本誌140号で掲載した、南オーストラリア州・核燃料サイクル王立委員会の中間報告では、同州が、日本、台湾、韓国などから輸入した放射性廃棄物の処分場を建設することを検討すべきとの内容が含まれていて衝撃が走りました。5月9日には最終報告書が発表され、南オーストラリア州のウェザリル首相(労働党)は、放射性廃棄物の地下貯蔵施設の建設案について、年内に「明確な政治的判断」を下す考えを明らかにしました。予定地とされた土地のアボリジニの人々とその支援者らは、この計画に激しく反対しています。これまでオーストラリアからウランを大量に買いつけて核燃料として原発で使用してきた日本ですが、今度は放射性廃棄物ビジネスの顧客として名指しされており、私たちにとっても看過できない問題です。
オーストラリアのアボリジニの人々が立ち向かう、放射性廃棄物をめぐる戦争
ジム・グリーン(地球の友オーストラリア・核問題キャンペーナー)
1998年から2004年にかけて、オーストラリアの連邦政府は、国内の放射性廃棄物を、南オーストラリアのアボリジニに押しつけて彼らの土地に廃棄物処分場を建設することを画策したが、失敗した。
それから政府は、北部準州のアボリジニの人々の土地に放射性廃棄物処分場を押しつけようと試みたが、これも失敗に終った。
そしていま、政府は三度目の試みに乗り出している。政府は、またしてもアボリジニの人々の土地に放射性廃棄物処分場を建設しようとしている。伝統的土地所有者たちから、明確な反対が表明されているにもかかわらず、である。
この最新の提案は、南オーストラリア州のアデレードから北へ400キロに位置し、壮大な景観を誇るフリンダース・レンジに放射性廃棄物の処分場を建設するというものだ。
政府は「いかなる団体にも拒否権を発動する権利はない」と主張している。つまり政府は「調査をしたほぼすべての先住民コミュニティの構成員たちが、その地点での処分場建設に反対している」と認識しているにもかかわらず、この処分場計画を推進していくということだ。
■「まるで誰かが私の心をえぐったかのように感じました」
この予定地は、ヤッパラ先住民保護区域に隣接している。「先住民保護区域は、フェンスのすぐ向こうです。そこには共有されている泉があります」とヤッパラステーションの住民でありアズニャマッタナ民族の伝統的土地所有者であるレジーナ・マッケンジーは語る。
その泉は、先住民の女性たちが大切にしている癒しの場所でもあるが、この地域に数多く存在する地質学的にも文化的にも価値の高い地点の一つである。これらの地点は、伝統的土地所有者たちによって、南オーストラリア州政府に登録されている。
アズニャマッタナ民族の人々は、いくつかの他の団体と共同で2015年に次のような声明を発表した。
「フリンダース・レンジにあるアズニャマッタナ民族の土地は、国内の放射性廃棄物処分場の候補地とされた。この土地を共同所有する前自由党議員のグラント・チャップマンによって推薦されたのだ。
アズニャマッタナ民族の伝統的土地所有者は、全く相談を受けなかった。伝統的土地所有者で、予定地に隣接した地域であるヤッパラステーションに暮らすものたちにすら、何の相談もなかった。
これは、暴力だ。予定地はすべて、アズニャマッタナ民族の土地である。そこはスピリチュアルな土地なのだ。予定地にはいくつもの泉がある。古代からの古墳の泉もある。アボリジニの手による何千という数え切れないほどのさまざまな造形物もある。私たちの祖先もそこに眠っている。
予定地に沿って流れているフーキナクリークは、女性たちにとって非常に重要な場所である。遺産として登録された場所であり、保全され、保護されなければならない。私たちは、この地域、この土地、そこで暮らす生き物たちへの責任を負っている。
私たちの土地に放射性廃棄物の処分場が作られることを望まない。それらの廃棄物がここに来たら、この土地の環境、私たちアボリジニが受け継いできた知識、私たちが生み出したもの、私たちのすべてが脅かされるのではないかと懸念している。政府が、この土地を予定地のリストから外し、今後はわれわれを尊重する態度をとることを求める」
