『原発をとめるアジアの人びと』が英訳されました! The People of Asia Say No to Nuclear Power

People of Asia Say No to Nuclear Power

編著:ノーニュークス・アジアフォーラム
翻訳:アンエリス・ルアレン、ライアン・ホームバーグ
出版:YODA PRESS

【もくじ】
1. Asia’s Anti-Nuclear Movements and Japan’s Nuclear Exports
2. India: Opposition through Non-Violent Direct Action
3. Turkey: Jolted by the Memory of the Chernobyl Accident
4. Vietnam: Promoting Nuclear Power under a One-Party Dictatorship
5. Indonesia: The Joint March to Democratization
and the Anti-Nuclear Power Movement
6. Taiwan: Aiming for the Complete Abandonment of nuclear power
7. The Philippines: The Monster of Bataan
and the Tenacious People Who Stopped It
8. Thailand: Opposition to nuclear power
after the Fukushima Nuclear Disaster
9. South Korea: Stopping Nuclear Development through referendum
10. We the People of the Global Nuclear Chain
Afterword
Update on Developments in Nuclear Asia since 2015

2015年8月に出版されたノーニュークス・アジアフォーラム編著『原発をとめるアジアの人びと』の英語版が、インドの出版社YODA PRESSから刊行されました!

日本語版に掲載されている内容に加え、この4年間の経過をまとめた、アップデートの章が増補されています。この本を通じて、アジア各国で長年にわたって取り組まれてきた反原発運動の歴史と現在が、世界の多くの人々の知るところになり、これからの闘いに少しでも寄与することができれば望外の喜びです。

YODA PRESSによる紹介文を下記に掲載しました。「アジアの民衆による反原発運動の歴史をまとめた初めての書籍」と紹介していただき、身の引き締まる思いです。

ご購入をご希望の方は、お気軽にNNAFJ事務局までお申し込みください。
*価格は、1冊 1000円です。
*お支払いは、同封する振替用紙にてお願いします。送料は無料です。

NNAFJ事務局 560-0082豊中市新千里東町2-4-D3-1106
連絡先:sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp   FAX 06-6833-5323

【YODA PRESSによる紹介文】

原発はこれまで長い間、アジアで高まり続ける電力需要に対する解決策として推進され、原発を受け入れた地域にどれほどの深刻な傷を与えるかについてはほとんど顧みられることがなかった。

草の根の団体であるノーニュークス・アジアフォーラムによる本書は、アジア地域での25年間にわたる国境を越えたつながりを紐解きながら、アジア全域で広がってきた原発をめぐる議論に対する確かな入門の書となっている。

この分野で中心的な役割を担ってきたノーニュークス・アジアフォーラムは、原子力時代の黎明期から現在に至るまで、原発建設計画による苦しみを押しつけられたコミュニティ同士が、国境を越えて出会い、励まし合うパートナーシップを創出することを目的としてきた。

本書を読むと、アジア各国で原発に反対する人々が、住民投票、教育、芸術、直接行動、デモなどを通した民主的な行動によって、いかに、地域での環境やエネルギーや政治参加にまつわる自己決定をなしとげてきたのかを知ることができる。

本書は、アジアの民衆による反原発運動の歴史がまとめられた初の書籍であり、活動家、ロビイスト、政府関係者、学生、研究者、そして、この星の未来を大切に思うすべての人々にとって、必読の書となっている。

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『原発をとめるアジアの人びと』
日本語版   発行:創史社 発売:八月書館

【もくじ】
1 アジアの反原発運動と日本の原発輸出
2 インド・「非暴力・直接行動」で立ちむかう
3 トルコ・チェルノブイリ事故の記憶に突き動かされて
4 ベトナム・一党独裁のもとで進められる原発
5 インドネシア・民主化とともに歩む反原発運動
6 台湾・第四原発の完全廃止をともにめざす
7 フィリピン・「バターンの怪物」をとめ続ける不屈の人々
8 タイ・福島事故後に「国民の八割が原発反対」
9 韓国・住民投票で原発をとめる
10 核の連環の中にいる私たち(オーストラリア、マレーシア、バングラデシュ、パキスタン、ヨルダン、アラブ首長国連邦、中国、モンゴル)

1冊 1500円、送料負担します
申込み:sdaisukeアットrice.ocn.ne.jp   FAX 06-6833-5323

推薦文:河合弘之・小出裕章・鎌仲ひとみ・広瀬隆・海渡雄一・伴英幸・鎌田慧・満田夏花・ミサオ・レッドウルフ・斎藤貴男
http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

ベトナム 2原発 白紙撤回の現地を訪問

藍原寛子(福島在住ジャーナリスト)

チャム人の村の子どもたち(撮影:藍原寛子)
チャムの子どもたち(撮影:藍原寛子)

昨年12月のトルコ、今年1月のイギリス・ウェールズに先駆けて、安倍政権の原発海外輸出政策のとん挫の“のろし”となった、2016年11月のベトナムの原発計画白紙撤回。今年2月23日から28日まで、ベトナム研究者で原発問題に詳しい沖縄大学の吉井美知子教授の案内で、同大学の学生4人、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局の佐藤大介さん、上関原発止めよう!広島ネットワーク渡田正弘さん、日本インドネシアNGOネットワーク安部竜一郎さんらとともに現地を訪ねた。タイアン村と、原発建設予定地に暮らしていた先住民族チャム人(ベトナム人の増加や開発行為により、本来住んでいた海岸から山側へ追いやられた)のコミュニティにも宿泊した。

日本国内では、茨城県東海村を中心に、東海第二原発の再稼働を計画する日本原電による説明会が4月23日から始まるなど、国内原発の再稼働に向けた動きが強まっている。しかし、2011年の東京電力福島第一原発事故の破局的な被害と経済的なリスクを直視したベトナムの「白紙撤回」の背景は、一般に広くは伝わっていない。原発や核問題が、共産党の一党独裁政権下で情報管理がされてきた影響もあったと思われるが(核を巡る秘密主義は日本も同じ)、現地の人々と触れ合い、話し合うなかで得られる「体験知」は重要だ。

沖縄、福島、そして日本各地で脱原発をめざすメンバーで現地を訪ね、知識や経験の共有と信頼、そして励まし合いの中で市民の脱原発ネットワークを築き、「脱原発への勝利の方程式」を探るのが、今回の目的だ。

佐藤大介さんは、「ベトナムの白紙撤回は、長年、原発建設計画がくすぶっており反対運動も活発な隣国のフィリピン、インドネシア、タイ、マレーシアに大きな影響を与えた。『核ドミノ』につながりかねないASEANの『原発ドミノ』を防いだと言ってよい」と、その意義を語る。

