島連盟も、その支持者が国民党に投票することは考えにくく、事実上民進党陣営は一つにまとまったといえる。

対して、立候補を断念した郭台銘は、宋楚瑜の親民党を支援するとしている。
台湾のマスコミは、現在77歳の宋楚瑜の後任を取り付けたのではないか、と報道しているが当の宋楚瑜はTVで否定してはいる。
いずれにしろ、求心力を失った韓国瑜に対し、予備選を戦った郭台銘が対立の構図となるのはいずれの陣営にも苦しい状態だと思われる。

また、同じく2020年1月11日には台湾立法院選挙も行われる。
台湾の立法院は一院制で議席は113。任期は4年なので、大統領と同時に総入れ替えとなるため、そのたびに大きな政治変化が起こるようにできている。
今回の蔡英文政権で脱原発法や同性婚合法化が達成できたのは、立法院でも多数派であったことが大きく影響している。この状態が継続できるかどうかも、大きな焦点になる。合わせて注目して欲しい。

最後に、この台湾の選挙について日本一部の報道媒体が、国民党に反対する陣営が「反中」として戦っているかのように読める誤解を記載していることに気を付けたい。
すでに自治を維持している台湾を、一国二制度のもとに統合しようということに反対することは「反中」ということとは違う。
上述したように、多くの台湾の人びとは中国とも協調しながら発展していくことを望んでおり、そもそも経済状態の深い結びつきからいって、完全に敵対する選択肢などあり得ず、いかに妥協点を見つけながら歩んでいくのか、というのがこれまでもこれからも、必要なことなのだ。

Over:

脱核への舵を握った韓国の人びと後編 とーち

2017年8月10日から15日まで佐藤大介氏とともに韓国を訪れた。ムン・ジェイン大統領が脱核宣言をして2か月ほど。しかし現地の人々に白紙撤回すると約束していた建設予定の核電は、3ケ月間の公開討論(公論化委員会による討論)を行った後に結論を出す、また工事を中断するとしていた完成間近の核電は完成させ、その設計寿命まで運転を認めるため脱核が実現するのは2076年という。この政策が韓国の人びとにどうとらえられているのか、それを探る旅だった。

■ 戦場を知らない子どもたち

日本大使館前の従軍慰安婦少女像
日本大使館前の慰安婦処女像

ソウルに地下鉄で入ると、まず日本大使館の前にあるという従軍慰安婦少女像を探した。この日の宿舎がその近くにあるからだ。大使館に向かい合っているようなイメージを勝手に持っていたが、入口からは少し離れて、道路のほうを向いて静かに座っている。
「戦争を知らない子供たち」という歌がある。これにはずっと違和感があった。この歌自体は「戦争が終わって僕らは生まれた♪」という歌詞だから、ここでいう「戦争」は一般的な戦争ではなくThe warつまり十五年戦争であり太平洋戦争を指しているのだから作詞の北山修に誤りはない。しかし、いつの間にか私たちは、一般的な意味での戦争をも含めて、私たちは戦争を知らない、と思いこまされてきたのではないだろうか。
でも本当は、私たちは、この国は、ずっと戦争と共にあった。そもそも敗戦後に始まった朝鮮戦争がこの国の経済に奇跡的な向上をもたらし財閥も戦犯も復活を果たしたのだ。その中にはもちろんあの岸信介もいる。その後もベトナム戦争、湾岸戦争と直接的な武器輸出こそ行わなかったかも知れないが、戦争による好景気をもとにしてこの国は発展してきたのではなかったか。
かなりモノが分かっていると思っていたキャスターが「戦争を望む人なんていないんですから」というのを聞いて愕然とすることがある。冗談ではない。およそ近代の戦争は金儲けのために仕掛けられてきた。民族紛争も領土問題もそのための材料として利用されたに過ぎない。
おそらく日本でも戦争をしたがっている人々は戦争をよく知っているだろう。それで儲けてきたのだから。「戦場」を知らない、のは確かだ。しかし、戦場を知らないくせに、戦争で儲けてきたことを知らない、知ろうともしないで私たちは過ごしてきたのだ。そのことを見つめなおすことから始めて行きたい。少女像を見つめながらそう思った。

■ ソウル市の取り組みと緑の党

緑の党のイ・ユジンさん
緑の党のイ・ユジンさん

夕方、緑の党のイ・ユジンさんの話を聞いた。特にソウル市の取り組みが興味深い。日本での3.11の東電事故や、同年9月に韓国全域で発生した大規模な停電に触発され、大都市ソウルの役割として、使用電力の削減を目指して「核電一基削減市民委員会」が2012年に設立された。
太陽光パネルの設置などの生産、省電力の機器を使うことによる効率化、そして節約を組み合わせて核電1基分の電力削減を行おうというものだ。
そしてそれは2014年にすでに達成され、第二段階として都市であるにも関わらず、2020年までにエネルギー自給率を20%にする目標を掲げている。
他にも分散型のエネルギーを目指すことや、新エネルギーにより雇用を創出すること、また低所得世帯ほど高価なエネルギーを使わざるを得ないことから、エネルギー福祉という概念でその改善のための基金を作るなど、積極的な取り組みが行われている。
そしてそうした政策を紹介する綺麗なパンフレットも作成されており、英語版はもちろん日本語版まである。その取り組みは、エネルギー問題を困った「問題」として捉えるのではなく、乗り越える過程も含め、イメージ向上へつなげる前向きの姿勢が感じられる。
そうしたユジンさんの話が終わろうとしたころ、脱核が実現するのは2079年というのはどうなんでしょうねえ?という質問に、俄然声が大きくなった。大事なのは今見通せる予定だけではなく、この大統領の任期5年の間に核電ではなく自然エネルギーを広げていくシステムを作ることだ、自然エネルギーが商業的にも成り立つようになり、それが普及すれば政権が変わってもその道は続いていく。その先に脱核がやってくるんです。

初期のころに設置したという太陽光パネル
初期のころに設置したという太陽光パネル

翌日、ユジンさんの自宅を訪れ、初期のころに設置したという太陽光パネルを見せてもらった。思ったほど大きなものではないが、逆にごく自然に普及していくためには、小さくても実際に電力を生産するという意識を持てることも大きいのではないかと思った。

■ 慶州地震の恐怖

韓国の脱核への流れを決定づけたのは3.11の東電事故と、2016年9月に発生した慶州地震であるといわれる。まずマグニチュード5.2の地震が19時44分に起きたあと、ほぼ1時間後に同5.8の地震が発生した。二回目のほうが大きいのは珍しいが、これは同年4月に発生した熊本地震と共通している。
韓国では地震は少ないため、3.11のときも核電の問題はあるにしても、地震については韓国は大丈夫だ、という雰囲気があったらしい。それがこの慶州地震で一気に問題化したのだ。
通訳をしてくださったキム・ボンニョさんのつてで、歴史文化都市として名高い慶州の市内に住むパク・スンイさんに話を聞いた。
食事の支度をしているところで、ドーンと音がしたので、てっきり北朝鮮のミサイルが着弾したと思ったという。その後、ユッサユッサと揺れたため地震だと気が付いた。家ごと揺れる感じで、特に棚の物が落ちるといったことはなかった。初めての体験でとても怖かったが、核電のことまで気が回らなかったという。