レジーナ・マッケンジーは、候補地として挙げられていたオーストラリア各地の計6ヶ所の中から、フリンダース・レンジが選定されたというニュースを受けたときに「私たちは打ちのめされました。突然の電話で、誰かの訃報を知らされたときのようでした。私のめいが泣きながら電話をしてきて、私の心が誰かにえぐり出されたように感じました」
マッケンジーはABCテレビの取材に応じて「ほぼすべての廃棄物処分場がアボリジニのコミュニティの近くにあります。まるで、ははん、どうせ彼らは黒い人たちじゃないか、たかがアボリジニじゃないか、だから処分場はそこに作っておこう、といわれているようなものです。そんなことがいつも自分たちに降りかかり続けるというのでは、それを受け入れるわけにはいかないと思いませんか?なんで私たちをほうっておいてくれないのでしょうか」
アズニャマッタナ民族の伝統的土地所有者のジリアン・マーシュは2016年4月の声明の中でこう述べている。「オーストラリアにもともと暮らしていた人々が侵害され、あちこち追い立てられ、自分たちの家族や土地から強制的に引き剥がされ、自分たちの土地に入ることを禁じられ、土地を大切に守る権利を奪われてきた。200年以上にわたってだ。私たちの健康や福祉は第三世界のそれと同じような状態であり、刑務所は私たちの同胞でいっぱいだ。誰だって、自分の家の裏庭に有毒な廃棄物を保管したいはずがない。世界中、どこでもそうだ。私たちは、コミュニティの持続可能な未来を求めるオーストラリア中の人々、そして世界中の人々と連帯して立ち上がる。私たちは揺るがない」
フリンダース・レンジでの放射性廃棄物処分場計画を巡る闘いは、今後12ヶ月で何らかの結末を迎えるだろう。もし政府がアボリジニの人々の願いを踏みにじって廃棄物処分場を押しつけるというこの3回目の試みに失敗するならば、私たちが推測するのは、過去の形式にのっとった政府による4回目の試みが起きるだろうということだ。
■ 南オーストラリアでの廃棄物処分 1998年~2004年
南オーストラリアのアボリジニの人々が国内の放射性廃棄物処分と直面するのは、これが初めてではない。1998年、連邦政府はロケットとミサイルの試験場にほど近いウーメラに放射性廃棄物処分場を建設する計画を明らかにした。
その計画が州内で激しい議論を巻き起こしたのを見るや、連邦政府はPR会社を雇い入れた。そのPR会社と政府の間でのやり取りが「情報の自由に関する法律」の下で開示された。
あるやり取りの中では、政府職員がPR会社に対して、パンフレットで使用する写真から砂丘の部分を消してほしいと要求している。政府職員による説明は「砂丘は、アボリジニの人々の遺産へのリスペクトという観点から、デリケートな問題を引き起こす」というものだった。写真からは砂丘が削除された。政府職員が、砂丘を地平線に置き換えるよう求めたというだけの理由でだ。
アボリジニの諸団体は、廃棄物処分場として名前が挙げられた地点での試掘に同意するという遺産使用許可協定への署名を強要された。連邦政府は、もし同意が得られなくても、どちらにしても掘削は行なわれると明言した。
アボリジニの団体は、袋小路に追い込まれた。彼らが政府との話し合いに応じて協定に署名することで、特定の文化遺産を保全しようと試みることもできた。しかしそうすることは、放射性廃棄物処分場計画に同意したと強弁されてしまうリスクもはらんでいた。あるいは、彼らはこのプロセスそのものを拒否することもできたが、そうすれば文化的な遺産を守る機会を失ってしまうことになる。
アボリジニの諸団体はついに遺産使用許可協定に参加した。そして懸念されていたとおり、このプロセスへ参加したことで、連邦政府によってくり返し「アボリジニの人々が処分場建設に合意した」とい恣意的な読み替えが行なわれた。
■ いくらお金を積まれても、私たちは土地を売り渡さない