■ ベトナム原発白紙撤回の経緯

ベトナム政府の原発事業は2009年、原発建設計画の国会決議に始まる。翌10年、日本とロシアに原発事業を発注。両原発はいずれも、先住民族チャム人が多く住んでいたベトナム中南部のニントゥアン省に予定された。

ロシアは国営企業ロスアトムが同省トゥアンナム県ヴィンチュオン村に「第一原発」を、日本はニンハイ県タイアン村に「第二原発」を計画。2012年ごろからは、建設予定地の契約締結、造成、送電網整備、道路建設などインフラ整備がすすめられた。

第一原発予定地ではこれに伴って住民の立ち退きがすすめられた。これに反対し続けたのが、先住民族のチャム人たちだった。チャム人の祖先は、2世紀から17世紀まで、東南アジアの海洋貿易を担ったチャンパ王国を築いた。現地には今でも多数の史跡が残っている。

2011年2月、日本原電がベトナム電力公社と原発建設に向けた協力協定を締結。その翌月にレベル7に達した東京電力福島第一原発事故が起きた。ベトナムにもその被害が伝わり、2014年1月にグエン・タン・ズン首相が建設延期を宣言。2016年、「再生可能エネルギーの伸びがあり、原発と他のエネルギー源が共存できなくなった」として、ベトナム政府は正式に原発事業を白紙撤回した。

吉井教授は、①ベトナムの財政難 ②国内の電力需要の低迷 ③原発産業の人材不足 ④推進していたズン首相の失脚 ⑤台湾の企業フォルモサによる公害事件 ⑥チャム人を中心とした先住民族、住民の反対運動 ― を要因として分析。そこには、ボトムアップの脱原発市民の力というより、共産党一党独裁政権下における政権中枢の共産党の政治家による「原発断念」の判断が大きかったという。

福島原発事故後、世界的に原発の安全対策の課題や脆弱性が大きな問題となり、安全対策費が高騰した。その問題指摘には、福島県民や脱原発市民らの動きがあった。それらが世界各地の社会運動や原発・核に対する世論形成に与え続ける影響を分析するには、ベトナム市民との交流も、今後も重要になると筆者は考える。

■ 現地視察

南部のホーチミン市(サイゴン)から両原発の建設予定地まで車で6時間。原発のために整備された大きな道路は通る車も少なかったが、日当たりの良い土地ではBPソーラー社によるメガソーラーパネル建設が進んでいた。巨大な風車も10基以上林立し、建設作業の重機が動いていた。原発が頓挫した後、整地された地域はチャム人に返されたわけではなく、新たなエネルギー産業による土地の収奪と開発事業が続いていたのだ。

「元」原発建設予定地の近くで建設中の太陽光発電(撮影:藍原寛子)

一貫して原発反対にとりくんできたチャム人の詩人インラサラ氏の息子、インラジャヤ氏は言う。「本来、チャム人にとって土地は共有地であり、全ての源。原発事故が起きても、この土地はチャム人の生きる全てだから、逃げる場所もない。それなのにチャム人の知らない間に計画が進められ、発言も抑えられた。結果的に原発計画を止められたのは良かった」。チャム人の中にある正義を感じた。

原発予定地だった漁村・風力発電(撮影:Tho Mai)

海岸周辺ではエビの養殖池がずらっと並び、出荷作業をする人々の姿があった。海岸近くで参加者がバナーをもって記念撮影。その海岸や、近くの漁港では、驚くほどの量のプラスチックごみが浮遊していた。エネルギーと環境問題、核や原発の使用済み燃料を含めた廃棄物問題。地球上でひとつらなりになり、巡り巡って今、ここにあるがままの姿で起きている、311後の出口なき環境正義の問題の重要性と深刻さを思った。

環境汚染に避難。福島原発事故は、世界中の原発立地地域に降りかかる共通の問題を見せてくれた。国家観光局のブイ・ドゥック・ギア氏は言う。「もしも原発事故がここで起こっていたらどうだったか。地域や国家への影響は甚大だっただろう」。現地の人々から原発の問題について話が聞けるようになったのも画期的なことだ。

2月23日にはホーチミン市で「2011年福島事故からの教訓」と題して、人命や環境問題に関して今回訪問した日本側メンバーと現地の市民によるシンポジウムが開かれた。そもそも集会が監視される状況下で、こうした集会の開催は異例という。参加者の一人は、「福島の現状も知ったし、原発を含めた開発問題や環境汚染を考える良い機会になった」。

(撮影:Tho Mai)

原子力産業が政府間の推進勢力や巨大資本とつながる一方で、福島原発事故後は環境や人権を護ろうとする市民やNGOの間に、被害を再発しないための新たな架け橋が広がっている。同時に原発のリスクを未然に防げた成功事例として、ベトナムの白紙撤回は大きなメルクマールとなったことも、今回の現地訪問で実感することができた。

■ 交流と励まし合い ― 福島、沖縄、ニントゥアン

現地滞在で筆者がつくづく思ったことは「この場所に原発が建設されなくて良かった」。福島県福島市で生まれ、震災前の福島の海岸、山々を見てきた筆者は、震災後は国内外に取材に出かければ、福島と現地を比べてしまう。ここでもそうだった。

ヌイチュア国立公園では、原発が経つはずだったタイアンの集落の背後の山へ、往復6時間の登山。急でクネクネとした山道の上り下りは、恥ずかしいぐらいバテバテだったが、沖縄大の1年生4人の明るい歌声に励まされ、ベトナム人留学生のホアンティタムさんに支えてもらって何とか山頂へ。そこには美しい滝。水は新鮮で冷たく飲んでも安全。下流の水田も潤す重要な水源だ。やはり、つい、原発事故後に放射能で汚染され、こんな風に登ることもなくなった山、手ですくって飲むこともなくなった湧き水、福島の山河と比較してしまう。

チャム人の村のインラジャヤ氏の家に民泊。夜、チャム人の人々が民族衣装を着て音楽と歌を披露してくれた。沖縄大学の学生たちはスマホでカラオケを流しながら、沖縄の歌を披露。筆者は民謡「会津磐梯山」を。美しい星空の下のあずまやで、チャム人たちと一緒に踊り、歌い…、夜は更けた。いつも歌っている朗らかな4人に、インラジャヤさんが言う。「辛いときに辛いというと本当に辛くなる。みんなみたいに笑って歌って吹き飛ばすのが、チャム人の方法なんだ」。ウチナーンチュとチャム人の共通点があった。

村吉留衣(むらよし・るい)さんは「沖縄に似ているところも違うところもあった。沖縄と比較して考えるという視点が自分にあることに気づいた」。上原聖(うえはら・りべか)さんも「自分は沖縄の人というアイデンティティがあることに気づいた」。自分自身を省みる体験だったという。

