ベトナムの原発計画:中止のワケ

ベトナムの原発計画:中止のワケ(吉井美知子)

2016年11月22日、ベトナム国会は同国初の原発建設計画の中止を議決した。2009年に計画推進が議決されてから、7年後の中止決定であった。いったいなぜ? 計画をふり返り、中止のワケと今後の展望にせまってみたい。

● 当初計画、反対運動から延期まで

2010年にベトナム初のニントゥアン第一原発はロシアの、同第二原発は日本の受注が決まる。直後に3.11が起こるのだが、計画は止まらない。当初は、第一原発を2014年に着工、2023年稼動、日本の第二原発はその1年遅れのペースで建設を進め、2030年にはベトナム全国で14基が稼動するはずになっていた。

2012年6月には、ベトナムでは珍しい反対署名運動が起こる。内外のベトナム人ら600名以上が署名して、日本の野田首相宛てに「原発への支援は、無責任、非道徳、非人道的である」と。抗議状を掲載したブロガーは罰金刑を課され、署名者のなかで公安警察に呼び出されて絞られる者が続出した。

それでも原発建設準備は着々と進み、第一原発の敷地は全村民を移転させて確保が終わり、周辺インフラの整備が進んでいた。そんな矢先の2015年1月、グエンタンズン首相が突然、計画の延期を発表する。人材育成と安全性確保のため、2020年以降の着工になるという。このあたりから、どうやら雲行きが怪しいという雰囲気が漂い始めた。

2016年7月、共産党中央政治局が、計画撤回を議決したらしい。8月には、筆者が参加したベトナム人の国際学会ですでにその噂が流れていた。9月に渡越して党幹部に尋ねて回ったところ、どうやら本当らしいとわかる。「あとは10月の共産党中央委員会で推進派を押しのけて議決をして、さらに国会議決をしたら止まる。ただし党内には推進派もいるからね・・・」というのが、9月時点での某反原発議員のコメントだった。

ドキドキしながら待っていたら、本当に党中央委で議決され、日本の新聞にも「白紙撤回か」という記事が出た。トランプ当選と重なったので扱いこそ小さかったけれど。さらにワクワクしながら待っていたところ、国会でも中止が決議されたのだった。

● 中止のワケ

いちばん大きな理由は、「原子力ムラ」ができる前だった、ということかと思う。巨額のカネが動かないうちに、ベトナム側でやめようという話になった。それには今年春のグエンタンズン首相の失脚が大きい。先頭に立って原発を推進していた親米・親日派である。任期満了で再任されず、政権中枢から姿を消した。いちばん賄賂を多くもらっていた「村長さん」がいなくなって、収拾がつかなくなったのだ。

同じく2016年春、とんでもない大公害事件がベトナム中部で起こった。台湾資本の製鉄所が猛毒の廃液を海に垂れ流し、海岸線20キロにわたって何十トンもの魚の死骸があがった。死者も出ている。ベトナムでは台湾の会社名をとって「フォルモサ事件」と呼ばれている。賠償が少なく、職にあぶれた漁民ができないはずのベトナムで一大デモをやり、大騒ぎになっている。これがもし原発だったら、放射能だったら、という類推は党幹部にも容易にできたことだろう。

フクシマ事故で計画が止まることはなかったが、安全性の見直しという点では大いに影響があった。日本の第二原発予定地の敷地の位置や海抜も変更になって、かさ上げの大工事が予定されていた。原子炉そのものの安全性も見直され、コストはどんどん上がった。ベトナム政府が公式発表で中止の一番の理由としてあげている「財政難」も、有力な理由であったろうと思われる。とくに、ベトナムは円借款が嵩み、円高でその重みがひとりでに増すなど、大変苦慮している様子は8月の学会でも発表されていた。

当の輸入先の日本では、原発は安全だと叫ばれながらも、フクシマ事故前には54基あった原子炉が2年間近く稼動ゼロだった。現在もたったの3基しか動いていない。ベトナムの庶民にはそういう情報が少ないが、党幹部にはしっかり把握されている。「先進国が次々脱原発を進めているのに、いまからウチがやることもなかろう」と多くの幹部が考えたとしても不思議はない。

表現の自由が厳しく制限されているベトナムだが、イギリスBBC放送やフランスRFI放送などが、バンコク経由でベトナム語のラジオ放送を流していて、こっそり聴くことができる。インターネットはうまく操作すれば、禁止されているHPにも匿名でつなげることができる。多くの越僑や外国人が原発についての論述を発表した。筆者のドイツ出張中には、BBCのクルーがやってきてベトナム語のインタビュー動画を撮って放送してくれた。ベトナム国内の大学では講演に呼ばれて、そのたびに違うタイトルをつけて、蓋を開けてみれば原発事故の話ばかり、というようなことを何回もやった。坂本恵福島大学教授が中心となり、日本国内のフクシマ事情の文書を越訳して、ベトナムの国会議員に配るという活動にも参加した。こういう草の根の活動が今回の中止決定にいくぶんか貢献したともいえるかと思う。

● 今後の展望:二回戦に向けて

筆者が3年前まで住んでいた三重県では、芦浜原発計画を中止に追い込んだ運動が有名だ。1960年代に一回戦、1990年代に二回戦があり南島町(当時)を中心とした反対派が二勝ゼロ敗で勝ち越している。

ベトナムも二回戦を覚悟しよう。そのうち中国が原発をと言ってくるのではないか。すでにベトナムとの国境近くまで建設が進んでいる。

今回の計画中止にあたり、ベトナム政府からは国民に向けて理由の説明があった。安全性を高めるためにコストが跳ね上がり、投資に見合わなくなった、使用済み核燃料の処理が問題だ、電力なら再生可能エネルギーを推進すればよい、他国でも原発計画を中止した例はある、等々。

いまベトナムで、これまで言えなかった反原発の論理を、政府が先頭に立って広報している。この機に、この政府広報を後押しして人々に原発をわかってもらおう。そうして将来、二回戦になっても誰も計画に賛成する人がいないようにしてしまおう。今がチャンスである。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.143より)

アックユ原発の建設開始 エルドアン、プーチン両大統領が起工式に出席

トルコではアックユ原発の環境影響評価に関する裁判が3月に棄却され、4月にはエルドアン大統領とロシアのプーチン大統領が共に出席する原発建設の起工式が開催されるなど、原発建設に向けた動きが進んだ。原発への反対派はこうした動きに対して批判を強め、「チェルノブイリの日」に合わせて4月下旬に開催されるシノップ反原発集会への準備を進めている。
以下では3月以降の現地メディアの報道を紹介する。(森山拓也)

アックユ原発への訴えを行政裁判所が棄却

「Diken」3月7日、「Bianet」 3月26日

3月7日、国家評議会(行政最高裁判所)第14法廷は、アックユ原発の環境影響評価に対する市民団体らの訴訟を棄却した。環境団体などからなる原告団は、アックユ原発のために行なわれた環境影響評価の内容が不十分であるとして、その取り下げを求める訴訟を2014年末に申請していた。国家評議会は環境影響評価レポートの内容が不十分であることは認めたものの、レポートの有効性を損なうほどの不備ではなく、事業の実施を妨げるものではないとした。環境影響評価レポートの不備は、後にトルコ原子力庁に提出される事前安全審査レポートで補われるとして、環境影響評価の取り下げを求める訴えは棄却された。これに対し原告の市民団体らは、3月末に国家評議会行政裁判法廷へ上訴を申請した。

アックユ原発起工式 エルドアン、プーチン両大統領が出席

「Cumhuriyet」、「Evrensel」、「Yeşilgazete」など 4月3日

トルコ南部でロシアが建設するアックユ原発の起工式が4月3日に開催された。起工式にはトルコのエルドアン大統領とロシアのプーチン大統領が共に出席した。前日の4月2日にはトルコ原子力庁からアックユ原発1号炉の建設許可が発行された。

これに対してイスタンブール反原発プラットフォームは抗議声明を発表し、政治ショーとして原発が大急ぎで建設されていると批判した。首都アンカラの国会前でもシノップやメルスィンの人々が抗議の記者会見を行なった。イスタンブールでは抗議のため集まった環境活動家やジャーナリスト6名が一時身柄を拘束された。

アックユ原発のあるメルスィン県では県知事がデモや集会の禁止令を出した。抗議のためメルスィンからアックユへ向かおうとした活動家らの乗ったバスは警察に止められた。

アックユ原発の1号炉は2023年10月29日(トルコ共和国宣言100周年記念日)の稼働に向け工事が進められる。

4月3日、トルコのエルドアン大統領(写真左)とロシアのプーチン大統領(同右)は、トルコ初となるアックユ原子力発電所の起工式典にアンカラからのビデオリンクを通じて参加した。写真はアンカラで撮影(2018年 ロイター/Umit Bektas)

 

「トルコには原子力が必要」「原発よりバナナの方が危険」

「Cumhuriyet」4月3日、「Sabah」 4月15日

アックユ原発の起工式に合わせ、テレビでは新たに原発を宣伝する広告が放送され始めた。CG効果も使って原子力の有用性を訴えるこのテレビ広告には、トルコ人ノーベル化学賞受賞者であるアズィズ・サンジャル(Aziz Sancar)も登場し、原発反対派の失望を招いた。

政権寄りの姿勢で知られる大手新聞社のサバ紙は、自然界にも放射線が存在していることを説明して、原発の危険性を否定する論考を掲載した。この論考は、たとえばバナナも放射能を帯びており、バナナを食べることは原発よりも危険であると述べている。

福島原発事故から7年、台湾の環境団体は原発に反対し、再生可能エネルギーを支持する

3月11日、台北 (以下同じ)

福島原発事故から7年、台湾の環境団体は原発に反対し、再生可能エネルギーを支持する

   全國廢核行動平台

3月11日、「全国廢核行動平台(プラットフォーム)」の呼びかけに応じて、多くの環境団体がケタガラン大通りに結集し、原発に反対するデモ行進を行なった。数千人が参加して、再生可能エネルギーの未来を求める声を上げた。
今年のこのデモ行進は「原発のコストを知り、エネルギーの未来を変える」をテーマに、原発を廃止してエネルギーのシフトを実現することを政府に強く求めていくことを目的として行なわれた。

原発の段階的削減は喫緊の課題であり、放射性廃棄物の処分には天文学的なコストが必要になるという事実について、人々に注意喚起することも目的とされた。

2011年の福島原発事故から7年が経過し、あの災害による教訓は時間とともに少しずつ忘れられつつある。全国廢核行動平台は、社会に対して、見て見ぬふりをするのではなく、原発の真のコストと真正面から向き合うことを呼びかけている。「核のない台湾」政策は、核の悪夢の終わりを意味するわけではない。人々は、既存の原発の廃炉と放射性廃棄物の処分に関連して膨大な費用が必要となることを理解しなければならない。未来の世代は、たかだか40年間稼働するだけの原発が残した負の遺産に対して支払いを始めたばかりであって、社会全体が解決策を見つけるために問題を認識しなければならない。

