オーストラリアのアボリジニの人々が立ち向かう、放射性廃棄物をめぐる戦争

本誌140号で掲載した、南オーストラリア州・核燃料サイクル王立委員会の中間報告では、同州が、日本、台湾、韓国などから輸入した放射性廃棄物の処分場を建設することを検討すべきとの内容が含まれていて衝撃が走りました。5月9日には最終報告書が発表され、南オーストラリア州のウェザリル首相(労働党)は、放射性廃棄物の地下貯蔵施設の建設案について、年内に「明確な政治的判断」を下す考えを明らかにしました。予定地とされた土地のアボリジニの人々とその支援者らは、この計画に激しく反対しています。これまでオーストラリアからウランを大量に買いつけて核燃料として原発で使用してきた日本ですが、今度は放射性廃棄物ビジネスの顧客として名指しされており、私たちにとっても看過できない問題です。

オーストラリアのアボリジニの人々が立ち向かう、放射性廃棄物をめぐる戦争

ジム・グリーン(地球の友オーストラリア・核問題キャンペーナー)

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観光地としても名高いフリンダース・レンジは、処分場予定地のすぐ近くにある

1998年から2004年にかけて、オーストラリアの連邦政府は、国内の放射性廃棄物を、南オーストラリアのアボリジニに押しつけて彼らの土地に廃棄物処分場を建設することを画策したが、失敗した。

それから政府は、北部準州のアボリジニの人々の土地に放射性廃棄物処分場を押しつけようと試みたが、これも失敗に終った。

そしていま、政府は三度目の試みに乗り出している。政府は、またしてもアボリジニの人々の土地に放射性廃棄物処分場を建設しようとしている。伝統的土地所有者たちから、明確な反対が表明されているにもかかわらず、である。

この最新の提案は、南オーストラリア州のアデレードから北へ400キロに位置し、壮大な景観を誇るフリンダース・レンジに放射性廃棄物の処分場を建設するというものだ。

政府は「いかなる団体にも拒否権を発動する権利はない」と主張している。つまり政府は「調査をしたほぼすべての先住民コミュニティの構成員たちが、その地点での処分場建設に反対している」と認識しているにもかかわらず、この処分場計画を推進していくということだ。

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アズニャマッタナ民族の伝統的土地所有者の女性たち

■「まるで誰かが私の心をえぐったかのように感じました」

この予定地は、ヤッパラ先住民保護区域に隣接している。「先住民保護区域は、フェンスのすぐ向こうです。そこには共有されている泉があります」とヤッパラステーションの住民でありアズニャマッタナ民族の伝統的土地所有者であるレジーナ・マッケンジーは語る。

その泉は、先住民の女性たちが大切にしている癒しの場所でもあるが、この地域に数多く存在する地質学的にも文化的にも価値の高い地点の一つである。これらの地点は、伝統的土地所有者たちによって、南オーストラリア州政府に登録されている。

アズニャマッタナ民族の人々は、いくつかの他の団体と共同で2015年に次のような声明を発表した。

「フリンダース・レンジにあるアズニャマッタナ民族の土地は、国内の放射性廃棄物処分場の候補地とされた。この土地を共同所有する前自由党議員のグラント・チャップマンによって推薦されたのだ。

アズニャマッタナ民族の伝統的土地所有者は、全く相談を受けなかった。伝統的土地所有者で、予定地に隣接した地域であるヤッパラステーションに暮らすものたちにすら、何の相談もなかった。

これは、暴力だ。予定地はすべて、アズニャマッタナ民族の土地である。そこはスピリチュアルな土地なのだ。予定地にはいくつもの泉がある。古代からの古墳の泉もある。アボリジニの手による何千という数え切れないほどのさまざまな造形物もある。私たちの祖先もそこに眠っている。

予定地に沿って流れているフーキナクリークは、女性たちにとって非常に重要な場所である。遺産として登録された場所であり、保全され、保護されなければならない。私たちは、この地域、この土地、そこで暮らす生き物たちへの責任を負っている。

私たちの土地に放射性廃棄物の処分場が作られることを望まない。それらの廃棄物がここに来たら、この土地の環境、私たちアボリジニが受け継いできた知識、私たちが生み出したもの、私たちのすべてが脅かされるのではないかと懸念している。政府が、この土地を予定地のリストから外し、今後はわれわれを尊重する態度をとることを求める」

レジーナ・マッケンジーは、候補地として挙げられていたオーストラリア各地の計6ヶ所の中から、フリンダース・レンジが選定されたというニュースを受けたときに「私たちは打ちのめされました。突然の電話で、誰かの訃報を知らされたときのようでした。私のめいが泣きながら電話をしてきて、私の心が誰かにえぐり出されたように感じました」

マッケンジーはABCテレビの取材に応じて「ほぼすべての廃棄物処分場がアボリジニのコミュニティの近くにあります。まるで、ははん、どうせ彼らは黒い人たちじゃないか、たかがアボリジニじゃないか、だから処分場はそこに作っておこう、といわれているようなものです。そんなことがいつも自分たちに降りかかり続けるというのでは、それを受け入れるわけにはいかないと思いませんか?なんで私たちをほうっておいてくれないのでしょうか」

アズニャマッタナ民族の伝統的土地所有者のジリアン・マーシュは2016年4月の声明の中でこう述べている。「オーストラリアにもともと暮らしていた人々が侵害され、あちこち追い立てられ、自分たちの家族や土地から強制的に引き剥がされ、自分たちの土地に入ることを禁じられ、土地を大切に守る権利を奪われてきた。200年以上にわたってだ。私たちの健康や福祉は第三世界のそれと同じような状態であり、刑務所は私たちの同胞でいっぱいだ。誰だって、自分の家の裏庭に有毒な廃棄物を保管したいはずがない。世界中、どこでもそうだ。私たちは、コミュニティの持続可能な未来を求めるオーストラリア中の人々、そして世界中の人々と連帯して立ち上がる。私たちは揺るがない」

フリンダース・レンジでの放射性廃棄物処分場計画を巡る闘いは、今後12ヶ月で何らかの結末を迎えるだろう。もし政府がアボリジニの人々の願いを踏みにじって廃棄物処分場を押しつけるというこの3回目の試みに失敗するならば、私たちが推測するのは、過去の形式にのっとった政府による4回目の試みが起きるだろうということだ。

■ 南オーストラリアでの廃棄物処分 1998年~2004年

南オーストラリアのアボリジニの人々が国内の放射性廃棄物処分と直面するのは、これが初めてではない。1998年、連邦政府はロケットとミサイルの試験場にほど近いウーメラに放射性廃棄物処分場を建設する計画を明らかにした。

その計画が州内で激しい議論を巻き起こしたのを見るや、連邦政府はPR会社を雇い入れた。そのPR会社と政府の間でのやり取りが「情報の自由に関する法律」の下で開示された。