タムさんは「今回、先生をはじめみんなが来てくれて、ベトナム人としてありがたく思った。ベトナムが原発を作ろうとしていたことはインターネットで調べるまで知らなかったのは反省だったけれど、今回本当に良い勉強になった」と話す。宮城七珠(みやぎ・ななみ)さんも「ここにきて、『日本って何か?沖縄ってどこか?』と思った。沖縄は日本だけど、日本の文化でひとくくりにできない、沖縄の文化があることを考えさせられた」。

滞在中は沖縄で県民投票結果が発表され、米トランプ大統領のベトナム訪問もあった。移動のバスの中でも、社会、政治情勢を巡って、活発な会話が続いた。

■ 屈しない精神 ― インラサラ氏

今回、吉井教授の通訳で、インラサラ氏から話を聞くことができた。同氏は、原発が白紙撤回した背景をこう分析する。「国内外の知識人の声が大きな影響を与えた。とくに日本の首相に抗議文が送られたことは、非常に大きなインパクトだった。もちろん、福島原発事故の経緯は、原発の危険性をチャムの人々に身近なものとして知らせ、原発反対に向けて動く大きな動機になった」。

インラサラ氏は計画が浮上した段階から反対運動を続けてきた。反対運動を始めると、圧力、攻撃、そして孤立が同氏を襲う。「大金をやるから反対するのをやめろ」と言われたり、会合で無視されたり、原発安全セミナーへの招待状が来たり、執筆をしている同氏に対して「原稿を高く買う」という話も。このような手法は日本の「原子力ムラ」が使う手段と酷似している。

同氏は明言しなかったが、別の取材の中では生命に関わる危機もあったと筆者は聞いた。

それでも反原発のスタンスを鮮明にし、反原発の記事を書き続けた。「原発推進の集会に出れば、そのときの写真が流されてしまうから出席しなかった。でも、友人、知人が100人ほど集まった会合で、誰も声を掛けてくれなかったときは本当に辛く、孤独だった」。

一人で闘えた理由、同氏を支えたものは何だったのだろうか。

「原発予定地でのベトナム人の歴史と比べ、チャム人の歴史ははるかに長い。ニントゥアン省にはベトナムの半分以上のチャム人が暮らし、100カ所以上の重要な史跡やお寺がある。もしも原発事故が起きたら、自分たちにとって大事なものが失われてしまう。そう考えたら、何も怖くなくなった。とにかく必死で反対した」。

2015年から16年にかけて、ロシアの第一原発予定地内のチャム人の「ほこら」がなくなっていることが判明した。海上交易で栄えたチャンパ王国時代から伝わる、海難者をまつったものだ。ロシア企業に訴えると、「よそに移しただけ。賠償金を500万ドル(約6億円)払う」と言ってきたが、インラサラ氏らチャムの人々はこれを拒否した。こうした「文化・歴史・アイデンティティの破壊行為」によって抵抗運動が強まっていった。

米スリーマイル原発事故やソ連のチェルノブイリ事故当時と、2011年の東京電力福島第一原発事故後が異なるのは、SNS(個人のソーシャルネット通信)で一人ひとりの市民が情報を発信できるインターネット時代を迎えていたことだ。

その時代の中で、チャムの人々がこの地の大切さや原発反対の意見を訴える機会がなくても、国の外側から、その声を聞こうとする人々、その声を広く発信しようとする人々が現れた。イギリスやフランス、日本などの海外メディアや、研究者、支援のNGOなどだ。外からの応援が増えると、署名や抗議行動をすれば警察に逮捕される危険もかえりみず、チャム人の女性詩人キューマイリー氏がインラサラ氏に賛同。こうして一人、二人と、少しずつ賛同者が増えた。ベトナムでは極めて珍しい署名活動も展開され、その数は600人を超えた。

また、福島原発事故後の状況をまとめた日本語の資料などをベトナム語に翻訳し、政治家へと届ける市民のロビー活動も起きた。知り、学び、伝えることで、自分たちで選択する――市民の知力、行動力の情熱の発信地に、インラサラ氏がいた。

白紙撤回され、インラサラ氏の表情は穏やかだが、まだ笑顔は少ない。懸念材料があるからだ。「原発計画はなくなったが、予定地は整地され、電線もあって使える状態だ。ベトナム政府がキャンセル料を求められている可能性もあり、建設予定地が原発の代替としての核のゴミ捨て場として再利用されたり、別の国の企業が進出する、などということにならないよう、今後も注視していく必要がある」。インラサラ氏の闘いはまだ終わってはいない。

*本稿は筆者拙稿「白紙撤回されたベトナム原発の旧建設予定地を訪ねる」(『週刊金曜日』19年4月26日 1230号)を一部参考、引用しています。通訳、ご案内をいただいた吉井教授をはじめ、ご協力いただいた関係者の方々に御礼申し上げます。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.157より)

白紙撤回されたベトナム原発の旧建設予定地を訪ねる(藍原寛子)PDF【週刊金曜日 4.26】より

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信157号(4月20日発行、B5-28p)もくじ

・ベトナム 2原発 白紙撤回の現地を訪問 (藍原寛子)
・7回目のニントゥアン (吉井美知子)
・庶民パワーを体感できたが、滞日ベトナム人への対応が問われる (渡田正弘)
・アメリカはインドに原発を輸出するな! (民衆運動全国連合ほか)
・<韓国>福島原発事故8周年、全国で脱原発大会開かれる (脱核新聞)
・核廃棄物の公論化、出発から激しい反発、各地域で対応様々 (ヨン・ソンロク)
・トルコ人の66%が原発に反対:2018年世論調査 (森山拓也)
・誰が生み出した核廃棄物か? 何故タオ族に片付けさせるのか?(張武修)
・東アジアの脱原発型社会を構想する (佐々木寛)
・ゾンビ会社日本原電の東海第Ⅱ再稼動はさせられない! (村上達也)
・柏崎刈羽原発の再稼働阻止、廃炉に向けて (矢部忠夫)
・高浜1・2号機、美浜3号機の廃炉を求めて (安楽知子)
・3ちゃんを偲ぶ 〜命を賭けて戦った漁師〜 (柴原洋一)
・東海第二原発の再稼働認めない ― 首都圏・意見書のとりくみ  (小熊ひと美)

年6回発行です。購読料(年2000円)
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インラサラ氏・スピーキングツアー「ベトナムは原発輸入計画を中止しました!」

 