政府が「2025年に脱原発を実現する」と公表したのに、なぜ市民グループはデモ行進をするのだろうか? 民進党政権はすでに2年間政権の座にあるが、「核のない台湾」政策はいまだ完全に実施されてはいない。安全性の問題と古い原発の廃炉の問題は、いまも人々の注目を必要としているし、放射性廃棄物処分場となる地域はいまだ決定していない。

さらに、台湾のエネルギーシフトのための努力は、従来の発電方法を支持する勢力からあざけりを受けたり非難されたりしている。彼らは、これまで通り高い汚染をもたらす伝統的な発電方法を擁護する道へと台湾を立ち戻らせようとしている。

もし私たちがより良い発展を遂げて自分たちのエネルギーを何とか管理していこうとするなら、私たちは原発の代替案として唯一の答えが石炭火力だと信じ込まされる罠にはまらないようにしなければならない。全国廢核行動平台は、大気汚染も原発もない台湾を実現する唯一の道は、省エネルギーとエネルギーシフトの実現によってのみ可能になると信じている。

今年のデモ行進では、「エネルギーの未来を変える」と題した展示会も開催され、ソーラーパネルで発電した電気のみを使った「グリーンコンサート」も開催された。

主婦連盟環境保護基金会は、「手間のかからないエネルギー節約ハンドブック」を発行し、エネルギーシフトに誰でも参加できることをわかりやすく人々に伝えている。

たとえば、個人が使う電気製品について、よりクリーンなエネルギー源から発電された電気を使うことが望ましいと指摘している。15ワットの超小型ソーラーパネルは、同基金会が出したブースで販売されており、よく晴れた日なら30分でスマートフォンを0%から45%まで充電することができる。

グリーンピースは、食べ物も販売する三輪自転車の青空ワークショップを行なった。展示された三輪自転車は、ソーラーパネルとペダル式の発電機が備えつけられている。訪れた客たちは、そこで発電される電力を使って自分で綿あめを作って食べることで自然エネルギーを体感できるようになっている。グリーンピースは、再生可能エネルギー普及のため自らも創造的なアイデアを実践している人々を招いての活動も行なった。

アダマベーカリーは2014年以来、自社で消費する電力の70%を自家発電でまかなっている。アダマの一日の発電量はおおむね32.1キロワットで、将来的には太陽光発電によって自家発電された電力のみですべてのパンを焼きあげるようにしたいと考えている。アダマは、会社としてとりくんでいる食育トラックで行進に参加した。その食育トラックに描かれたデザインは、鴎の翼からヒントを得たもので、搭載されている太陽光パネルで発電する電力で麺の生地をこねて製麺しているという。アダマは400個の菓子パンをその場で提供したので、参加者たちは、太陽の恵みによる電気で作られた焼き立てのパンの香りも楽しむことができた。

● 自然エネルギーでコミュニティも利益を得る

グリーン・アドボケイツ・エネルギー協同組合(緑主張翠電生産合作社)は、苗栗県でルーフトップ型ソーラープロジェクト「スカイI」に着手した。このプロジェクトは、関係作りを経てコミュニティと契約を交わして進められたもので、コミュニティからの資金提供によってソーラーパネルを設置した。これによってユーザーは、エネルギー消費者からエネルギー生産者となった。協同組合を通じて資金を調達した自然エネルギー発電所は、これが国内初の事例であり、市民社会の力を活用したものである。

TRENA(台湾再生可能エネルギー推進連盟)は、太陽光パネルが設置された耕作地で、パネルの下で行なわれている有機農業についての報告を行なった。
迷い犬のシェルターを運営する団体からは、台湾で初めて自然エネルギーを活用した迷い犬のシェルターでの活動が報告された。

台湾環境保護連盟の花蓮支部からは、小水力発電のとりくみが報告された。地域の農業用灌漑用水路を活用して、自然を脅かさない方法でエネルギーの自立を図っていこうというとりくみである。

●「核も原発もない台湾」政策が掲げられても、それは核の悪夢の終わりではない

台湾環境保護連盟の会長で、技術者として、そして工学部教授として発言したリュウ・チュンシンは、「原発の施設や機材が安全だと保証することはできません。7年前の福島原発事故は、どれだけ注意深くプロジェクトを遂行していようとも、予期せぬ出来事や最新の科学技術で予見できなかった問題が起きて不測の事態がもたらされうるという事実を我々に突きつけました。福島では、今も人々は事故の影響にさらされながら暮らしています。放射能汚染の問題も解決されないまま残っており、福島の住民たちは事故前と全く同じ生活に戻ることはできずにいます。台湾は、原発事故がもたらすリスクを受け入れることはできません」と述べた。

● 原発のリスクと大気汚染を減らすためにはエネルギーシフトが最も重要

緑色公民行動連盟の事務局長のツィ・スーシンは言った。「台湾は、大規模かつ集中型の発電所と配電のシステムに依存してきたことによって、主要な発電所や中継地点でトラブルが起きると、問題がどんどん広がって収拾がつかなくなってしまっていました。

たとえば、昨年8月15日に起きた大規模な停電は、原発での発電が不足していたからではありませんでした。配電システムの中で突然大量の電力が失われ、送電線内での周波数が急激に落ちてしまったのです。台湾電力の幹部も次のように認めています。『もしあれほどの規模の電力量が失われれば、たとえあのとき原発がすべて稼働していたとしても、あのような大規模な停電は避けられなかっただろう』と。

今こそ、台湾は巨大で集中的な発電所の脆弱性を認めて、そのバックアップシステムを計画するときです。それによって、リスクを分散し、一つのトラブルがもたらすインパクトを小さくすることができます。台湾は分散型の自然エネルギーに投資を増やしていくべきであり、台湾中の送電線において、分散型の地域送電網の割合を増やしていくべきです。地域の送電網に関して自立性と柔軟性を高めていくために、スマートシステムも導入されるべきです。そうすることで、一つの事象がシステム全体の破たんへとつながってしまうような事態を避けることができるようになります」

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.151より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信151号 (4月20日発行、B5-32p)もくじ

・ジャイタプール原発建設計画を推進するフランス大統領のインド訪問に抗議する国際連帯声明
・ジャイタプールの反原発運動は、粘り強く続いていく(ファキール・ソルカル)
・スリーマイル島原発事故の記憶とクダンクラム原発(ウダヤクマール)
・トルコ・アックユ原発の建設開始(森山拓也)
・フィリピン/再び提起される、バターン原発の復活
・韓国/「原発輸出支援を中断せよ」(アン·ジェフン)
・台湾の環境団体は原発に反対し再生可能エネルギーを支持する(全國廢核行動平台)
・3.11東電本店前抗議行動へのメッセージ(武藤類子・山本太郎)
・玄海原発蒸気漏れ事故 警告を無視した再稼働強行を許さない(永野浩二)
・伊方原発2号機の廃炉決定を受けて(原発さよなら四国ネットワーク)
・「第7回 核ごみに関する政府との会合」報告(マシオン恵美香)
・[ミサイル高浜原発運転差止め仮処分] 原発の危険性を正視せず武力攻撃事態法(有事法)を振りかざした不当な決定(水戸喜世子)
・[白浜町長への要望書] 使用済核燃料の「中間貯蔵施設」は受け入れないとの意思をあらかじめはっきりと表明してください(小山英之)
・武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)声明
・原発輸出に国民負担リスク=兆円単位で膨らむ建設費用-日本、官民一体で推進

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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) https://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

ジャイタプール原発建設計画を推進するフランス大統領のインド訪問に抗議する国際連帯声明

署名してくれたみなさん、ありがとうございました(1181名)
http://www.dianuke.org/international-solidarity-statement-against-the-french-presidents-visit-to-india-to-push-for-the-jaitapur-nuclear-power-project-please-sign/(署名リスト)

「ジャイタプール原発建設計画を推進するフランス大統領のインド訪問に抗議する国際連帯声明」 3月10日

この抗議声明に賛同して署名した世界中の個人および団体は、フランスのマクロン大統領がこのたびのインド訪問中にジャイタプール原発建設計画のための枠組み合意に署名することに強く抗議しているインドの人々に連帯の意を表明する。

この原発計画は、農民、漁民、女性や子どもなど、マハラシュートラ州コンカン地方の数万人の人々の暮らしを破壊の危機に追いやるものである。ジャイタプール原発計画が実行に移されれば、165万kWのEPR(欧州加圧水型炉)が6基立ち並ぶこととなり、世界最大の原発密集地帯となる。この計画は、いかなるコストベネフィット分析も、安全性や社会に与える影響や原発で発電される電力のコストなどに関する包括的な分析も、なにも行なわれないままにインド政府によって認可されたものだ。

2008年8月の原子力供給国グループ(NSG)会合の直前に、インド政府は外交的な支援への見返りとして、フランスから原子炉を購入すると発表した。原子力推進勢力の幹部を含めて、インド政府はそれ以来、海外の原発メーカーの利益に便宜を図るために、このプロジェクトを実現しなければならないと主張し続けてきた。
ジャイタプール原発計画を既成事実化したインド政府は、予定地のコミュニティの人々による大規模で平和的な抗議行動を暴力的に弾圧し、過去には抗議する人々を殺したり逮捕したりしてきた。また政府は、環境に関する許可や土地取得に関して民主的に必須とされている諸手続きをめちゃくちゃにして暴力的な茶番劇へと転化させた。いつもきまって、地元の民衆の同意は、公聴会の際に武力で脅されながら取り付けられるのだ。

ここ数年の国際的な原子力産業の凋落、フランスの原子力規制機関による深刻な安全性への懸念、そしてフィンランドや中国やフランスでEPR建設がコスト的に予算を大幅に上回り、時間的にも遅延をくり返している事実。こうした事柄にもかかわらず、ジャイタプール原発計画という強迫観念が、これまで変更されることがなかったことは、ショッキングなことである。
元インド原子力規制委員長など独立した専門家がジャイタプール原発計画における安全性の懸念を表明しているが、インドの原子力エリートたちが完全に透明性と説明責任を放棄してしまっていることから、こうした懸念は高まる一方である。

皮肉なことに、マクロン大統領は3月11日にインドを訪問しようとしている。この日は、福島第一原発事故から7年目にあたる日である。日本では福島原発事故によって今も数万人の人々が避難を強いられ続けているが、電力会社も日本政府も彼らに対する支援からいかに手を引くかを考えることに躍起になっている。福島事故は、原子力技術が本来的に危険なものであること、原発事故は克服不可能なものであり、その結果は決して消し去ることのできないものであることを明らかにした。
私たちは、インド政府に対して、福島原発事故から教訓を学び取り、危険な原発を自国の人々に押しつけることをやめるべきであると訴える。
EPRの悲惨な財政的失敗と否定のしようもない安全上のリスクにもかかわらず、ジャイタプール原発計画を推し進めようとするフランスの原子力産業による、冷淡な儲け至上主義に対して私たちの苦悶の思いを突きつけたい。