パク・スンイさんの庭の唐辛子

■ ウォルソン核電の反核テント村

ウォルソン核電のPR館の前に鉄パイプとビニールでできたビニールハウスのような建物が建っている。
そこでファン・ブンヒさんが迎えてくれた。1983年に運転を開始したウォルソン核電1号機の設計寿命30年を延長しようという動きに反対して、2014年の8月からこのテントを建てて座り込んでいるという。韓国水力原子力発電(以下、韓水原)の敷地だが、いまのところ強制排除はされていない。
3.11の東電事故も影響しているという。日本の核電は耐震性も信頼性も高いと思っていたのに、それが事故を起こしたことで私たちにも同じことが起こるのではないかと思ったという。
ウォルソン核電は日本にはない型、カナダ型のCANDU炉である。この炉は重水を使用するためトリチウムを大量に排出する。トリチウムは三重水素のことで、弱いベータ線を発するが、分離しにくく、東電事故で冷却水をタンクに貯蔵し続けなければならない原因となっている物質だ。
(日本の法律では一般的なトリチウムは3.11以前より10億ベクレル(1L当たりの場合は1億ベクレル)までは放射性物質とみなさないことになっている。以前知らずにLUMINOXという時計を買ったのだが、それはトリチウムガスを封入したガラス管により12年間は発光し続けるというもので、元は軍事用に開発された。12年間というのはトリチウムの半減期である。それがちょうど10億ベクレルのトリチウムを含んでいる。このためこの時計は、普通に宅急便で郵送されてきたし、荒ゴミとして私が捨てることもできるのだ。この緩い基準にはこのCANDU炉が関係しているのではないかと私は推測している。)
このため、このあたりの住民の尿からはトリチウムが検出され、とくに成長盛りの孫たちのほうが多く検出されるという。健康に影響はないといわれているが体にいいはずがなく、今は集団移住することも要求しており、4世帯ほどの住民が交代で座り込んでいる。毎週月曜日には、自分たちの棺桶を担いで核電の門までデモをしているという。

ファン・ブンヒさんとテント村

慶州からも近いので、ファンさんは地震も体験された。二回目のほうが大きく、棚から物が落ちたという。家にいると怖いので、車でひらけたところに逃げていたが、それでは情報が得られないので、家の前に戻ってきて、交代で家の中にテレビを見に行ったという。孫たちはいまでも、大きな音がすると、地震じゃない?と驚くという。
地震の翌日には、当時まだ公示前でいち国会議員だったムン・ジェイン氏が訪ねてきた。通り一遍の訪問ではなく、私たちの話を十分に聞いてくれて、核電のこんなそばに人が住んでいることに驚き、私が大統領になった時には脱核する、と言ってくれたとファンさんは話す。

背景がウォルソン核電
背景がウォルソン核電

テントの前で写真をとって100mほど歩いて浜に出ると、目の前にウォルソン核電がそびえていた。ファンさんは犬と孫たちを連れていっしょに来てくれた。いつごろ核電が建ち始めたのか覚えていないという。当時は独裁政権下だ。住民の同意を得て建てられた訳ではない。放射能についても何も知らされず、電気を作る工場、くらいにしか思っていなかったという。核電や放射能の問題を知ったのは民主化後のことになる。

 

■ 建設の止まった新コリ5,6号機

新コリ核電
新コリ核電

写真家のチャン・ヨンシク氏にコリ核電と新コリ核電の撮影ポイントを案内してもらった。チャン氏はもう10年もコリ核電を撮り続けているという。

 

建設中の新コリ核電5,6号機
建設中の新コリ核電5,6号機

特に新コリ核電5,6号機の状態を見たかった。この二つの核電は建設中だったが大統領の決断により建設は中断されている。建設は30%進んでいるといわれている。
実際に見てみると、確かにクレーンなども止まったままで人の姿もない。また地上構造物はほとんど見えないので、建設がそんなに進んでいるのかどうかも分からない。私たちは台湾の第四核電の建設現場を何度も訪れており、巨大な地下構造物が建築されるのを見てきたので、30%という進捗を必ずしも否定しきれない。というわけで、できるだけ近くで見たかったので、人影もない開いているゲートから入ってどんどん近くに寄っていった。だいぶ近くまで寄れたけれど、高さがないのでどうしても建設状況がみれないなぁ、と思っていたら、知らない車が入ってきてチャンさんに話しかけている。どうやらこちらに気が付いて警告に来たみたいだ。さっきのゲートからこっちはたぶん韓水原の敷地だったのだろう。
とりあえず、引き返していたら、今度はより重々しい感じの車がやってきたので足を速めた。やばいかも知れない。チャンさんが話を続けてくれている。こういう場合、へたに残るより立ち去ったほうがいい。先に車を出してとりあえず遠ざかっていると、チャンさんから電話が入り、事なきを得たようだ。どーなることかと思った。
その後、新コリ核電から1kmほど離れたところの住宅街を見せてもらった。その付近だけ同じ時期に建てられたと思われる小ぎれいな住宅が並んでいる。この住宅の人びとは、初期のコリ核電が建てられた際に移住させられ、その後、移住先に新コリ核電が建設されることになったため、再度移住させられたのだという。

二回移住させられた住宅街
二回移住させられた住宅街

ところで、コリ核電と新コリ核電はてっきり敷地が離れているのだろうと思っていたが、ほとんど続いている。キム・ボンニョさんに聞くと、「新」と付けたほうが安全な印象を与えるので、そうしているのだろう、とのこと。韓国ではウォルソン核電、ウルチン核電でもほとんど続いた敷地なのに最近の核電には「新」を付けている。
さらにウルチン核電はハヌル核電に、ヨングァン核電はハンビッ核電に名前を変えた。それもイメージをよくするための改名らしい。
というわけなので、私は従来通りの名前で呼称しようと思っていたが、気になることがあった。私は3.11の事故のことを東電事故と呼ぶ。地名で名付けられた名称では、まるでその地域のみが被害を受けたかのような印象を与えてしまう。韓国の新聞記事によれば、改名は「地域経済とイメージに悪影響を及ぼす、という住民の意見を反映」したものだという。それが本当なら、やはり新しい名称のほうがいいのかも知れない、とも思う。

■ キム・イクチュン教授のお話

前編で紹介しきれなかったキム・イクチュン教授のお話をまとめて紹介する。

・政府の政策転換について

大統領の脱核政策により、産業部の公務員たちは180度立場が変わったことになる。これまでは核電がいかに必要かを広めることが仕事だったが、今は自然エネルギーを広めることが仕事になった。
もちろん納得していない人もいるだろう。しかし、韓国の自然エネルギーの普及が世界にくらべて極端に遅れていることを知らなかったはずはない。彼らは間違っていたとは言わないが、時代が変わった、と言わざるを得ないだろう。
核電勢力をあまりにも弾圧するのはよくないと思っている。反抗を呼べば政策は失敗する。
脱核が勝った背景は30年に及ぶが、日本での東電事故が韓国の脱核運動にもっとも大きな影響を与えた。韓国でもあのような事故が起こりうるとみんな思ったし、その後の慶州地震もそれを後押しした。
私に連絡してきたとき、すでにムン・ジェイン大統領は脱核の意識を持っていた。

・高レベル廃棄物問題について

高レベル廃棄物は核電内で仮置きしているが、手狭になってきたためリラッキング(ラックに間隔を狭くして置きなおすこと)している。危険性は増すが、今はそうせざるを得ない。
前の政権のとき使用済み燃料の公論化委員会を行い、二つの結論を得た。最初は敷地内に中間貯蔵し、その後永久処分するための処分場の選定方式を定めた。しかしその方法には大きな問題がある。慶州の低レベル処分場のときもそうだったが、敷地の安全性は考慮せず、住民が許容すれば決定してよい、ということになってしまっている。
高レベル廃棄物の問題は、私たちにとって隠している武器といえる。今は核電の事故の影響を強く訴えているが、廃棄物の問題は解決不能な問題なのだから、この問題は核電を止める大きな議論を引き起こすことになるだろう。