6月インラサラ氏・スピーキングツアー日程
20日(木) 辺野古など訪問、18:30 沖縄講演会(沖縄大学)
21日(金) 18:45 福島交流会(AOZ視聴覚室)
22日(土) 12:30 「日本平和学会 in 福島」分科会(福島大学)
23日(日) 福島県浜通り視察など
24日(月) 18:30 東京講演会(文京区区民会議室4Fホール) 参加費800円

共催:沖縄環境ネットワーク、沖縄大学吉井美知子研究室、原子力資料情報室、原発いらない福島の女たち、国際環境NGO FoE Japan、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン
後援:一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト、日本平和学会「3・11」プロジェクト委員会

チャム人の村の子どもたち(撮影:藍原寛子)

ベトナム政府は2016年11月、ロシアと日本による原発建設計画を中止しました。原発建設予算の倍増および財政難が中止の理由といわれていますが、内外の様々な言論活動なども影響したと思われます。チュオン・タン・サン前国家主席は白紙撤回の背景について「国民、 特に建設予定地の住民の心配が大きくなった」と述べました(共同通信2017.12.2)

先住民族チャム人の文学者であるインラサラ氏は、2012年4月に小説「チェルノフニット(チェルノブイリとフクシマとニントゥアンの意味)」を執筆しました。また、同年5月、「原発輸出は非人道的である」とする日本政府への請願書に、インラサラ氏ら多くのチャム人を含め626名が命がけで署名しました。インラサラ氏は、圧力や攻撃で命の危機に直面しながらも原発を止める取り組みを止めませんでした。

インラサラ氏はつぎのようにも述べています。「福島原発事故の多くの被災者は、我々に大災害を免れる人類の運命について覚醒を促し、それを通して、この危険で苦難に満ちた地球上に生きるすべての人類に警告してくれている」

原発建設予定地とされたニントゥアン省は、相対的に貧しい地域でチャム人が多く暮らしているところであり、福島や沖縄にもつながる「構造的な暴力を含む差別」のもとで強引に原発建設計画が進められようとしていました。

このたび、インラサラ氏を日本に招き、原発を輸出されようとした側の声に耳を傾けたいと思います。

*インラサラ(INRASARA)氏プロフィール
1957年ベトナム、ニントゥアン省チャクリン村に生まれる。ニントゥアン・チャム語書籍編集委員会、その後、ホーチミン市総合大学ベトナム東南アジア研究所に勤務。1998年よりサイゴンにてフリーライター。チャムの文化および言語を研究する傍ら、詩、小説、評論や文学批評を発表。雑誌『ダガラウ-創作・エッセイ・チャム研究』を主宰。国内外の多くの賞を受賞。2005年にはベトナムテレビ局より、年間文化人賞に選ばれる。原発建設計画が浮上した直後からチャム人の先頭に立って反対を唱え、一時は安全が脅かされるような状況に置かれた。Inrasara.com 主宰

チャム人の村の子どもたち(撮影:藍原寛子)

チラシを広めてくれる方、連絡ください → sdaisuke@rice.ocn.ne.jp
10枚とか50枚とか、郵送します

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★【沖縄タイムス6.5】より
【論壇】「原発撤回したベトナム、地元先住民族らの反対影響」
桜井国俊(沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人)

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★【週刊金曜日 4.26】より
「白紙撤回されたベトナム原発の旧建設予定地を訪ねる」(藍原寛子)PDF

白紙撤回されたベトナム原発の旧建設予定地を訪ねる(藍原寛子)PDF【週刊金曜日 4.26】より

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信157号(4月20日発行、B5-28p)もくじ

・ベトナム 2原発 白紙撤回の現地を訪問 (藍原寛子)

ベトナム 2原発 白紙撤回の現地を訪問


・7回目のニントゥアン (吉井美知子)
・庶民パワーを体感できたが、滞日ベトナム人への対応が問われる (渡田正弘)
・アメリカはインドに原発を輸出するな! (民衆運動全国連合ほか)
・<韓国>福島原発事故8周年、全国で脱原発大会開かれる (脱核新聞)
・核廃棄物の公論化、出発から激しい反発、各地域で対応様々 (ヨン・ソンロク)
・トルコ人の66%が原発に反対:2018年世論調査 (森山拓也)
・誰が生み出した核廃棄物か? 何故タオ族に片付けさせるのか?(張武修)
・東アジアの脱原発型社会を構想する (佐々木寛)
・ゾンビ会社日本原電の東海第Ⅱ再稼動はさせられない! (村上達也)
・柏崎刈羽原発の再稼働阻止、廃炉に向けて (矢部忠夫)
・高浜1・2号機、美浜3号機の廃炉を求めて (安楽知子)
・3ちゃんを偲ぶ 〜命を賭けて戦った漁師〜 (柴原洋一)
・東海第二原発の再稼働認めない ― 首都圏・意見書のとりくみ  (小熊ひと美)

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上関にもベトナムにも原発はいらない!― 祝島の現状と、ベトナム訪問報告―

お話;渡田正弘さん(上関原発止めよう!広島ネットワーク)

5月12日(日) 14:30~16:30 (14:00開場)

新大阪丸ビル本館 710号(JR新大阪駅東口より2分) 800円

原発予定地だった漁村にて(たらい舟)

ベトナム政府が2016年に、ロシアと日本が輸出予定だった原発建設計画を中止したことは日本でも広く報じられました。中止の一番大きな理由は財政難とされましたが、ベトナム内外でのさまざまな言論活動も計画中止に大きな影響を与えたことが知られています。

2月、渡田さんはそうした現地の状況を視察するためベトナムを訪問しました。原発問題についての画期的な集会への参加、原発に反対する作家インラサラ氏との交流、そして原発予定地だったニントゥアン、先住民族チャム人の村も訪れました。

「日本が原発建設を予定していたタイアン村は、上関原発に反対し続けている祝島を連想させる美しい場所でした。すれ違った村民の女性も笑顔を返してくれました。原発反対のバナーを広げての写真撮影ができたことも画期的でした」と語る渡田さんは、上関原発建設計画に反対する活動にも精力的に関わっておられます。

上関原発を建設するために予定地「田ノ浦」がまさに埋め立てられようとした2010年12月~11年2月に、毎日のように現地に駆けつけ、体を張って埋め立てを阻止しようとする祝島の女性たちや漁船団とともに最前線でたたかいました。

上関原発の反対運動に長くかかわってこられた渡田さんの目には、ベトナムの姿はどのように映ったでしょうか。ベトナム訪問報告とともに上関原発計画の今についても最新情報を伺います。

原発予定地だった漁村・風力発電(撮影:Tho Mai)

*渡田正弘さん:1970年代に東京で「台湾の政治犯を救う会」活動に従事。環境NGO「市民フォーラム2001」スタッフを経て、現在「グローバリゼーションを問う広島ネットワーク」事務局長。