フランスのマクロン大統領はインド訪問中に自身の自叙伝を発表するという。その中で彼は、インドとマハトマ・ガンジーに対する愛を綴っている。私たちはマクロン氏に対して、繊細な自然環境と基本的な人権を守るためにジャイタプールにおいてこの10年間行なわれてきた非暴力の抗議行動に対して耳を傾けるよう強く要求する。

ジャイタプール原発建設計画を推進する、マクロンは帰れ! 3月10日、サクリナテ村(以下、同じ)

苛烈な暴力や州政府の弾圧に直面しても、ジャイタプールの反原発運動は、これからも粘り強く続いていく

   ファキール・ソルカル氏インタビュー Dianuke 3.17

:ジャイタプール原発の建設計画を推進するためフランスのマクロン大統領が3月10日にインドを訪問した際、ジャイタプールの人々は、大規模な抗議行動を行ないましたね。それについて教えてください。

:私たちは3月10日の午前10時頃、サクリナテ村で抗議のデモ行進を始めました。老若男女1500人近くが集まりました。私たちは村の中をすみからすみまで練り歩き、この災いに満ちたプロジェクトに反対するスローガンや私たちの思いを表明しました。デモは、座り込みの抗議集会で最高潮となりました。スローガンを叫び、スピーチが行なわれ、それらを通して、私たちのジャイタプール原発に対する堅固で結束した反対の思いをくり返し表明しました。

:3月10日のデモ行進と座り込みの抗議行動を計画した際、州政府と警察の反応はどうだったのでしょうか。

:もともと私たちはサクリナテ村から建設予定地を擁するマドバン村までのデモ行進を行なうことを計画していたのですが、州警察は10日のデモを許可しませんでした。警察は、デモの日程をもっと遅らせることはできないかといいました。しかし、人々は3月11日にフランスの大統領がインド首相と会談する前に自分たちの抗議行動を行なうことを心に決めていました。結果として、私たちはデモ行進と抗議行動をサクリナテの村の中でのみ行なわざるをえなくなりました。

それに先立って、3月2日に私たちはサクリナテ村で準備会合を予定していました。ジャイタプールに建設が予定されている製油所に反対する草の根運動のリーダーとメンバーたちもそこに招待しようとしたのですが、州警察はその準備会合も禁止しました。だから私たちは準備のための会合を別の村のモスクで行なわなければなりませんでした。10日の抗議行動当日は、警官や諜報機関の人間たちも来ていました。

:フランスの大統領がインドを訪問して、ジャイタプール原発推進のためにモディ首相と会談したのは、3月11日でした。今も収束していない福島原発事故が7年目を迎えた日です。それに関して、人々はどのような思いを持っていましたか?

:何万人もの日本の人々の人生が大きなダメージを受けたその日に、インド政府がジャイタプール原発計画復活のための動きを再開したことはあまりにも悲しいことです。

ジャイタプールの人々は、インド政府とフランス政府の無慈悲さに対して、深い悲しみとともに怒りを覚えています。私たちが抱いている懸念を無視し、このプロジェクトに対して私たちが継続してきた長く平和的なたたかいを、まるで存在しないかのように扱ったことに対してもそうですし、3月11日という日付を選んだこともそうです。彼らが市井の人々の命と暮らしについて真剣に考えてはいないということが、ここにはっきりと示されています。

:2011年の福島原発事故は、ジャイタプールの人々にどのような意味を持ったのでしょうか。彼らは事故に対してどのように反応し、この破局的な事故の後に人々の運動はどのような変遷をたどりましたか?

:ジャイタプールの人たちは、日本で起きた福島原発事故を知って恐怖を覚えました。私たち皆の心の中に浮かんできたのは「福島原発事故のような規模の事故がジャイタプールで起きたら、いったいどうなってしまうのだろう」ということでした。

この地域一帯の村々に暮らす人々が、テレビや新聞を通して刻一刻と移り変わる事故の経過を見守りました。そして、人々は顔を合わせると、原発の問題についてこれまでより当たり前のように話し合うようになったのです。福島原発事故は、核の災厄を私たちにとって非常に「現実的な」ものにしました。まるであの事故が我が家の前で起きたかのように。

福島原発事故が起きたとき、ジャイタプールではすでに反原発運動が始まっていましたが、福島原発事故は原発の破滅的な側面に関する気付きと理解を高めていこうとする私たちの努力に「緊急性」という要素を吹き込みました。その結果として、より多くの人々がこの運動に参加するようになっていきました。

:ジャイタプールの反原発運動のこの10年間をふり返って、その強さと弱さについて、あなたのご意見をお聞かせください。ある英字新聞に「最近、ジャイタプールの反原発運動は一時期の活力を失っており、3月10日の抗議行動は形だけのものだったのではないか」との記事も出ていました。こうした評価に対してどう答えますか?

:私たちが日常生活に根ざして行なっているたたかいから遠く離れた場所にいるジャーナリストが、そのような表面的な一般化を行なうということは間違った行為ですね。今回の抗議行動にこれまでほどの数の人々が参加していない最も大きな理由は、州政府が3月10日にサクリナテ村からマドバン村までのデモ行進を行なうことに許可を出さなかったことです。州警察は「抗議のデモをするならフランスの大統領がインドを離れてからにしてくれ」と延期を要請してきました。自分たちに直接破局的な結果をもたらすプロジェクトに関する懸念を自由に表明するという非常に根本的な民主主義の権利をないがしろにする行為ではありませんか。

私たちの運動が開始以来10年近く続いているのは、この運動が私たちにとって決して単なる象徴的な運動ではなく、自分たちがまさに生き延びるために行なっているたたかいなのだということの証拠だと思います。

私たちのたたかいのもっとも偉大な強さは、一つに結集していることです。宗教の違いも、社会的な階級の違いも、職業の違いも、超えてきました。

たとえば、自分たちの土地が政府によって強制的に取り上げられてしまった農民たちの多くが補償金を受け取っていますが、彼らは原発建設に対する反対の声をあげ続けています。そして同時に、彼らはジャイタプールの漁民たちに対しても強力な支持を表明しています。ジャイタプールの漁民たちは、補償金を受け取っていないし、原発が運転を開始すれば間違いなく貧困に追いやられてしまう人々です。

私たちは、タラプール原発現地の漁民たちとの交流で、そのことを学びました。タラプールでは、かつて漁業が非常に盛んで豊かな海であったにもかかわらず、原発が運転を開始してから、漁業の状況は見る影もないほど衰退してしまいました。タラプールの漁民たちは、生活の糧を失っただけではなく、その名に値するような補償も再定住先の支援も受けていません。ジャイタプールで同じことが起こるなんて絶対に受け入れられません。

私たちの運動がさらに力を入れていかなければならないのは、一般の市民の間で原発に関する意識を高める努力をすることです。一般の市民の中には、まだまだ原発がいかに危険な技術であるか、原発が生命、健康、暮らし、環境にどれほどの悪影響を与えるかを理解していない人々も多く存在しているからです。

:ジャイタプールで、女性たちが運動を力強くけん引しているたくさんの写真をこれまで見てきました。3月10日の行動もそうです。ジャイタプールの反原発運動における女性の役割とはどのようなものですか?

:おっしゃる通り、ジャイタプールでは女性たちが運動の最前線を担ってきました。女性たちは、原発が人々の健康に与える影響について強い懸念をもっています。とくに、妊娠中の女性、子ども、10代の少女たちへの影響です。彼女たちは、タラプール原発やジャドゥゴダ・ウラン鉱山の女性や子どもたちの経験から、原発とウラン採掘による健康への影響を学ぶ機会がありました。調査報告やドキュメンタリー映画を通して、また放射線が健康にもたらす悪い影響についてのワークショップを受けるなどして、女性たちは学んできました。ジャイタプールの女性たちは、生命を否定するこの技術に対して反対をすることに迷いがありません。

:世界中で、原発や自国政府の権力とたたかっている人々に対してのメッセージはありますか?

:私たちが、環境を守り、一人ひとりの人間の健康と幸せを確かなものにしようと考えるなら、この地球上に原発が存在できる場所などありません。原発の拡大を止めることができるのは、広範な民衆の運動のみです。

政府がどれほど強力であろうとも、原発推進側は、必ずや非暴力の抵抗運動や普通の人々の意思の前にひれ伏さなくてはならなくなることでしょう。

*ファキール・ソルカル氏はサクリナテ村の住民。ジャイタプール原発反対運動をけん引している。

3月10日、フランス大統領府は、マクロン大統領(写真左)のインド訪問1日目に両国企業が130億ユーロ(160億ドル)相当の契約に調印したことを明らかにした。写真右はインドのモディ首相。ニューデリーで11日撮影(2018年 ロイター/Adnan Abidi)

 

マクロン大統領の訪印の際、EDF(仏電力)とNPCIL(インド原子力公社)は、ジャイタプール原発建設計画に関する趣意書に調印した。年内の契約成立をめざすとしている。

(ノーニュークス・アジアフォーラム通信151号より)

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信151号 (4月20日発行、B5-32p)もくじ

・ジャイタプール原発建設計画を推進するフランス大統領のインド訪問に抗議する国際連帯声明
・ジャイタプールの反原発運動は、粘り強く続いていく(ファキール・ソルカル)
・スリーマイル島原発事故の記憶とクダンクラム原発(ウダヤクマール)
・トルコ・アックユ原発の建設開始(森山拓也)
・フィリピン/再び提起される、バターン原発の復活
・韓国/「原発輸出支援を中断せよ」(アン·ジェフン)
・台湾の環境団体は原発に反対し再生可能エネルギーを支持する(全國廢核行動平台)
・3.11東電本店前抗議行動へのメッセージ(武藤類子・山本太郎)
・玄海原発蒸気漏れ事故 警告を無視した再稼働強行を許さない(永野浩二)
・伊方原発2号機の廃炉決定を受けて(原発さよなら四国ネットワーク)
・「第7回 核ごみに関する政府との会合」報告(マシオン恵美香)
・[ミサイル高浜原発運転差止め仮処分] 原発の危険性を正視せず武力攻撃事態法(有事法)を振りかざした不当な決定(水戸喜世子)
・[白浜町長への要望書] 使用済核燃料の「中間貯蔵施設」は受け入れないとの意思をあらかじめはっきりと表明してください(小山英之)
・武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)声明
・原発輸出に国民負担リスク=兆円単位で膨らむ建設費用-日本、官民一体で推進

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★NNAF通信・国別主要掲載記事一覧(No.1~153) https://nonukesasiaforum.org/japan/article_list01

★本『原発をとめるアジアの人々』推薦文:広瀬隆・斎藤貴男・小出裕章・海渡雄一・伴英幸・河合弘之・鎌仲ひとみ・ミサオ・レッドウルフ・鎌田慧・満田夏花http://www.nonukesasiaforum.org/jp/136f.htm

