第18回ノーニュークス・アジアフォーラム(2018.11.12)での各国報告より
「フィリピンの反原発運動の歴史と現在」
非核バターン運動(Nuclear Free Bataan Movement)
30年以上前、マルコス独裁政権下でバターン半島のモロンにフィリピン初の原発が建設された。このバターン原発は、完成したものの一度も稼働したことがない。
チェルノブイリ原発事故や福島原発事故が起きたため、フィリピン国内で原発推進を掲げる人々も、表立って推進を唱えられない時期もあった。しかし、原発推進の機運が途絶えたことはなかった。
推進側の政治家や企業人らは、経済成長に伴う電力需要の増加、予測される電力不足、世界的な気候変動への対処などを理由に挙げて、原発を導入しなければ国家の成長が阻害されて国民の福祉に悪い影響が及ぶと唱え続けてきた。
現在、エネルギー省はドゥテルテ大統領に対して、追加的なエネルギー源として、バターン原発の復活も含めた原発導入という選択肢を進言し続けている。
バターンで続々と巨大な石炭火力発電所が建設されてきたのも、こうした文脈があったからだ。
■ バターン原発の歴史
バターン原発は、マルコス大統領が石油ショックなどを口実にして、アメリカのウエスチングハウス社と契約して建設した原発だった。しかし完成はしたものの、一度も稼働せずに1986年に閉鎖された。
その理由は、基本的な設計や構造にあまりにも重大な欠陥が多数見つかったこと、地震多発地帯で火山も近い場所にあること、放射性廃棄物の処分方法がないことなどだ。そして、あまりにも巨額の建設費がかかって汚職や癒着の温床となったことだ。建設費や違約金などを含めてその返済が国民負担となり、一日当たり30万ドルの返済が30年にもわたってのしかかってしまった。
バターン原発閉鎖は、民衆の力のほうが権力を持った人間よりも強いということを証明する生きた証拠として特筆に値する勝利であった。
しかし2009年、強烈な原発推進派であるマーク・コジュアンコ議員が旗振り役となってバターン原発復活が提案され、フィリピン電力公社と韓国電力との間で覚書が取り交わされた。そして、韓国電力がバターン原発復活に関する可能性調査を行ない、原発復活にかかる修理費用は10億ドルと公表された。
人々は、再び激しい反対運動を展開して、バターン原発復活計画を粉砕した。
その後、福島原発事故の発生によって、推進側は一時的に口をつぐんだが、彼らはあきらめてはいなかった。
■ 最近の推進の動き
2016年、エネルギー省が、原発建設のための独自の工程表を作成した。さらにエネルギー省は、フィリピン原子力研究所とのパートナーシップの下で、原子力発電計画実施機関(NEPIO)を設立した。そして、フィリピンで原発を導入するために国際原子力機関(IAEA)から技術的な援助を受けられるよう要請した。
こうして、IAEAはフィリピンへの技術協力プロジェクトに着手した(フェーズ1)。このフェーズにおいては、エネルギー計画立案の研究、原子力に関するインフラの評価、一般民衆や関係者の協力を得るためのコミュニケーション計画と人材育成計画などが挙げられた。
IAEAによる第二期技術協力プロジェクト(2018~19年)では、フィリピンの原子力政策に対しての支援を提供する。主な内容は、原子力インフラの開発、エネルギー計画立案の推進、市民とのコミュニケーション戦略と原子力に関するネガティブな受け止め方に対処する際の能力の開発とされている(フェーズ2)。
こうした目的に沿って、かつて原発推進のために結成された作業部会が、バターン原発の再検討と復活のために再び組織された。彼らは、IAEAのガイドラインに沿ったNEPIOを立ち上げた。2017年、ミンダナオ島のスルで小型原子炉を建設する可能性についての探査も行なった。そして、ロシアのロスアトム社との間で原子力協力覚書を締結し、10月には、20人のロスアトム技術者が、バターン原発の査察を行なった。復活のための修理には30~40億ドルの費用がかかるとの結果が出された。
エネルギー省は今、原子力分野の人材育成に力を入れようとしている。フィリピン電力公社には、もともと1980年代に、ウエスチングハウス社やエバスコ社で教育を受けた710人の原子力技術者がいたが、今では約100人程度しかおらず、彼らも定年が迫っている。
エネルギー省はさらに、フィリピンでの原発への投資は、バターン原発のみに注目するべきではなくて、新規の建設や原子力関連施設事業への民間企業参入なども視野に入れていくべきだとしている。
エネルギー省のクシ大臣が2018年に発表した声明では、「原子力を現在のエネルギーミックスの中に組み込んでいくという考え方は、いかなるエネルギー源に対しても中立な立場をとるという国の方針と一致している」と述べている。
しかし、彼らにとって最大の問題は、原発建設を地元住民に受け入れさせることだ。エネルギー省は、原発に関して人々の態度や立場を改めさせることに必死である。たとえば、彼らはフェイスブックを使った働きかけも行なっている。「クリーン・エナジー・フィリピン」というページを作成し、そこで原発を擁護する主張を展開している。また、バターン原発復活の可能性を見越して、彼らはすでにバターン現地のコミュニティに対していかに働きかけるかの工程表も作成している。さらに、22の高校で、原子力に関する情報提供と教育を施すことに関して、教育省と科学技術省との間で合意も結ばれている。
エネルギー省は、政策立案、規制の枠組み作り、原発導入にかかる費用の財源確保などについてもすでに動きを始めている。
バターン以外の13か所の地点に原発を建設する可能性に関しての「調査」の存在についても、エネルギー省は認めている。ルソン島ではバターンを含めて5か所、ビサヤ諸島では5か所、ミンダナオでは4か所である。
2018年の初頭、エネルギー省は韓国水力原子力(株)と会合を行ない、カガヤン経済特区での10万kWの小型モジュラー炉(SMR)建設に関する立地可能性調査についても話し合っている。
■ 今も続くフィリピンの反原発運動:過去に触発されて
フィリピンは原発を受け入れる準備ができているのだろうか? 政府は、洪水や渋滞の問題にも対処できていないのに、原発がもたらすリスク、代償を引き受けるというのだろうか?