・再処理について

韓国はパイロプロセッシング(乾式によるウラン/プルトニウム抽出方法)による再処理を進めようとしていたが、これについても予算をなくす方針だ。もんじゅ中止の影響もあるが、ほとんどの専門家は高速炉の実現性に疑問を持っている。この問題も公論化により取り上げられるだろう。そうすれば白紙になる可能性が高い。
プルトニウムは核爆弾にするしか使い道はないのだから、日本で行われている核燃料サイクルは、一言でいえば税金泥棒が目的だ。多くの国民の目を盗んで、一部の国民の潜在的核保有国になりたいという欲望を餌にして、泥棒を続けていた。日本ではそれに成功したが、私たちは日本からあまりにも多くのことを学び、核燃料サイクルは詐欺だということを知っています。

キム・イクチュン教授
キム・イクチュン教授

・核電輸出について

海外輸出については大統領は妨害しない、と言っている。しかし、核電輸出が韓国経済の助けになっているか、それは検証が必要だ。
UAEに4基輸出したけれど、その契約内容が公開されていない。しかし膨大な技術料を払ったことなどが次第に明らかになってきている。その技術料は政府が半分以上を拠出した。そもそもダンピング輸出なのにUAEにもお金を貸している。
そして万が一事故があれば韓国政府が責任を取るとか、使用済み燃料も韓国へ持ってくるという報道もあった。こうしたことが公開されれば、輸出がなんら利益にならないことがわかる。
大統領は妨害しない、といいましたが、情報を公開することで輸出はできなくなるでしょう。

・脱核の可能性は100%です。

脱核宣言をした国でも、一度決めてまっすぐに進んだ国は少ない。日本も宣言したがひっくりかえった。他の国でもいったり来たりを繰り返しながら進んでいる。
なぜか。国民のほとんどが納得するまで説明を続けなければならない。だから逆に戻ることもある。
しかし、国民の7割以上が賛同するようになれば戻ることはないだろう。
韓国ではこの5年間に国民が賛同するように説明することだ。直近のコリ核電5、6号機の公論化委員会では負けるかもしれない。しかしこの後、5年の間、国民が説得されれば脱核はやめることができない。
一番重要なのは宣伝、教育にかかっていると思っている。
現在の政府は核電の広報を禁止している。今後はそうした予算をなくす。教科書を通じて実体を教えていく。そうすれば勝算があると思う。

このように力強く語った教授は、私たちと早めの夕食をとったのち、近くの会場で核電についての講演会で講師をしていた。そっと覗くと原子炉の図を使って説明しており100名以上の人びとが聞き入っていた。なんともパワフルな人である。

■ サムチョク 核電を止めた町

日本でもそうであるように、韓国でも核電が建設されたところよりも、阻止したところのほうが多い。サムチョクは、そうした町の一つで強い反対運動により核電の建設を阻止した歴史がある。今回最後の現地として訪れたサムチョクはそうした町だった。
迎えてくれたマ・ギョンマンさんは台湾のNNAFにも参加したこともあり、日本語が話せる。

核電白紙化記念塔
核電白紙化記念塔

マさんの車で連れて行ってもらったのが8・29記念公園にある核電白紙化記念塔だ。1991年に核電建設の計画が伝えられると、様々な反対運動が実行され、中でも1993年8月29日に大規模な反対集会が開かれた。そうした運動の結果、ようやく1998年に計画の破棄を正式に認めさせたのだ。それを記念して翌年に作られたのが、この核電白紙化記念塔だった。
しかし、その後2005年には核廃棄物処分場の候補地にされたが、それも住民の反対により跳ねのけた。さらにその後、2011年の末に再び核電の新規立地予定とされてしまっていた。
マさんも反対運動をしてきて、1986年には日本の大学にいっていたこともあり、学生時代にも日本語を勉強していたので日本語が話せるという。
50歳を過ぎて結婚する際、意を決して帰農することとし、いちご農家を始めたという。案内してもらったいちごのビニールハウスは巨大だった。4棟ほどあるビニールハウスは、3重にビニールが張られており、韓国の冬にも耐えられるようになっている。棟ごとに時期をずらして生育するが、植え替える際には、一度、土だけの状態で高温状態を保持することで、病害虫を予防することができ、農薬を使っていないという。

少女と少年とやぎ
少女と少年とやぎ

そして、ビニールハウスの作業場は、画家であるお連れ合いのアトリエでもあった。農作業で働く人々などを主に描画されており、無数のデッサンと油絵があった。

水戸喜代子さんの肖像画
水戸喜代子さんの肖像画

びっくりしたのは、その中に水戸喜代子さんの肖像画とデッサンがあったことだ。聞くと台湾のアジア・フォーラムで知り合い、その後何度かマさんのところを訪れているという。つい、数か月前にも来たという。ちなみにマさんは中国語もできるので、水戸さんとは中国語で話すというのも、なんともインターナショナルである。
その日は脱核巡礼の活動を続けているイ・オクプンさんの家に泊めてもらった。サムチョクの海水浴場に面した海の家のような、夏にはこよなく快適な場所だった。

サムチョクの朝日
サムチョクの朝日

ただ翌朝、たまたま早く目が覚めた私が海に上る日の出の写真を撮っていると、北から南へ、目の前を横切って3人の若い兵士が銃を構えたまま歩いていった。おそらく、脱北者が上陸した形跡がないか確認しているようだった。ここでは当たり前の光景なのかも知れない。しかし、私には改めてこの国の状況を思い知らされた気がした。

 

3人の若い兵士
3人の若い兵士

■ 脱核への舵を握った韓国の人びと

最後の夜にはイ・ホンソク、ユ・ジョンホ、小原つなきというなじみの面々と遅くまで話をした。


イ・ホンソク達もムン・ジェイン大統領の姿勢を評価している。いろいろ問題はあるが、確実に前進しているんだ、という自信を感じた。そもそも核電なんて、どうやったって衰退していくしかないわけで、日本においても脱核は時期の問題でしかない。でも日本にいるとどうも、そういう風に落ち着いて対処することができないのはなぜだろう。


韓国でも大統領が脱核において公約から後退したことを厳しく批判する声も当然ある。日本で同じ状況になれば私もたぶんそう主張するに違いない。しかし、20年来、脱核を目指してきた仲間がこの状況にようやくこぎつけて、その現状を肯定していることは、私には信頼することしかできない。
今回「脱核への舵を切った」ではなく「舵を握った」と表現したのは、強い流れに舵を取られ、脱核への動きが阻まれることも彼らは覚悟しているからだ。しかしそのとき、舵を持つ手にその流れを感じることができるだろう。そしてその手ごたえは、そのあとに再び舵を切る力に繋がっていくはすだ。
そうした民主主義の手ごたえを彼らは感じ取っているのだ。
台湾、そして韓国と脱核へ向かう隣国を知るにつけ、うらやましい、とつい思ってしまう。しかし、それができるのにはちゃんと理由がある。台湾は三か所にしか核電はなく、四か所目は止めている。韓国も集中してはいるが四か所にしか核電はできていない。いずれも独裁政権下で、いやおうもなく建てられてしまった場所だ。民主化が叶ったそのとき、手にした権利がいかに大切なものか、その前の時代を体験したからこそ実感できたのではないだろうか。だからこそ、民主化後、新しい核電立地箇所を台湾、韓国は許していない。
そしてその厳しい時代を招いたことに、日本はもちろん無関係ではない。
チューリップが春、花を点けるのは冬の寒さを耐えたからだという。春の花の美しさだけでなく、その過ごした冬の厳しさをも、もっと学びたいと思った。

※この旅ではキム・ボンニョさんに通訳、運転、コーディネートなど本当にお世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
※ところで本稿ではせっかく韓国のお話ですし、原発のことを核電と表現してみました。意外と違和感ないと思われませんか?