脱核への舵を握った韓国の人びと後編 とーち

2017年8月10日から15日まで佐藤大介氏とともに韓国を訪れた。ムン・ジェイン大統領が脱核宣言をして2か月ほど。しかし現地の人々に白紙撤回すると約束していた建設予定の核電は、3ケ月間の公開討論(公論化委員会による討論)を行った後に結論を出す、また工事を中断するとしていた完成間近の核電は完成させ、その設計寿命まで運転を認めるため脱核が実現するのは2076年という。この政策が韓国の人びとにどうとらえられているのか、それを探る旅だった。

■ 戦場を知らない子どもたち

日本大使館前の従軍慰安婦少女像
日本大使館前の慰安婦処女像

ソウルに地下鉄で入ると、まず日本大使館の前にあるという従軍慰安婦少女像を探した。この日の宿舎がその近くにあるからだ。大使館に向かい合っているようなイメージを勝手に持っていたが、入口からは少し離れて、道路のほうを向いて静かに座っている。
「戦争を知らない子供たち」という歌がある。これにはずっと違和感があった。この歌自体は「戦争が終わって僕らは生まれた♪」という歌詞だから、ここでいう「戦争」は一般的な戦争ではなくThe warつまり十五年戦争であり太平洋戦争を指しているのだから作詞の北山修に誤りはない。しかし、いつの間にか私たちは、一般的な意味での戦争をも含めて、私たちは戦争を知らない、と思いこまされてきたのではないだろうか。
でも本当は、私たちは、この国は、ずっと戦争と共にあった。そもそも敗戦後に始まった朝鮮戦争がこの国の経済に奇跡的な向上をもたらし財閥も戦犯も復活を果たしたのだ。その中にはもちろんあの岸信介もいる。その後もベトナム戦争、湾岸戦争と直接的な武器輸出こそ行わなかったかも知れないが、戦争による好景気をもとにしてこの国は発展してきたのではなかったか。
かなりモノが分かっていると思っていたキャスターが「戦争を望む人なんていないんですから」というのを聞いて愕然とすることがある。冗談ではない。およそ近代の戦争は金儲けのために仕掛けられてきた。民族紛争も領土問題もそのための材料として利用されたに過ぎない。
おそらく日本でも戦争をしたがっている人々は戦争をよく知っているだろう。それで儲けてきたのだから。「戦場」を知らない、のは確かだ。しかし、戦場を知らないくせに、戦争で儲けてきたことを知らない、知ろうともしないで私たちは過ごしてきたのだ。そのことを見つめなおすことから始めて行きたい。少女像を見つめながらそう思った。

■ ソウル市の取り組みと緑の党

緑の党のイ・ユジンさん
緑の党のイ・ユジンさん

夕方、緑の党のイ・ユジンさんの話を聞いた。特にソウル市の取り組みが興味深い。日本での3.11の東電事故や、同年9月に韓国全域で発生した大規模な停電に触発され、大都市ソウルの役割として、使用電力の削減を目指して「核電一基削減市民委員会」が2012年に設立された。
太陽光パネルの設置などの生産、省電力の機器を使うことによる効率化、そして節約を組み合わせて核電1基分の電力削減を行おうというものだ。
そしてそれは2014年にすでに達成され、第二段階として都市であるにも関わらず、2020年までにエネルギー自給率を20%にする目標を掲げている。
他にも分散型のエネルギーを目指すことや、新エネルギーにより雇用を創出すること、また低所得世帯ほど高価なエネルギーを使わざるを得ないことから、エネルギー福祉という概念でその改善のための基金を作るなど、積極的な取り組みが行われている。
そしてそうした政策を紹介する綺麗なパンフレットも作成されており、英語版はもちろん日本語版まである。その取り組みは、エネルギー問題を困った「問題」として捉えるのではなく、乗り越える過程も含め、イメージ向上へつなげる前向きの姿勢が感じられる。
そうしたユジンさんの話が終わろうとしたころ、脱核が実現するのは2079年というのはどうなんでしょうねえ?という質問に、俄然声が大きくなった。大事なのは今見通せる予定だけではなく、この大統領の任期5年の間に核電ではなく自然エネルギーを広げていくシステムを作ることだ、自然エネルギーが商業的にも成り立つようになり、それが普及すれば政権が変わってもその道は続いていく。その先に脱核がやってくるんです。

初期のころに設置したという太陽光パネル
初期のころに設置したという太陽光パネル

翌日、ユジンさんの自宅を訪れ、初期のころに設置したという太陽光パネルを見せてもらった。思ったほど大きなものではないが、逆にごく自然に普及していくためには、小さくても実際に電力を生産するという意識を持てることも大きいのではないかと思った。

■ 慶州地震の恐怖

韓国の脱核への流れを決定づけたのは3.11の東電事故と、2016年9月に発生した慶州地震であるといわれる。まずマグニチュード5.2の地震が19時44分に起きたあと、ほぼ1時間後に同5.8の地震が発生した。二回目のほうが大きいのは珍しいが、これは同年4月に発生した熊本地震と共通している。
韓国では地震は少ないため、3.11のときも核電の問題はあるにしても、地震については韓国は大丈夫だ、という雰囲気があったらしい。それがこの慶州地震で一気に問題化したのだ。
通訳をしてくださったキム・ボンニョさんのつてで、歴史文化都市として名高い慶州の市内に住むパク・スンイさんに話を聞いた。
食事の支度をしているところで、ドーンと音がしたので、てっきり北朝鮮のミサイルが着弾したと思ったという。その後、ユッサユッサと揺れたため地震だと気が付いた。家ごと揺れる感じで、特に棚の物が落ちるといったことはなかった。初めての体験でとても怖かったが、核電のことまで気が回らなかったという。

パク・スンイさんの庭の唐辛子

■ ウォルソン核電の反核テント村

ウォルソン核電のPR館の前に鉄パイプとビニールでできたビニールハウスのような建物が建っている。
そこでファン・ブンヒさんが迎えてくれた。1983年に運転を開始したウォルソン核電1号機の設計寿命30年を延長しようという動きに反対して、2014年の8月からこのテントを建てて座り込んでいるという。韓国水力原子力発電(以下、韓水原)の敷地だが、いまのところ強制排除はされていない。
3.11の東電事故も影響しているという。日本の核電は耐震性も信頼性も高いと思っていたのに、それが事故を起こしたことで私たちにも同じことが起こるのではないかと思ったという。
ウォルソン核電は日本にはない型、カナダ型のCANDU炉である。この炉は重水を使用するためトリチウムを大量に排出する。トリチウムは三重水素のことで、弱いベータ線を発するが、分離しにくく、東電事故で冷却水をタンクに貯蔵し続けなければならない原因となっている物質だ。
(日本の法律では一般的なトリチウムは3.11以前より10億ベクレル(1L当たりの場合は1億ベクレル)までは放射性物質とみなさないことになっている。以前知らずにLUMINOXという時計を買ったのだが、それはトリチウムガスを封入したガラス管により12年間は発光し続けるというもので、元は軍事用に開発された。12年間というのはトリチウムの半減期である。それがちょうど10億ベクレルのトリチウムを含んでいる。このためこの時計は、普通に宅急便で郵送されてきたし、荒ゴミとして私が捨てることもできるのだ。この緩い基準にはこのCANDU炉が関係しているのではないかと私は推測している。)
このため、このあたりの住民の尿からはトリチウムが検出され、とくに成長盛りの孫たちのほうが多く検出されるという。健康に影響はないといわれているが体にいいはずがなく、今は集団移住することも要求しており、4世帯ほどの住民が交代で座り込んでいる。毎週月曜日には、自分たちの棺桶を担いで核電の門までデモをしているという。

ファン・ブンヒさんとテント村

慶州からも近いので、ファンさんは地震も体験された。二回目のほうが大きく、棚から物が落ちたという。家にいると怖いので、車でひらけたところに逃げていたが、それでは情報が得られないので、家の前に戻ってきて、交代で家の中にテレビを見に行ったという。孫たちはいまでも、大きな音がすると、地震じゃない?と驚くという。
地震の翌日には、当時まだ公示前でいち国会議員だったムン・ジェイン氏が訪ねてきた。通り一遍の訪問ではなく、私たちの話を十分に聞いてくれて、核電のこんなそばに人が住んでいることに驚き、私が大統領になった時には脱核する、と言ってくれたとファンさんは話す。

背景がウォルソン核電
背景がウォルソン核電

テントの前で写真をとって100mほど歩いて浜に出ると、目の前にウォルソン核電がそびえていた。ファンさんは犬と孫たちを連れていっしょに来てくれた。いつごろ核電が建ち始めたのか覚えていないという。当時は独裁政権下だ。住民の同意を得て建てられた訳ではない。放射能についても何も知らされず、電気を作る工場、くらいにしか思っていなかったという。核電や放射能の問題を知ったのは民主化後のことになる。

 

■ 建設の止まった新コリ5,6号機

新コリ核電
新コリ核電

写真家のチャン・ヨンシク氏にコリ核電と新コリ核電の撮影ポイントを案内してもらった。チャン氏はもう10年もコリ核電を撮り続けているという。

 

建設中の新コリ核電5,6号機
建設中の新コリ核電5,6号機

特に新コリ核電5,6号機の状態を見たかった。この二つの核電は建設中だったが大統領の決断により建設は中断されている。建設は30%進んでいるといわれている。
実際に見てみると、確かにクレーンなども止まったままで人の姿もない。また地上構造物はほとんど見えないので、建設がそんなに進んでいるのかどうかも分からない。私たちは台湾の第四核電の建設現場を何度も訪れており、巨大な地下構造物が建築されるのを見てきたので、30%という進捗を必ずしも否定しきれない。というわけで、できるだけ近くで見たかったので、人影もない開いているゲートから入ってどんどん近くに寄っていった。だいぶ近くまで寄れたけれど、高さがないのでどうしても建設状況がみれないなぁ、と思っていたら、知らない車が入ってきてチャンさんに話しかけている。どうやらこちらに気が付いて警告に来たみたいだ。さっきのゲートからこっちはたぶん韓水原の敷地だったのだろう。
とりあえず、引き返していたら、今度はより重々しい感じの車がやってきたので足を速めた。やばいかも知れない。チャンさんが話を続けてくれている。こういう場合、へたに残るより立ち去ったほうがいい。先に車を出してとりあえず遠ざかっていると、チャンさんから電話が入り、事なきを得たようだ。どーなることかと思った。
その後、新コリ核電から1kmほど離れたところの住宅街を見せてもらった。その付近だけ同じ時期に建てられたと思われる小ぎれいな住宅が並んでいる。この住宅の人びとは、初期のコリ核電が建てられた際に移住させられ、その後、移住先に新コリ核電が建設されることになったため、再度移住させられたのだという。