あるやり取りの中では、政府職員がPR会社に対して、パンフレットで使用する写真から砂丘の部分を消してほしいと要求している。政府職員による説明は「砂丘は、アボリジニの人々の遺産へのリスペクトという観点から、デリケートな問題を引き起こす」というものだった。写真からは砂丘が削除された。政府職員が、砂丘を地平線に置き換えるよう求めたというだけの理由でだ。

アボリジニの諸団体は、廃棄物処分場として名前が挙げられた地点での試掘に同意するという遺産使用許可協定への署名を強要された。連邦政府は、もし同意が得られなくても、どちらにしても掘削は行なわれると明言した。

アボリジニの団体は、袋小路に追い込まれた。彼らが政府との話し合いに応じて協定に署名することで、特定の文化遺産を保全しようと試みることもできた。しかしそうすることは、放射性廃棄物処分場計画に同意したと強弁されてしまうリスクもはらんでいた。あるいは、彼らはこのプロセスそのものを拒否することもできたが、そうすれば文化的な遺産を守る機会を失ってしまうことになる。

アボリジニの諸団体はついに遺産使用許可協定に参加した。そして懸念されていたとおり、このプロセスへ参加したことで、連邦政府によってくり返し「アボリジニの人々が処分場建設に合意した」とい恣意的な読み替えが行なわれた。

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南オーストラリア州北部のアボリジニ女性たち

■ いくらお金を積まれても、私たちは土地を売り渡さない

2002年になると、連邦政府はアボリジニの処分場への反対の意思を金で懐柔しようとした。コカタ民族、クヤニ民族、バンガラ民族という「ネイティブ・タイトル権」(訳注:オーストラリアのアボリジニおよびトレス海峡諸島民の伝統的な慣習法に基づく土地に関する権利)をもつ3つの民族は、彼らのネイティブ・タイトル権を90000ドルで放棄しないかと持ちかけられた。しかし3つの民族がすべて合意するなら、という条件の下であった。

政府の提案は拒否された。コカタ民族の伝統的土地所有者であるロジャー・トーマスは「あまりにも暴力的だった。私は連邦政府の役人に対して、90000ドルで私たちの土地と文化を売り渡せというような提案を持ちかけるなどという、私たちへの侮蔑的で無礼な態度を止めるように言った」

同じくコカタ民族のアンドリュー・スターキーは、「あまりにも恥知らずなやり方だった。彼らははした金をちらつかせて、私たちに文化的な遺産への権利を放棄させようとしたんだ。金をどれだけ積まれようとも、私たちはそんなことはしない」

2003年になると、連邦政府は1989年の土地収用法を行使して、処分場のための土地を獲得しようとした。アボリジニの人々への事前の通告や相談をまったく行なわずに、このようなことが行なわれた。

■ 次に起きたこと:いかさまの協議

処分場に反対する闘いを先頭に立って引っ張ってきたのが、「クバピディ・クンガジュタ」(南オーストラリア北部のアボリジニ女性たちの反核住民組織)だった。クンガ民族の人々の多くは、1950年代にマラリンガとエミューフィールドで行なわれたイギリスの核実験の影響に苦しんでいた。

政府がアボリジニの人々との協議と称して行なったアプローチは、2002年に漏洩した文書の中で明らかになった。その文書では「先住民の聴衆の心を動かす戦術は、現在大規模に行なわれている先住民グループとの協議によって十分な情報が得られるだろう」。言い換えれば、そのいかさまの協議は、政府による処分場推進プロパガンダに照準を合わせるために使われたのだ。

こうした政府による冷笑的で侮蔑的な戦術は、先住民族の権利に関する国連宣言の29条に相いれないものだ。そこには「先住民族の土地や領地においては、先住民の自由かつ事前に十分な情報を得た上での同意がなければ、有害な物質の貯蔵あるいは処分は決して行なわれない」と書かれている。

このいかさまの協議の問題は、これまで何度もくり返し起きている。最近では、王立委員会(後述)による「放射性廃棄物処分の安全性に関する信頼関係の構築」に関する議論がそのよい例である。南オーストラリア州西部のセドゥナを代表するアボリジニと非アボリジニの代表たちからなる「西マレー保全グループ」は、このひどい攻撃にこう応答している。

「私たちは、この問題が皮相的で攻撃的なものだととらえている。多くの人々が自分たちの時間とエネルギーをつぎ込んで放射性廃棄物について調査したり考えたりしてきた。「クバピディ・クンガジュタ」を構成してきた女性たちも、ウーメラでの低レベル放射性廃棄物処分場建設計画に対して立ち上がって何年も闘ってきた。

彼らがなぜ放射性廃棄物処分場を受け入れなかったのか。それは、事前に信頼関係を構築するために行なわれた「プロセス」が不十分であったからだけではない。

A)一人ひとりの個人が、長年にわたって継承されてきた文化的な叡知が汚されるような毒から土地を大切に守るために深く関わっているのであり、

B)アボリジニの人々やその家族は、まずもってエミューフィールドとマラリンガでの核実験、そしてオリンピックダムでのウラン採掘によって、すでに放射能の影響を直接的に経験し、また経験しつつあるからであり、

C)彼らは「未来の世代のために生命を持続可能なものとすることが何よりも重要なことだ」という世界観のもとで暮らしているのであり、あらゆる側面において危険かつ長期間に及ぶ汚染をもたらす原子力産業の特徴とは相容れない。

「クバピディ・クンガジュタ」の女性たちは、連邦政府に対して「ポケットから耳を取り出してこちらの言うことを聞く」ことを要求し続けた。そして、6年たって、やっと政府はそうした。2004年の総選挙を前にして、廃棄物処分場の問題が政治的にも大きな焦点となってきていた。そして、「政府は土地収用法の緊急条項を違法に行使した」との判断が連邦裁判所で出されたことを受けて、政府はこの処分場計画を放棄した。

クンガ民族の人々は公開書簡の中でこう書いている「だれもが、たった数名の女性たちだけで政府に勝つことなんかできないといいました。私たちはただ彼らに、ポケットにしまいこんでいる耳をとりだして私たちの話を聞きなさいと訴え続けたのです。私たちは、あきらめるとは決して言いませんでした。政府の側には、金の力で道筋をつけるだけの力があったのでしょうが、私たちはあきらめませんでした」

■ マラリンガ核実験場での、ずさんきわまりない除染の実態

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マラリンガでかつて働いていた内部告発者のエイボン・ハドソン。1957年10月9日に27キロトンのイギリスのプルトニウム爆弾がさく裂したタラナキにて

1998年から2004年にかけて南オーストラリアで行なわれた廃棄物処分場に関する議論は、同じ州の中で起きていたマラリンガ核実験場でのずさんきわまりない除染の問題に関する論争とオーバーラップすることとなった。

イギリスは1950年代にオーストラリアで核実験を12回実施し、そのほとんどがマラリンガで行なわれた。1985年の王立委員会は「核実験が行なわれていた頃のアボリジニの安全を守るための対策は『無知、無能、冷笑的』なものであった」とした。