追記:本稿を脱稿した後、公論化委員会による結論が出て、新コリ5,6号機の建設を継続するという報が入ってきた。当然原稿を修正すべきところがあるだろうな、と思って読み返してみたが特にそのような箇所がない。意外に思うと同時に私たちが会った人々はこの結論も想定した上で、進もうとしていたのだと思い当たった。
そういえば、日本から輸出された台湾第四核電の建設がどんどん進んで、死を賭してでも止められないかと私が思い悩んでいたことがあった。そのとき台湾の友人に「建設して儲けるだけ儲けさせて動かさなきゃいいんだよ」と言われて拍子抜けしたことを思い出した。冬を耐えた花に比べて、私はなんて脆弱なんだろう、そう思ったものだった。

ユジンさんの庭の花
ユジンさんの庭の花

とーち(奥田亮)

第17回NNAF ダイジェスト

ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.139より

第17回NNAF ダイジェスト 胡桃沢伸・渡田正弘

フィリピン・インドの参加者 No Nukes Day「原発のない未来へ!3.26全国大集会」、35000人
フィリピン・インドの参加者
No Nukes Day「原発のない未来へ!3.26全国大集会」、35000人

3月22日

今回のNNAFの会場は、いわき市湯本温泉の老舗旅館「古滝屋」。昼過ぎから参加者が続々と宿に到着。参加者は、韓国6、台湾12、香港1、フィリピン3、インド2、トルコ2、福島県内と日本各地から40名が参加。夕方から10階の「松の間」で交流会開始。

佐藤和良さんと「古滝屋」の若旦那の里見喜生さんが歓迎挨拶。「震災前には140人いたスタッフが今は20人」と語る里見さんの挨拶には胸を打たれた。その後は、参加者が一人ずつ自己紹介。発言者の言葉が各国語の通訳者によって翻訳され聞き手に届けられてゆく。NNAFでおなじみの光景が展開(通訳のみなさん、ありがとうございました)。

3月23日

9時から各国報告。日本からは松久保肇さんが再稼働とそれに抗う差し止め訴訟など、韓国からはパク・ヘリョンさんが原発予定地ヨンドクでの住民投票のたたかい、台湾からはジュディ・イェンさんが福島事故後に展開された大規模な反核運動、フィリピンからはフランシスコさんがバターン原発の運転を阻止したたたかいと今も新規の原発建設構想が経済発展を口実に続く現状、インドからはラリター・ラームダースさんが核開発とセットで情報の公開がないまま進む原発建設の現状とクダンクラム原発での反対運動、トルコからはメティン・ギュルブズさんとプナール・デミルジャンさんが地震・テロ・チェルノブイリ事故の経験等があり到底原発を受け入れることのできない市民感情と日本が原発輸出を計画するシノップでの反対運動、香港からはタンさんが中国の原発への対応の難しさを報告した。

パク・ヘリョンさん
パク・ヘリョンさん

ジュディさん
ジュディさん

陳曼麗立法委員
陳曼麗立法委員

昼食と休憩を挟んで報告は続き、予定時間を大幅にすぎて午後のプログラム「福島の人々からの報告」が始まった。

佐藤和良さんからは「福島原発事故の原因と真相はまだわからない。原子力緊急事態宣言はまだ解除されていない」「福島原発は35メートルの崖を削って海面から10メートルのところに建屋を作った。地下水が流れ出てずぶずぶで、もともと池の中に浮かんでいるような状態だった」「原発は差別と分断によって作られたもの」など、報告がなされた。

武藤類子さんは「福島原発事故はなかったことにしたほうが国にとって都合が良い。そのために帰還政策と、放射能は怖くないという教育が行なわれている。福島は世界の一部ではないみたい。国、県、東電は責任をとっていない」と話した。

続けて、「原発いらない福島の女たち」の木幡ますみさん、佐々木慶子さん、橋本あきさんのお話しを聞いた。

その後、NNAFの次回開催地を決める話し合いが行なわれ、第一候補インド、第二候補フィリピン、第三候補韓国に決まった。

夕食交流会も同じく「松の間」で行なわれ、バンド「いわき雑魚塾」のライブコンサートが開かれた。「でれすけ原発」「ヤマユリの花」などどれも原発事故後の福島を歌ったすばらしい曲だった。なかでも、汚染水に汚される海を歌った「福島の海よ」には涙ぐむ人が何人もいた。

3月24日

9時から、前日の福島の人々の話を聞いて各国参加者が感じた疑問を福島の人々に尋ねて、討論するプログラム。福島からさらに古川好子さん、飛田晋秀さんも参加してくれた。

「地域の住民同士の対立について」「防災訓練について」などの質問が出、福島の人々の回答に各国参加者は耳を傾けていた。住民感情の変化の歴史的経緯については佐藤和良さんから丁寧な解説があり、311以後、脱原発については一致していても避難については「ふるさとを捨てるのか」という葛藤・対立が生じているという報告があった。

昼食後、「反核世界社会フォーラム(核と被ばくをなくす世界社会フォーラム)」の参加者たちと合流し、バスに分乗して富岡町などへのフィールドワークに出発。汚染土を詰めたフレコンバックの山、無人の商店街、汚染があって何も栽培できないにもかかわらず、帰還を促すために草取りをしてきれいに整備された畑。どれも原発事故の被害を教えてくれていた。各国の参加者はそれぞれの経験を自国に持ち帰って伝えてくれることと思う。

夜は、いわき労働者福祉会館で、反核世界社会フォーラムの集会に参加。NNAFは各国の代表が発言した。

3月25日

午前中、いわき市内のいわき放射能市民測定室「たらちね」を訪問。80人以上なので、最初に海外参加者が訪問し、時間をずらし日本からの参加者が訪問。「たらちね」事務局長の鈴木薫さんから設立趣旨と現状報告を受ける。

「たらちね」は、汚染された食品の摂取による内部被曝を防止・軽減するために2011年に市民団体等による寄付やカンパで設立された。公的資金は一切入れないで寄付などにより運営を続け、主婦を中心に10人のスタッフが働く。

常に市民目線で運営され、ベクレルモニター(4台)による食料や土などの測定とホールボディカウンターによる体内被曝測定が中心。測定結果はすぐに説明して伝える。子供たちの沖縄での保養プロジェクトも担っている。測定依頼が減少している測定室が多いが、ここは少しずつ増加しているそうだ。被曝労働者も測定に来られる。2015年からは草の根レベルで日本唯一といえる「ベータ線」測定設備も完備。

市民自身が、命を守り、心を守り「生きるための測定室」をめざす「たらちね」の活動をみんなで応援し続けたい。「たらちね」スタッフのみなさん、今回は大勢で押しかけてご迷惑をかけ申し訳ありませんでした。

午後は、東京へ移動。宿泊先の韓国YMCAで夕食交流会。一人ずつ、福島の感想など、全員が発言した。その後、韓国参加者の部屋に有志おおぜいが集まり深夜まで討論。

3月26日

代々木公園で開催されたNo Nukes Day「原発のない未来へ!3.26全国大集会」に参加。第2ステージ(野外音楽堂)で台湾からの仲間がアピール。第3ステージ(けやき並木)ではインド・トルコからの参加メンバーが「原発輸出しないで!」とアピール。海外からの参加者が「日本での再稼働を止めるだけでなく、原発輸出も止める必要がある!」と生の声で強く訴えたことに意味がある。集会参加者は約3万5千人。

メティンさん(シノップ反原発プラットフォーム)、フランス・ブラジルの参加者・・・
メティンさん(シノップ反原発プラットフォーム)、フランス・ブラジルの参加者・・・