二回移住させられた住宅街
二回移住させられた住宅街

ところで、コリ核電と新コリ核電はてっきり敷地が離れているのだろうと思っていたが、ほとんど続いている。キム・ボンニョさんに聞くと、「新」と付けたほうが安全な印象を与えるので、そうしているのだろう、とのこと。韓国ではウォルソン核電、ウルチン核電でもほとんど続いた敷地なのに最近の核電には「新」を付けている。
さらにウルチン核電はハヌル核電に、ヨングァン核電はハンビッ核電に名前を変えた。それもイメージをよくするための改名らしい。
というわけなので、私は従来通りの名前で呼称しようと思っていたが、気になることがあった。私は3.11の事故のことを東電事故と呼ぶ。地名で名付けられた名称では、まるでその地域のみが被害を受けたかのような印象を与えてしまう。韓国の新聞記事によれば、改名は「地域経済とイメージに悪影響を及ぼす、という住民の意見を反映」したものだという。それが本当なら、やはり新しい名称のほうがいいのかも知れない、とも思う。

■ キム・イクチュン教授のお話

前編で紹介しきれなかったキム・イクチュン教授のお話をまとめて紹介する。

・政府の政策転換について

大統領の脱核政策により、産業部の公務員たちは180度立場が変わったことになる。これまでは核電がいかに必要かを広めることが仕事だったが、今は自然エネルギーを広めることが仕事になった。
もちろん納得していない人もいるだろう。しかし、韓国の自然エネルギーの普及が世界にくらべて極端に遅れていることを知らなかったはずはない。彼らは間違っていたとは言わないが、時代が変わった、と言わざるを得ないだろう。
核電勢力をあまりにも弾圧するのはよくないと思っている。反抗を呼べば政策は失敗する。
脱核が勝った背景は30年に及ぶが、日本での東電事故が韓国の脱核運動にもっとも大きな影響を与えた。韓国でもあのような事故が起こりうるとみんな思ったし、その後の慶州地震もそれを後押しした。
私に連絡してきたとき、すでにムン・ジェイン大統領は脱核の意識を持っていた。

・高レベル廃棄物問題について

高レベル廃棄物は核電内で仮置きしているが、手狭になってきたためリラッキング(ラックに間隔を狭くして置きなおすこと)している。危険性は増すが、今はそうせざるを得ない。
前の政権のとき使用済み燃料の公論化委員会を行い、二つの結論を得た。最初は敷地内に中間貯蔵し、その後永久処分するための処分場の選定方式を定めた。しかしその方法には大きな問題がある。慶州の低レベル処分場のときもそうだったが、敷地の安全性は考慮せず、住民が許容すれば決定してよい、ということになってしまっている。
高レベル廃棄物の問題は、私たちにとって隠している武器といえる。今は核電の事故の影響を強く訴えているが、廃棄物の問題は解決不能な問題なのだから、この問題は核電を止める大きな議論を引き起こすことになるだろう。

・再処理について

韓国はパイロプロセッシング(乾式によるウラン/プルトニウム抽出方法)による再処理を進めようとしていたが、これについても予算をなくす方針だ。もんじゅ中止の影響もあるが、ほとんどの専門家は高速炉の実現性に疑問を持っている。この問題も公論化により取り上げられるだろう。そうすれば白紙になる可能性が高い。
プルトニウムは核爆弾にするしか使い道はないのだから、日本で行われている核燃料サイクルは、一言でいえば税金泥棒が目的だ。多くの国民の目を盗んで、一部の国民の潜在的核保有国になりたいという欲望を餌にして、泥棒を続けていた。日本ではそれに成功したが、私たちは日本からあまりにも多くのことを学び、核燃料サイクルは詐欺だということを知っています。

キム・イクチュン教授
キム・イクチュン教授

・核電輸出について

海外輸出については大統領は妨害しない、と言っている。しかし、核電輸出が韓国経済の助けになっているか、それは検証が必要だ。
UAEに4基輸出したけれど、その契約内容が公開されていない。しかし膨大な技術料を払ったことなどが次第に明らかになってきている。その技術料は政府が半分以上を拠出した。そもそもダンピング輸出なのにUAEにもお金を貸している。
そして万が一事故があれば韓国政府が責任を取るとか、使用済み燃料も韓国へ持ってくるという報道もあった。こうしたことが公開されれば、輸出がなんら利益にならないことがわかる。
大統領は妨害しない、といいましたが、情報を公開することで輸出はできなくなるでしょう。

・脱核の可能性は100%です。

脱核宣言をした国でも、一度決めてまっすぐに進んだ国は少ない。日本も宣言したがひっくりかえった。他の国でもいったり来たりを繰り返しながら進んでいる。
なぜか。国民のほとんどが納得するまで説明を続けなければならない。だから逆に戻ることもある。
しかし、国民の7割以上が賛同するようになれば戻ることはないだろう。
韓国ではこの5年間に国民が賛同するように説明することだ。直近のコリ核電5、6号機の公論化委員会では負けるかもしれない。しかしこの後、5年の間、国民が説得されれば脱核はやめることができない。
一番重要なのは宣伝、教育にかかっていると思っている。
現在の政府は核電の広報を禁止している。今後はそうした予算をなくす。教科書を通じて実体を教えていく。そうすれば勝算があると思う。

このように力強く語った教授は、私たちと早めの夕食をとったのち、近くの会場で核電についての講演会で講師をしていた。そっと覗くと原子炉の図を使って説明しており100名以上の人びとが聞き入っていた。なんともパワフルな人である。

■ サムチョク 核電を止めた町

日本でもそうであるように、韓国でも核電が建設されたところよりも、阻止したところのほうが多い。サムチョクは、そうした町の一つで強い反対運動により核電の建設を阻止した歴史がある。今回最後の現地として訪れたサムチョクはそうした町だった。
迎えてくれたマ・ギョンマンさんは台湾のNNAFにも参加したこともあり、日本語が話せる。

核電白紙化記念塔
核電白紙化記念塔

マさんの車で連れて行ってもらったのが8・29記念公園にある核電白紙化記念塔だ。1991年に核電建設の計画が伝えられると、様々な反対運動が実行され、中でも1993年8月29日に大規模な反対集会が開かれた。そうした運動の結果、ようやく1998年に計画の破棄を正式に認めさせたのだ。それを記念して翌年に作られたのが、この核電白紙化記念塔だった。
しかし、その後2005年には核廃棄物処分場の候補地にされたが、それも住民の反対により跳ねのけた。さらにその後、2011年の末に再び核電の新規立地予定とされてしまっていた。
マさんも反対運動をしてきて、1986年には日本の大学にいっていたこともあり、学生時代にも日本語を勉強していたので日本語が話せるという。
50歳を過ぎて結婚する際、意を決して帰農することとし、いちご農家を始めたという。案内してもらったいちごのビニールハウスは巨大だった。4棟ほどあるビニールハウスは、3重にビニールが張られており、韓国の冬にも耐えられるようになっている。棟ごとに時期をずらして生育するが、植え替える際には、一度、土だけの状態で高温状態を保持することで、病害虫を予防することができ、農薬を使っていないという。

少女と少年とやぎ
少女と少年とやぎ

そして、ビニールハウスの作業場は、画家であるお連れ合いのアトリエでもあった。農作業で働く人々などを主に描画されており、無数のデッサンと油絵があった。

水戸喜代子さんの肖像画
水戸喜代子さんの肖像画

びっくりしたのは、その中に水戸喜代子さんの肖像画とデッサンがあったことだ。聞くと台湾のアジア・フォーラムで知り合い、その後何度かマさんのところを訪れているという。つい、数か月前にも来たという。ちなみにマさんは中国語もできるので、水戸さんとは中国語で話すというのも、なんともインターナショナルである。
その日は脱核巡礼の活動を続けているイ・オクプンさんの家に泊めてもらった。サムチョクの海水浴場に面した海の家のような、夏にはこよなく快適な場所だった。

サムチョクの朝日
サムチョクの朝日

ただ翌朝、たまたま早く目が覚めた私が海に上る日の出の写真を撮っていると、北から南へ、目の前を横切って3人の若い兵士が銃を構えたまま歩いていった。おそらく、脱北者が上陸した形跡がないか確認しているようだった。ここでは当たり前の光景なのかも知れない。しかし、私には改めてこの国の状況を思い知らされた気がした。

 

3人の若い兵士
3人の若い兵士

■ 脱核への舵を握った韓国の人びと

最後の夜にはイ・ホンソク、ユ・ジョンホ、小原つなきというなじみの面々と遅くまで話をした。


イ・ホンソク達もムン・ジェイン大統領の姿勢を評価している。いろいろ問題はあるが、確実に前進しているんだ、という自信を感じた。そもそも核電なんて、どうやったって衰退していくしかないわけで、日本においても脱核は時期の問題でしかない。でも日本にいるとどうも、そういう風に落ち着いて対処することができないのはなぜだろう。


韓国でも大統領が脱核において公約から後退したことを厳しく批判する声も当然ある。日本で同じ状況になれば私もたぶんそう主張するに違いない。しかし、20年来、脱核を目指してきた仲間がこの状況にようやくこぎつけて、その現状を肯定していることは、私には信頼することしかできない。
今回「脱核への舵を切った」ではなく「舵を握った」と表現したのは、強い流れに舵を取られ、脱核への動きが阻まれることも彼らは覚悟しているからだ。しかしそのとき、舵を持つ手にその流れを感じることができるだろう。そしてその手ごたえは、そのあとに再び舵を切る力に繋がっていくはすだ。
そうした民主主義の手ごたえを彼らは感じ取っているのだ。
台湾、そして韓国と脱核へ向かう隣国を知るにつけ、うらやましい、とつい思ってしまう。しかし、それができるのにはちゃんと理由がある。台湾は三か所にしか核電はなく、四か所目は止めている。韓国も集中してはいるが四か所にしか核電はできていない。いずれも独裁政権下で、いやおうもなく建てられてしまった場所だ。民主化が叶ったそのとき、手にした権利がいかに大切なものか、その前の時代を体験したからこそ実感できたのではないだろうか。だからこそ、民主化後、新しい核電立地箇所を台湾、韓国は許していない。
そしてその厳しい時代を招いたことに、日本はもちろん無関係ではない。
チューリップが春、花を点けるのは冬の寒さを耐えたからだという。春の花の美しさだけでなく、その過ごした冬の厳しさをも、もっと学びたいと思った。

※この旅ではキム・ボンニョさんに通訳、運転、コーディネートなど本当にお世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
※ところで本稿ではせっかく韓国のお話ですし、原発のことを核電と表現してみました。意外と違和感ないと思われませんか?