オーストラリア政府による1990年代後半のマラリンガでの除染作業は、ひどいものだった。できるだけ安く上げることを念頭に行なわれ、プルトニウムによって汚染された廃棄物は、地質学的に不安定な場所の浅くてコンクリートで裏打ちされていない穴に埋められた。

原子力技術者であり内部告発者でもあるアラン・パーキンソンはこの除染について「マラリンガで行なわれたことは、白人の土地であれば絶対に行なわれないような安っぽくて始末におえないものだった」と。

原子力規制機関である「放射線防護および原子力安全庁」のゴフ・ウイリアムス博士は、流出した電子メールの中で、マラリンガの除染を「無分別とやっつけ仕事と隠蔽の連続」だったと表現している。

核物理学者のピーター・ジョンストン教授は「プロジェクトのマネジメントが不備であったために、経費の大幅な増大や重篤な被害があった」としている。

ジョンストン教授らは、学会で発表した論文の中で、除染に関する意思決定から伝統的土地所有者が排除されてきたことを指摘した。伝統的土地所有者は協議の場に代表を送っていたが、重要な決定は協議委員会やそのほかのあらゆる伝統的土地所有者との個別的な議論もないままに行なわれた。重要な決定とは、たとえばガラス固化したプルトニウム汚染廃棄物をコンクリートで固めない穴に浅く埋設することなどである。

連邦政府の閣僚であるニック・ミンチン議員は2000年5月にマスコミに対して「マラリンガ・ジャルジャ民族の伝統的土地所有者は、プルトニウムを地下深くに埋設することはこの廃棄物を安全に取り扱うためにふさわしい方法だと合意した」と話しているが、プルトニウム汚染廃棄物は地中深くには埋設されなかったし、ジャルジャ民族の伝統的土地所有者らはコンクリートで固めない穴への廃棄物埋設に合意していない。実際のところ、彼らは大臣に書簡を送って、自分たちとその決定は無関係だと明確に指摘している。

マラリンガの除染から10年程たってから、汚染廃棄物が埋設された85ヶ所のピットのうち19ヶ所において、土地の侵食や地盤沈下が認められたとの調査結果が発表された。

放射能汚染が残されたにもかかわらず、オーストラリア政府は、汚染された土地への責任を放棄して、マラリンガのジャルジャ民族の伝統的土地所有者らにそれを丸投げしてしまった。政府としては、この土地の移譲を「和解の行動」だといっている。

しかし、それは和解などではなかった。それは、相手を見下す行為だった。真の問題は1996年に明らかになった政府文書の中に書かれていた。「除染の目的は、残された汚染から発生する英連邦の損害賠償額を減らすことだった」

■ 北部準州における放射能の身代金? 賠償金?

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マカティーの伝統的土地所有者、カイリー・サンボ

2004年に南オーストラリアの人々が勝利した後、連邦政府は北部準州のテナントクリークから110キロ北に位置するマカティーでの廃棄物処分場計画を実現するためにおおかた10年を費やした。生活の基本的なサービスと引き換えに放射性廃棄物の処分を受け入れさせるという悪意に満ちた取引が、当初から行なわれていた。

マカティーが処分場の候補地としてノミネートされるにあたっては、道路や住居の整備や奨学金などを含む1200万ドルの補償パッケージと共に提示された。

マカティーの伝統的土地所有者であるカイリー・サンボはこの放射能の身代金に異を唱えた。「よりよい教育や奨学金を得るために自分たちの土地を売り渡すなどというのは、あまりにも愚かなことだと思います。それらは、オーストラリアの国民であれば誰でも享受すべきものなのですから」

アボリジニの伝統的土地所有者グループの中には処分場を支持するものもいたが、大多数は処分場に反対しており、その中の何人かが連邦裁判所で訴訟を起こして、連邦政府と北部土地評議会によるマカティーの予定地指名の問題点を法廷で争うことにした。

保守連合政権は「2005年放射性廃棄物管理法」を制定した。この法律は、アボリジニ遺産法に優先するもので、アボリジニ土地権法を弱体化させ、アボリジニへの相談や合意形成なしに放射性廃棄物処分場を押しつけることを可能にするものであった。

労働党はこの放射性廃棄物管理法に反対した。労働党の議員はこの法律を、極端、傲慢、強権的、哀れ、浅ましい、あまりにも破廉恥、などと評して批判した。2007年の党全国大会において、労働党は全会一致でこの法律に反対することを決めた。

しかし2007年の総選挙で勝利したあと、労働党政府は結局「2010年放射性廃棄物管理法」を制定した。この法律は、前の法律と同じくらい強権的なもので、処分場の建設にあたってアボリジニへの相談や合意は必要ないという内容を含むものだった。より正確に表現すれば「予定地の指名は、アボリジニへの相談や合意がないからといって無効にはならない」という文面であった。

オーストラリアにおける放射能のレイシズムは、2党に共通するものである。労働党も野党自由党もこの法律に賛成した。恥知らずなことに、北部土地評議会もこの法律に賛成し、本来なら代表であるはずの国民の力を奪うことに貢献した。

2008年2月13日、労働党のケビン・ラッド首相は議会において、政府として初めて公式にアボリジニの人々に謝罪した。「盗まれた世代」(訳注:1869年から少なくとも1969年まで行なわれた、アボリジニの子どもが親元から引き離されて白人家庭や寄宿舎で養育されるという政策)の一人であるローナ・フェジョの生涯の物語を大きくとりあげた。しかし同じときに、ラッド首相の政権は彼女の土地を放射性廃棄物処分場のために取り上げていたのだ。

フェジョは「私は、本当に心の底からがっかりし、この法律が成立したことに心を痛めました。本当に悲しく思いました。私たちはいったい何時になったら公平なスタートラインに立つのでしょう。オーストラリアは平等な国のはずではありませんか? 私は母親から引き離されて育ち、いまは土地を奪われようとしているのです」

■「あまりの喜びに心が躍りました」

2014年6月、マカティーでの勝利を祝うマーリン・ヌンガライ・ベネットとナタリー・ワズリー
2014年6月、マカティーでの勝利を祝うマーリン・ヌンガライ・ベネットとナタリー・ワズリー

連邦裁判所での裁判は、とうとう2014年に始まった。2週間にわたる法廷での証言の後、北部土地評議会はこの裁判を闘うことをあきらめ、マカティーを処分場として指名することから撤退した。マカティーで闘ってきた人々の大勝利だった!