そして、渋谷駅までデモ。「ノー・ニュークス!」などのシュプレヒコールをあげながら歩いた。台湾からの参加メンバーも日本語で「再稼働反対!」と力強く叫んでいた。

台湾の参加者たち
台湾の参加者たち

夕方には、反核世界社会フォーラムの分科会として、①映画「サクリファイス」上映と監督の歓迎会、②クライメート・ジャスティスの観点からCOP21交渉と原発再稼働を考える、が開催された。

②の分科会では、昨年12月パリで開催された「気候変動枠組条約第21回締約国会議」(COP21)で激論の末に合意されたパリ協定の分析と批判の意見が出された。今回の合意で、温暖化が最も深刻な途上国にも先進国と同様な温室効果ガスの削減義務が課せられたことは公正さに欠けること、CO2を排出しないという身勝手な理屈で原発を推進する日本の政策は容認できないこと、原発は決して温暖化対策にはなりえないこと、などが強調されていた。

3月27日

午前中は、反核世界社会フォーラム・分科会「原発を輸出しないで!~アジアの人びとの叫び」で、各国からの参加メンバーが映像を使用して状況報告。

トルコからは、日本語が堪能なプナール・デミルジャンさん(脱原発プロジェクト)が、トルコは地震国であり、チェルノブイリ原発事故の放射能被害を直接受け、政府による情報隠しの苦い経験もある。トルコ市民は日本からの原発輸出にNOである、と全体状況を報告。1976年に地中海沿岸のアックユが原発建設候補地にあげられ、粘り強い反原発運動がスタート。放射能に関するスキャンダルなどに住民たちが激しく抗議、2011年の福島原発事故で運動がさらに高揚した。そんな状況を無視するかのように安倍政権は2013年にトルコと原子力協定を結び、黒海沿岸のシノップに三菱重工がフランスのアレバと合弁で新型原発を建設・販売予定。それに対する反対運動をシノップ現地から参加したメティン・ギュルブズさん(シノップ反原発プラットフォーム)が報告。シノップ住民は大きな反対運動を起こし、2015年4月には3万人以上が集まり集会・デモを開催し「日本は原発を輸出しないで!」と声を上げた。

インドからは、ベテラン活動家のラリター・ラームダースさん(核廃絶と平和のための連合)が、インドの核兵器開発の歴史から原発推進の現状までを報告。核兵器保有国のインドに東芝、日立、三菱重工など日本企業が原発を輸出することは核兵器増強に加担することであり、安倍政権とモディ政権による日印原子力協定は認められないと強調。現在、ロシアが建設したクダンクラム原発現地やフランスが建設予定のジャイタプール原発予定地では、大規模な反対運動が展開され、死傷者が出るなど激しい弾圧下にある。反対運動現場を記録する写真家のアミルタラージ・スティフェンさん(反核運動全国連合)は、現地住民が苦しめられている状況を訴えた。

フィリピンからは、NNAF 設立時からの仲間であるコラソン・ファブロスさん(非核フィリピン連合)が、反原発運動の歴史とバターン原発(1985年に完成したが現在も閉鎖中)反対運動を説明。また、バターン原発再開の動きがたびたびあったが、反対運動も負けていないと長年の活動家フランシスコ・F・ホンラさん(非核バターン運動)が報告。

フランシスコさん、コラソンさん、トニーさん
フランシスコさん、コラソンさん、トニーさん

韓国は、頼れるリーダーのイ・ホンソクさん(エネルギー正義行動)。1987年以降の民主化運動を背景に開始された新規建設や核廃棄物処分場建設に対する力強い反原発運動の歴史と現状を報告。福島原発事故後は、日本同様に原発推進政策を堅持する韓国政府に抗して粘り強く多様な活動を展開。最近ではサムチョクやヨンドクでの住民投票による反対運動が大きな力を発揮している。

イ・ホンソクさん、小原つなきさん
イ・ホンソクさん、小原つなきさん

そして、台湾環境保護連盟の明るく元気な2名(王俊秀さん、郭金泉さん)が日本語でアピール。台湾では、1987年の戒厳令解除後に高揚した民主化運動のなかで「第四原発」反対運動が大きな政治課題となり、民進党が「原発反対」を綱領に。とくに福島原発事故以降は、幅広い層が参加する全島をあげての原発廃止デモを展開。2014年には、中台サービス貿易協定に抗議する前代未聞の立法院占拠「ひまわり学生運動」に続き、第四原発廃止を訴えて5万人が台北駅前の8車線道路を15時間占拠。馬英九政権からついに「稼働凍結」を勝ち取った。そして、今年1月の総統選・立法院(国会)選挙で民進党が圧勝し、立法院では初めて単独過半数を獲得し、2025年までの原発全廃が現実味を増した。

続いて、福永正明さんが「日印原子力協定阻止キャンペーン」への参加と協力を訴えた。また、多くの原発訴訟を担ってきた河合弘之弁護士が、裁判運動の現状の報告と、映画「日本と原発」を紹介し、NNAF事務局の宇野田陽子さんが最終まとめをし『原発をとめるアジアの人びと』の英語版制作が進行中と報告。

午後からは、各分科会に参加。分科会のテーマは、①「福島での犯罪と命の救済」、発言は、飛田晋秀(写真家)、松本徳子(郡山からの母子避難者)ほか、②「広島・長崎・ビキニ・福島を体験した国で、原発はなぜ再稼働されてしまうのか?」、発言は、松久保肇(原子力資料情報室)、加藤一夫(ビキニ市民ネット焼津)ほか、③「被爆労働問題の現状~フランス・ウクライナ・韓国・日本」、発言は、フィリップ・ビヤール(仏、原発下請け労働者)、ムィコラ・ヴォズニューク(ウクライナ、チェルノブイリ原発事故処理作業者)ほか、④「エートス問題と国際原子力ロビー~無知の戦略」、発言は、ヴラディーミル・チェルトコフ、松井英介ほか。

3月28日

午後、参議院議員会館講堂で院内集会。国会議員の参加もあり、トルコの2人とインドの2人が「原発を輸出しないで」と訴えた。

その後、衆議院議員会館で、政府と交渉を行なった(10~12ページに記事)

今回のフォーラムは「福島原発事故は続いている」をテーマに、アジア各国の参加者に福島の現実を知って自国に持ち帰ってもらうことを目的とした。福島の人たちとの交流会では各国から質問が飛び交い、各国政府と国際原子力産業の福島原発事故を消し去ってしまおうとする動きに抗い、原発立地各所での活動に力を与えるフォーラムになったと思う。

そして、問われているのは日本である。参加者の一人はこう述べた。「日本の原発輸出は、行き詰る世界の核産業に力を与え、アジアの軍事緊張を促進する。福島、広島、長崎を経験した日本が原発を輸出するのは、日本の非核の願いをも壊すものだ」 ― アジアの友人のこの声に耳を傾けたい。

古滝屋にて
古滝屋にて

●「原発を輸出しないで!~アジアの人びとの叫び」(3.27反核世界社会フォーラム)の映像、写真集ほか (脱被ばく実現ネットのブログ)
○インド:ラームダース
【《非暴力・直接行動》で立ちむかう】
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2016/04/2016_11.html
○トルコ:ギュルブズ
【チェルノブイリの記憶に突き動かされて】
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2016/04/2016_15.html
○韓国:イ・ホンソク
【住民投票で原発をとめる】
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2016/04/2016_64.html
○フィリピン:ファブロス
【《バターンの怪物》をとめ続ける不屈の人々】
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2016/04/2016_58.html
○台湾:王俊秀
【第四原発の完全廃止をともにめざす】
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2016/04/2016_72.html