追記:本稿を脱稿した後、公論化委員会による結論が出て、新コリ5,6号機の建設を継続するという報が入ってきた。当然原稿を修正すべきところがあるだろうな、と思って読み返してみたが特にそのような箇所がない。意外に思うと同時に私たちが会った人々はこの結論も想定した上で、進もうとしていたのだと思い当たった。
そういえば、日本から輸出された台湾第四核電の建設がどんどん進んで、死を賭してでも止められないかと私が思い悩んでいたことがあった。そのとき台湾の友人に「建設して儲けるだけ儲けさせて動かさなきゃいいんだよ」と言われて拍子抜けしたことを思い出した。冬を耐えた花に比べて、私はなんて脆弱なんだろう、そう思ったものだった。

ユジンさんの庭の花
ユジンさんの庭の花

とーち(奥田亮)

マレーシアで1980年代に発生したARE事件の現状報告:現在も継続中の深刻な放射能汚染

マレーシアで1980年代に発生したARE事件の現状報告:
現在も継続中の深刻な放射能汚染 

和田喜彦(同志社大学経済学部)

(1)はじめに

本稿では、マレーシアで1980年代(約30年前)に発生した放射能汚染をともなう公害事件の影響が現在まで残存している状況について報告する。この事件は、レアアース製錬を行なった企業が加害企業であり、その社名(エイジアンレアアース社)に因み、「エイジアンレアアース社事件」、短くは「ARE事件」と呼ばれている。四日市ぜんそくの加害企業のひとつである三菱化成株式会社もこの事件に関与していた。

(2)エイジアンレアアース社(ARE)事件の概要

エイジアンレアアース社(ARE)は、マレーシアのペラ(Perak)州のイポー(Ipoh)市近郊にレアアース製錬工場を建設し、1982~94年(現在から36~24年前)の間に操業していた。製錬過程で発生したトリウムやウランなどの放射性廃棄物の管理が杜撰であったため、深刻な公害被害が発生した。

筆者は、2012年11月~15年12月の間に3回現地調査を実施した。マレーシア出身のオーストラリア人研究者(Lee Tan氏)や住民の協力を得ることができたのが幸運だった。

ARE事件の舞台は、マレー半島西部に位置するイポー市近郊のブキ・メラ(Bukit Merah)村とその周辺地域である。この地域一帯は、かつてスズ(錫、Sn、融点:232℃)とレアアースの生産で繁栄したが、現在はこれらの産業は下火となっている。

三菱化成株式会社(現在の三菱ケミカル株式会社)は、マレーシア企業と合弁でエイジアンレアアース社(ARE)を1979年に創設し、1982年に操業を開始した。その背景として、日本の原子炉等規制法改正(1968年)により、国内での放射性廃棄物の投棄や保管が厳格化されたことが挙げられる。これにより管理コストが上昇し、モナザイトなどからレアアースを抽出する工場は海外に移転していったのである。結果的に1972年までにレアアース抽出工場は日本から姿を消した。

くり返しになるが、レアアース抽出の工程では、多くの場合放射性物質が廃棄物として発生する。そのため、廃棄物の管理は厳重になされなければならない。ところが、AREの放射性廃棄物の管理体制は非常に不適切なものであった。とくに操業開始後2年間は、適切な廃棄物保管施設を設置していなかった。放射性物質を周辺の空き地、池、河川、道路脇などに大量に違法投棄した。そのことにより、周辺住民や従業員とその家族に白血病や先天性障害などで苦しむ人々が現れた。

1985年、AREの操業停止を求めて住民たちは裁判を起こした。1992年に出された第一審のイポー高等裁判所の判決は住民勝訴で、AREは14日以内に操業を停止するよう命じられた。AREは、判決を不服として最高裁判所に即時上告した。それを受けた最高裁はイポー高等裁判所の命令を暫定的に停止した。翌年1993年の12月には、イポー高裁の判断を完全に覆す最高裁判決が言い渡された。企業側の責任は認められず、操業は引き続き認められることとなった。

ところが、最高裁判決が出て間もなく(1994年1月)、三菱化成とAREは、国内そして国際世論に押される形で、操業を停止した。また、三菱ブランドを守るために違法投棄箇所の除染を実施した。しかし除染されたのは、裁判の過程で、違法投棄を請け負った業者らの証言によって明らかになった場所のみであった。証言から漏れた箇所が、現在も未除染の状態で残っているのではないかという疑念の声が以前から出されていた。住民や不動産業者などから、筆者や共同研究者に対し放射能汚染の実態調査をしてほしいという依頼が寄せられていた。

(3)現在も残る深刻な放射能汚染

住民の懸念と要請に応えるべく、筆者と共同研究者のLee Tanらは、2013年11月と2015年12月に調査を実施した。まず、放射性廃棄物の違法投棄をAREから委託されたという請負業者(高齢の男性で匿名希望)に聞き取り調査を実施し、複数の違法投棄現場の位置情報を聞き出し、それらの現場に出向き、ガンマ線計測器で放射線量を計測した。線量が高い箇所では土壌サンプルを採取し、大阪大学大学院理学研究科・福本敬夫氏に土壌分析を依頼した。

2013年11月の調査では比較的線量が高い場所が1箇所見つかった。バイパス道路の脇の地点で、そこでのガンマ線量の平均値は、0.34 マイクロSv/hを示した。通常の8倍程度であった。20メートル程の距離には一般の民家が1軒隣接し、約100メートル離れた箇所には別の民家があった。

しかし、2015年12月に実施した現地調査では、さらにガンマ線量が高い箇所を発見した。平均値は4.59マイクロSv/hであった。バックグラウンドの約100倍程度である。そこは、高圧電線の下の空き地で、牧草が生えている部分もあり、牛たちがのどかに草を食んでいた。近隣には、商業用倉庫があり、ペットボトル飲料水などが保管されており、ときおり業者とみられる人々がやってきて、商品を持ち出していた。小川をはさんで反対側には、工場が位置している。土壌分析の結果は、図1のように、放射性ウラン、放射性トリウムの濃度が非常に高い値を示した。ウランは、最大値で453ppmで、カナダ政府の土壌安全基準(居住地域)23ppmの約20倍であった。

図1:AREにより放射性廃棄物が違法投棄され未除染と思われる土地の土壌分析結果 (土壌採取日は、2015年12月29日~30日)
図1:AREにより放射性廃棄物が違法投棄され未除染と思われる土地の土壌分析結果
(土壌採取日は、2015年12月29日~30日)

トリウム汚染の公的な安全基準を見つけるのには苦労したが、EUの建築材料の安全基準を見つけることができた。それは49ppmである。この地点でのトリウムの土壌中濃度は、最大値で6,263ppmを示し、EUが定めた建築材用の基準の128倍であった。人々が自由に出入りできる場所であり、牛たちもその上で草を食んでいる場所でもある。人と牛の健康にとって危険なレベルであり、放置すべきではない。三菱ケミカルとAREに対し、これらの地点での除染を早急に実施するように求めたい。

(4)ARE事件被害者ライ・クワンさんからの三菱ケミカルへの要請

2015年12月に、ブキ・メラ村の住民の一人であり、かつARE公害事件の被害者でもあるライ・クワンさんにインタビューを行なった。末息子のレオンさんは重い障害をもって生まれ、彼女は苦労してレオンさんを育て上げた経験をもつ。残念ながら、レオンさんは2012年春に28歳で死亡した。インタビューには、ライ・クワンさんの娘で、レオンさんの姉であるライ・ファンさんも同席してくれた。

未除染の汚染箇所が複数見つかったことをお伝えすると、ライ・クワンさんは「自分たち以外の人たちに同じ辛酸をなめてほしくない。三菱化学(現在の三菱ケミカル)に対し、汚染土壌の除去作業を実施するよう訴えたい」と述べた。ライ・クワンさんとライ・ファンさんのインタビュー動画が、筆者のFacebookに掲載してあるので、ご覧いただきたい。どなたにも公開されています。
https://www.facebook.com/100007517136269/videos/1744179959175892/

(5)さいごに

ARE事件は30年以上経過した現在も未解決のままである。三菱ケミカルとARE社は、汚染箇所の除染を早急に実行すべきである。上に紹介した動画からもうかがい知ることができるが、ライ・クワンさんは高齢で病気がちである(今年76歳)。また、違法投棄を請け負ったことを証言し、その場所を教えてくれた男性も彼女と同年代である。当初、その男性は過去の不名誉な行為を明らかにすることを躊躇していた。我々が住民の懸念を伝えたところ、被害の拡大を防ぐため自らの責任を果たしたいという気持ちになってくれ、証言してくれたのである。この男性のささやかな良心的改心に応えるためにも、日本の名誉のために、そして三菱の名誉のためにも、AREと三菱ケミカルには彼女や彼が存命中に責任を果たしてもらいたい。

AREレアアース製錬工場と類似の工場が、東海岸のパハン(Pahang)州・クワンタン(Kuantan)市(人口約35万人)近郊に作られ、2012年12月より操業を開始している。オーストラリアのライナス社のレアアース製錬工場である。日本政府も独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)を通じ200億円を超える額を出融資している。筆者らの現地調査でこの工場周辺でも放射性物質による汚染が発生していることを疑わせる分析結果が出てきた。この問題については、紙面の都合で別の機会に譲ることとする。

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信150号 (2月20日発行、B5-32p)もくじ

・大飯原発3・4号機再稼働差し止め仮処分を申し立てました(児玉正人)
・トルコ、シノップ原発:公聴会で警察が市民を排除(森山拓也)
・シノップ原発の公聴会は市民を排除(プナール・デミルジャン)            
・ウエスチングハウス幹部のインド訪問とコバーダ原発建設計画復活に反対する声明
・コバーダで村人は強制移住させられる(ラクシャ・クマール)
・チュッカ原発計画に反対して、立ち退きを迫られる人々が地方選挙をボイコット
・マレーシアで1980年代に発生したARE事件の現状報告:現在も継続中の深刻な放射能汚染(和田喜彦)
・南オーストラリアの人々は核廃棄物を拒否する!
・イギリスへの原発輸出 ー 現地住民の声(深草あゆみ)
・ムン・ジェイン大統領の脱原発政策と人々の力(満田夏花)
・使用済み核燃料問題「再公論化」にどう対応するか(高野聡)
・5か国の仲間たちと「福島の教訓をどう伝えるか」戦略会議を開催(藤岡恵美子)
・何で埼玉県議会が「再稼働推進意見書」を決議?(菅井益郎)
・原子力規制委員会・更田委員長のトリチウム水海洋放出発言に抗議しトリチウム水の安全な保管を求める要請書(脱原発福島ネットワークほか144団体)
・平昌五輪を機に米朝における軍事演習の停止と対話、平和協定の実現を求める(89団体)

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シノップ原発の公聴会は市民を排除(プナール・デミルジャン/Nukleersiz)

150-33

EUAS(トルコ発電株式会社)はシノップ原発建設のための環境影響評価を1月12日に申請し、2月6日に公聴会が実施された。シノップ反原発プラットフォームは公聴会への参加を申請したが、回答を得られなかった。2月6日当日、シノップ市民たちの参加は物理的にも妨害された。

9時からの公聴会に参加しようとした人々は、バスや自動車で7時30分に出発した。しかし約8kmの道中、4度にわたって足止めされた。彼らは公聴会開始前に会場に到着したが、入場を許されなかった。ジャーナリストも入場を拒まれた。