この発表は、北部土地評議会と政府関係者が法廷で反対尋問に立つことになっていた日の数日前になされた。彼らが撤退したことによって、北部土地評議会や政府は、裁判の最初の2週間で明らかにされた数え切れないほどのさまざまな不正(たとえば、北部土地評議会が文化人類学者の報告書を書き換えたことなど)についての反対尋問を受けなくてもよいこととなった。

カイリー・サンボは言う。「北部土地評議会は、自分たちが本当は何をしたのかについて屈辱的な尋問を受けたくなかったのではないでしょうか。でも、彼らがあきらめたのはよいことです。私たちにとってはとてもよかった」

ローナ・フェジョは「嬉しくてうっとりします。私たちの土地を守るためのあまりにも長い闘いが終わったのですから、とても自由になった気がします」

マーリン・ヌンガライ・ベネットは、マカティーでの勝利をこれまでに達成された有名なアボリジニの人々の闘いの勝利の記憶と比べてこういった。「今日のこの勝利は、オーストラリアの先住民の歴史の本の中で特筆されているいくつものできごとと並ぶものとして描かれるでしょう。私たちはこの土地のために一歩も引かずに立ち上がると示しました。北部土地評議会は私たちを分裂させて征服しようとしましたが、うまくいかなかったのです」

ダイアン・ストークスは「勝利したことで、みんなが喜んでいます。私たちは、勝利にたどり着くために本当に長い間闘ってきました。オーストラリアのどこかで誰かが放射性廃棄物処分場と闘うために助けを必要としているなら、私たちはそこへとんでいって処分場との闘いを助けます。私たちは自分たちの闘いの中で本当に多くの支援を受けたので、もし誰かが助けを呼んだら、私たちはすぐにそこへ行きます」

■ オーストラリアが世界の放射性廃棄物処分場に

いま、南オーストラリア州のアボリジニの人々は、国内の放射性廃棄物処分場の押しつけに直面していると同時に、13万8000トンの高レベル放射性廃棄物と39万立方メートルの中レベル放射性廃棄物を輸入して貯蔵、処分するという計画にも直面している。

この計画は、南オーストラリア州政府によって推進されている。州政府は昨年、王立委員会を設立した。「独立した肯定的な助言」を取り繕いとして得るためのものである。この王立委員会の委員は原子力推進であり、専門家による諮問委員会のほぼ大部分のメンバーが、金切り声を上げて推進を叫ぶような人たちばかりだった。

ある人物は、原発は太陽光発電より安全だと主張しているし、もう一人は、原発と核拡散のリスクに関連性はないといっているし、もう一人は、あれほどのメルトダウンが起きたにもかかわらず福島原発事故ではそれほど深刻な問題が起きなかったといっている人物だ。

2015年3月に王立委員会の設立を宣言した際に、南オーストラリアのジェイ・ウェザリル州首相は「私たちはアボリジニのコミュニティと話し合わなければならないという規則を持っており、非常に慎重にすべき問題だ。これまで私たちは、マラリンガのジャルジャ民族の人々の土地を、イギリスの核実験の際に不当に取得して汚染させてしまったのです」と言った。

しかし、南オーストラリア州政府は、王立委員会の仕事の進め方を組織的に操作して、アボリジニの人々の市民権を剥奪している。委託事項の原案にフィードバックを行なうための時間的猶予が、非常に短い時間しか準備されなかったことで、遠隔地に住んでいる人々、電子メールやインターネットが使えないか使いにくい人々、そして英語が母語ではない人々にとっては大きな不利があった。委託事項の原案は英語のみで書かれており翻訳は行なわれなかったし、地域でのコミュニケーションも行なわれなかった。

アボリジニの人々は、王立委員会によることの進め方にくり返し不満を表明していた。いろいろな問題がある中の一つを挙げよう。

「王立委員会のやり方になぜ私たちは不満を持っているのだろうか。Yaiinidlha Udnyu ngawarla wanggaanggu, wanhanga Yura Ngawarla wanggaanggu? 英語、英語、いつも英語ばかり。いったい私たちの言語(ユラ・ンガワルラ)はどこに行ったんだ?」

委員会と市民との相互理解を深める取り組みも不十分だった。それは、あまりにも白人的なやり方で、人々を当惑させるものだった。プログラムはごく短いものだったし、情報へのアクセスも困難で、通訳・翻訳のサービスも準備されなかった。会合についてもほとんどまともに告知がされなかった。

閉鎖的で秘密主義的な方法が取られたので、平均的な一般の市民にとっても参加が困難だったのだから、アボリジニの人々にとっては、ほぼ参加は不可能な状況だった。

南オーストラリア州を世界の放射性廃棄物のゴミ捨て場にするというこの計画は、ほぼ全員一致の様相でアボリジニの人々から反対の声が上がっている。南オーストラリア州全域から多くのアボリジニ団体が結集して構成されている「南オーストラリア・アボリジニ会議」は、2015年8月のミーティングで次のような決議を行なった。

「土地や水のネイティブ・タイトル権の代表として私たちは、私たちの土地でのウラン採掘の拡大、原発の建設、放射性廃棄物の処分場建設などの原子力開発に対して断固として反対する。今日まで、私たちの多くは原子力産業による破壊的な影響に苦しみ続けているし、私たちの土地におけるウラン鉱山の展開を通して大切な土地を汚染されてしまっている。私たちは、原子力産業のさらなる拡大は、私たちの土地、人々、環境、文化、歴史に対する暴力的な破壊だと考えている。また、この国の建国の原則を含むさまざまな法制度の下での私たちの権利に対する大胆な侵害だとも考えている」

王立委員会は最終報告書の中で「アボリジニの人々から放射性廃棄物処分場への激烈な反対の意見があることを認識している」と言及している。しかし、委員会はアボリジニの人々からの激しい反対を、計画への赤信号ではなく、なんとかしてやりすごすべき障壁として取り扱っている。

■ 原発に賛成する「環境主義者」たちによるレイシズム

オーストラリアで原発に賛成する「環境主義者」を自称する人たち、たとえば王立委員会の専門家諮問委員会のメンバーであるバリー・ブルック、ウラン産業や原子力産業のコンサルタントであるベン・ハードらは、反対するアボリジニの人々の土地に放射性廃棄物処分場を押しつけようとすることについて、一言の懸念も表明したことがない。彼らが黙っているということは、自分たちが見境なく支持している原子力産業のレイシズムに関して何も気にしていないということではないか。

連邦政府が伝統的土地所有者への相談も合意形成もなしに北部準州で放射性廃棄物処分場を押しつけることを可能にする法律を通過させた際も、この二人は黙っていた。

右翼的な自由党の意見を反映させてか、ブルックとハードは北部準州の処分場予定地とされたマカティーについて「荒地のど真ん中」と表現した。彼らから見ればそうなのだろう。しかし、マカティーの伝統的土地所有者たちにとって、マカティーは自分たちのホームランドのど真ん中なのであり、それを何もない荒地の真ん中だと評することはあまりにも暴力的なことだ。

ハードが、現在処分場予定地とされている南オーストラリアのアズニャマッタナ民族の土地について話しているコメントもあまりにも暴力的だ。「この場所ではアボリジニの文化的な遺産の問題があるとは聞いていない」と。その言葉を、処分場予定地の真横にある先住民保護地区にあるヤッパラ・ステーションで暮らすアズニャマッタナ民族の伝統的土地所有者たちに伝えてみるがいい。