●写真集
NO NUKES DAY(東京デモ)
https://flic.kr/s/aHskxAjAf5
NNAF&反核世界社会フォーラム
https://flic.kr/s/aHskxtwPhG

●台湾環境保護連盟のウェブサイト
(中国語ですが写真たくさんあり)
3月23日
http://www.tepu.org.tw/?p=14412
http://www.tepu.org.tw/?p=14420
http://www.tepu.org.tw/?p=14425
http://www.tepu.org.tw/?p=14431
3月24日
http://www.tepu.org.tw/?p=14439
http://www.tepu.org.tw/?p=14448
3月25日
http://www.tepu.org.tw/?p=14454
http://www.tepu.org.tw/?p=14459

●原発輸出・世界各国から批判される日本3.29東京新聞1
http://www.nonukesasiaforum.org/jp/Tokyoshinbun0329a
●原発輸出・世界各国から批判される日本3.29東京新聞2
http://www.nonukesasiaforum.org/jp/Tokyoshinbun0329b

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信139号(4月20日発行)もくじ
第17回ノーニュークス・アジアフォーラム報告
●第17回NNAF ダイジェスト
(渡田正弘・胡桃沢伸)
●インド参加者のNo Nukes Dayスピーチ
●「原発輸出に反対するインド・トルコの市民からの日本政府への要請」報告(松久保肇)
●日本の原発輸出はやはり無責任で他人任せだった(田中龍作)
●より多くの課題を確認したNNAF2016(キム・ヒョヌ)
●福島原発事故5年、真の文明への回復を思い描いて・・・(ヒオックス)
●福島の生の声をインドへ  ~原発に抗う市民の交流~(藤岡恵美子)
年6回発行です。購読料(年2000円)
見本誌を無料で送ります。
事務局へ連絡ください
sdaisuke?rice.ocn.ne.jp  ?を@に
http://www.nonukesasiaforum.org/japan/

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花
http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

NNAF2016 への参加、協力ありがとうございました💛

【北海道】 アンエリス・ルアレン 上野祥子 佐藤好子 舘崎やよい 谷百合子 土屋正紀 苫小牧の自然を守る会 畠山紀子 藤田春美 水野稔 【青森】 遠藤順子 大竹進 核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団 道祖土正則 佐原若子 竹浪純 中畑範彦 成田忠義 野宮政子 弘前・核に反対する会 三浦協子 宮本久美子 【宮城】 小関俊夫 須田剛 原田禎忠 芳川良一 【秋田】 奥村清明 【福島】 いわき雑魚塾 黒田節子 原発いらない福島の女たち 木幡ますみ 斉藤春光 佐々木慶子 佐藤和良 佐藤俊子 下山田富子 脱原発福島ネットワーク 東城睦子 羽賀ますみ 橋本あき 長谷川健一 比佐和美 飛田晋秀 ふくしま地球市民発伝所 古川好子 古滝屋 武藤類子 森園かずえ 米倉啓示 【茨城】 長田満江 川野弘子 トニー・ボーイズ 深谷貞栄 山根爽一 【栃木】 佐藤明宏 【埼玉】 飯田由起子 柏木三知子 くまがいマキ 原発とめよう飯能 桜井董 桜井文子 佐原勉 霜鳥亘 高橋道子 多田篤毅 旦保立子 寺尾光身 中村光一 堀口邦子 未来の福島こども基金 向井雪子 【千葉】 石橋喜美子 核燃やめておいしいごはん 志村秀三 志村洋子 田中和恵 谷本澄子 田平康子 永野勇 奈良悦子 松丸健二 山口兼男 【東京】 秋本陽子 アジア連帯講座 安達由起 安部栄子 有田千恵子 安藤丈将 池田リリィ茜藍 石井じゅん 石坂浩一 市川啓子 伊藤勝美 伊藤由美子 稲垣豊 井上真紀子 APFS労働組合 FoEジャパン 大井靖子 大賀絹江 大賀達雄 大須賀令子 小川幸子 小川昌之 小倉利丸 小野寺通 柏崎・巻原発に反対する在京者の会 片岡栄子 片岡遼平 神谷富士子 亀田旬子 河合弘之 菊地真幸 久能啓補 経産省前テントひろば 原子力資料情報室 原水禁(原水爆禁止日本国民会議)ケイト・ストロネル コアネット 再稼働阻止全国ネットワーク 佐橋弥生 志沢允子 篠田淳子 島京子 首都圏反原発連合 白井聡子 水藤周三 全石油昭和シェル労組 高須次郎 高橋陽子 橘優子 棚橋寿郎 たんぽぽ舎 筑紫建彦 徳橋明 豊田キヨ子 長尾由美子 中原道子 西浦昭英 野村修身 反原労(反原発労働者行動実行委員会)伴英幸 ピースボート 福島原発事故緊急会議 福永正明 プランヤ・デサイ 町田忠昭 松久保肇 三橋理江子 宮地佳子 茂住衛 矢島十三子 柳沢典子 山田真 湯浅欽史 湯沢優子 柚木康子 吉武克宏 ライアン・ホームバーグ 和田洋子 【神奈川】 安部竜一郎 伊形順子 石渡秋 一ノ木勝 岩田深雪 上江洲惠子 大久保徹夫 大野圭子 小野田笹子 小原悟 京極紀子 清野隆史 熊坂兌子 清水順子 須田大春 須藤瑛子 高木久仁子 田中洋子 奈良本英佑 西岡まゆみ 日向真紀子 水澤靖子 山口泰子 【長野】 伊藤順 西山智彦 野溝春子 長谷川春子 三輪浩 【新潟】 大西洋司 小木曽茂子 桑原正史 さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト 嶋津里美 高橋洋一 山下とも子 山田秋夫 吉野信哉 【富山】 淡川典子 川原登喜の 横山久恵 【石川】 北野進 二俣和聖 松田清良 【福井】 若泉政人 【岐阜】 寺町大円 西尾美和子 丹羽範充 【静岡】 鈴木雅子 【愛知】 安楽知子 依田幸男 植田淑子 植村和子 大野恵子 大野建 岡田雅宏 亀田隆子 小池かずみ 小林牧 坂田仲市 佐藤るみ子 柴田志麻枝 杉本皓子 瀬口昭代 高橋肆乃 田中良明 鶴田美知子 平川宗信 舟橋憲秀 村上光子 森崎典子 山田薫 和田晴美 渡辺浩司 【三重】 小野田雄二 笹木基根 村山敬子 山本勉 【滋賀】 井戸謙一 大津定美 田沢仁 西谷靖男 【京都】 アイリーン・美緒子・スミス 漁野亨 アジェンダ・プロジェクト 石橋和彦 伊藤正子 稲庭篤 宇野さえこ グリーン・アクション 原子力自主講座 曽我千代子 寺町歩 銅銀正美 中井豊 細川弘明 和田喜彦 【大阪】 安部晴代 石内謹也 石原燃 稲岡美奈子 猪又雅子 牛田等 宇野田尚哉 宇野田南 宇野田陽子 梅田章二 尾形淳 岡林豊 亀山恵理子 康由美 木村牧子 胡桃澤伸 小泉ゆうすけ 小西弘泰 災害避難者の人権ネットワーク 斎藤直樹 斉藤善夫 坂本保子 佐藤大介 里見和夫 ストップ・ザ・もんじゅ 世良砂湖 全港湾大阪支部 全港湾西成センター分会 チェルノブイリ・ヒバクシャ救援・関西 寺本勉 當内健利 遠山勝博 徳井和美 中川正広 中沢浩二 梨木昭平 西崎和子 のばなし 服部良一 疋田真紀 藤田政治 前川武志 丸尾雅徳 三ツ林安治 水戸喜世子 向井千晃 命宝堂薬局 森山拓也 薮田ゆきえ 山崎叔子 山崎信幸 湯川恭 吉田かずみ 若狭連帯行動ネットワーク 【兵庫】 石塚直人 大田美智子 河合成一 北川れん子 後藤由美子 津村富代 冨田寿一 永島昇 名前のない新聞 西脇鈴代 藤岡正雄 振津かつみ ぺんぎんぺり館とおともだち 牧野紘子 森本宥紹 【奈良】 奈良脱原発ネットワーク 原道子 【和歌山】 疋田泰江 松浦雅代 【岡山】 岡富貴 【広島】 上里恵子 井上豊 植木和夫 西塔文子 城山大賢 馬場浩太 東邦弘 古屋敷一葉 増田千代子 渡田正弘 【山口】 麻野他郎 稲垣優美子 大城研司 小畑太作 鍬野保雄 原発いらん!山口ネットワーク 沢村和世 武重登美子 田辺よし子 堀内隆治 松崎佳代子 三浦翠 【香川】 松浦まき 【愛媛】 阿部純子 奥村悦夫 小倉正 渡部英機 【高知】 玉木尚之 玉木瑞枝 原忠徳 原弘美 【福岡】 池松綾子 緒方貴穂 兼崎暉 堤静雄 林田英明 【佐賀】 於保泰正 岸恵子 【長崎】 歌野敬 【熊本】 荒木いおり 勝連夕子 蒲池近江 渡部陽子 【大分】 井倉順子 金只律子 小坂正則 脱原発大分ネットワーク 坪井秀雄 【鹿児島】 反原発・かごしまネット 南方新社 向原祥隆  【アイルランド】 大倉純子  ほか匿名の方々