祝島の漁船団

白紙撤回されたベトナム原発の旧建設予定地を訪ねる(藍原寛子)PDF【週刊金曜日 4.26】より

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信157号(4月20日発行、B5-28p)もくじ

・ベトナム 2原発 白紙撤回の現地を訪問 (藍原寛子)

ベトナム 2原発 白紙撤回の現地を訪問


・7回目のニントゥアン (吉井美知子)
・庶民パワーを体感できたが、滞日ベトナム人への対応が問われる (渡田正弘)
・アメリカはインドに原発を輸出するな! (民衆運動全国連合ほか)
・<韓国>福島原発事故8周年、全国で脱原発大会開かれる (脱核新聞)
・核廃棄物の公論化、出発から激しい反発、各地域で対応様々 (ヨン・ソンロク)
・トルコ人の66%が原発に反対:2018年世論調査 (森山拓也)
・誰が生み出した核廃棄物か? 何故タオ族に片付けさせるのか?(張武修)
・東アジアの脱原発型社会を構想する (佐々木寛)
・ゾンビ会社日本原電の東海第Ⅱ再稼動はさせられない! (村上達也)
・柏崎刈羽原発の再稼働阻止、廃炉に向けて (矢部忠夫)
・高浜1・2号機、美浜3号機の廃炉を求めて (安楽知子)
・3ちゃんを偲ぶ 〜命を賭けて戦った漁師〜 (柴原洋一)
・東海第二原発の再稼働認めない ― 首都圏・意見書のとりくみ  (小熊ひと美)

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バターンの石炭火力発電

第18回ノーニュークス・アジアフォーラム(2018.11.13)での発表より

「バターンの石炭火力発電」

デレック・チャベ(非核バターン運動)

リマイ石炭火力発電所の隣のラマオ村の人々とともに。右端がデレック(第18回NNAF 2018.11.14)

30年以上にわたって、フィリピンの人々は、バターン原発反対運動にまい進してきた。1985年6月には、完成した原発の稼働を阻止するために、フィリピン各地から結集した人々とともに立ち上がったバターン民衆が、地域ゼネストを敢行した。3万人以上の人々がデモ行進を行ない、マルコス軍事独裁政権の支配下にある軍隊・警官隊からの脅しにも屈せず、ヒューマンチェーンによるバリケードで戦車に立ち向かった。バターン原発の稼働は停止された。そしてこのバターン原発稼働阻止の闘いは、翌年の1986年にマルコスの独裁体制を崩壊させるピープルパワー革命へと続く道を切り開いた。

バターン原発に反対する闘いがおさめた歴史的な勝利は、多くの人々が結集し連帯して行なった運動の成果だった。しかしながら、バターン民衆は、反原発運動で勝利を勝ち取ったというのに、新たな怪物と向き合うこととなった。汚れた石炭火力発電との闘いだ。

バターン半島では、2013年にマリベレスで69万kWの石炭火力発電所が稼働を開始した。17年にはリマイでも60万kWの石炭火力発電所が稼働を開始した。さらに2か所が建設中である。このように、バターンは石炭火力発電所の集中地域となってしまった。

石炭火力発電所は、時代遅れで汚染をまき散らす技術であり、世界的な気候変動の危機にも悪影響を与えているというのに、残念なことにフィリピンにとって主要な電源の一つとなっている。

財政投資家たちは石炭火力に優先順位を置いている。バターン州の石炭火力分野での大規模な投資が、2010年よりベニグノ・アキノ3世政権下で、フィリピンの主要な財界の閨閥によって行なわれている。

これらの石炭火力プロジェクトは、その擁護者たちの意見によれば、バターン州における工業セクターの急速な成長の中で必要となる電力需要を満たすことができ、消費者には安い電力が供給でき、地域社会にも税収が増えることでメリットをもたらすと言われてきた。

しかし何年もの月日がたったが、約束されたような恩恵は届けられていない。周辺のコミュニティでの暮らしは、さらに悲惨なものとなった。肺がん・喘息・皮膚病などの健康被害、環境破壊、立ち退き、収入の途絶、商売のチャンスの減少など、石炭火力発電所の稼働によってバターン民衆が経験していることは、悪いことばかりである。

石炭火力発電所からは、有害な副産物が何百万トンも発生する。飛散灰、炉下灰、そして、水銀、ウラン、カドミウム、トリウム、ヒ素、その他の有害な重金属を含んだ煙道ガスの脱硫スラッジなどが、その操業によって生み出される。

バターンの人々は十分な情報にアクセスする権利を奪われている。さらに、これらの石炭火力発電所が周辺住民に与える影響に関しての説明と相談の機会も奪われてきた。石炭火力発電所に関する地元住民への説明会は、プロジェクトに賛成する人々だけに参加が限られており、情報にアクセスする権利や民主的な参加の権利などが全く保証されていなかった。

しかし、ここ数年の間、石炭火力発電に反対し、再生可能エネルギーを推進する運動が力強く高まっており、この州で石炭火力発電所が引き起こしている健康と環境の危機に関して国内外から大きな注目が集まるようになってきている。

Coal-Free Bataan Movement(石炭火力発電反対バターン運動)と連帯する様々な団体(KILUSANバターン、非核バターン運動、憂慮するリマイの市民、マリベレス市民ネットワーク協会など)が、バターン州での石炭火力発電所の拡張や石炭の貯蔵量の増大に、激烈な反対運動を展開している。そして、既存の石炭火力発電所を閉鎖して、太陽光発電など環境破壊や健康被害を引き起こさない自然エネルギーの発電所へと転換することを求めている。

グロリア・キャピタン

残念なことに、強まる反対運動に対して、石炭業界や政府内にいるその支援者らは、嘘や、歪曲や、暴力的な恫喝や脅迫で応じている。あろうことか、私たちの偉大なリーダーであったグロリア・キャピタンが暗殺された。彼女は孫を愛する祖母であり、海産物を売って生計を立て、石炭火力発電所反対運動の中で先頭に立っていた57歳の女性だった。彼女は覆面をしてバイクに乗った二人の男から銃で撃たれて、家の前で亡くなった。2016年7月1日のことだった。その日は、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領が就任した日でもあった。

だが、1985年に地域ゼネストでバターン原発を閉鎖に追い込むことに成功した非核バターン運動の素晴らしい遺産を引き継いだ今日のバターンの若い環境活動家たちは、石炭火力でも原子力でもない清潔で安全なエネルギーの未来を求めてたたかい続けている。