現在の予定地ではアボリジニの文化的な遺産の問題が存在しないなどと、いったいハードはどこからそのような考えを仕入れたのだろうか。現地を訪問したわけでもなければ、伝統的土地所有者たちに話を聞いたわけでもない。彼はただ、意味もわからずに連邦政府のレイシストたちが言うウソをまねしているだけなのだ。

ブルックとハードは、南オーストラリア州に対して、国際的な高レベル廃棄物処分場計画すら提案している。まるで、そこが自分たちの所有地であるかのように。彼らは、伝統的土地所有者たちがこの計画に対して燃え盛るような激烈な反対の意思を表明していることにも、たったの一言も触れていない。

■ 組織ぐるみのレイシズム

ビル・ショーテン労働党党首は最近、「オーストラリアにおいては、組織ぐるみのレイシズムはまだ流行からは程遠い」と発言した。しかし彼は知るべきだ。労働党も、アボリジニのコミュニティの意思に反して放射性廃棄物処分場を押しつけようとする試みを2党派がかりで推し進めたり支持したりしてきたのだ。

そして労働党も保守連合も、ウラン採掘はアボリジニの権利より重要だと信じている。アボリジニの土地権と遺産保護は、最も良い状態のときでも脆弱なものだ。その法的な権利と保護すらも、ことが原子力やウラン採掘の利害と関係する場合にはくり返し反故にされてきた。

オリンピックダム鉱山は、南オーストラリアのアボリジニ遺産法から大部分除外されてきた。

「アボリジニ土地権法」の款40(6)において、北部準州でレンジャー鉱山を除外しており、これによってミラル民族の人々が享受できるはずだった拒否権を取り上げられてしまった。

ニューサウスウエールズ州の法律では、同州のアボリジニ土地権法の条文からウラン鉱山を除外している。

西オーストラリア州政府は、「西オーストラリア州1972年アボリジニ遺産法」を、ウラン産業の利益のために骨抜きにしようとするプロセスの只中にいる。

そして、

■ 「ネイティブ・タイトル権」(土地に関する権利)は、南オーストラリアの放射性廃棄物処分場のために軽視され

■ アボリジニ遺産法と土地権は、北部準州に放射性廃棄物を処分するための圧力の中でくり返し踏みにじられ

■ そして南オーストラリアのフリンダース・レンジにおける放射性廃棄物処分場計画に、アボリジニによるほぼ全会一致とも言える規模での反対の意思が突きつけられていることを、どの政治政党も無視している。

オーストラリアのアボリジニの人々に対する、決して終わることのない原子力の戦争は、文化的なジェノサイドだといっても、過言ではないはずだ。実際、事実はそのとおりなのだから。

(訳:宇野田陽子)

ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.141より

南オーストラリアを世界の核のゴミ捨て場にすることに反対して集まった人びと。2015年5月、ポート・オーガスタにて
南オーストラリアを世界の核のゴミ捨て場にすることに反対して集まった人びと。2015年5月、ポート・オーガスタにて

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信141号(8月20日発行、B5-32p)もくじ

● オーストラリアのアボリジニの人々が立ち向かう、放射性廃棄物をめぐる戦争
(ジム・グリーン)
● 台湾「第四原発凍結予算」5億元削除!(原発廃止全国プラットフォーム)
● トルコ、2つの裁判闘争とアックユ原発プロジェクトの再開
● クダンクラム原発の引き渡しとインド政府の「感謝」(PMANE)
● 中国・連雲港で使用済み核燃料処理施設の建設に市民らが抗議
● 平岡敬元広島市長のハプチョン・テグ訪問記(高野聡)
● 核、次世代に渡せぬ 原爆投下71年 伊方原発(大分合同新聞)
● 伊方原発運転差し止め広島裁判について(堀江壮)
● 原発をとめるための2つの方法(小坂正則)
● 大間原発反対現地集会と大MAGROCK(中道雅史)
● 原発メーカー訴訟・第一審判決を受けて(島昭宏)

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★NNAF通信・主要掲載記事(No.1~141) http://www.nonukesasiaforum.org/jp/keisaikiji.htm

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

 

 

トルコ -政治的混乱の下でも原発プロジェクト加速か?- 2つの裁判闘争とアックユ原発プロジェクトの再開

専門家の現地調査が行なわれる間、原発敷地前のゲートで抗議活動を行なう人々(7月11日、アックユ)

専門家の現地調査が行なわれる間、原発敷地前のゲートで抗議活動を行なう人々(7月11日、アックユ)

トルコでは、地中海沿岸のアックユと黒海沿岸のシノップで、原発建設プロジェクトが進められている。本レポートではトルコの原発建設プロジェクトに関する最近のできごとについて報告する。

裁判闘争により、原発反対運動の活性化が期待できるかに思えた。だが、クーデター未遂事件とその後の政府の権限強化、ロシアとの関係修復により、原発反対運動にとっては厳しい状況が到来している。

■ 原発建設計画をめぐる裁判闘争

日本政府・企業も深く関わるシノップの原発建設プロジェクトに対し、裁判闘争が開始された。訴訟を起こしたのはトルコ技術者・建築家会議所、都市計画者会議所、電気技師会議所、シノップ反原発プラットフォーム、シノップ環境の友、そして地元住民らだ。

5月31日、原発建設計画は開発事業に必要な環境設計計画で示されておらず、原発建設プロジェクトの存在が人々から隠されているとして、行政裁判所で環境都市開発省に対する訴訟を起こした。

現在の環境設計計画は2015年に作成されており、その時点で2013年に日仏企業連合によるシノップ原発建設が決まってから2年が経過している。だが環境設計計画には原発建設プロジェクトが示されていない。原発が建設される予定の地域は、環境設計計画では貴重な生物の生息域として示されている 。

告訴人であるシノップ反原発プラットフォームのゼキ・カラタシュは「この訴訟はシノップだけの訴訟ではなく、トルコ全体にとっての訴訟だ。シノップの声を大きくし、国全体で力を合わせるときだ」と訴えた 。シノップでは現在、原発プロジェクトの実施可能性調査が続いている。

専門家の現地調査が行なわれる間、原発敷地前のゲートで抗議活動を行なう人々(7月11日、アックユ)
専門家の現地調査が行なわれる間、原発敷地前のゲートで抗議活動を行なう人々(7月11日、アックユ)

原発建設プロジェクトに対する裁判闘争は、ロシアの協力によるアックユ原発プロジェクトについても続いている。

アックユ原発の事業主体であるアックユ原発電力生産社は、原発プロジェクトの環境影響評価を2013年に環境都市計画省へ提出した。環境影響評価は一旦拒否されたものの、2014年12月に結局のところ承認された。

環境影響評価の承認に対し、トルコ技術者・建築家会議所やグリーンピースが、環境影響評価は十分な能力を有したスタッフによって行なわれていないことや、放射性廃棄物管理計画が不透明であることなどを訴え、2015年に訴訟を起こした。