2002年になると、連邦政府はアボリジニの処分場への反対の意思を金で懐柔しようとした。コカタ民族、クヤニ民族、バンガラ民族という「ネイティブ・タイトル権」(訳注:オーストラリアのアボリジニおよびトレス海峡諸島民の伝統的な慣習法に基づく土地に関する権利)をもつ3つの民族は、彼らのネイティブ・タイトル権を90000ドルで放棄しないかと持ちかけられた。しかし3つの民族がすべて合意するなら、という条件の下であった。
政府の提案は拒否された。コカタ民族の伝統的土地所有者であるロジャー・トーマスは「あまりにも暴力的だった。私は連邦政府の役人に対して、90000ドルで私たちの土地と文化を売り渡せというような提案を持ちかけるなどという、私たちへの侮蔑的で無礼な態度を止めるように言った」
同じくコカタ民族のアンドリュー・スターキーは、「あまりにも恥知らずなやり方だった。彼らははした金をちらつかせて、私たちに文化的な遺産への権利を放棄させようとしたんだ。金をどれだけ積まれようとも、私たちはそんなことはしない」
2003年になると、連邦政府は1989年の土地収用法を行使して、処分場のための土地を獲得しようとした。アボリジニの人々への事前の通告や相談をまったく行なわずに、このようなことが行なわれた。
■ 次に起きたこと:いかさまの協議
処分場に反対する闘いを先頭に立って引っ張ってきたのが、「クバピディ・クンガジュタ」(南オーストラリア北部のアボリジニ女性たちの反核住民組織)だった。クンガ民族の人々の多くは、1950年代にマラリンガとエミューフィールドで行なわれたイギリスの核実験の影響に苦しんでいた。
政府がアボリジニの人々との協議と称して行なったアプローチは、2002年に漏洩した文書の中で明らかになった。その文書では「先住民の聴衆の心を動かす戦術は、現在大規模に行なわれている先住民グループとの協議によって十分な情報が得られるだろう」。言い換えれば、そのいかさまの協議は、政府による処分場推進プロパガンダに照準を合わせるために使われたのだ。
こうした政府による冷笑的で侮蔑的な戦術は、先住民族の権利に関する国連宣言の29条に相いれないものだ。そこには「先住民族の土地や領地においては、先住民の自由かつ事前に十分な情報を得た上での同意がなければ、有害な物質の貯蔵あるいは処分は決して行なわれない」と書かれている。
このいかさまの協議の問題は、これまで何度もくり返し起きている。最近では、王立委員会(後述)による「放射性廃棄物処分の安全性に関する信頼関係の構築」に関する議論がそのよい例である。南オーストラリア州西部のセドゥナを代表するアボリジニと非アボリジニの代表たちからなる「西マレー保全グループ」は、このひどい攻撃にこう応答している。
「私たちは、この問題が皮相的で攻撃的なものだととらえている。多くの人々が自分たちの時間とエネルギーをつぎ込んで放射性廃棄物について調査したり考えたりしてきた。「クバピディ・クンガジュタ」を構成してきた女性たちも、ウーメラでの低レベル放射性廃棄物処分場建設計画に対して立ち上がって何年も闘ってきた。
彼らがなぜ放射性廃棄物処分場を受け入れなかったのか。それは、事前に信頼関係を構築するために行なわれた「プロセス」が不十分であったからだけではない。
A)一人ひとりの個人が、長年にわたって継承されてきた文化的な叡知が汚されるような毒から土地を大切に守るために深く関わっているのであり、
B)アボリジニの人々やその家族は、まずもってエミューフィールドとマラリンガでの核実験、そしてオリンピックダムでのウラン採掘によって、すでに放射能の影響を直接的に経験し、また経験しつつあるからであり、
C)彼らは「未来の世代のために生命を持続可能なものとすることが何よりも重要なことだ」という世界観のもとで暮らしているのであり、あらゆる側面において危険かつ長期間に及ぶ汚染をもたらす原子力産業の特徴とは相容れない。