バターン原発を復活させる論理的な理由はどこにもない。実際のところ、過去に人々が原発を拒否した際に根拠とした理由が、今も有効だからだ。
さらに、フィリピンには安全性に関する枠組みがない。法的にも、政府のインフラも、原子力緊急事態への対応や管理のシステムも、放射性物質の輸送や放射性廃棄物管理や事故発生時の賠償などに対処するための手続きも、なにもない。
バターン原発を閉鎖に追い込んだ闘いから30年以上が経過してもなお、非核バターン運動のメンバーをはじめとするバターンの人々が、バターン原発復活の動きが明るみに出るたびに、絶対にバターン原発を許さない決意を持ち続けて闘うのは、この理由のためである。
非核バターン運動は、輝かしい過去の勝利がそのまま勝利であり続けるよう、監視を続けていく。反原発キャンペーンは、人々の幸せよりも自分たちの利益を優先しようとする政府や企業の試みにもかかわらず、続いていくだろう。
この日まで生きていることができて、バターン原発に反対する人々の運動に関して、アジア各国の皆さんにお話しすることができたことに感謝している。
私たちはこれからも、私たちの住む場所を危険にさらすような原発を推進する動きに対して、力強く反対していく。
外国の仲間たちとの連帯は、私たちの地域での運動をいつも大変力づけてくれた。
「核も原発もない世界」を求める闘いで、勝利をおさめることが私たちの願いだ。
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「非核バターン運動(Nuclear Free Bataan Movement)」の創始者の一人である、デオさん(Ka Deo Calimbas)が、心不全で急逝しました。1月7日にお葬式が行なわれ、下記メッセージも読み上げられました。
「哀悼の言葉」(ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン)
デオさんが逝去したことを知り本当に悲しいです。
私たち、アジア各国で原発に反対する人々は、11月15日の(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラムで、デオさんに会いました。スピーチしてくれたデオさんは、とても元気で誇りに満ちていました。デオさんが突然亡くなったことが信じられません。ご家族に哀悼の意を表します。
デオさんを先頭にしたバターンの人々が、原発の稼働を阻止し、そして、今日まで原発の復活を阻止し続けてきたことは有名です。アジアと世界で原発に反対する多くの人々は、バターンの人々にとても励まされてきました。
デオさんは、私たちの心に永遠に生き続けます。
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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信156号(2月20日発行、B5-24p)もくじ
・フィリピンの反原発運動の歴史と現在 (非核バターン運動)
・バターンの石炭火力発電 (デレック・チャベ)
・イスタンブール反核プラットフォームが記者会見:「原発は高コスト」 (森山拓也)
・日立が英・原発輸出凍結を正式決定! 現地からも喜びの声 (深草亜悠美)
・台湾の脱原発政策と原子力維持勢力の巻き返し (鈴木真奈美)
・市民放射能測定所が描いた汚染地図 (大沼淳一)
・老朽原発の運転延長阻止を突破口に原発全廃を!(木原壯林)
・関電の約束が守られなかったのだから、西川福井県知事は「大飯原発の停止」を求めるべき (東山幸弘)
・断末魔の悲鳴・落日の原発 (三上元)
・「日本の原発輸出計画、全滅! ― ベトナム・トルコ・ウェールズ、現地の人々の視点から―」大阪で開催しました
・第1回ノーニュークス・アジアフォーラム記録映像
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