この訴訟をめぐるプロセスの一環として、専門家による原発建設地の現地調査が7月11日に行なわれた。憲兵隊の警備する敷地入場ゲート前でNGOメンバーや地元住民らが抗議活動を続ける中、調査を行なう専門家や告訴人、弁護士らが敷地内に通された。

敷地内では調査のための用地ツアーや、会議所での会談が行なわれたという 。地質学、水生生物学、公衆衛生学、電気技術などの専門家たちは、用地選定に関する誤りや計画の非経済性などを専門家委員に訴えた。法律家たちは、環境影響評価プロセスが法に反した形で行なわれたと訴えた。

これに対し被告側であるプロジェクト企業と環境都市計画省の弁護士は、環境影響評価報告の内容に間違いはなく、告訴人たちの訴えは具体的ではないと主張し、告訴人への回答を拒否した 。

日本では司法の判断による稼働中の原発停止の事例があるが、トルコでは係争中のプロジェクトに対して裁判所が停止命令を出すことはできない。たとえば、アックユ原発建設にも関わるジェンギズ・ホールディングによるチャナッカレの火力発電所プロジェクトに関し、肯定的な環境影響評価の取り消しを求める訴訟が2012年以降続いてきた。環境影響評価は行政裁判所によってくり返し撤回させられたが、4回目の環境影響評価に対する訴訟は受理されなかった。環境影響評価が3度にわたって撤回させられた裁判プロセスの間も、火力発電所の建設は絶え間なく続けられた 。

■ 2016年7月のクーデター未遂と非常事態宣言

7月15日夜、トルコ軍兵士の一部が反乱を起こし、クーデターを宣言した。だが市民の抵抗などにより反乱は翌日にはほぼ鎮圧され、一時は危機に陥ったエルドアン大統領も復権を果たした。

クーデター未遂の背景について全ては明らかになっていないが、政権は米国在住トルコ人宗教指導者ギュレン氏とその信奉者による犯行であるとし、非難を強めている。ギュレン氏の信奉者と見られる人々への厳しい取り締まりや関連組織の閉鎖が続けられる中、エルドアン大統領や与党の支持者らが大規模なクーデター抗議集会をくり返している。

7月20日には「テロ組織関係者を排除するため」として3か月間の非常事態が宣言された。大統領を議長とする閣僚会議は国会審議を経ずに政令を発することができるようになるなど、エルドアン大統領は大きな権力を手にした。国内には政権に批判的なことを発言しにくい雰囲気が広がっている。

非常事態宣言に関連して、トルコ西部イズミール地方の環境都市開発管理局は、廃棄物処理場や養鶏場など9件の開発計画について、非常事態宣言の期間中、環境影響評価報告は必要ないと発表した。この決定は投資事業の停滞を防ぐためだという 。非常事態宣言は自然環境を保護するためのプロセスにも影響を与えている。今後、原発建設計画になんらかの影響が生じることも考えられる。

■ ロシアとの関係修復

8月9日、エルドアン大統領はロシアを訪問し、プーチン大統領との会談を行なった。

両国は対シリア政策を巡って対立していたが、昨年11月にシリア国境でトルコ軍がロシア軍機を撃墜して以降、関係悪化が深刻化していた。両国は相互に経済制裁を発動し、ロシア側は制裁の一環としてアックユ原発プロジェクトの停止もちらつかせていた。

両国関係の全面的回復で合意した今回の会談では、アックユ原発プロジェクトも主要な話題の一つとなった。原発建設の再開が確認されたほか、原発プロジェクトに戦略的な投資インセンティブが与えられることになった。原発建設プロジェクトには関税免除、保険割引、有利な土地割り当て、有利な貸し付け率、付加価値税の払い戻しなどのインセンティブが与えられ、全体で90%もの税割引を得ることが可能だという 。

(記事/写真:NNAFJ事務局)  ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.141より

ⅰ T.C. Çevre ve Şehircilik Bakanlığı. “Sinop – Kastamonu – Çankırı Planlama Bölgesi”. http://www.csb.gov.tr/gm/mpgm/index.php?Sayfa=sayfaicerik&IcId=497. Accessed 13 August 2016.
ⅱ VİTRİN HABER. Nükleer Karşıtları Dava Açtı. 2 June 2016. http://www.vitrinhaber.com/cevre/nukleer-karsitlari-dava-acti-h15618.html. Accessed 13 August 2016.
ⅲ Yeşil Gazete. Akkuyu bilirkişi keşfi göstermelik mi?. 13 July 2016. https://yesilgazete.org/blog/2016/07/13/akkuyu-bilirkisi-kesfi-gostermelik-mi/. Accessed 13 August 2016.
ⅳ BİR GÜN. Nükleer felakete bir adım daha. 12 July 2016. http://www.birgun.net/haber-detay/nukleer-felakete-bir-adim-daha-119523.html. Accessed 13 August 2016.
ⅴ BİR GÜN. Akkuyu NGS keşfi: ‘Nükleer karşıtı mücadele bir Sisifos Görevi mi?’. 13 July 2016. http://www.birgun.net/haber-detay/akkuyu-ngs-kesfi-nukleer-karsiti-mucadele-bir-sisifos-gorevi-mi-119813.html. Accessed 13 August 2016.
ⅵ Umut. OHAL doğayı da etkiliyor: 9 ‘ÇED Raporu gerekli değildir’ kararı verildi. 30 July 2016. http://umutgazetesi2.org/ohal-dogayi-da-etkiliyor-9-ced-raporu-gerekli-degildir-karari-verildi/. Accessed 13 August 2016.
ⅶ Milliyet. Akkuyu’ya % 90 vergi indirimi. 11 August 2016. http://www.milliyet.com.tr/akkuyu-ya-90-vergi-indirimi-ekonomi-2292899/. Accessed 13 August 2016.

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信141号(8月20日発行、B5-32p)もくじ

● オーストラリアのアボリジニの人々が立ち向かう、放射性廃棄物をめぐる戦争
(ジム・グリーン)
● 台湾「第四原発凍結予算」5億元削除!(原発廃止全国プラットフォーム)
● トルコ、2つの裁判闘争とアックユ原発プロジェクトの再開
● クダンクラム原発の引き渡しとインド政府の「感謝」(PMANE)
● 中国・連雲港で使用済み核燃料処理施設の建設に市民らが抗議
● 平岡敬元広島市長のハプチョン・テグ訪問記(高野聡)
● 核、次世代に渡せぬ 原爆投下71年 伊方原発(大分合同新聞)
● 伊方原発運転差し止め広島裁判について(堀江壮)
● 原発をとめるための2つの方法(小坂正則)
● 大間原発反対現地集会と大MAGROCK(中道雅史)
● 原発メーカー訴訟・第一審判決を受けて(島昭宏)

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「第四原発凍結予算 」5億元削除! (台湾第四原発廃炉への大きな一歩)

東芝・日立が原子炉を輸出した台湾第四原発は、ほぼ完成していたが、2014年4月27日、5万人のデモ隊が台北駅前の8車線道路を15時間占拠し、稼働を阻止。凍結にもちこんでいた。2016年7月28日、台湾立法院(国会)で、凍結にかかわる予算が削除され、廃炉に大きく近づいた。

ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.141より

141-10

「第四原発凍結予算*1 」5億元削除!