「クバピディ・クンガジュタ」の女性たちは、連邦政府に対して「ポケットから耳を取り出してこちらの言うことを聞く」ことを要求し続けた。そして、6年たって、やっと政府はそうした。2004年の総選挙を前にして、廃棄物処分場の問題が政治的にも大きな焦点となってきていた。そして、「政府は土地収用法の緊急条項を違法に行使した」との判断が連邦裁判所で出されたことを受けて、政府はこの処分場計画を放棄した。
クンガ民族の人々は公開書簡の中でこう書いている「だれもが、たった数名の女性たちだけで政府に勝つことなんかできないといいました。私たちはただ彼らに、ポケットにしまいこんでいる耳をとりだして私たちの話を聞きなさいと訴え続けたのです。私たちは、あきらめるとは決して言いませんでした。政府の側には、金の力で道筋をつけるだけの力があったのでしょうが、私たちはあきらめませんでした」
■ マラリンガ核実験場での、ずさんきわまりない除染の実態
1998年から2004年にかけて南オーストラリアで行なわれた廃棄物処分場に関する議論は、同じ州の中で起きていたマラリンガ核実験場でのずさんきわまりない除染の問題に関する論争とオーバーラップすることとなった。
イギリスは1950年代にオーストラリアで核実験を12回実施し、そのほとんどがマラリンガで行なわれた。1985年の王立委員会は「核実験が行なわれていた頃のアボリジニの安全を守るための対策は『無知、無能、冷笑的』なものであった」とした。
オーストラリア政府による1990年代後半のマラリンガでの除染作業は、ひどいものだった。できるだけ安く上げることを念頭に行なわれ、プルトニウムによって汚染された廃棄物は、地質学的に不安定な場所の浅くてコンクリートで裏打ちされていない穴に埋められた。
原子力技術者であり内部告発者でもあるアラン・パーキンソンはこの除染について「マラリンガで行なわれたことは、白人の土地であれば絶対に行なわれないような安っぽくて始末におえないものだった」と。
原子力規制機関である「放射線防護および原子力安全庁」のゴフ・ウイリアムス博士は、流出した電子メールの中で、マラリンガの除染を「無分別とやっつけ仕事と隠蔽の連続」だったと表現している。
核物理学者のピーター・ジョンストン教授は「プロジェクトのマネジメントが不備であったために、経費の大幅な増大や重篤な被害があった」としている。
ジョンストン教授らは、学会で発表した論文の中で、除染に関する意思決定から伝統的土地所有者が排除されてきたことを指摘した。伝統的土地所有者は協議の場に代表を送っていたが、重要な決定は協議委員会やそのほかのあらゆる伝統的土地所有者との個別的な議論もないままに行なわれた。重要な決定とは、たとえばガラス固化したプルトニウム汚染廃棄物をコンクリートで固めない穴に浅く埋設することなどである。
連邦政府の閣僚であるニック・ミンチン議員は2000年5月にマスコミに対して「マラリンガ・ジャルジャ民族の伝統的土地所有者は、プルトニウムを地下深くに埋設することはこの廃棄物を安全に取り扱うためにふさわしい方法だと合意した」と話しているが、プルトニウム汚染廃棄物は地中深くには埋設されなかったし、ジャルジャ民族の伝統的土地所有者らはコンクリートで固めない穴への廃棄物埋設に合意していない。実際のところ、彼らは大臣に書簡を送って、自分たちとその決定は無関係だと明確に指摘している。
マラリンガの除染から10年程たってから、汚染廃棄物が埋設された85ヶ所のピットのうち19ヶ所において、土地の侵食や地盤沈下が認められたとの調査結果が発表された。
放射能汚染が残されたにもかかわらず、オーストラリア政府は、汚染された土地への責任を放棄して、マラリンガのジャルジャ民族の伝統的土地所有者らにそれを丸投げしてしまった。政府としては、この土地の移譲を「和解の行動」だといっている。
しかし、それは和解などではなかった。それは、相手を見下す行為だった。真の問題は1996年に明らかになった政府文書の中に書かれていた。「除染の目的は、残された汚染から発生する英連邦の損害賠償額を減らすことだった」
■ 北部準州における放射能の身代金? 賠償金?