ノーニュークス・アジアフォーラム2016に、ご賛同をお願いします
★ノーニュークス・アジアフォーラム2016
「福島原発事故は続いている ~人々の声を聞き、原発事故が社会に与える広範な影響の諸相を知る~」
開催期間:3月22~24日
開催場所:福島県いわき市
福島原発事故を受けて、「福島原発震災の真実を世界に伝える」をテーマに、2011年夏に緊急開催されたNNAF2011から5年がたとうとしています。
福島では事故収束のために、今も毎日7千人が危険な被曝労働に従事しています。原発事故によって避難を強いられている人々の数は10万人を超えたままです。先の見えない避難生活が長引く中、震災関連死と判断される方々の数は増え続けています。事故が社会に与える影響は広がり続け、複雑さを増しています。福島原発事故は終わっていません。
しかし今私たちが目の当たりにしているのは、福島原発事故を忘れ去ったかのようなあからさまな原発回帰の動きであり、にわかには信じがたいほどの勢いで戦争へと近づきつつある強権的な政治です。原発輸出と武器輸出のための法整備も、重なり合うように進められています。
このような状況の中でも、日本をはじめとしてアジア各国で、核も原発もない未来を求める人々のたたかいが粘り強く継続されていることは、私たちにとっての希望です。1993年から各国持ち回りで開催されてきたNNAFは、このような時期だからこそ、福島原発事故から5年の福島で開催されることになりました。私たちには、同じ悲劇を繰り返さないようにする責任があります。
<11月にインドのヴァイシャリ・パティルさんを福島にお連れした際に、彼女はことばにならないほどの衝撃を受けたと語りました。そして帰国後に福島で自分が見聞きしたことを人々に伝え、原発予定地ジャイタプールでの反対運動はさらに盛り上がりを見せています。日本から、福島から情報を発信することは、アジアの反原発運動を力づけることにつながります>
原発事故の現実を世界に伝え、日本からの原発輸出を止めるための連携強化を図ります。アジアの友人たちと出会い、死の灰の歴史を断ち切るためにまた一歩を踏み出しましょう。
●日本で開催されることとなったNNAF 2016を成功させるため、どうか皆様のご支援をお願いいたします。このフォーラムは皆様からの賛同金で運営されます。賛同金は、海外ゲストの旅費援助、日本滞在費(宿泊費、国内移動費など)、通訳翻訳費、アテンドや会場費などとして使わせていただきます。約150万円必要です。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
賛同金 個人:一口2000円 団体:一口5000円(小グループは3000円)
郵便振替 : 00940-8-146764 口座名:NNAF2011
ゆうちょ銀行:店番099 当座 0146764 口座名:NNAF2011
*匿名希望の方は「匿名」と記入してください
■アジアの仲間たちと核も原発もない世界を目指して
― NNAF 2016 & No Nukes WSF―
3月
22日 参加者到着・歓迎交流会
23日 午前:各国報告
午後:福島の人々の話を聞く
24日 午前:福島の人々の話を聞く
午後:No Nukes WSFと合流、フィールドワーク
夜:集会(いわき労働者福祉会館)
25日 フィールドワーク、東京へ移動
26日 No Nukes Day3.26全国大集会(代々木公園)デモ
27日 No Nukes WSF討論集会(水道橋・韓国YMCA国際ホール)
28日 午後:(インド・トルコ)院内集会・政府交渉
海外参加者 トルコ:メティン・ギュルブズ(シノップ反原発プラットフォーム)、プナール・デミルジャン(脱原発プロジェクト)、インド:ラリター・ラームダース(CNDP/核廃絶と平和のための連合)、アミルタラージ・スティフェン(NAAM/反核運動全国連合)、フィリピン:コラソン・ファブロス(非核フィリピン連合)他3名、台湾:劉俊秀(環境保護連盟)、陳曼麗(立法委員)他12名、韓国:パク・ヘリョン(ヨンドク住民投票)、イ・ホンソク(脱核新聞)他6名、ほかに、中国、USAなど
*WSF(世界社会フォーラム)は、2001年にブラジルのポルトアレグレで第一回が開催され、毎回数万人が集まる反グーバリゼーション運動のフォーラム。No Nukes WSF(反核世界社会フォーラム)は、原発問題についてのテーマ別ミニ・フォーラム。南米、欧米からも参加。原発問題をさまざまな側面から討論する。
★No Nukes WSF(核と被ばくをなくす 世界社会フォーラム)
可能なら、こちらにも賛同よろしくお願いします
http://www.nonukesocialforum.org/?page_id=77
3月23日 18:30 オープニングフォーラム(東京:韓国YMCA 9階国際ホール)
3月24日 18:30 集会(いわき労働者福祉会館)
3月26日 11:30 福島原発事故5周年・全国集会に合流(代々木公園~デモ)
夜 フォーラム(東京:韓国YMCA)
3月27日 10:00 全日フォーラム開催(東京:韓国YMCA 地下大ホール及び会議室など)
3月28日 午後 国会院内集会(参議院議員会館)、
夜 関連イベントとして被ばく労働を考えるネットワーク主催の集会(東京:韓国
YMCA 国際ホール)

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★ヨンドクからみなさまへ
(パク・ヘリョン)
http://www.nonukesasiaforum.org/jp/137y.htm
皆が「不可能だ」と言っていた「ヨンドク核発電所誘致の賛否を問う住民投票」が、11月11~12日に行なわれました。10,274人の反対票という驚くべき結果を得ました。あふれる涙を抑えることができませんでした。
住民たちが何の反応も見せなかった大小の集会、情宣、一人デモなど、数年間続けてきたことの一つ一つを、ヨンドクの住民たちは覚えてくれていたのです。
ヨンドク住民は「政府の原発建設強行と最後まで闘う」という希望と意志を育んでいます。