台湾・原発廃止全国プラットフォーム(全國廢核行動平台)

7月28日に開かれた立法院臨時会で台湾電力の予算審議が行なわれた。時代力量*2 による第四原発凍結予算を削除する提案は、異議なしで可決された。その内容はおよそ以下のようなものだ。
「もともと第四原発凍結予算とは、稼働する可能性を残しておくために立てた。しかし現に新政権のエネルギー政策が固まり、もう稼動しないとの方針が決まった以上、台湾電力としては、凍結計画を取りやめるべきだ。すでに支出した部分はいいとして、新しい予算を組むべきではない。

そして2016年度に第四原発廃止計画を策定し、2017年度に必要最低限の経費と人手で敷地や関連設備の管理を行ない、廃止に向かうといった段取りをとる必要がある。

よって、時代力量会派は、民進党政権が掲げた『2025年原発ゼロ社会』との目標を成し遂げるため、凍結計画のもとで派生された2016年度のメンテナンスや敷地管理などの費用、合計5億元(約16億円)の削除を求める」

今年3月の定例デモにおいて、原発廃止全国プラットフォーム(全國廢核行動平台)は、「凍結なんかいらない、第四原発を廃炉にせよ」と訴えた。7月26日に、立法院前で会見を開き、各会派に対し、第四原発凍結予算を全額カットしようと呼びかけた。時代力量はすぐに賛同し、立法院臨時会で予算削除の提案をした。それをうけ、民進党会派は、現在の予算が改選前の立法院で成立されたもので、また一部の経費はすでに上半期で支出したとし、全額でなく、残りの予算を削除との案を打ち出した。

全額削除できないことを非常に残念に思う。大半の予算が支出されたのは仕方ないが、稼動の可能性を残しておくための凍結計画をさらに進めるわけにはいかないのだ。よって、残りの予算をカットするほかに、来年度から凍結予算を組まないことを明文化し、凍結計画そのものを取り下げるべきと主張する。また今年は、できるだけ早く第四原発廃止計画を策定するための準備作業をスタートさせ、市民参加を取り入れ、現実味のある具体的なプランを練ることを期待する。(訳・注、陳威志)

注*1:2015年7月1日、長い間懸案だった台湾・第四原発が「運用凍結」された。台湾では、その「凍結」を新しい表現「封存」で表現してる。英語でいうと「seal off」になるようだが、つまり、稼働を完全に諦めるわけではなく、部品を「封印」した形で稼働の可能性を待つ、という意味。3年間にわたる「凍結計画」には34.44億元の予算が組まれて、2016年度は13.6億元。

*2ひまわり運動から生まれた政党。2016年1月の立法委員選挙では、小選挙区3人、比例代表2人、合わせて5人が当選。第3党として注目されつつある。

★5万人が台北駅前を占拠、馬英九政権「第四原発、稼動・工事凍結」を宣言 http://www.nonukesasiaforum.org/jp/128a.htm

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トルコ「原発建設を民意で止める」 メティン・ギュルブズ氏 インタビュー

ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.140より140-3s

2016年4月24日、チェルノブイリ原発事故から30年を迎えるのに合わせ、トルコ北部の街シノップで原発に反対する集会とデモが開催された。シノップでは、アレバ・三菱による原発建設が予定されている。だがシノップを含むトルコの黒海地方はチェルノブイリ原発事故による放射能汚染も経験しており、住民による原発反対運動が続いている。

シノップでは毎年、チェルノブイリ原発事故の起きた4月に合わせ、シノップ反原発プラットフォームが大規模な反原発集会を呼びかけている。今年はアンカラやイスタンブールで爆破事件が相次いだため、会場には多数の警官による厳重な警備体制が敷かれていた。しかし、全国から約8千人の参加者が集まり、集会は終始、祝祭的な雰囲気で行なわれた。ステージでは地方議員や環境活動家らがスピーチを行ない、「原発と私たちは共存できない」「シノップにも、トルコのどこにも、そして世界のどこにも原発はいらない」などと訴えた。集会前には参加者がシノップ市街地をデモ行進し、会場に面した海岸では地元漁師らが漁船に反原発の横断幕を掲げてアピールした。また、会場では原発の風刺画展も開催され、住民らによる作品が展示された。

140-4s

シノップ反原発プラットフォームのメンバーであり、福島での第17回ノーニュークス・アジアフォーラムにも参加したメティン・ギュルブズ氏へのインタビューを行ないました。以下はその内容の一部を編集したものです。

140-2

― シノップでの反原発運動は、いつどのように始まったのでしょうか。

シノップでの原発建設計画は、1970年代から断続的に続いてきました。1970年代後半には、シノップのインジェブルンで原発建設に向けた調査が行なわれました。しかしこのとき反対運動は存在しませんでした。何の調査が行なわれているのか、住民の誰も知らなかったのです。

1986年4月26日、チェルノブイリで原発事故がありました。トルコの黒海地方は、チェルノブイリからの距離が遠くはありません。黒海地方はチェルノブイリからの放射能で汚染されてしまいました。私たちの活動の原点は、このときの汚染被害にあります。

シノップ反原発プラットフォームは1994年に設立されました。設立時の反原発プラットフォームは、職業・労働団体、政治政党、共同組合など23の団体から構成されていました。署名活動や、シノップ住民やトルコ市民への啓発活動などを行なってきました。

原子力庁がシノップを原発予定地と正式に発表した2006年には、チェルノブイリ原発事故の日に合わせ、4月に大規模な反原発集会を開催しました。人口約3万6000人だったシノップで、2万人もの参加者が集まりました。それから毎年、シノップ反原発プラットフォームはチェルノブイリ原発事故の日に合わせて反原発イベントを開催してきました。2011年の福島原発事故後は、福島を津波が襲った日に合わせ毎年3月11日にもシンポジウムや記者会見を行なっています。

トルコの原発建設計画は、現地の住民に何の説明もないまま進められています。トルコは日本と同じように、地震の頻発する国です。シノップでは住民の3分の2が原発に反対で、私たちの反原発運動を支持しています。反原発集会には、子供から高齢者まで、住民が家族ぐるみで参加します。原発建設をめざす人々は、シノップの人々が原発を拒否していることに気づくべきです。

140-1s

― 原発反対の民意で、政治を動かすことはできるのでしょうか。

それは可能です。私たちはアルティヴィンやゲルゼで、民意が政治を動かす例を見てきました(注)。政権がいくら原発を望んでも、トルコにはそれに反対する民意が存在しています。民意が望まないプロジェクトを進めることは、非常に難しいでしょう。