2004年に南オーストラリアの人々が勝利した後、連邦政府は北部準州のテナントクリークから110キロ北に位置するマカティーでの廃棄物処分場計画を実現するためにおおかた10年を費やした。生活の基本的なサービスと引き換えに放射性廃棄物の処分を受け入れさせるという悪意に満ちた取引が、当初から行なわれていた。
マカティーが処分場の候補地としてノミネートされるにあたっては、道路や住居の整備や奨学金などを含む1200万ドルの補償パッケージと共に提示された。
マカティーの伝統的土地所有者であるカイリー・サンボはこの放射能の身代金に異を唱えた。「よりよい教育や奨学金を得るために自分たちの土地を売り渡すなどというのは、あまりにも愚かなことだと思います。それらは、オーストラリアの国民であれば誰でも享受すべきものなのですから」
アボリジニの伝統的土地所有者グループの中には処分場を支持するものもいたが、大多数は処分場に反対しており、その中の何人かが連邦裁判所で訴訟を起こして、連邦政府と北部土地評議会によるマカティーの予定地指名の問題点を法廷で争うことにした。
保守連合政権は「2005年放射性廃棄物管理法」を制定した。この法律は、アボリジニ遺産法に優先するもので、アボリジニ土地権法を弱体化させ、アボリジニへの相談や合意形成なしに放射性廃棄物処分場を押しつけることを可能にするものであった。
労働党はこの放射性廃棄物管理法に反対した。労働党の議員はこの法律を、極端、傲慢、強権的、哀れ、浅ましい、あまりにも破廉恥、などと評して批判した。2007年の党全国大会において、労働党は全会一致でこの法律に反対することを決めた。
しかし2007年の総選挙で勝利したあと、労働党政府は結局「2010年放射性廃棄物管理法」を制定した。この法律は、前の法律と同じくらい強権的なもので、処分場の建設にあたってアボリジニへの相談や合意は必要ないという内容を含むものだった。より正確に表現すれば「予定地の指名は、アボリジニへの相談や合意がないからといって無効にはならない」という文面であった。
オーストラリアにおける放射能のレイシズムは、2党に共通するものである。労働党も野党自由党もこの法律に賛成した。恥知らずなことに、北部土地評議会もこの法律に賛成し、本来なら代表であるはずの国民の力を奪うことに貢献した。
2008年2月13日、労働党のケビン・ラッド首相は議会において、政府として初めて公式にアボリジニの人々に謝罪した。「盗まれた世代」(訳注:1869年から少なくとも1969年まで行なわれた、アボリジニの子どもが親元から引き離されて白人家庭や寄宿舎で養育されるという政策)の一人であるローナ・フェジョの生涯の物語を大きくとりあげた。しかし同じときに、ラッド首相の政権は彼女の土地を放射性廃棄物処分場のために取り上げていたのだ。
フェジョは「私は、本当に心の底からがっかりし、この法律が成立したことに心を痛めました。本当に悲しく思いました。私たちはいったい何時になったら公平なスタートラインに立つのでしょう。オーストラリアは平等な国のはずではありませんか? 私は母親から引き離されて育ち、いまは土地を奪われようとしているのです」
■「あまりの喜びに心が躍りました」
連邦裁判所での裁判は、とうとう2014年に始まった。2週間にわたる法廷での証言の後、北部土地評議会はこの裁判を闘うことをあきらめ、マカティーを処分場として指名することから撤退した。マカティーで闘ってきた人々の大勝利だった!