 バターンで石炭火力発電所が、環境、健康、社会経済にもたらしている影響

石炭火力発電所は、バターン州に経済的発展をもたらすと喧伝されてきたが、周辺のコミュニティで暮らす人々の健康や環境に深刻な悪影響を与えるのに十分なほどの量の汚染物質を空気中や水中に排出している。石炭火力発電所による日常的な汚染や、毒性に満ちた物質を見れば誰にでもわかる。

マリベレスとリマイでは、石炭火力発電所の稼働が始まって以来、周辺のコミュニティの人々はさまざまな負のインパクトを経験し続けている。

発電所から排出されるもややスモッグで、昼間であっても不快で薄暗い空が見られることが頻繁にある。そして雨が降ると、黒ずんで悪臭を放つ雨粒が降り注いでくる。それが下痢や腹痛の原因になっていると周辺住民は話す。発電所が来る前は、人々にとって雨水はとても大切な資源だった。十分な水が供給されていなかったころ、人々は家事を行なう際に、たとえば掃除、洗濯、入浴、なんと料理にまで雨水を活用していた。今は、もはやこうしたことは不可能だ。雨水が汚染されてしまっているからだ。

外を歩いてみるとわかるが、そこかしこで異臭がする。住民たちはいつも、むかつくような、刺すような異臭に悩まされている。それはまるで殺虫剤と腐った卵を混ぜたようなにおいで、子どもにとっても大人にとっても片頭痛や喘息の引き金になっている。空港に匹敵するほどの騒音公害も、発電所周辺のコミュニティにとって深刻な問題である。うるさくて眠れないという声が絶えない。こうしたコミュニティでは、騒音だけではなく地面が揺れるほどの振動もよく起きているそうだ。

コミュニティにもたらされるはずだった利益はほとんど実現しなかった。このプロジェクトが地元の環境や人々の健康や生活にもたらした深刻な被害は、あまりにもひどい。この種のプロジェクトが存在し続ける限り、現在立ち現れているような破局的な大気汚染の危機は切迫したままだ。

これまで述べてきたことがら以外にも、地元の人々の家が破壊されるという事態も起きている。リマイやマリベレスでは、工業団地の建設と拡張が計画されているため、人々は立ち退きや家の破壊に直面させられている。

リマイで18000人の人口を擁するラマオ村は、この工業団地拡張によって影響を受ける地域の中でも最大のコミュニティである。実際に、いくつもの集落の住民たちが、不正な立ち退き戦略に直面させられている。役所に呼び出されたり、ペトロン社やサンミゲル社などが雇った警備員によって嫌がらせを受けたり、不法侵入の罪で訴えられて裁判にかけられている人もいる。

ごく少数の例外を除けば、地元の政治家らは、立ち退きの憂き目にあっている住民たちの嘆願や苦情をまともに受け取ろうともしていない。彼らは、地元住民の苦情は「単なる政治的な策略や謀略である」として、住民を侮辱することも多い。

これらの石炭火力発電所のプロジェクトによって約束されたはずのいわゆる「発展」は、思っていたのとは反対に、人々に悲惨さだけを運んできた。

バターンの石炭火力発電所は、源となっている。何の源かと言えば、人々の健康状態を悪化させ、環境を破壊し、より多くの温室効果ガスを排出して世界の気候変動危機を強め、重篤な人権侵害を引き起こし、殺人もいとわないような弾圧、そういったすべての源だ。

地域のコミュニティは、大企業の利益のために犠牲とされて、苦しみを余儀なくされており、この国にとっての真の意味での発展や進歩が棄損されている。この真の意味での発展や進歩とは、公正で、平等で、汚染がなく安全で再生可能なエネルギーに基づくものでなければならない。

 

リマイ石炭火力発電所

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★ フィリピンのサンミゲルビールをご存知でしょうか。フィリピンでシェア95%のナンバーワンビールです。このサンミゲル社(SMC)は、ビールをはじめ清涼飲料や洋酒や食料品を扱う巨大企業でしたが、2000年代から経営の多角化に乗り出しエネルギー事業にも参入しました。バターン州で公害を引き起こしているリマイ石炭火力発電所を実質的に所有しています。マリベレスで環境アセスメントの準備が進む石炭火力発電所も、サンミゲルによるものです。私的なガードマンを雇って住民に嫌がらせをするなど卑劣な手口も明らかになっています。
実は日本のキリンホールディングスが、2008年にサンミゲル社のビール事業子会社サンミゲルビール(SMB)の株式の43%を取得しています。「アジアのリーディングカンパニーをめざす」「おいしさを笑顔に」などのスローガンを掲げるなら、石炭火力の公害問題に目をつぶるべきではないと思います。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信156号(2月20日発行、B5-24p)もくじ

・フィリピンの反原発運動の歴史と現在 (非核バターン運動)

フィリピンの反原発運動の歴史と現在


・バターンの石炭火力発電 (デレック・チャベ)
・イスタンブール反核プラットフォームが記者会見:「原発は高コスト」 (森山拓也)
・日立が英・原発輸出凍結を正式決定! 現地からも喜びの声 (深草亜悠美)
・台湾の脱原発政策と原子力維持勢力の巻き返し (鈴木真奈美)
・市民放射能測定所が描いた汚染地図 (大沼淳一)
・老朽原発の運転延長阻止を突破口に原発全廃を!(木原壯林)
・関電の約束が守られなかったのだから、西川福井県知事は「大飯原発の停止」を求めるべき (東山幸弘)
・断末魔の悲鳴・落日の原発 (三上元)
・「日本の原発輸出計画、全滅! ― ベトナム・トルコ・ウェールズ、現地の人々の視点から―」大阪で開催しました
・第1回ノーニュークス・アジアフォーラム記録映像

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フィリピンの反原発運動の歴史と現在

 

 

第18回ノーニュークス・アジアフォーラム(2018.11.12)での各国報告より

「フィリピンの反原発運動の歴史と現在」

非核バターン運動(Nuclear Free Bataan Movement)

モロンでの集会で、「非核バターン運動」の人びととともに(第18回NNAF 2018.11.15)

30年以上前、マルコス独裁政権下でバターン半島のモロンにフィリピン初の原発が建設された。このバターン原発は、完成したものの一度も稼働したことがない。

チェルノブイリ原発事故や福島原発事故が起きたため、フィリピン国内で原発推進を掲げる人々も、表立って推進を唱えられない時期もあった。しかし、原発推進の機運が途絶えたことはなかった。

推進側の政治家や企業人らは、経済成長に伴う電力需要の増加、予測される電力不足、世界的な気候変動への対処などを理由に挙げて、原発を導入しなければ国家の成長が阻害されて国民の福祉に悪い影響が及ぶと唱え続けてきた。