現政権は増加する電力需要を賄うためと言って原発の必要性を宣伝していますが、政府の電力需要予測は過剰な見積もりです。さらに、トルコには電力効率改善の余力や再生可能エネルギー利用の大きなポテンシャルがあります。電力を補うために原発が必要なのではありません。原発を持つことは、数ある選択肢の中からの、現政権による政治的な選択です。共和人民党や人民民主主義党といった野党は、この選択に反対しています。つまり政治を動かすことで、原発を持たないという選択も可能なのです。

― シノップに原発輸出を計画する日本に対して、どのような思いを持っていますか。

日本を地震と津波が襲ったとき、ニュース映像を見ながら、自分自身もそれを経験しているかのような恐ろしさを感じました。トルコでも地震が起きるので、私たちはその恐ろしさをよく知っています。

福島原発事故はまだ続いています。環境の放射能汚染が続いており、日本の人々は事故の起きた地域の作物を食べることができません。福島の原発からは、大量の汚染水が海へ流れ続けています。そして日本は原発事故の後、50基近くあった国内の原子炉を停止しました。原発は日本社会にとってリスクが大きすぎるからです。他方で、日本政府は原発を他国に売ろうとしています。これは受け入れ難いことです。

私たちは日本に対する好感を持っていますし、コンピューターや家電など、日本製品の良さも知っています。しかし日本製の原発が欲しいかというと話が違います。

日本人は私たちの兄弟であり親友です。日本製品や日本政府に対するボイコットは行ないたくありません。私たちと日本の人々の間には何の問題もないのです。しかしトルコで日本企業による原発建設計画が進めば、私たちは何らかの行動をとらなければならなくなるでしょう。日本政府や企業の動きを用心深く見極める必要があります。

(注)トルコ北東部の街アルティヴィンでは、1980年代から金鉱開発が計画されている。環境への悪影響を懸念する住民による反対運動が1995年に始まり、現在も開発に抵抗を続けている。シノップ県のゲルゼでは、石炭火力発電所の建設計画に対する住民の反対運動が、2012年の計画中止まで続いた。

(聞き手・編集:NNAFJ事務局)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信140号(6月20日発行、B5-26p)もくじ

●トルコ「原発建設を民意で止める」メティン・ギュルブズ氏インタビュー
●韓国・高レベル核廃棄物処分場計画、全面白紙化しろ!
(脱核地域対策委員会、核のない社会のための共同行動)
●南オーストラリア州での放射性廃棄物処分場計画(ジム・グリーン)
●南オーストラリア州のバーンディウータに放射性廃棄物処分場計画
●ロシアとミャンマーが原子力技術で実務機関を設立へ
●インドの「核の夢」が、ジャールカンド州の先住民に悪夢をもたらす
(プレルナ・グプタ、クマール・スンダラム)
●フランスの原子力産業の大規模な汚職事件を受けて、
モディ政権はジャイタプール原発計画を見直せ!(CNDP)
●米印首脳:インドにおけるWH社製原子炉建設で準備作業開始を歓迎
●アメリカとの原子力取引は、インドの人々と環境の破壊につながる(CNDP)
●福島原発災害語り部行脚 ~タイ編(藤岡恵美子)
●大地動乱の時代の真っただ中、伊方原発再稼働のバクチを許すな(小倉正)
●ここに来たのはきっと誰かに呼ばれたから(とーち)

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第17回NNAFインド参加者のNo Nukes Dayスピーチ ― 「原発のない未来へ!3・26全国大集会」 (代々木公園)にて ―

ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.139より

139-8

ラリターさん、アミルタラージさん

ラリター:ナマステ、サラアム、こんにちは。インドより挨拶を申し上げます。私はラリター・ラームダースです。40年以上、原発と核兵器をなくすために、たたかってきました。

私はアリバッグという村に住んでおり、この村はムンバイから100キロ南にあります。ここにはインドで最も古い原発であるタラプール原発があり、非効率性と安全の面、また、コストが高いため、もうじき停止される予定です。

私の村はジャイタプールより150キロ北に位置し、そちらにはフランスのアレバ社が6基の原発を建てる予定、これが実現されるなら、世界でもっとも大規模な原発基地(990万kW)になります。インドは現在22基の原発をもっており、新たに46基の建設計画があります。

アミルタラージ:私はアミルタラージ・スティフェンです。私の村カバルキナルはロシア製のクダンクラム原発からわずか15キロしか離れていません。1・2号機が稼働していますが、電力生産は微々たるもので、運転停止が多いです。しかし政府は、3・4号機の契約を結びました。

周辺の村の多くは漁村であり、クダンクラム原発によって既に深刻に悪影響を受けています。住民たちは1000日以上、非暴力で大規模な反対運動をくり返してきましたが、警察によって弾圧され、「非国民」と言われ、反政府の過激派として扱われています。

福島原発事故のニュースと、日本の原発再稼働反対運動によって勇気づけられ、クダンクラム原発だけでなく、インド全国の原発にノーと言えるように運動が広がっています。

ラリター:私たちは福島に3日間滞在し、様々なゴーストタウンを見てきました。壊された農家の土地で袋づめになった汚染ゴミを多く目にしました。そして、放射能の影響から子供や老人を守ろうとしている人びとの声を聞きました。今、避難指示が解除され、汚染された故郷に戻らざれをえない状況に直面しています。私たちの胸は怒りと悲しみでいっぱいになり、同時に、福島の皆様の勇気に、元気と希望をいっぱいいただきました。

福島市民は世界にはっきりしたメッセージを発信しています。こんな危険なテクノロジーはいらないのです。

日本の市民と弁護士は日本の54基の原発のうち52基を停止させている。このことを私たちも持って帰ってインドの市民と弁護士に伝えます。このような協力関係を私たちも作っていきたいです。

福島からのもう一つ重要なメッセージがあります。福島の人々は核爆発、メルトダウン、大変な破壊を生き抜きました。この原因の原発について、電力会社も政府も完全に安全ですと約束していました。この死と破壊の原因の原発を、なんで、インド、トルコなど他の国に売るのですか?

インドで闘争している人びとから日本の総理大臣へのメッセージをお伝えします。日印原子力協定をやめてください。この協定はインドの数百万人とインドの美しい環境に破壊だけをもたらします。

日本の市民にもお願いがあります。日本政府にこの死の商売をやめるように圧力をかけてください。同時に私たちはインド政府にプレッシャーをかけます。
もちろん日本国内でも原発をやめてください。

インドの開発について、日本に協力してもらえる方法はたくさんあります。日本の技術と知識をぜひシェアしてください。原発ではない貿易を進めましょう。
私たちは、福島とクダンクラムの、女性、子供、孫を守るための彼らの歴史的な反核運動に深い敬意を表します。

最後に、日本のみなさまに覚えていただきたいことにふれます。それは日本国憲法第9条です。ここで忘れてはならないことは、原発と核兵器の密接な関係です。原発のもうひとつの目的は、使用済み燃料から核兵器を作ることです。これらは偉大なる平和主義のガンジー思想を完全に否定することも意味します。

皆様と連帯して「再稼働反対!」
私たちと一緒に「原発ゼロを!」
日印友好を永遠に!

139-20