この発表は、北部土地評議会と政府関係者が法廷で反対尋問に立つことになっていた日の数日前になされた。彼らが撤退したことによって、北部土地評議会や政府は、裁判の最初の2週間で明らかにされた数え切れないほどのさまざまな不正(たとえば、北部土地評議会が文化人類学者の報告書を書き換えたことなど)についての反対尋問を受けなくてもよいこととなった。
カイリー・サンボは言う。「北部土地評議会は、自分たちが本当は何をしたのかについて屈辱的な尋問を受けたくなかったのではないでしょうか。でも、彼らがあきらめたのはよいことです。私たちにとってはとてもよかった」
ローナ・フェジョは「嬉しくてうっとりします。私たちの土地を守るためのあまりにも長い闘いが終わったのですから、とても自由になった気がします」
マーリン・ヌンガライ・ベネットは、マカティーでの勝利をこれまでに達成された有名なアボリジニの人々の闘いの勝利の記憶と比べてこういった。「今日のこの勝利は、オーストラリアの先住民の歴史の本の中で特筆されているいくつものできごとと並ぶものとして描かれるでしょう。私たちはこの土地のために一歩も引かずに立ち上がると示しました。北部土地評議会は私たちを分裂させて征服しようとしましたが、うまくいかなかったのです」
ダイアン・ストークスは「勝利したことで、みんなが喜んでいます。私たちは、勝利にたどり着くために本当に長い間闘ってきました。オーストラリアのどこかで誰かが放射性廃棄物処分場と闘うために助けを必要としているなら、私たちはそこへとんでいって処分場との闘いを助けます。私たちは自分たちの闘いの中で本当に多くの支援を受けたので、もし誰かが助けを呼んだら、私たちはすぐにそこへ行きます」
■ オーストラリアが世界の放射性廃棄物処分場に
いま、南オーストラリア州のアボリジニの人々は、国内の放射性廃棄物処分場の押しつけに直面していると同時に、13万8000トンの高レベル放射性廃棄物と39万立方メートルの中レベル放射性廃棄物を輸入して貯蔵、処分するという計画にも直面している。
この計画は、南オーストラリア州政府によって推進されている。州政府は昨年、王立委員会を設立した。「独立した肯定的な助言」を取り繕いとして得るためのものである。この王立委員会の委員は原子力推進であり、専門家による諮問委員会のほぼ大部分のメンバーが、金切り声を上げて推進を叫ぶような人たちばかりだった。
ある人物は、原発は太陽光発電より安全だと主張しているし、もう一人は、原発と核拡散のリスクに関連性はないといっているし、もう一人は、あれほどのメルトダウンが起きたにもかかわらず福島原発事故ではそれほど深刻な問題が起きなかったといっている人物だ。
2015年3月に王立委員会の設立を宣言した際に、南オーストラリアのジェイ・ウェザリル州首相は「私たちはアボリジニのコミュニティと話し合わなければならないという規則を持っており、非常に慎重にすべき問題だ。これまで私たちは、マラリンガのジャルジャ民族の人々の土地を、イギリスの核実験の際に不当に取得して汚染させてしまったのです」と言った。
しかし、南オーストラリア州政府は、王立委員会の仕事の進め方を組織的に操作して、アボリジニの人々の市民権を剥奪している。委託事項の原案にフィードバックを行なうための時間的猶予が、非常に短い時間しか準備されなかったことで、遠隔地に住んでいる人々、電子メールやインターネットが使えないか使いにくい人々、そして英語が母語ではない人々にとっては大きな不利があった。委託事項の原案は英語のみで書かれており翻訳は行なわれなかったし、地域でのコミュニケーションも行なわれなかった。
アボリジニの人々は、王立委員会によることの進め方にくり返し不満を表明していた。いろいろな問題がある中の一つを挙げよう。