現在、エネルギー省はドゥテルテ大統領に対して、追加的なエネルギー源として、バターン原発の復活も含めた原発導入という選択肢を進言し続けている。

バターンで続々と巨大な石炭火力発電所が建設されてきたのも、こうした文脈があったからだ。

■ バターン原発の歴史

バターン原発は、マルコス大統領が石油ショックなどを口実にして、アメリカのウエスチングハウス社と契約して建設した原発だった。しかし完成はしたものの、一度も稼働せずに1986年に閉鎖された。

その理由は、基本的な設計や構造にあまりにも重大な欠陥が多数見つかったこと、地震多発地帯で火山も近い場所にあること、放射性廃棄物の処分方法がないことなどだ。そして、あまりにも巨額の建設費がかかって汚職や癒着の温床となったことだ。建設費や違約金などを含めてその返済が国民負担となり、一日当たり30万ドルの返済が30年にもわたってのしかかってしまった。

バターン原発閉鎖は、民衆の力のほうが権力を持った人間よりも強いということを証明する生きた証拠として特筆に値する勝利であった。

しかし2009年、強烈な原発推進派であるマーク・コジュアンコ議員が旗振り役となってバターン原発復活が提案され、フィリピン電力公社と韓国電力との間で覚書が取り交わされた。そして、韓国電力がバターン原発復活に関する可能性調査を行ない、原発復活にかかる修理費用は10億ドルと公表された。

人々は、再び激しい反対運動を展開して、バターン原発復活計画を粉砕した。

その後、福島原発事故の発生によって、推進側は一時的に口をつぐんだが、彼らはあきらめてはいなかった。

■ 最近の推進の動き

2016年、エネルギー省が、原発建設のための独自の工程表を作成した。さらにエネルギー省は、フィリピン原子力研究所とのパートナーシップの下で、原子力発電計画実施機関(NEPIO)を設立した。そして、フィリピンで原発を導入するために国際原子力機関(IAEA)から技術的な援助を受けられるよう要請した。

こうして、IAEAはフィリピンへの技術協力プロジェクトに着手した(フェーズ1)。このフェーズにおいては、エネルギー計画立案の研究、原子力に関するインフラの評価、一般民衆や関係者の協力を得るためのコミュニケーション計画と人材育成計画などが挙げられた。

IAEAによる第二期技術協力プロジェクト(2018~19年)では、フィリピンの原子力政策に対しての支援を提供する。主な内容は、原子力インフラの開発、エネルギー計画立案の推進、市民とのコミュニケーション戦略と原子力に関するネガティブな受け止め方に対処する際の能力の開発とされている(フェーズ2)。

こうした目的に沿って、かつて原発推進のために結成された作業部会が、バターン原発の再検討と復活のために再び組織された。彼らは、IAEAのガイドラインに沿ったNEPIOを立ち上げた。2017年、ミンダナオ島のスルで小型原子炉を建設する可能性についての探査も行なった。そして、ロシアのロスアトム社との間で原子力協力覚書を締結し、10月には、20人のロスアトム技術者が、バターン原発の査察を行なった。復活のための修理には30~40億ドルの費用がかかるとの結果が出された。

エネルギー省は今、原子力分野の人材育成に力を入れようとしている。フィリピン電力公社には、もともと1980年代に、ウエスチングハウス社やエバスコ社で教育を受けた710人の原子力技術者がいたが、今では約100人程度しかおらず、彼らも定年が迫っている。

エネルギー省はさらに、フィリピンでの原発への投資は、バターン原発のみに注目するべきではなくて、新規の建設や原子力関連施設事業への民間企業参入なども視野に入れていくべきだとしている。

エネルギー省のクシ大臣が2018年に発表した声明では、「原子力を現在のエネルギーミックスの中に組み込んでいくという考え方は、いかなるエネルギー源に対しても中立な立場をとるという国の方針と一致している」と述べている。

しかし、彼らにとって最大の問題は、原発建設を地元住民に受け入れさせることだ。エネルギー省は、原発に関して人々の態度や立場を改めさせることに必死である。たとえば、彼らはフェイスブックを使った働きかけも行なっている。「クリーン・エナジー・フィリピン」というページを作成し、そこで原発を擁護する主張を展開している。また、バターン原発復活の可能性を見越して、彼らはすでにバターン現地のコミュニティに対していかに働きかけるかの工程表も作成している。さらに、22の高校で、原子力に関する情報提供と教育を施すことに関して、教育省と科学技術省との間で合意も結ばれている。

エネルギー省は、政策立案、規制の枠組み作り、原発導入にかかる費用の財源確保などについてもすでに動きを始めている。

バターン以外の13か所の地点に原発を建設する可能性に関しての「調査」の存在についても、エネルギー省は認めている。ルソン島ではバターンを含めて5か所、ビサヤ諸島では5か所、ミンダナオでは4か所である。

2018年の初頭、エネルギー省は韓国水力原子力(株)と会合を行ない、カガヤン経済特区での10万kWの小型モジュラー炉(SMR)建設に関する立地可能性調査についても話し合っている。

■ 今も続くフィリピンの反原発運動:過去に触発されて

フィリピンは原発を受け入れる準備ができているのだろうか? 政府は、洪水や渋滞の問題にも対処できていないのに、原発がもたらすリスク、代償を引き受けるというのだろうか?

バターン原発を復活させる論理的な理由はどこにもない。実際のところ、過去に人々が原発を拒否した際に根拠とした理由が、今も有効だからだ。

さらに、フィリピンには安全性に関する枠組みがない。法的にも、政府のインフラも、原子力緊急事態への対応や管理のシステムも、放射性物質の輸送や放射性廃棄物管理や事故発生時の賠償などに対処するための手続きも、なにもない。

バターン原発を閉鎖に追い込んだ闘いから30年以上が経過してもなお、非核バターン運動のメンバーをはじめとするバターンの人々が、バターン原発復活の動きが明るみに出るたびに、絶対にバターン原発を許さない決意を持ち続けて闘うのは、この理由のためである。

非核バターン運動は、輝かしい過去の勝利がそのまま勝利であり続けるよう、監視を続けていく。反原発キャンペーンは、人々の幸せよりも自分たちの利益を優先しようとする政府や企業の試みにもかかわらず、続いていくだろう。

この日まで生きていることができて、バターン原発に反対する人々の運動に関して、アジア各国の皆さんにお話しすることができたことに感謝している。

私たちはこれからも、私たちの住む場所を危険にさらすような原発を推進する動きに対して、力強く反対していく。

外国の仲間たちとの連帯は、私たちの地域での運動をいつも大変力づけてくれた。

「核も原発もない世界」を求める闘いで、勝利をおさめることが私たちの願いだ。

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「非核バターン運動(Nuclear Free Bataan Movement)」の創始者の一人である、デオさん(Ka Deo Calimbas)が、心不全で急逝しました。1月7日にお葬式が行なわれ、下記メッセージも読み上げられました。