★インドに原発を輸出しないで!
(ヴァイシャリ・パティル)
http://www.nonukesasiaforum.org/jp/137b.htm
12月12日、原発予定地ジャイタプールで日印原子力協定への抗議行動が行なわれた。約2000人が結集し、自発的に逮捕される非暴力直接行動によって、1000人以上が逮捕された。とくに女性たちの存在感が大きく、皆が「安倍は帰れ!」のスローガンを叫んだ。
「インドへの原発輸出反対! 日印原子力協定阻止キャンペーン」大阪集会(11月23日)、東京集会(25日)でのスピーチ「インドに原発を輸出しないで!」をぜひ読んでください

★日印原子力協定「原則合意」を許さない!
http://www.nonukesasiaforum.org/jp/137a.htm
共同声明:日印原子力協力協定の「原則合意」に断固抗議する(5団体)
広島・長崎両市長の要請文:インドとの原子力協定交渉の中止について
日印原子力協定に反対する国際アピール(7か国18団体が呼びかけ、各国語で3528名が賛同)
日印原子力協定締結反対に向けたこの間の活動(松久保 肇)

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花
http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信
主要掲載記事一覧(国別)No.1~139
http://www.nonukesasiaforum.org/jp/keisaikiji.htm

★ノーニュークス・アジアフォーラム通信・138号、2月20日発行、もくじ
●NNAF 2016 参加者からのメッセージ
(施信民、パク・ヘリョン、イ・ホンソク)
●福島の教訓を、アジアの人びとに
(長谷川健一)
●第2のフクシマをくりかえさない! 原発再稼働はありえない!(佐々木慶子)
●トルコ・シノップ「核に対する完全なる闘い」
(メティン・ギュルブズ)
●フランスがインドに売りつける危険な原発
(クマール・スンダラム)
●「インドは秘密の核施設を建設している」と雑誌が指摘
●ベトナム・ニントゥアン原発、無理な計画
(T.K.チャン)
●八幡浜住民投票運動  (八木健彦)
●原発のある町で再稼働の賛否を聞いた「はがきアンケート」 反対53.2%、賛成26.6%、どちらとも言えない20.2%    (堀内美鈴)
●福井の裁判の仲間に加わってください
(小野寺恭子)
●抗議声明「福島原発事故を無視し、住民の生命をないがしろにする高浜原発3号機の原子炉起動に断固抗議する!」
(グリーン・アクションほか)
●日韓日本軍「慰安婦」合意無効と正義の解決のための全国行動・発足宣言文
(韓国387団体)
●水戸喜世子さんお話会 - 民主化運動の歴史に触れた(くるみざわしん)
見本誌を無料で送ります。
事務局へ連絡ください → sdaisuke?rice.ocn.ne.jp ?を@に
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ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局
http://www.nonukesasiaforum.org/japan/

ヨンドクからみなさまへ パク・ヘリョン

ノーニュークス・アジアフォーラム通信・号外より

ヨンドクからみなさまへ

パク・ヘリョン(ヨンドク核発電所反対汎郡民連帯・対外協力委員長)1372

脱核新聞読者と、ヨンドクを応援してくださる全国の脱核市民のみなさま

皆が「不可能だ」と言っていた「ヨンドク核発電所誘致の賛否を問う住民投票」が、11月11~12日に行なわれました。

人口4万に満たない海辺の小さな美しい町、ヨンドク。11,209人の投票参加と10,274人の反対票という驚くべき結果を得ました。開票の瞬間を迎えられただけで、あふれる涙を抑えることができませんでした。この驚くべき結果をともに創り出してくださった、この間ヨンドクに来てくださった数千人の脱核市民と、ヨンドクにお住まいの郡民のみなさまに、心からご挨拶もうしあげます。「ありがとうございました。決して忘れません」

「ヨンドクが核発電所の新規建設地に選ばれたことを知っている人はほとんどいない」という話を数年間聞かされてきました。住民すら行政の報復が怖くて息を殺していた数年の間にも、多くの人々がヨンドクを訪ねてくださいました。住民も報道も注目してくれませんでしたが「ヨンドク核発電所反対」の叫びをやめませんでした。

数ヶ月間、署名を集めてまわるなかで、住民投票が終わってからの住民たちとの対話のなかで、わかってきたことがあります。住民たちが何の反応も見せなかった「ヨンドク脱核希望バス」や大小の集会、「市」の立つ日の情宣、十数人でつないできた一人デモなど、数年間続けてきたことの一つ一つを、ヨンドクの住民たちは覚えてくれていたということです。韓水原が猛烈な非難を浴びせてきた「外部勢力、見慣れぬよそ者」たちの「市」での情宣と署名集めの記憶を、住民たちは希望として受け止めていたのです。「私たちを助けてくれる人がこんなにたくさんいるなんて、実にありがたい人たちじゃないか。そんな人があんなに多いのに、何で核発電所を作ろうとするのかの?」

原発よりも核発電所という名の方が通りがいいヨンドク住民は、いまや政府の話ではなく、核発電所反対活動をする汎郡民連帯の話を信じ信頼する人々となりました。「黄色いチョッキ」が近づけば固くなっていた顔が、今は手を先に差し出してあいさつをするほどです。

「連中が何て言ってるって? ダメだってか? そんでも最後まで反対せにゃ」。住民たちにとっては、政府の言う「全登録住民の33.3%の投票率が必要」という法的基準値など、重要でもなく意味もありません。なぜなら、これこそ政府のウソッパチ論理だということを、住民投票の過程を通じて見てきたからです。

「自主住民投票」には多くの困難がつきまといました。核発電所を阻止せねばという切迫感のため、「できもしないことにこだわっている」という外部の視線と、住民の意志を力強く結集させることができない内部の力量を克服せねばなりませんでした。「行政が行なわないなら住民投票実現は難しい」という一部の団体の持続的な批判も、「民間主導の住民投票」を決意することを難しくしました。

挫折のたびに痛みをともにし、住民投票成功のために汗を流した多くの顔、瞬間がありました。いつになく暑かった真夏の炎天下に署名集めに参加してくださった方たちの汗まみれの顔が思い出されます。「この一歩一歩の先にあるのが、たとえ住民投票成功でなくとも、この道をともに進むのだ」と歩んでくださり、つらい瞬間にも肩をたたきながら「がんばれ、やり抜くんだ」と激励してくださった心づかいを忘れてはいません。なにより20ヶ所の投票所を動かすために全国から駆けつけてくださった数百の脱核市民のみなさまと、徹夜で開票作業をしてくださった先生方に、ヨンドク住民は熱い感謝を送ります。今日のヨンドクをともに創ってくださった全国の連帯者のみなさまに、心からの感謝を送ります。

ヨンドク住民は「政府の原発建設強行と最後まで闘う」という希望と意志を育んでいます。今後もさらに堅い連帯と希望でヨンドクを守り、この地が核から守られることを願って。いかなる現場よりも連帯の力が大切だったヨンドクから。

今後も連帯の力でともに「ヨンドク脱核」「韓国脱核」を実現してゆきましょう。ありがとうございました。
(「脱核新聞」 12月号より、訳:功能大輔)

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ノーニュークス・アジアフォーラム通信
号外もくじ
(16年1月20日発行)B5版12ページ
●原発事故被害者の闘いを伝え、アジアの友人とつながる(佐藤和良)
●世界中の人に知ってほしい(木幡ますみ)
●福島から、原発をとめるアジアの皆さまへ(橋本あき)
●韓国ヨンドクからみなさまへ(パク・ヘリョン)
●ミャンマーで小水力セミナー
(大津定美)
●台湾で考えたこと(黄積希)
●西川福井県知事の高浜原発再稼働同意はウソで塗り固められている
(若泉政人)
●福島原発事故の教訓と、住民の声に根差して、高浜原発3・4号の再稼働反対の運動を強めよう(避難計画を案ずる関西連絡会)
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ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局
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