シノップ反原発プラットフォームと、イスタンブール、シノップ、ブルサからの3名の国会議員、シノップ県の市長2名、弁護士協会の環境・都市委員会、環境NGO、イスタンブール反原発プラットフォーム、その他のアドボカシー団体や市民らが抗議行動を行なった。

反原発運動を支援する弁護士たちは、公聴会への参加を認めない非民主的な対応を批判する申し入れを行なった。申し入れへの署名が行なわれている間、私たちは農民2名が公聴会で拘束されたことを知った。彼らは早朝に会場へ入ることに成功していた。会場には空席があったにもかかわらず、反対派は参加できなかった。

最終的に、入場できなかった200名ほどは、非民主的な対応に抗議するために、県庁と裁判所に向かってデモ行進を始めた。デモ隊が到着すると、催涙ガスを放った警察との間で乱闘が起きた。参加した国会議員も警察官に殴られ、抗議参加者1名が拘束された。抗議参加者たちは当局の対応と3名の拘束に抗議し、「県知事は辞職しろ」と要求した。弁護士たちと国会議員は知事と面会し、人々の要求と抗議を伝えた。

知事との面会後、人々はメガホンを使って声明を発表した。声明では次のようなことが述べられた。「シノップ原発は市場価格よりも40%も高い料金で電力を供給し、シノップの生活を破壊する。事業のコストは200億ドルで、原子炉は三菱重工とアレバによる合弁事業会社ATMEAによって製造される。トルコは、まだ世界のどこでも運転されていないこの原子炉の設置に合意した」

拘束された3名は当日中に釈放された。抗議行動は大手メディアでも紹介された。

*「DiaNuke.org」に掲載された記事の一部翻訳・転載です。(翻訳・編集:森山拓也)
Demircan, Pinar (February 10, 2018), “Public Hearing for Sinop Nuclear Power Plant Project in Turkey Was Held By Avoiding Public,” DiaNuke.org, http://www.dianuke.org/public-hearing-for-sinop-nuclear-power-plant-project-in-turkey-was-held-by-avoiding-public/.

ウエスチングハウス幹部のインド訪問とコバーダ原発建設計画復活に反対する声明(国際署名)

*みなさん協力ありがとうございました
(国際署名:21団体、1488人、2月20日現在)
英文 http://www.dianuke.org/westinghouse-quit-india-statement-kovvada-nuclear-project-andhra-pradesh/

150-13

ウエスチングハウス幹部のインド訪問とコバーダ原発建設計画復活に反対する声明(国際署名)

私たちは、インドの東海岸で計画されているコバーダ原発建設に強く反対する。

アメリカのウエスチングハウス社によって6基の原発建設が計画されているコバーダでは、同社の関係者らが2月中旬に訪問する予定となっており、それをきっかけに計画が復活するとみられる。ウエスチングハウスは、親会社だった東芝に巨額の損害を与えた会社だが、コバーダでも草の根の人々の激しい反対運動に直面している。

アンドラプラデシュ州スリカクラム県のコバーダ村とその周辺の村々では、原発は環境と健康と暮らしと伝統的な生き方への脅威だとみなされている。

ウエスチングハウス・東芝連合は、当初はAP1000型の原発をグジャラート州ミティビルディで建設することになっていたが、激しい反対運動によってはじき出されて、コバーダへと目的地を変更した。

コバーダでは、GE・日立連合が原発建設の契約を勝ちとっていたが、将来原発事故が起きた際の損害賠償の支払いを拒否して、コバーダ原発建設計画から離脱している。

財政的にひっ迫しているウエスチングハウスは、原発6基をインドに売りたいと思っている。しかしAP1000という炉型は、規制基準を満たさなかったり、建設費が高騰したり、建設の工期が遅延したり、重大な安全性の疑問が生じたりと、アメリカ、イギリス、中国などで問題を起こしている。

ウエスチングハウスが、嫌がる人々に未確立の科学技術を押しつけようとしているだけで、インドの人々には何のメリットもない。

このプロジェクトは、災厄がもたらされることがあらかじめ定められたようなものだ。コバーダ原発は、インド東海岸の繊細な生態系を脅かし、人口稠密な地域で人々を危険にさらす。原発建設によって地域の住民たちは、何世紀にもわたって受け継いできた伝統的な暮らしや持続可能なライフスタイルを失い、市民権をはく奪されてしまう。

2008年の米印原子力協定は、斜陽となった原子力市場にしがみつこうとするウエスチングハウスのような原発メーカーがインドで活動することを可能にした。ブッシュ大統領とシン首相の間で初めて結ばれたこの協定は、インドに対して30年間にわたって核関連の貿易を規制してきたモラトリアムを撤廃した。これによって、インドは核不拡散条約の締約国でもないのに、アメリカがインドの商業用原子力プログラムに参入できるようになった。

ウエスチングハウスは、どう考えてもインドをいいカモだと考えている。

インド政府は、地政学的な戦略の一環として原子力協定を結ぶに至った。その際に、環境影響、コストベネフィット分析、安全評価、国のエネルギーの未来に関する民主的な議論など、本来やるべきだった宿題を放置したまま今日に至っている。

さらに、インド当局は原子力に反対する人々に対して、暴力で鎮圧したり、ありもしない罪をでっちあげて非難したり、公の集会から暴力的に反対者をつまみ出すなどの行為を続けている。今日、国連による世界人権宣言で保障された基本的人権は、原発に反対する人々から奪われたままである。

アメリカ政府はインドに対して、原子力損害賠償法の(原発メーカーに賠償を要求できる)条項を撤廃するよう圧力をかけている。インド政府はこの件についてアメリカの要望に沿う形で決着をつけようと考えており、裏での話し合いによって条項を反故にしようとしている。たとえば、事故時の原発メーカーの損害賠償を埋め合わせられるよう、民間企業により保険金のプールを提供するなどしている。

アメリカがインドの原子力損害賠償法を骨抜きにしようとしている理由の一つは、インドが輸入することになっている原子炉の設計の安全性に対する不安が指摘されているからでもある。

ウエスチングハウスは、アメリカ国内でも嘆かわしい経歴をもっている。サウスカロライナ州での2基のAP1000型原子炉の建設では、建設工期が遅れに遅れ、総工費は98億ドルのはずが約3倍近い260億ドルまで跳ね上がった。ジョージア州でのAP1000型原子炉の2基建設でも、工期が5年遅れた上に、総工費140億ドルと見積もられていたにもかかわらず、最終的には270億ドル以上が必要となった。このプロジェクトは昨年再検討されたが、取りやめることなく続けられることになった。

もしウエスチングハウスがコバーダで原発を建設することになれば、もっとも軽く見積もっても、長期的な工期の遅れ、予算を大きく上回る工事費、環境汚染などが引き起こされると思われる。最悪の事態は、破局的な原発事故だ。これは、原発の建設が完了した場合のことだが、完了するかどうかも疑わしい。コバーダでは、このままでは、経済と生態系が破壊され、もっと安価で汚染がなく安全な再生可能エネルギーに取り組んでいれば大きな成果が上がったはずの時間だけが浪費されてしまう。

インドは、2011年の福島原発事故の後も、自国の原子力政策に関して独立した監査や見直しを行なわなかった数少ない国の一つだ。インド政府は、原発事故がもたらす乗り越えようもないリスクに関して、完全に無視を決め込んでいる。

コバーダ原発の建設が発表されてからこの10年、一度たりとも環境影響評価調査が行なわれたことはない。ベンガル湾沿岸のスリカクラム県に予定されているこの原発は、この地域の貴重な生物多様性や周辺の環境を危険にさらすことになるだろう。

このプロジェクトは、経済的にも意味をなさない。コバーダに建設される原発で発電される電気の値段は、インドで現在出回っている電気の値段の4倍となる。分散型の太陽光発電のための最新の公開入札では、電気代が既存の火力発電所よりも安くなっている。

地元の人々は、一方的な土地の取り上げに強く抗議している。彼らは、さらに高額な補償金を求めているのではない。彼らは原発など欲していない。

インドは、ダム、鉱山、火力発電所等さまざまな巨大プロジェクトによって強制的に移住させられたコミュニティの再定住政策に関して、極端に貧弱な成果しかあげておらず、ボパール化学工場事故以降、市民たちは当局が信頼できる対応をすると考えなくなっている。

以上の理由から、私たちはウエスチングハウス社のコバーダ訪問に強く抗議する。

私たちは連帯の気持ちを持ってここに結集しよう。そして手遅れになる前に、ともにNO!の声を上げていこう。

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ウエスチングハウス社のコバーダ訪問に反対して活動家らが声を上げる

The Wire 2月13日付

アンドラプラデシュ州のコバーダ原発定地をウエスチングハウス社の幹部らが訪問することに対して、世界中の人々が反対の声を上げている。この原発建設計画は何重もの遅延に直面してきたが、インド政府と原子力公社の幹部たちと、ウエスチングハウス社の間で、何らかの合意が2017年7月までに交わされたと考えられている。

ザ・ヒンドゥー紙によると、来週にもウエスチングハウス社の幹部と技術者らからなるチームがムンバイに到着し、コバーダでの原発建設計画が再開できるかどうかを話し合うことになっている。

当初は、ウエスチングハウス社がプラント丸ごとの建設を請け負うことになっていた。しかし現在ウエスチングハウス社は、原子炉と関連機器を納入するのみにとどめ、プラントは建設しないと表明している。

この原発は、もともとグジャラート州のバブナガル県ミティビルディに建設されることになっていたが、地元の農民たちの10年にわたる反対運動によって予定地の変更を余儀なくされた。

建設にかかわる企業の状況が不透明で、倒産や買収によってプロジェクトに遅れが生じると思われる。さらに、活動家らは地元住民の反対運動が続いていると指摘している。

インド、アメリカ、ドイツ、日本、オーストラリア、台湾、フィリピンなどの活動家らが共同で発表した声明によると、「アンドラプラデシュ州のコバーダ村とその周辺のコミュニティの人々は、この原発建設計画が環境、健康、暮らし、伝統的なライフスタイルへの脅威だとみなしている」と指摘している。

NAAM(反核運動全国連合)、PMANE(People’s Movement Against Nuclear Energy)、Dianukeなどが呼びかけたオンライン国際署名には、世界中から500以上の署名が集まった。

火曜日、中国の東海岸の三門原発で、ウエスチングハウス社が設計したAP1000原子炉への世界初の核燃料装荷が計画されていたが、「安全上の懸念」を理由に延期された。この原発建設も、長年にわたる停滞を経験してきている。この第三世代の原子炉は、2014年に運転を開始するはずだった。

上記の国際署名では、ウエスチングハウス社の原子炉がアメリカでも問題を抱えてきたことを指摘し、その安全性に重大な問題があることを強調している。

 

シノップ原発:公聴会で警察が市民を排除

トルコ北部のシノップでは、日仏企業連合による原発建設が計画されている。原発の環境影響評価に関する市民公聴会が、シノップで2月6日に開催され、参加しようとしたシノップ市民らが警察によって排除された。市民不在の公聴会に抗議する人々がシノップ県庁の前で抗議行動を行った。