「王立委員会のやり方になぜ私たちは不満を持っているのだろうか。Yaiinidlha Udnyu ngawarla wanggaanggu, wanhanga Yura Ngawarla wanggaanggu? 英語、英語、いつも英語ばかり。いったい私たちの言語(ユラ・ンガワルラ)はどこに行ったんだ?」
委員会と市民との相互理解を深める取り組みも不十分だった。それは、あまりにも白人的なやり方で、人々を当惑させるものだった。プログラムはごく短いものだったし、情報へのアクセスも困難で、通訳・翻訳のサービスも準備されなかった。会合についてもほとんどまともに告知がされなかった。
閉鎖的で秘密主義的な方法が取られたので、平均的な一般の市民にとっても参加が困難だったのだから、アボリジニの人々にとっては、ほぼ参加は不可能な状況だった。
南オーストラリア州を世界の放射性廃棄物のゴミ捨て場にするというこの計画は、ほぼ全員一致の様相でアボリジニの人々から反対の声が上がっている。南オーストラリア州全域から多くのアボリジニ団体が結集して構成されている「南オーストラリア・アボリジニ会議」は、2015年8月のミーティングで次のような決議を行なった。
「土地や水のネイティブ・タイトル権の代表として私たちは、私たちの土地でのウラン採掘の拡大、原発の建設、放射性廃棄物の処分場建設などの原子力開発に対して断固として反対する。今日まで、私たちの多くは原子力産業による破壊的な影響に苦しみ続けているし、私たちの土地におけるウラン鉱山の展開を通して大切な土地を汚染されてしまっている。私たちは、原子力産業のさらなる拡大は、私たちの土地、人々、環境、文化、歴史に対する暴力的な破壊だと考えている。また、この国の建国の原則を含むさまざまな法制度の下での私たちの権利に対する大胆な侵害だとも考えている」
王立委員会は最終報告書の中で「アボリジニの人々から放射性廃棄物処分場への激烈な反対の意見があることを認識している」と言及している。しかし、委員会はアボリジニの人々からの激しい反対を、計画への赤信号ではなく、なんとかしてやりすごすべき障壁として取り扱っている。
■ 原発に賛成する「環境主義者」たちによるレイシズム
オーストラリアで原発に賛成する「環境主義者」を自称する人たち、たとえば王立委員会の専門家諮問委員会のメンバーであるバリー・ブルック、ウラン産業や原子力産業のコンサルタントであるベン・ハードらは、反対するアボリジニの人々の土地に放射性廃棄物処分場を押しつけようとすることについて、一言の懸念も表明したことがない。彼らが黙っているということは、自分たちが見境なく支持している原子力産業のレイシズムに関して何も気にしていないということではないか。
連邦政府が伝統的土地所有者への相談も合意形成もなしに北部準州で放射性廃棄物処分場を押しつけることを可能にする法律を通過させた際も、この二人は黙っていた。
右翼的な自由党の意見を反映させてか、ブルックとハードは北部準州の処分場予定地とされたマカティーについて「荒地のど真ん中」と表現した。彼らから見ればそうなのだろう。しかし、マカティーの伝統的土地所有者たちにとって、マカティーは自分たちのホームランドのど真ん中なのであり、それを何もない荒地の真ん中だと評することはあまりにも暴力的なことだ。
ハードが、現在処分場予定地とされている南オーストラリアのアズニャマッタナ民族の土地について話しているコメントもあまりにも暴力的だ。「この場所ではアボリジニの文化的な遺産の問題があるとは聞いていない」と。その言葉を、処分場予定地の真横にある先住民保護地区にあるヤッパラ・ステーションで暮らすアズニャマッタナ民族の伝統的土地所有者たちに伝えてみるがいい。
現在の予定地ではアボリジニの文化的な遺産の問題が存在しないなどと、いったいハードはどこからそのような考えを仕入れたのだろうか。現地を訪問したわけでもなければ、伝統的土地所有者たちに話を聞いたわけでもない。彼はただ、意味もわからずに連邦政府のレイシストたちが言うウソをまねしているだけなのだ。