「哀悼の言葉」(ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン)

デオさんが逝去したことを知り本当に悲しいです。

私たち、アジア各国で原発に反対する人々は、11月15日の(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラムで、デオさんに会いました。スピーチしてくれたデオさんは、とても元気で誇りに満ちていました。デオさんが突然亡くなったことが信じられません。ご家族に哀悼の意を表します。

デオさんを先頭にしたバターンの人々が、原発の稼働を阻止し、そして、今日まで原発の復活を阻止し続けてきたことは有名です。アジアと世界で原発に反対する多くの人々は、バターンの人々にとても励まされてきました。

デオさんは、私たちの心に永遠に生き続けます。

集会でスピーチするデオさん(第18回NNAF 2018.11.15)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信156号(2月20日発行、B5-24p)もくじ

・フィリピンの反原発運動の歴史と現在 (非核バターン運動)
・バターンの石炭火力発電 (デレック・チャベ)

バターンの石炭火力発電


・イスタンブール反核プラットフォームが記者会見:「原発は高コスト」 (森山拓也)
・日立が英・原発輸出凍結を正式決定! 現地からも喜びの声 (深草亜悠美)
・台湾の脱原発政策と原子力維持勢力の巻き返し (鈴木真奈美)
・市民放射能測定所が描いた汚染地図 (大沼淳一)
・老朽原発の運転延長阻止を突破口に原発全廃を!(木原壯林)
・関電の約束が守られなかったのだから、西川福井県知事は「大飯原発の停止」を求めるべき (東山幸弘)
・断末魔の悲鳴・落日の原発 (三上元)
・「日本の原発輸出計画、全滅! ― ベトナム・トルコ・ウェールズ、現地の人々の視点から―」大阪で開催しました
・第1回ノーニュークス・アジアフォーラム記録映像

年6回発行です。購読料(年2000円)
見本誌を無料で送ります。事務局へ連絡ください
sdaisukeアットマークrice.ocn.ne.jp

 

 

第1回ノーニュークス・アジアフォーラム記録映像

日本語版:https://youtu.be/jQtemzJatEg
English:https://youtu.be/_yfIXAi5PFs

1993年の第1回NNAFの様子を5分にまとめました。私は編集しながら、昔を思い出しつつ、一方で想いを新たにすることもできました。2018年のフィリピンのフォーラムで上映し、好評でした。東京会議での発言者だけでもNNAFがいかに多くの方々に支えられてきたかがよくわかります。そして、亡くなってしまった方々が多くいらっしゃることも。(とーち)

発言(敬称略):前野良、金源植(韓国)、ジャヤバラン・タンブヤッパ(マレーシア)、宮嶋信夫、小木曾茂子、藤田祐幸、郭建平(台湾)、廖彬良(台湾)、コラソン・ファブロス(フィリピン)、ウィトゥーン・パムポンサーチャロン(タイ)、パドマナバン.V.T(インド)、菅井益郎、西尾漠、高木仁三郎、広瀬隆、小村浩夫、何昭明(台湾)、施信民(台湾)、河田昌東、大庭里美

1993年の福島第一原発のようすも映っています
(ビデオ最後のほうで、みんなが炭坑節で踊ったのは、新潟ではなく名古屋です)

全国28か所で開催された第1回NNAF
107分バージョンもあります → https://youtu.be/T7rH4sdkSL8

(各地で撮影された膨大なビデオから弘前核に反対する会が編集したものを、今回デジタル化し再編集したものです)

ノーニュークス・アジアフォーラム25VTR

60枚のスライド一覧 → https://nonukesasiaforum.org/japan/archives/1382

ほぼ毎年各国持ち回りで開催されてきたノーニュークス・アジアフォーラムの25年間をふり返るスライドショーは約8分。アジア各国の反原発運動の主な歴史もわかります。昨年11月フィリピンでの(25周年記念)ノーニュークス・アジアフォーラムのオープニングで英語版が上映され、大好評で、2日目も再上映されました。

日本語版 → https://youtu.be/ARRDXHv5_H8
English  → https://youtu.be/89BE9kbJpP0

(音楽:民衆の歌、バヤンコ、We Shall Overcome)

 

日本の原発輸出計画、全滅!― ベトナム・トルコ・ウェールズ、現地の人々の視点から―

「日本の原発輸出計画、全滅! ― ベトナム・トルコ・ウェールズ、現地の人々の視点から―」大阪で開催しました

★記録映像 https://youtu.be/R_vWWWgnM-A

安倍政権が「成長戦略」の重要な柱として官民一体で推進してきた原発輸出政策が、すべて頓挫するという事態が起きています。

三菱のトルコ・シノップ原発計画、日立の英・ウイルヴァ原発計画、そのどちらもが、安全対策のため1基1兆円以上に膨れ上がった建設費によりビジネスとして採算がとれなくなったとして中止されたのです。ベトナム政府も2016年11月に、日本が輸出予定だった原発建設計画を中止しました。

2月15日、表記の集会を行ない、ベトナムへの原発輸出反対に尽力してきた沖縄大学の吉井美知子さんと、トルコの原発反対運動を取材してきた森山拓也さんからお話を伺いました。森山さんの昨年のトルコ写真展のパネルも展示しました。

吉井美知子さんは「ベトナムのニントゥアン第一原発はロシアの、同第二原発は日本の受注が決まっていましたが、中止になりました。中止の一番の理由は財政難と言われていますが、それ以外にも、2016年春に海洋汚染の大公害事件で住民運動が起こったこと、海外に住むベトナム人や、日本など外国人による情報提供、言論活動なども影響したと思います。チュオン・タン・サン前国家主席は白紙撤回の背景について『国民、特に建設予定地の住民の心配が大きくなった』と述べました(共同通信2017.12.2)」と。

森山拓也さんは「トルコ・シノップでは、住民の多くが原発に反対で、政府がシノップを原発予定地と正式に発表した2006年以降、毎年大規模なデモを行なってきました。日本政府と三菱の計画断念については『現地の反対運動も懸念材料』(産経新聞 12.6)と報道されています」と。

さらに、吉井さんから、昨年10月、英・ウェールズの日立による原発建設予定地を訪問し、原発に反対する人々と交流してきた内容も報告されました。
輸出先の現地で繰り広げられてきた粘り強い運動と、それをとりまくさまざまなネットワークの力も、計画中止に大きな影響を与えてきたのです。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.156より)

毎日新聞 2.5

 

ウェールズにて(右から2人目が吉井さん)

 

昨年の森山さんの写真展のチラシより