環境影響評価プロセスの開始

シノップ原発の建設開始に必要な環境影響評価についての申請書類が、昨年末にトルコの発電株式会社から環境・都市整備省へ提出された。提出された書類は環境・都市整備省のwebページからダウンロードできる(トルコ語:http://eced.csb.gov.tr/ced/jsp/ek1/19811)。

環境影響評価についての法律に従い、原発プロジェクトについて市民に説明し意見を聞くための公聴会が2月6日に開催された。だが公聴会に参加しようとしたシノップ住民らは警察によって入場を阻止された。

シノップ原発を記した地図(環境影響評価の申請書より)
シノップ原発を記した地図(環境影響評価の申請書より)

市民とジャーナリストを排除

公聴会の会場となったシノップ大学の施設では、周辺の県から集められた数百人の警察官が厳戒態勢を敷いた。トラック、装甲車両、デモ隊攻撃のための高圧放水車が会場の周囲を固めた。参加を希望する市民らは警察による数回にわたる検問を通過して会場へ向かったが、会場から1.5kmほどの地点で警察によるバリケードに出会った。市民らはバリケードでしばらく待たされた後、警察官から会場は満員で入ることができないと説明された。

なんとかバリケードを通過できたジャーナリストたちは、会場の建物前でも警察のバリケードに阻まれた。ジャーナリストたちはしばらく待たされた後、警察官から「名簿に名前がないジャーナリストは入場できない」と伝えられ入場を拒まれた。トルコの大手紙ジュムフリイェットによると、原発事業を担うトルコ発電株式会社は特定のジャーナリストのみに事前の告知と参加認定を行っていた。

ジュムフリイェット紙は、数人の環境活動家と共に早朝から会場入りに成功した写真家のヴォルカン・アトゥルガン氏に、公聴会の様子についてインタビューしている。アトゥルガン氏によると、朝6時すぎに与党、公正発展党の支持者や関連組織のメンバーがバスで到着し始めた。会場では朝食が提供され、200人収容の会場に230人ほどの人が集まった。会場責任者が「ようこそ市民のみなさん」とあいさつすると、環境活動家の友人が「何が市民だ」と叫んだ。すると警察官や公正発展党支持者らが友人を襲った。

県庁前でも警察と市民が衝突

会場に入れなかったシノップ住民らは、「シノップをチェルノブイリにしない」とスローガンを叫び、その場で集会を行った。その後、シノップ県庁へのデモ行進が始まった。県庁の前でも数百人の警察官と高圧放水車が待ち構えていた。知事に会うため県庁に入ろうとした人々は、こん棒や盾、催涙ガスを使って警察に排除された。この衝突で1名が拘束された。住民らは「知事は辞めろ」「原発屋の知事はいらない」「シノップをチェルノブイリにしない」などと叫んで抗議した。市民参加を阻んだ公聴会は無効であるとする請願に多くの市民が署名し、最大野党、共和人民党の国会議員やシノップ反原発プラットフォーム代表が県知事に渡した。

衝突の様子はevrenselwebtv(https://www.youtube.com/watch?v=VMMkktbhpWk)などで見ることができる。

ジュムフリイェット紙の取材に、抗議活動に参加したシノップ市長のバキ・エルギュルは、「彼らはシノップ市民の発言をなぜ恐れているのか。この会議は名ばかりのものだ。公聴会にシノップ市民はいなかった。シノップ市民は今ここにいる」と述べた。

また共和人民党シノップ選出国会議員バルシュ・カラデニズは、「公聴会のための参加名簿が事前に作られていた。市民と対話するための公聴会に市民を参加させなかった。会場にいたのが誰なのか、知事に質問を送った。シノップ市民を置き去りにしたこの公聴会は違法だ」と述べた。

150-6

※以下の参考記事にも公聴会当日の写真が掲載されている。

『Cumhuriyet』2018年2月6日「Sinop gözaltında」http://www.cumhuriyet.com.tr/haber/cevre/921294/Sinop_gozaltinda.html.

『Yeşilgazete』2017年12月31日「Yer lisansı olmayan Sinop NGS için ÇED proje dosyası sunuldu」https://yesilgazete.org/blog/2017/12/31/yer-lisansi-olmayan-sinop-ngs-icin-ced-proje-dosyasi-sunuldu/.

『Yeşilgazete』2018年2月7日「Sinop NGS, halka Sinop’u terk ettirme projesidir!」https://yesilgazete.org/blog/2018/02/07/sinop-ngs-halka-sinopu-terk-ettirme-projesidir/.

『Virtinhaber Gazetesi』2018年2月6日「Sinop’ta olaylı toplantı」http://www.vitrinhaber.com/gundem/sinop-ta-olayli-toplanti-h23287.html.

(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科 森山拓也)

祈りとデモ行進、毎週22キロ歩く脱核生命平和巡礼5周年

金福女(円仏教環境連帯)      韓国「脱核新聞」12月号より

円仏教環境連帯は、福島の惨事の翌年から毎週月曜日、霊光(ヨングァン)郡役所からハンビット原発まで22kmを歩いている。ハンビット原発の安全性の確保と一日でも早い閉鎖を促す巡礼にこれまで3千人が参加した。262回で、5700kmを超える。

生命平和脱核巡礼5周年の11月27日には、霊光脱核学校のトーク時間に間に合うように二つのチームに分かれて歩いた。

この日は原発で、韓国水力原子力ハンビット原発本部長に手紙を渡すことにした。韓水原は、誰も出てこなくて、巡礼団が直接入ろうとしたら警察を出動させた。5年を持続させた脱核巡礼団の手紙を拒否し、警察を呼ぶ過敏反応に対して、巡礼団は原発正門前に座り込んで、手紙すら断る韓水原ハンビット本部をマイクで糾弾し、手紙の受領を促した。

地震が活発な時期となって、より恐ろしい原発の問題と、巡礼の意義と正当性などをマイクで力説した。1時間半も経って韓水原の地域住民対応チーム長が出てきた。遅く出てきた職員の言い訳が情けなかったが、脱核学校のトークに遅れすぎるので、手紙を渡して町へ帰ってきた。

生命平和のための祈りをあげ脱核を求めて5年をかけた。地球汚染や生命を最も脅かす原発の事故を防ぐ近道は稼動中断である。とくに霊光ハンビット原発は心胆を寒からしめる事件・事故の連続だった。

韓水原に渡した手紙では、どうして蒸気発生器内部にハンマーなど80個の異物があったのか、どうして格納容器に穴ができていたのか、どうしてコンクリートの壁の一部が落ちてしまったのかと追及した。

また、耐震設計は信頼できないこと、原子炉や配管に接続されたタービン建屋は地震に脆弱であることを訴え、処分方法も見つからず積もっていくばかりの使用済み核燃料をどうするのかと問うた。最後は「停止させることこそ、真の勇気である。自然の恵みで生きるすべての生命の名前で、原発の閉鎖を促す」という内容の手紙だった。

149-13

2週間にわたって開催した円仏教霊光脱核学校では巡礼5周年を迎え、円仏教の脱原発運動をふり返り、方向を模索する、3人のトークと住民が参加する話し合いも行なった。

脱原発トークは、円仏教環境連帯の前身と言える天地報徳会事務局長出身のカン・ヘユン教務、大統領府の前で初の「1人デモ」を行なったキム・ソングン教務、「野草手紙 ~ 独房の小さな窓から」の著者でもあるファン・デグォン代表(霊光原発の安全性確保に向けた共同行動)の3人。

カン教務は、霊光の核廃棄場反対の円仏教の先発隊を指揮し、円仏教環境連帯の結成の主役であり巡礼提案者である。キム教務は、「反核国民行動」の共同代表時代に、37日間、大統領府の前で断食した。ファン・デグォン代表は、原発が霊光にあることすら知らずに移住したが、霊光脱核運動の主要人物の一人だ。核廃棄場反対闘争中のエピソード、脱原発をめぐる話は、何時間でも足りない。圧縮して聞くことは残念さが大きかった。

円仏教環境運動の先駆者で去年亡くなったキム・ヒョン教務は、核兵器に劣らない核発電所の弊害を看破して「北朝鮮の核も南韓の核もいけない。世界のどこにも核はいけない」と喝破していた。1986年、チェルノブイリ事故が発生したが、当時の韓国は軍事独裁時代でニュースが制限されていたなかで、反核を力説したキム・ヒョン教務は早くから予言者的な省察で円仏教の反核運動の道を切り開いたと改めてふり返る話し会いでもあった。

住民たちとの話し合いでは、「巡礼道があまりにも索漠として危険なので一般人が一緒にしにくいことから、フルコースにこだわらず、脱原発運動を効率的に拡散するための方策として街頭宣伝戦をくり広げよう」「三つの邑(町)の街頭で講演とかチラシを配って情報を提供するとか、住民と接触を増やそう」などの提案が出た。「どんな天気にも必ず歩いた22キロだったが、今後はいろんな実験的試みを通じて、良い方策を探して定着させよう」と巡礼当事者が答えた。

「どんな方法であれ、環境と平和と統一を追求しなければならない。私たちは、求道人・円満人・開闢人・調和人である。この中に生命と平和もある。5年間の功徳が消えないように巡礼は続けなければならない」とのイ・ソンチョ円仏教霊光教区長のことばで話し合いは終った。

「変化が必要であり、方式を変えよう」といういくつかの提案に応えて、円仏教生命平和脱核巡礼がどう続くか、6年目の課題だ。

149-15

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★ノーニュークス・アジアフォーラム通信149号
(12月20日発行、B5-32p)もくじ

・広島高裁、伊方原発の運転停止命じる ― 弁護団・声明
・浦項地震後、韓国の東南圏の原発稼動中止要求高まる(ヨン・ソンロク)
・祈りとデモ行進、毎週22キロ歩く脱核生命平和巡礼5周年(金福女)
・インド・チュッカからの訴え ― 再び住民を強制移住させる、ナルマダ渓谷での原発計画への抗議キャンペーンに支援を(ラジクマール・シンハ)
・バングラデシュのルプール原発が本格着工
・トルコ南部、アックユ原発への反対運動(プナール・テモジン)
・反核WSF・COP23対抗アクションに参加して(寺本勉)
・ICANのノーベル賞受賞と北朝鮮問題(田中良明)
・核のゴミと福井県(若泉政人)
・玄海原発再稼働をめぐる佐賀の状況について(豊島耕一)
・[声明]日本原電による、老朽化した東海第二原発をさらに20年延長して運転させるという「申請書提出」に抗議します(東海第2原発の再稼働を止める会)
・子ども脱被ばく裁判・原告陳述(荒木田岳)
・またもや 安全神話の時代に まっしぐらか!(水戸喜世子)
・原発メーカー訴訟の控訴審判決を受けて(大久保徹夫)
・NNAF全記録DVD(安藤丈将)
・トルコ・反原発ドキュメンタリー映画制作支援金ありがとうございました

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