ブルックとハードは、南オーストラリア州に対して、国際的な高レベル廃棄物処分場計画すら提案している。まるで、そこが自分たちの所有地であるかのように。彼らは、伝統的土地所有者たちがこの計画に対して燃え盛るような激烈な反対の意思を表明していることにも、たったの一言も触れていない。
■ 組織ぐるみのレイシズム
ビル・ショーテン労働党党首は最近、「オーストラリアにおいては、組織ぐるみのレイシズムはまだ流行からは程遠い」と発言した。しかし彼は知るべきだ。労働党も、アボリジニのコミュニティの意思に反して放射性廃棄物処分場を押しつけようとする試みを2党派がかりで推し進めたり支持したりしてきたのだ。
そして労働党も保守連合も、ウラン採掘はアボリジニの権利より重要だと信じている。アボリジニの土地権と遺産保護は、最も良い状態のときでも脆弱なものだ。その法的な権利と保護すらも、ことが原子力やウラン採掘の利害と関係する場合にはくり返し反故にされてきた。
オリンピックダム鉱山は、南オーストラリアのアボリジニ遺産法から大部分除外されてきた。
「アボリジニ土地権法」の款40(6)において、北部準州でレンジャー鉱山を除外しており、これによってミラル民族の人々が享受できるはずだった拒否権を取り上げられてしまった。
ニューサウスウエールズ州の法律では、同州のアボリジニ土地権法の条文からウラン鉱山を除外している。
西オーストラリア州政府は、「西オーストラリア州1972年アボリジニ遺産法」を、ウラン産業の利益のために骨抜きにしようとするプロセスの只中にいる。
そして、
■ 「ネイティブ・タイトル権」(土地に関する権利)は、南オーストラリアの放射性廃棄物処分場のために軽視され
■ アボリジニ遺産法と土地権は、北部準州に放射性廃棄物を処分するための圧力の中でくり返し踏みにじられ
■ そして南オーストラリアのフリンダース・レンジにおける放射性廃棄物処分場計画に、アボリジニによるほぼ全会一致とも言える規模での反対の意思が突きつけられていることを、どの政治政党も無視している。
オーストラリアのアボリジニの人々に対する、決して終わることのない原子力の戦争は、文化的なジェノサイドだといっても、過言ではないはずだ。実際、事実はそのとおりなのだから。
(訳:宇野田陽子)
ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.141より
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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信141号(8月20日発行、B5-32p)もくじ
● オーストラリアのアボリジニの人々が立ち向かう、放射性廃棄物をめぐる戦争
(ジム・グリーン)
● 台湾「第四原発凍結予算」5億元削除!(原発廃止全国プラットフォーム)
● トルコ、2つの裁判闘争とアックユ原発プロジェクトの再開
● クダンクラム原発の引き渡しとインド政府の「感謝」(PMANE)
● 中国・連雲港で使用済み核燃料処理施設の建設に市民らが抗議
● 平岡敬元広島市長のハプチョン・テグ訪問記(高野聡)
● 核、次世代に渡せぬ 原爆投下71年 伊方原発(大分合同新聞)
● 伊方原発運転差し止め広島裁判について(堀江壮)
● 原発をとめるための2つの方法(小坂正則)
● 大間原発反対現地集会と大MAGROCK(中道雅史)
● 原発メーカー訴訟・第一審判決を受けて(島昭宏)
年6回発行です。購読料(年2000円)
見本誌を無料で送ります。事務局へ連絡ください
sdaisukeアットマークrice.ocn.ne.jp
★NNAF通信・主要掲載記事(No.1~141) http://www.nonukesasiaforum.org/jp/keisaikiji.htm
★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm